少年少女の戦極時代Ⅱ   作:あんだるしあ(活動終了)

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第54話 いなくなればいい

 

 ユグドラシル・タワーの医療部門フロア。その一画にある診察室で、呉島碧沙はもう何度目か分からない問診を戦極凌馬から受けていた。

 

「ヘルヘイムの果実を食べ続けて1週間。結果、インベス化も苗床化も見られずと。次はどうしよう? とりあえず血液と口の中の細胞が検査結果待ちだから、それで方針を決めようか。――どうかした?」

 

 じっと凌馬を見ていた碧沙の視線に気づいてか、凌馬は小首を傾げた。この仕草だけなら、ちょっと変わった医者、と紹介しても通じるだろう。

 

「いえ。オーバーロードを探して、神さまになるのがあなたたちのモクテキなのに。わたしを調べるなんて、まるでほんとに人類を救おうとしてるみたいだと思って」

「そんなに私のしてることがおかしい?」

「はい」

 

 凌馬はとても嬉しそうに、人好きのする笑顔を浮かべた。

 

「私のノルマは量産型ドライバーの開発。それはすでに達成した。向こう10年はやることがない。いわばこれは私の暇つぶしなんだ」

「――――」

「なーんてね。怒った?」

 

 碧沙は首を横に振った。――凌馬にとって何であろうが、それで救われる人が増えるなら構わない。

 

「脳にはそんな機能ないだろうし、頭蓋を開くことはないと思うけど。ヘルヘイムの因子を抗原として抗体が生じると仮定して、一番可能性がありそうなのは――」

 

 語りながら凌馬の両手は、碧沙の頭から頬、背骨に移動する。そこにいやらしさは微塵もない。実験動物を触診する科学者の手つき。

 

「最終的にはキミのココにあるモノも貰うかもね」

 

 掌が碧沙の腹、へその下辺りを包むように触れ、ようやく凌馬の手は碧沙から離れた。

 

 ――貴虎が前に言っていた。特別な力や地位を持つ者には、相応の責務が付き回ると。呉島碧沙の体が特別なら、この身を捧げることを厭ってはいけない。

 

(だから、この程度さわられたくらい、へいき、なの)

 

 診察室を出ていいと研究員が言った。碧沙は自身を一度だけ強く抱き、イスを立って診察室を出た。

 

 

 

 

 診察室から宛がわれた部屋を行き来する時間は、一人で歩くことを許されている。見張りが付かなくとも、どうせ監視カメラが視ているから妙な行動は起こすまいというわけだ。

 

 

「……のあれ、どっちにする。主任派かプロフェッサー派か」

「あー。ついに派閥割れ起こしたんだっけ」

 

 ふと通りかかった自販機前の休憩スペース。不穏なワードが聴こえた。碧沙はとっさに角に隠れた。

 

 若い研究員が集まってしゃべっている。

 

 

 

 主任もかわいそうよねえ。弟も妹も被験者なんて。しかも妹さん、まだ小学生でしょ?

 

 俺、妹のほう見たことあるぜ。細くて、いかにも名家のお嬢様って感じの

 

 オーバーロード探索の会議も主任出てなかったしなあ。オーバーロードは完璧プロフェッサー直轄になったぽい。

 

 主任、窓際?

 

 主任派につくと事態から置いてけぼりっぽくて焦る~って友達言ってた。

 

 あ~。実質プロジェクトアーク押しつけられて終わりっぽいしね。

 

 けど妹か人類かって究極の選択だろ。

 

 あ。あとさ、被験者№3の小学生いたろ。主任の妹さん、あの子と同級生なんだって。あくまで噂だけどさ、あの子、プロフェッサーに脅されたって。

 

 うえ、マジ?

 

 マジマジ。

 

 

 

 へたん。碧沙はその場に座り込んだ。研究員の談笑が遠のいて行く。

 

(わたしのせいで、兄さんと咲がオーバーロードインベスにかかわれない……わたしのせいで、貴兄さんのキボウが、つぶれそうに、なってる?)

 

 凌馬に触診された時よりずっとショックを受けている自分がいる。

 どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい?

 

「…し……なんか…」

 

 貴虎の希望が、咲の希望が、――人類の希望が、呉島碧沙がこんな身の上であるばかりに潰える。

 

(わたしなんか、いなくなったらいいのに)

 

 はっとした。そうだ。楔となっている碧沙がいなければ、貴虎も咲もオーバーロードを探せる。全人類を救う手立てが見つけられる。

 

 碧沙は廊下の上を見上げた。監視カメラはある。だが、カメラに映ったとして、人が駆けつけるまではタイムラグがあるはずだ。

 

 碧沙は立ち上がり、元来た通路を歩き出した。

 

 

 ――“だからヘキサも、あたしたちのだれかが大変だったら助けてね”――

 

 

 リフレインした親友の声は、碧沙の背中を大きく押した。

 

(うん。助けるわ。待ってて。咲)




 咲が天秤をかけたように、ヘキサもまた天秤にかけました。自分と、人類と。
 ノブレス・オブリージが自然と口を出るくらいの貴虎の妹です、同じ教育を受けた妹もまたそんな思想を以て自分をなげうってもおかしくないのではないでしょうか?
 1週間、ヘキサにとっては香りでさえ気持ち悪いヘルヘイムの果実を、彼女はえづきながら泣きながらも食べ続けたのでしょう。

 噂話をしているのはプロジェクトに着任して日が浅い、新採の同期みたいなイメージです。
 この年頃の愚痴は十中八九、職場のこと。

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