銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第三十九話:生き残った者にできることとするべきこと 794年5月~6月 ハイネセン市、ハイネセン第二国防病院

 俺が病院船に乗ってハイネセンに帰還したのは四月末の事だった。ヴァンフリート星系を巡る戦いは双方ともに決め手を欠いたまま続いていたが、四=二基地を失った同盟軍の補給難は深刻化している。宇宙艦隊総司令部が撤退を検討しているとの報道も流れていた。緒戦で部隊を掌握しきれずに混戦を招いてしまった宇宙艦隊司令長官ラザール・ロボス元帥の手腕に疑問符を投げかける向きもあるようだ。中佐に昇進して作戦参謀を務めるアンドリューの心労も絶えないことだろう。それに比べると、俺の立場は実に呑気なものだった。

 

 現在の俺はすべての責任から解放されて、憲兵司令部付の肩書きで給料を受け取りつつ、ハイネセン第二国防病院で入院生活を送っている。実戦では足を引っ張るばかりだったのに偶然セレブレッゼ中将を救ったことで中佐昇進が取り沙汰され、達成できなかった任務も別の人間が引き継いで完了した。セレブレッゼ中将以下の中央支援集団司令部メンバーはハイネセンに撤収する船団の中で査問会召喚という名目で拘束されて、非公式の取り調べを受けている最中だ。

 

「貴官の責任ではない。今回の任務では四=二基地での戦闘を想定していなかった。武装憲兵抜きであれだけの戦いをしてのけたのだ。良くやったといっていい」

 

 見舞いに来たドーソン中将はそう言ってくれたけど、それでも気持ちは晴れない。もっとうまくやれたのではないか、死なずに済む部下もいたのではないか。そんな悔いが頭の中でぐるぐる回り続けている。

 

「良くやったではダメなんですよ。自己満足のために戦ったわけではありませんから」

「本当に貴官は真面目だな。戦闘経過報告も見たが、あれでいいのか?せっかくの武勲に傷がつくやもしれぬぞ?」

「真実を正しく伝えるのが指揮官の責務であろうと、小官は考えます」

 

 四=二基地に入院している間にブルームハルト中尉の協力を得て、俺の無謀な突撃のせいでファヒーム少佐やデュポン大尉らが死んだ戦闘の経過報告を作成した。それとは別にラインハルトにボコボコにされた戦闘の経過報告も作成している。俺の犯したミス、そのせいで犠牲になった人達の立派な戦いぶりなどを余さず記した。

 

「しかしだな、これでは昇進選考が不利になる。当事者は全員貴官の昇進を推していることだし、考え直したらどうだ」

 

 失敗を隠した方が昇進選考で有利になるのではないか、関係者と口裏を合わせることもできるだろうとドーソン中将は示唆している。

 

 とかく情に流されがちなのが彼の美点であり、欠点でもあった。好み次第で規則を必要以上に厳しく解釈して重い処分を下したり、必要以上に甘く解釈して軽い処分で済ませたりしようとする。麻薬組織のようにわかりやすい悪と戦う時には素晴らしい行動力を発揮できるが、身内の悪に甘くなってしまう。現在の憲兵司令部は馴れ合いがひどいという批判も多い。馴れ合いの風潮を創りだした俺が心配するのも図々しいかもしれないが、だからといって受け取るべきでない好意を受け取るのは良くないだろう。

 

「小官は昇進したくて軍人をやってるわけじゃありません。閣下の好意はありがたいですが、誰もが納得できる功績をあげた時にお受けしたいと思います」

「そのようなことを言われたら、何が何でも昇進してもらいたくなるではないか。貴官には困ったものだ」

 

 苦笑まじりにため息をつくドーソン中将を見ていると、本当に良い人だなあと思う。欠点は多いけど、この人の部下で良かった。いろいろと良い勉強もさせてもらった。じゃがいも参謀というあだ名を広めたことにちょっと罪悪感を感じる。

 

「やはり、自分の功績で昇進したいですから。今回の戦いの功績は小官を生かしてくれた人達の功績です」

 

 クリスチアン中佐もシェーンコップ中佐も功績は功績だと言ってくれたけど、いくら考えても死んだ人の功績まで自分のものにするのは筋違いであるように思った。そこは譲るべきでない一線だろう。

 

「そういえば、貴官は病院船に乗っている間に、音声入力端末を病室に持ち込んでずっと戦死者全員の叙勲推薦書を作っていたそうだな」

「生きている人が死んだ人に対してできることって、彼らのことをずっと覚えていることぐらいじゃないかって思いました。勲章は軍が死んだ人の功績を永遠に覚えているという証です。彼らの名前が忘れられないようにすることで、彼らの犠牲で生き延びた無能な指揮官としての責任を取り続けます。それに…」

 

 俺の無謀な突撃で死んだ副憲兵隊長ファヒーム少佐、中隊長デュポン大尉、憲兵六五人。俺を殴っていたラインハルトの注意をひきつける形で死んだローゼンリッターのウィンクラー中尉、ホイス曹長、シュレーゲル軍曹の三人。彼らの叙勲推薦書をヴァンフリート四=二からハイネセンに戻る病院船の病室でずっと作り続けた。彼らに対して何ができるかを考え続けた末の結論だった。偽善かもしれないけど、しないよりはマシだろう。

 

「勲章には年金が付きますよね。受章者が死亡している場合は、遺族が受給権を相続します。年金が出て遺族の暮らしが楽になれば、彼らの心残りも少しは減らせるかもしれません」

「それが貴官なりの責任の取り方ということか」

「ええ。何が起きても他人事のつもりで生きてきましたが、これからは自分がやったことにしっかり向き合いたいと思います」

 

 英雄と呼ばれても、オフィスで仕事をしていても、与えられた役割をこなすだけでどこか他人事のように捉えていた。それがヴァンフリート四=二における失敗につながったのではないかと思う。

 

 取り乱した俺の突撃に中隊長として付き合ったデュポン大尉、俺の失策をわかっていながら文句を言わずに敵を足止めしてくれたファヒーム少佐、激戦に身を投じて偶然をも味方につけるほどの強者となったラインハルトとキルヒアイス。彼らは与えられた役割にしっかり向き合って生きていた。そんな人々ばかりがいる戦場で他人事気分の俺に何もできるわけがない。あの時に感じた悔しさを二度と感じたくないと思う。

 

 

 

 五月五日、宇宙艦隊司令長官ロボス元帥は総旗艦アイアースで記者会見を開き、ヴァンフリート星系で帝国軍を打ち破って失地回復の意図を挫いたと述べ、四六日の長期に及んだ戦闘の終結を宣言した。

 

 同盟軍は百万人を超える戦死者を出すという近年でも稀に見る苦戦を強いられたものの、昨年一〇月のタンムーズ星系会戦において獲得した戦略的優位が揺らぐことはなかった。緒戦における部隊掌握の失敗、混戦の隙を縫って同盟軍勢力圏に深く入り込んだ敵艦隊による四=二基地への奇襲を許すなど、同盟軍随一の用兵家らしからぬ失点を重ねたロボス元帥であったが、辛うじて面目を保ったといえる。統合作戦本部が今年の秋を目処にイゼルローン要塞攻略作戦を検討しているという報道も流れていた。

 

 ローゼンリッター連隊長代理のワルター・フォン・シェーンコップ中佐は四=二基地を巡る戦いの功績を評価されて大佐に昇進し、第十三代連隊長に就任した。三〇歳での大佐昇進は士官学校上位卒業者に匹敵する早さで、下士官からの叩き上げとしては異例である。腹心のカスパー・リンツ大尉は少佐、ライナー・ブルームハルト中尉は大尉にそれぞれ昇進し、連隊幕僚として引き続きシェーンコップの補佐にあたる。

 

 第一七七歩兵連隊長エーベルト・クリスチアン中佐も昇進して大佐となった。四=二基地が第五艦隊到着まで持ちこたえたのはローゼンリッターや第一七七歩兵連隊を始めとする実戦部隊の奮戦によるところが大きく、指揮官達は軒並み昇進の栄に浴していた。艦隊戦の勝敗が明確でなかったため、四=二基地防衛戦で活躍した人々の功績がクローズアップされたという事情もあるようだ。

 

 ハイネセン第二国防病院に入院中の俺のところにも再度中佐昇進の打診が来たが、三月に少佐に昇進したばかりの自分が功績に見合わない昇進をするのは不本意だという理由で辞退した。内示が出る段階まで進んでいなくて助かった。

 

 棚ぼたで昇進することに納得出来ないという他に、二か月そこそこで中佐に昇進することへの危惧もある。幹部候補生養成所を出てからの俺はほぼ一年に一階級のペースで昇進していて、どの職でも十分な経験を積んでいない。アンドリューのように士官学校でみっちり勉強したエリートなら経験の乏しさを豊富な知識で補えるが、幹部候補生あがりの俺はそうもいかない。経験も知識も持たずに昇進していきなり能力を発揮できるのは、シェーンコップ中佐やリンツのような天才ぐらいのものだろう。

 

 士官学校を卒業していない軍人が容易に越えることができないガラスの天井が中佐と少佐の階級の間に存在している。

 

 同盟軍士官の補職の区分方法は数十種類にのぼるが、その一つに階級による区分がある。その区分では少尉と中尉を初級職、大尉と少佐を中級職、中佐と大佐を上級職、将官を高級職としてグループ化される。初級職は中央官庁の係長級、中級職は課長補佐級、上級職は課長級、高級職は局長級以上に対応する。

 

 軍隊では階級が上がれば上がるほど専門技術の比重が下がって管理能力の比重が上がっていく。専門技術の高さだけで務まるポストの限界は現場責任者の中級職までと言っていい。兵や下士官から叩き上げた士官は専門技術に長けているが、幕僚教育を受けていないために管理能力の素養を欠く者が多い。

 

 そもそも、階級は補職にふさわしい能力に対して与えられるのが原則であって、武勲に対する褒賞ではない。戦時に軍人の昇進が早くなるのは司令部や部隊の幹部ポストの増加に経験と知識を十分に積んだ人材の増加が追いつかないために、次善の策として見込みがありそうな人材を昇進させてポストを埋めているからだ。武勲は見込みがある人材を選ぶ基準の一つにすぎない。叩き上げであるにもかかわらず上級職に補職される中佐に昇進できる者は、幕僚教育を受けていないにもかかわらず高い管理能力を持つと見込まれた者に限られる。

 

 正直言って、初級職や中級職の経験も十分に積んでおらず、抜群の才能があるわけでもない自分に中佐以上の上級職が務まるとは思えない。四=二基地の戦闘であれだけの失態を犯した人間が上級職に適任であるとみなされること自体がおかしいのだ。

 

「ちょっと頑固すぎない?」

 

 俺の昇進に対する考えを呆れ顔で聞いているのはアンドリュー。宇宙艦隊総司令部作戦副課長の彼はヴァンフリート星系出兵の戦後処理で忙しいはずなのに、こまめに見舞いに来てくれている。参謀の仕事はよほどストレスが多いのか、今年に入ってからびっくりするぐらいやつれていた。彼のことを陰気そうと言う人に会ったこともある。中身は変わっていないけど、体を悪くしていないか心配だ。

 

「筋は通さなきゃいけないでしょ。俺なんかが中佐になるようじゃけじめ付かないよ」

「エリヤは堅苦しすぎるから、彼女できないんだ」

「ほっとけ。そういうアンドリューはタチヤーナさんとはどうなってんの?うまくいってないんでしょ」

「ああ、最近別れたよ。前線って敵の妨害電波で通信できなくなるでしょ?だから一ヶ月や二ヶ月連絡できないこともザラなんだけど、民間人にはなかなかわかってもらえなくてさ」

 

 アンドリューは苦笑しながら、やれやれという感じで手を振る。軍人と民間人の恋愛は難しい。アンドリューが言ったような事情の他に、転勤が多くて遠距離恋愛になりがち、民間と軍隊文化のギャップの大きさなども理由にあげられるだろう。だから、軍隊生活をわかっている職業軍人やその子女との恋愛が必然的に多くなる。

 

「いい加減、職場で彼女探そうぜ。宇宙艦隊司令部なら、かわいい子いくらでもいるでしょ」

「士官学校時代にえらい目にあったからさ。共通の知り合いが多い子と別れたら、めちゃくちゃ気まずいよ、本当に」

「わかるわかる。俺は職場以外の人とは付き合い無いからさ。気まずくならないように彼女作んないわけ」

「エリヤって一度も彼女いたことないじゃん。見栄張ってんじゃねーよ」

「誰もがアンドリューみたいに簡単に彼女作れるわけじゃないんだよ。ほら、俺は格好悪いし、背も低いし、口下手だし、気も利かないし。もてなくて当然」

「背が低い以外、全部違うじゃねーか。君のルックスと性格で女の子と縁がないって、よほどのことだよ。生き方考え直した方がいい」

 

 アンドリューは人が良いせいか、他人を過大評価する傾向がある。馬鹿な俺でも、自分がもてない理由ぐらいはわかっているつもりだ。俺のような奴がもてる方がおかしい。

 

「生き方変えても、俺が俺であるかぎりはどうしようもないよ。顔は整形できても、人間性は整形できないしさ」

「相変わらず自己評価低いねえ。そんで、いつも仕事や勉強やトレーニングの話しかしないだろ。あと、食べ物か。だからもてないの」

「楽しいじゃん」

「軍隊入る前のエリヤが何して暮らしてたのか、まったく想像付かねえよ。昔は勉強も運動も全然やらなかったんだろ?」

「何もしてなかったんだよ、文字通り」

「頭も運動神経も良くてクソ真面目なのに何もしてなかったっつーのが謎だわ。周囲の大人が何もやらせなかったっつーのも」

「できない子にやらせてもしょうがないだろ。大人だって暇じゃないんだし」

 

 両手を広げて、大げさにやれやれというジェスチャーをしてみせるアンドリュー。こういう友達がいれば、趣味が少なくても楽しくてたまらない。ヴァンフリート四=二で死ななくて良かった。あそこで死んだ人達に助けられた命のおかげでこうしてアンドリューと楽しく話していられる。生きていて良かったと何度も何度も頭の中で呟き、ファヒーム少佐達にあらためて感謝した。


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