オーロックス砦への報告を済ませ、バスソルトも無事届けたリィン達は、一旦部屋に戻ってシャワーを浴び、一息ついてから高級料理店《ソルシエラ》へ繰り出していた。
心地よい風を感じながら料理に舌鼓を打ち、食後のひと時を紅茶や珈琲片手に楽しむ。
料理の話から実習の話へ、そして報告に寄った砦の様子から垣間見える帝国の現状へと話題が移ってゆくと、マキアスがおもむろに口を開いた。
「クロイツェン州での増税に領邦軍の大規模な軍事増強・・・まさか関係がないとは言わせないぞ?」
リィン達が砦で見たものは、領邦軍に配備された最新の戦車に、大幅に改修され対空防御を備えた要塞。
宿敵カルバード共和国に最も近い土地であるバリアハートには、かつて共和国へ続いた廃道がある。
オーロックス砦はそこに築かれた領邦軍の拠点であるが、領邦軍はあくまで治安維持部隊であり正規軍ではない。
地方の軍が持つには十分過ぎるほどの戦力だ。
「別に否定はしない。だが――問題の根幹は革新派と貴族派の対立にある」
四大名門を中心とした貴族連合と鉄血宰相オズボーンの対立は水面下で激化している。
今回見たものは、その一端に過ぎない。
砦へ配備されたRF社製の最新鋭の主力重戦車《
大陸でも最大級の戦力を保持していると言えるほど、帝国正規軍の力は強大だ。
正規軍の七割を掌握する宰相に対抗するための貴族派による軍備増強。
「・・・同じ帝国内なのに不毛すぎるとしか思えないな」
リィンが呆れたように言うのも仕方の無いことだ。
皆が声も無く同意の意を示していた。
「おお、青春の悩みとはかくも美しく尊いものか――」
大げさな感嘆の声と共に現れたのは、昼間も会ったブルブラン男爵。
純粋に驚く者に、顔には出していないがうんざりとした雰囲気がありありと見て取れる者、苦笑する者と、様々な反応を受けながら男爵は話し出す。
「やはり引かれあうものなのだろうか・・・こんなにも早く再会を果たしてしまうとはね」
「少し早すぎる気もしますが・・・」
「そうつれない態度をとるものではない。もっとも、そのそっけなさもそそるがね」
ティアが引き気味に乾いた笑いを浮かべ、リィン達が珍しいものを見たとばかりに視線を送った。
「用があるなら早く本題に入られたらどうだ」
「フフ・・・君達を見かけたのはほんの偶然さ。どうやら無事1日目を終えたらしいが・・・」
男爵はそこで言葉を切り、大仰にため息をついた。
フィーが成果を尋ねて返ってきた反応は芳しくなく、彼は運命的な出会いには巡り合えなかったそうだ。
「美とはかくも難しい・・・だからこそ尊いと言えるのだが」
「・・・まあ、その調子で滞在を楽しんでいただければ幸いだ」
「フフ、それはもう存分に。麗しの翡翠の都・・・鋼の匂いがするのはご愛嬌だが」
男爵の言葉にユーシスは言葉を詰まらせる。
「アルバレア公も趣味人と聞いたが最近は火遊びの方がお好きらしい。それはそれで一興・・・美しい火花が見られるのならば。フフ、そうも思えないかね?」
マキアスとエマに悪趣味だ、不謹慎だと非難されると、うわべだけの謝罪をしてそのまま立ち去っていった。
腰を曲げて礼をした男爵を見送り、一息置いて吐き捨てるようにマキアスが言い放つ。
「くっ・・・何だあの男は!これだから貴族というのは鼻持ちならないんだ・・・!」
「フン・・・言うと思ったぞ。だが、そもそも今の男――本当に爵位を持っているのやら」
え、とマキアスは驚くが、彼以外の全員が男爵には疑念を抱いていた。
男爵の芝居がかった言動は、まるで"貴族"というものをわざと演じているようだ。
俺も怪しいと思う、とリィンが言った。
「砦からの帰りに見かけた銀色の物体もそうだけど・・・色々とおかしな連中が紛れ込んでる気がする」
砦からの帰りに見た、かなりの速度で飛び去っていった銀色の浮遊物を思い出す。
動体視力の良いフィーとリィンの2人が人――それも子供が乗っていたと言ったことに、一同は信じられないという心持だった。
その子供がおそらく砦への侵入者なのだから、尚更だ。
領邦軍兵士達がすぐに追いかけて行ったが、追いつけはしなかっただろう。
「いずれにしても実習は残り1日だ。俺達は俺達で惑わされずに頑張るしかないと思う」
・・・
「フィーちゃん。部屋に戻ったら残りのレポートを仕上げましょうね」
「レポート・・・ダルい」
夕食前にシャワーを浴びたが、やはりお湯にも浸かりたいものだ。
レポートを書き終えたティア達――といっても、フィーはまだだが――は、入浴時間が終わる前に大浴場へと向かった。
高級ホテルなだけあり、部屋の備え付けの風呂もかなりの広さだったが、大浴場とは比べ物にならない。
豪華な風呂にエマは少し落ち着かない様子だったものの、風呂に浸かるとすぐに気にならなくなったようだ。
ゆっくり体を沈め手足を伸ばすと実習での疲れも吹き飛びそうで、ティアとエマはしばらく惚けていたが、フィーのお茶目な行動により気を取り直した。
エマの悩ましげな声が聞こえると同時にティアは自分の胸元を押さえてしまったが、フィーの気持ちも分からなくはなく、しばらく見つめてしまっていた。
「私、少し夜風に当たってきますね」
「・・・今から?」
「風邪を引かないように気をつけてくださいね」
5月とはいえ、夜はまだ少し冷える季節。
すぐ戻ると言いティアはエマとフィーと別れ、ホテルの外に出た。
「ふう・・・」
翡翠の公都の夜は静かだ。
ひとつ零れたため息が、夜の空気を揺らし溶けていく。
夜の帳が下りた空に、薄く雲のかかった月が浮かんでいる。
月に照らされた翡翠の建物が立ち並ぶ景色は、昼間とは違った雰囲気を醸していた。
「夜でも綺麗なのね・・・」
明かりの灯ったホテル入り口から階段を降り、噴水へと歩み寄ろうするが、街灯の薄明かりに照らされた人影を見つけ足を止める。
近付いてくる足音がして、人影が声を発した。
「こんな夜更けに出歩くのは感心しないな」
聞こえてきた声はブルブラン男爵のものだったが、その姿は昼間や夕食後に出会ったときとは違っていた。
街灯の下に立ち、照らされて露になった顔には、羽のついた仮面を着けている。
「・・・怪盗紳士ブルブラン・・・!」
「フフ・・・ご存知とは光栄だよ、皇女殿下」
「(バレてるとは思ったけど・・・)」
隠している相手の正体に気付いてるのはお互い様だ。
無言のままのティアにブルブランは語りかけ、話の中から最初に見られていたのは前回の実習だと察することが出来た。
いつから見られていたのかと背筋がゾクリとしたが、湯あたりした体のまま夜風に当たりすぎたせいだと思い込んだ。
「おや、震えているじゃないか。暖めて差し上げよう――」
「い、いいえ結構ですっ!」
咄嗟に出た大声に、口を塞ぐ。
ブルブランは楽しげな表情で、残念だと一言だけ告げティアは苦虫を噛み潰したような顔になった。
「・・・貴方はからかうためにわざわざここへ?」
「まるで暇人のような扱いで酷く心外だが・・・その質問の答えはノーだ。美を追い求め辿りついた先がここだったのさ」
質問の答えになっているが根本的な答えにはなっておらず、ブルブランも答える気はなさそうで埒が明かない。
話に聞く限りでは怪盗紳士は盗みは働くものの、無闇に危害を加えるような相手ではなさそうだと判断したティアは、夕食時の邂逅から燻り続けていた疑問を投げかけた。
「1つだけ聞かせてください・・・貴方はまさか"火遊び"に参加するつもりですか?」
ヒュ、と何かが静寂を切り裂き飛んでいく。
ゆっくりとブルブランが近寄ってきて、自然にティアの体も後ずさろうとすると、自身の体に違和感を覚えた。
足どころか、腕も縫い付けられたように動かず、指一本を動かすのが精一杯だ。
「先程答えた質問で既に1つ・・・と言っても良いのだが、それも無粋というものか。その答えもノーだよ」
ブルブランがティアの目の前にまで歩み寄り、顎に手を添えて己の方を向かせた。
手袋越しの手からはその体温は伝わらないが、仮面越しに見据える冷たい瞳と目が合い、ティアの背中に冷や汗が伝う。
「気高さこそ真の美。・・・しかし、迷いもがきながらも屈するまいというその健気さもまた美か。フフ、世の姫君達は何故、怪盗たる私の心を奪おうとするのか・・・いや、真に罪深いのは恋多き私の方か」
「一体何の話をして・・・」
「私を突き動かすものは常に美ただ1つだよ」
少しずつ縮まっていくブルブランとの距離に、顔も逸らすことが出来ないティアがぎゅっと瞳を瞑った瞬間、背後から咎めるような押し殺した声が聞こえた。
「何をしている」
「・・・逢引を邪魔するとは、公爵家の次男坊は随分と無粋なようだ」
ホテル玄関から聞こえる声の主はユーシスだ。
すっと体を離し、呆れたように首を振るブルブランへと、彼の持つ騎士剣よりも鋭い視線が突き刺さる。
ティアにはユーシスの表情は見えなかったが、背中越しにその視線を感じていた。
「戯言を・・・!」
「やっと運命の出会いに巡りあえたというのに・・・騎士が駆けつけたということは時間切れかな」
パチン、と指を鳴らす。
それが合図だったのか、ティアの体に自由が戻り、一瞬ふらついた。
今まで自分の影があっただろう場所には、一本のナイフが突き刺さっていてそれが動きを止めた正体だと察する。
ブルブランがそのナイフを抜き取り、目の前に掲げて手首を回し一回転させると、元の位置に戻ってきたときには手の中身は一輪の薔薇になっていた。
「成長の美か挫折の美・・・どちらに転ぶか、楽しみにさせてもらおう」
ブルブランが腰を折り、深々と礼をするとその周囲を風が覆い、薔薇が舞う。
最後にさらばだ、と告げると彼の姿が消え、一輪の薔薇だけが残されていた。
「さっきの男は一体何者だ」
「今日お会いしたブルブラン男爵ですよ。・・・正体は世間を騒がせている《怪盗B》みたいですけど」
「!奴が・・・」
考えるように顎に手を添えたユーシスが真っ赤な薔薇《グランローズ》を拾う。
情熱的な赤色のそれは、告白によく用いられ、花言葉は――
「熱烈な求愛・・・」
ユーシスは小さく呟くと、右手で薔薇を握りつぶした。
「部屋に戻るぞ」
「はい。・・・あの、ありがとうございました。ユーシス君には助けてもらってばかりで」
ティアが苦しげに眉を下げ、申し訳ない顔で礼を言うと、前を歩くユーシスが立ち止まり振り返る。
いつものすましたような仏頂面をしていると思っていたティアは、怒りに顔を歪ませているユーシスに驚きを隠せなかった。
「妙な連中が跋扈していると話したばかりだろうに、夜更けに1人で外に出てどうなるか・・・考えはしなかったのか」
抑えてはいるが怒りが滲み出ているユーシスの声に、ティアも足を止め謝罪した。
心配か、ただ不用心さを責めているのか。
どちらにせよ、彼はおそらくフィーに偶然聞いて、迂闊な皇女を気遣ったのだろう。
きっとこれも、彼の
「・・・すみません・・・」
「フン、分かればいい。・・・明日も実習はある。早く休むことだな」
「はい。ユーシス君もゆっくり休んでくださいね」
部屋に戻るとフィーがレポートを書いており、エマが生暖かい目で迎えてくれた。
何か勘違いされている気がしながらも、藪を突いて蛇を出すのも恐ろしく、弁明はしない。
ほのぼのと他愛の無い話をしながらフィーのレポートが仕上がるのを待ち、就寝した。
ぼくのかんがえたかっこいいシチュエーション←
すみませんでした・・・ブルブランが凄く変態くさくなってしまいました。
ユーシス様がこの後いなくなってしまうなんて・・・嘘だ・・・