少年少女の戦極時代Ⅱ   作:あんだるしあ(活動終了)

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第8分節 状況終了

「クラックから出たインベスを倒して、クラックが消えるのを見届けるまでが俺たちの仕事だったんだけど」

「けど?」

「最近はクラックが開かなくてもインベスはどこにでも出るから」

「――あ」

 

 咲も納得してしまった。

 

 ヘルヘイムの果実がこんなにも街のあちこちで繁殖しているのだ。誘惑のまま果実を口にしてインベスになる者も多いのだろう。

 それらのインベスならば、クラックが開かずともこちらに居る。

 

「それに、ここ何年かはクラック自体、観測されなくなってきてるんだ」

「それって、ヘルヘイムの侵食がなくなってきてるってことっ?」

 

 咲は手を叩いた。喜ばしいニュースだ。喜ばしい、はずなのに、紘汰は複雑そうだ。

 

「……ユグドラシルの予測だと、地上のヘルヘイム化完了まではあと1年。弱まったんじゃなくて、もう侵食する必要がないだけって見方もある」

「そん、な」

 

 吉兆と思われたものが凶兆かもしれないと知り、咲はしょんぼりした。

 

「……本当に覚えてないんだな」

 

 ここに来て初めて、紘汰は寂しさを声に乗せた。

 

 咲は紘汰を見上げた。逆光のせいも、咲が知る紘汰より年上だからもあるだろう。紘汰を世界にひとりぼっちにさせてしまったようで、申し訳なくて、切なくて。

 

 咲の手は意思とは無関係に紘汰の手に伸びていた。

 小さな自分では足りなかった手の平は、すっぽりと紘汰の片手を包んでいる。

 

「――咲」

 

 低い声。呼ばれて鼓動が跳ねた。この彼は咲が思い描く葛葉紘汰とは違う、と強く感じた。

 

「紘汰、くん」

「呼んでくれよ。いつもみたいに――コウタ、って」

「こう、た?」

 

 笑顔を浮かべた紘汰は、直後、すばやく咲を引っ張ってきつく抱き締めた。

 

 咲はパニックだ。たとえこの時間軸の「室井咲」がしていても、この室井咲にとっては、異性と恋愛絡みでの接触は初めての体験だ。

 

「~~っやだ!!」

 

 咲は紘汰を突き飛ばし、下がった。

 

「…………ごめん」

 

 謝られて割り切れることではない。咲は答えず、紘汰に背を向けて走り出した。

 

 

 

 

 

 

 走って逃げ込んだ場所は、咲たちがいつもダンスを披露する野外劇場だった。

 

 泥と落ち葉がステージ上に落ち放題の汚し放題。ベンチも同じで、とても舞台として機能しているとは思えない。まるで咲に、お前の居場所はとっくになくなったぞ、と突きつけているようだった。

 

 咲は適当に、あまり汚れていないベンチの一つに腰を下ろした。走った分だけ指先や耳たぶなどの末端が冷たくて痛い。

 

(今もみんなと連絡取ってるのかな)

 

 スマートホンを出して電話帳を起動する。電話帳には仲間の名前が当時のニックネームで登録されていた。

 

(誰かと話したい。でも記憶喪失ですなんて、どう説明したら)

 

 握りしめたスマートホン――に、重なるように、色違いの筐体を幻視した。

 

 

 “今日は記念日だろ。何か特別なことしたいじゃんか”

 “お揃い、だな”

 

 

 携帯ショップのディスプレイに並ぶたくさんの筐体。腕を組んだ紘汰と二人で選んだ。

 

(そう、だ。これ、紘汰くんが。付き合って……何年だっけ。とにかくその記念日だから、どうせ買い替えるなら一緒の買おうって。二人でショップ行ったんだ)

 

 

「――咲!!」

 

 顔を上げてふり返る。客席のベンチを紘汰が息を切らしながら降りてくるところだった。

 咲は立ち上がって迎えた。

 

「よかった、見つかって」

「どうして分かったの? あたしがここにいるって」

「咲は落ち込んだりするとよくここに来るから」

 

 紘汰は荒い息もそのままにニカッと笑った。――拒絶した咲なのに、こうして迎えに来て、笑いかけてくれる。

 

「――ねえ。あたし、ケータイ機種変した?」

「ん? ああ、去年……」

「紘汰くんと一緒にショップ行って、機種おそろにした?」

「!! 思い出したのか!?」

 

 紘汰は咲の両肩を掴んだ。その顔色は喜びより恐れのほうが強く見えて。

 

「う、ううん。このケータイのこと、だけ」

「そっ、か」

 

 紘汰の両手が咲の肩から離れる。代わりにまた手が差し出された。

 

「ゆっくりでいいよ。一気に思い出すと、咲ちゃんも苦しいかもしれないんだから。のんびりやろう? な?」

 

 咲は手を差し出し返す。紘汰の掌に触れて一瞬びくついたが、勇気を出して手を預けた。

 握られた手の力は弱く、いつでも咲が振り解ける力加減。

 

「帰ろう。姉ちゃんとザックが心配する」

 

 肯いた。歩き出した紘汰に手を引かれるまま、咲も歩いた。

 

 最初はどうして21歳の自分と彼が恋仲になったか分からなかった。でも、今なら分かる。

 少なくとも21歳の咲が紘汰を想った訳は、自覚12歳の咲でさえ分かるほど分かりやすかった。


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