銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版)   作:甘蜜柑

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第百二十話:市民軍と反戦市民連合 宇宙暦797年4月16日 ボーナム総合防災センター~通信指揮車

 ハイネセンポリス市内で反戦市民連合の支持者二〇万人がデモ行進。その報はテレビ会議に出席した首都防衛軍、ハイネセン緊急事態対策本部、義勇軍の幹部らを驚愕させた。

 

「厳戒下のハイネセンポリスで二〇万人。よくも集めたものです」

 

 緊急事態対策本部メンバーのアルトマイアー福祉保健局次長は、開いた口が塞がらないといった顔をした。

 

「反戦市民連合は今や反戦派最大勢力。資金力、党員数ともにこの半年で飛躍的に増大した。ここが勝負どころと判断したのだろうな」

 

 西大陸義勇軍司令官カルモナ義勇軍中将は、良く整えられたあご髭を触って軽くひねる。地方政界で揉まれてきた彼には、反戦市民連合の狙いが良く見えるのだろう。

 

「つまらん真似をしてくれたもんだ。事前に我々に連絡してくれれば、内外から敵を揺さぶれたものを」

 

 腹の底から苦々しいといった口ぶりで、第二巡視艦隊司令官アラルコン少将が吐き捨てる。

 

「それは筋違いというものだぞ。反戦市民連合の支持者は、主戦派に強い反感を持っている。主戦派中心の市民軍と連携すれば、一割も集まらなかったはずだ」

 

 カルモナがアラルコン少将を穏やかにたしなめる。

 

「この期に及んで主戦派、反戦派などという枠組みにこだわるとは、つまらん奴らだ。そんなのを二〇万人どころか、二〇〇万人集めたところで物の役に立たんわ」

「二〇万人は二〇万人、敵の動揺は激しいだろう。さらなる反戦派の決起も期待できる。好機と判断すべきだ」

「烏合の衆に何を期待できるというのかね?」

「誰かが先頭を切れば、他の者は後を着いて行くだけで良い。我々だって、フィリップス提督が先頭を切ってくれたおかげで力を合わせることができたのだ。エドワーズが決起すれば、他の反戦派も反クーデターに動き出す」

「団結こそが大事な時なのに、エドワーズはあえて足並みを乱した。フィリップス提督とエドワーズが主導権を奪い合うなんてことになれば、敵を利するばかりであろうよ」

「主導権を奪いあう時間などなかろう。それぞれが独自の戦いをしている間に決着が付く」

「ならば、独自で戦って独自で負けてもらえばよろしい。始末されたらされたで、敵が人心を失うだけのこと。大いに結構ではないか」

 

 反戦市民連合のデモに対する反感を露わにしたアラルコン少将と、期待を示すカルモナ。立場の違いが姿勢の違いとなって現れる。

 

「エドワーズめが独自の戦いをしたいというのならば、好きなだけさせてやればよろしいのではありませんかな。混乱しているハイネセンポリスに乗り込んで、市街戦が起きてしまえば、流血を回避してきたフィリップス提督の努力も水泡に帰してしまいます。反戦派の起こした火事に巻き込まれるなど、まっぴらごめんですぞ」

 

 アラルコン少将は、皮肉を混じえながら静観を進言した。首都防衛軍の国家救済戦線派将官は積極的に、緊急事態対策本部メンバーは控えめに同意する。

 

「この混乱に乗じてハイネセンポリスに進軍すべきです。敵の士気はただでさえ低下しています。我々が近づけば、先を争って降るでしょう。ハイネセンポリス内部の主戦派市民も両手をあげて我々を迎え入れてくれるに相違ありません」

 

 スクリーンに顔を近づけたカルモナは、力強い口調で進軍を主張する。義勇軍幹部、そして首都防衛軍のトリューニヒト派将官がこの意見を支持した。

 

 俺は腕組みをして、静観論と進軍論の双方を頭の中で検討する。

 

 ハイネセンポリスのデモを組織した反戦市民連合は、激しく軍部批判を展開するエドワーズを前面に押し立てて支持を広げた政党である。こちらが連携を申し入れたとしても、おそらくは拒絶される。指導部が乗り気でも、支持者が納得しないだろう。連携がないままにハイネセンポリスに向かっても、混乱を招くだけに終わる可能性が高い。無血解決を目指す俺としては、ハイネセンポリスの混乱は避けたいところだ。

 

 混乱を懸念する気持ちもある一方で、混乱こそチャンスとも思う。救国統一戦線評議会は理に偏りすぎて、市民や兵士の気持ちを掴めなかった。揺さぶりをかければ、雪崩をうってこちらに寝返ってくるのではないか。兵士がいなくなれば、救国統一戦線評議会は抗戦を断念するだろう。俺達に残された時間はそれほど多くない。リスクを承知の上で強引に仕掛ける必要も感じる。

 

「見事に意見が二つに分かれたね。アドーラ参事官はどう思う?」

 

 決めかねた俺は、オブザーバーとして出席している首都政庁参事官アドーラに意見を求めた。

 

「ハイネセンポリスに進軍すべきと考えます」

「理由は?」

「確かに反戦市民連合との連携は不可能です。しかし、敵と妥協する可能性も皆無。彼らは我々の味方ではありませんが、敵にとっては強大な敵対者。我々と敵の勢力は、現時点ではほぼ拮抗しています。しかし、反戦市民連合がデモを成功させて、第三勢力としての立場を確固たるものとすれば、敵に二正面作戦を強いることが可能となります」

「なるほど、敵の敵であってくれるだけで十分ということか」

「今のハイネセンにおける最大勢力は、クーデターを支持する者でも抵抗する者でもなく、『最も強い者になびく者』です。反戦市民連合が参戦すれば、救国統一戦線評議会の力は相対的に低下して、我々が最も強い者となります。敵が各個撃破に出る前に動いて、反戦市民連合の動きを間接的に支援すべきです」

 

 第三勢力としての反戦市民連合に期待するというのが、アドーラの意見だった。だが、そこまで期待できるものかという疑問もある。

 

「だけど、俺達が動き出す前にデモがあっさり鎮圧されてしまう可能性もある。反戦市民連合の実力を計算に入れてもいいのかな」

「反戦市民連合には、厳戒体制の首都で二〇万を動員できる組織があります。エドワーズや党指導部の指導力も相当なもの。デモ隊の鎮圧は容易ではありません。苦労の末に鎮圧しても、『救国統一戦線評議会は弱い』という印象を植え付けることができます。現段階においては、その印象は致命的。そして、指導部が生き残っている限りは、デモが鎮圧されても反戦市民連合は強力な抵抗勢力として機能し続けます」

 

 二日前のボーナム公園攻防戦の際に、アルマは敵が催涙ガス使用準備を始めたのを見て、「私達の勝利です。救国統一戦線評議会の無力を示す格好の材料になります」と言った。あの時と比べると群衆の数はずっと多いが、本拠地のハイネセンポリスで起きたデモの鎮圧に手間取ったら、救国統一戦線評議会が受ける打撃は大きいだろう。それに市街地だから群衆に紛れれば、反戦市民連合の指導部も逃走は容易だ。地下に潜れば、何度だってデモを組織できる。アドーラの分析には、十分な説得力があった。

 

「そこまで計算してデモを組織したってことか。反戦市民連合の指導部には期待できるね」

 

 もっとも、クーデター鎮圧後は強敵になるだろうけど。心の中でそう付け加えた。しかし、心配すべきは未来の政治より、目の前の戦いである。

 

「俺はハイネセンポリス進軍を支持する。意見のある者は?」

 

 誰も口を開かなかった。票決の結果、三組織調整会議は賛成多数でハイネセンポリス進軍を決定した。

 

 

 

 会議が終了すると、すぐさま俺は首都防衛軍及び臨時に傘下に入った正規軍部隊の将官、首都圏義勇軍幹部に連絡をして、テレビ会議を召集。ハイネセンポリス進軍作戦について話し合った。

 

 ハイネセンポリス進軍に際して最大の障害となるのは、市民軍の前進を阻むべく配備された第一一艦隊臨時陸戦隊及び評議会幹部直率の地上部隊である。

 

 第一一艦隊の将兵一五〇万のうち、衛星軌道上に展開する一個分艦隊三〇万人を除く一二〇万人が臨時陸戦隊に編成されて、地上に配備されている。評議員ランフランキ准将は四万、評議員タムード准将は四万、評議員ヴィカンデル大佐は二万。評議員に次ぐ地位のペイネ准将、チャーコン准将、イグナチェンコ准将はそれぞれ三万。ヘジュマン大佐とル=スュール大佐はそれぞれ一万五〇〇〇。合わせて一四二万。第一一艦隊司令官ルグランジュ中将は人望が厚い。他の地上部隊も評議会幹部やその同調者がしっかり掌握している部隊ばかり。寝返りは期待できそうになかった。

 

「俺達が首都圏に展開している正規兵力は現時点で一五〇万にわずかに届かない。数は敵とほぼ互角だけど、戦力を集中する能力では、主要交通路を押さえてる敵が優る。どうやってこれを突破するか。それが問題だね。みんなの意見を聞かせてほしい」

 

 ハイネセンポリス周辺の敵部隊配備図を出席者に示して意見を求めた。最初に応じたのは、第一首都防衛軍団ファルスキー少将が口を開いた。

 

「陽動を使いましょう」

 

 ボーナム総合防災公園防衛部隊を指揮するファルスキー少将は、駐屯地からボーナム市に移動する際も陽動を使って救国統一戦線評議会の封鎖網を突破した。得意戦術なのだろうか。

 

「しかし、敵の地上部隊総司令官は、地上軍屈指の用兵家パリー少将だ。陽動に簡単に引っかかるかな?」

「パリーが直接率いる部隊相手には、通用せんでしょうな。しかし、パリーはハイネセンポリスで全軍を統括する立場。前線指揮官の質は玉石混交です。第一一艦隊の臨時陸戦隊は、艦隊戦の専門家が指揮官を務める部隊が大多数。地上部隊の指揮官でも戦術能力に劣る者は少なくありません。ハイネセンに駐屯する一線級部隊の指揮官は、管理能力を基準に選ばれる傾向があります。二線級部隊の指揮官は、言うまでもないですな。乗じる隙は十分にあります」

 

 ファルスキー少将は思想的には過激だが、用兵家としての実績は一流だった。同じ派閥のアラルコン少将と違って、人格的にも円満と言われる。そんな彼ができると言うからには、十分な成算があるのだろう。今は巧遅より拙速を重んじるべき時だ。俺はほんの少し考え込んでから、全員の顔を見渡した。

 

「みんなの意見は?異論がなければ、ファルスキー少将の案を採用する」

 

 地上戦の専門家はそれが最善、艦隊戦の専門家は他に選択肢がないと言った表情で頷いた。

 

「では、陽動を使って、敵の防衛網を突破する。さっそく作戦を立ててくれ。時間が無いから、方針と役割分担ぐらいしか決められないけどね」

 

 方針が決まると、早速打ち合わせに入った。地上戦のベテランが多い国家救済戦線派将官が中心となって、話し合いが進む。ほんの数分で大まかな作戦ができあがった。

 

「地上部隊及び艦隊陸戦隊は旅団単位に分かれ、指揮官の戦術能力が未熟、もしくは将兵の練度が低いと思われる敵を陽動で誘い出し、戦線に穴が空き次第突破する。標的となるのは地上軍一六個旅団及び第一一艦隊の臨時陸戦隊二〇六個旅団。臨時陸戦隊となっている艦隊要員は、大げさに動いて敵の目をひきつける。義勇軍は一斉にデモ行進を行って、ハイネセンポリスを目指す。敵が阻止に動けば、その場で停止して敵を引きつける。阻止されなければ、そのまま前進。現場の裁量に任せる部分が多くなると思う。みんなの指揮官としての力量に期待する」

 

 会議終了を告げると、スクリーンの向こうにいる正規軍や義勇軍の幹部は一斉に敬礼をして、それから通信を切った。俺も会議室を離れて防災司令室に入った。そして、首都防衛軍参謀とともに打ち合わせをする。

 

「情報部長を臨時参謀長、作戦部長を臨時副参謀長とする。臨時参謀長は司令部、臨時副参謀長は俺の傍らで全軍の調整にあたるように」

 

 情報部長ベッカー大佐と作戦部長ニールセン中佐に、正規軍と義勇兵合わせて二〇〇万の調整の総責任者を任せた。参謀としては若手の部類に入る二人には、少々荷が重すぎるかもしれない。本来ならば、チュン准将とニコルスキー大佐に任せたい仕事であった。しかし、チュン准将には俺の代わりに第三巡視艦隊を統率するという仕事がある。ニコルスキー大佐は首都防衛軍司令部に残してきた。手持ちの人材でやりくりするしかなかった。

 

「第一首都防衛軍団、第一市民空挺旅団、第三市民空挺旅団、第四市民空挺旅団、第五市民空挺旅団、第六市民空挺旅団は出撃」

 

 市民空挺旅団とは、二日前の公園攻防戦で投降した空挺部隊のことだ。彼らは元の所属部隊から離脱した後に市民軍を名乗り、六個旅団に再編成されていた。市民軍と通称される反クーデター勢力にあって公式に市民軍を名乗っているのは、彼らだけであった。

 

「出撃部隊の指揮は、俺自身がとる」

 

 総司令官たる立場を考えれば、指揮通信機能が充実した総合防災センターで指揮を取るべきであろう。しかし、俺はあえて自ら前に出る姿勢を示すことにした。ハイネセンポリスのエドワーズがデモ隊の先頭に立っているのに、俺が安全な司令部にこもっていては格好が付かない。

 

「司令部の留守は、第二市民空挺旅団に任せる」

 

 第二市民空挺旅団は拠点確保に長けた部隊だ。工兵部隊によって要塞化された現在のボーナム総合防災公園なら、二個師団を相手にしても数時間は守り通せる。敵が空挺を投入してくる可能性も低い。市民空挺旅団の母体となった二個空挺師団は、パリー少将が司令官を務める第五空挺軍団の所属だった。パリー少将は用心深い人物だ。子飼いに裏切られてもなお空挺を信用し続けるとは思えなかった。

 

 臨時副参謀長ニールセン中佐、副官ハラボフ大尉、警護担当のアルマらを従えた俺は、第一首都防衛軍団から借りた指揮通信車に乗り込んだ。そして、正規軍六万六〇〇〇と義勇軍三万三〇〇〇を率いて、ボーナム市を出発した。

 

 

 

 救国統一戦線評議会は軍の通信網を占有することによって、惑星ハイネセンの軍隊が結束して反クーデター行動に出ないようにした。だが、首都防衛軍は各部隊と防災通信ネットワークとリンクさせることで独自の指揮通信網を作り上げた。俺の乗っている指揮通信車には、防災通信ネットワークを通じて各部隊からの報告が入ってくる。

 

「第二九〇歩兵旅団より報告。第一一艦隊の五個臨時陸戦旅団がフックス川沿いに南下を開始しました。第一三九歩兵旅団と連携して、さらに南へと引きつけます」

「第八三陸戦旅団より報告。第四八五歩兵旅団の防衛線を突破しました。ハイネセンポリス外縁部まであと三〇キロ」

「第二首都圏義勇師団より報告。前面に敵の二個連隊が出現。攻撃してくる様子は見られません」

 

 作戦は驚くほど順調に進んでいた。敵軍の大多数を占める第一一艦隊の臨時陸戦隊は、陽動に面白いように引っかかった。第一一艦隊に所属する専門の陸戦要員はせいぜい一五万。臨時陸戦隊一〇五万は艦隊戦の勇者だが、地上戦では素人。練度の低い臨時陸戦隊や義勇兵を敵正面に貼り付けて、地上部隊を陽動に使うこちらの作戦は完全に的中した。

 

「第三巡視艦隊より報告。第一〇七戦隊司令官ガーベル准将が直率する臨時陸戦隊一〇個旅団の前方二〇キロに、二万近い敵陸兵部隊が出現。ヴィカンデル大佐配下の陸兵部隊と思われます」

「よし、よくやった!」

 

 思わずガッツポーズをとった。第一〇七戦隊司令官ナディア・ガーベル准将は、第三巡視艦隊に所属する三個戦隊の司令官の中でも際立って無能な提督。配下の将兵の質も低い。そんな部隊の足止めに陸兵の精鋭が動くなんて、想像以上の戦果である。

 

 戦略スクリーンに目を向けた。敵を示すのは赤い点、味方を示すのは青い点。ハイネセンポリスに通じる交通路に陣取っていた赤い点は、時間を追うごとに散り散りバラバラに乱れていった。その隙を縫って、青い点がハイネセンポリスに着々と接近していく。

 

 次に各部隊から送られてきた画像が映し出されたメインスクリーンを見る。そこにはヴァンフリート四=二基地司令室のメインスクリーンで見たような戦闘光景は無かった。無言で睨み合いを続ける敵、もしくは進軍路を塞ごうと機動する敵の姿があった。両軍合わせて三〇〇万人以上が動く大作戦にも関わらず、一発の射撃も放たれることなく、機動と睨み合いだけに終始する奇妙な戦いだった。どちらかが発砲すれば、その瞬間から首都圏を舞台とする血みどろの内戦が始まるということを両軍ともに知っているのだ。

 

 戦況は師団レベルや旅団レベルで展開している現段階では、調整も各師団や各旅団単位で行われる。高度な調整が必要な場合も戦線を指揮する軍団司令官や分艦隊司令官が出れば十分だった。地上戦経験が皆無に近い俺が指導に介入すれば、かえって混乱を招く恐れがある。俺の総司令官としての仕事は督戦、そして反戦市民連合やその他の勢力との交渉であった。

 

「通信員、反戦市民連合から返事はないか?」

「ありません」

「そうか」

 

 軽くため息をつき、マドレーヌを口にした。反戦市民連合の支持者が掌握しているとされる正規軍部隊や行政機関に、防災通信ネットワークを通じて反戦市民連合に連帯を訴えるメッセージを何度も送ったが、まったく返事が無かった。

 

「臨時副参謀長、やはり反戦市民連合は俺達と連絡を取り合う気がないのかな」

 

 軽く弱気になった俺は、ニールセン中佐に声をかけた。

 

「支持者が納得しないでしょうからね」

「でも、反戦市民連合の支持者には、現役退役問わず軍人が多いよ。それに国防関連の議論を見ると、エドワーズ代議員にはかなり優秀な軍人のブレーンが付いてるみたいだ。連絡を取った方が軍事的に有利だとか、そういう進言をしてくれる一人ぐらいはいたっていいじゃないか」

「軍人なのに急進反戦派を支持するような人がそんなことを言うとは思えませんが……」

 

 若い臨時副参謀長の控えめな正論は、俺の弱音を正面から叩き潰した。

 

「ま、まあ、そうだな」

 

 マドレーヌをもう一つ口にして、心を落ち着かせた。連携できるとは思ってないが、それでも拒否の返事ぐらいは欲しかった。連携拒否を判断した人物、返事を送った人物が分かれば、反戦市民連合と交渉する際の手続きが理解できる。敵だろうが味方だろうが中立だろうが、交渉が成立しない相手ほど始末に負えないものはないのだ。

 

「フィリップス提督」

 

 冷淡な声が耳に突き刺さった。振り向くと、声に負けず劣らず冷たい表情をしたハラボフ大尉がいた。

 

「首都警察カトリンズ署より総合防災センターに送られてきた情報です」

 

 機械的な手つきでハラボフ大尉が差し出した紙は、総合防災センターにいるベッカー大佐が転送してきた警察情報をプリントアウトしたものだった。

 

「ありがとう」

 

 受け取って早速目を通す。紙には反戦市民連合のデモの様子が記されていた。デモ隊は市内一三箇所に集合し、飛び入り参加の通行人を加えて数を増やしつつ、グエン・キム・ホア広場を目指しているという。

 

「グエン・キム・ホア広場……」

 

 アーレ・ハイネセンの盟友で自由惑星同盟の実質的な建国者と言われる人物の名を冠したこの広場は、主要な政府施設が集まるキプリング街にある。救国統一戦線評議会が本拠地とする統合作戦本部ビルとも近い。そんな場所に数十万人ものデモ隊が集結したら、救国統一戦線評議会の権威は失墜する。

 

 読み終えると、秒針で計ったかのようなタイミングで別の紙がすっと差し出された。無駄のない動作、綺麗で細長い指が機械的印象を与える。

 

 今度は軍や警察の動きだった。首都警察機動隊はやる気が無いらしく、ほぼ無抵抗でデモ隊を通している。解体された国家保安局から救国統一戦線評議会の法秩序委員長代理ヤオ中将の直轄下に移された国家保安機動隊は、出動命令をそのものを拒否。

 

 機動隊のサボタージュに直面した救国統一戦線評議会は、ハイネセンポリスの郊外に配備されている軍隊に動員命令を出した。だが、寝返りを警戒されて郊外に配備されていた部隊だけに動きが鈍かった。忠誠心の高い部隊のほとんどは、ハイネセンポリスの市外で市民軍と対峙中。残りは惑星ハイネセン全土に散らばって、重要な軍事施設、星間通信施設、宇宙港などを抑えている。救国統一戦線評議会が頼れる部隊は、ハイネセン中心部の政府中枢を守る三万のみのようだ。

 

 脳裏にクリスチアン大佐の動画の内容がちらついた。国家保安機動隊、首都警察機動隊はいずれもクリスチアン大佐が「最大の敵」と呼んだ保安警察グループの一員である。あの動画を見た後では、機動隊のサボタージュが偶然と思えなくなる。

 

 今度もちょうど読み終えたタイミングで紙が差し出された。隅に書かれた時刻を見ると、総合防災センターより転送されてきたのは一分前。最新情報だ。

 

 ハイネセンポリス中心部の情勢は、刻一刻と緊迫の度合いを増していた。三〇万に膨れ上がって一三方向からグエン・キム・ホア広場を目指すデモ隊のうち、八部隊は軍隊が敷いた非常線に阻止された。どの部隊も即席のバリケードを築き、軍隊相手に一歩も引かない姿勢を見せる。残る五部隊は勢いが凄まじく、出動した軍隊も後退を重ねている。

 

 警察報告を見ているだけでも熱気が伝わってきそうだった。二日前の公園攻防戦に参加した義勇兵に勝るとも劣らなかった。たとえ市民軍と対峙する部隊をすべて呼び戻したとしても、抑えきれる気がしない。このまま救国統一戦線評議会を倒せるんじゃないかと思えてくる。

 

 再び戦略スクリーンを見た。敵部隊は戦線を縮小して戦力を集結させて、市民軍のハイネセンポリス接近を阻止しようとしたが、四つの主要星道を封鎖した第一首都防衛軍団に阻まれた。戦線の穴を市民軍部隊がすり抜けていく。

 

「フィリップス提督はおられますか!」

 

 わざと送信音量をでかくしてるんじゃないかと疑いたくなるような馬鹿でかい声が通信スクリーンから聞こえてきた。こんな通信を寄越してくるのは、俺の知る限りでは一人だけ。第二巡視艦隊司令官アラルコン少将だ。

 

「どうしたんだい?」

「見てください!我が艦隊の陸戦旅団はあと一五分ほどでハイネセンポリスに到達いたしますぞ!一番乗りです!」

 

 野戦服を身にまとったアラルコン少将は、大はしゃぎで通信スクリーンの背景に映る交通標識を指し示す。「マイルズビルまで二〇キロ」と標識には書かれていた。マイルズビルはハイネセンポリス外縁部にある工業団地地区。これによって二つの事実が知れた。まず、アラルコン少将配下の陸戦旅団がハイネセンポリス入り目前ということ。そして、その陸戦旅団を自ら率いているらしいということ。

 

「貴官はもしかして、自分で陸戦旅団を率いてるのか?」

「当然でしょう!年甲斐もなく血が騒ぎましてな!司令部に大人しく座ってはおれません!」

 

 アラルコン少将は分厚い胸を強く叩いた。しかし、血が騒ぐとかそういう問題ではない。アラルコン少将は艦隊畑であって、地上戦指揮の経験はないはずだ。

 

「いや、貴官は地上部隊を率いた経験がなかったと思ったが」

「そんなことは大した問題ではありません!」

「そうだな、貴官の言うとおり、大した問題ではなかった」

 

 勢い負けしてしまった。

 

「では、次はハイネセンポリスでお会いしましょう!」

 

 いつものように一方的に喋り終えた中年提督は、上機嫌で通信を切った。すっかり圧倒された俺は糖分を補給しようとマドレーヌに手を伸ばした。

 

「司令官代理閣下、非常事態につき直接連絡させていただきます」

 

 糖分を補給しようという俺の試みは、スクリーンに現れたベッカー大佐の緊張した顔によって中断された。ただならぬ気配を感じた俺は、表情を引き締め直した。

 

「何があった?」

「救国統一戦線評議会の部隊が反戦市民連合のデモ隊に発砲しました」

「本当か、それは?」

「確認のために複数の警察、消防、行政の情報提供者に問い合わせたところ、事実であると返答がありました」

「なんてことだ……」

 

 頭がクラクラした。一滴の血も流さずに解決しようと努力してきたのに、すべて無駄になった。クーデターを鎮圧できたとしても、軍隊が市民に発砲した事実は残る。同盟軍史に拭いようの無い汚点を作ってしまった。

 

「市内の状況はどうなっている……?」

「各所で軍隊とデモ隊が衝突しているとのこと。詳細はわかっていません」

 

 めまいがますます激しくなった。どれだけ犠牲者が出るか、知れたものではない。前の歴史で起きたスタジアムの虐殺事件以上の大惨事である。同盟軍が治安部隊から対帝国部隊に転じたダゴン会戦以降、最悪の市民虐殺事件になる恐れも出てきた。

 

「誰だ、誰がこんな馬鹿なことをしてくれた?」

 

 まともな軍人なら、市民に発砲すればどんな結果になるかはわかっていたはずだ。目の前の暴動を鎮圧しても、完全に人心を失ってしまう。同盟軍の看板にも傷がつく。救国統一戦線評議会はまともな軍人の集団だと思っていたのに、前の歴史でスタジアムの虐殺を起こしたチンピラ軍人みたいな人物も紛れ込んでいたのか。

 

「発砲したのは、評議員クリスチアン大佐の部隊だそうです」

「えっ?」

 

 ベッカー大佐が何を言っているのか理解できなかった。

 

「どの部隊が発砲したって?」

「評議員クリスチアン大佐の部隊です」

「いや、だからどの部隊が発砲したのかを聞いてるんだ」

「ですから、評議員クリスチアン大佐の部隊と申しました」

 

 ややうんざり気味の顔でベッカー大佐は答えた。

 

「しかし、あのクリスチアン大佐が……」

 

 クリスチアン大佐がそんな命令を下すはずはないが、慎重なベッカー大佐が怪しげな情報を持ってくるはずもない。一体どういうことなのか、必死で考えた。

 

 クーデター前のクリスチアン大佐は、ハイネセン陸戦専科学校の歩兵教育部長。子飼いの部隊は持っていなかった。デモ隊鎮圧に出動した際に率いていた二個歩兵旅団も臨時に預かった部隊と思われる。そして、旅団長の階級は大佐。あのクリスチアン大佐でも自分と同じ階級の指揮官を二人も臨時に指揮したら、いろいろとやりにくかっただろう。俺にも身に覚えがある。つまり、悪いのはクリスチアン大佐ではなく、二人の旅団長。そして、無能な指揮官を部下に付けたグリーンヒル大将だ。クリスチアン大佐は悪くない。うん、きっとそうだ。そうに決まっているのだ。

 

「クリスチアン大佐指揮下の『歩兵旅団』が発砲したんだね。ご苦労だった。続報が入り次第、伝えて欲しい」

 

 歩兵旅団を強調しつつ、労いの言葉をかけた。やや戸惑い気味の顔でベッカー大佐は敬礼して通信を切った。気持ちを切り替えた俺は、ニールセン中佐に意見を問う。

 

「ハイネセンポリス中心部では、軍とデモ隊が衝突してる。この機に乗じて前進すべきか、それとも自重すべきか。貴官はどう考える?」

「そうですねえ。前進したら一気に敵を倒せるかもしれません。ですが、ハイネセンポリスの混乱も一層激しくなります。流血も深刻になるでしょう。自重すれば流血の拡大は回避できます。少なくとも市民軍のせいで流血が酷くなったと言われずに済みますし、人心はこちらに決定的に傾いたことには変わりありませんが。ただ、決着は数日先になりますね。敵は無能ではありません。多少の時間があれば、事態を収拾するでしょう」

「難しいところだね」

 

 判断に迷うところだった。だが、既にアラルコン少将の部隊がハイネセンポリス手前まで迫っている。今から会議を開く余裕もなかった。指揮官としての決断を示さなければならない時だった。

 

「ハラボフ大尉、第三巡視艦隊司令部に通信を入れてくれ」

 

 俺の決断、それは最も信頼する参謀長に意見を問うことだった。


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