少年少女の戦極時代Ⅱ   作:あんだるしあ(活動終了)

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第29分節 雨と涙と

 

 

 ――9年前

 

 葬式で読経や弔辞の声が上がる中、ぼんやりと、自分はこの先一生幸せを感じることはないのだろうと、室井咲は考えていた。

 ヘキサのいない世界にどんなシアワセがあるというのか。

 

 最初はヘキサを卒業式で貶めた者に復讐しようとして、一人仲間と異なる中学に進学した。

 その陳腐な行いも、結局は貴虎と光実に止められたけれど。

 

 

 “碧沙は――妹は君がそんな生き方をするのを望まない”

 

 “お願いだよ……碧沙が好きだった咲ちゃんのままでいて”

 

 

 ならばどう生きればいいか分からなくて。紘汰がガイムグループを起ち上げると聞いた時にはすぐさま戦士職を志願した。

 

 朝から夜までインベスを殺して泥のように眠る。覚めればまたインベス狩りに行く。ヘルヘイムの存在が公に出て、街が徐々に植物に毒されているのを横目に、そんな日々を何年も送った。

 

 荒れる咲を見かねて、紘汰が手を差し伸べてくれるまで、そう時はかからなかった。

 

 

 “もうやめてくれ。俺がなる。咲ちゃんが……咲が失くしたもの、俺が埋めるから”

 

 

 本当に? と何度も問い返した。本当だ、と紘汰は何度でも肯いた。

 

 その時、思った。このひとの優しさを、室井咲は息の根が止まる瞬間まで忘れない、と。

 

 …………

 

 ……

 

 …

 

 野外劇場に降る雨は次第に小降りになってきていた。

 

 咲はパッションフルーツの錠前を閉じ、変身を解いた。生乾きの服が肌に張り付いて寒くて、気持ち悪い。

 

「咲っ」

 

 いつのまにか変身を解いていた紘汰が駆け寄ってくる。咲はのろのろと振り返った。

 

 ――ようやく分かった。紘汰と恋人同士であることへの違和感の正体が。

 咲自身が心の底で知っていたのだ。自分たちは恋人という甘ったるい関係などではない。ただ、一人の不幸な少女が、その不幸を放っておけない優しい青年に一方的に守られていただけなのだと。

 

「来ないでッ!」

 

 反射的にだろう、紘汰が足を止めた。

 困惑しきって咲を見つめる、そのまっすぐな目が、痛い。

 

「あたし、忘れた。コウタとの時間も、ヘキサが死んだことも。一番覚えてなきゃいけないこと、二つとも忘れた。サイテーだよ。もう紘汰くんのカノジョ、やってけないよ」

 

 ヘキサがいないのに、幸せで。

 幸せなのに、紘汰を忘れた。

 どんなごまかしも効かない。最低の裏切りだ。

 

「そんな…こと、そんなこと、言うなよ! 俺も、ヘキサちゃんだって、忘れたからって咲をキライになるわけ…!」

「あたしがッ!! ……あたしを、許せないのよ」

 

 自分が、気持ち悪い。ああ、この雨で、石鹸のように溶け崩れて流れてしまえばいいのに!

 

「ヘキサがいないのに、紘汰くんにシアワセにしてもらって。そこまでしたのに、今度はコウタを忘れて。イヤなのよ、ほんと、キモチワルイのよ」

 

 咲は自分で自分を抱き、紘汰に背中を向けた。両の二の腕に爪が食い込む。

 

 

 ――そうしていると、背後で水を蹴る音がした。

 直後。ふわりと。咲は男の逞しい両腕に背中から抱きすくめられていた。

 

「紘汰、くん」

 

 締めつけるように回った両腕。密着する胸板。息遣い。紘汰の何もかもに鼓動が速くなっていく。

 濡れた体が熱を取り戻すほどに高揚する。拒むためのどんなアクションも起こせない。

 

「だ…め、だよ…コウタ、離し、て」

「やだ」

「ヤダって…! コドモみたいなこと、言わないでよ…っ、ねえ」

「離したらもう二度と触らせてくれなくなるだろ。だったら、やだ」

 

 抱擁はじわじわと強くなっていく。もはや拘束が苦しいのか、紘汰だから苦しいのか、分からない。ただ、熱くて、苦しい。

 

「っ…お、おねがい…やめて…心臓バクバクしすぎて…死んじゃうよぉ…っ」

 

 咲は懸命に訴えているのに、紘汰はこれっぽっちも聞き届けてくれない。こんなに強引な紘汰は今までになかった。

 

 どうして、と目尻に滲んだ水分は、雨の滴か、それとも。

 

 ヘキサの死を思い出しては錯乱する咲を、優しすぎる紘汰だけが見捨てなかった。

 

 紘汰は何十度なだめて、抱き締めてくれただろう。――そんな紘汰が、咲は大好きだった。本当に、心から、大好きだった。あるいは、親友であったヘキサより。

 

「……めん、なさい」

 

 気づけば口から零れた言葉。

 

「ごめんなさい…っごめんなさい! ごめんなさい、ヘキサ…っ! あたし、今、幸せで…っく、コウタいるから、コウタといられて、うぇっ…幸せ、で……ヘキサいないのに、幸せになってごめんなさいぃ…! うあ、あああああ…っ!!  あああん…っ!!」

 

 ――咲は泣いた。葬儀でヘキサの遺体を見てさえ泣けなかった室井咲が、初めて流した涙だった。




 これこそが、親友を知らない所でみすみす死なせた事実よりなお、咲を苦しめ続けた想いだったのです。
 咲の本質はあくまで「泣き虫」であって「おこりんぼ」は「泣き虫」を封印した擬態に過ぎないのです。本当の咲は、紘汰と付き合うようになって、ものすごく幸せで、でも幸せな自分が許せなくて、泣いて懺悔したくてしょうがない女の子だったのです。

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