銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第五十話:じゃがいもとパンの間に掛ける橋 宇宙暦795年1月下旬 ハイネセン市、第十一艦隊司令部

「攻めてきた敵を撃破しても、イゼルローン要塞に逃げ込まれる。戦力を回復したら、要塞から出てきて辺境星域で暴れまわる。その繰り返しだ。防ぐだけでは埒があかないということに、諸君はそろそろ気づくべきではないか」

 

 スクリーンには、拳を振り上げて熱弁を振るっている軍服姿の男性が映っている。プロスポーツ選手を思わせるような逞しい長身。ブロンドの髪を短く刈り上げ、眉は太くて鼻は高く、鋭気がみなぎっているかのような顔立ちの美男子だ。小柄で童顔の俺とは対照的である。

 

「根本的な解決はただ一つ、イゼルローン要塞を落とし、帝国領に攻め込み、オーディンを攻略して、専制政治を打倒する。銀河を自由と民主主義の名のもとに統一するのだ。戦いを終わらせるのは武力だけだ。専制との間に妥協は成り立たない」

 

 男性は分厚い胸を張り、朗々とした美声でスタジオの聴衆とスクリーンの向こうの視聴者に向けて訴える。彼の言葉と態度には人を惹きつける力があった。生まれながらにして世界の主役たるべき資格を持つ存在。スポットライトを浴びるために生まれてきた男。そんな印象を受ける。

 

「このウィレム・ホーランドの頭脳の中には、帝国を打倒する戦略がある。奇しくも次の戦場はかのブルース・アッシュビーが大勝利を収めたティアマト星域だ。この手で専制者の軍勢を完膚なきまでに叩きのめし、余勢を駆ってイゼルローンに雪崩れ込むのだ!」

 

 ホーランドが右の拳を真っ直ぐに突き上げると、聴衆が拍手する音が鳴り響いた。イレーシュ中佐が言ってた通り、こういう人に自信満々にズバッと言い切られたら、何でもできそうな気になってしまうかもしれない。生まれながらのスターとしか言いようがないホーランドの英姿に見とれていると、スクリーンが真っ暗になった。俺の背後から忌々しげな舌打ちが聞こえる。

 

「ふん、若僧が出しゃばりおって」

 

 スクリーンのリモコンを手にしながら、不快そうな表情を浮かべているのは新任の第一一艦隊司令官クレメンス・ドーソン中将。主戦派の有力者だが、生真面目な性格ゆえに大言壮語をする人間とは相性が最悪なのだ。ホーランドが公然とドーソン中将の悪口を言いふらしているのも心象を悪くしていた。

 

「しかし、ホーランド少将は才能のある方です。多少のことは大目に…」

「才能を鼻にかけて秩序を害う奴など、百害あって一利無しだ。組織に天才など必要ない」

 

 秩序を重んじるドーソン中将らしい意見。秩序と才能のどちらを重んじるかは、組織論の永遠の課題である。組織の構成員の九割以上は弱くて無能で臆病で怠惰な凡人だ。規律で縛って、教育訓練で型にはめて、秩序を作らなければ、凡人をまとめることはできない。しかし、凡人がまとまっているだけでは現状維持に終始するのみで強い組織は作れない。組織を強くするには優れた才能が欠かせないが、そのような人物はしばしば凡人と足並みを揃えられずに秩序を害う。どんなに才能があっても、圧倒的多数派の凡人の協力無しに組織を運営することはできない。

 

 秩序を害うほどに尖った才能は必要ないというのは極端ではあるが、一つの答えではあるかもしれない。数十人の秀才のチームワークを一人で打ち破れるような天才の存在を考慮しなければの話だが。

 

「トリューニヒト国防委員長も私と同じ考えだ。だからこそ、あのホーランドではなくて、私が司令官に選ばれた。それを逆恨みしおって!」

 

 昨年のイゼルローン攻防戦における武勲に加えて、宇宙艦隊司令長官ロボス元帥の推薦を得たホーランド少将は、空席だった第一一艦隊司令官への就任がほぼ内定していた。ところが昨年末の内閣改造で国防委員長に就任したばかりのヨブ・トリューニヒトが異を唱えて、ドーソン中将を強く推薦したのだ。武勲を鼻にかけて軍の秩序を蔑ろにしがちなホーランド少将に対する軍高官の反感は強く、選考会議ではドーソン中将を支持する者が圧倒的多数だったそうだ。ロボス元帥の影響力低下が著しいこともドーソン中将の第一一艦隊司令官選出を後押しした。ロボス派の首都防衛司令官ロックウェル中将、第二艦隊司令官パエッタ中将らもドーソン中将支持に回ったと言われる。

 

「ホーランド少将は今年で三二歳。憧れのアッシュビー元帥と同じ年齢での中将昇進を目指して、今回の出兵では期するところがあるようです。よりいっそう奮起なさることでしょう」

「奮起してこれかね。ビュコック提督もさぞ頭が痛いことだろうな」

 

 第一一艦隊司令官に就任できなかったことで中将昇進もふいにしたホーランド少将は、新たな武勲を立てる機会を求めて、今回の出兵参加が決まっているアレクサンドル・ビュコック中将の第五艦隊に転属している。英雄ブルース・アッシュビー元帥の再来を自認する彼としては、何が何でも今年のうちに中将に昇進しておきたいのだろう。メディアに出ているのも世論の支持を得て、昇進に弾みを付けるためだろうが、あまりに露骨過ぎてかえって軍幹部の反感を買うばかりだった。

 

「ビュコック中将は老巧の方。ホーランド少将の鋭気を制御できるやもしれません」

「あのビュコック提督と生意気なホーランドがうまくやれるものか」

 

 ドーソン中将の言葉には幾分、いやかなりの悪意が含まれていたが、事実に反しているわけではない。

 

 士官学校出身のエリートから疎外されがちな叩き上げ士官は、強烈な反骨精神と戦闘精神を持ち合わせているタイプ、上昇志向が異常に強くて出世するためには何でもするタイプ、温和で敵をまったく作らないタイプのいずれかでなければ栄達はおぼつかない。

 

 ビュコック中将は一番目の典型で、権威主義者と冒険主義者に対しては持ち前の毒舌を遺憾なく発揮する。前の歴史では栄光に目が眩んで全軍を危機に陥れたアンドリュー・フォークを激しく叱責して、転換性ヒステリー発症に追い込んだ。ホーランド少将と相性が悪いのは俺だってわかっている。

 

「ですが、ビュコック中将の老練さとホーランド少将の才能が調和できれば、あるいは」

「ビュコック中将の頑固さとホーランドの生意気さが不和を起こす可能性の方がはるかに高いだろうな」

 

 ドーソン中将は哀れみと冷笑が入り混じった視線で俺を見ている。馬鹿なことを言うと思っているのだろう。人の悪口と言うのは、聞いていてあまり気分の良いものではない。だから、誰かが悪口を言い出すと、つい打ち消したくなってしまう。前の人生で悪意に晒されすぎて、耐性が低くなっているのかもしれない。ドーソン中将は優れた人だが、人の好悪が激しすぎるのが玉に瑕だ。

 

「下水道の中を覗いても美を見出すことができるのは美点と言えるが、軍人は何よりも現実を見据えねばならん。貴官は他人に甘すぎる。もっと短所にも目を向けるべきだろう」

 

 あなたは他人の短所ばかり見ているじゃないか、と思ったけど、口には出さない。俺が他人に甘すぎるという指摘自体は正しいし、短所に目を向けられるがゆえにドーソン中将は有能なのだ。イゼルローン遠征軍の総司令部で働いてみて、参謀というのはどんな細かいことにも目を配らなければならないのかと驚かされた。司令官が指揮に専念できるよう、参謀はどんな小さな問題点でも徹底的に洗い出して優先順位をつけて、対策を練らなければならない。細かいことにうるさい人間こそ、参謀に向いている。

 

「気をつけます」

「貴官はいつもそう言っておるが、一向に改まらんな」

「申し訳ありません」

「謝って改まるものでもあるまいが、まあいい。貴官の分析書を見せてもらおう」

「了解しました」

 

 ドーソン中将に促された俺は、兵站状況分析書を取り出した。俺の意見じゃないのにな、とため息が出る。本来は後方部全体でまとめた分析書を司令官に提出するのだが、ドーソン中将は後方部長のバーミンダ・シン大佐を嫌っていて、口をきこうともしない。後方参謀の中で意見を求められるのは、自分のスタイルを理解している俺とジェレミー・ウノ中佐だけで、他の者には実施面に関する補佐のみを求める。

 

 これではまずいということで、シン大佐以下の後方参謀に頼まれた俺は、自分が作成した分析書に彼女らの意見を盛り込む形で後方部の意見を伝えることになっていた。

 

「それにしても、さすがは貴官だ。参謀になってから、五か月程度でこれだけの分析書を作り上げるとはな」

 

 後方部のベテラン参謀達の意見なんだから当然じゃないかと、満足そうに頷くドーソン中将に心の中で突っ込みを入れる。後方参謀達の意見を俺の言い方で書き換えて提出しているだけなのだ。ドーソン中将に意見を通しやすくするには、無駄だと思っても気づいたことは全部書き連ねる、書式は完璧に守る、誤字脱字は絶対にしないといったコツが必要である。これは小役人的なテクニックであって、プロ意識が強い参謀には馴染まない。俺が小者だからこそ掴めたコツといえる。

 

「着眼点は悪くないが、やはりまだまだ未熟だ」

 

 ドーソン中将はそう言いながら、赤ペンで修正点を書き込んでいく。分析書を出すたびに厳しく修正される。後方部の参謀よりドーソン中将の方が明らかに能力が高いのが、問題をややこしくしていた。第一一艦隊司令部の後方参謀の能力は、イゼルローン遠征軍総司令部の後方参謀と比べても、遜色はないだろう。一部を除けば、キャゼルヌ准将の下でも立派に務まると思う。ドーソン中将が有能すぎるだけだ。これなら、参謀に任せずに自分で仕切ってしまった方が早いと考えるのも納得できてしまう。

 

 作戦、情報、後方、人事のすべての参謀業務に豊富な経験を持っている彼は、参謀に頼らずに自分で取り仕切っていた。高い能力とそれに比例したプロ意識を持つ参謀がそんなやり方を面白く思うはずもない。自分で全部やった方が早いと思ってるドーソン中将も下働きに甘んじることを潔しとしない参謀を嫌っている。

 

 各部隊からの報告は参謀に整理させずに直接自分で目を通す。計画を作成するにあたっての方針を提示する際は細かい注文をたくさん付けて、自分で事実上の原案を作ってしまう。参謀から提出される分析にも正確性と詳細さばかりを求め、独創性を発揮することを望まない。それがドーソン流だ。

 

 第一一艦隊の参謀は大半が前司令官時代から勤務していた者で、ドーソン中将が連れてきたのは俺を含む数人の子飼いだけに過ぎない。司令官が交代から出兵までの間がほとんどなく、参謀を全員入れ替えてしまえば、部隊を掌握しきれない恐れがある。だから、ドーソン中将は第一一艦隊の参謀をほとんど留任させて、俺を含む子飼い数人のみを連れてこざるを得なかった。元から第一一艦隊にいた参謀とドーソン中将が対立するのは火を見るよりも明らかだ。このような状態で艦隊を指揮させるなどバクチだが、トリューニヒトには推薦を強行せざるを得ない事情があった。

 

 軍部におけるトリューニヒト派は、主戦保守のロボス派と反戦リベラルのシトレ派の二大派閥に挟まれた新興派閥である。ロボス派の体育会的な気風にもシトレ派のリベラルな気風にも馴染めない若手参謀士官、現場を省みない二大派閥に不満を抱く下士官兵出身の叩き上げ士官を取り込んで勢力を急速に拡大しており、求心力が低下しているロボス派から寝返る者も日を追うにつれて増えていた。

 

 しかし、新興派閥ゆえに結束力に欠けている。ロボスとシトレの二元帥に匹敵する声望を持つ現役軍人の指導者が必要だった。ドーソン中将は憲兵司令官に就任して以来、著しく声望を高めている。国防委員会の軍官僚に強い支持を受けている彼が武勲を立てれば、宇宙艦隊総司令部を掌握するロボス元帥、統合作戦本部を掌握するシトレ元帥の対抗馬に浮上することも可能だろう。

 

 軍内の派閥政治なんて、自分には縁がない世界だと思っていた。イゼルローン攻防戦に参加してから、何々派だの、誰が誰を支持しているだの、そういう話を聞かされることが多くなって、いささか食傷している。俺自身もトリューニヒト派ということになっている。これだけトリューニヒトやドーソン中将と仲良くしておいて、今さら派閥に属していないなどと言う気はない。明らかに俺は派閥にどっぷり浸かっている。ただ、派閥に属することで生じる誤解が嫌なのだ。アンドリューがヤン・ウェンリーの人見知りを、ロボス元帥のために働く気がないのかと解釈したような。

 

 司令官の執務室を退出すると、扉の向かいの壁に腕組みをした男性が寄りかかっているのが見えた。左手には大きな紙袋を抱えている。めんどくさい人に会ってしまった。さっさと通りすぎようと思ったが、俺が歩き出す前に男性は俺に気づいて歩み寄ってきた。

 

「やあ、フィリップス中佐。昼ごはんは食べたかな?」

「いや、まだですが」

 

 早く行ってくれないかなあと思った。彼が話しかけてくる時は決まって厄介事を持ち込んでくるのだ。最初のうちは緊張感がまったく無い声とぼんやりした表情に騙されたものだが、もう油断はしない。

 

「じゃあ、これをあげよう」

 

 そう言うと、男性は紙袋を俺の胸に投げ出すように押し付けてきた。反射的に受け取ってしまう。

 

「何ですか、これは?」

「チャーリーおじさんの店が今日は特売日でね」

 

 袋の中を覗くと、パンがぎっしり詰まっていた。焼きたての香ばしい匂いが俺の鼻をくすぐる。チャーリーおじさんの店は、第一一艦隊司令部の近くにある個人経営のパン屋だ。この店のパンは安くてうまくてボリュームがある。これを全部食べていいのだと思うと、顔が自然にほころんでくる。

 

「マフィンは、マフィンは入ってますか!?ブルーベリージャムのマフィンですよ?」

「もちろん入っているとも。私が忘れるはずもないだろう」

 

 袋の中をまさぐってみる。確かな手応えを感じて取り出した。ブルーベリージャムのマフィンだ。

 

「ありがとうございます!」

「礼には及ばないよ。礼を言わないといけないのは私だ」

「と申しますと?」

「いやね、これから君が書く分析書に、私の意見が間違いなく盛り込まれることへのお礼さ」

 

 しまった、と思った。要するに俺が次にドーソン中将に提出する兵站状況分析書に彼の意見も加えろということなのだ。兵站状況分析には、人事部の彼と重なり合う事柄も多い。しかし、後方部の仕事だけでも忙しくてたまらないのに、違う部署の依頼なんて引き受けたくない。俺が他の部署の依頼も引き受けると知られたら、作戦部や情報部にも頼られかねないからだ。それなのに毎度毎度この調子で引っ掛けられてしまう。

 

 第一一艦隊人事部長チュン・ウー・チェン大佐。パン屋の二代目と言われるおっとりした容姿。身のこなしにも表情にも喋り方にもまったく緊張感がなく、俺の知る限りでは最も軍服が似合わない人物。そんな彼は今の俺にとって最大の頭痛の種だった。


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