ダイの大冒険異伝―竜の系譜―   作:シダレザクラ

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第10話 魔王の爪痕

 

 

 ――パプニカになど来るのではなかった。

 

 無明の闇夜を照らす松明の炎がそこかしこで燃え上がり、緊張に顔を強張らせた兵士の顔を浮かび上がらせる。

 赤銅に染まる炎の揺らめきはいかにも怪しく、まるで今この時が夢のようだと錯覚させるが、時折空気中の不純物を飲み込んで火花が爆ぜる音が間違いなく現実なのだと知らしめていた。

 

 これは現実、ならばあれも現実――。

 そんなどこまでも重苦しく、暗澹とした思いを抱えながら遠方に目をやれば、大地を鳴動させる軍馬の群れならぬモンスターの団体が、夜目で把握できる限りの視界一杯に広がっていた。

 多分俺が確認できている以上の数がそこにはひしめいているのだろう。なにせもたらされた報告では敵の数は正面戦力だけでも四百を超え、全容を把握しようとすれば六百を下回ることはあるまい。

 

 陣容の詳細は大地に獰猛な二足歩行の魔物であるリカントやオークが槍を構え、俊敏な四足歩行のサーベルタイガーやマッドオックスが立ち並ぶ。無論それだけのはずがなく、遠方には一際巨大な体躯を誇るゴーレムまで隊列に加わっている始末。最悪なことにベギラマを吐き散らす高位モンスター格のライオンヘッドまで確認できた。数多のモンスター群が規則正しい行軍で迫り来る光景には背筋が震えあがるほかない。

 

 敵は地上を走る影だけではなかった、空にもまた魔物の軍勢がひしめいている。大型鳥獣のガルーダやヘルコンドルが悠々と翼をはためかせ、マヌーサが大得意な人面蝶がそこかしこに飛び交う。空の狩人の異名を持つキメラまでいる。こいつもまた炎を吐き、中級魔法を使いこなす危険度の高いモンスターである。

 まさしく魔物の軍勢ここにありと示す威容だ。いっそ笑いたくなるほど殺意満点の集団だった。

 

 そんな魔物の一団を迎え撃つは砦に詰めるパプニカの精鋭、およそ三百騎。こちらが砦に篭って戦える利を思えば、人間の軍が相手ならば三倍差までなら五分に渡りあえる。が、相手は魔物だ。

 それもスライムやドラキーとはものが違う凶悪な個体が占める軍勢である。二倍の戦力差しかないようでは、とてもではないが安心して臨める状況ではなかった。下手をしなくても砦が陥落する。

 

 ここで俺にとっての最大の問題点は、これが自国での戦ではなく、他国での騒乱だということだ。俺もラーハルトもここではお客様であり、当然指揮権に介入など出来るはずがない。よって従える部下もなく、一兵士として参戦し、協力して撃退を目指すのが精々なのだ。

 逃げられるものなら逃げたかった。しかし砦を包囲されている今は逃走経路を確保することも難しい。戦って活路を開く以外になかった。

 

 砦の備品から借り受けた槍の重みがずしりと腕にかかる。武器も借り物なら防具も借り物だ。もっとも非力な俺では重い金属の鎧はとてもではないが装備できないため、皮の防具を纏って致命傷を避けるのみだ。……いよいよ三途の川が見えてきたな。

 どうせならここで魔王よろしく高笑いの一つでもあげてくれようかと、半ば自棄な思考を過ぎらせることでどうにか精神の再構築を図る。命の危険を告げるシグナルが盛大に鳴り響くなか、パプニカになど来るのではなかったという切実な後悔が幾度も首をもたげ、その都度振り払って気持ちを落ち着かせた。

 

 力ない溜息をそっと零し、時々刻々と迫る開戦の瞬間を、血の気の引いた土気色の顔で待つ。願わくば、五体満足で祖国に帰れますように……。

 けれど。

 そんな逼迫(ひっぱく)した祈りを捧げる相手として真っ先に浮かんだのが、人でも魔でも竜の神でもなく、彼らの使いとされる当代竜の騎士の勇壮な姿だったことに気づいて、確かな安堵を胸に抱く。

 

 ――《戦神の加護ぞあれ》。

 

 そうして霊験あらたかな呪文を即興で引きずり出す頃には、すっかり俺の顔からも強張りが抜け、口元には微かな笑みが刻まれていたのだった。

 

 

 

 

 

 パプニカ王国に発つ前日、禅を組んで鍛錬中のバランの元を訪れていた。

 場所は殺風景な練兵場の一角ではなく、王室のプライベート空間が確保された緑豊かな庭園だ。バランの身体を循環するように闘気とも魔力ともしれぬ力場が形成されているのは、一見すると魔法使いが魔法力を高める瞑想に似ている。

 

 修行の場と考えるとどうにも首を傾げてしまいそうになるのだが、静寂に包まれたバランの座禅姿を拝見していると周囲全てを静謐に染める厳粛な空気に感化されてしまうのか、いつの間にか当初の違和感が拭われていることに気づく。

 無言で膝をつき、礼を取ったまま暫しの時を過ごした。そうして百を数えた頃、すっとバランの瞼が持ち上げられ、低く落ち着いた声音で呼びかけられたのだった。

 

「ルベアか。律儀に待たずとも、遠慮なく声をかけてもらって構わんのだぞ?」

「必要な時はそうさせていただきます」

 

 急ぎの用でもないのに修練の邪魔をするのも臣下らしくないだろう。

 

「先程アバン殿の見送りを済ませてきました。一度ロモスのネイル村に寄ってからカール王国に帰参するそうです。あの方には珍しく、終始後ろ髪を引かれるような態度を隠していませんでしたね。バラン様たちと剣を合わせることがよほど楽しかったのでしょう」

「ラーハルトにも良き鍛錬相手となってくれているよ。お前もスケジュールの調整に苦心したことだろう、大儀であった」

「仕事ですから。それよりもバラン様。アバン殿との会合以降とみに瞑想に耽るお時間が増えましたが、単純に闘気や魔法力の修練というわけでもなかったのでしょう。いかな目的あってのものか、御心の内を明かしていただきたく思います」

「ふむ、よく見ているな」

「眼力くらいは鍛えておかないと格好がつかないんです」

 

 冗談めかした俺の返答にバランが喉を震わせる。

 存外機嫌が良いらしい。やっぱり稽古相手(ストレス発散)の宛てが出来たのがよかったのかな?

 

「私とて務めを疎かにするわけにいかぬゆえ日々修練に励んできたが、それだけでは足りぬと痛感したからな。大魔王バーンが凍れる時間の秘法を自在に操るというのならば、かの呪法を打ち破る手段を模索せねばなるまい」

 

 アバンと会合を持ってからまだ一週間足らず、しかしバランにはそれで十分だったらしい。以前にも口にしたが、と前置いてからバランは語りだす。

 

「ドルオーラに注ぎ込む竜闘気と魔法力をさらに高め、人間大の敵を滅することに特化した呪文として再構築する。完成形のイメージは既に固まっているゆえな」

「つまり一国を消滅させるエネルギーを一個人に向けるわけですね」

「そうだ。おそらくエネルギーの波ではなく珠として形成し、直接ぶつけるものとなろう」

 

 問題はその先だろう、はたして実用可能な代物となるかどうか。

 

「以前お伺いしたことをもう一度口にさせていただきます。それほどの無茶をしてバラン様のお体が無事に済みましょうか?」

「無論、今のままでは無理だな。だが、凍れる時間の秘法そのものの知識は竜の騎士にも伝わっている。それこそアバン殿の家系よりも余程詳細なものがな。まさか封印術以外の使い方を考える者がいるとは想像の埒外であったし、自分自身にかけて力と若さを分離するという荒業を可能にする超魔力が恐ろしいことに変わりはないが、手をこまねいてばかりではこの身の肩書きが泣こう」

 

 ああ、そういえばバランはダイと共に死の大地に突入し、黒の核晶を作動させたミストバーンの素顔を見たとき、その正体に感づいていた節があったな。そもそもアバンの家系が優秀な学者一族とはいえ、地上に伝わっていた秘儀の概要を天界と魔界に通じる竜の騎士が全く見聞きしていない、というのもおかしな話だ。凍れる時間の秘法本来の使い方をバランは元々把握していたのだろう。

 

「つまりある程度の目処が立ったと。……やはり竜闘気の総量が鍵となりますか?」

 

 ふっとバランの口元に不敵な笑みが宿る。獰猛な肉食獣も真っ青な迫力だな、おっかねえ。

 

「本当に良く見ている。お前に武技の才はないが、その眼と洞察は誇って良かろうよ」

「お言葉ありがたく、以後も精進に励ませていただきます。ところでバラン様はどの程度のレベルアップが必要とお考えでしょうか?」

「最低でも生身でドルオ-ラを放てるだけの闘気量は身に着けねばなるまい。そのうえで竜魔人化すれば、高まった竜闘気、魔法力、肉体の強靭さを武器にドルオーラを超圧縮できるだけの準備が整う。……一年や二年の修練では足りぬゆえ、時間との勝負となろうな」

 

 未来でダイ一行が大魔宮に突入した当時、つまり超魔生物ハドラーと真竜の戦いを演じた時点でのダイの力量は、良くてバランと互角。一撃の破壊力はともかく、総合的に見ればまだバランのほうが地力は上だったはずだ。

 しかしその後、ダイは双竜紋に目覚めることで一気に竜魔人化したバラン以上の闘気量を得た。これにより双竜紋を身に着けたダイは肉体をあふれ出る竜闘気によってカバーし、生身でドルオーラを放つことができたわけだが、この時、バランから受け継いだ紋章は本来のパワーの三割から四割程度しか機能していなかったとダイ自身が口にしている。つまり今のバランが竜魔人に変異なしでドルオーラを放つなら、概算で三割程度の闘気増しが必要となるわけだ。

 

 そしてそれだけの地力を身に着けた上で更なる力を求めて竜魔人化すれば、超圧縮したドルオーラの反動を押さえ込むことも不可能ではないとバランは見ている。そのあたりは戦士としての嗅覚のない俺では踏み込めない領域のため、バランの判断を信じる以外にないだろう。そう心配することもない、こと戦う術に関して竜の騎士の右に出る者はいないのだから。

 そしてここまでバランが覚悟を決めている以上、俺も腹を括る以上に出来ることなどなかった。

 

「了解しました。政務、軍務においてバラン様を煩わせる問題が噴出さぬようこちらでも注視しておきます。歴代の騎士が届かなかった遥かな高みに達した竜。その勇姿をこの眼に焼き付ける瞬間を、今から楽しみにさせていただきますね」

「そうだな、お前にも今まで以上に働いて貰うことになろう。身体を労わることを忘れぬようにな」

「勿体無いお言葉です」

 

 ほっと胸を撫で下ろす。この様子なら命と引き換えの無茶なんてこともないだろう。一安心だ。

 なにせ息子のためなら即興でドルオーラを応用して黒の核晶の爆発を押さえ込むとか、控えめに言ってもとんでもないことをする御仁だしな。

 何年も傍仕えをしていれば情も移るものだ。俺の心情的にも、この世界でまでバランに同じ末路を辿ってほしくなかった。

 そんな細かな内心までは読み取っていないだろうが、それでもあからさまなほど安心した俺の様子を見て取ってか、謹直で知られる堅物の口元がわずかに緩んでいた。……ちょっと気恥ずかしい。

 

「お前の懸念も晴れたようでなによりだ。では報告の続きを聞くとしようか」

「畏まりました。まずディーノ王子捜索網の拡大についてですが、先立って陛下のご許可もいただいたことですし、予定通り人員の派遣先を人類の生存領域外――つまり魔物の生息支配域まで広げることになりました」

「友好的な接触を図り、然る後に情報の提供ないし交換を持ちかけるのだったな。先遣隊の選抜は進んでいるのか?」

「それでは経過報告を。まずは外洋に出る船の手配ですが、ひとまず軍用船を三隻用立ててメンテナンスに入らせています。平行して水兵、それから少数ではありますが海兵の選抜候補者もリストにまとめて騎士団長に提出済みです。近日中にバラン様の下に暫定結果の報告が届くでしょう」

「仕事が早いな。だが、騎士団に全権を預けては武断の色が強く出すぎるのではないか? 義父は何と言っている」

 

 ここのところ騎士団の粗が目立ってしまっているせいでバランも慎重にならざるをえなくなっているようだ。それでなくても息子の行方、ひいては身の安全に関わるとなれば神経を尖らせるのは親として当然だろう。

 魔物と一口にいってもその種族、各々の習性や生活様式、知性の有無やその深さはてんでばらばらだ。だからこそ彼らとの接触のために矢面に立つ者は臨機応変の対応が求められるだろう。

 

 憂慮すべき事柄はそれこそ枚挙に暇がないが、不意の遭遇や思慮に足りぬ振る舞いを発端とした決裂、なし崩しの武力衝突などなど。それらを避けたうえで平和的な情報交換、可能ならば今後の関係の構築が求められる。決して容易い任務ではない。

 

「元々モンスターに殴り込みをかけにいくわけでもないので、歓談や交渉に長けた者も随行させる予定です。陛下にもその旨ご説明し、ご理解と信任も得ていますが……なにぶん派遣先が派遣先ですからね。自信を持って魔物との交渉に当たれる者を探すのは難しいのが現状です」

「選抜するにも前例がなければ判断基準に困る、といったところか」

 

 魔物には国家の概念がない。何をもって対等とするかでまず躓き、相互交流が成立するとしてもそれは変わり者同士の個人間での取引が精々、それが今までの認識だった。それだけに今回のケースでは規模がでかくなりすぎ、どこまで求めて良いのか、あるいはどこまで譲歩すればいいのか、その全てが手探り状態なのだ。前例などあるはずもない。

 

「ええ、そういう意味では能力、思想の両面でアバン殿なら今回の任務に最適なのですけどね。調査の旅に同行していただけるならこれほど心強い人もいません。なにせあの方、交渉の席で自分のペースに持ち込むのが大得意ですから」

「くく、皮肉にも聞こえるがな」

「まさか。アバン殿は私の目標ですよ。純粋に羨んでいるのだとご理解いただきたいものです」

「なるほど、物は言い様だな」

 

 そうして互いに笑みを交し合うが、アバン評については冗談抜きのガチだった。バランやラーハルトと鍛錬を進める合間に言葉を交わすたび、尊敬の念が深まるのだ。

 ありとあらゆる分野で彼の見識は深い。ついでに栄養学にも造詣がある料理上手な家庭人ともくれば、これはもう一家に一台、もとい一国に一人は是非にほしい逸材だろう。……なんだこの完璧超人、本当に人間か?

 

 そう、アバンが一国の利益に囚われない『勇者』の看板を背負っている内に、諸々の面倒事を押し付けまくろうと俺が企むくらいには、彼という人間はきれ者だし曲者なのである。名分はどうにでも作れるだろうし、いずれはうちの王子様王女様方にも文武の教鞭を取ってほしいものだ。

 

 その反面、心底困るのは、いずれ軍事大国カールの国王に就任する可能性が高い相手だということだろう。大陸を同じくする国家に所属する身としては、将来鎬を削るのが必定なやり手に戦々恐々な思いを持ち合わせるのは当然のことだった。

 もちろん個人的には将来に渡って良き友人関係でいられると思う。とはいえ、それだけではすまないのがお仕事上の付き合いというものであって……。

 溜息を一つ。カール王国と国境が接していないだけマシかと慰める俺だった。

 

「それと交渉のための実弾……ごほん、誠意として持ち込む宝石や貴金属、日持ちのしそうな加工食品の類も積み込んで出航するわけですが、物品の選定はソアラ様にお願いしています。こちらも近日中にはバラン様の元に目録が届くでしょうから、なにか不足があれば奥方様にお話を通してくださるようお願いします」

「わかった」

 

 モンスターに貨幣制度が浸透しているとも思えないため、誠意(実弾)金銀銅貨(ゴールド)を重視するよりも物々交換のつもりで向き合ったほうが良いだろう。物にしたって名のある絵画のような芸術品は人間の国家相手には重宝しても、よもや魔物に歓迎されることはあるまい。

 『力こそ正義』を地でいくような魔界の国家相手ならば鍛えられた名剣や魔道書の類が喜ばれるのだろうが、それが地上の魔物に適用できるかといえばそれも怪しい。いずれにせよ手探りということになる。

 

「魔物との交易か……。三隻船を出すというが、行き先はラインリバー大陸、マルノーラ大陸、そして怪物島。それぞれの勝算はどうみる、ルベア?」

「今現在、この地上に名を轟かせる魔物は百獣を統べる陸の王者クロコダイン、そして船乗りの間で恐怖の代名詞として語られる大海の覇者ボラホーン、この二者です。彼らは魔王ハドラーが猛威を振るった時代においては消極的中立を貫いたようですね。ハドラーも手出ししなかった以上、もしかすると魔王に匹敵する実力を持っているのかもしれません」

「同感だ。そして魔物の事情に明るいであろう彼らに話を通せれば確かにディーノ捜索の一助となろうが……で、あればこそ最初に私かラーハルトが同道し、戦端に備えたほうが良いのではないか? まだほかの者には荷が重かろう」

「今回はあくまでこちらが接触したがっていることを認識させれば十分です。芽がないようならばすぐに引き下がるよう命じますよ」

 

 第一、と切々と言葉を尽くして説得に回る。

 

「最初の接触でこちらのアキレス腱であるディーノ様の名を出すわけにもいきません。今回の試みがどうなるにせよです。本当に魔物の中にご子息を保護した者ないし行方を知る者がいたとしても、全てがこちらに好意的なはずがないのですから。最悪人質に取られる可能性だってあるのです。神経質なくらいの慎重さで臨むことを忘れてはいけません」

「……む、確かにな。逸っているか、私は」

「些か。ですが無理もないでしょう、心中お察しします」

「よい」

 

 言葉少なく応じ、粛々と気を鎮めるバランだった。

 

「ほかに魔物で聞く者といえば、空を自在に翔る神出鬼没のドラゴンライダーがいたはずだな。確か名はガルダンディー」

「そのモンスターですが、リンガイアから手配書が回ってきています。昨年城砦王国リンガイアの首都にスカイドラゴンと共にたった二匹で攻め込み、精強で知られる騎士団にかなりの痛手を与えたことが原因ですね。リンガイアにとって不運だったのは、勇将と称えられるバウスン将軍の不在時を狙われたことでしょう。被害が拡大した一因でした」

 

 まったく余計なことをしてくれる鳥野郎だ。さっさとイオを叩き込まれてしまえ。

 

「そやつを接触候補から外したのは、クロコダインやボラホーンと異なり接触するのは危険――話の通じる相手ではないと判断したのだな?」

「その通りです。リンガイアの通達を信じるならば、『その性、残忍にして非道。人を殺すことに愉悦を覚える残虐モンスター』とのこと。先に話題があがったクロコダインは弱者には興味がないと公言し、ボラホーンは人間そのものを唾棄しています。彼らもまた難儀な相手に違いありませんが、問答無用で襲い掛かられるようなことにはならないでしょう。どちらも積極的に人を襲う心積もりはない以上、精々門前払いで済ますのがオチです」

 

 それにクロコダインとボラホーンはガルダンディーほど傲慢でもなければ愉悦に歪んだ為人もしていない。一国と本気で敵対関係を取って総力戦をする腹積もりなどないだろう。そうするくらいならば前大戦時にハドラーに乗じて世界中の国々を荒らし回っていたはずだ。

 

「しかし同じ魔物でもガルダンディーは彼らとは大分趣きが違うようです。大儀を胸に矛を交えるでもなく、生きるために奪うでもなし。かの者は人を斬りたいがために人を殺める危険な輩なれば、いずれ討伐せねばならぬ手合いだと思われます」

「高位の魔物になるほど魔王の放つ瘴気の影響は減じるものだが、前大戦時はどうしていたのだ?」

「さて? 未だ歳若い魔物なのやもしれませんが……」

「そやつの出方次第になるな」

「はい」

 

 アルキード王国に牙を向けるか、あるいは各国から討伐要請でもくれば速やかに処理する。ガルダンディーについてはそれでいいだろう。今すぐ敵対してくるならばラーハルトの功績と経験の糧になってもらい、将来的に剣を交えるならばダイやポップに相手をさせても良い。

 なにせ俺の知識云々は別にしても、この世界で耳に入る風聞だけでも生かしておくのは危険なモンスターなのである。あるいはバランならばそんな男であっても力で従えさせることが出来るのかもしれないが、俺としては正直肩を並べて戦いたいとは思えないのが正直なところだった。

 

 ただ対魔王軍を考えると、地上のモンスターでも突出した三人の力が惜しいのも事実。ガルダンディーはともかく、出来れば他の二人はバーンが魔王軍編成のために粉かける前にこっちに引き込んでおきたい人材なんだが、どうにもとっかかりがなかった。

 バランの名を出すことでクロコダインあたりが興味を示してくれればいいのだが、望みは薄いだろうな。いくら武人気質とはいえ、大陸を隔てた遠方の戦士とまで力を競いあいたいと思うほど酔狂ではあるまい。だからといって彼の縄張りを侵すような真似をすれば本末転倒、協力を得ることなんて夢のまた夢になってしまう。

 

 わかっちゃいたが難しい。

 有史以来続いてきた人間と魔物の生存競争は決して軽いものではないのだ。それはある意味では戦争以上に複雑なものであり、魔族との敵対関係とはまた異なる性格をしているものだった。

 

「つまりお前の本命は『怪物島』にある、そういうことなのだな」

「はい。加えて南海の孤島デルムリン島は、海流次第ですがディーノ様が漂着する可能性も残る地です」

 

 目は口ほどに物をいう。たとえ無言であろうが、いや、無言であればこそ無視できない圧がバランから流れてきていた。

 もちろんすぐに注文の品を届けるさ、ここで続きを渋るほど俺は世を儚んでいない。

 

「遠洋漁業に出る漁師の話によれば、デルムリン島にはいつしかモンスターが大量発生し、今はバラン様の仰られたように怪物島と呼び恐れられているとのこと。ですが怪物島の呼称はここ最近、せいぜいが十年来のもの。大戦終結期に魔物がこぞって移住したと考えればつじつまが合います」

「怪物島が原因となる騒乱は記録されているか?」

「これまでのところ確認されていません。自然発生とは思えぬモンスターの跋扈が『怪物島』と呼び習わされる由来でありながら、今なお平穏の中にある不気味な島。見えぬ内情とてそれらを裏返せばある程度推察は出来ましょう」

「人と争うことに疲れた者達、あるいは変り種かつ温和な魔物の受け入れ場所か。……確かに人間の赤子を受け入れる条件としては打ってつけだな」

 

 案外魔物の中では駆け込み寺ならぬ駆け込み島になってるんじゃないのか、デルムリン島。

 これは推測でしかないが、魔物の間ではそこそこ有名な島だと思う。というのも島の長をやっているブラスが只者ではない。

 モンスターを封じ込める貴重な呪物である魔法の筒を大量に保持しているのみならず、ブラスは魔王が直々に『魔界のモンスターを封じた特別な筒』を預けたほどの大物鬼面導師なのである。ヒュンケルの父代わりだった地獄の騎士バルトスには及ばないにしても、魔王軍にあってかなり特殊な地位にいたのは疑いようがない。

 

「私はデルムリン島を積極的中立の勢力と考えています。そういった意味ではクロコダインやボラホーンよりもこちらの求めに応じてもらえる可能性は高いでしょう。少なくともこちらから手出しせぬ限り大事にはつながらないかと」

「よくわかった。して、私がデルムリン島行きの船に乗り込むと言ったらお前は反対するか?」

「しません。他の船は他国の領土に踏み入りますゆえバラン様にはご自重いただきますが、デルムリン島は国境の空白地帯です。強いていえば数十年前、パプニカ王家の洗礼の儀式とやらが執り行われていたという眉唾ものの記録もあるようですが、今回の件で嘴を挟んではこないでしょう。元よりパプニカに通達してやる義理もありませんし」

 

 つーかこっちからパプニカ王家に『デルムリン島に赴きますが構いませんか?』なんてお伺いを立てるわけにはいかないのだ。それをしてしまえば、暗に『デルムリン島はパプニカ王国の領土』と認めてしまうことになる。後々を考えれば外交失点以外の何者でもなかった。

 それがわかるからバランも一度頷くだけで異は唱えなかったのだろう。内心では七面倒くさいことを、とか考えてるかもしれないけどな。仕方あるまい、そういう面倒くさいのが国家間の付き合いというものなのだから。

 なにより折角『アルキード王国第一王子の第二の故郷』なんて名分が生まれようとしているのだ、この機を最大限生かせずしてどうして行政の担い手を名乗れよう。機を見て敏なる言葉が推奨されるのは、何も金儲けの算段に限った話でもないのである。

 

「時期は?」

「冬の海は荒れるそうですから、一つの季節を跨いで新芽が顔を出す頃合がよろしいかと。それまでに兵の調練や情報の収集も含めて、出航の準備を万全にしておきましょう」

「それが妥当であろうな。だが、万全を期すというのであればお前も私に同道せよ。よいな?」

「はい、喜んでお供させていただきます。……バラン様が陣頭指揮を執ってくださるなら気楽な旅が出来そうですね」

 

 それこそ渡りに船だろう。

 下手な人選をしてダイやブラスに無礼を働くような真似をされては困るのだ。元々文官の人選に難航が予想されているのだし、デルムリン島には俺が責任者として出向き、ブラスを説得してダイを連れて帰るつもりだった。部下の統制や指示だしをバランが請け負ってくれるというのなら、その分楽をさせてもらうまでだ。

 

「一つ、尋ねておきたいことがある」

「なんでございましょう?」

「お前はいつからディーノが魔物の元にいる可能性を考えていた?」

「アルキード王国全土をあげてディーノ王子の行方を辿り、その調査の空隙をバラン様が埋めておきながら何も出てこなかった。ならばと消去法で考えたのが始まりです。……ああ、それとも最初から選択肢として秘めていた、と言ってしまったほうが驚いてもらえますか?」

「頭から否定は出来んな。お前は知りたいことを最短距離で知りすぎる」

 

 そりゃそうだ。何故といって、俺がバランに注文する情報の多くは『元々知っていることの裏づけ調査』なのだから。バーンの秘密に関わる凍れる時間の秘法しかり、魔界の情勢しかり、アバンとヒュンケルの関係しかり。

 既に芯となる情報を持っていて、それを確かめたり補強したりするためにピンポイントな場所や人物、組織を洗えるから得られる情報の質が半端なく高いのだ。諜報分野、すなわち情報戦においては普通玉石混交の石ばかりが集まるし、それらを多角的に分析することでようやく真実が見えてくる、そういうものなのだ。だというのに、俺の場合は高確率で玉を引き寄せてしまう。

 

 そんなことを何度も目の当たりにしていれば、こうしてバランが不審を抱くのも至極当然のことだった。そして俺自身時間効率を優先しているため、フェイクを差し挟んだりといった小細工は打っていない。無論、人材と資金の無駄遣いをしたくないという貧乏性な性根も否定しないが、それだけ俺がバーンの脅威に怯えている証左でもあった。

 

「運命に愛されているか、神様に呪われているのでしょうね。難儀なことです」

 

 どちらも同じ意だ。つまり――禄でもない。

 

「身も蓋もないことを言う。それを竜の騎士たる私の前で口にする度胸は買うがな」

「バラン様にそう仰っていただけると嬉しくなってしまいますね」

「皮肉だ、馬鹿者。ついでにいえば、既にこの手の問答の時期は失しているというのが私の見解だがな。お前はお前の為すべきことを為すがいい、おそらくそれが最も良い結果につながるのであろうよ」

「さて、誰にとっての未来かは保障できかねますよ? とはいえ信には信を返すのが筋というもの。叶う限りの微力を尽くさせていただきましょう」

「頼もしいな。お前の献身、ありがたく受け取ろう」

 

 と、ここで終われば麗しい主従愛だったのかもしれないけど。

 以下は蛇足。

 

「戯れに応えるが良い。仮に最初からディーノの行方に目星をつけていたとして、それを私に秘した理由を挙げてみよ」

「ああ、簡単ですよ。当時の私は『竜の騎士が魔物に対する立ち位置』を知らなかったので、ディーノ様を取り戻そうと罪もない魔物を相手に大虐殺を起こすのではないかと恐れていました。それはさすがに良心が咎めた、とお答えしておきます」

「なるほど、それはひどい理由もあったものだな」

 

 はっはっは、と笑うのはさすがに自重。

 だって仕方ないだろう、俺にしてみればバランは自分の妻を殺されて侮辱された途端、怒りで大陸の一部を消し飛ばす苛烈な気性持ち、つまり盛大な地雷だったのだ。下手にダイの居所を予想した結果バラン暴走、息子を理由にブラス老を殺してしまうなんて未来は寝覚めが悪すぎるし、下手にダイを連れ戻した挙句王族稼業に嫌気でも差されたら事だ、そのままソアラとダイを連れて出奔してしまう恐れもあった。そんなことになったらバランに俺の家族が暮らすこの国を守ってもらうという企てが成就しないじゃないか。

 

 なによりバランを煙たがっていた連中が暴発して赤子のダイにちょっかい出してみろ、バランがぶち切れてアルキード王国滅亡一直線だ。ダイをデルムリン島に置くことで紡がれるだろうブラス老との家族関係とか神の涙扮するゴメちゃんゲット作戦以上に、あの当時のバランとダイを一緒にすることは不確定要素が強すぎて、とてもじゃないが踏み込める代物じゃなかったんだよ。ぶっちゃけてしまえば俺がバランを信じ切れていなかったってことになるわけだけど。

 あれから三年、いや四年が経とうとしている。国内の情勢も固まり、味方も増えた。直接仕えることでバランの人柄だって掴めた。今となってはさすがにこの男を噴火寸前の活火山なんて思っちゃいない。

 

「明日からパプニカに渡るのだったな、地底魔城まで足を伸ばすのだったか。……無事に帰ってこい、まだまだお前には助けてもらわねばならん」

「ラーハルトも一緒ですし、本格的に潜るわけでもなし。そう滅多なことは起こりませんよ。しばしお傍を離れるゆえ、バラン様もお体にお気をつけください」

「うむ」

 

 そんな心温まる会話を交わした翌日、俺はラーハルトと共にパプニカ王国に意気揚々と跳んだのだった。

 

 

 

 

 

「ようこそいらっしゃいました。まずは我が邸宅に案内いたしますゆえ、ごゆるりとおくつろぎあれ、とのお言葉です」

 

 パプニカ王国の玄関口、すっかり復興の叶った風光明媚な港町で俺達を出迎えたのは、件の招待主である司教テムジンの遣いとしてやってきた一人の青年だった。賢者の衣装を纏う見目良い男で、おそらくはまだ二十歳前。涼やかな挨拶を交わした青年はバロンと名乗った。賢者バロン、歳若くもパプニカを代表する魔法の使い手として勇名を馳せている男だ。

 

 俺の後ろに控えるラーハルトを一瞥してかすかに目元に険を寄せたようだが、それ以上の反応は示さず、いかにも事務的な対応に終始していた。当たり障りのない応酬を繰り返しながら馬車に手早く乗車し、程なくテムジン宅に到着する。教会で司教の地位にあり、パプニカ王宮でも頭角を現してきているという事前情報を省みるならば、テムジンの邸宅は彼の肩書きに比して随分質素な佇まいをしていた。

 

 ここに来る道中にもっと大きな住居を幾つも見ていただけに、少々拍子抜けしたくらいだ。個人的な知識の面でも、テムジンにはもう少し浪費家のイメージがあったのだが、存外質素倹約に努める男だったらしい。意外、といったらやっぱり失礼になるのだろうな。

 ほどなく奥に通され、家の主と面会が実現する。

 

「はじめまして、ルベア殿。こうして招きに応じてくださり、まこと感謝に堪えませぬ」

「こちらこそ無理を聞いてもらえてありがたい限りですよ、テムジン殿。改めて名乗らせていただきます。アルキード王国はバラン殿下の傍仕えをさせてもらっているルベアと申します、こちらは私の護衛兼随伴のラーハルト。我ら共々、短い間ですがテムジン殿のご厚意に甘え、お世話になります」

「いやいや、請うたのは私ゆえ、そう申されてはこちらの立つ瀬がありませんよ。ともあれまずは祝着、骨折りに尽力した甲斐がありましたな」

 

 テムジンは王宮でもないというのにきっちり礼装を整え、非のない態度で歓迎の声を紡いでいた。中年に差し掛かっているのだろうが身奇麗にした風貌と溌剌とした語り口は実年齢よりも幾分若さを感じさせる。俺のような青二才をこうまで下手にでてまで招きよせた以上、なにかしらの思惑を秘めてはいるのだろうが、少なくともそんな腹黒さは欠片も思わせない態度だった。パプニカは八王家の中でも特に伝統と格式を重んじる国家であり、その最前線ともいえる王宮で長年泳いできた男らしい如才なさである。

 

「さて、本日は本宅で休みを取り、明日は王都で観光、明後日以降は地底魔城の見学でしたな。城下はバロンを案内につけますが、地底魔城は王家の厳しい管理下にあります。容易く他国の者を入れるわけにはいかぬゆえ、私も同道致しましょう。ここまででご不明な点はありましたかな?」

「テムジン殿のご協力に重ねて感謝を申し上げるべきですね。ご迷惑をおかけします」

「貴国と我が国の陛下がお決めになられたことゆえ、感謝は不要です。ですがどうしてもというなら、是非にルベア殿との歓談の時間を楽しみたいものですな」

「それはもう、私程度でよろしければ喜んで同席させていただきましょう」

 

 できればご遠慮したいところなのだが、まさかそんな本音を口に出来るはずもない。にこやかに了承と頷く俺だった。

 テムジンがバロンに申しつけ、客間に向かう道すがらぼんやりと考える。やっぱりテムジンは俺向きの相手だろう。多少気になるのは終始テムジンの影のように沈黙を守っていたバロンの立ち位置だが、軽く話題を振ってみるとテムジンの直属というか子飼いのような仕事をしているらしい。この頃から単なる上司部下以上のつながりがあったのか。テムジンとの会談ではそのあたりにも探りを入れて見るとしようか。無駄な情報にはなるまい。

 

 ともあれ、バロンの相手はラーハルトに任せることにしようか。バロンはラーハルトの顔、というより魔族の風貌を目にして微かに嫌悪を滲ませていたし、彼らのファーストコンタクトはそれなりに相性が悪そうだった。どうにもならないようなら適当なところで仲裁に入ればいいと割り切っておけば、これもラーハルトにとって良い経験になるだろう。

 いや、だってなあ……。

 

「さて、ラーハルト、お前はさっきの二人を見てどう思った?」

「テムジンとやらは荒事向きではないな。多少の心得はあるようだったが、凡百の術師に過ぎん」

「一応大戦期は前線にも出たことのある僧侶らしいがな。そりゃ、お前にしてみれば並以下の手合いなのかもしれんけど」

「戦後七年で牙が鈍っているのが明らかだからそう言ったまでだ。露骨に呆れてくれるな」

 

 アバンとの手合わせに味を占めて、ますます腕磨きの渇望に拍車がかかった男の台詞である。

 

「警戒という意味では俺達を案内した男――バロンとかいったか? 奴のほうを注目しておくべきだろうな」

「大戦末期の戦場で獅子奮迅の活躍をした賢者殿らしい。貴族の出じゃないせいか力に地位が伴っていない向きもあるが、パプニカでは若手ナンバーワンの実力者だろう。二十そこそこの年齢で僧侶の魔法はベホマまで、戦場の華である魔法使いの魔法はベギラマまでマスターしているというのだから、魔法戦のエキスパートという触れ込みは妥当なとこか」

 

 魔法使いの操る代表的な攻撃魔法のうち、比較的習得しやすいとされるのがメラ系とヒャド系である。幾分ヒャド系のほうが習得しづらいともされるが、個人差の範疇だ。そこから難易度が上がってイオ系、さらに上にギラ系が位置する。同じ魔法力を込めるならギラ系が最も破壊力に勝るのだ。ベギラマまでマスターしている一点のみでもどれだけ魔法使いとして練達しているかが伺えるのだった。

 あらゆる呪文のエキスパート――すなわち賢者。竜の騎士であるバランや魔王討伐を成し遂げたアバン一行を除けば、バロンは世界でもトップクラスの一角を占める実力持ちなのは動かないだろう。

 とはいえ……。

 

「だからなんだ、という程度でしかないがな。警戒するとはいっても、それはお前に狼藉を働かせないという意味でだ。斬ろうと思って斬れない相手だとは思えん」

 

 『肌で敵の強さがわかる世界の住人』の感覚なんぞ知るか、こんなことを当たり前のように口に出せるからこいつは例外なのだ。なにせ魔法ありの自由組み手で、短時間ならばアバンとも互角以上に打ち合える猛者だからな。唯一の欠点は年齢からくる体力不足くらいだろう。

 ラーハルトは長期戦になると途端にパフォーマンスが落ちる――が、それもあと数年で解消される弱点でしかない。今ですら身体が出来上がるまで待ってはいられないとばかりに、疲労を抑える戦闘術の開発に余念がない男だ。目標とする高みが竜の騎士だということもあるだろう、生半可な覚悟で生きちゃいない。

 

「頼りになる部下を持って俺は幸せだよ。喧嘩しにきたわけじゃないってことだけ覚えてくれてりゃいいけどさ」

「お前の身の安全も俺の職務のうちだろう? むしろ仕事熱心だと感謝してほしいくらいだ」

 

 最近は口も回るようになってきた気がしないでもない。結構結構、このまま俺の仕事を肩代わりできるくらいまで腹黒くなってくれれば安心もできるというものだ。

 

「しかし名にし負うパプニカの若き天才でも役者不足ってのは恐ろしい話だ」

「弱いとはいっていないさ、望めるならばパプニカの誇る賢者殿の実力を拝見させてもらいたいとも思っている。それにアバン殿と手合わせをして、俺には実戦経験が不足していると痛感したところだからな。今回は自重するが、機会があれば逃さんよ」

「……本当に頼もしいことで」

 

 怖いくらいの向上心だった。

 

「他国の見聞を深めることも必須だったな、この際だからその手の話も聞かせてくれ、お前は事情通なのだろう?」

「調子の良い奴。……ふむ、晩餐にお呼ばれするまでもう少しかかるし暇つぶしにはなるか」

「そうこなくてはな」

「戦士の質でいえば、やっぱり最有力はアバン殿の古巣でもあるカール騎士団だろうな。入団したばかりでまだあまり名は知られていないが、ホルキンスという男が有望株らしい。今度アバン殿に話を聞いてみるか」

 

 先代の騎士団長を務めたロカを超える逸材とも一部では囁かれてるそうだが、実際今から八年そこそこで騎士団長にまで上り詰めるのだ、誇大に吹かした評価ではないだろう。

 そもそもロカは生前ハドラーを倒したことで英雄扱いだったし、今は故人だ。そんな人物を引き合いに出してまで評価するくらいなのだから、聞こえてくる話のほうが控えめだろうと思う。剣の技能に限ればバランともある程度打ち合えるほどの達人になるのだ、尋常な才能ではない。

 

「とはいえ、どうせ学ぶのなら俺はリンガイア王国のバウスン将軍を推薦するぞ。城砦王国リンガイアで将軍職を務めているだけあって、大規模合戦の指揮や篭城戦に一家言持つ方だ。将来を考えるならご指南いただくことに絶対損のない相手だと思う」

 

 実践指揮官としての名声は世界一だろう。今年三十才になったばかりの歴戦の武人と考えれば、この人も十分若い。……息子の教育には微妙に失敗しそうな御仁ではあるが、それは言わぬが華か。

 一軍を率いた将軍の息子が単独行動大好きな個人能力主義者というのも考えづらいだけに、ノヴァも祖国が滅びたことで余裕を失っただけという可能性もある。いずれにせよノヴァについては将来の話だ。今は剣を握り始めた子供でしかないし、俺の知識など参考情報にしかならない。

 

「惜しむらくは俺の立場だと自分から出向けんことだな。どうにかできんものか」

「贅沢言ってんなー。バウスン将軍との個人的な語らいなんて騎士の誰もが憧れる誉れだぞ」

 

 俺も勉強させてもらいたいくらいの相手だ。なにせ戦略畑では世界トップクラスの人材なのだから。

 

「そこはお前に期待させてもらうとしよう」

「バラン様に頼め」

「そのような畏れ多い真似が出来るものか」

「俺ならこき使っても良いと聞こえてくるのは気のせいかね?」

「無論、気のせいだろう。しかしそう邪推ばかりでは程度が知れてしまうのではないか? 自重するんだな、《託宣の御子》」

「槍捌きに留まらず減らず口にも磨きがかかってきたじゃないか。折角ソアラ様がつけてくれた教育係も今頃泣いてるだろうよ」

 

 喧々諤々。

 そんなこんなで、真面目なのだか不真面目なのだかわからない雑談は、迎えの者がくるまで小一時間続いたのでありましたとさ。

 

 

 

 

 

 テムジン宅で一泊した翌日、王都観光を満喫中に奇妙な出会いがあった。いや、奇妙といっては相手に失礼だから言い直そう、思いがけぬ遭遇があった。……『遭遇』とか考えてる時点でひたすら無礼だということにはこの際目を瞑っておく。

 喧騒盛りの昼下がり、俺達は一人のご老体と鉢合わせしていた。相応の年かさ伺わせる白髪の頭、深い皺を刻む一方で柔和に綻んだ人の良さそうな顔、さりとてその身体は歴戦の名残を思わせる鍛えられた兵士のもの。溌剌とした声をあげて笑っているのは『自称』パプニカの発明王と豪語するご老人、バダックだった。

 

「やあやあ、奇遇ですなバロン殿。今日は休暇ですかな?」

「いえ、私はテムジン様のお客人のご案内なれば、職務の一環にございます」

 

 若手の新進気鋭にして賢者として名を馳せるバロンを相手に、こうも気安い態度で接することが出来る。その一事だけでもバダック老がただの好々爺ではないことが知れよう。

 バダックは先代国王の御世から長くパプニカ王家に仕え、尖った能力や目を瞠る功績こそないものの、堅実かつ実直な忠勤に励んできた過去を持つ。そのため現パプニカ国王の信頼も厚く、国内向けの顔の広さや知名度でいえば相当のものだった。……その奇行ぶりも含めて。

 

「いや、実際助かりましたぞ。いま少しで誤解されたまま衛兵にしょっぴかれるところでしたからな」

「城下で火薬を使っておいて誤解もなにもないでしょう。この場は私の権限で兵に引いてもらいましたが、明日登城したら真っ先に始末書を提出してくださいよ」

「バロン殿は固いのう。あれはこのバダック一世一代の大発明なのですぞ、なんとしてもレオナ姫さまのお誕生祝いに間に合わせなければ」

「……バダック殿」

「やあやあ、感謝しますぞルベア殿。おかげで実験に弾みがつきそうじゃわい」

「それはどうも」

 

 しれっと応える俺をよそに、疲れたように溜息をこぼすバロンが少し不憫だった。そんな若者の悲哀はともかく、バダックが大発明と謳っていたのは火薬を使った祝砲、もとい『花火』である。数ヶ月先に控えたレオナ姫の誕生パーティーでお披露目すると意気込んだはいいが、何分パプニカは火薬の扱いに関して後進国。彩りもへったくれもない信号弾もどきしか存在せず、バダックも頭を抱える始末だった。

 

 そこで俺が花火の骨子になる『星』の作成と配置図を数例提案し、彩り豊かな火薬反応の研究はベンガーナ王国で研究中だと囁く。ついでに資料を取り寄せることも可能だと大盤振る舞いしたからさあ大変。バダック大興奮でバロンがますます頭を抱え込む仕儀となった。

 うん、悪ノリしたのは自覚してる。だから『花火はベンガーナで既に開発済み。近々売りに出される』という残念な、いやさ野暮な事実は口にしないことにした。

 

 そのうえベンガーナに花火の開発依頼を出し、火薬研究のスピンオフ技術として『花』や『柳』のような多種多様の大輪を咲かす娯楽アイテムという、ベンガーナの好きそうな商売絡みの発想を持ち込んだのも俺なのだ。……これは気づくまで黙っておけばいいな。パプニカは大戦終結からこっち、半ば鎖国じみた政策を取っているから他国の動静にも疎いようだし。

 

 うん? 花火の使用用途? そんなもん、うちの王子様の帰還祝いでぶっ放すための準備に決まっているじゃないか。

 

「よーっし、わし、決めちゃったぞい! 一宿一飯の恩を返せぬとあっては騎士の名折れ! 聞けばルベア殿らはあの憎らしい悪の巣窟、かの魔王の残した地底魔城を訪れるとのこと。ならば――!」

 

 ぎらり、とバダックの眼光が空を射抜く。帯剣していれば間違いなく剣を引き抜いたであろう見栄の切り方だった。ついでにここは王都の真っ只中だということを思い出していただきたい、控えめに言って関わりあいになりたくない絵図だろうよ。

 

「このパプニカ一の大剣豪バダック様が御身を守ってしんぜよう! なに、遠慮はいらんぞ。泥船に乗ったつもりでご安心召されるがよい」

 

 一宿一飯とか泥船とか、もしかして突っ込み待ちなのだろうか? かっかっか、と大層機嫌良く笑うバダックに相対する俺もまたにこにこ顔。

 うわーい、なんかこの人おもしろーい。

 ……そこ、苦笑いとかいうな。必死に頬の引き攣りを誤魔化してるところなんだから。バダックの突然の申し出も苦労するのはテムジン以下、パプニカの家臣団だと言い聞かせて心の安寧を図ってみたりとこっちは忙しい。

 

 ――地底魔城訪問が本当に泥船だったことに気づくのは、もうしばし後のことである。いや、もちろんバダックが原因じゃないのはわかってるけどね?

 

「ではわしは準備があるので一旦失礼させていただきますぞ。ふふふ、腕が鳴るわい」

 

 そんな不穏な言葉を残し、バダックは去っていった。嵐のようだった、と思う。だからこそバダックと別れた後の俺達は、どこか気の抜けたような気分で王都見物を続ける羽目になったのだろう。

 

 ちなみに、というべきか。順当に、というべきか。

 この王都観光の間、ラーハルトの姿が原因の諍いは一切なかった。厚着の季節になっているためほとんど肌の露出がなかったことが一つ。ラーハルトの出自に気づいて胡乱な目を向けてくる人間もいたが、そうした連中のほとんどはバロンの顔を見た途端すごすごと退散していくのだった。ラーハルトの話では一般人に扮した兵らしき者も数名見かけたらしいし、半魔族の同伴と相応の警備を要請していたことが功を奏したらしい。

 

 気になる点を挙げるとすれば、そのこちらが気づいた警備兵は皆『テムジンの手の者』だという事実だろう。……あの男、やはり武官筋にも顔が利くらしい。頭に入れておくべきだな。

 

「王都見物は大変楽しかったです、と後でバラン様に報告しよう」

「緩みすぎだろう、遊びほうけていたと告げ口したくなるほどだ」

「そこは誇っておけ、お前が気を張ってればこそ安心してられるんだ」

「……ふん」

 

 魔王ハドラーに最も苦しめられた国のお膝元で、こうして半魔族の部下と二人暢気な会話を交わす余裕を、今は何よりもありがたく思える。そんな初冬の一幕だった。

 

 

 

 

 

 地底魔城とは魔王ハドラーが地上侵略の拠点として定めた本拠地である。いや、魔王が討伐された今は本拠地だった、と過去形で語るのが本来は正しいのだろう。

 しかし完全な過去形には出来ない事情があった。というのも、地底魔城は『今も往年の姿のまま』パプニカの国土に堂々と鎮座しているからである。しかも城の内部には当時に比べて激減しているとはいえ、未だ魔物が屯する巣窟に変わりはないという妙な事態になっている。

 

 ――何故か?

 

 答えは簡単、『地底魔城を残すことを人間が、とりわけパプニカ王家が望んだから』である。

 そうでもなければ地底魔城など早々に打ち壊され、原型を残すことなく瓦礫の山に還っている。ハドラー討伐から十五年後の未来において、バーン配下の不死騎団が拠点にできるほどの軍事機能が残っているはずもないのである。

 なにせ地底魔城は世界を恐怖に陥れた魔王の居城なのだ。長く戦乱に苦しめられた国民感情、勝者を決定付けるための国としての体面、どう考えても占拠して利用しようとするより、後腐れなく破棄してしまうほうが自然だろうと思う。

 

 しかしそうはならなかった。パプニカ王家は戦後、驚いたことに『地底魔城を資源の策源地として残す』選択をしたのである。

 魔物は何百年、何千年と人類圏と隣り合わせに生きてきた敵対種族の総称であり、言語を解さぬ獣のようなものから、人間と遜色ない知性を有する者まで様々だ。常に人類の生存圏を脅かしてきた彼らだが、だからといって単純な敵対相手と言い切れるものではなかった。というのも、モンスターは人の生活に深く寄与し、恵みをもたらす共生相手でもあったからだ。

 大抵の場合、それはモンスターの死骸を利用することで成り立つ。生きた魔物は敵であり、死んだ魔物は友となる、などという言葉もある。スライムからドラゴンまで、遍く素材の宝庫となりえるのは動かしがたい事実だった。

 

 魔王ハドラーによって国土を蹂躙され、大勢の国民を殺されたパプニカ王国の戦後はひどいものだった。王都の民だろうと窮乏に喘ぎ中、生命線となる田畑は荒らされるままに放置され、耕す働き手の多くも失っていた。そんな状況のなか、パプニカ王家は速やかな戦後復興のために地底魔城を利用することで窮余の策としたのだ。

 

 地底魔城には世界各国で略奪された金銀財宝が眠っていた。アバンらはこれらをネコババしていなかったため、莫大な宝が地底魔城には眠っていたことだろう。パプニカ王家はズタボロになった国を立て直すため、急場を凌ぐ一手として回収した財を使って食料を輸入した。そして継続的な素材収入を確保するために、魔王の瘴気が色濃く残る地底魔城を『国家が管理する狩場』として利用し尽くしたのだ。食料、皮素材、骨、剣や鎧といった金属、ありとあらゆる素材がモンスターから手に入る。自然発生数が段違いの地底魔城は理想的な資源策源地となり、莫大な権益をパプニカに与え、国庫を潤したことは間違いない。

 

 地底魔城は天然の要害にあり、一方向にしかない出口を砦で塞いだがために、モンスター達にとっての檻となっている。誕生するそばから狩られる定めにあるモンスターにとってはひどく理不尽な話だ。モンスターを家畜に見立てた屠殺場以外の何者でもないし、もちろん聞こえのよいものではない。まさしく人類の暗部に等しい所業だろうと思う。

 だが、だからこそパプニカの戦後復興は急速に進んだのだ。それも他国の干渉を許さず、ほぼ独力で。

 

 王都見物で目の当たりにした通り、パプニカ王国は滅亡の憂き目から十年足らずの間に往時の隆盛を取り戻し始めている。民は平和と繁栄を謳歌しているのだ。

 俺が魔物に一方ならぬ罪悪感を抱いているのは、彼らの多くが人語を解す知性体だからだろう。内心色々と複雑ではある。しかし魔物もまた人類を襲うし食らうのだからお互い様と納得するのが道理でもあった。まして民にパンを食わせられない為政者こそ最も唾棄する手合いと認識している俺なのだから、パプニカ王家のやりように異を唱えられるはずもない。

 そもそもの話をするならば、モンスターを食材やら素材に利用することは多かれ少なかれ世界中で行われていることだった。それを廃止しろなどとなったら人類が滅びかねないし、最低でも文明レベルが数段衰退する羽目になる。ぞっとしない話だ。

 

 今も地底魔城には年に三回、『間引き』と称するパプニカ王家傘下の討伐隊が送り込まれている。素材の確保はもちろん、モンスターが外に溢れ出さないよう、定期的に間引いて総数を減らしているのだ。もちろん間引いた分だけ国庫を潤すのだが。

 こうしたパプニカの『独占』を各国は半ば黙認していた。それはそうでもしなければパプニカが滅びかねなかったことを知っていたからであるが、大戦時に各国がパプニカを見捨てたことも大きな理由だったのだろう。援軍の請いを黙殺した後ろめたさが各国の王族の胸には確かに残っていたのである。

 

 そうした背景を持つ地底魔城を俺が訪れることになったのは、件の地に足を踏み入れることで『アルキード王国としても君らに口出しはしないけど、安全管理だけは怠ってくれるなよ』と暗に伝える役目を負っているからだ。

 まかり間違って大戦再びなどということになったら目も当てられない。こっちも注視だけはしているぞ、といういかにもなポーズも兼ねて俺が赴いている……のだが、俺としても隠し部屋に眠る魔法アイテム――『魂の貝殻』の行方が気になっているのでこの任務は渡りに船だった。

 ヒュンケルのことはアバンに一任する予定ではあるが、バルトスの遺言を確保しておいて損もないのだ。それでなくとも父から息子に宛てた最期の言葉、多少の骨折りで最後の邂逅が叶うならば餞として贈ってやるのが人の情というやつだろう。

 

 もちろん今の地底魔城はパプニカ王国が厳重に管理しているため、無断で忍びこめるはずもないし、今回とて城の奥深くに踏み入る許可は出ていない。が、実際の脅威度を測るのが先決だから落ち込む必要もないのである。いずれは探索許可を得て火事場泥棒に勤しみ――げふんげふん、穏便にお宝を回収しなければ。

 ふむ、アルキード王国(うち)の派遣兵が地底魔城の深部に踏み込むのがまずいなら、アバンを押し出して引率に当てる形にするのもいいか。さすがに救国の英雄相手に無視はないだろう。これは案外使えるかもしれん、覚えておこう。

 

 地底魔城はハドラーが本拠にしていただけあって攻めるに難い立地に建てられている。高い標高の山々に囲まれ、正面以外は切り立った崖。ただでさえ険しい山間の地のうえに妙な呪法で覆われているのか、瞬間移動呪文(ルーラ)洞窟脱出呪文(リレミト)も通じない、いわば陸の孤島にある。

 そこで俺達はルーラで乗り付けることのできる最も近場の砦――戦後に設立された地底魔城の監視と蓋の役目を帯びた軍事施設を経由することで目的地に辿りついた。周囲には討伐隊が野営した名残りらしきものがそこかしこに残されている。そして――。

 

「これが地底魔城……かの魔王が座し、最後に勇者様たちと死闘を演じた地ですか」

「左様、まさにこの世の終わりのような威容ですな」

 

 俺が半ば無意識に漏らした独白を拾ったのはテムジンだった。ラーハルトとバロンは無言で警戒を強くし、同じくテムジンを警護する兵士の一団が魔物の襲撃に備えている。バダックも何故か守られる側だった。……もしかして厄介払いか?

 それはともかく、俺はようやくにして眼前に広がる地の底まで穿とうという大穴を確認し、畏れと恐怖にごくりと唾を飲み込む羽目になった。それは二十人に満たない今の俺達をはるかに越える大軍であろうと容易く飲み込まんとする巨大な(あぎと)であり、こうして眺めているだけでも自然と身体に震えが走る不気味さがある。目を移せば決して自然の賜物ではなく、人工物を思わせる螺旋階段が続き、まるでここが地獄の入り口だと手招きしているようだった。

 

「ここからは我々が先行しましょう。――バロン」

「はっ」

 

 そんな短いやりとりがあって、すぐに陣容が整えられた。先頭の露払いと最後尾の警戒をパプニカ兵が引き受け、中央にテムジン、バロン、そして俺とラーハルトが続く。

 長い長い降り階段を下りれば、そこは一面の迷路だった。天然の要塞であることを印象づけるような剥き出しの岩壁が無骨なまでに広がり、要所要所を石で塗り固められた通路が四方八方に伸びている。出会い頭にモンスターと遭遇するものの、それはパプニカの精兵によって瞬く間に処理されてしまった。以降は遭遇戦もなく静かなものだ。

 

「……これはマップなしに歩き回るのは自殺に等しいですね。貴国の調査は何処まで?」

「無論、この城全域を網羅したものが作られておりますよ。ですがそれは――」

「軍事機密ゆえ開帳は期待するな、といったところでございましょう? 我が国としても貴国がこの地をきっちりと管理してくれるのであればそれ以上は望みません。無粋な勘繰りは無用ですよ」

「それはありがたいことですな」

 

 にこやかに含意が横滑りする会話である。腹に一物抱えてるのもまたお互い様というやつだろう。今は大人しくしておくことに変わりはない。

 

「――ここまでですな。これ以上は私の権限で案内できる範囲を超えてしまいます。なにとぞご了承いただきたく」

「ここまで内情を見せていただけただけで破格の対応と存じます。国許にはテムジン殿の尽力と合わせてご報告させていただきますよ」

「ありがとうございます」

 

 迷路状の地下一階をしばし歩き回った頃、テムジンが撤収を口にし、俺もまた文句を零さず同意していた。バダックだけは「わしの剣の冴えを披露する場が」などと微妙に落ち込んでいたが、丁重に無視されていた。だからこの人の相手を俺に押し付けるな、あんたらの同輩だろうに。

 

「安全な場所を選んでご案内いただいたのでしょうが、それにしても最初の遭遇以降モンスターの影がない。城の内部で発生するモンスター数、及び生息数が年々下降しているとの話でしたが、それを実感するような静寂ですね」

「どうも地下に篭る習性でもあるのか、さらに奥深くに潜ればまた別ですが、この階層に限ればルベア殿の感想が正しいでしょうな。むしろ一度でもモンスターが出現したことのほうが驚きです」

「魔王にしろ魔物にせよ、未だその生態は謎のまま、というのはどうも収まりが悪く感じて落ち着きません」

「さりとて我々は今日も生きて行かねばなりません。違いますかな?」

「テムジン殿の仰る通りですね」

 

 収まりが悪いというより……なんだろう? 何かがひっかかって胸のうちにとどまるもやもやが晴れない。そんな不完全消化の気分だった。

 その後も何か事故が起こることもなく、至って平和に地上にたどり着いたことで、俺達は各々馬車に乗り込んで帰投を開始する。

 

「……ルベア、気づいているか?」

「対象が多すぎる。もうちょい詳しく」

 

 やはり魔族の外見で損をしているのか、ラーハルトはパプニカ兵のほとんどに歓迎されていなかった。ラーハルトもそのあたりは嫌になるほど察していたのだろう、探索の間は言葉少なく職務を遂行するだけで不満らしい不満を見せなかったのはたいしたものだ。

 煩わしい目がなくなって口を開きやすくなったのかとからかう間もなく、ラーハルトのどこか緊張した面持ちに気を引き締める。御者に音が届かぬよう注意しながら会話を続けた。

 

「野営跡のことだ。確か前回パプニカの討伐隊が出張ったのは二ヶ月前だったな? だが、あそこに残っていたのは――」

「兵士が大挙して押し寄せた形跡がある、だな。お前の見立てでは規模と時期はどれくらいだった?」

「規模はわからんが、時期はおおよそ二週間前といったところだろうよ。ところで貴様はどうやって規模を特定した?」

「んにゃ、お前と違って証拠品から辿ってるわけじゃなくて単なる推測。王家が厳重に管理している地に正規軍以外が入り込んでるんだ。どんな連中がどんな目的で『上』を欺いてるかを思えば、いくらかは想像もつく」

「……家臣間の権力闘争」

「多分。宝の山がそこにあるんだから食指も伸びるだろ、そう不思議なことでもない」

 

 たとえば何処かの誰かさんが魔王の遺物(キラーマシン)を発掘し、私物化して研究してるなんて与太話もありだ。パプニカ王家が秘匿してるのと、どっちの可能性が高いやら。

 

「対応は?」

「何もしないよ、それはパプニカ王家が糾すのが筋だ。お前も忘れとけ」

 

 現時点では所詮は疑惑でしかないし、他所様のお家事情に嘴突っ込んで火傷するのも馬鹿馬鹿しい。うちの王族方に報告して終わりにしておくのが無難だろう。場合によっては拗れた外交の突破口にもなりえるのだから、なおのこと慎重に扱うべきだった。

 

「わかった。そういうことならば何も言わん」

「何か思うところがあるなら聞くぞ。この国はお前の生まれ故郷であることに変わりないんだから」

「いらぬ気遣いだな、所詮は自ら捨てた国でしかない。積極的に害為す気はないが、今となっては特別な感傷に耽るほど思い入れもないさ」

「そっか」

「ああ。それに、な。この国の人間はやはり俺に――魔族に強い隔意を残しているよ。長居するべきじゃないと改めて実感した」

 

 一瞬の空白。二人の沈黙を覆い隠すように風が吹く。

 乾いた砂煙を持ち寄っては視界の端をかすめて去っていくそれは、どこまでも冷たく、寂寥を孕んだ寒風だった。 

 

「こればっかりは仕方ない、とは俺が言っちゃいけないんだろうな。……すまなかった」

 

 どれほど大人びていても、未だ十三年しか生きていない子供であることに変わりはない。そんなお前をこの国にまで連れ出したのは俺で、見たくもないものを見せたのも俺だ。それを自覚しているからこそ零れ出てしまった弱気だった。

 しかし滲み出る悔恨を表情に乗せた俺に向かって、ラーハルトは鼻で嗤うような仕草で応えてみせた。

 

「はっ、らしくもない。貴様、頭でも打ったか?」

 

 これ以上となく明瞭な、その答え。罵声をここまで頼もしく思えることも、そうはないだろう。

 

「いいか、ルベア・フェルキノ。二度とつまらん世迷言をいってくれるな。俺は貴様に心配されるほど弱くもなければ情けなくもない。取るに足りぬ惰弱こそを憎むのだと心得ておくがいい」

 

 ああ、本当――可愛くない奴。

 こういうストイックな性質は非常にバランと似通っている。だから互いに感じ入るものがあるのだろう。

 どこまでも鋭く、望む限り柔軟に。それはまさしく抜き身の妖刀が鞘に収めた名刀に変わる瞬間のようにさえ思えた。ともすれば俺は、稀代の戦士が生まれる過程を垣間見ているのかもしれない。ラーハルトの半生を知ればこそ、この尊敬の念にも価値が生まれよう。

 

「……上等。これからもきっちり使い倒してやるさ、泣き言は聞いてやらん」

「ああ、それでいい。お前はそうでなくてはな」

 

 張り合いがない、と微かに聞こえた気がした。俺もラーハルトも相手の顔を伺うような真似はしなかった。それはきっと、お互いが同じ表情をしていると確信していたからだ。あえて確かめるような無駄はしなかった。

 しかしながら今回の外遊を済ませて帰国すれば、ラーハルトは俺の直属を離れて騎士団に戻る予定なのだ。俺が使い倒すもなにもない。いずれはバランの右腕として活躍するようになるだろう。

 

(せわ)しない旅ではあったが、あとはアルキード王国に帰還するだけだな。このまま何事もなく終わってほしいものだ」

「同感。たった数日だっていうのに、もう実家のパンの味が懐かしくなるとは思わなかった。俺も存外里心が強い性質だったみたいだな」

 

 そうか、と今度はラーハルトが相槌を打って、以降は穏やかな沈黙が続いた。流れる景色は山肌とまばらな木々ばかりを移し、どこか寒々しい印象を抱かせる。最後に背後を一度だけ振り返ってから視線を正面に戻す。

 ……どうにも落ち着かない。

 脳裏に地底魔城の威容が思い出されるたび、無意識に右手が己の胸元に伸び、掴んだ服の厚い生地に皺を刻みつける。

 

 かつての魔王の居城という地獄の釜を垣間開いた影響か、警報染みた妙な胸騒ぎが一向に鎮まらないのだ。ただでさえ心労のたまる他国での旅程だ、自分で把握している以上に神経が張り詰めているのだろう。そうして適当な理由を見つけだし、気にしすぎだと言い聞かせてから、視界の全てをカットして暗闇に閉ざした。

 ここまで強行軍だったのだ、疲れも相応に溜まっている。疲労に任せて一時全てを忘れてしまうのもありだろう。

 

 そう思い定めた俺は、蠢く不安を忘れるため、しばしの休息として心と身体をまどろみの淵へと(いざな)うのだった――。

 

 


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