だいぶ間を空けてしまい申し訳ないです。
できる限り一月に一話は投稿するというペースで頑張りますがどうしても追いつかないことが今後出ると思うのでご了承ください<m(__)m>
小谷城
北近江の戦国大名である浅井長政は、居城である小谷城の一室にて一人の家臣の進言に目を閉じながら耳を傾けていた。
その顔は美男子と言われるとおり、整った顔立ちであり、一見すれば女のように見えるほど美しいものだ。
しかし、今の彼はあることで悩んでおり、その顔から甘いマスクはなりを潜めてしまっている。
その悩みと言うのが目の前で長政に進言をしている家臣の男。
「殿、どうか市姫さまを尾張へと返し、織田との縁をお切りくだされ。織田信奈はこの近江を併呑するつもりにございます」
男の進言を一通り聞き終えた長政は内心ため息をついた。
この男、田部熊蔵は古くからの浅井家臣団の者であり、その名は豪の者として知られている。
その熊蔵と長政はつい先日、長政が織田信奈の妹、市姫を嫁に迎えてから不仲になってしまっていた。
熊蔵は事あるごとに市姫を送り返し、織田との縁を切れと進言してきているのだ。
何度目かの進言を聞き終えた長政は、重く閉じていた瞼を開き熊蔵を見ると口を開いた。
「何度も言うが私は織田との同盟関係を切るつもりは毛頭ない。故に市を姉上の元に返す気もない」
これも何度も言った言葉である。
そして、その返答を聞いて熊蔵が渋い顔をするのも毎度おなじみとなっていた。
いつもと変わらずの返答を聞かされた熊蔵は渋面を保ったままその場を後にした。
その後ろ姿を見ていた長政は今度は小さくだが、実際にため息を吐き、熊蔵に対し警戒心を覚えた。
(やはり早々に熊蔵の対処を考えるべきか。奴の叛意は家臣たちの統率を乱しかねん)
主君である長政の意向に背くような発言を繰り返す熊蔵の行いは、浅井家にとって決して良いものではない。
それに熊蔵の様子を見ると、そのうち何か行動を起こすのではないかという一抹の不安が生まれるのであった。
その夜、長政は小谷城の山頂にあたる場所に設けられた長政専用の湯舟に浸かり、このことを一人でゆっくりと考えふけっていた。
長政専用ということもあり、この場所には誰も近づかない。
入ってきたものは、問答無用で斬り捨てると家臣たちにも言っており、しかもこれには前例があるため誰もが近づこうとはしないのだ。
そのはずのなのだが……
背後からパチャッという音に考えふけっていた長政は反射的に振り返り、立ち昇っている湯気の中に写る人影を注視する。
本来ならばこの場に侵入してきた時点で、首をはねてやるところなのだが、最近では無闇やたらに斬りかかるわけにはいかない事情ができたのだ。
実は長政以外にも例外として一人、この湯船に入ることができる人物がいる。
「……誰だ?」
もしもの場合のため、長政は構えをとりながら影に向かって問いかける。
そして、帰ってきた声は底抜けに明るい、
「僕だよ、勘十郎だ」
そう言って立ち昇る湯気から姿を現したのは、一糸纏わぬ姿の津田勘十郎信澄だった。
なぜ彼がここにいるかと言うと、姉の信奈の命によって浅井長政の妻としてここに送られていたからだ。
そう、つまり彼こそが先日長政が妻として迎えたお市姫なのである。
そして、信澄の姿を確認した長政は斬りかかるわけでもなく、声を挙げることもなく。
微笑みながら湯船に浸かろうとしている信澄の元に寄り添おうと近づいた。
なぜ長政は市の正体が男である信澄であることに驚かずにいられるのか。
答えは簡単、数日前にひょんな出来事から知ってしまったからだ。
ではなぜ、長政は男と知ったうえで信澄をこうして湯船に浸かることを許し、受け入れているのか。
彼が男色漢だから? 否、そもそも
なぜならば、浅井長政は……
「それにしても、今日の君は浮かない顔をしている。それでは折角の美しい顔を曇ってしまうよ」
「うぅ……、勘十郎やはり面と向かって美しいなどと言われると気恥ずかしいのですが……」
「何を言うのさ。僕は正直者、美しい
「いや……、可笑しい、可笑しくないの問題ではなく……」
「うーん、まだ慣れないかい? まあ、長いこと
『女性』 『男を演じる』
そう、浅井長政は男装し男を演じていた、姫武将だったのだ。
湯から覗ける長政の体は、確かに男のような筋肉質の体ではなく、腰はくびれ、胸には豊かな乳房、と女性らしい体つきをしている。
つまり、この夫婦は男女逆転夫婦というわけだ。
先ほどのひょんな出来事というのもこの場所で起きたこと。
この湯船で二人は互いの真の性別を知り、信澄はその時に長政の男装をするようになった経緯を聞いた。
彼女は六角承禎の元に人質として住まわされていた過去があり、それが関係しているらしい。
ともあれ、彼女の過去の事を聞いたうえで信澄はある提案をした。
それは『二人きりの間は、女の子に戻る』というものだ。
二人きりの時は、信澄は長政のことを『お市』と長政は信澄のことを『勘十郎』と呼び合うようになり、二人はまさに夫婦円満といった仲へとなるにはそう時間はかからなかった。
長政は普段の毅然とした口調ではなく、女性らしい丁寧な言葉遣いで話し、今ではこうして仲良く風呂を一緒にするようになっている。
長政はまだどこか恥ずかしそうにする仕草があるものの、信澄のことを拒んだりするようなことはなく、信澄は当然というか、遠慮なしに肩を抱いたり、腰に手を回したりとしている。
このイチャイチャぶりを良晴が目撃したら、未来人お決まりのセリフを吐くこと必定である。
最近では、一人で考え込んでいた所に信澄が加わると、長政は信澄にも思い悩んでいることを打ち明け二人で考えるといった流れとなっていた。
別に信澄が気の利いた助言を出してくれるわけではない。
しかし、一人で思い悩むより、こうして誰かに打ち明けることで不安などを無くしたいのだ。
今夜も信澄に熊蔵のことなどを聞いて聞かせた。
彼の返答は「なんとっ!」とか「そうなのかい」といったものだったが、彼女にとってそんななんてことない言葉でも不安を取り除くには十分だった。
(勘十郎と一緒にいると……落ち着く)
こうして信澄と共にいる時間が楽しくてたまらない、信澄が恋しい。
長政はこのような自身の感情から、ある結論に至るまで時間はかからなかった。
(私は勘十郎に心底惚れているのだろう)
ーーーーーーーーーー
悩みの打ち解け話を終え、ただのおしゃべりとなり始めたころに長政はあることを思いだした。
「そういえば、勘十郎。少しお尋ねしたいのですが」
「んっ? なんだい?」
「"白鬼"……いや、雷電殿とは一体、どのような方なのですか?」
「えっ、雷電殿? 急にどうしたんだい?」
まさか雷電の名が出てくるとは思っていなかった信澄はキョトンっとして長政の顔を見る。
「実は先日、義姉上から書状が届き、雷電殿がこの小谷城に参るそうなのです」
「雷電殿がここに?」
「書状には、上洛軍を起こす際についての動向の詳細などを報告する使者として来るそうなのです。ですので、前もって色々と知っておいたほうが良いかと思いまして」
「はぁ、そういうことかぁ。でも雷電殿についてかぁ」
雷電について何か教えてほしいと言われた信澄は、弱弱しく語尾を伸ばしながら湯気を眺め、雷電についての情報を絞り出す。
一応、長政は雷電に関する情報は色々と調べてはいるが、詳細に関してはそこまで調べられていない。
なので、雷電と共に行動をしたことのある信澄ならばもっと詳しい情報を持っているのではないか、と考えたのだ。
「僕も彼のことに関して特別詳しいというわけではなんだけど……」
「なんでも構いません。勘十郎が知っていることで良いのです」
「そうかい? じゃあ……」
知っている範囲で構わないと言われ、信澄はとりあえず知っていることを淡々と語りだした。
信澄の口から聞けたことは、長政がすでに得ている情報が多かったが、その中には役に立つ情報かは置いておいて、興味深いものも含まれていた。
「雷電殿は妻子持ちであったのですか」
「うん、勝家から聞いたんだ。随分と嬉しそうに話していたそうだよ」
「そうですか。あの白鬼に妻や子供が……」
この時代、雷電ほどの年齢であれば既に結婚して子供がいても不思議ではないのだが、白鬼という作りられたイメージの影響で、彼に子供がいるということに意外性を感じた長政だった。
「子供かぁ……」
無意識にそのような言葉が長政の口からこぼれた。
何の他意の無いつぶやきだったのだが、何を勘違いしたか信澄がとんでもないことを口走り始めた。
「よしっ! 僕たちも子供を作ろうじゃないかっ!」
「……えっ?」
「市、子作りをしようっ!」
「……えっ!? え、ええちょっ、なな、何をっ!?」
いきなりの信澄の子づくり宣言に長政は顔を真っ赤にし、あたふたして瞬時に信澄から距離をとった。
混乱する長政は何とかして言葉を絞り出す。
「か、勘十郎? その、子供はまだ私たちには早いのでは……、いや確かにそのうち私たちの子が生まれれば良いと思いますが、いささか急というk———」
「何を言うんだい市。僕たちは既に夫婦、子作りをして何が可笑しいんだい?」
「いや、可笑しい可笑しくないの話ではなくっ! まだ早いのではと———」
「心配しなくても大丈夫っ! この尾張の貴公子たる僕に任せておけば大丈夫さっ!」
(駄目……全然話を聞いてくれない……)
少し前まで常に女の子を侍らせていた信澄の女の子慣れはかなりのもので、裸身で長政に「良いではないか、良いではないか」と迫っていく。
いくら惚れている相手とはいえ、流石にそこまで心の準備ができていない長政は、無意識のうちに右手で拳をつくり、その拳をわきへとセットした。
そんなことも知らずに満面の笑顔で近づいていく、その距離約3メートル。
長政の拳に力がこもる。
信澄が近づく。
長政、信澄を射程距離にとらえる。
信澄が近づく。
長政、信澄を引き付ける。
信澄……急接近っ!!
「市~~~~っ!!」
信澄は、ある程度長政との距離が縮まると彼女に向かって笑顔でダイブした。
ちなみに信澄からは、構えられている長政の拳は湯船に浸かっていて見えていない。
いや、見えていたとしても夢にも思わないだろう、その拳がまさか自分に向けられているものだとは……
「……ハッ!!」
そんな掛け声を聞いた信澄は薄目にしていた瞼を押し上げて、パチッと目を開けてみた。
そこにうつされたのは、彼女の笑顔でも、彼女の豊かな胸でもなく、真っすぐ自分の顔面へと突き進んでくる彼女の何の迷いもない鋭い拳が視界一面を占めていた。
ーーーーーーーーーー
信奈が長政に使者を送ると書状で知らせてから数日がたち、彼女は知らせ通り小谷城に雷電を使者として向かわせた。
書状を携えた雷電は、安藤守就救出に向かう際にも通った中山道をつかって小谷城へと向かう。
その雷電のそばには、供として椛が一人だけ付き従っていた。
他の忍び衆の者たちは、次郎太に任せてある。
雷電が忍び衆の頭目となってから日数はある程度たっており、雷電は次郎太をはじめ、他の忍たちとも良好な関係を気づいている。
しかし、なかなかそうはいかない者もいた。
それが今、彼に従っている少女、椛である。
実は雷電と椛は、初顔合わせのあの日以降、一度も会話をしていないのだ。
いまも小谷城への道中、会話は皆無であり、黙々とただひたすら歩いているだけであった。
最初こそ雷電はあまりの会話の少なさが気になり少し話をふろうと思ったが、彼女のクールで生真面目そうな性格を考え、「無駄話は好きではないのだろう」と結論づけると彼は話をふるのは止めた。
そのため、出発から今まで本当に言葉一つも発せられていないのだ。
ーーーーーーーーーー
(……特に話しかけてくる様子は無し。やはり、雷電様は不必要に会話をするような方ではないようね)
そう心の中で私はつぶやいた。
今、目の前を歩いている新しい主である雷電様の背中を眺めてみるがあちらからこちらに話しかけてくる様子はない。
かといってこちらから話しかけようにも、ふれるような話題もない。
ゆえに会話がない。
できることならばこの人と二人だけにして欲しくはなかったのだけど、と私はこの組み合わせにした頭のことが少なからず恨めしく思った。
別に雷電様のことが嫌いというわけではない、かといって好きというわけでもない。
私たち忍び衆を率いる人物が頭からこの人に変わったというだけの話だ。
そこで先日、雷電様との初顔合わせをした後に頭に言われたことを思い出した。
『相も変わらずお前は愛想がないのう椛。そんなことでは雷電様と打ち解けられぬぞ?』
『なぜ打ち解ける必要があるので? 私はあの方が率いる忍び衆の一忍に過ぎませぬ。必要以上の関係を築くことは忍には不要と思えますが』
『ああいかんいかんっ! お前はなぜそうも頑ななのだ。思えば某以外の者に話しかけている所をあまり見ぬが……。まさかそなた、友が一人もおらぬというわけではあるまいな?』
『いませんが。いけませんか?』
『……某はそなたの将来がとても心配になってきたぞ。これでは誰かに嫁ぐこともままならぬな』
『それこそ、忍の私にとって必要のないこと。いらぬ心配です』
私がそう言うと頭は額に手をあてて、盛大にため息を吐いた。
そんな頭の態度に私は「何か間違ったことを言っただろうか?」と小首を傾げた。
その私の様子を見た頭がまたため息を吐く。
『何度も、何度もため息を吐かないでください頭』
『吐きたくもなるわ。……まあ、この話はここまでにする。ここからはそなたの任の話をするとしよう』
『はっ』
『そなたには、雷電様と共に使者として小谷城へと向かってもらう』
『承知っ! して、他の同行者は……』
『おらぬ』
『……はっ?』
『雷電様に同行するのはそなた一人よ』
頭の意地の悪い表情が私の眼に焼き付く。
『か、かし———』
『しっっっかり励むのだぞっ!!』
反論を述べようとした私の言葉を遮るように頭は声を張り上げ、言いきるとそのまま間を待たずに部屋から姿を消してしまった。
頭の姿が消えた部屋には、口を半開きさせた私だけがポツンと残されたのだった。
脳内回想を終えた私は、意識をしっかりと現実に引き戻し、目の前の雷電様に視線を移そうとした。
———ドンッ
「いたっ!」
しかし、雷電様が止まっていることに気が付かなかった私は、彼の背中に頭から当たってしまった。
というか、この人の背中すごく硬いんですが……
「どうした? 大丈夫か?」
「も、申し訳ありません」
———あ、会話できた。
どこからか『そんなのは会話とはいえぬわ馬鹿者がっ!』という頭の叫びが聞こえてきたような気がするが気のせいだろう。
痛みの残る頭をさすりながら視線を上げるとそこには城門が……
「ここが小谷城か」
(もう着いていたのね)
いつの間にか小谷城に到着していたことに少し驚くとともに、どうも任務中だというのに考え事にふけって注意が足りていない、と自らの失態を静かに恥じた。
(今は任についている最中、余計なことを考えるなんて、我ながら注意力が足りていないわね。気を引き締めないと)
気を引き締め、城門へと歩いていく我が主の背中を追った。
ーーーーーーーーーー
小谷城の門番に取次ぎを頼んだ雷電と椛は、しばしの間城門前で待機するよう言われた。
しばらくすると、案内するものが二人の元に訪れ、長政のいる屋敷へと二人を案内してくれた。
屋敷に入った二人は、刀を預け大広間のような部屋へと通された。
中央に座るは屋敷の主である長政、そして雷電はその正面に座り、そして椛はその雷電の後ろに控えて座る。
信奈から預かった書状を渡すと、それを広げ読みだした。
その書状を広げる動作一つ一つがいちいち優雅であるのは、相変わらずなのだが、それよいりも長政の表情の方に雷電は目がいった。
(以前目にしたときに比べると、だいぶ穏やかな顔になったな。表情にケンがとれている。この様子だと信澄の方も心配はいらなさそうだな)
もし、信澄の件がばれていたら、こう穏やかな表情をしてはいないだろう。
それどころか、バレしだい同盟関係は破棄となることは確実である。
実は雷電を小谷城に向かわせたのは、使者という名目で信澄の様子と浅井家家中の様子を探るためでもあった。
書面に目を落としていた長政は、読み終えたのか視線を雷電たち二人へと向けた。
「ふむ……雷電殿、この書面に書いてあることは貴殿はご存知か?」
「ああ、だいたいのことは前もって話されている」
「でわ、これに何か付け加えるようなことはおありか?」
「いや、ない。そこに記されていることがすべてだ」
「わかった。雷電殿ご苦労だったな。ここまでの道中疲れたであろう。寝床を用意させるゆえ、今宵は泊っていくがよろしい」
「済まないな。でわ、お言葉に甘えさせてもらうとしよう。……ところで、のぶす———」
「お市姫様はお元気にしていられますか?」
雷電が誤って「信澄は元気にしているか?」と言いそうになったことを瞬時に察した椛が、彼の言葉にかぶせるように長政に聞いた。
そこで雷電も自分がやりそうになった凡ミスに気づき、軽く後方の椛に目配せをした。
「お市ならば、元気にしている。お市もそなたが来ると聞いて会いたがっていた。この後にでも顔を見せてやってほしい」
謁見を終えた雷電たちは長政に言われた通り、市姫こと信澄の様子を見に屋敷の奥へと通された。
案内された部屋の襖を開けると、中央にちょこんっと座っている少女が……
と思ったが雷電の顔を見るなり立ち上がって、女性の着物のまま器用に雷電の元へと走ってきた。
近くまで来てようやく雷電もその少女が女装最中の信澄であることに気が付く。
「元気そうで何よりだ、のぶぅ……、市姫」
またもうっかり本名を出しそうになり、一呼吸おいて呼びなおす雷電。
ここには、雷電、椛以外にも長政とその家臣の者もいるため本名を出してしまったら、その時点でアウトである。
しかし、信澄の事に気が付いている長政は、その雷電の様子が可笑しかったのか、笑いを押し殺そうとして押し殺しきれずに喉の奥でクックックッと笑っている。
当の信澄は、長政の家臣がいることもあり、素をさらけ出したい衝動を抑えて、声を出さずにニコォと微笑んで市姫を演じていた。
そして、しずしずと雷電の元に女性らしい動作で近づき、周りには聞こえないように耳元でささやきながら会話をした。
「やぁ、久しぶりだね、雷電殿。会えてうれしいよ」
「相変わらず元気みたいだな。その様子を見れて安心した」
小声ではあるが、信澄の元気な声を聞けて雷電は安心したのか、微かに頬が緩む。
「しかし、よく今まで平気でいられましたね。正直、初夜の儀で衣服を剥ぎ取られて即刻ばれるものと思っていましたが……」
信澄と雷電の間に入って来た椛がそう口にしたのだが、初対面である信澄は彼女が誰であるかわからず「君は誰だい?」と重ねるように疑問を重ねた。
「私は雷電様が率いる忍び衆の一人で、椛といいます」
「へえ、雷電殿が忍び衆の頭になったのかぁ」
「補佐役がいなければまともに扱えそうにないがな」
椛の紹介も終えたところで、先ほどの椛の疑問について信澄に再度質問すると……
「それについては、心配はいらなくなったよ。ふふふ……」
「心配いらなくなった? その自信は一体?」
「つまり僕は、今幸せの絶頂にいるということさっ!」
「……はっ? ……えっ?」
質問に対して適切な返答ではないが、そんなことよりも信澄の言葉に椛は嫌な汗を流した。
男の元に嫁がされた結果、幸せの絶頂? それって……
(もしや、信澄殿は衆道に……)
そんな事を考えている椛の横にいる雷電は、そうとは考えずにもう一つの可能性を考えていた。
以前、安藤守就を救出するために竹生島に潜入した時の出来事があって以来、雷電は長政に対しある疑念を抱いていた。
(長政は女なのではないか?)
そう考えると、長政のあの態度や女好きな信澄のあの言葉など、色々と合点がいくように思える。
だが、これはあくまで可能性だと雷電は考えており、信澄と長政が共に男色に目覚めたという発想も完全に消えたわけではない。
(前者の場合は微笑ましい限りだが、後者だった場合は全然笑えないな……)
結局、雷電も椛同様のことを考えて変な汗を流すのだった。
「市姫様は、織田家の者としゃべる際にもあのような感じなのですな。我々は一度も市姫様のお声を聞いたことがござりませぬゆえ、どのようなお声なのか。少々気になりますな」
「……そうか」
長政のそばにいる家臣は、信澄たちの会話の様子を少なからず奇妙に感じているようだ。
浅井家の中で、市姫(信澄)の声を聞いているもの長政を除き一人もいない。
聞かれたが最後、男だとばれて結婚は破棄にされる。
だから、信澄はもちろん、長政も市姫が男だということを隠さなければならない。
(いつか、隠さずとも良い日がくるだろうか。私が女であることを……そして、信澄との恋仲のことも……)
その長政の心のつぶやきを拾えるものは誰もいなかった。
ーーーーーーーーーー
小谷城 田部家の館
「今回もわしの言を聞き入れてはくださらなかった」
「そのようで……」
田部家の館の広間には、田部熊蔵を筆頭に一族郎党の主だった面々が揃っていた。
話し合われている内容は、無論熊蔵が長政に進言していたことである。
「やはり、殿はすでに織田の姫君に骨抜きにされていると思われる。織田信奈の本性に気づくこともできず、あやつの術中にはまるとは……」
「うむ、このまま行けば、いずれ織田に浅井は滅ぼされるだろう。相手はあの大うつけよ、長政様は何を考えているのか」
みな口々に思ったことをこぼす。
それを腕を組んで黙って聞いていた熊蔵が再度口を開いた。
「明日、もう一度殿に進言する。だが、それが最後よ。明日の進言が受け入れられない場合は、是非もない。その時をもって主従の縁を切ろうと思おておる」
「決心なされましたか」
「皆にも、腹をくくってもらうことになろう……」
「とうに覚悟はできているでござる」
「すべては明日の殿の返答しだい。それで我々の運命が決まる」
一族郎党迷い無し。
長政の返答次第と言ってはいるが、皆どのような返答が来るのかはわかっている。
そして、その後に待っている結末も……
前々から覚悟はできていたのだろう、熊蔵の言葉を聞こうとも怖気づくものは一人としていなかった。
長政が危惧していた不安の実は、完全に実ってしまった。
一族の者たちがそれぞれ覚悟を決めている中、一人の者があることを思い出した。
「ときに、今日この小谷の城に織田方からの使者が参っているとか」
「何者じゃ?」
「"白鬼"という名にご存知ないか?」
「確か織田の新参者か。噂では南蛮人であるというが……」
今日、小谷の城に来た雷電たちのことは、浅井家の者たちに知らされていた。
それは田部家の者たちも例外ではなく、彼らからすると織田家はまさに悩みの種なのである。
その織田からの使者の話題になると、みんな表情に嫌悪さがにじみ出てきた。
「南蛮人を家臣にするなど、やはり織田信奈はうつけであるな。あのような得体の知れぬ者を……」
「だが、その武勇は侮れぬと聞く。先の美濃での戦では、体を三つの槍に貫かれようと平然としておったと聞いたぞ」
「そんなものは尾ひれのついた噂に過ぎぬわ。そうして恐怖心を植え付けようという魂胆なのだろうよ」
「実はその"白鬼"を直に目にしたのだが、なるほど名の通り肌や髪が真っ白であったわ。"白鬼"とはよく言ったものよ、気味が悪い」
雷電について語っている者たちに対し、熊蔵は咳を一つし、みなの目を自分に集めた。
視線が自分に集まっていることを確認した熊蔵は、目つきを鋭くして皆に自分の考えを告げた。
「奴は使者などと言うておるが、おそらく浅井の内を探らせるために送られた者だとわしは考えておる」
そこまで言うと熊蔵は一度言葉を区切る。
周りの顔を見ると、全員が熊蔵のように目を鋭くして聞いていた。
「明日、万一の事となった場合、ただ討たれるのは癪よ。冥土への土産として、その"白鬼"の首をとってくれようっ!!」
高らかにそう宣言すると同時に熊蔵は懐にしまってあった小太刀を抜き放ち、ドンッ! と床へとその刃を突き立てた。
それに呼応するように「応っ!」という低い声が館の広間に響いた。
誤字・脱字、変なとこ等見つけましたらご報告お願いします。
修正を入れますので。