全体的ギャグです。そして所々に捏造あります。
……うちの葵さんは最強でした。どうしてこうなった。
「あー、つかれた」
凛は実に心身共に疲弊した身体を行儀悪くスリッパのままベッドに投げだした。仰向けで目を閉じ、久しぶりの感触に身を委ねる。
ここは遠坂邸の凛の自室である。一年以上空けていたが布団はふかふか、シーツもパリッとしていて気持ちがいい。おそらく屋敷を管理している遠坂葵が手入れをしていたのだろう。
母親の気遣いに感謝する凛だが、同時にあのイロモノステッキと仲良くやっていることに大いに困惑していた。
(お母様ってあんな性格だったかしら?)
凛の良く知る葵はもっとこう、おしとやかで物腰柔らかで、父の後ろで控えめに寄り添う、そんな理想的な母だったのだが――――。
(まだ見ぬ一面を知ったってことか)
母の懐は凛の思っている以上に広かったようである。
いや、カレイドステッキに振り回されず、共に振り回す側なのだから、それはそれで驚嘆すべきことなのだが。ただ己の母親がアレと同類だとみなすことに抵抗があるのである。
(まあでも、これではっきりしたわ)
ルビーと葵の昔ばなしで得た教訓というか、確信。
「地下室にあるあの曰くありげな箱は、絶対開けたらいけないわね」
父が残した遺産の一つなのだが、厄介な封印がしてあったのだ。どうせルビーと同じ事情で、ろくでもないものが入っているに違いない。
そう結論をだした凛はうーん、と伸びを一つ。
「さ、荷を解きますか」
短期間ではあるが、冬木に滞在する準備を始めたのだった。
夜。遠坂邸のダイニングで凛は久方ぶりの純和食を楽しんでいた。
倫敦帰りの凛のために葵が腕を奮った料理の数々は、どれも涙が滲むほど懐かしく、また美味であった。
「やっぱりあっちの食事とは大違いよね」
しみじみと凛はつぶやく。節約のためにも自炊が多い生活であったが、やはり日本食の材料は手に入りにくいのである。
「あっらー。つまりは英国のメシマズ説は、まったくもってその通りだと、おっしゃるわけですか~。ふ~ん」
「……別にあっちの食事を貶めているわけじゃないから。ただ、ちょっと口に合わなかっただけよ」
ルビーの意地の悪い質問に、凛はわずかに視線を逸らして答える。
食材は悪くないのだ。ただその調理方法が――――雑なだけなのである。
「はーい、今日の食後のデザートですよ~」
部屋の微妙な空気を破ったのは、デザートの用意にキッチンへ引っ込んでいた葵である。テーブルに差し出したボウルには、シンプルなりんごの甘煮が盛られていた。
凛はそれを見た瞬間、さっきの空気はどこへやら、目を輝かせてさっそくフォークを片手に手を伸ばす。
葵お手製のこれ、実は凛の好物の一つである。帰ってそうそう食べられるとは、と葵に気遣いに改めて感謝する凛だったが――――その少し後に地雷級の気遣いが炸裂するとは、流石に予想できず。
至福の表情を浮かべてデザートを頬張る凛に向かって、葵はまず始めにと、軽めの弾幕を放った。
「美味しく食べてくれるのは嬉しいけれど、食べ過ぎには注意ね、凛。明日は早めに起きてもらわないと。朝のショートルームが始まる前に、職員室に挨拶に伺うと先方には伝えてあるから、寝坊は許しませんよ」
「……は?」
凛は一瞬、葵が何を言っているのか分からなかった。
ショートルームに職員室?
凛は時計塔の任務のため、一時的に――あくまで一時的に――日本に戻ってきているだけなのである。なぜ、去年にも卒業した学校のことを語るのか。
「もう穗群原学園高等部への短期留学の手続きはすませてあるの。学校の制服も部屋にかかっていたでしょう?」
「え、あっ!」
凛の脳裏にクローゼットの奥へ突っ込んだ穂群原学園の制服がよぎる。なぜかコート掛けにかかっていて、きっとお母様のうっかりね、と苦笑したのだが――――よくよく思い起こせば中等部では無く、高等部のデザインではなかったか。
「……お母様、私は今回任務のために冬木へ戻ってきています。学校に通う気も、そんな暇もありません」
にべもなく凛は返答する。あくまで仕事(しかも魔術がらみの)で帰省しただけであり、また今更日本の学校に通うメリットなどどこにもない。ただでさえ、冬木には見たくない顔もいるのに――――。
だが、そんな凛のつれない態度に葵は一つ爆弾を投下する。
「あら、もう一人の金髪のお嬢さんは行く気満々なようだけれど?」
「あの金バカドリルーーーー!」
凛は吼えた。それは優雅の欠片も無く。遠坂邸の窓ガラスがびりびりと振動するが、今回もなんとか無事耐えきったようである。流石は代々続く魔術師のお屋敷。
(いったいあのアホは何をやってんの! 任務はどうした、任務は。宝石翁への弟子入りもかかっているというのに――)
というか、それよりも。
「何故お母様がそれを知ってらっしゃるの」
凛の当然の疑問に、葵はニコニコ顔で答える。
何故か覚えのある嫌な予感が、ひしひしと迫ってくるような、そんなニコニコ顔である。
「昨日、お友達の学園長さんと個人的にお電話しているときに小耳に挟んだの。ちょうどもう一人、短期留学を希望してきた方がいると。何でも『運命の殿方のハートを射とめに参りましたの!』と言っていたらしいわ」
どうやら北欧生まれのバカ貴族には、常識というものがすっぽ抜けているらしい。
「真性のバカね。そんな理由で留学なんてできるはずが――」
「『それは素晴らしいでちゅ。ぜひ甘い青春を謳歌するでちゅよ!』と許可したそうよ。学園長さん」
「はぁ?! 学園長それでいいの?!」
というかその口調はなに?! そんな赤ちゃん口調の人物に学園長が務まるの? 教育舐めてるんじゃない?!
うがー、と気炎をはく凛の隣では、なんかその学園長さんとは気が合いそうですね~、と非常に恐ろしいことを言うルビー。凛は藪をつつくまい、とルビーを認識から外すことにした。もうこの手合いは無視(スルー)するに限る。
「そもそも、学校というのは仮にも公の機関であって、そんな漫画やアニメに出てきそうな馬鹿な話が通るわけが――」
「だから私も『ではうちの凛にも青春を送らせてください!』と頼んでしまったわ。やっぱり若い時期って大切だと思うの」
「お母様ぁあああああ!」
ちゃんと凛の分も許可してくれたわよ、と告げる葵に、もはや凛は項垂れるしかない。
(それじゃあ私もルヴィアの同類みたいに思われたんじゃないの?! 私は任務のために帰ってきたってことお母様忘れてない?!)
もちろん、葵とて遠坂という魔術師の家に嫁いだ身である。魔術世界の任務の危険性は分かっているつもりである。
しかし。
「任務のことは承知しているわ。でもね――――」
ジト目で見上げて来る凛に、葵はトドメの一撃、というかまさに凛にとっての地雷を放り込んだ。
「その彼女が話した意中の殿方は、『きりりとした眉に夕焼けのような赤髪の男の子』だそうよ。それって、前に凛が話してくれた子ではないかしら? あの一人校庭で高飛びをしていたっていう」
顔面が爆発したと、凛は思った。
「おおおおお母様!? いったいいつの話をしていますの!」
湯気が出ているのでは、と思うくらいに顔が熱い。
傍から見たらまさに茹でダコである。
「あら、てっきりその男の子が初恋の相手かな、と思っていたのだけど、見当違いだったかしら?」
「見当違いというか、アイツはそんなんじゃなくて、ただなんとなく馬鹿な感じが……その……綺麗と思っただけで……」
最初の勢いからだんだん尻つぼみになる凛。既に耳まで真っ赤である。
「凛さんの恋バナですか! 葵ちゃん、そこんところ詳しく教えてくださーい!」
「あんたは喰いつくな! ルビー!」
「あれは凛が中学生のときの話で――――」
「お母様も無闇に教えないでください!」
後生ですから! 机に額を擦り付けんばかりに頭を下げる娘に、母はしょうがないわね、と凛の魔術刻印が刻まれている左の手を取った。
「わかりました。では―――über……Es schwören (我 誓いを掲げる)
遠坂家六代目当主の勅命により、契約のもと遠坂葵はこの話を口外しないことをここに誓います。……これでいいかしら? 凛?」
僅かな魔力の発露。
遠坂家の刻印が僅かに発光する。
契約の魔術が成立し、葵には制約がかかる。これで葵は凛の許可なくその初恋エピソードを話すことができなくなったのだ。
魔術工房である遠坂邸の留守を預かる身、葵も多少の魔術も心得ているのである。もっとも自身の魔術回路は無いため、既に成立している術式や刻印を借りた裏技じみたものなのだが。
「あらー、これはガチのやつですねー。まことに残念!」
全身で悔しさを表現するルビーの横で、凛は
「え? あ? その……お母様?」
とつぶやくので精いっぱいだった。突然の葵の豹変具合に頭がついていっていないのである。
間の抜けた顔を晒す娘に、葵は片目を瞑ってみせた。
「指切りげんまん、ってね。まぁお呪い程度の効力しかないけれど……。あまり、あなたの負担になるのも、ね」
今まで散々自分の娘をいじってきた人が何を言いますか。
「……えーっと」
不審……もとい困惑気味の凛の前で、葵は床に膝をつき真っ直ぐに凛を見つめて言った。
「あなたの魔術師としての生き方を邪魔するつもりはないわ。けれどね。今しか出来ないことも大事だと思うの。それこそ、学校生活や恋愛とかね。人としての喜びも味わって欲しいというのが、私の一人の母親としての願いなの」
だからこそ凛が帰ってきたこの機会に、初恋が実るようにと全力で応援をかけるのである。
魔術師の活動時間は夜。ならば昼間だけでも普通の女子高生をさせてやりたいというのが親心。無論、衣食住のバックアップはもちろんのこと、調査や資料編纂なども手伝う気満々である。
「それに魔術にかかりきりになって、同門のライバルに初恋の男の子を取られちゃうのも、気の毒と思って」
「そ、それは、まぁなんというか。……なんでルヴィアも、よりにもよってアイツ狙いなのよ」
凛としても、あの縦ロールに出し抜かれるのは癪に障るものがある。
凛の危機感をあおった所で、更に葵はもうひと押しと、過去の実例を挙げた。
「それに、時臣さんはちゃんと両立させていたわよ。魔術も、恋愛に関しても」
私が生き証人だわ、と葵は咲きほころぶ花のように笑った。それこそ彼女の青春時代が垣間見えるようで、不覚にも凛はそれを綺麗と、見惚れてしまった。
そしてその美しい顔のまま、葵は最後にダメ押し、と言い放つ。
「だから、前当主である時臣さんが出来て、現当主たる遠坂凛に出来ないなんてことは無いわよね?」
「――――っ」
気が付けば既に退路はことごとく塞がれ、包囲網は完璧。
父親を引き合いに出されたならば、父を越えるべき目標とする凛が後に引けるわけがないのだ。
――――よって凛はこう宣言するしかなかった。
「ええ、わかりましたわ、お母様! 遠坂家六代目当主、遠坂凛の名に懸けて、この二足の草鞋、どちらも穿きこなして見せましょう!」
これが原作よりも早く転入していた彼女の事情。
5次へのフラグもポッキリです。