プリヤ士郎は家族が最初から一緒だったせいか、一般人の感性とはそんなずれてない気がするんですよね。だから、ちょっと泣き虫……かな? SN士郎はほとんど涙って流さないですよね。それはそれで異常な気が。
書きたいこと詰め込んだらまた一万字近く。もっとさらっと行く予定だったのに…。
前話投稿してから、感想も多く頂き、感謝の気持ちでいっぱいです。感想の中からネタを思いつくこともありますし。本当にありがとうございます。
空気を切り裂き唸りをあげて、人を殺せる刃がすぐそばを通過する。
斬り返しで袈裟懸けに戻ってくる刃を、左の白剣―――莫耶で防ぎ、同時に右の黒剣――干将で敵の首を狙う。
だが相手は強引に莫耶を弾き上げ、干将の斬撃さえ跳ね飛ばし、こちらの身を断たんと剣を振り上げる。
一瞬でも気をそらせば、すぐさま死神が命を刈り取る戦場。
その緊迫の空気を感じながら、衛宮士郎はどこか決闘のリングの外側から観戦しているような、そんな場違いな雰囲気さえ漂わせて、この光景を内側から見ていた。
いつもよりやや高めの視点から相手の剣の軌道を見切り、長い手足を駆使して躱し、鍛えられた筋肉で鉄の塊である二刀の夫婦剣を振り回す。
(これは俺の意志でしていることじゃあない)
閃光のような斬撃も、刃が切り裂く風切り音も、鉄錆のような血の匂いも感じているが、身体を動かしているのは士郎ではない。
士郎は熱に浮かされたようにぼんやりとする意識を必死でつなぎとめて、思考する。
(……アーチャーだ。これがあいつの力なんだ)
死を纏う刃に相対して臆せず立ち向かっていく意志も、あの黒騎士と打ち合える剣を創り出す魔術も、相手を観察し瞬時に戦術を組み立てる判断力も、その判断に答えられる肉体も、全てアーチャーのものだ。……俺のものじゃあない。
ブンッと二刀が両の掌から放たれる。続いて投影したのは、もう一組の干将莫耶。
これもすぐ投擲し三対目の干将莫耶で敵に斬りかかる。
これこそアーチャーが編みだした必殺の技。剣の特性を利用したアーチャーにしかできない複数の同一宝具の投影による一撃。
「鶴翼三連」
黒騎士の絶叫が上がる。何かを失ってしまった叫び。希望を断たれた絶望の慟哭だ。
その様子が痛々しすぎて、士郎は敵であるにも関わらず、抱いてやりたくなった。
10年前のあの日、何もかも失ってしまった士郎を抱きしめた養父のように。
衛宮家に引き取られ、悪夢にうなされていた士郎を優しく抱きしめてくれた養母のように。
――――今度は自分が抱きしめてやる番だと。
彼女を貫いた剣の投影が破棄され、赤い外套に包まれた二本の腕が、彼女の背に回される。
それは士郎の意志では無い。士郎の意志は今の身体に反映されない。
だから、これはアーチャーの意志なのだ。
命がけで戦っていた敵を抱くなんて、変なやつだ、と自分を棚に置いて思ってしまう。
しかし、アーチャーが彼女にかけた言葉で、士郎の思い違いを知らされることになった。
「もう、いいんだ。アルトリア。君は間違っていなかった。――――もう聖杯を求める必要はないんだ」
それは優しさと労りに満ちた言葉。大切な者への万感の想いが詰まった言葉。アーチャーだからこそ、かけることができる言葉。
部外者の俺にはそれがどういう意味か理解はできないが、彼女へ送るに相応しい言葉だったのだろう。
慟哭は止み、彼女は顔を上げた。弱々しく儚い風情の顔は、先ほどの鬼神の如き戦闘者とは思えないほどだ。
急に、腕の中にすっぽり収まってしまった彼女の身体を意識してしまう。アーチャーが梳いた髪の感触がまだ手に残っている。
(……これは、本当は俺が感じちゃいけないものだ)
士郎は慌ててその感触を忘れようと、意識の中で手を振り回す。
だって、これはアーチャーのものなんだ。
アーチャーが彼女と出会い、何の因果かこの世界でまた巡り会えた。
彼女と交わした剣戟も、アーチャーが自身を鍛え、伸ばし、気の遠くなるような努力の果てに手に入れたもの。
彼女にかけた言葉も、アーチャーの運命の出会いが、紡いだ想いが、奇跡の果てに手にした願いが生んだ宝石みたいなもの。
だから、まったく関係の無い俺が、アーチャーの物語に立ち入ったりしたらダメなんだ。
だって、こんなもの見せられたら、気まずいし無粋だし、覗き見てしまった罪悪感が湧くし、何より思ってしまうじゃないか――――羨ましいって。
平凡な普通の生活を送っている俺なんかが、一生立つことのできない舞台にアーチャーは立っている。誰もが一度は夢に見る英雄の物語の
たぶん、俺が想像もつかないくらい辛いことや苦難があったんだ。でも、それらを乗り越えて彼女と再び出会えたことは、本当に羨ましいくらい素敵なことなんだ。
例え、それがたった一夜の邂逅でも、その思い出は人生を変える。自分の道を走り続けるための標として、生涯、胸に抱き続ける宝物となり得るんだ。
彼女に回された赤い腕にいっそう力が入る。
彼女の血がさらに染み込んできて―――俺はようやく気付いた。俺の中で何かが反応していることに。この懐かしい感じは昔―――? あの黄金の光はどこから?
「……あなたが私の鞘だったのですね」
彼女の声が響く。彼女は真っ直ぐにアーチャーを見つめている。
俺のことはたぶん見てない。彼女の湖面のような碧の瞳に、俺は映ってはいない。
当たり前だ。俺は偶々居合わせただけの
そう、ただ偶然に巻き込まれてしまった普通の高校生に過ぎないんだ。
なのに。
どうして胸が痛いんだろう。彼女に認められたいと、その碧の視界に入りたいと、思ってしまうのは何故だろう。ただの物語へ対する憧れだけなのか。それとも……。
そう思っているうちに、彼女の顔が近づいてくる。
(おっい、ちょっと待て、そのまま来ると――!)
ちゅ。
唇に柔らかい感触。
初めての感覚に絶句する士郎。しかし悲しきことかな、この身は感覚を共有しているだけで、士郎の身体とは言い難い。
(これってファーストキスになるのか?)
悶々とする士郎だが、すぐに何も考えられなくなった。
彼女のキスを基点に繋がったつながりから、岩清水の如く、清冽な魔力が染み込んできたからである。それらは熱に侵された士郎の傷付いた魔術回路へと流れ込み、士郎の中にあったあるものを起動させた。
黄金の光が視界を染める。それは伝説に名高きアーサー王のそばにあったもの。彼の騎士王だけを真の主と戴くもの。現代まで残存せしその宝具は十年前にも士郎の命を救い、今再び真なる主の魔力を受け、その真価を見せる。
優しく荘厳なる光の中に、士郎は引き込まれるように意識を融かす。
意識が途切れる最後の一瞬、彼女が微笑みかけてくれた気がした。
****************
(あなたにも感謝を。あなたがいたからこそ私はアーチャーに、シロウにまた出会うことができたのだから)
******************
夢を見た。
少女が王になる夢を。
王として駆け抜けた生涯を。
最後に血に染まった丘で慟哭を上げた騎士王を。
それは断片。こま切れのイメージ。
それでも士郎には分かった。これはあの金の少女の物語だと。
もはや確定された過去の出来事を、ただ傍観しているしかできない。
だが、その中で惹かれたものがある。
黄金の光を放つもの。彼女を王たらしめたもの。
それは黄金の剣であり―――アーチャーのあの赤い世界の中心にもあるもの。
それに、自分も手が届くと、思ってしまった。
どんなに無茶なことであっても、手を伸ばせば届くと、知ってしまったから。
アイツは、アーチャーは届いたんだ。彼女の隣に肩を並べられる存在へと。ならば己だって夢物語の世界へ踏み入ることができないなんて、無いはずだ―――。
ハッと目を覚ました。穏やかな陽射しの中、伸ばした右手に掴むものは無く。
夢の余韻は手のひらをすり抜けて霧散してしまった。
腕を下して、天井を眺める。見慣れない天井だった。
――――って。
勢いよく身を起こし、辺りを見渡す。白いシーツのベッド。仕切りのカーテン。そして独特の消毒液の匂い。
ここは―――俺の通う穂群原学園の保健室だ。
「……なんでさ?」
壁に掛けてある時計を見る。午後の授業も終わり、部活が始まったくらいか。
おかしい。明らかにおかしい。
俺は一体いつの間に学校に来ていたのだろうか? というかあの変な世界からどうやって戻ったんだ? ……って、セラに夜に出歩いてたことがバレたら、どんな目に合されるか分かったもんじゃないな。というかアイツは一体どうしたんだ?
(アーチャー、いるか?)
恐らく内にいるであろう同居人に問いかけるが返事は無い。
なんとなく存在は感じるから、寝ているのだろうか?
とりあえず、制服を整えて、ベッドの仕切りカーテンを開ける。
当たり前だが養護教諭の
「……起きたの。残念、そのまま永眠してもらってもよかったのに」
「開口一番でその台詞、ひどくないですか」
保健室の先生が言っちゃいけない台詞な気もする。
気を取り直して、どのくらいここで眠っていたのかを聞く。
「1時間くらいかしら? 生徒会長の柳洞一成が、突然倒れたと言ってここまで運んで来たらしいわ。瀕死の重病人以外は来なくていいのに……。ただの疲労だそうよ」
「……そうですか」
若干逃げ腰になりながら、士郎は相槌を打つ。台詞と表情が一致し過ぎて、どこまでが冗談なのか判断できない。
士郎は一言だけお礼を言って、さっさと保健室から退出した。あの先生は士郎が苦手とするタイプであり、あんまり関わりたくない人物である。すごく美人ではあるけれど。
ひとまず、生徒会室へと足を運ぶ。記憶がない以上、己が何をしていたか確認しなければ。
今日の朝は部活の当番であったし、昼には一成から生徒会の備品の修理を頼まれていたのだ。約束をすっぽかしていたのなら、申し訳ない。
「一成、いるか?」
士郎の予想通り、生徒会室には会長である柳洞一成が居残って書類整理をしていた。
「衛宮か。体調はもう大丈夫か?」
「ああ、問題無いよ。保健室まで運んでくれたんだってな。ありがとう」
最初に礼を告げる。人間、礼儀ってものが大事だからな。何かしてもらったら、感謝の言葉を返す。基本中の基本だ。
「なにこれしきの事、日頃から手伝ってもらっていることへの恩返しの一つだ」
「そうか。んで、頼まれていた備品のことなんだけど……」
「備品? あれはお前が直してくれただろう? 思っていたよりも随分と早く終わったからな。次はまとめて頼むぞ」
「は?」
士郎は慌てて目の前に置いてあった件の備品を手に取り、修復箇所を確認した。
破損個所に適切な処置が施され、文句がつけようがないくらい完璧である。見た目も士郎がするより断然、綺麗に仕上がっている。
「なんだ、またやり直しが見つかったか?」
いきなり点検をしだした士郎に首を傾げる一成。
「えっと、やり直しって言うのは……?」
士郎は何のことかわからず聞き返した。
「ん? 時間が余ったと言って、以前に直したものにも手を付けていたじゃないか」
(なんだと――!)
適当な理由をつけて、そちらもすぐ確認する。どうやら以前いじった際に見落とした部分を処置し、なおかつ粗めだった元々の修復箇所もやり直してあった。
「あの速さでできるなら、明日はこれだけ頼む。何せ古いものが多いんだ。よろしくな、衛宮」
示された先には修復待ちの備品の山が。
(あれ、一日で終わるか……?)
士郎は内心で冷や汗をかきながらも、つい引き受けてしまうのであった。
そのあと部活に参加すれば、後輩たちから
「今日の朝練、先輩すごくかっこよかったです! ファンになっちゃいました」
とキラキラした目で迫られ、間桐桜からは
「あ、あの、朝はすみませんでした。でも、意外と先輩って大胆だったんですね」
と顔を赤くしながら言われた。男子部員からの視線がやけに痛かった。
もっとも、部長である美綴からは
「あ、いつもの衛宮だ」
と普通に返されたが。
他にも廊下を歩いていれば、見知らぬ女子生徒から「プリント持ってくれてありがとう」やら、顔見知りの整美委員から「草むしりを手伝ってもらって、ありがとう。すごく助かったよ」やら、用務のおじさんから「ドアの立てつけを直したんだって? やるなーお前さん」と声をかけられまくったが、まったくもって身に覚えが無い。
いや、心当たりはあるのだ。士郎の内にいつの間にか居ついていて、この体を動かせる可能性のあるやつ―――アーチャー。だが、アイツの皮肉気な態度と、この親切な行いが結びつかないから、困っているのだ。
また自分の行いではないのに、礼を言われるのは中々に居心地が悪い。何で今になってお礼を言われるんだ?と疑問に思っていると、
「ああ、やっと見つけた。お礼を言う間も無くいなくなるんだから。しっかり言わせなさいよね」
遠坂凛が前に立ちふさがった。
ついこの間、帰国子女として戻ってきたこの学校のアイドル的存在で、何故か士郎はもう一人の方と共によく絡まれるのだが……。
その遠坂がすぐ近くまで寄って来るので、少し胸がドキドキしてしまう。
既に陽は傾き、廊下に他の人影は無い。彼女と士郎の二人っきりである。
この状況はいったいどうしたことで?
「さっきは助けてくれてありがとう。……それと、桜は心配いらないってどういう意味かしら?」
俺だって知りたい。
何でったって、こんな綺麗な美少女の笑顔にプレッシャーを感じるのか。
全身から冷や汗が噴き出す。まさに蛇に睨まれた蛙。
(ていうかアーチャーのやつ、何言ってんだよ!)
まさか桜に惚れて自分が幸せにするから、心配するなってことか?
いや、無い無い無い無い。絶対ありえない。
「ちょっと衛宮君、ちゃんと聞いてる?」
あたふたするばかりで一向に返事がない士郎に、遠坂がしびれを切らしそうだ。
「いや決して、桜は俺が幸せにするから心配するなって意味じゃあ無いからな! ただ部活とかうまくやってるからそんなに心配しなくてもいいぞってだけで」
士郎は咄嗟に浮かんだ言葉で必死に弁解する。
「……なんで私が桜のことを心配してるって思ったわけ?」
遠坂がさっきの笑顔が嘘だったように顔を引き締めて尋ねてくる。こっちの方がよっぽどプレッシャーを感じるのはなぜだろう。
そんな遠坂の雰囲気に刺激されるものがあった――それは直前の記憶に残る彼女の姿。そう、髪と同色の猫耳と尻尾を生やし、赤い衣装に身を包んだ魔法少女姿の彼女を思い出してしまったのだ。
「ぶっ!」
思わず吹き出しそうになるのを手で必死に抑える。いま決壊してしまったら、デッドエンドしか思い浮かばないぞ。
士郎は顔をそらしながら、なんとか言葉をひねり出す。
「部活、とか偶に見に来てただろ? いつも桜ばっかり見てたからさ、可愛がってた後輩のひとりかと思ってたんだ。遠坂は留学していて最近のことは分かんないだろうってことで、桜は心配いらないって言ったんだ」
「……そういうこと。あー、深読みして損したわ」
遠坂が大きくため息をつく。
同時にいつの間にか張りつめていた空気も弛んだ。もっとも、士郎が吹き出しかけた時点で弛みかけていたが。
「引き止めて悪かったわね。ではまた明日。ごきげんよう」
遠坂が颯爽と制服を翻し、廊下を去っていく。
その姿は優美にして優雅。とても魔法少女のコスプレをしていたとは思えない、まさに深窓のお嬢様というような立ち振る舞いだった。
あんな英霊やら魔術やらの不思議空間で、ステッキ片手にバトルしていたのが夢のようだ。
(でもたぶん、素の遠坂ってあっちの方なんだよな)
普段の楚々とした雰囲気よりも生き生きしていたし。学校では厚い猫の皮を被ってたってことか。
でも、まさか魔法使いだったとは。士郎は昨夜の記憶を思い返す。
あの黒騎士との戦いを見る限り、かなり危険なことに首を突っ込んでいるようだ。イリヤも巻き込んで何をしているんだか。
遠坂とルヴィアは魔法少女の恰好で黒騎士との戦いに挑んで、すごい威力の魔法をぶっ放したけど、黒騎士には効かなくて、そして黒の聖剣の真名解放の一撃で……一撃で?
「あれ?」
二人は黒騎士が放った極光に呑まれて、死んだはず……?
でも、遠坂は、さっき普通に、会話をしていた、よな?
つまり、
「……生きてた。遠坂は無事だったんだ。――ってことはルヴィアも生きてるのか……?」
きっとそうだ。遠坂がいつも通りだったのが証拠だ。
あの二人はいつも衝突ばかりしているが、それだけ対等な仲なのだ。だから、どちらか一方がいなくなるようなことがあれば、僅かでも態度に出ると士郎は確信していた。
「―――よかった。生きていてくれて、本当によかった……」
視界が滲んだ。瞼が震え、鼻の奥がツンとなる。
こぼれそうになる涙を、手の平で抑える。今が誰もいない放課後でよかった。
……あの時、二人があの黒の極光に呑み込まれたとき、すごく後悔した。
でも、まだイリヤとあともう一人の女の子がいたから、悲しむ間もなく俺は、もう後悔しないよう、俺にできる最大限の無茶をやらかした。結果的に、アーチャーが表にでて遺憾なく力を発揮し、イリヤを救って黒騎士との再会に繋がったのだから、無茶をしてよかったのだが。
しかし、二人の命はその前に士郎の手から零れてしまっていた。今更思い出したのだって、その事実を認めたくなかっただけかもしれない。
だから、余計に嬉しさがこみ上げた。
士郎が与り知らぬところで、彼女たちは助かっていた。―――士郎が零したわけでは無かった。士郎のせいで命を落としてはいなかったのだ。
この溢れる涙が、ただ純粋に彼女たちの生存を祝福しているわけではないと、自覚はしている。自分のトラウマを、背負う罪悪感を増やすことにならなくてよかったという、自分勝手な想いだって含んでいるのは分かっている。
それでも、結果的に二人は生きていたのだ。その事実をもって、それでいいと前向きに思えるのは、こんな己でもいいと肯定してくれる家族がいたからである。
だからこそ。
衛宮士郎は、噛みしめる。遠坂とルヴィアを失わずに済んだ幸運を。こんな自分を好きと言ってくれる家族がいる幸せを。
(……恰好悪いな)
制服の袖で、視界に溜まった水分を吸い取る。
目が赤くなっている気がするが、窓から差し込む赤い夕日がごまかしてくれるだろう。
荷物を取りに教室へ向かう。
なんだかすごく疲れた。泣くなんていつぶりだろう。
バシバシする目をこすりながら、鞄をロッカーから取り出し、持ち帰る参考書などを入れ替える。
こうしていつもの日課をこなしていると、昨夜の非現実的な出来事が、遠い夢のように感じられてしまう。しょせん、衛宮士郎が生きるのはこの普通の日常なのだ。
だが、この日常もアーチャーのせいで引っ掻き回されてしまったが。
さっき遠坂の言っていた言葉で、何故次々とお礼を言われる訳が分かった。
(アーチャーめ、他人の手助けをしておいて、感謝の言葉を受け取らなかったな。受け取る前にいなくなるとは。礼儀としてなっとらんぞ。まったく、どういう人付き合いをしてきたんだ。お前のせいで俺は居心地悪い気分になったんだからな、責任取りやがれ)
心の中で悪態をついていると、背後から近づく人影が。
「しろーーーー! いつまで学校に残ってるの!」
「ふ、藤ねえ!?」
いきなり声をかけられて心底びっくりした士郎は、思わず最近では滅多に口にすることの無かった呼び方が出てしまった。
声の正体は冬木の虎こと、初等科教員の藤村大河だ。昔は家も近く、よく遊んでもらったものである。
「あら本日2回目ね。ダメじゃない、学校内では藤村先生でしょ」
「ん? 2回目?」
まさか、アーチャーも? なんでアイツがこの呼び方知ってんだ?
「ほーら、早く帰ってあげなさいね。イリヤちゃん、今日は熱出して学校を休んでたでしょ」
「え?」
身体が硬直する。
イリヤが熱? 学校を休んだだと?
脳裏に黒騎士と戦っていた赤い槍を振り回すイリヤの姿がよぎった。
まさか、アレのせいでなんかの後遺症がでたとか?
「あら、知らなかったの? おかしいわね、家の人からの連絡だったんだけど」
士郎は居ても立ってもいられなくなり、すぐさま駐輪場の方へ駆け出した。
「サンキュー! 藤ねえ! また明日!」
「こら、藤村先生だって言ってるでしょ! そして廊下は走るなー!」
自転車を最大の速度で漕ぎ、家に帰宅する。
「ただいま!」
ガチャっと勢いよく玄関ドアを開けて中へ入る。
早くイリヤの様子を確認したいと焦る中、視界に飛び込んで来たのは、この家に不似合いな白いかちっとしたメイド服。
「む、帰りましたか。不本意ですが、お帰りなさいませ。シロウ様」
帰宅した士郎に正式な挨拶をするのは、昔のメイド服を着こなしたセラ。
「うお、セラが懐かしい格好してる! ……っていうか俺の帰宅は不本意なのか」
士郎のツッコミは拾われることは無かった。何故なら、セラは腰に手を当て、何故かやる気に満ちた気迫でまくしたてて来たからだ。
「今まで自由にさせてきましたが、シロウ様は当家の長男! これからは毎晩それに相応しい教育を受けてもらいます!」
「なんでさ!」
今まで普通に家族の一員としてやってきたのに、何がセラのメイド魂に火をつけたのか。
士郎はセラのいきなり変わり身に目を白黒させつつ、急いで帰ってきた目的を達成せんと、セラを躱して居間の扉をくぐる。
ちょうど、階段の陰にピンクのパジャマがそろそろと上っていくのが見えた。
「イリヤ! 無事か!」
すぐ階段の元へたどり着き、大事な妹を視界に収める。
見たところ怪我もなく、顔色もいたって正常。元気そうだ。
血相を変えて駆けつけた士郎に、目を丸くしたのはイリヤの方だ。
「無事かって、大げさな。今日は一日中寝てたから、もう全然元気だよ。お兄ちゃん」
「そっか、それならいいんだけどな」
安堵のため息をもらし、取り繕うように、制服の乱れを直す。
「お兄ちゃん、どうかしたの?」
階段を下りて近づいてきた妹のプラチナ色の頭をじっと見やる。
(アーチャーのやつ、昨日はイリヤの髪も撫でてたんだよな)
思い返すは昨夜の記憶。颯爽とイリヤの危機に駆けつけて、ヒーローみたいに救い出したアーチャー。
そこまではいいんだが、問題はそのあと。
よく頑張ったな、とイリヤの頭をわしゃっと一撫で。
……イリヤは俺の妹なのに、なに人の特権を奪ってるんだよ。
面白くないので、士郎はイリヤを抱き寄せて、頭をわしゃわしゃと撫でまわした。
(うん、上書き完了!)
いきなりのスキンシップに呆然とするイリヤに対し、ホクホク顔の士郎。
しかし、じろーっとこちらを見つめていたセラとばっちり目が合ってしまい、すぐに離脱の体勢を整えることになった。
「待ちなさいシロウ! 今晩はみっちり仕込みますからね!」
「勘弁してくれ!」
ドタドタと自分の部屋に逃げ帰り、鍵を掛けたところでやっと、士郎はやれやれと息を吐きだす。ドアからガンガン響く音はこの際、無視だ。
(なんだか濃い一日だったな……)
カードという非日常のものを拾ってから、一日の内になんと多くの出来事があったか。
しかし、まだまだトラブルに巻き込まれそうな予感が止まない士郎であった。
おまけ
「今日のこのお浸しとか煮物とか、すごく美味しいな」
「何を言っているんですか。両方、今日の朝に士郎が作った残りですよ」
(アーチャー! ここでもか!)
アーチャーが残した傷跡は深し。
そして士郎はシスコンを発揮。