銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第七十七話:光ある現実、豊かな可能性を信じるために 宇宙暦796年8月13日 惑星ハイネセン、統合作戦本部

 帝国領侵攻作戦「イオン・ファゼカスの帰還」実施が最高評議会で決定されてから六日経った八月一二日。統合作戦本部で作戦会議が開かれて、遠征軍の陣容が正式に決定した。

 

 総司令官は宇宙艦隊総司令官のラザール・ロボス元帥。同盟軍を代表する用兵家とされていたが、ここ二年は精彩を欠いて失脚寸前だった。イオン・ファゼカスの帰還作戦は彼が再起を賭けて練り上げた作戦と言われる。

 

 総参謀長は宇宙艦隊総参謀長と統合作戦本部作戦担当次長を兼ねるドワイト・グリーンヒル大将。同盟軍で最も広い交際関係を持つと言われる社交家である。シトレ派ではあるがロボス元帥とも良好な関係を保ち、トリューニヒト派との関係も悪くない。すべての派閥と話ができる彼は、参謀チームの運営には欠かせない存在だ。

 

 作戦主任参謀は宇宙艦隊副参謀長のステファン・コーネフ中将。士官学校を卒業してから二〇年以上にわたってロボス元帥に仕え、「趣味はラザール・ロボス。好物はラザール・ロボス」と公言するほどの忠臣だ。大雑把なロボス元帥を緻密な頭脳で支えてきた名参謀である。

 

 情報主任参謀は宇宙艦隊総司令部の情報部長カーポ・ビロライネン少将。ロボス元帥が元帥号を得るきっかけとなったタンムーズ星域会戦において、奇襲のきっかけとなる情報を掴んで、情報屋としての評価を確固たるものとした。俺の軍歴の中で最大の汚点となっているエル・ファシル義勇旅団の参謀長だった彼にはあまり良い印象がないが、それでも能力は認めざるを得ない。彼もまたロボス元帥の忠実な腹心の一人だった。

 

 後方主任参謀は統合作戦本部長次席副官のアレックス・キャゼルヌ少将。シドニー・シトレ元帥の腹心で三人の主任参謀の中では唯一の非ロボス派だった。誰が総司令官を務めたとしても、三〇〇〇万将兵の後方支援を取り仕切れる人物は、同盟軍後方部門の第一人者として知られる彼を置いて他にないと評価しただろう。前の歴史において、ヤン・ウェンリーの後方支援を担当した人物だった。

 

 主任参謀の下にいる作戦参謀、情報参謀、後方参謀の六割はロボス派、三割がシトレ派、一割がトリューニヒト派だった。遠征を主導するロボス派が過半数を占めるのは当然だろう。全軍の作戦指導にあたる統合作戦本部を地盤とするシトレ派は、遠征に反対であっても協力的な姿勢を見せざるを得ない立場にあった。味方の足を引っ張ることを潔しとしないシトレ元帥の高潔な性格の影響も大きい。

 

 それに対し、トリューニヒト派は非協力的な姿勢を露骨に示していた。遠征軍参謀への選任を断る者、動員される部隊から転出する者が相次ぎ、遠征軍に責任を負うことそのものを拒否している。トリューニヒトのやり方は、派利派略に走りすぎていると激しく批判された。トリューニヒトに近い俺でも違和感を感じたほどである。

 

 遠征軍の主力としては、現存する一〇個正規艦隊のうち、海賊討伐作戦「終わりなき正義」作戦に参加した第一艦隊、第一一艦隊を除く八個正規艦隊が動員される。

 

 同盟軍の正規艦隊はあらゆる任務を単独でこなすことを想定されているため、戦艦中心の打撃部隊、巡航艦と駆逐艦中心の機動部隊、攻撃母艦中心の航空部隊、揚陸艦中心の陸戦部隊、補給艦と工作艦中心の後方支援部隊がバランス良く配備されていた。

 

 前の歴史の本では、司令官の一存で部隊構成を変更できる帝国軍の正規艦隊と比べると編成の柔軟性に欠けていたと評され、同盟軍の敗因の一つに挙げられていた。しかし、現時点では偏った編成の帝国軍正規艦隊を圧倒しており、単なる結果論といえよう。

 

 第三艦隊は自由惑星同盟がロフォーテン星系を盟主とする旧銀河連邦のロストコロニー八星系連合軍と戦っていた頃に創設された伝統ある部隊だった。三年前のタンムーズ星域では、宇宙艦隊司令長官ツァイス元帥が直率する右翼部隊を粉砕して勇名を馳せている。ここ二年は前線から遠ざかっていた。

 

 司令官のシャルル・ルフェーブル中将は、四八年の軍歴の中で一度も軍中央や艦隊司令部で勤務したことがない生粋の軍艦乗りだった。士官学校での成績は最後尾に近く、武勲のみで現在の地位を得ている。二年後に定年を控えており、今回の出兵が最後の戦いとなるだろう。

 

 第五艦隊は帝国と同盟がダゴン星域において衝突した後に、第六艦隊とともに対帝国戦力として編成された。シャンダルーア会戦ではフレドリク・アールグレーン提督、第二次ティアマト会戦ではウォリス・ウォーリック提督の指揮のもとで同盟軍史に残る武勲を立てた名誉ある部隊である。去年の第三次ティアマト会戦では、敵の右翼部隊を良く抑えている。

 

 司令官のアレクサンドル・ビュコック中将は、二等兵から一階級ずつ昇進して現在の地位を得た叩き上げの神様だ。強烈な反骨精神と戦闘精神を持つ典型的な「戦う男」である。砲術畑出身だけあって、弾幕射撃による濃密な火線構築は神業と言われていた。前の歴史では、元帥・宇宙艦隊司令長官まで昇進して、獅子帝ラインハルト・フォン・ローエングラムと二度にわたって戦った英雄である。

 

 第七艦隊はコルネリアス一世の大遠征の際に、迎撃用の戦力として急遽編成された。歴戦の部隊であったが、武勲よりは初代司令官のファン・バン・ミム提督の事故死、七一三年のアルバラ事件、七四三年の旗艦ディオクレア爆発事故といった数々の不幸な事故で知られている。

 

 司令官のイアン・ホーウッド中将は、人事畑や教育畑を歩いてきただけあって、人事管理能力に定評がある。勇猛ではあるが不公平な前任者が混乱させた第七艦隊の人事体制立て直しを期待されて起用され、期待通りの成果を上げた。決して実戦に弱いわけではないが、本質的には後方向きの人材とされる。

 

 第八艦隊は第七艦隊と同時期に、コルネリアス一世率いる親征軍を迎え撃つべく編成された。三度にわたって壊滅した経験を持ち、正規艦隊の中で最も武勇の伝統が息づく部隊と言われている。

 司令官のサミュエル・アップルトン中将は、ロボス元帥の薫陶を受け、高度な柔軟性と臨機応変な対処を旨とするロボス流の用兵を最も忠実に受け継いだ。部隊運営能力も高く、一個艦隊の司令官としては最良の人材と評される。三年前までは同盟軍最優秀の提督と言われていたが、ロボス元帥の名声低下に引きずられるように評価を落としていった。今回の遠征では奮起が期待される。

 

 第九艦隊は膨大な亡命者が帝国から流入してきた六八〇年代に、その受け皿として編成された二個艦隊の一つだった。そのため、艦隊内でのみ通用する俗語に帝国語由来の物が多い。正規艦隊の中では比較的歴史が浅いが、シャンダルーア会戦。フォルセティ会戦、第三次ティアマト会戦などで武勲を重ねており、古参艦隊に勝るとも劣らない勇名を誇る。

 

 司令官のアル・サレム中将は、艦載機スパルタニアンのパイロット出身で母艦飛行隊長、攻撃母艦艦長、艦隊空戦団長を歴任した後に提督となった。航空畑のベテランだけあって、強引に混戦に持ち込んで戦艦部隊と艦載機部隊の火力で敵を制圧する用兵を得意とする攻勢型の提督である。

 

 副司令官と第一分艦隊司令官を兼ねるライオネル・モートン少将は、無愛想な表情と劣勢でも決して崩れない用兵から「鋼鉄の提督」の異名を持つ。士官学校を出ていない上に、人間関係が不得手であるにも関わらず、異数の大功を重ねて四〇代の若さで将官に至った。モートンを同盟軍随一の用兵家と評価する者も多い。

 

 第一〇艦隊は第九艦隊と同様に、六八〇年代に亡命者の受け皿として編成された。長らく武運に恵まれなかったが、イゼルローン要塞が建設された七五〇年代から急速に台頭し、ここ数年は最も武勲の多い艦隊である。昨年のエルゴン星域会戦では、全軍を敗北の淵から救う殊勲を立てた。

 

 司令官のウランフ中将は正規艦隊の中でも特に勇名が高く、攻勢における果敢さと守勢における粘り強さの双方において最高峰にあると評される。その人格は軍人というより武人であると言われ、大舞台に強いスター体質でもある。実績、声望共に抜群で、いずれは統合作戦本部長か宇宙艦隊司令長官になる人材と目されていた。

 

 第一二艦隊は正規艦隊の中でも新しい部隊だった。伝統が浅いがゆえに進取の気性に富んだ士官が集まり、最もリベラルな艦隊と言われる。先進的な部隊運営手法が真っ先に取り入れられる艦隊でもある。俺が率いる第三六戦隊はこの艦隊に所属していた。

 

 司令官のウラディミール・ボロディン中将は、同盟軍で最もスマートな人物と言われる。鍛え上げた精鋭を整然と運用して着実な実績をあげた有能な指揮官であるが、スマート過ぎて積極性に欠けるという指摘もある。実戦より軍政に高い適性のある人物であると評価されていた。

 

 第一三艦隊はアスターテ星域で壊滅した第四艦隊と第六艦隊の残存戦力で構成される半個艦隊規模の部隊だったが、今回の出兵に際して第二艦隊の残存戦力も指揮下に加えて、一個艦隊規模に増強された。三ヶ月前にヤン・ウェンリー提督の指揮でイゼルローン要塞を攻略したことによって、全宇宙を驚かせたことは記憶に新しい。

 

 司令官は二〇代にして正規艦隊司令官に就任するという異例の出世を遂げたヤン・ウェンリー中将。イゼルローン要塞攻略に示した奇略がクローズアップされるものの、作戦畑出身だけに緻密な計算と分析に基づく合理的な用兵をする提督だ。リーダーシップ、人事管理能力も抜群に高い。前の歴史において、ヤンに率いられた第一三艦隊が全宇宙最強部隊の名をほしいままにしたことは紹介するまでもないだろう。

 

 その他、正規艦隊に属さない分艦隊、戦隊規模の独立部隊が総司令部の直轄下に入り、必要に応じて正規艦隊の支援や輸送艦隊の護衛などに投入される。

 

 今回の出兵では、有人惑星での戦闘も視野に入れなければならない。歩兵部隊、機甲部隊、大気圏内航空部隊、水上部隊といった地上戦部隊、宇宙からの降下戦闘を担当する陸戦隊も動員される。各星系政府が保有する治安部隊や民間軍事会社の傭兵も後方警備要員として多数参加する。

 

 補給、輸送、整備、通信などの後方支援要員、占領地住民の支持を獲得するための民事作戦に従事する経済や行政のプロが動員されるのは言うまでもない。職業軍人だけでは必要な数を満たせないため、軍は多数の民間人専門家と有期雇用契約を結んだ。

 

 総動員数は約三〇〇〇万。同盟軍全軍の六割にあたる。戦闘艦艇は約一二万隻、後方支援に従事する補助艦艇は約一〇万隻。一つの作戦に動員される戦力としては人類史上第六位。ゴールデンバウム朝と自由惑星同盟の二大国時代にあっては、一二七年前に同盟を滅亡寸前まで追い込んだゴールデンバウム朝二四代皇帝コルネリアス一世の大親征をも凌ぐ最大規模であった。

 

 

 

 統合作戦本部のカフェルームで動員部隊リストを読んでいた俺は、ランチについてきたアイスクリームが溶けるのも忘れて、同盟史上空前の大動員にただただ息をのむばかりであった。公的にも私的にも今回の出兵に反対の立場をとっている俺であっても、ロマンチシズムをかきたてられずにはいられない。

 

「いや、もう壮挙という他ないですよね」

「そうだね」

 

 俺の向かいで紅茶を飲んでいる統合作戦本部人事参謀部補任課長イレーシュ・マーリア大佐は、形の良い眉をしかめ、もの凄く不機嫌そうに答えた。

 

「三〇〇〇万ですよ、三〇〇〇万」

「あっそう」

 

 イレーシュ大佐は感情のオンとオフが極端だ。現在はオフである。何とかしてオンに持って行こうと務めても、とりつくしまもない。

 

「大佐はもともと賛成していらしたじゃないですか」

「今日から反対する」

「そんなに嫌なんですか?」

「当たり前でしょ。なんでホーランドの参謀長なんかやんなきゃいけないのさ」

「断れば良かったじゃないですか」

「私が頭下げられて断れる性格だと思う?」

「すいません」

 

 彼女の不機嫌の源は、ウィレム・ホーランド少将にあった。前線勤務を渇望していたホーランド少将は、今回の出兵案を実現させるための根回しに動いた褒賞として、第三艦隊の分艦隊司令官の地位を獲得すると、あちこちに散らばっていた腹心を呼び寄せて参謀チームを再結成しようとした。

 

 しかし、参謀長に据える予定だったラジャン准将は、無認可屋台で食べた深海魚料理がきっかけで悪質な伝染病に感染して隔離入院中だった。その代わりに士官学校の同期だったイレーシュ大佐が参謀長に指名されたのである。

 

「ホーランドはともかく、ラジャンは友達だからねえ。他の参謀も半分以上は同期だし」

「しかし、ホーランド少将はどうして大佐を参謀長に指名なさったんでしょうか」

「リーダーシップをとれる人材が他にいないんだよ。ホーランドは天才だからねえ。大きすぎる才能は他人の個性を殺してしまうから」

「そうなんですか?ホーランド少将の下で経験を積んだ人はみんな優秀でしょう?」

 

 エル・ファシル動乱において活躍したアーロン・ビューフォート准将は、ホーランド少将のリーダーシップによって花開いた人物だった。第六次イゼルローン攻防戦の用兵を見ても、ホーランド少将のスタッフの力量が優れていることは明らかだろう。

 

「確かにホーランドの下にいたら、スキルはどんどん伸びていくよ。でも、ホーランドに頼りきりになって、自主性はどんどん無くなっていく。リーダーとしてのホーランドの欠点は、頼りになりすぎることなの」

「上官が頼りになるに越したことはないじゃないですか」

 

 ヴァンフリート四=二基地攻防戦のセレブレッゼ中将を思い浮かべる。世話になった人だし、優れたリーダーと思っているが、実戦では本当に頼りにならなかった。

 

「リーダー以外にまとめ役になれる人間がいない組織は脆いよ?どんな優秀なリーダーでも体はひとつしか無いからね。リーダーではカバーできない部分を補うこともできないし」

「ああ、確かに」

 

 第三次ティアマト会戦で第一一艦隊が敗北寸前に追い込まれたのは、参謀に頼らずに指揮を続けたドーソン中将が疲れきって判断力を失ったせいだった。ドーソン中将の狭量さを補って、代わりに参謀をまとめてくれる人物がいれば、あんなことにはならなかったはずだ。イレーシュ大佐の言うとおり、リーダーシップのあるサブリーダー的な人間は複数いた方がいい。

 

「ラジャンにしたって、ホーランドの下にいなかったらとっくに少将になってるよ。ホーランドが凄すぎて、小さくまとまっちゃった」

「大佐の同期で准将というだけでも相当なものじゃありませんか?」

 

 無認可屋台で魚料理を食べて病気になるような不注意な人がそんなに優秀とも思えないが、軍人としての能力はまた別なのかもしれない。実際、ラジャン准将は三〇代前半で将官になっている。そんな人すら霞ませてしまうホーランド少将って、どれほど凄いのか想像もつかない。

 

「アンドリュー君とおんなじだよ。リーダーになれる才能があるのに、強すぎる個性と出会ってしまったせいで、自分で自分の可能性を限定してしまったのね」

 

 その言葉で納得がいった。普通に考えれば、二六歳で将官になったアンドリューは小さくまとまったとはいえない。しかし、アンドリューの資質なら、自力でリーダーシップを取ることも出来たはずだ。それなのに、トリューニヒトですら「軍人にしておくのはもったいない」と認めるロボス元帥という凄いリーダーに出会って、人の上に立つ気持ちを無くしてしまった。

 

 一二日に統合作戦本部で開かれた将官会議に出席したアンドリューは、空疎な美辞麗句を並べ立てた演説に終始して、具体的な作戦の見通しを示さずに列席する提督を呆れさせたそうだ。ヤン中将に批判されると、人格批判を行ってビュコック中将に叱りつけられるという醜態まで晒している。前の歴史の無能参謀そのままの姿に、頭が痛くなった。

 

「どうしてああなってしまったのだろうか。彼への接し方を間違えてしまったのかもしれん」

 

 会議の様子を教えてくれたスタンリー・ロックウェル中将は、ため息混じりにそう言っていた。ロボス元帥が宇宙艦隊副司令長官だった頃に参謀長を務めていた彼は、新米士官だった頃のアンドリューを指導している。いわば、アンドリューをロボス元帥の家族にした責任者の一人だ。現在はトリューニヒト派に移籍しているが、古巣との縁が完全に切れたわけではない。暴走するロボス元帥とアンドリューに、いろいろと思うところがあるだろう。

 

 帝国領内の内応者との兼ね合いから、表に出せないことが多すぎて、ごまかさざるを得ないアンドリューの立場はわかる。しかし、他人の反感を買うような言い方をする必要は無いはずだ。グリーンヒル大将やコーネフ中将のようにもっとこなれたごまかしができそうな人に頼めば良かったのに。

 

 この戦いがどんな結果に終わっても、軍組織の中にアンドリューの居場所は残されていない。それがわかっていて、アンドリューは矢面に立っている。どこでボタンを掛け違えてしまったんだろうか。もう引き返せないのだろうか。

 

 そんなことを考えていると、イレーシュ大佐が怪訝そうに俺を見ているのに気がついた。

 

「どうしました?」

「いや、いきなり黙りこんで目に涙浮かべてるから気になってさ」

「あ、いや、眠いんですよ。ほら、最近は準備で忙しいから」

「そっかあ、司令官だもんね」

 

 俺のごまかしに気づかないはずがないのに、話を合わせてくれる。イレーシュ大佐がそういう人であることは知っているけど、それでも感謝せずにはいられない。

 

「揚陸群を抱えてるうちの部隊は宙陸両用作戦担当なんですよ。だけど、艦隊戦の訓練ばかりしてて、陸戦隊との統合運用訓練は全然やってなかったんです。準備が大変で大変で」

「今日、ここに来たのも陸戦総監部に相談するためだったね」

「ええ、陸戦屋の知り合い少ないですからね」

「クリスチアンおじさんは?」

「あの人は地上戦専門で宙陸両用作戦の経験無いんですよ」

「でも、経験者の知り合いはいるんじゃない?昨日、このビルの廊下で第八強襲空挺連隊のワッペン付けてる人と話してるの見たよ」

「本当ですか!?」

 

 俺が驚いたのには二つの意味がある。一つは第四方面管区で教育隊長を務めているはずのクリスチアン大佐がハイネセンにいること。もう一つは第八強襲空挺連隊という同盟軍最強の陸戦部隊の名前が出てきたことだった。

 

 同盟軍最強の陸戦部隊といえば、多くの人は亡命者部隊のローゼンリッターの名前をあげるだろう。常に激戦地に投入されて、帰る場所を持たないはみだし者であるがゆえに命知らずの戦いぶりを見せる。特殊戦の訓練を受けた彼らは、山岳地帯や森林地帯では数十倍の一般兵を足止めすることも可能だ。「ローゼンリッター一個連隊は一個師団に匹敵する」という評価は控えめとすら言える。

 

 一方、同盟市民出身者のエリート部隊である第八強襲空挺連隊は、決定的な場面まで切り札として温存されているため、知名度、武勲ともにローゼンリッターに劣っている。しかし、専門家の間では同等の戦闘力を持つと評価されていた。軍上層部は忠誠心の点から第八強襲空挺連隊をより高く評価していると言われる。

 

 激戦地で使い潰されるローゼンリッターは軍上層部に大事にされている第八強襲空挺連隊を「ハイネセンのマネキン」と呼び、エリートを自負する第八強襲空挺連隊は忠誠心に欠けるローゼンリッターを「ならず者集団」と呼んで、お互いに対抗意識を燃やしていた。

 

 どちらの部隊もルックスを選抜基準にしているとしか思えないほどに整った容姿の隊員を揃えていて、見栄えの良さまで張り合っているかのようだった。ネットではローゼンリッターと第八強襲空挺連隊のファンが不毛な争いを日夜展開している有り様だ。

 

「本当だよ。ちゃんと顔見てなかったけど女性だったね。あの堅物おじさんでも女の人と会話できるんだって驚いた」

「そりゃ、陸戦部隊にも女性はいますから」

 

 同盟軍の陸戦部隊は男女平等の見地から、少ないながらも女性兵を受け入れている。第八強襲空挺連隊もその例外ではない。しかも、美人が多い。

 

 ネットの軍事マニアの間で第八空挺連隊四大美人とされる四人の女性隊員は、それぞれ「女神」「太陽」「天使」「花」の通称で呼ばれていた。豪奢な金髪と秀麗な美貌を持つ「女神」、ぷっくりつやつやした顔にむっちりした体が健康的な「太陽」、童顔というより幼顔で可愛らしい「天使」、清楚で気品のある「花」はいずれも人気が高い。

 

 対帝国宣伝のために隊員がメディアに出ることが多いローゼンリッターと異なり、第八強襲空挺連隊は広報活動をまったくしていない。軍の広報誌への記事掲載も拒否していて、ネットで隊員の画像を見つけたらすぐに削除要請してくる。ローゼンリッターが広報活動にまったく寄与していない第八強襲空挺連隊をマネキンと呼んでいるのもある意味正しい。それはともかく、画像が少なく名前も経歴も不明の四大美人がネットユーザーの想像をかきたてて、第八強襲空挺連隊の人気に寄与していることは確かだった。

 

 こんな話をなぜ俺が知っているのかといえば、参謀のエリオット・カプラン大尉のせいだった。仕事をまったくしない彼に自覚を持たせようと思って連れ歩いたら、死ぬほどくだらないおしゃべりをさんざん聞かされた。仕事人間の俺にとって、プロスポーツとテレビ番組と女性と週刊漫画にしか興味がないカプラン大尉と話すのは苦痛だった。太っているコレット大尉に体重を聞いているのを見るに及び、連れ歩くのをやめて一日も早く転出させることに決めた。

 

「私も陸戦部隊行けば良かったな。そしたら、ホーランドの参謀長なんてやんなくて済んだのに」

「確かに大佐の身長なら、第八強襲空挺連隊でも結構いいところ行けそうですね」

 

 陸戦部隊の女性隊員は身長が高い人が多い。第八強襲空挺連隊の四大美人も画像から判断すると、みんな一七五センチは超えている。一八〇センチを超えるイレーシュ大佐なら、十分に通用する。容姿だって、四大美人を五大美人にできるだけのものはある。そんなことは面と向かって言えないが。

 

「ま、思い通りにならないのが宮仕えの辛いところだね。この歳で何千、何万もの軍人に頭下げられるご身分になってんだから、多少の不自由はしょうがない」

「最近になって痛感しますよ。昔は上に行ったら、何でもできるようになると思っていました。しかし、実際は上に行けば行くほど足元が狭くなって、身動きがとれなくなりますね」

「七年前に初めて出会った時の君は兵長だったのに今じゃ提督だよ。一体どこまで上に行くのか、私には想像付かないよ」

「大佐にご指導いただいたおかげです」

 

 イレーシュ大佐が勉強の楽しさを教えてくれなかったら、俺は兵長で軍を除隊して故郷に帰らざるを得なかっただろう。家族に怯え、客に頭を下げて、店長にどやされながら、アルバイト暮らしをしている自分が目に浮かぶようだ。

 

「私も君を指導したおかげでいろいろと勉強になったよ。兵站畑だった私が人事畑に転じたのも君のおかげだし」

「そうなんですか?」

「うん。最初に君に出会った時は後方部にいたでしょ?」

「そういえば、そうでしたね」

「君を幹部候補生養成所に合格させたおかげで、人事から声がかかって今に至るってわけ。武勲も後ろ盾もない私が標準より早く昇進できてるのも、君を育てたって評価が結構影響してるのよ」

「知りませんでした」

 

 部下の教育指導は軍人にとって最も重要な仕事の一つだ。さほど用兵に長けていなくても、用兵に長けた部下を多く育てれば評価される。有名な軍人を一人育てたら、それだけで名指揮官扱いだろう。俺が有能かどうかはともかくとして、知名度は高く、昇進も異常なほどに早い。俺を指導したという事実は、それなりのネームバリューになるかもしれない。

 

「私だけじゃないよ。じゃがいも提督、ビューフォート准将、ルグランジュ中将なんかは君を部下にしたおかげで評価が上がってる。君が偉くなったおかげで良い目を見てる人も多いってこと、忘れないでね」

「そう言われると、なんか照れちゃいますね」

「君の結婚式のスピーチでも言うから」

「恥ずかしいからやめてくれませんか」

「家族には聞かれたくない?」

 

 イレーシュ大佐の言葉に心臓が凍りつく思いがした。親しい人に先送りにしてきた家族のことをストレートに突っ込まれたのは、これが初めてだ。あの無遠慮なダーシャ・ブレツェリも剛直なクリスチアン大佐も家族の話にはまったく突っ込んでこなかった。

 

「ど、どうなんでしょうね…」

「君は全然家族のこと話さないからさ。いろいろあったんだろうと思って黙ってたけど、さすがに結婚を控えて知らんふりは良くないよ。和解するにせよ、決別するにせよ、けじめは付けなきゃ」

「けじめですか」

「私も家族とはあんまうまくいってなかったから、気持ちは分からないでもないけどさ。でも、一生逃げ回るわけにも行かないでしょ」

 

 できれば逃げていたいとはさすがに言えない。家族は俺にとって、闇の中にあった前の人生の象徴だった。前の人生の記憶さえなければ、何の屈託もなく家族と笑い合えた。前の人生で起きた大事件を事あるごとに思い浮かべて、理由のない不安を未来に対して抱くこともなかった。とっくに俺自身の人生は変わっているのに、俺の意識は前の人生を引きずったままだ。

 

「そ、そうですよね」

 

 イレーシュ大佐は俺の目をしっかりと見ている。彼女の強力な眼力が俺をしっかりと捉えて、逃げを打つことを許さない。

 

「おまえはせっかく転生できたのに、未来を棒に振るのか?未来こそ過去を生かすためのすべてなのに、ただの復讐に使うのか?そんな過去なら捨てちまえ。抱いていても意味がない。おまえの過去は全く意味が無い」

 

 周囲の風景がモノクロになったかのような非現実的な言葉。俺が人生をやり直したことをこの人はどうして知ってるんだ?今、俺はどこにいるんだ?本当に俺は生まれ変わったのか?そんな思いに駆られてしまう。

 

 家族や友人がことごとく敵となり、道を歩けば白い目で見られ、生計を立てるために軍隊に入ったら後遺症が残るようなリンチを受け、貧困と孤独の中で終わった前の人生を思い出す。人生をやり直すという目的は既に達したはずだ。それなのにどうして不安なのだろうか。

 

「あなたにはあの悪夢はわかりませんよ。経験しなければ、絶対にわかりません。目の前の世界が現実だと心の底から信じられたら良かったのに」

 

 涙が両目からぼろぼろこぼれてくる。この現実を失うのが嫌だ。あの暗闇に戻りたくない。ダーシャもアンドリューもイレーシュ大佐もクリスチアン大佐もいない世界なんてまっぴらだ。

 

「泣くことないじゃん。漫画のセリフなのに」

「えっ?」

「西暦時代の漫画のセリフ。なかなかいいこと言ってると思わない?」

 

 イレーシュ大佐はいたずらっぽく笑った。世界が見る見る色彩を取り戻していく。

 

「驚かさないでくださいよ…」

「エル・ファシル内戦を防いだ提督を泣かせるなんて、よほど怖い過去なんだろうねえ。でも、今の君にはダーシャちゃんがいるよ。一人で抱えきれなかったら、二人で乗り越えてけばいいんじゃない?」

 

 これ以上逃げ続けることはできない。そう思わせるものがイレーシュ大佐にはあった。肯定の返事をしようとすると、携帯端末から二〇年前の子供番組の主題歌のメロディーが流れた。これはダーシャから通信が入った時の着信音だ。イレーシュ大佐に軽く頭を下げると、通信に出た。

 

「エリヤ?今話せる?」

「短い時間なら大丈夫だよ。なに?」

「今日、外で夕食食べない?」

「どこ?」

「ホテル・カプリコーンのレストラン。あそこ、デザート美味しいでしょ?」

 

 その名前を聞いて、軽くたじろいでしまった。先月の末にアンドリューと会って、帝国領出兵案の概要を見せられた場所だったからだ。しかも、その数時間前にはこのカフェルームでダーシャが知らない奴といちゃいちゃしてたのを見てしまっている。あの日から、どうもダーシャと話しづらい雰囲気を感じてしまっていた。

 

「そうだね」

「あそこは軍服オッケーだから。エリヤはどんな服でも良く似合うけど、一番似合うのは軍服だよ」

「あ、ありがとう…」

「じゃ、楽しみにしてるね」

「うん」

 

 俺が返事をすると、ダーシャは通信を切った。

 

「ダーシャちゃんから?」

「ええ、そうです」

「ちょうどいいじゃない。話し合うチャンスだよ」

「ようやく踏み出せそうです。気が付くと、いつも大佐に背中を押されていたような気がします。ありがとうございました」

 

 テーブルに手をついて、深々とイレーシュ大佐に向かって頭を下げる。

 

「私もすっきりしたよ。楽しいランチをありがとう」

「俺も楽しかったです」

「君と食べたら、何でもおいしいよ。出兵が終わったらまた一緒に食べようね」

「はい!」

 

 イレーシュ大佐がトレイを持って立ち上がると、俺もトレイを持って立ち上がった。

 

 今の人生を振り返ってみると、必要な時に必要な人に出会い、必要な言葉をもらってきたように思う。今回もそういう風が吹いているのかも知れない。引きずっていた前の人生にケリを付け、今の人生を確かなものとするべき時が来ていた。


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