切り裂きジャック〜乱世を斬る〜   作:東奔西走

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ものすごく話が書ける時とものすごく話が書けない時の波が激しいことに最近気づきました。
書きたいけど、思うように書けないって結構辛いですね。


第十九話 守る剣 殺す剣

翌日、日が昇るころには雷電たちは大和の国へと出発していた。

大和の国は、京から南部に位置するところにあり、そして柳生の庄は山城と大和の国境付近であることがわかった。

それほど長い時間はかからないだろう。

 

ふと、雷電は隣を歩いている高虎の顔を見た。

そこには、昨晩のような思い悩み沈み込んだ表情はなりを潜めているように感じる。

少なくとも表面上は。

昨晩、高虎は雷電に自らの悩み……『人を斬ることが怖い』という苦悩を打ち明けた。

相当悩んで、なおかつそれを押し込めていたのが、打ち明け話をする彼女の姿から嫌でも伝わってきた。

武士となる身で、これでは駄目であると……

でも、どうすれば良いのか自分ではわからないと……

嗚咽を交えながら語る彼女の声は、話が終わりを迎えるころには枯れきっていた。

 

彼女は先日の小谷城での騒動で、初めて人を斬った。

一部の例外を除いて、初めて人を殺してしまって平気でいられる人間はいない。

彼女もその平気でいられなかった、正常な人間の一人だった。

しかし、彼女の場合それが尾を引いてしまっている。

彼女が人を斬れなくなったと自覚したのは、先日のある出来事によるものだった。

 

先日悪漢に遭遇してしまい、何とか自分で対処しようと刀を抜き構えたらしい。

だが、その瞬間、あの騒動での出来事が脳裏に鮮明に流れ出したのだという。

そして、熊蔵を刺した時の感覚も手に甦り始め、しまいにはその時に漂っていた血の匂いまでも感じたらしい。

そこからはあまり覚えていないらしく、気が付くと近くにいた侍に助けてもらっていたと。

 

 

(……フラッシュバックか)

 

 

それだけ、あの日の出来事が彼女に深いトラウマを植え付けてしまっているということだろう。

彼女からその話を聞いた時、雷電は彼女の同行を拒否しなくて正解だった思った。

今の彼女を一人で旅をさせるのは、極めて危険である。

同行を彼女が願い出たのは、雷電から学びたいことがあるという理由だけではなく、おそらく彼女も不安があったのだろう。

 

 

(克服させてやれるだろうか……。本当ならば、戦場から遠ざけてやりたいが……)

 

 

高虎の場合、そう簡単には行かないだろう。

この戦国乱世の時代、それも武家の生まれとなれば、戦えないと言えば『臆病者』のレッテルを貼られるだろう。

特に彼女は、熊蔵を討ったことで長政をはじめ、浅井家の者たちから期待をかけられている人間。

何より、彼女自身が戦場から遠ざかることを拒んでいるように思える。

 

 

(難儀なことだな)

 

 

一応、小谷城へ帰ったら父である虎高に言うべきだとは言ったが、その時の彼女の反応を考えるとちゃんと伝えるかどうか怪しいものだ。

先の高虎の手柄を最も喜び、今後に期待を寄せているのは他でもない父親の虎高である。

そして、常々父親に認めてもらいたがっていた彼女も、その期待に何として答えようと奮起していた。

そんな彼女が期待をかけてくれている父親に『もう戦場に出たくありません』などとは言いにくいだろう。

 

 

「先ほどから難しい顔をなされてどうされたのですか?」

 

 

お前のことを考えているのに、『どうされた?』はないだろうと苦笑いをする雷電。

何かを察したのか彼の苦笑いを見た瞬間、高虎は申し訳なさそうに顔を伏せてしまった。

昨晩、雷電に思いを吐露して少しは気が楽になったかも知れないがやはり不安は拭えないだろう。

そうして林街道を黙々と歩く二人だったが、不意に高虎が雷電ことを見上げながら尋ねてきた。

 

 

「……雷電殿は、人を斬ることをどのように克服されたんですか?」

 

 

思わず黙り込む雷電。

以前、高虎が熊蔵を斬った時、彼女は初めて人を斬ったことにより吐いてしまった。

そんな自分を『情けない』と嘆いている彼女に雷電はこう声をかけた。

『初めて人を斬って平気なやつなんていない』と、それに対して高虎はこう問い返してきた、『雷電殿もそうだったんですか?』と。

その時、雷電は『ああ』と肯定したが、実際は覚えていない。

 

だが、少年兵時代に『白い悪魔』と恐れられていた雷電が多くの命を奪っていたのは事実。

そうなってしまった一つの理由としては、殺戮を強要されていたことがある。

敵兵はもちろん、捕虜や民間人の殺害も強いられ、また銃を持つことを拒んだ他の子供たちが殺害されるのを目撃していた当時の雷電は、いつしか平気で人を殺せるような少年へと変貌していた。

おそらく、これが雷電の人を殺すことの克服の仕方だった。

 

 

(……こんなもの彼女に教えられるわけが無い)

 

 

それが彼女を思ってのことなのか、それともそんな自分の過去を彼女に知られるのが嫌だったのか。

どちらなのかは雷電自身にもわからないが、これだけはハッキリと言えた。

 

———彼女を自分のような人間にはさせたくない。

 

 

「昔のことだからな。済まないがあまり覚えていない」

 

「そうですか……」

 

 

だから、そんな返答しか彼女にしてやれることができなかった。

自分に彼女の『人を斬ることの恐怖』を正しく克服させることができるのか?

自分では、彼女を歪めてしまうのではないか?

そんな不安が雷電にはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

「雷電殿……あの、そろそろ日が暮れそうです」

 

「……」

 

「先ほどの茶屋の主人の話ならば、すでに着いていているはずですが……」

 

「……」

 

「あの……認めませんか? 迷子になったんですよ」

 

 

日が暮れようとしている中、雷電たちは未だに柳生の庄にたどり着けずにいた。

昼時に立ち寄った茶屋の話では、あと一刻ほど歩けば着くという話だったのだが、一刻どころか二刻、三刻経っても柳生の庄どころか人里すら見つけられずにいる。

高虎の言う通り、完全に迷ってしまった。

高虎についてあれこれ考え込みながら歩いていていたせいで、分岐路で道を間違えてしまったのかもしれない。

というよりもそれしか考えられない。

 

 

「俺ともあろう者が道に迷うなんて……」

 

「ま、迷子くらい良くあることですよ! 私なんてしょっちゅう迷子になりますからね!」

 

「……頼む、迷子っていう言い方止めてくれないか」

 

「あ、はいぃ」

 

 

ひとまず来た道を戻ることにした雷電たちであったが、暗くなり始めているため、近くの宿を探すことにした。

……だが、近くに宿は無く、仕方なく二人は野宿をすることに。

ひとまず暖をとるために火を起こし、「食料調達だ」と出ようとした時、高虎が座り込んでしまった。

 

 

「おい高虎、食糧調達にいくぞ。立て」

 

「……お腹が減りすぎて、力が入りません」

 

「駄々をこねるな。その腹を満たすための食料を今から取りに行くんだろう。第一、昼食べただろうに、ほら行くぞ!」

 

 

と高虎の手を握って立たせとうとした雷電だったが、手を引いた途端彼女がコテンッと転んでしまい、おまけに盛大にお腹を鳴らして立とうとしない。

握っている手も完全に虚脱状態で、骨が抜けてしまったのではないかと思えるほどダルン、ダルンとなっている。

 

 

「なんて燃費の悪いお嬢さんだ」

念卑(ねんぴ)? 何だかわからないですけど、小馬鹿にされたような気がします」

 

「……口だけは動くんだな」

 

「口が動かなくなる時は死ぬ時です。何も食べられなくなりますから」

 

 

口を動かすエネルギーを今は他の所に使え、と吐き捨てた雷電は仕方ないので一人で食料調達に向かった。

高虎にはその場で待機し、火が消えないように見張ってもらうことにした。

燃えそうな枯れ木は火の近くにストックしてあるため、今の彼女でもそれくらいはできるだろう。

火から出る煙は目印になるため、火を絶やしてもらっては食糧調達から戻るときに困る。

 

近くに川や湖でもあれば魚にありつけるかもしれないが、あいにく近くに魚が居そうな水場は無かった。

魚が駄目ならばキノコや山菜、獣肉を探すことにした雷電だが、そこまでキノコや野草の知識があるわけではないため主に猪などの獣を探すことに。

 

少し林街道を抜ければ、樹齢の経っている樹々が密生に木立している。

おかげで空は覆われ、月の光がここまで届いてこない。

薄暗い中を視覚以外の感覚も澄ませながら、注意深く歩を進めていく。

 

しばらくすると、雷電の前に何かうごめくモノが現れた。

もぞもぞと動いていたそれは、雷電の方へと向きを変え、二つの眼光がチラチラと見え隠れする。

そして、数度の地をかく音が聞こえたかと思った瞬間、眼光が急接近してきた。

片手を突き出した雷電に激突したことで、互いの姿が良く見え、相手の正体が猪であることがわかった。

今、猪は雷電の片手で止められている状態であり、なおも地面を足でかいて前へ進み雷電を轢こうとしている。

だが、全然まったくびくともしない雷電。

 

 

「……ふむ、大きさは申し分ないな。猪の肉は初めてだが、まあ大丈夫だろ。……良い夕飯になりそうだ」

 

「フゴッ!!?」

 

 

明らかに雷電の言葉にリアクションを見せた猪。

まさか、彼の言葉を理解したわけではないだろうが、おそらく本能的に目の前の人間(雷電)が自分を食おうとしているというのを感じ取ったのだろう。

そして、そこからこの猪は驚きの動きを見せた。

 

もの凄い勢いでバックし始めたのである。

後ろに向き直ってから走り出したのではなく、目を雷電に向けたまま突進する時と遜色ない速さでバックしだしたのだ。

後にも先にも、このような動きをした猪はこの猪が初めてなのではないだろうか。

諸突猛進を真っ向から否定するような動きである。

 

 

「待て……どこへ行く?」

 

「フゴッ!? フゴーーッ!!」

 

 

しかし、風前の灯火に見せた猪の奇跡的な動きも雷電の前には無意味だった。

あっという間に接近され、がっしりと掴まれてしまった。

 

 

「さあ、連れの腹ペコ娘が腹を空かせて待ってる。戻るぞ」

 

「フゴォォ~~~~ォオッ!!」

 

 

息の根を止めることなく雷電は猪を担ぎ上げて高虎の元へと帰ろうと踵を返した時、上空に目がいった。

 

……煙が消えている。

 

一瞬頭の中が真っ白になるような感覚に陥り、そして急速に覚醒した。

嫌な予感がする。

雷電は来た道を急いで戻り始めた。

小走りで来たルートを辿っていたが、時間が経つにつれて高虎に対する心配が高まり、徐々に走る速度を速めていく。

しまいには、先ほど捕まえたばかりの猪を走るのに邪魔だからと脇に投げ捨ててしまった。

解放された猪は、光のような速さで雷電とは逆方向へと逃げて行ったが、そんなものは目に入っていなかった。

 

 

(一人にさせるのは危険だと考えていたばかりだというのに……!)

 

 

雷電が心配していることは、彼女が一人でいる時に賊に襲われること。

彼女の身を守る意味でも同行を許可しておきながら……、それで彼女に何かあったら、とんだ大間抜けだっ!

森の中を縫うように走り抜けていく中、雷電は自分の愚かさを思い歯噛みしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

時間は少し遡る。

 

火の見ておくようにと言われた高虎は、枯れ枝を右手に持ちメラメラと燃えている火を眺めていた。

適当な間隔で枯れ木を放り投げては、次の枯れ木を拾い上げる。

彼女の視線は火から火に照らされて綺麗な朱に染まっている手へと移し、ボ~ッと眺める。

 

パチパチと火が立てている音色が次第に遠のき、右手に持つ枯れ木が次第に太く形を変え、刀へと変貌しだした。

あれっ? と弾かれたように顔を巡らす高虎。

先ほどまで自分は森の中にいたはず……

だが、今はどういうわけか四方を襖で閉め切られている座敷の中に立っており、目の前にあったはずの火もなくなっている。

困惑する中、ふと右手に気持ちの悪い違和感を覚え、目の高さまで持ってくる。

 

 

「……ひぃっ!!」

 

 

そこには、先ほどのような綺麗な朱色ではなく、赤黒く肌にまとわりつくようにベッタリと付着しているものがあった。

 

 

「……血」

 

 

体が重い、だるい、寒い…………怖いっ!

それが血だと認識した瞬間、高虎は体に重圧がかかったような感覚に陥った。

まるで四肢におもりでも付けられたかのように動かず、そして全身の震えが止まらない。

震える体を抑え込むように身を屈めた高虎の視界にある人影が映った。。

 

胸から血を流し、膝立ちの男。

高虎がいつまで経っても忘れることが出来ない光景が目の前に広がっている。

 

 

「熊蔵……殿」

 

 

そこには、高虎が殺めた人物である熊蔵が瀕死の状態で佇んでいた。

 

 

『……喜べ源助よ。我を"討ちとった"今宵の功明第一は、そこにおる"藤堂与吉"だ』

 

 

高虎の目の前にいる熊蔵は虚空に向かってそう語り掛ける。

その言葉は、熊蔵が高虎の父、虎高へと放った言葉だ。

 

 

『……喜ベ源助ヨ。我ヲ"打チトッタ"今宵ノ———』

 

 

その言葉が何度ともなく続けて高虎の頭の中に響き渡る。

耳を塞ぎ、目を瞑り、殻に籠るかのように身を丸くする高虎。

だが、依然止まることなく頭の中に響き続ける声に高虎は半狂乱になって叫んだ。

 

 

「……もう止めてよっ!!!」

 

 

声が止んだ。

いきなりおとずれた静寂に高虎は、身を丸くしたまま様子を伺った。

しばらくしても何も起こらないことを確認した高虎は、ゆっくりと耳から手を放し、目を上げた。

 

 

 

 

 

熊蔵がこちらを見ていた……

 

心臓が止まりそうになるほどの恐怖が高虎の身に圧し掛かり、あまりのことに顔を強張らせている彼女に熊蔵は彼女の眼の奥を射抜きながら言い放った。

 

 

『……我を"殺した"——の——は、そこにおる"お前"だ』

 

 

 

 

 

「……はっ」

 

 

一瞬にして暗転した視界が元に戻った時には、元いた森の中へと戻っていた。

自分が人を斬れなくなったと自覚してから、何度も見た悪夢である。

……疲労で体が重い、悪夢から覚めるといつもこうだ。

 

先ほどよりもあたりが暗くなっていると感じ、火を見てみると火が枯れ木に埋もれてしまうほどに弱まっている。

枯れ木を足すなりして、火を強めようとした高虎の耳に草をかき分ける音が入ってきた。

雷電殿が帰ってきたか? と視線を巡らすと……いた。

雷電ではなく、知らない男がこちらへと近づいてくるのが見えたのだ。

それも一人ではない、ぞろぞろと複数の男たちが列をなすようにしてこちらへと向かってくる。

全員で五人、どれもこれも人相は悪く、人の良さそうな人物はいなさそうだ。

 

 

「何者だ?」

 

 

右手に持つ枯れ木を捨て、刀の柄へと持っていき警戒する高虎だったが、手が柄に触れた瞬間、背筋に寒いものが一瞬走った。

構えを取っている高虎の心情など知りもしない男たちは、ずかずかと彼女との距離を詰めていく。

それに合わせ、高虎は距離を少しずつ離していく。

 

 

「へへ、嬢ちゃん。一人でどうしたんだ?」

 

「こんなところで野宿なんざしたら、悪ぅ~い輩に襲われちまうぜ? 俺たちは守ってやろうか?」

 

「ついでに怖くないように添い寝でもしてやるよ。へへへ」

 

 

下卑た笑いを浮かべた男共がなおも高虎へと近づいてくる。

男たちは全員帯刀しているようだが……女一人だと油断しているのか隙だらけであった。

人数は多いが、隙をついてやればこの程度の人数差は覆せる自信が高虎にはある。

……いや、あった(・・・)

今の高虎は以前のように刀を扱える自身はなかった。

 

 

「く、来るな下郎っ!」

 

 

全身に走っていた悪寒を叫ぶことで振り払い、刀を抜き放った。

抜刀したことで虚をつかれたように大きな隙を見せた男たち、そのまま攻めれば制圧できる。

だが、そこから男たちに斬りかかるところまでは行けなかった。

再び悪寒が……、それも先ほどよりも激しく、身が震え上がりそうなほどのモノが高虎の身を襲う。

体の震えは何とか抑え込むも、剣先の震えまでは抑え込めなかった。

 

 

「おいおい何だそりゃっ! 剣先ガタガタじゃねえか」

 

「驚かせやがって……。その様子だとろくに刀を使えねえんじゃねえか?」

 

「その刀は見せかけの刀ってか」

 

 

男たちに言いたい放題言われ、悔しそうに唇をかむ高虎。

人を斬ることに恐怖など感じなければ、このような輩など敵ではないのに……

こんな賊ごとき相手に……

なぜ私の体は動かないっ!

 

 

「んっ……おい。何だその目は?」

 

 

人を斬ることに対する恐怖に陥っている中、目だけは敵を射殺すが如く光っている。

その目が気に入らなかったのか、一人の男が微かに青筋を立てながら高虎へと距離を詰めた。

 

 

「全然俺たちなんか怖くねえってか?」

 

「当たり前だ。貴様らなど怖くなどないっ!」

 

「ふん、ガタガタ体震わせてる小娘が生意気言いやがる。じゃあ、俺たちの怖さってやつを存分に教え込んでやるよ、その体に。……ついでに刀の使い方も教えてやる」

 

 

スラッと無造作に刀を抜き放った男を目にした高虎は、震えている切っ先を男へと向けて備えた。

男はというと、そんなもの気に留めていないかのように少しずつ近づいてくる。

 

 

「おい、勢いあまって殺したりするなよ? 楽しみが減っちまう」

 

「心配すんなよ、殺しはしねえ。軽く痛めつけるだけだ。まあ、多少の傷は大目に見ろよな」

 

「……たく、お前はいつもいつも」

 

 

話を聞けば聞くほどふざけたことを言う輩たちである。

怒りがこみ上げてくるが、一番許せないのはそんな奴らを前にまともに動けないでいる自分だ。

気が付くと、抜き身の刀を手に持った男がすでに高虎の目の前まで来ていた。

 

 

「こんな怖くてガタガタ震えているだけの刀なんざ、棒切れほども役に立たねえな」

 

 

そう言うや否や、高虎の刀をひったくりそこらへ投げ捨てられてしまった。

何の抵抗も無く、刀を奪われた高虎を見ていた男たちはとうとう声を上げて笑い出した。

 

一体、私は何をしているんだ? 何もせずに刀を敵に奪われ、何もせずにこうして男の前で立ち尽くしている。

目の前の男どもを斬り伏せようという思いはあっても、それを行動に移せない。

そして、本当に何もできないまま男が刀を振り上げる姿を眺めていた。

 

 

「よく見ておけよ。これが刀の使い方だっ!!」

 

 

上段から振り下ろされた刀を見届けた瞬間、高虎の視界は真っ赤に染まった。

 

 

「———ぐわああぁぁっ! 腕が、腕がああぁぁ……っ!」

 

 

突如、男の悲鳴が耳に届くが前が見えなくて何が起きているのかわからない。

それに可笑しな感覚が右手にあった。

右手に何かが握られており、右手は大きく上へと振りぬかれているような形になっている。

左手で目元を拭い確認すると、そこには脇差が握られていた。

その脇差には血が滴っており、前を向けば右腕を斬りおとされた男が泣き喚いているのが見えた。

 

誰がどう見ても、あの男の腕を斬ったのは高虎である。

だが、高虎には脇差を抜き放ったことも相手に斬りかかったことも覚えていない。

しかし、右手には肉を断った時の感覚がジワジワと残っている。

完全に無意識のうちにやっていた行動のようだ。

目の前の男を斬った……、そのことを自覚した瞬間、高虎が最初に感じたことは……

 

———「わずかな達成感」

 

あれほど人を斬ることが怖くて出来なかったのに、それが今出来てしまった。

無意識のうちとはいえ、私は人を斬る恐怖を乗り越えたのだっ!

思わず笑みがこぼれた高虎の姿に残りの男どもは瞬く間に戦慄した。

 

だが、「わずかな達成感」の後に臓腑をえぐるような気持ち悪い感覚が波のようにおとずれ、その笑みも歪められた。

そして、以前と同じように吐いてしまい、呼吸も乱れていった。

 

 

「ちくしょう、痛てえっ! このクソ餓鬼いいぃぃっ!!」

 

 

腕を斬られのたうち回っていた男は、痛みと怒りで激しく顔を震わせながら高虎に近づき、怒りに任せて残っている左腕を一杯に使って高虎の顔を殴りにかかった。

まともに動くことができない今の高虎には、それを避けることはできず、もろにその拳を受けてしまい倒れ伏す。

焦点が定まらない、吐き気がする、息が苦しい、いま自分がどういう状態なのかまったく把握できないでいる高虎。

そんな抵抗もままならない状態の高虎に、未だ怒りが収まらない隻腕の男は彼女に暴行を続けた。

ひとしきり殴る蹴るなどの行為を終えた男は、落ちている高虎の脇差を拾い上げた。

 

 

「はあ、はあ……。ふざけやがってこの餓鬼っ! 殺してやる」

 

 

男の仲間が落ち着けなどの声を掛けているがまったく耳を貸そうとしない。

仲間の声が聞こえないほどに激昂している男は、意識が薄れていく高虎に馬乗りになって脇差を振りかざした。

自分をめった刺しにでもする気なのだろう、まるで他人ごとのように考えている高虎の意識はもう限界だった。

 

 

「いま見せてやるよ。刀の使い方ってやつをなああぁぁっ!!」

 

 

絶叫しながら振り下ろされる脇差の切っ先が自分の胸へと迫るのを朦朧とした意識で見ていた。

これで私は死ぬのだな、と高虎は覚悟を決めた……

 

……だから、脇差の刃が胸へと埋まる寸前で刃が止まり、男の体が横倒しなったのは自分が生み出した都合の良い幻なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

本当に危機一髪だった。

 

高虎に馬乗りになった男が彼女を刺そうとしているのを目撃した瞬間、雷電は男の頭めがけてナイフを投擲し、彼女が殺されるのを防ぐことができた。

 

 

「っ!? 仲間が居やがったのかっ!」

 

 

雷電の出現に動揺して、何か叫んでいるが「そんなことよりも高虎だ」と彼女に駆け寄り彼女の姿を見た雷電の表情が完全に固まる。

散々男に暴力を振るわれた彼女はボロボロであり、微かに開けている瞼から見える瞳はまるで何も映していないかのように虚空を眺めているようだった。

そんな彼女の姿を見た雷電は、沸々と怒りがこみ上げてくるのを感じた。

 

 

「……この子に手を出したのは、間違いだったな」

 

「ひっ!? お、おおお、お前なんだそれっ!?」

 

「赤いッ———!!」

 

 

賊の一人が言葉を紡ごうとした刹那、首が宙高くへと飛ばされていた。

その傍らには、赤い光の帯のようなものを纏った雷電が……

次の標的へと視線を送る、笠の陰から覗けるその瞳もまた赤く発光しており、まるで彼の怒りを表しているかのように禍々しかった。

そして、その表情はまさに"鬼"、残りの男たちはかすれるような悲鳴を上げるだけである。

男たちは、鬼の子に手を出したも同然だったのだ。

 

 

「ま、待ってくれっ! 俺たちはその餓鬼に一切手を出してない。あんたが最初に殺った奴が一人で勝手にやっていたことなんだ。だから頼む、俺たちのことは見逃しっ———でっ!」

 

 

言い終わる前に男の胴は薙がれ、痙攣しながら倒れ伏した。

 

 

「後生の頼みであろうと、俺はお前たちを許す気はない……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

「……うっ……ん」

 

 

心地よい揺れを感じ、高虎のまどろんでいた意識が少しずつ回復していく。

まどろむ瞼はまだ重く開くことが億劫であり、高虎は目を閉じたまま、しばらくその揺れに身を任せた。

体勢的に自分は誰かにおぶられているのがわかる。

誰が? というのは、今の曖昧な意識の中では考えることが出来なかった。

ただ、とても大きく力強い、その背中は昔父上におぶられていた時のことを思い出させる。

そんな安心感があった。

 

 

「……父上?」

 

 

思わずそうこぼしながら目を開いた高虎の目の前に現れたのは、父親の虎高の横顔ではなかった。

 

 

「気が付いたようだが……、まだ寝ぼけているみたいだな。ホームシックか?」

 

「らっ!? ららら、らい、雷電殿っ!?」

 

 

眼前に現れた雷電の横顔に高虎は声を裏返らせて後ろにのけ反った。

おかげで雷電は倒れそうになるほど後ろに傾いたが、何とか踏ん張って耐える。

雷電の横顔を見たことで眠気が吹き飛び、ようやく今の状況がハッキリとわかった。

……と同時におぶられているということと、先ほど寝言を聞かれたことから赤面し始めた。

それを横目で確認した雷電は、安心したかのように微笑んで前を向き直る。

 

 

「……ちゃんと口も動くみたいだな、安心したよ」

 

 

雷電のその言葉に高虎も思わずという風に微笑んだ。

……だが、それも雷電の肩や頭髪に血が付着しているのに気が付くと引っ込んでしまった。

この血の正体など、深く考えるまでもない。

自分は賊に襲われ、ろくな抵抗も出来ないまま殺されそうになったところを雷電殿に助けられたのだろう。

あの時、私が出来たことは無意識のうちに賊一人の腕を斬り捨てたのみ。

そこからは、またも人を斬ったことによる恐怖で体が動かなくなってしまった。

……なんて不甲斐ないっ!

 

 

「……くっ、うぅ……」

 

 

自分のあまりにも不甲斐なさに高虎は、またも雷電のそばで涙を流した。

それに対して雷電は、特に慰めの言葉をかけることはなかった。

だが、心なしか高虎をおぶっている腕にかけている力が強まっている。

言葉の無い優しさを感じた高虎は、しばらくの間、雷電の肩を静かに濡らし続けていた。

 

 

「私……本当は人前で泣いたりするのはすごく嫌なんです。子供だと見られたり、自分の弱さを相手に見られているようで……」

 

 

静かだった彼女が唐突に口を開いて、雷電の耳元でささやくように語りだす。

 

 

「でも……、何ででしょうね。雷電殿のそばだと、気が緩むというか、安心しきってしまうというか。我慢できなくなってしまうんです色々と……」

 

 

最初は恥ずかしくて体を極力離しておぶられていた高虎だったが、徐々に雷電に身を預けるようになり、今では完全に雷電の背中に体重を乗せてリラックスしている。

 

 

「どこか父上のような父性……、温かみのある頼もしさを感じます。雷電殿から……」

 

「父性……か」

 

「この背中も父上にそっくりで、とても安心します」

 

「……ふふ、光栄だ」

 

 

まさか、突然そんなことを言われるとは思わなかった雷電は、本当に嬉しそうな声でそう言った。

自分にも父性というものが、ちゃんとあるんだな。

それを確認することができたのが、本当に嬉しかった。

 

この子は、今後も誰かと刃を交えるような状況に陥る度にこのような苦しみを味わなければならないのか。

出来ることならば、ほんの少しでもいい。

わずかな光明でも、彼女に与えてやりたかった。

だから、雷電は……自分にこんなことをする資格があるのか分からなかったが、彼女に一つの道しるべを与えた。

 

 

「高虎は、もし次に刀を抜かざるをおえない状況になったら、大切な人を思い浮かべろ」

 

「大切な……人?」

 

「そうだ。家族や友人、民。お前が死なせたくない、悲しませたくない、守りたいと思う者のために刀を振るえ」

 

「大切な人を……守るために……」

 

 

高虎には、何か刀を抜く"意味"が必要だと雷電は感じた。

"意味"はやがて"意志"となり、それが刀を抜く助けになると……

"守る"という"意味"を彼女には見出して欲しい、"殺す"という"意味"ではなく。

 

 

『そんなものは薄っぺらい建前だ。何かを"守る"なんて言い分は、人殺しを正当化するための免罪符でしかない』

 

 

雷電の言葉を否定する言葉が、頭の中に響く。

否定はできない……だが、そんな薄っぺらい建前でも"殺し"を目的とするより良い。

それに彼女は、自分とは違う。

人を殺すことを楽しんでいた過去を持つ自分とは……

 

 

「でも、その人たちにも……。いえ、やっぱり何でもないです」

 

 

高虎が何を言おうとしたか、だいたい想像できる。

何かを守るために殺めた相手も、何かを守るために戦っているのでは?

そんな、ことを聞こうとしたのではないだろうか。

結局、みんな"自分"であったり"仲間"だったり、"名誉""富"など何かしらを守るために戦っている。

自分にとって大切なモノを守ろうとしている者同士の戦いは、言ってしまえばエゴとエゴのぶつかり合いである。

 

 

「剣ですべての者を守ることはできない。剣はあくまでも人殺しの道具だからな」

 

 

いくら考えたところで、どんなに突き詰めたところでそこは変わらない。

人を殺すことの罪悪感から逃れるには、それを上回る強い意志が必要なんだ。

もしくは、人を殺し続けて感覚がマヒするかだ……

 

 

「……まだ、人を斬ることは怖いです。だけど、雷電殿の話を聞いて何か分かった気がします。今度戦いになった時には雷電殿の言葉を思い出してみようと思います」

 

 

これで良いのかはわからない。

俺が教えたことが彼女を良い方向へと導いてくれるという確証もない。

だが、肩越しに映る彼女の迷いが晴れたような笑顔を見た瞬間、雷電の中の不安が薄らいでいくのを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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翌朝

 

雷電たちは結局のところ野宿することとなり、目を覚ました所は林道から少し外れた林の中だった。

すやすやと眠る高虎の顔には、昨日の出来事で付けられた傷がある。

それほど深いものではないため、いずれ消えてくれるだろうが……

 

 

(やはり、彼女は小谷城へと帰すべきだろうか……)

 

 

雷電としては、彼女を小谷城へと帰してことの顛末を父、虎高と話し合うべきだと考えている。

そんなことを考えていた雷電の耳がガサガサと音を立てながら、何者かが接近してきているのを感じ取った。

すぐさま高虎のそばにより、備える雷電。

そこに飛び出してきたのは、なんと椛だった。

 

 

「やっと見つけたっ!」

 

「椛……! お前がどうしてここに?」

 

「それはこちらの言葉です雷電様。なぜあなたが大和の国にいるのですか? いえ今はそれどころではありません。信奈様から至急の連絡が……!」

 

「信奈から?」

 

 

椛にしては珍しく焦っている様子。

そこから信奈からよほど重要な連絡が来ているのだろうという予想がついた。

 

 

「川中島でにらみ合いを続けていた武田、上杉が和睦。そして、武田信玄が上洛の動きを匂わせている模様。これ以上本国を留守にするわけにはいかないと、明智光秀殿をはじめ、一部の兵を京へ残し、岐阜城へと帰還することに。それに伴い、雷電様にも岐阜城への帰還するよう命が下りております」

 

「武田信玄か……。岐阜には確か道山がいたはず、それだけでは持ちこたえられないのか?」

 

「無理です。武田軍の武田騎馬軍団は恐るべき強さ。織田、松平、浅井、全軍で当たっても、本気になった武田信玄に勝てるか怪しいところです。武田が上洛を始める前に美濃の防備を固める必要があります」

 

「……それほどまでに強大な敵なのか。武田信玄っていうのは」

 

 

武田信玄。

名前だけならば、この時代に来る前にも知っていた。

 

だが、その強さのほどまでは雷電は良く知らなかったため、武田が攻めてくると言われても危機感があまり持てなかった。

しかし、全軍で当たって勝てるか怪しいとなると流石の雷電も危機感を覚えた。

 

 

「休暇なんて取っている場合ではない、ということか」

 

 

正直、目前にまで迫っている柳生の庄に向かえないのが心惜しいが仕方ない。

今は岐阜へと戻るべきだ。

そう決心している雷電の傍らで、椛が寝ている高虎の存在に気が付いた。

 

 

「高虎殿もご一緒だったのですか? それにしてもこの傷は……」

 

 

寝ている高虎のそばに腰を降ろし、顔の傷を触れぬように指でなぞる。

そこでようやく高虎も目を覚ました。

 

 

「?? あれ、なんで椛殿が?? ……ああ、私ったらまた寝ぼけて」

 

 

寝惚け眼をこすり、両頬を手でパチンッパチンッと二度叩いて眠気を吹き飛ばして、もう一度椛を見上げる。

 

 

「?? ……なんで椛殿がまだここにいるんですか? ……ああ、私ったらまだ寝ぼけて」

 

 

そう言うともう一度、寝ぼけ眼をこすり、両頬を二度パチンッパチンッ———

 

———バチンッ!!

 

 

「痛っったああぁぁいっ!!?」

 

「一体何回やるつもりだ……」

 

 

二度頬を自分で叩いた後に、不意打ちのように雷電の強烈な挟み込みビンタを食らった高虎。

あまりの痛さに絶叫しながら、転げまわっている。

おかげで眠気など塵ほども残らず吹き飛んでしまった。

 

 

「……雷電様、高虎殿は顔に怪我をされているのによくあんな真似ができますね」

 

「いや、つい……な?」

 

「容赦がないというか、なんというか……。ともかく、急ぎ岐阜城へと向かう準備を」

 

 

高虎に同情しつつも、出立を急かす椛。

柳生の庄へは、またの機会に持ち越し、今は急ぎ岐阜の道山に合流しに向かわなければ。

高虎は、道すがら小谷城へと帰すことに。

 

 

「ひとまず、ドクトルの元に戻るか」

 

 

一度、ドクトルの所により、それから美濃へと向かうことに決めた。

ようやく痛みが引いて落ち着いている高虎に手早く状況を説明し、三人は京へと足を向けた。

 

 

 

 

 




次回は原作沿いの話となります。
最近、原作のキャラが全く登場させていないことに少々焦っています(汗)

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