鈴無双
では、お楽しみください。
……ぶつかってくるその身は――小さく、震えていた。
その震えが寒さにあるのなら、この身を冷やそうとも、自らの衣をかけてやれたろう。しかし、そうではない。――そうではないのだ。
「――抱きなさい、この私を……」
震えながら、『抱け』という。
何があった? と問うことは出来ない。彼女は顔を見せてくれない。背中に縋っていて顔をうかがうことは出来ず――その背中に顔を押し付けているのか長く、軟らかい栗色の髪しか見ることは適わなかった。
――彼女は、続ける。
「――何も言わずに抱きなさい。むさぼるように獣のように、自分のものだと占有しなさい」
……抱けるものかよ、と。ため息をついた。
「……なあ、喜美。やっぱ、無理じゃねぇかな?」
「……だらしの無い男ね全く。こんな良い女が据え膳ならべまくってあげたんだから抱きなさいよいいから早く!」
「いやでも抱け抱けって言われてもさ――……
両腕をがっちり前後から押さえられて、どうしろってんだよ?」
――「――その時、暗がりからこの世のものとは思えない悲鳴がッ!!」
「「うひぃっ!?」」
そんな、なんともため息をつきたくなる悲鳴が二人分。事実止水はため息をついていた。
少し離れた位置で、また一つの話が終わり、蝋燭の火が吹き消される。その語り部であったネシンバラは若干満足げな顔を浮かべて、静かに腰を下ろす。
「ふ、ふふふふふふん! どどどどどドージン作家の割りにはなかなかやるじゃないほめてあげるわホントよええ! 軽く呪いきりたくなるくらいほめてあげるわ!!」
「それって微妙にどころか思いっきり褒めてないよね君……」
止水の背によじ登り、ガタガタ震えながらの賢姉。指差した腕は震えに震え、ネシンバラを示したり、その左右にいるハッサンやネンジを示したりと忙しい。
「も、もうや、だぁ……」
前からの拘束者、鈴が震え……いや、もう全身を振動させながらぐずる。眼が見えない彼女は怪談話を聞いて、誰よりもリアルに想像できてしまうからこういう場では難儀であろう。
……一本目の蝋燭が吹き消される前には止水に飛びついていた。
ちなみに、いまのネシンバラの蝋燭で五本目。即ち、五つの怪談話が終わったということだ。
さらにちなみに、喜美が後ろから抱き着いて止水の両腕の、肩から肘の間を拘束。……今言った鈴が前からしがみついて、両腕の肘から手首までの動きを封じていた。
何とかしてくれよ誰か――とため息をつく止水は、『気をつけ』の状態から物悲しそうに、唯一自由な手首から先をヒラヒラと振っていた。
「……ネシンバラ殿たちには失礼でござるが……自分、今の五つを怪談とも思えんでござるよ」
「Jud. 小等部なら何とか怖がるだろうけど、さすがにあたしらはねぇ……」
ボソリとつぶやいた点蔵や直政の言葉に、先に語った四人はそりゃそうだ、というように苦笑を浮かべている。……ネシンバラだけが軽くショックを受けていたが。
「金にならん怪談で金が掛からず目的達成だ。つまるところ私の収支に関与していないのだからどうでもいい。 さて、次は浅間! 貴様だ!」
「あ、私「「ひぃい!?」」――ちょ、喜美に鈴さん? いまのはどういう事です? 人の名前と声だけで今日一番の怖がり方って流石に失礼ですよ!?」
説明するまでも無いだろう。怖さのレベルが 怪談話<ズドン巫女 という……いや、止そう。狙われたら怖いので、声に驚いたということにしておこう。
「それに止水君も止水君です! た、たまにはもっと強く言って離さないと……!」
「!? ゃ、やぁ……離さ、ないで……」
決壊寸前であった。――男衆の心がである。
理性を保とうと点蔵を筆頭にした数名が、自分の拳で自分の胸を殴りつけたり頭を殴ったりしてあふれ出そうとする何かを押さえつけていた。
浅間とて、キュンと来て思わず抱きしめようかと本気で悩んだほどだ。
とんでもない破壊力である。
「えっと、シロ君? なんだか余興で怖がらせるっていうより萌させちゃってるみたいだけどー……」
「恐るべきは向井か? 金になりそうだが――私も鈍ったのか。アレで金儲けをする気が起きん」
という――シロジロの発言を聞いて、
「はぁ……しかたあるまい。浅間、とりあえず貴様で最後だ。そもそもこいつらは前座だ。大して期待などしていない」
「「「「「最悪だこいつ!!」」」」」
前座と言い切った五人を、一銭の価値もないわ、と蔑む目にて見下すシロジロ。
鈴のことを吐露した彼を見て、思わず『あれ、いいヤツ?』と思いかけただけに下がり幅がでかい。上げて落とす、そんな彼にハイディだけが頬を染めていたが。
「もう……まあ最後なら、怪談よりも一つ、みんなに忠告が……」
「Jud. 重要なことのようだな……いいだろう、言ってみろ。ただし金は使うなよ」
「使いませんよ。ただ――ちょっと真面目なお話ですので、しっかり聞いてください。――最近多発している、怪異におけることなんですけど――」
浅間の真剣な顔。そして、真剣な声。
――マジな内容だ、と誰もが理解した。しかも、これから行うことの前に、というわけだから、下手な怪談よりも、恐ろしい内容になるだろうとも。
だからこそ――彼女は行動を起こした。
「ここから浅間によるスゥパーエロ巫女トークタァアアアイム!!!!」
もうお分かりだろう、我らが賢姉様である。
微動にしない止水の肩に立ち上がり、声高らかに宣言した。
「「「「「「ウオォォォオオオオオオ!!!」」」」」」
「はい!? ちょ、喜美いきなり何を……!? 男衆も正座で拝聴姿勢とらないで! 時とか場所とか……あれ、違う? と、とにかく大体喜美はどうしていつもいっつも『そういうこと』を……!」
「オバカねそれは私がエロの神様を奉じているからよ当然じゃない!! あ、正確には芸能ウズメ系のサダ派♪ まさか、神が命じていることを否定する巫女がいるの? いないわよね? ね?」
――ちなみに当人、相当乱心していらっしゃる。
それに気付かない浅間は、痛いところを付かれ勢いをなくしてしまっていた。
「ひ、否定はしませんよ。そりぁ、うちの祭神の一柱ですし――」
「フフフおバカねグレイト♪ アンタの神社で代理契約したものね私のときは。あの時は確か女しか儀式に参加できないからアンタが手伝いに来て――裏の滝で服を脱いで……」
「ストップ!! それ以上はダメ! ……ち、違いますよ!? 別に疚しいことは何一つありませんよ!? ただ、神様的なプライバシーとか機密があるので儀式の内容は公表できないといいますか……」
肩の上に喜美、そして両腕を未だに鈴に拘束されている、愉快なオブジェとなっている止水に弁明をする浅間。
「あの時は二人とも分からないことだらけで……マニュアル片手に器具使って三度もしちゃって」
「玉串を器具とか言わないの!! あと手を、その――卑猥な動かし方もダメ! ……止水君今上見たらズドンですよ!?」
はいはい、とため息をつきつつ目を閉じる止水。
最悪ズドンされたら鈴と喜美は逃さないとなぁ――という思考が一番最初に浮かぶのだから流石である。
「それに二回ミスったのだって喜美が変な名前で申請しようとしたからでしょ!? ってそこ! 録音しないでください!」
からかわれていることに気付けよ――という、正座していない男衆と、女衆の深いため息のどちらにも浅間は気付くことはなかった。
「いい加減にしろ葵姉! 怖い話が苦手なだけで浅間をからかうな、話が進まん!」
「そ、そう! そうですよ、ダメですよね! 自分がホラーダメなヘタレだからってそういうエロ話でごまかすなんて!!」
「……ああ、だが先ほどの話は後で送る連絡先に提供してくれ。必ずベストセラーにしてみせる。なに安心しろ、提供料くらいなら払う」
「――は、離してハイディ! この守銭奴をズドンできない!!」
携帯式小型儀礼弓を一瞬で展開した浅間を、背後から現われたニコニコ顔のハイディが取り押さえる。戦闘系の浅間を商業系のハイディに、とも思われたが、こっそりと両手に術式を展開していた。
涙目にして顔を真っ赤にしてじたばたと暴れる浅間。
「いいじゃないの浅間! 私とアンタのエロ話が広がるのよ! 武蔵中の男達にファンが出来るわよきっと!」
「それこそいりません! 私は止水君だけでいいんですからっ!!」
からっ!!
からっ!
から……っ!
――時が止まった。
いや、止まっていない。幾人かが持っている蝋燭の火がゆらゆらとゆれている。時は止まっていない。大切なことなので二度言わせていただいた。
女子勢はポカンと口を開け、喜美の思考も緊急フリーズ。男衆は、あーはいはいJudJud.
「ッ~~~!?」
そして、そんな当事者と相成ってしまった浅間は、カランと弓を落とし――これ以上に無いほど赤面していた。
無意識にドストレート、無意識だからこそのドストレート。
貴方が居れば何もいらない的な――付き合ってくださいというよりもプロポーズではないかこれでは。
周りに聞かれた。いや、それはいい。まだいい。
――御本人の目の前で、御本人の名前を入れてしまっている。
「ち、違うんです! い、いや、別に違わないんですよ? でもえっとその、とりあえず落ちちゅいてください!」
お前がな? と、とりあえずズドンの心配がなくなり一安心の一同。
しかし、そこではて、と首をかしげる。
そのご本人さんが、やけに静かというか、何のリアクションも無いのはなぜかと。
その手の話に疎すぎることで有名な刀馬鹿であろうと、この台詞なら流石に多少は響いたはずだ。
その事実に誰よりも遅く気づいた浅間も、怪我の功名! とばかりに顔を輝かせたが――答えは簡単だった。止水を見れば。
「……なあ鈴、今朝も言ったと思うんだけどさ。突然耳を塞がれると結構ビックリするんだぜ? 智から見るなって言われて視覚情報とかも」
「いっ、回、えと、に、違、よん、回!」
「……よく、分からないけど、そういうことなら……Jud」
振動がピタリと止まり、正確に止水の耳を塞いでいる鈴が、その胸にまた額をこつこつと当てて、意思疎通をしていた。
記録更新――本日二度目のファインプレーである。
「……やはり、恐るべきは向井だったか」
「怖いっていうより、戦慄だと思うんだけどなぁー……」
「おっけぇ! 遅れたわりぃわりぃ!! 準備に手間取って――って何だよこの空気!! 超へヴィっぽくね!? オレのエア支えも多分無理なくらいの加重だぜこれ……っ!?」
トーリも珍しく、笑い顔を引きつらせていた。
***
***
「あー、まあ、何だ。そう気を落とすなよアサマチ。誰だって――まあ普通はやらないだろうけどさ」
「下手なフォローは逆効果って知ってますかマサ……」
照明は窓から入り込む月明かり星明りのみ。それでも眼が慣れてきているので、速度が緩むことはない。
先頭を、どんよりした空気を背負う――むしろこちらが霊なのでは、と思えるほどの負を撒き散らす浅間を筆頭に、アデーレ・直政・鈴の、図書室担当組みだ。
――こりゃ重傷さね……とつぶやいた直政は、大きく担ぐように上げた右義腕の脇に視線を送る。さらさらな黒髪がガタガタと震えながら自分にしがみついている。
鈴も鈴で、あの一瞬だけ恐怖を克服したようで――今ではいつもの鈴だ。
「はぁ……鈴、なんか、変な音とか聞こえるさね?」
「い、今はな、なに、も。と、というより、聞こえたら、だ、ダメ、なんじゃ……!?」
それはそうだが。居たとしてもまず自分には見えないし感じないだろうと思っている直政にとって、専門家である浅間がこの状態では、残るアデーレか鈴に頼むしかない。
なら、眼が見えずとも、聴覚による察知能力の高い鈴を選ぶ。
「ったく。別にあたしらはアンタが、いやアンタたちか。それが止めの字に『ホの字』なんて事、それこそ餓鬼のころから知ってるっての。いまさらどーしたって感じだけさね」
「「いっ!? なんでそれ……はっ!?」」
「――二人とも隠してるつもりだったのかい……いや、まさか全員隠しとおしてるつもりってことはないだろうね……?」
少し復活した浅間と、「何故それを!?」と顔を赤くしたアデーレがお互いを見合う。そのまま気持ちの悪い愛想笑いを浮かべ――マジかよ、と直政は頬を引きつらせた。
「そ、そういうマサこそどうなのよ! 止水君だけ変な呼びかたして……!」
「ん? あたしかい? そりゃあ好きさね。クラスの男衆の中じゃ一番って思ってるよ」
まるで、明日の朝食はこれにする、という程度の気軽さだった。
「……機微は疎いけど気は利くし、なんだかんだ優しいやつだし。顔だって悪いほうじゃない。――個人的にはあの性格が気に入ってるさね。出来る出来ないを素直に受け入れて、自分で出来ることを全力でやりきって。自分に出来ないことをしてくれたやつに、素直に礼を言える……まあ、なによりも――」
――クラスのオトコ共の中で、基本まともなの、アイツだけだろ? と。
煙管を上下させながらすらすらと、恥ずかしがることなく言い切る直政にアデーレと浅間は戦慄していた。
「えっと、じゃ、じゃあ付き合いたいー、とか、そういうのは?」
直政の言葉でなぜか顔を赤くしているアデーレが問う。生身である左手で顎を少し擦り、んー、としばし熟考。
「――止めの字から言ってくりゃ、まあ、ガラじゃ無いけど彼氏彼女の間柄も悪くはないさね。アイツが本気で真剣だーってんなら、祝言だって二つ返事でかまわない程度には」
……そんな言葉も、特に気負いなく。
((……この人ホントに
つい今しがた盛大にやらかした浅間にして、言葉にするなど滅相も無いというアデーレにして。
堂々と恥ずかしげも無く言い切る直政は、誰よりも強敵に見えた。
「え、えへへ、やっぱり、直政さんも、好き、だったんだ」
「やっぱり、っていうのはどういうことさね鈴。……こういうとおかしな話だけど、あたしは止めの字とは、結構ドライなやり取りしかしてないと思うんだけどね」
と先ほど妨害(浅間視点)をしていた鈴が、なにやら嬉しそうだった。恐怖からくる震えも収まっていて――直政を見上げて、はにかんでいる。
「み、みんなの、心臓の音――止水君と一緒にいると、トクン、トクンって、とっても、落ち着いて、優しく、なるの。今日、の橋のときとか――心配されて、トットットッって」
「あー、なるほど。アンタらしい判断基準さね。たしかに心臓は流石にどうしようもないからねぇ――んでも、鈴。アンタも好きなんだろ? 止めの字のこと。……のわりには、二人と反応がだいぶ違うのはなんでさね」
直政のその問に――鈴は困ったような、少し悲しそうな顔を浮かべて、首を振る。
言いたくない、というよりも、今はまだ言えない。――そんな感じだ。
「えっと、じゃあ鈴さん。私からも一ついいですか? えっと、さっきの――その、私の告白まがいのときに、止水君の耳を塞いだのは何故? ……それに、今朝の喜美のときにも……」
「え、えっと、ごめ、ごめん、なさい――で、でも、二人とも、痛いくらい、心配なくらい――心臓が、早くて。それに、あんな形で、いっちゃ、ダメ……! 後悔、しちゃうぷ!?」
言葉の途中だったが……浅間は、もう抱きしめていた。
鈴は、妨害したのではない。逆だ。
あんな思わずノリで言ってしまう告白など、なんの冗談だ。あんなもので、思いが伝わっても嬉しいわけが無い。
しっかりと、流れの勢いではなく。落ち着いて、自分の言葉で、伝えてほしい。
誰よりも弱い。しかし、誰よりも強いのは、きっと鈴だろう。
疑うことなく、三人は一致して思った。
「――凄いですねぇ、鈴さん」
「ですね――なんだが、自分が凄い未熟に思えます……」
「いいんじゃないかい? あたしらはまだ学生なんだ。未熟上等。――さて、幽霊払いの続きでもしようさね」
「……ふぇ? ゆ、れい――払い……っ!?」
……ガクブルを再開して直政にしがみついた鈴の頭を、三人で撫で回したそうな。
読了ありがとうございました。
おかしいですよね? 自分で書いた文なのに、ダメージ負うとか……