皆様、よいお年を!
全てが、白黒の味気のない世界。行きかう人も、話し合う人も。空も地面も、諸々すべてが、色彩を奪われたモノクロの世界。
……流体が作り上げた、それは、かりそめの世界。
その中を、一人の少女が泣いていた。泣きながら、俯いて……祭典の中を一人ぼっちで歩いていた。
それを、慌てて飛び出してきたのだろう少年が追いかける。追いかけて、しかし少女に逃げられて。
――人ごみを搔き分けた、その先で。
世界は、映像編集でも掛けられたように、止まる。
それを見て驚愕した人々の顔も、振り返った少女の目に浮かぶ涙も、必死に伸ばした少年の手も。
……二人の幼い命に、今まさに手をかけんとする――御者が必死に手綱を引いていても、最早、止まりようのない馬車も。
色が奪われ、全ての時が止められたその世界で、彼と彼女は、自分たちの罪に向かい合う。
青年は、少年をじっと見つめ、人で無くなった少女は、少女を無感動に見つめて。
――初めて客観的に見る、自分たちの事故の瞬間。
明らかに届かない距離で飛び込んでいるかつてのトーリを、トーリはなんとも言えない顔で見る。――届いた距離で飛び込んでいたら、彼女を押し出す前に、より危険なところに行って、最悪死んでいただけだろう。
そんな中ホライゾンは、コレが自分の死の瞬間か、と――二度目の死を目前に、ため息をついていた。
助けに行こうと手を伸ばすトーリと、その手を拒むように手を引くホライゾン。
その関係は、今でも変わっていないようで。「いま助けに行く」というトーリの言葉を、ホライゾンは短く「来ないで」と返していた。
消失の時間は、淡々と迫る。お互いの片腕が黒く塗りつぶされ――彼女は問うた。「ここが、二人そろっての消失が、あなたの望む【境界線上】なのか?」と。
どうしたら、どうすれば? 自分が何をすれば、彼女を救える? どんな手を打てば――。
と、言うことを――生憎と、彼は思わなかったらしい。自分だけで、誰かを助けるなどムリに決まってる。なんせ自分は不可能男なのだ。だから――
十年を経たその手を、トーリは今再び伸ばす。だが、まだ彼女へは腕一本分届かない。
――だから、独りよがりはやめた。彼女が対等を望むのであれば、『助けに行く』という台詞は対等足りえない。対等に在るための言葉は……
「今そこに行く! 必ず助けに行く! ……
――ソレを聞いて。……やっと、聞けて。
ホライゾンは手を伸ばす。差し出された手に、応じるように。
腕一本の距離は簡単に埋まり――二人の手は、文字通り結ばれる。二度と離れてしまわぬように。だけど無骨ではなく、祝福されるように。
眩いばかりの光に包まれて――二人は、この黒白の世界から、極彩色に彩られた世界へと帰っていった。
「……姫さんとトーリは、大丈夫っぽいな」
うん、と笑顔で頷き――この世界から戻っていく二人を、二人に終ぞ知られること無く見送ったのは、この世界に巻き込まれたもう一人……止水だ。
すべてが止められた空間の中、二人の直ぐ傍にいたにも関わらず――二人は止水を認知することが出来なかった。そういう仕様なのだろう、と一人納得し……むしろ、人づてにしか聞けなかったその瞬間を確かめることが出来て幸いとも思っていた。
止まろうとしている馬車の前にいる、幼いころの二人を見る。二人とも当然だが、小さい。今の止水の半分どころか三分の一に近いだろう。――どう考えても、誰が考えても、『どうしようもない』状況だ。
「聞くのと、実際に見るのとじゃやっぱり違うな……」
そして、思う。
もし、幼きころの自分が、喜美に連れ出されずこの場にいたのなら。……
もちろん、今更そんなことを考えても無駄なことだとは理解して――止水は『無理だ』と答えを下した。
確かに当時から止水は他の面々に比べて体格も大きく、身体能力も優れてはいた。だが、そんなものは『子供の中で比べたら』の話だ。例えこの場に彼が偶然居合わせたとして、救えるのは――トーリかホライゾンの、どちらかだけ。
二人とも救う方法は、止水がその命を犠牲にしたとしても、無い。
(だけど……)
……今、なら。
十年を経た……今の自分ならば。
絶対に届かないと思える距離にいる二人を、まとめて抱き抱えて安全な場所まで跳ぶ事が出来る。
――いや、それどころか走る馬車そのものを、片腕一本・半歩と引くことなく押し止める事だって出来るだろう。
「……」
だが、そんな思考も無駄だ。未練でしかない。
そうとわかっていて、理解していて……止水は馬車とトーリとホライゾンの間に立ち塞がる。両腕を広げ、大きな体で文字通り『大』の字を描き――この身をもって、二人の盾になれるように。
そして……時は、動き出す。加速した馬車は、止水をなんの抵抗にもせずすり抜けていき――軽く、しかし強い衝撃音と、悲鳴が……無彩の世界を塗りつぶした。
止水は、振り返ることをしない。広げた腕を下ろし、拳を強く握り締めているだけだ。
「……で、コレは『トーリの罪』なんだろ? 俺の罪でもあるけど、二人が否定してくれたんだ。……さっさと、俺の罪まで連れて行け……!」
高襟、そして鉢金に隠されているために表情を窺い知ることは出来ないが――誰が聞いても耳を疑うほどの、彼が出したとは思えない冷たく鋭利な声から、止水の相当な苛立ちが理解できるだろう。
……この場に自分以外の誰もいないからこそ、きっと、出せた声だ。
握り締めすぎた拳は必然に裂け、その手から、真紅の雫が一滴、白い大地を彩り――そこから、白と黒の世界を変えていく。
無彩色は、緋と黒の彩りに。悲鳴を上げていた者達が消え、馬車が消え……幼い二人も消えて、場所が――否、時が移る。
水を打った様に静まり返った通り。今言われている名は、当時には無かった通り。色でこそ異常をきたしているが、林道を抜ける風が、心に安らぎを届けてくれる場所。
そんな場所だからこそ選ばれたのだろう。造られたばかりの真新しい石碑の前に、一人の少年がいる。
「……やっぱり、これが俺の罪……か」
――自信ないなぁ。となんとも頼りない言葉と共に……止水は、その少年に並ぶ。石碑の前、ただ無言で立ち続ける十年前の、己の隣に。
当時から平均より頭一つは抜けていたとはいえ、今の止水の半分ほどの背丈。力もそれなりにあったと記憶しているが、所詮は八歳の男の子。その自分を見て、止水が小さいなぁとあたり前の感想を呟いている。
(……鉢金とかしてないから、俺が初めて此処に来たとき、かな……)
ずっと変わらない緋衣はそのままだが、額には今ある無骨な鉢金は無く、顔を隠す高襟も無い。その状態で此処に来たことは一度しかなかったから、良く覚えている。
トーリが『こちら側』に戻ってきた、その報告を。――皆まだ悲しんでるけど、もう大丈夫だと、彼女に伝えに来たときだ。
曖昧すぎる記憶だが……これだけ黙っているということは、伝えることを粗方伝え終えて、何を言おうか悩んでいる……時、だったはず。
(……俺ってこんなに長いこと黙ってたかなぁ……?)
多分きっと。と自分の記憶を援護して……先ほどのトーリたちのように腕が赤い影に侵食されたのを見て、流石に少し焦り出す止水。
そんな焦る止水に構わず、かつての止水は、やっとその口を開いた。
『悪いな、姫さん。……約束、守れなくてよ』
言葉になったのは、まず謝罪。――ホライゾン・Aとしか記されることの許されない彼女の名を見ながら。
「……約束ってもんでもなかったけどな……トーリの奴が『王様になる』っていって、俺はそれに乗っかっただけだし」
そこまで言って、誰に説明してるんだ俺……と呟いて、隣にいる十年前の自分を見下ろす。
……『刀になる。トーリと姫さんを守る、刀になる』……たしかそんな感じだった、と残念な記憶力しかない頭をガリガリと掻いた。
だが、この時の……かつての止水は、トーリも、そして、ホライゾンも……そのどちらも、守れなくて――ただただそれが、どうしようもなく悔しかったことだけは明確に覚えていた。
『だからさ――』
そう続けるかつての彼は、笑った。それを見て彼は、苦笑した。
一度目の約束は守ることが出来なかった。出来なかったから、今度は約束という名の、誓いを立てようと決めたのだ。
『――もう一回、約束するよ。俺は、姫さんが好きだったこの武蔵を守る刀になる。姫さんのことを知っていて、姫さんが知っている皆を守る、刀になるよ』
『 守れ、護るべき人のことを 』
『 守れ、護るべき人がいるその時に 』
『――護れ、守るべき人と共に 』
『……護れ、守るべき人のことを 』
――それはもう、子供が勢いで口にする約束ではなかった。もしも、その言葉だけだったなら、感情に任せた子供の背伸びと思えたかもしれないだろうが、その後の行動が、それをさせない。
深い呼吸を繰り返し、自分という『個』を形作る流体の殆どを用い、契約に必要な場を造り上げる。
それは母――守り刀の紫華が緋衣と共に、止水に遺した術式。己を正しく『守り刀』とし、襲い来る災厄を、降りかかる不幸を一身に集める『守り刀の術式』……その完成形。
その思いを、造ったばかりの場に……残ったなけなしの流体に乗せて、武蔵中に飛ばしていく。――赤い世界に鮮明に映る『青い』流体光を見て、止水は感慨深そうに「このころはまだ青かったなぁ」とどうでもいいことを呟いていた。
なんとも言えない感覚に戸惑っているのか、幼い止水は自分の両手を握り開き、そして強く握る。
(……まさか、『アレ』を――今度は見る側になるとはなぁ……)
そんなかつての止水を見ながら、若干嫌そうに顔を歪めた止水の視線の先で――
――幼い止水の腹部を、一振りの刀が貫き破って現われた。
「……は……?」
『……え……?』
鳩尾から伸びる刀身は地面に伸びて、そして勢い良く引き抜かれ、腹と背から、大量の血が噴出する。……突然の重傷に幼い子供が何を出来るわけも無く、力なく腹の傷を押さえながら、膝を突いた。
……そして、その幼い止水よりも大いに呆けたのは、ほかならぬ、今の止水だ。
確かに――この時、この場所で、血を大量に流した記憶はある。腹部を押さえた記憶だってある。膝を突いて、もう直ぐ前のめりに倒れるはずだ。
しかし、『刀に貫かれた』なんて、そんな忘れようのない記憶はなく――かつての止水も、いきなり出来た傷だけを見て、刀には一切気付いていなかった。
つまり今の刀は――過去を見ている止水にしか見えていないということになる。そして、その刀を刺した者は……『後ろ』にいた。
……人を貫いておきながら、血に汚れていない錆きった刀を握る、その男。まるで幽霊か何かのように存在自体がおぼろげだが……それでもはっきりと分かるものがいくつかある。
ボロボロの、変色しきってしまっているが、赤系の色合いの見慣れた和装に砕けた鉢金。……そしてなによりも帯に差している、無数の鞘。
――疑いようもなく、それは守り刀の特徴だった。
つまり、この男は守り刀の一族なのだろう。止水と違って帯に差している鞘をみれば、術式などの技術が確立されていないほどの昔……少なくとも、何十も前の代の守り刀であることは確かだ。
「――俺の、御先祖様ってところか?」
直接的な血のつながりが分からないけど、と呟く止水に、その守り刀が答えることは、当然無い。かつての止水はその守り刀を認知できず、その守り刀を見ることが出来る止水は、かの男に認知されない……。なんとも分かりづらい関係性だった。
【 ……ふざけるな……! 】
血涙を流し、黒瞳に濁りきった怨念を宿し……あらゆる暗い感情をごちゃ混ぜにした殺意を、わずか八歳の、おそらく子孫であろう止水にぶつける男が、そう、確かに言った。
――その男に、続くように。
止水の体を通過して現われたもう一人が、折れた刀で止水の肩を切りつける。左肩から先を、緋衣ごと喪っている守り刀の女だった。この女も数多の傷を全身に残し、無数の、刀そのものが無い鞘だけを体に差している。
憤怒しか見られないその顔は鬼のようで……倒れていく止水を見下している。
【 ……貴様に、その資格はない……! 】
……気配は、二人だけではない。三人、四人と、数えることをそうそうに諦めてしまう勢いで、彼ら彼女らは現われ増えていく。男女は言ったとおり、曾孫玄孫が居そうなほど老いた者も居れば、かつての止水よりも幼いだろう幼児まで。
憤怒に顔を歪ませ、どうしようもない哀しみに血涙を流し。錆び付いた刀で、半ばから折れたその刀で、かつての止水を斬り付けていく。口々に漏れる怨念のような声は、先ほど止水が立てたばかりの誓いを、否定し、手折ろうとするものばかり。
「そっか……これが、俺の罪、なのか」
止水は、勘違いしていた。この時に負った傷は、術式を発動した際の初期反動だとばかり思っていた。事実、母である紫華からは『途方も無い苦痛を背負うことになる』と忠告されていたので、疑いなくそう思っていた。
しかし、今。……この処刑のような光景を見て、やっと理解する。
きっと――許せないのだろう。歴代の守り刀たちは……。
守ると誓っておきながら、実質なんの行動も出来ず守れなかった止水を。
そして、守れなかった挙句、身の程知らずにもまた守ると誓おうとしている止水を。
……なにより、自分たちには出来なかったことをしようとしている、止水を。
「…………はは、きっついなぁ」
――諦めろ、と。
貴様にもう、何一つ守れるものはないのだと。
死んでいてもおかしくない、むしろ、死んでいなければおかしい程の血溜まりの中で、止水は手を……肌色がどこにも無い、今にも千切れそうな手を挙げる。
助けを求める……ためではない。この時の意識なんて曖昧すぎて記憶すらないが、そんなものを望んだりはしない。
……上げたのは、上がるためだ。進むためだ。地に伏せる体を今一度上げるために。もう一度進むために。今度こそ、進むために。
ソレを見て、更に苛烈に刀群を殺到させる守り刀たち。このまま潰えろと。そのまま終われとばかりに、切り裂き、突きたて、止水を折っていく。折られた止水はまた足掻き、守り刀たちがまた手折り――それを、幾度と無く、繰り返す。
――ここで余談だが、刀という剣の鍛錬法を御存知だろうか。
高温の炉で鋼を熱し、叩いては伸ばして、そして折る。また熱し叩き伸ばして、そして折る。鋼という金属が極限まで鍛え上げられるまで、ただひたすらに、その『折り返し』という作業を繰り返す。
繰り返し、繰り返し……ただひたすらに。
折れぬように、砕けぬように。全てを斬り払えるように、全てを断ち斬れるように。――魂を込めて、打ち鍛えるのだ。
そして……今。
曲がらぬ信念を、その芯鉄に据え。折れた刀と、錆びた刀をかき集め、磨り減っていく己に代え当てて、新しい刀が、この世に産まれようとしている。
――それもまた、『守り刀の術式』の一つだったのだが、それが何故、どうして発動したのかは止水にも分からない。
色濃く受け継がれた守り刀の血が、止水を死なせまいと働きかけたのか。はたまた、火事場のなんとやらで偶然に発動してしまったのか。今となっては検討のしようもないだろう。
ただ一つ、分かりきっていること――それは――
『……っだ、!』
「……ああ、まだまだ、だ」
今、長き永き守り刀の歴史の中で、誰も至ることが出来なかった場所を、止水が駆け上っているということ。
右腕を侵食していた赤い影。それが今では胴体、両足まで広がり――止水の消失まで、幾ばくの猶予も無いことを示している。
かつての止水も、殆ど死んでいるような重傷だ。
『ま、だっ! 足りない……っ!!』
「ああ、そうだ。全然足りねぇよな。……なんせ、世界最強にならないといけないんだからな。俺は」
青くか弱かった流体を、力強い緋の流体が塗りつぶしていく。刺さる刀を切り裂く刀を、己のうちに取り込むたびに、より猛々しく。焔のように、立ち上っていく。
それは周りの木々の丈を超えて――直、誰かこの異変に気付くだろう。この時はまだ流体を治癒や血の補填にまわすことが出来なかったが、ひたすら生命力に代えて命を繋いで、一命を取り留めるはずだ。
「……ん? あ、止まった」
先のトーリたちのように、止水の過去がそこで止まる。
止水が見届けたのは、自分が守りの刀になる瞬間。つまり、止水の罪は――。
「……どうしよう。これ、否定しようがない……!?」
『母、紫華が打ち付けた守り刀の終止符を砕き、止水自ら最後の守り刀となってしまったこと』
これを否定してしまえば、自分自身を否定することになってしまい……。そもそも、論じてどうこうするのが極端に苦手な止水には、難解を通り越して回答不可能な問題である。
「やばい……もしかしなくても、俺……詰んだ?」
そんな、本当に頼りない言葉と共に。
……世界は緋色に、塗りつぶされていった。
読了ありがとうございました。
まさかの主人公死亡エンド……!?