墨俣で勝利を収めた信奈軍は、義龍が籠っている稲葉山城を完全に包囲していた。
稲葉山城は孤立状態、他の砦は勝家の活躍によって瞬く間に落とされており、義龍は援軍の見込みの無い篭城戦をする羽目になったのだ。
圧倒的に有利な状況ではあるが、信奈たちは焦っていた。
この戦にはタイムリミットがある———浅井長政との祝言だ。
その刻限は刻々と迫っており、信奈軍は迅速な稲葉山城の攻略を要求されている。
力攻めでは刻限に間に合わないため、城へ潜入し内側から門を開ける決死隊送ることにし、その決死隊に良晴が決まり、現在その良晴からの合図を金華山を見上げながら全軍待機していた。
雷電は長秀と共に稲葉山城城門周辺で待機している。
本当ならば良晴に同行しようと考えていたのだが、信奈が頑なにそれを許可せず、そして良晴も「俺に任せてくれ」と雷電の同行をやんわりと拒否したのだ。
二人とも雷電の傷を心配しての判断。
実際、雷電の傷はどう見ても重傷であり、どうして立っていられるのか、というレベルである。
それもそうであろう、腹に風穴が三つも空いているのだから。
雷電が大丈夫だ、と言っても二人は頑として首を縦に振らず、最終的に雷電の方が根負けしたのだ。
にわかに城の方が騒がしくなっているのが待機している雷電たちの耳にも届いていた。
「どうやら城攻めが始まった模様。相良殿は無事役目を果たしたようですね。満点です♪」
「そのようだな。俺たちはずっとここで待機か?」
「はい、私たちの役目はここである人物を待ち構えることです」
ある人物って誰だ?と聞く前にその答えが目の前からやって来た。
「三盛り亀甲」の旗印を掲げた軍団を引き連れている人物、浅井長政である。
「浅井長政……あいつか?」
「えぇ、そうです」
確認し合うと長秀と雷電は長政の軍団の前に立ちふさがった。
「何をしにこられたのですか? 浅井長政殿」
「丹羽殿……! 浅井長政、信奈殿の夫として加勢に参った。稲葉山城攻略した後、約束通り祝言を挙げましょうぞ」
長秀の出現に長政は一瞬狼狽えたような顔をしたが、すぐに引っ込めて余裕の表情を取り繕った。
だが、内心焦っているのは雷電も長秀もお見通しである。
「どうされた長秀殿。道を開けられよっ!」
まったく道を開けようとしない長秀たちに業を煮やした長政が声を張り上げる。
そんな長政に長秀は自分の長刀を取り出しながら長政へと告げる。
「浅井殿。この長秀、姫よりこのように仰せつかっております。『この戦は、相良良晴の戦。この戦に割り込もうとする輩は問答無用で斬り捨てよ。それが浅井長政であろうとも』———と」
「なッ!?」
告げ終えると長秀は長刀を構え、長政を静かな眼差しで睨む。
雷電もそれにならい、高周波ブレードを抜き、切っ先を長政へと向ける。
「そういうことだ。おとなしく兵を退かせろ、さもなくば斬る」
「くっ! ……貴殿は何者だ?」
「……雷電だ」
雷電のことを見ても何も反応しないところを見ると、どうやら長政は竹生島で会った忍が彼であることを気づいていないらしい。
しかし、雷電の名を聞くとそれとは別の意味で驚いたようだ。
「雷電っ!? ということは貴様が"白鬼"かっ!?」
「ほう、すでに近江の大名にまで名を知られているとは、雷電殿の名も有名になってきましたね」
「俺としては不本意だがな……」
いつか段蔵が言っていたことが本当だったようだな、と雷電はうんざりな気分になった。
"白鬼"という通り名だけでなく、雷電という名まで特定されている。
いったいいつ調べたのやら……
「……どうあっても私を通さぬということですか」
「さっきも言った通り、これは良晴が命を張っている戦だ。だから変な茶々はいれてくれるな?」
「信奈殿の飼い猿如きで稲葉山城を落とせるとでも?」
「現に落ちかけてる」
「ちッ……!」
この状況は長政にとって最悪なものだ。
黙って退いてしまえば、稲葉山城は信奈の手に落ち、おそらく婚姻の話は反故となってしまう。
かといって救援に向かうには、道を阻んでいる目の前の二人をどうにかしなければならない。
危害など加えられるわけもないし、ましてや片割れはパッと出で武勇で名を世に知らしめた男である。
その実力はあの"鬼柴田"を軽くあしらった程という話だ、分が悪すぎる。
「もう一度言います長政殿。兵を退かせよ」
依然静かであるが殺気のこもった言葉で彼女に問われた長政は、悔しそうに唇を噛み締めてうつむく。
しばらく苦悩した長政は、ゆっくりと顔を上げた。
「……承知。しかし、兵は退かせますが私は信奈殿と会わせてもらいます。結婚と同盟、それを確認するまでは帰れませぬ」
「いいでしょう。どうやら戦の方もちょうど終わりを向かえたようですし、旗本のみを連れ本陣へと参られよ」
稲葉山城から天に轟かんばかりの勝鬨の声が響いてくる。
どうやら稲葉山城を攻略できたようだ。
長政に旗本のみを連れて本陣へと来るように伝えてから、雷電と長政はその場を後にした。
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稲葉山城
無事、二の丸を占領し、斎藤義龍を降伏させ、稲葉山城を落とすことができた信奈たち。
信奈は織田家先代当主からの悲願である美濃を手に入れることができたのだ。
その夜、稲葉山城にて戦後処理や論功行賞があった。
竹中半兵衛の良晴の与力としての正式な織田家への士官から始まり、敵の大将斎藤義龍の始末、そして論功行賞が行われた。
全体的にトントン拍子に進んでいたこの評定だったが、ある二か所で少しドタバタしていた。
一つ目は義龍の始末についてだ。
結果から言えば義龍は放逐された。
しかし、この結果に異を唱えた者がいた、道三である。
彼は義龍を放逐すれば今後も信奈の前に立ちふさがるだろうと説いたのだが、信奈はそれを聞かず義龍を放逐したのだ。
この信奈の行動の真意はわからないが、みな義龍の父である道三への配慮であろうと考えている。
雷電もまたそう考えており、同じ父親としてこの決定に少なからず安堵していた。
だが、その決定を見届けた道三は評定の間を後にしてしまった。
二つ目は、この評定の大目玉でもある「恩賞自由」の件である。
見事に恩賞自由の権利を得たのは、半兵衛調略、墨俣築城、稲葉山城への決死隊、数々の功を立てた良晴だ。
良晴の考えを知っている雷電は静かにその成り行きを見守った。
そんな中、評定の間で良晴はこう叫んだ。
「信奈、長政と結婚するなっ!!」
良晴は信奈と長政の婚姻の破談を要求した。
この言葉により、その場が多少騒がしくなった、主に長政が……。
「これはどうゆうことです信奈殿っ!? このようなふざけた恩賞をまさかお認めになるおつもりではありますまいなっ!」
「もちろん認めるわよ、恩賞自由の件は前々からの約束だもの。その恩賞自由で私とあんたの縁談の破談を要求されちゃ、仕方ないわ。この縁談はなかったことになるわね。ふふふッ……」
「馬鹿な……」
長政との縁談を破談に出来たのがうれしかったのか、信奈は笑みを隠せずにいた。
逆に長政は顔面蒼白となり、シミの数でも数えているのではないかと思うほど床を凝視している。
その長政の姿を見ていると若干気の毒にも思えるが、これで良晴、そして信奈の願いがかなったのだ。
評定の間が沸いている中、雷電は自分の恩賞の件が終わっていないのにも関わらず静かにその場を後にした。
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雷電が評定の間を退室した後もいろいろとあった。
長政がどうしても同盟を結びたく、そのためには織田家から姫を嫁にもらわなければならない、と懇願され信奈は自分の
そのお市姫というのが女装させた信澄であることを雷電は後で知ることとなる。
そして、その後に稲葉山城へと転がり込んできたのが、元斎藤道三の小姓を務めていた明智十兵衛光秀だった。
彼女は、機内を支配する松永久秀と三好一党が将軍足利義輝を暗殺しようとし、それにより足利義輝は妹の足利義昭を連れて明へと亡命したという知らせを持ってきたのだ。
ちなみにこの知らせを聞いた良晴は「俺の知っている歴史と違うっ!」と歴史が大きく変わっていることに焦りだした。
彼の知っている歴史では、義輝は暗殺されたため、その弟である義昭を将軍に担ぎ上げて上洛の大義名分とするというシナリオだったのだが、当の義輝は生きており明へと亡命、義昭も一緒にである。
しかも、妹ということは義昭も女になっているのかっ!と良晴の頭は続けざまに聞かされる史実との食い違いに大混乱であった。
十兵衛は、その義昭の代わりにとある人物を将軍に担ぎ上げてはどうか?と信奈に献策した。
その人物というのが……
「おーほほほほほっ。足利宗家が滅び、吉良が無き今、この今川義元が将軍位を継ぐしかありませんわねっ! おーほっほっほっほっ!」
桶狭間で信奈に捕らえられていた今川義元であった。
今川家は足利家の分家であるため、将軍位継承権を有している。
本来、足利家が滅びた場合、次の将軍位継承権は吉良家にあるのだが、それは既に義元によって滅ぼされている。
史実では今川義元は桶狭間で死ぬはずだったのだが、義元の可愛さを目にした良晴が「勿体ないっ!」という理由で助けてしまったため、いまだに存命なのである。
信奈はこの十兵衛の策を採用、今川義元を将軍として担ぎ上げ上洛することを決めた。
そして、論功行賞やその他もろもろの始末も終わった織田家の面々は宴会へと移行した。
「おっ! 雷電さん、こっちこっちっ!」
「あら、雷電殿。今までどこにいらしたのですか?」
「……雷電、遅い」
先ほどまで評定の間であった場所が夜が深まってくると宴会場へと早変わりした。
みな戦勝に沸きあがり、飲んだ食ったの大騒ぎである。
その中には、今回の戦で織田に下った美濃勢の面々も見受けられた。
「ちょっと夜風を感じにそこらを散策していただけだ」
そう言いながら雷電は良晴、長秀、犬千代のそばに腰を下ろした。
良晴の隣には晴れて彼の与力となった半兵衛もいる。
「しかし、論功行賞の最中にいなくならないでください。姫様が怒っていらっしゃいましたよ? 雷電殿に恩賞を与えたれないっと」
「俺への恩賞もあるのか?」
「はぁ、もう……当たり前です。今回の雷電殿の働きは並々ならぬものでありましたから、姫様も褒美を用意しておいででしたのに……。雷電殿の恩賞は後日改めてお渡しになるそうです」
ちなみに、今はこの宴会の場に信奈はいない。
少し席を外しているようだ。
「そうか、そいつは悪いことをしたな」
「まぁ姫様自身、うっかり雷電殿の恩賞の前に"恩賞自由"の件を持ち出してしまいましたから、あまり文句ばかりも言えませんが……」
ふぅっと軽くため息をしながら手元の杯を傾ける。
彼女も戦勝祝いということで酒を飲んでいるようで、頬が微かに染まっている。
流石に良晴や犬千代、半兵衛は酒を飲んでいないようだが。
「雷電殿もどうぞ」
長秀は雷電に杯を渡し、酒を注ぐ。
「雷電さん、……ていうかサイボーグって酒大丈夫なのか?」
「問題無い。サイボーグは生身の人間と同じように食事も飲酒もできる」
「へぇ、サイボーグって言っても普通に生活している分には俺たちとさほど変わらないんだな」
「あぁ、家族と生活していると自分がサイボーグであることを時々忘れられる。だが、それでうっかり力加減を誤ると危険だ。何度か運転中に苛立って思わず車のハンドルを握りつぶしたことがあったし、握手の時に誤って相手の手の骨を折ってしまったこともある。そのたびにローズに怒られたな……」
「……今度から雷電さんとのスキンシップは慎重にしよ」
雷電のうっかりはそんじゃそこらのうっかりとはレベルが違うことを良晴は思い知った。
犬千代や半兵衛などは握手のくだりを聞いた瞬間、手を引っ込めてしまった。
「心配しなくても、もうそんな失敗はしない。だからそんな露骨に怖がらないでくれないか?正直傷つく」
「……雷電が悪い人じゃないってことはわかってる。けど……」
「やっぱりちょっと心配です。くすんくすん」
少女二人にそう言われ宣告通り傷ついた雷電。
ちょっと落ち込み気味に酒をちびちびと飲んでいると、気を使った半兵衛が話題を変えてきた。
「そういえば、織田家の方々から聞いたのですが雷電さんは結婚をなさっているんですよね?」
「……あ、あぁ、そうだ。ねねと同じくらいの息子もいる」
「へえ、雷電さんの子供かぁ。どんな子なんだ?」
「雷電殿の子供ですか、私も興味があります。以前子供がいることは聞きましたが詳しくは聞いておりませんでしたので、ぜひ教えていただけないでしょうか」
「……犬千代も気になる」
みんな雷電の子供が気になるのか、興味津々といった風に詰め寄ってくる。
すると雷電は「少し待っててくれ」と言い残し、部屋を出てどこかへと行ってしまった。
しばらくすると、雷電が戻りその手には一枚の写真が収まっていた。
それをみんなに見せる。
そこには、三人の人物が写っており、みんな表情が明るく笑顔だ。
「これは……絵ですか? ここに描かれている男性はもしや雷電殿?」
「これは写真っていうんだよ長秀さん。まあ未来の絵って考え方でいいと思うけど。この写真って雷電さんの家族写真?」
「ああ、そうだ」
「ということはこの綺麗な女の人が雷電さんの奥さんで、この髪が白い子供が雷電さんの息子さん?」
「そうだ。妻の名前がローズ、息子がジョン、かけがいの無い俺の家族だ」
家族の話をする時の雷電の言葉が弾んでいるのは誰もが感じており、家族のことが相当好きなのだということが伝わってくる。
特に息子のジョンの話をする時は、それが顕著に現れていた。
「息子さん可愛らしいですね。やはり雷電さんの子供ということもあり、髪も白いのですね」
「ふっ、子供は良いものだぞ。あの無邪気な笑顔を見ているとこっちまで嬉しくなる。俺にとってジョン、それにローズは心の支えなんだ」
「……雷電も明るくて良い表情してる。とても温かみのある優しい顔」
「うん?」
家族の話をしていたためか、雷電の顔が息子の前で見せる父親の表情になっていたのだ。
その表情は良晴たちが今まで見たことがないほど優しさに溢れる表情だった。
「んっ? あなたたち何見てるのよ」
声がする方を見てみるとそこには先ほどまで席を外していた信奈が立っていた。
そして、その信奈に続いて勝家やその他の者たちも雷電の写真を囲むようにして集まりだす。
「ふーん。この子が雷電の子供なんだぁ、可愛らしいじゃない。それに何だが雷電の雰囲気も違うわね」
「確かにそうですね。何というか、父上を思い出すなぁ」
父親としての雷電の姿にみんな自らの親を思い出していた。
良晴は未来の世界で待っている両親を……
信奈は亡くなってしまった父親、信秀と仲たがいをしている母親、土田御前を……
他の者も似たようなことを考えていたのだろう、口数が減っていた。
父親という話題から雷電はふと論功行賞の最中に出て行ってしまった道三のことを思いだす。
息子の義龍の始末の際の道三が言い放った言葉。
『息子を斬ってくれ』
義龍は道三の養子であり、血はつながっていないという話ではあったが、それでも息子は息子だろう。
あの言葉を言った時、道三は何を思ったのだろう……
そう考えた雷電は居ても立っても居られなくなった。
「信奈、道三は今どこにいるかわかるか?」
「えっ蝮? さぁ……あっそういえば、誰かが山頂の草庵に向かったのを見たって言ってたわ」
「山頂か……わかった」
確認をとると、雷電は写真をしまって部屋を後にした。
部屋を出ていく雷電の後ろ姿をみんなは不思議そうに見送った。
「雷電さん、爺さんに何かようなのかな?」
「結局、道三殿はこの宴会の場に姿を現しませんでしたね。草庵で一人酒でも洒落込んでるのかな?」
勝家が能天気にそんなことを言っているが、ここに姿を現さないのは先ほどの義龍の始末の件が原因であるのはみんなわかっている。
信奈もそれはわかっている、今の道三と信奈は仲たがいをしているような状態なのだ。
信奈とてそんなのは望んでいない。
そこで信奈は蝮に対して、あるサプライズを考えていたのだ。
「それより信奈、お前さっきまでどこに行ってたんだ?」
「ふふふ……、知りたい?」
ーーーーーーーーーー
金華山の山頂。
そこにポツリと建っている草庵。
その縁側に道三は腰を下ろし、夜の井ノ口の町を眺めていた。
「……義龍を放逐するなど、信奈殿は甘すぎる。あれでは今後訪れる乱世の苦難を乗り越えてはいけん」
眼前に広がる夜景を見ながらポツリ、ポツリと呟いている。
ところどころでため息を交えながら、今回の義龍の処置に対する甘さを静かに嘆いていた。
また、その甘さが自分という存在がいたから生まれてしまったものだということも自覚していた。
「わしに気をつかったばかりに信奈殿は義龍を討ちそびれてしまった。もはや、わしの存在はあの子にとって重荷でしかないのかもしれぬな……」
道三は視線をあげ夜空を仰ぎ見る。
「わしはここに留まるべきではないのかもしれんのぉ……」と弱弱しく呟いた。
誰に語り掛けるわけでもない言葉だったのだが、その言葉に対する返答が背後からきた。
「別にそこまで思いつめる必要はないだろう」
「……雷電殿。老いぼれの独り言を聞かれてしまったか、恥ずかしい限りよ」
金華山の山道を登ってきた雷電は、道三の隣へと腰を下ろす。
道三は余っていた杯に酒を注ぎ、雷電へと渡した。
杯を受け取ると雷電は杯をゆっくりと傾け、喉を潤した。
「義龍のことを許した信奈が甘いと考えているのか?」
「甘い、大甘じゃ。奴をあそこで許したとて、心変わりなどせんだろう。評定の間で見せていた奴の目がその証拠よ、まるで信奈殿に屈服しておらんかった。いずれまた信奈殿の前に立ちはだかるだろう」
「信奈はそれを承知の上で許したようだがな」
評定の間でも道三はそのように信奈に説いたが彼女は「私の敵じゃないもの」とこれを聞き入れなかった。
「それでは敵が増える一方じゃというのだっ! この戦国の世、敗れた相手に情けなど無用っ! 義龍のように許していては、天下をとることなど一向にかなわぬ。戦乱の世はそれほど容易くはない」
急に声を張り上げた道三に虚を突かれたように雷電はまぶたを瞬いた。
そして「落ち着け」という意味合いも込めて、道三の杯に酒を注いでやる。
道三はその杯を手にとり、「すまぬ……またもや恥ずかしいところを見せた」と軽くこうべを垂れてから杯を傾けた。
かつての敵を許す行為を甘いと語る道三、内心雷電もその考えはわかる。
自分は子供の頃から戦場を駆けてきた兵士だ、その残酷さも知っていた。
その自分が戦場で敵であった相手を許すことができるだろうか?
できないだろう……
自分に対して心から屈服、もしくは敵意が無いことがわかった相手でなければ難しい。
ましてや、敵対心を未だに見せている相手を許すことなど……、おそらく今後の危険分子を排除する意味でもその場で始末するだろう。
そんな相手を許すとなれば相当の心の強さが必要だ。
その時、雷電の脳内にある偉人の言葉が浮かんだ。
彼はそれをそっと口ずさむ。
「The weak can never forgive. Forgiveness is the attribute of the strong.」
「?」
雷電の流暢な英語が草庵の中に微かに響く。
英語を知らない道三には当然理解できず、ただ戸惑ったように雷電の顔を見ていた。
言いきった雷電は一気に杯の酒を飲み干してから、道三へと視線を投げる。
「雷電殿、今のは一体……」
「この言葉は、俺のいた時代に後世まで名を残したある偉人の言葉だ」
「雷電殿の時代の言葉か……、どのような意味なのだ?」
「『弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは、強さの証だ』。あの子の場合、あんたに息子の義龍を斬って欲しくなかったという思いもあっただろうがな」
「———許すことは、強さの証……」
道三は唸り、視線を下へと落とし小さく復唱すると黙り込んでしまった。
この言葉残した人物がどのような意図で語ったのかは、雷電とてわからない。
だが、雷電は自然とこの言葉が浮かんできて、そして口ずさんでいた。
不意に何者かが近づいてくるのを感じ、振り返ってみるとそこにはねねを肩車している良晴が山道を登り、こちらへと向かってきているのが見えた。
雷電はそっと立ち上がり、黙り込んでいる道三を一瞥し、立ち去った。
「おや、雷電殿っ! お久しゅうっ!」
「ああ久しぶりだな、ねね」
「あれ、雷電さん? 爺さんに用があったんじゃないの?」
「用って程じゃない。ただ少し酒を飲み交わしながら話をしていただけだ。これから宴会に戻る」
「ふぅん」
草庵を出た雷電を待っていたのは先ほど山道を登っていた良晴たちだった。
三人は草庵を前に立ち止まった。
「あっ! そうだ雷電さん、戻るにしてももう少し待ってからの方が良いもの見れるぜ」
「良いもの? 何だ?」
「実は信奈の奴が道三の爺さんにあるサプライズを用意してるんだよ。なんか宴会にいなかったのもその準備をするためにいなかったんだってさ」
「信奈が道三に向けてサプライズ、……どんなサプライズなんだ?」
「さぁ? 俺も詳しくは聞かされていないけど、井ノ口の町……じゃなかった、岐阜の町でなんかやるみたいだから、ここから見下ろしてればそのうちわかるんじゃないかな」
「そうか、なら町を見下ろしながらゆっくり下山することにするとしよう」
雷電はそう言いながら良晴とすれ違いながら、その場を後にした。
金華山の山頂からかなりゆっくり下山していた雷電は、岐阜の町を見下ろせる絶好のポイントを探す。
良晴の話を聞いていた時から信奈がどうのようなサプライズを用意しているのか気になっていたのだ。
探すこと数分、良い感じに開けた場所を見つけた雷電は町を眼前にとらえながら腰を下ろす。
夜空には綺麗な満月が浮かび上がっており、その月を囲むように光り輝く星々がちりばめられていた。
周囲からの生い茂った木々の匂いが鼻をくすぐり、心地よい夜風が体を包む。
そんな時、例の如く音もなく雷電の背後に段蔵が酒瓶と杯を各片手に持って現れた。
彼女が現れたことを察知していた雷電は特に振り返ることもせず、ただ片手を挙げて軽く手招きをする。
それに応じ、段蔵は雷電の隣へと体育座りのように腰がける。
「こ~んなところで何してるんですか旦那? 宴会の場は良い感じに盛り上がっていますよ?」
「ああ、すぐ戻るつもりだったんだが、その前に見たいものがあってな。宴会にはそれを見てから戻る」
「ふ~ん、見たいものですか。なら私もご一緒させてもらいますね」
暗闇に包まれた岐阜の町を眺めながら、二人は段蔵が持参してきた酒を飲み交わしながらその時を待った。
何度目かの杯を交わした時、岐阜の町に変化が現れだした。
「あっ! 旦那、岐阜の町に何やら明かりが……」
町の所々から松明の明かりが灯り始めたのだ。
ポツポツと最初はまばらに明かりが灯っていたが、しばらくするとそれは一つの形をかたどり始めた。
所々が蛇行し、体をうねらせているとある生き物が岐阜の町に現れた。
それは、雷電にとっても関係の深い生き物。
「これは……」
「
その光景を目にした二人は、しばらく口を閉ざしたまま見入っていた。
蛇はなんとも優し気な目をした可愛らしい姿であり、本来の蛇の恐ろしさなど微塵も感じられない。
「かようなものが岐阜の町に現れるなんて、いったいあれは……」
「道三に向けた信奈のある種の贈り物のようなものだろう。信奈が何やら準備をしていたと良晴から聞いていたんだが、こういうことか」
「道三殿に信奈様がですか? ……なるほど、『岐阜の町』とはそういうことですか」
信奈が『岐阜の町』と名付けた意味を段蔵は気が付いた。
だが、雷電は気がついていないようで小首をかしげている。
そんな雷電に段蔵は説明を始めた。
「信奈様にとって道三殿は義父。そして、この町の名は『岐阜の町』。岐阜(ぎふ)と義父(ぎふ)をかけているんですよ」
「岐阜と義父……ふふっ、信奈も粋な真似するな。上にいる道三はちゃんと見てるんだろうか?」
「きっと見てますよ。今頃泣いてるかもしれませんよ?」
しばらく二人は岐阜の町に現れた蛇を眺めながら再び酒を飲み交わした。
段蔵の話を聞きながら、雷電はある人物を思い出す。
今は亡き、世界を全面核戦争から救った「伝説の英雄」「不可能を可能にする男」のことを……
『信じるものは自分で探せ、そして次の世代に伝えるんだ』
『何を?』
『自分で考えろ』
その男が雷電に向けて残したもの……それが次々と頭の中に蘇っていく。
『正しいかどうかではない。正しいと信じる、その想いこそが未来を創る』
『いいか、言葉を信じるな。言葉の持つ意味を信じるんだ』
男は自分が何者で、何を信じればいいのかを思い悩んでいる雷電に一つの道を示した。
『お前は雷だ。光を放つ事はできる』
『お前の体が機械でも心は人間だ』
ある時は、精神的に不安定であった雷電の心に力を与えた。
彼の存在なくして、今の雷電はなかっただろう。
「……な、……んなっ! 旦那っ!」
「ん? あぁ段蔵か、何だいったい?」
「何だじゃないですよ。何度も呼んでいるのに何で反応してくれないんですか?」
気が付けば酒瓶の中身も飲み干してしまっており、段蔵が耳元で叫んでいた。
夢から覚めたような表情の雷電に段蔵は不思議な顔をする。
「何か考え事ですか?」
「いや、ちょっと知り合いの蛇を思い出していた」
「知り合いの……蛇?」
「ふふっ……いや何でもない。酒も尽きたし、そろそろ宴会の方に戻るか」
「えっ? あっちょっと待ってください!」
雷電はスッと立ち上がると段蔵は慌てて酒瓶などの片づけをして、雷電の後を追う。
ゆっくりな足取りで下山を始めた雷電だったが、岐阜の町の蛇が見えなくなる前に一度振り返り何かを口ずさんだ。
「いま何か言いました旦那?」
「ちょっと感想をな」
「感想?」
『『『「いいセンスだ」』』』
今回で一応美濃攻略編は終わりです。
何話か番外編のようなものをやってから上洛編へと移りたいと思います。
何か変な部分などありましたらご報告を、修正しますので!