スリザリンの継承者―魔眼の担い手―   作:寺町朱穂

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一部、残酷描写かもしれない箇所があります。
ご注意ください。



88話 魔眼蒐集列車【後編】

「ゴーント、怒るなよ」

 

 セレネが口を堅く結んだまま髪を梳かしていると、斜め上からセオドールの声が降ってきた。部屋に備え付けられた鏡越しに見る彼の顔は、少し困ったように笑っている。

 

「そのさ、こうなるとは思ってなかったんだって」

「言い訳の常套句ですね」

「いやいや、本当だって!」

 

 セレネはブラシを握りしめたまま、苛立ちをぶつけるようにソファーに座り込んだ。ソファーは高級なだけあり、勢いよく座った分だけ、自分の身体が柔らかく沈み込む。セレネは杖を手に取ると、何も言わずに鞄から本を呼び寄せた。

 

「あー、その、悪かった。うん、オレもやり過ぎた」

「……」

 

 セレネは唇を真一文字に閉ざしたまま、呼び寄せた本を開いた。だけど、文字など目に入ってこない。本を読んでいるふりである。頭の中では、まったく別のこと――……つまり、今も自分の目の前で謝ってくる相手のことを考えていた。

 

「そんなに怒ることはないだろ? たかが、朝食に行けなかったくらい」

「……その原因を作ったのは、貴方でしょうが」

 

 セレネは本に眼を落したまま、つい言い返してしまった。

 

「私、嫌だって言いましたよ」

「それは、そうだけどさ……」

 

 視線を微かに上に向ければ、セオドールの口がもごもご動いているのが見えた。

 どうやら彼は、結局、最後には申し出を受け入れたセレネが悪いと判断しているらしい。実に腹立つ言い分だが、ある意味、正論である。セレネ自身、非常に腹立ちながらもその事実は認めている。確かに、無理やりされたのではなく、一応は合意の下でのことだった。

 だが、まだ納得がいかない。セレネは頑なに本を読んでいるふりを続けた。

 

「……お前、本当に負けず嫌いだな」

「当然、負けるのは嫌いですから」

 

 1年生の頃みたいに「負け=死」とまで飛躍しないが、やはり「負け」というのは、あまり心地の良い響きではない。そう、負け。この単語を思い出すだけで、昨夜の記憶がフラッシュバックし、やはり腹の底から怒りが沸々と煮えたぎってくる。

 

「でも、昨日は負けてただろ?」

「あれは偶然です!」

 

 セレネは本を勢い良く閉じた。

 

 思い出すのは、昨夜の記憶。

 列車の旅というのは最初こそ興味が湧いたが、窓の外に映る景色は濃い霧ばかり。夜になったら星どころか人家の灯りすら、ぽつ、ぽつと思い出したように霧の向こうを通り過ぎるだけである。正直、車窓を楽しむことはできない。

 このままでは、いくら手持ちの本を読んでいても飽きが出てくるのは明白だ。

 ということで、セオドールが1つ暇つぶしの提案をしてきたのである。

 

 魔法界のゲーム「ゴブストーン」。

 空中に浮かんだビー玉を弾いて得点を稼ぐゲームだ。通常は失点するたびに玉が浮き上がり、悪臭のする液体を吹きかけてくる――……のだが、今回はその機能を封じ、勝者が失点の多かった敗者に1つだけ命令することが出来るという特殊ルールを追加してやろうと言うのだ。

 このゲーム、ダフネが好きでミリセントとプレイしているところを眺めたことはあったが、セレネ自身は試したことがない。

 だが、ルールは単純明快で分かりやすい。なによりも「1つ命令できる」というところが魅力的だ。

 他にこれといってすることもなかったので、セレネは気安く二つ返事で答えてしまった。

 

 その結果、偶然に偶然が重なり、敗北してしまったのである。

 これは完全にぬかった。偶然と言い張ったが、負けは負けだ。よく考えてみれば、セレネが完全初心者なのに対し、彼は魔法界で生まれ育ち、このゲームにも親しみが深かった。同じ魔法界の室内ゲームでも、ルールがマグル界と同じチェスなら負けなかったのに、と悔やんだのも後の祭り。セオドールはいつになく快活な笑顔を浮かべると、自身のトランクからあるモノを取り出した。

 

『セレネ、まだ飲んだことないだろ?』

 

 取り出したのは、オーク樽熟成蜂蜜酒。

 それを見た瞬間、セレネは激しく拒否の意を示した。

 

 酒類に興味がない、わけではない。

 年齢は成人に達し、少なからず興味があった。ただ、酒を飲むと人格が変わってしまうという言葉がある。人前でそのような失態をしないよう、まずは一人の時に飲んでみたかったのだが、生憎、成人年齢に達してから一人で酒を飲める機会に恵まれず、ここまで来てしまった。正直、自分を保つことが出来るのか、それとも崩れてしまうのかは予想することすらできない。

 そもそも、蜂蜜酒自体が危険信号だ。

 蜂蜜酒という名前は素敵で、大層浪漫のあるモノだがいかんせん。付随する伝説がよろしくない。ケルト神話ではコナハトの女王メイヴの逸話は口に出すのも恥ずかしい伝説だし、ウェールズの「赤き竜と白き竜」の伝説では、ドラゴンを封印させるために蜂蜜酒を飲ませ、酔って眠っている隙に封印するといったように、度数の強い酒であることが強調されている。おまけに、現代マグルにおける蜂蜜酒は、蜜月に飲むものとされているのだ。

 以上すべての理由で、話し合いの余地もなく飲酒は断固拒否である。

 

 しかし悲しきかな。約束は約束、ルールはルールである。

 

『な、頼む! セレネが酒を飲むところが見たいんだ! 一口でいいから!』

 

 彼は両手を合わせて頼み込んできた。

 セレネは嘆息した。最初にルールを受け入れたのは、自分である。結局のところ、セレネが折れて、一口、蜂蜜酒を口に含んだ。森の香りと甘い蜜の味と一緒に、薄らと花のような匂いが口内から喉奥を満たしていく。どこかで嗅いだような花の匂いだ。酒自体は美味いか不味いかで言ったら、問答無用で美味い。極上の甘さである。ドラゴンが樽一杯一気に飲み干した、という伝説が理解できるくらい素晴らしかった。つい、もう一口飲むと、蜂蜜酒が喉を焦がすように流れていった。

 身体の内側からカイロで温めているような感覚が広がっていく以外は、特別変わった感じはしない。暴れたくなったり、涙もろくなったり、笑い上戸になったりすることもなく、安心したのもつかの間、とろん、と視界が揺れ、瞼が重くなってきた。

 

 あ、これは不味い。

 

 セレネは意識が途切れる前に瓶を彼に押しつけ、そのままベッドに沈み込んだ。

 

 

 そして、意識がはっきりした時には、次の日の昼過ぎになっていたのであった。

 

 これは大きな痛手である。セレネとしては、たとえ薄気味悪い魔眼紹介があったとしても、きっちり朝食には顔を出したかった。それなのに、くだらないゲームのせいで欠席することになってしまったのだ。このことが、実に腹立たしかった。

 ルールとはいえ無理やり酒を飲まされたことに対する苛立ちと、自分の不甲斐なさの両方で、胸がむかむかしている。

 

「もう二度と飲みませんし、飲ませないでくださいね。たとえ、ゲームのルールであっても!」

「はいはい、もうしないって」

 

 セレネは本から顔を上げて、彼をまっすぐ見上げる。

 表情や態度こそ謝ってはいたが、どこまで本気なのか分からない。だが、わざわざ開心術を使ってまで確かめることではないだろう。セレネは疲れたように肩を落とした。

 

「……まあ、私も偶然とはいえ負けましたし、仕方ないかもしれませんけど……でも、どのような魔眼が出品されるのかは確認したかったです」

「そこはぬかりなく確認してきた」

 

 セレネが文句を言うと、セオドールが手帳を開いた。

 

「えっとだな……視界に入った物を燃やし尽くす『炎焼の魔眼』、相手の感情を読み取る『感情視の魔眼』、それから、相手の持ち物や壁の内側を視通す『透視の魔眼』とかだな。特に『透視の魔眼』とやらは『千里眼』に近いらしくて、遮蔽物や隠し持っている武器だけじゃなく、近い未来まで視通すことができるんだと。

 あー、安心しろ。『直死の魔眼』は出品どころか、カタログにすら載ってなかった」

 

 セレネが尋ねる前に、セオドールは一番大事なところを教えてくれた。

 それを聞いて、セレネも肩の荷が下りたような気がした。

 

 もともと、朝食に出たかった理由は、出品される魔眼のなかに「直死の魔眼」が掲載されていないかどうかを調べるためでもあった。グリンデルバルドに再三重ねて念を押してきたが、あの常に怪しいことを企んでいそうな闇の魔法使いのことである。何かの理由をつけて勝手に売り払うために、こっそりカタログに掲載されていたら目も当てられない。

 

「今朝、紹介された魔眼以外は出品されないから、安心していいんじゃないか?」

「……それなら問題ないですけど」

 

 やはり、なにかが引っかかる。

 魚の小骨が喉の奥に残っているような、そんな違和感が残っている。

 

 本当に、グリンデルバルドは息抜きのために誘ったのだろうか。

 

 現状では、確かに息抜きにはなっている。しかしながら、あの男が本当にそれだけの理由で乗車を勧めるわけがない。

 たんに疑い過ぎの杞憂だといいが、なにか見落としがある気がする。

 

「確かに、あいつは怪しさ満点だけどよ。今回ばかりは何も企んでないんじゃないか? 少なくとも、暗躍している様子は見当たらない」

「それは、そうですが」

 

 セレネは唇に指をあて、思考の海に沈もうとした直後だった。ふと、列車の速度がだんだん落ち始めていることに気付く。速度を落とし始め、やがて、何もない場所で停車する。

 紙袋をくしゃくしゃに丸めたような雑音の後、車内アナウンスが鳴り響いた。

 

『車掌のロダンでございます。当列車はこの地に2時間ほど停車した後、再び出発いたします。皆様におかれましては車内に滞在されるも、車外を探索されるのもご自由にお過ごしくださいませ』

 

 この列車は、こうして定期的に止まる。

 かといって、誰かが新たに乗車してくることもない。列車を走るための魔力や石炭といったエネルギー源を蓄えるためなのか、機関士の休憩のためなのか、はたまた、その両方が理由なのかもしれない。

 

「……せっかくですから、外に出てきます」

 

 少し、考えすぎだったかもしれない。直死の魔眼が出品されないと分かった以上、少しくらい羽を伸ばしてもいいだろう。

 セレネはフードを深く被り直すと、部屋の外に出て、タラップを降りた。

 

 そこは到底、駅とは言えない場所だった。

 周囲一面、線路が引かれているとは思えないほど針葉樹が鬱蒼と生い茂った森が広がっている。列車の前後のみ樹木が見られないのが奇跡なくらいだ。線路は赤錆びていて、ほとんど地面と同化している。

 頬を涼やかな冬の風が撫でる。

 清涼な空気が肺を満たし、少し気分が軽くなった。雪の上を歩いてみれば、くるぶしまで音を立てながら埋まる。鳥が飛んでいるのか、白い雪に影が映った。視線を少し上に向けたが、鳥は過ぎ去った後だったらしい。透き通るような青空をバックに、雪を載せた針葉樹の木々が風に吹かれ、はらはらと粉雪を落としながら揺れていた。

 

「炎焼の魔眼があれば、こんな雪をすべて溶かせるのかもな」

 

 セオドールの声が追いかけてくる。彼は雪に足を盗られ、苦戦しながら歩いていた。

 

「一睨みするだけで、炎が雪を溶かすとかさ」

「目からビームですか。ロボットや怪獣ではあるまいし」

 

 セレネは心底呆れ果てたような声で言うと、杖を取り出し、彼の周囲を覆っていた雪を溶かした。

 

「これで十分でしょう。だいたい、炎焼の魔眼なんて……上手く制御が利かなくて、家が火事になったらどうするんですか」

「……確かに、そうかもしれないな」

 

 セオドールはそう呟くと、腕を擦りながら身震いをした。

 

「やっぱり寒いな。戻らないか?」

「防寒呪文をかけたらどうです?」

「さらっというなよ。あれ、意外と難しいんだぜ?」

「では、私がかけましょうか?」

「……いい、別に平気だ」

 

 彼はむすっとした表情で断わり、ポケットに手を突っ込んだ。列車に戻る様子はない。ただ相変わらず微かに震えている様子を見るに、どうやら、やせ我慢をしているらしい。セレネは小さく肩を落とすと、白い息を吐いた。

 彼は親衛隊隊長に相応しい程に魔法の扱いが上手く、ホグワーツ生の中では死喰い人とやり合える方だった。だが、あくまでホグワーツ生の中では、という話だ。実際問題、ここ数か月でかなり魔法が上達したとはいえ、まだまだセレネの足元にも及ばない。しかも、実戦系の魔法を極めている一方、防寒呪文のように生活系の魔法の習得がおざなりになっている。

 マフラーに顔を埋めながら微かに震える彼を見ていると、やはり自分についてくるのを止めさせた方が良かったのではないかと思えてくる。無論、抵抗するだろうから、石化の魔法をかけてホグワーツに送り付ければ良かった。たとえ死喰い人の父親から反発していようとも、間違いなく純血なので、悪いようには扱われないだろう。むしろ、そっちの方が安全だったかもしれない。

 

「……ま、もしもの話ですけど」

 

 セレネは小さく呟いた。

 

「戻りますか」

 

 彼に風邪をひかれても困るので、セレネは魔眼蒐集列車の方に足を戻した。その時、ふと足元から草が蒸したような匂いが漂っていることに気付く。目を落とせば、群生したキノコが綺麗な輪を描いて傘を伸ばしていた。

 

「妖精の輪ですね」

 

 魔法生物飼育学で――……ハグリッドではなく、代用教員のグランブリー・プランクが教えてくれたことを思い出す。

 真夜中、妖精が踊っていた場所に複数のキノコが輪になって残るらしい。妖精は神秘や魔力の強い森に生息する。ここがそのように神秘が強い場所だから、魔法の列車が停車しても不思議ではないのかもしれない。

 

「……おい、ゴーント。あれを見ろよ」

 

 妖精の輪を眺めていると、セオドールが声をかけてきた。彼の視線の先に目を向けると、霧の狭間に女性の影が見えた気がした。ゴーストかと思ったが、それとは違う。薄らとした白い女が何十という真紅の薔薇に囲まれ佇んでいたのだ。ルヴィアゼリッタを思わす金色の髪の上にも薔薇の冠を被った姿は、まるで薔薇の化身のようだった。

 ところが、その女性は瞬きをする間に消えてしまった。まるで、風に浚われたかのように。

 

「あんな乗客いたか?」

「……地元の方でもないですよね」

 

 女性が立っていた場所まで歩いてみたが、純白の雪が広がるばかりで獣の足跡すらなかった。

 

「幻覚、だったのでしょうか? 薄らとぼやけてましたし」

「はぁ? はっきりいただろ、ここに! 赤い薔薇の女が」

「それは、当車の支配人代行でございますね」

 

 セレネたちが口論になる前に、意外なところから助け船がよこされた。振り返ると、そこには車掌のロダンが立っていた。

 

「支配人が立ち去られてから、魔眼蒐集列車を守っている御方でございます」

 

 車掌はしみじみと言うと、雪を踏みしめながら近づいてくる。

 

「我々も滅多に出会える方ではないのですが、良い眼をお持ちのようですね」

「なるほど、そういうことですか」

 

 セレネはもう一度、薔薇の女が立っていた場所に目を向ける。自分の眼は直死の魔眼だが、偽ムーディ曰く、実質的には浄眼が変質したものだ。ゴーストや妖精など「有りえないものを見る魔眼」、その中でもランクが高いからこそ、自分やセオドールは視えないはずの支配人代行が垣間見えてしまったのだろう。

 

「ところで、支配人が立ち去られたというのは、日本人と使い魔が絡んでいるという噂のことでしょうか?」

 

 グリンデルバルドから聞いた情報と照らし合わせて尋ねる。

 

「ええ、もともと当オークションは支配人の発案だったのですが、トラブルがありまして。それ以来、支配人は列車を離れて、代行に委ねられております。

 そのトラブルとは、ご質問なされた内容のものでございます」

 

 やはり、車掌にとってあまり良い思い出ではないのだろう。口調がやや硬いように思えた。

 

「ご安心ください。当然ですが、トウコ・アオザキと使い魔は魔眼蒐集列車を出禁になっておりますので、今後もオークションはつつがなく進行されます。

 それでは、発車時刻までごゆるりとお過ごしください」

 

 車掌は騎士顔負けの完璧なる一礼をすると、列車の方へと戻っていった。おそらくは、トラブルの詳細について語りたくないのだろう。

 セレネたちも後に続くように、駅の方へ足を戻した。

 

「……あれ?」

 

 駅に戻ってみると、カリーが柵にもたれかかっていた。

 昨日までの快活さは微塵も見当たらず、げっそりと肉を剥ぎ落したような負の空気を漂わせている。

 

「そうか、ゴーントは知らないのか。あいつ、どうやら、お目当ての魔眼が出品されなかったんだと」

「あー……そうですか」

 

 確かに、セオドールが教えてくれた出品される魔眼に「味を変える魔眼」はなかった。カリーは野望を叶えることが出来ず、落ち込んでいるのだろう。声をかけたくてもかけられる雰囲気ではない。カリーは涙をほろほろ流しながら、ハンカチで鼻をすすっていた。

 

「おや、フロイライン。ここにいたのか」

 

 カリーから目を逸らすと、グリンデルバルドがちょうど降りてくるところだった。

 

「遅い目覚めだったな」

「起こしてくれれば良かったのですが」

「眠れる少女を起こすのは、王子の役目だ。私では荷が重い」

 

 グリンデルバルドは両手を広げながら、やや申し訳なさそうに言い放った。当然、それは言葉だけであり、オッドアイの瞳には申し訳なさの欠片も滲んでいなかった。セレネは呆れ果てたような口調で話し始めた。

 

「まったく、それは眠れる森の美女のことですか? それとも、白雪姫? 貴方がマグルの書籍を嗜み始めたことは知っていましたが、童話にまで目を通しているのですね」

「知識は多い方がいい。知識と言えば、1年前の事件について聞いたかね?」

 

 彼は寂れた椅子に腰を掛けた。

 

「日本人の魔法使いが出禁になった話ですか?」

「いや、魔眼蒐集列車内において、頭部のみ損失した死体が幾つも発見された事件だ」

「頭部の窃盗事件?」

「この列車では、5年に1度の割合であることらしい。もっとも、1度に数人の頭部が切断されるということは少ないらしいがね」

 

 ぞっとする話である。

 だが、この列車に限っては、分からない話でもなかった。

 ここは魔眼蒐集列車。魔眼を取り扱う列車なのだから、魔眼持ちの乗客がいても不思議ではない。出品される魔眼が自分の資金で届かないことに気付けば、法律外の行動に出るのも考えられた。

 例えば、オークションの競争相手を殺したり、魔眼の保管庫に侵入したり、魔眼ごと頭部を切断し持ち逃げしたり、すべて十分に想定のうちだ。

 

「ちなみに、犯人は?」

「魔法執行部が調査したらしいが、真相は謎のままだ」

「乗客全員にアリバイがあった、ということでしょうか?」

「フロイライン、君はいささか発想がマグルすぎるぞ? マグルの中で育ったのだから、無理もない、というべきかもしれないが」

 

 グリンデルバルドはやや呆れたように頭を振った。

 

「我々は魔法使いだ。つまり、魔法が使える。魔法が使えるのであれば、アリバイなぞ意味を持たない」

 

 魔法使いなら、鍵のかかった部屋にも入ることが出来る。

 魔法使いなら、難しいトリックを構築しなくても、自殺に見せかけることが出来る。 

 魔法使いなら、犯行後即座に「姿くらまし」で逃走し、あたかもずっと人目に付く場所にいたかのように偽装することだって出来る。

 

「犯人が誰なのかでもなければ、トリックでもない。大切なのは、動機だよ。何故、その犯行に至ったのかだ。それが分かれば、犯人も必然と割り出せる」

「……それで、名探偵さんは、1年前の殺人事件の動機がつかめたのですか?」

 

 セレネが皮肉交じりに尋ねると、グリンデルバルドは苦笑した。

 

「暇潰しに探索してみたが、何分、証拠がなさすぎる。当時の事件の調査官や関係者が乗車していれば割り出せたかもしれないがね。

 犯人はコレクションとして魔眼を欲していたのか、それとも、別の目的で魔眼を蒐集していたのか。事実は、闇の中だ」

 

 彼はそう言いながら、パイプに火を灯した。白い煙が青い空へ円を描きながら昇っていく。

 

「君も気を付けたまえ、フロイライン。魔眼持ちだと思われたが最後、首を刎ねられるかもしれん」

「その言葉、そっくりそのまま返します」

 

 セレネはタラップを跳ねるように上がり、静かな車内に戻った。

 

 しばらくすると、物悲しく汽笛が鳴り響いた。

 蒸気の音と共に、車輪がゆっくりと動き始める。車窓に目を向ければ、白い霧とそのはざまで浮かぶ針葉樹の深い緑の影に埋め尽くされていた。

 セレネの足は客室ではなく、セオドールと別れてロビーに向かっていた。革張りの椅子に腰を掛け、ウェイターに紅茶を頼む。ウェイターは紅茶のポットを高い位置まで上げると、そこから紅茶を注ぎだす。揺れている車内なのに、凄い技である。

 

「……美味しい」

 

 ふいに、そんな言葉が零れてしまうほど味が良い。本当に良い茶葉を使っている。香りも普段飲んでいる安物と段違いだ。

 

「『アクシオ‐来い』」

 

 セレネは杖を振ると、適当な本を鞄から取り出す。

 そして、鞄から飛び出してきた本の題名を見て、苦笑いした。

 

「『オリエント急行殺人事件』か」

 

 グリンデルバルドの話を聞いた後では、ぞっとする題名である。

 もちろん、自分は12か所も刺されるほど恨まれる行為はしていないつもりだし、乗客のほとんどが真に赤の他人だ。

 だがしかし、この列車はオリエント急行ではなく、魔眼蒐集列車。怨嗟で殺されることはないが、魔眼狩りのついでに殺されることはあるかもしれない。

 

「ま、どんな敵も返り討ちに出来るけど」

 

 セレネは小さく呟くと、本のページをめくった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の日の朝は、もう魔眼の紹介はなかった。

 よって、オークションの行われる夜まで暇である。

 

 セレネは部屋のソファーに座ると、軽い読書をし始めた。

 グリンデルバルドは他の部屋に出かけており、セオドールはセレネの前で深い赤紫色のワインが入ったグラスを回していた。当然、一緒に飲むことはしなかった。

 酷く落ち着いた空間である。

 時計が時を刻む音と、列車のリズミカルな振動と汽笛だけが聞こえてきた。あまりにも落ち着き過ぎて、どうやら緊張がほぐれて来たらしい。だんだんと瞼が重くなってきた。セレネはちらりと部屋の扉に目を向ける。1年前の事件の話を聞いてから、殊更、頑丈に鍵の魔法をかけるようにしていた。グリンデルバルドは部屋の外にいるが、彼ほどの実力者でない限り、あの扉を開けることはできないだろう。

 セレネはソファーに腰を下ろしたまま、しばし微睡みに身を委ねることにした。

 

 

 

 

 セレネが目を覚ましたのは、膝の重みに気付いた時だ。

 セレネは重みの正体を一瞥したあと、テーブルに視線を向ける。ワインボトルは、すっかり空になっていた。どうやら、重みの正体は酔っぱらっているらしい。

 

「邪魔です、起きてください」

 

 セレネがとんとんと肩を揺すった。

 しかし、目覚める気配はない。セオドールはセレネの腹部に顔をうずめたまま、まったく起き上がる気配がなかった。完全に枕扱いである。

 セレネは肩を落とした。1年前までは考えられなかった光景である。実際、今までもこんなことはなかった。つまり、それだけ気の置けない間柄になったのかもしれないが、それにしても邪魔である。膝が少しずつ痺れてくるのが分かった。

 

「まったく、酔っ払いは苦手よ」

 

 さて、強引に起こしてやろうか。 

 強硬論に出る自分がいる一方で、もう少しこのままでもいいのでは?なんて、甘ったれたことを考える自分もいる。

 一体、どうするべきか。悩みながら部屋を見渡した時、ふと、空になったグラスが視界に入ってきた。

 奇妙なことに、ワインによる渋がついていない。まるで、最初から何も入っていなかったような綺麗なグラスである。

 

「……まさか」

 

 自分たちは魔法使いだ。

 渋を杖でふき取ることくらい朝飯前だが、酔っぱらって寝ている男ができるだろうか? その答えは簡単だ。

 

「起きなさい、この似非酔っ払い!!」

 

 セレネは容赦なく頭に拳を落とした。

 

「痛ッー!」

 

 セオドールは飛び起きる。その隙にセレネはソファーから立ち上がると、空っぽのグラスを手に取って見せる。

 

「消失呪文ですね。あれでしたら、ワイン程度すべて消すことができますから。よく考えてみれば、貴方から酒の匂いなんてしませんでしたし」

「……バレたか」

「バレたか、ではありませんよ。まったく、油断も隙もあったものじゃない」

 

 しかも、窓に映った自分の姿を見る限りでは、あの男はセレネに「終了呪文」を使っていたらしい。せっかく変身術で茶色に染めた髪が黒く戻っていた。

 セレネはグラスを乱暴に置くと、部屋を出ようとした。髪の色なんて、杖一振りで変えられる。いまはこの男から距離を置きたかった。

  

「ゴーント、待ってって! オレが調子に乗り過ぎた」

 

 しかし、外に出ることは叶わなかった。

 彼はセレネの腕を掴んできたのである。これで、掴まれるのは3回目。2度あることは3度あると言うが、あまり慣れたことではない。

 

「謝るから、こっちを見てくれないか?」

「……」

 

 セレネは黙って振り返る。

 ここで、この男の言うことを聞いてしまうくらい、自分は甘くなったと痛感する。以前はこんなに弱くなかったはずだ。もっとも、義父に同じことを言われていたら、言われた通りに動いただろう。義父がセレネの膝に頭を乗せていたら、たとえ酔っていなくても、多少の恥ずかしさくらい我慢できたかもしれないが、この男は別だ。

 しっかり謝るまで、絶対許さない。

 

「悪かった、ゴーント」

「そうですか。では、さようなら」

「いやいや、待て」

 

 セオドールの青い瞳はセレネをまっすぐ見下ろしている。

 あまりに熱心に見られるものだから、先ほどまでの気恥すかしさと合わせて顔が熱を持ち始めたのが分かった。こうして間近で顔を見合わせるのは、いつ以来だろうか。下手したら、8月の初日、ウィーズリーの結婚式の後、グリンデルバルドと手を結んだことを咎めてきたとき以来だ。つまり、3か月ぶりとなる。

 

「なんでしょうか?」

 

 少し驚きながらも、平静に尋ねてみる。

 

「言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうです?」

 

 セオドールは何も言わないで、いつもの不満そうな顔のまま見つめてくる。負けじとセレネも睨み返す。

 すると、不満顔が解れ、綻ぶような笑みを浮かべた。

 

「やっぱり、セレネ。お前って可愛いな」

 

 いつになく背筋が寒くなるような台詞だった。彼の青い瞳には、まったく濁りがない。嘘や世辞ではないだけ、質が悪い。

 セレネは完全に赤らんだ頬を隠すため、視線を逸らした。

 

「用件はそれだけですか? 分かりましたから、離してください」

「……ああ、そうだな」

 

 その言葉は、少し寂しそうで。 

 何か、途轍もなく悪いことでもしたかのような気持ちになる。するりと手が解け、セレネは自由になった。

 

「これは、お前のためになるんだ」

「……え?」

 

 セレネが疑問の声を発した時だった。

 

『刻限になりました』

 

 突然、声がした。

 いや、声ではない。頭に直接語り掛ける思念ですらない。まるで、概念そのものが突然、自分たちの脳に染み渡ったかのようだった。

 その言葉と共に、薔薇の女が姿を見せる。

 白い女だった。ルヴィアゼリッタのように見事な金髪を美しく巻き、真紅の薔薇で飾りつけをしている。

 あの針葉樹の森で垣間見た支配人代行だ。あの時は薔薇でかすんだ朧気な姿だったが、今度はくっきりと実体を持っている。セレネは杖を取り出すと、彼を守るように一歩足を前に出す。

 

「刻限とは?」

 

 セレネは最初、理解できなかった。すると、再び概念のような声が脳を支配する。

 

『スタッフよりお話があったはずです。オークションの前に、魔眼を摘出させていただくと』

 

 

 オークションのための、魔眼摘出。

 

 

 セレネは全身から血が引いていくのが分かった。

 薔薇の女は、吸い寄せられるようにこちらに近づいてくる。

 

「まさ、か!?」

 

 この瞬間、セレネがずっと感じていた違和感が弾かれたように解けた。

 最初から、おかしいと思っていた。グリンデルバルドが「気分転換に」なんて理由で外出を進めるわけがないと。セオドールがグリンデルバルドの案に乗っかり賛成するわけがないと。

 つまるところ、最初から二人はグルで騙していたのだ。

 否、違う。

 セレネに黙っていたのだ。

 

「取り消しなさい。魔眼の摘出はしません!」

 

 セレネは薔薇の女に向かって叫んでいた。

 乙女の表情は仮面をかぶったように見えない。魔眼の摘出が、当然の義務のように動いている。

 

「やめなさい!」

 

 口は動く。

 だが、セレネは動けない。

 魔眼殺しに手が伸びても、指がまったく動かない。杖を握りしめる指も、強力な接着剤で張り付けられたように動かない。足も床に縫い付けられたように、まったくビクともしない。動け、動けと必死に働きかけるのに、催眠術にでもかけられたように動けないのが、腸が煮えたぎるくらい悔しい。

 

 思い返してみれば、すぐに気づくべきだった。

 

 グリンデルバルドは『誰が代表に見えるか』といったが、自分が代表とは一言も口にしていない。

 封書にあて名はなく、誰宛てなのか分からなかった。

 グリンデルバルドは『セレネの魔眼を売り飛ばすわけでもない』とはっきり口にしていた。当然、未来視も売らないと言っていた。

 セオドールは言っていた。2日目の朝で紹介された魔眼に「直死の魔眼」はなかった、と。

 ああ、それらはすべて正しい。

 けれど、魔眼のすべてを明かしたわけではなかった。「とか」なんて誤魔化していた。

 

 そう、2日目の朝、起きられなかった時点で気づくべきだった。

 夜、セオドールがゴブストーンを使って蜂蜜酒を飲ませてきたときだ。あの時、確かに蜂蜜酒の中に甘い花の香りが漂っていた。初めて飲む酒のはずなのに、どこかで嗅いだことがあると思ったら、昨年度の今頃、聖マンゴ魔法疾患病院で無理やり飲まされた睡眠薬と同じ香りだった。おそらく、蜂蜜酒に睡眠薬が混ざっていたのだ。

 そんなことをする理由は、1つしかない。

 酒に酔いつぶれたと見せかけて寝坊させることで、セレネを朝食会場に行かせないためだ。つまり、出品される残りの魔眼を知らせない作戦である。

 

 なぜなら、セレネが朝食会場でカタログを確認すれば、どの魔眼が出品されるのか一目瞭然で露見してしまうからだ。

 

 イギリス魔法界有数の純血の末裔、セオドール・ノットの浄眼が出品されると知られないように。

 支配人代行の白い指が、つぷりと彼の半顔に沈みこんだ。まるで、泥か何かに沈み込むような、異常なまでの自然さだった。血の一滴も零さないそれは、心霊手術と似た技術だったかもしれない。人差し指と中指、親指が第二関節まで眼球に潜り込み、ほんの数秒でずぶずぶと抜けた。それと同時に、意識も奪われたのか、彼の身体が倒れ込む。

 

「支配人代行」

 

 いつの間にいたのだろうか。

 そっ、とオークショナーが溶液に満たされたガラスの筒を差し上げた。支配人代行たる女が手を振ると、筒の内側へ二つの眼球がとぷんと音を立てて落下したのである。

 施術の間、セレネは視ているだけで、身じろぎさえできなかった。

 

「以上で、魔眼の摘出は終わりです」

 

 オークショナーは神の御業でも見たかのごとく声を震わせた。

 セレネも近い感覚を抱いた。あまりにも隔絶した何かを見た時、人は誰もがそうなるのかもしれない。ホグワーツの校医マダム・ポンフリーでも聖マンゴ魔法疾患病院の癒者でも、きっと今目の前で見たような卓越した魔法施術は行えないという確信がある。

 しかし、そんな気持ちよりも、まったく動けなかった自分への悔しさで奥歯が軋むくらい噛みしめる。

 

 支配人代行は、再びすっかり消え失せていた。

 

「ゴーストだけでなく、魔力の気配や実体を見せる前の幻獣までをも視認できる最上級の浄眼です。もちろん、視覚を通して相手に働きかけることはできないので、ノウブルカラーではありませんが、本質は浄眼というよりも妖精眼に近いかもしれませんね」

 

 オークショナーがガラスの筒を撫でさすりながら解説をしている。

 扉がいつの間にか開いており、生身の招待客たちが顔をのぞかせているのが横目で見えた。

 セレネはオークショナーの言葉を遠くで聞いていた。胸の奥が締め付けられるように冷たく、息苦しさが込み上げてくる。

 

「……あんた、わざと黙ってたでしょ」

 

 セレネは自身を見下している男に語りかけた。

 

「答えなさい、助言者。なぜ、黙っていたの?」

「聞かれなかったからだ」

 

 予想通りの言葉を返され、セレネは唇を噛みしめる。

 

「彼は君に見合った実力がないことを嘆いていた。だから、私はこのオークションを勧めた。滅多に使えない魔眼を売り、戦闘でも使える強い魔眼を買い求めればいいと、囁いただけだ」

「悪魔の囁きね」

 

 血が滲みそうなほど、拳を握りしめた。

 確かに、そうだった。彼の実力はセレネに遠く及ばない。だから、いざというときの為になる呪文の習得を勧めた。きっと、それが彼の劣等感に繋がったのかもしれない。セレネも逆の立場だったら、似たようなことを感じ、苦しんでいたかもしれない。

 

「それが君のためにもつながる。弱い者を抱えていては戦えまい。弱いなら弱いなりに利用し処分するか、無理やりにでも強くさせるかのどちらかだ」

「……ふざけるな!」

 

 セレネはグリンデルバルドに詰め寄っていた。魔眼殺しをかけているのに、死の線が視界いっぱいに広がっていく。この世非ざる線を視た代償とばかりに、いつも通り前頭葉の辺りが針で刺されたように痛み始める。だが、その程度の痛みなんて気にならない。

 

「私はヴォルデモートを殺すために、あんたを助言者にした。でも、ここまでしてくれとは言ってない!」

「そこが甘いのだよ、フロイライン」

 

 グリンデルバルドは駄々をこねる子どもを憐れむような視線を向けてくる。

 

「君はどこまでも甘いお嬢さんだ。

 いいかね、君は非情になる必要がある。自分と格上の相手とやるときは、私情や良心を捨てるべきだ。

 君はずっと私情に突き動かされていた。私を雇ったときから、ずっとだ。綺麗なままで強敵を倒すなど、夢見心地にもほどがある。

 ……君が義父を失ってからの数か月、あの頃が一番、リドルと戦うにふさわしい戦士の顔をしていた」

「……っくぅ」

「だが、君は人を殺したくないと言う。ならば、取り巻きの能力を底上げするしか方法はないだろう。

 それが嫌だというのであれば、自ら手を汚す他、道はない」

 

 セレネは何も言い返せなくなった。

 グリンデルバルドの言う通りだ。自分よりはるかに格上の相手と戦うときには、私情を捨てる必要がある。良心だって捨てる必要がある。そうしないと、また敵が復活してしまう。分かり切っていることだ。だがしかし、その言葉には従えない。

 

「私は……誓いました。お父さんと彼に」

 

 人は絶対に殺さない、と。

 彼らには言わないが、その冠には「ただし、ヴォルデモートを除く」という言葉がついている。それでも、ヴォルデモート以外は殺さないと心に決めた。約束したのだ。それを破るような真似は、もう二度としたくない。

 だからといって、周りが傷つくのも見たくない。

 甘くて結構。良心や私情もありありで戦場に挑む。その姿は確かに、兵士や戦士の風上にも置けないだろう。

 

「私は……人を殺せないけど、彼や貴方に負債を押し付けるような勝ち方もしたくない。……良いハンデではありませんか。ハンデありで勝利するために、最善の助言をしなさい! 私と組んだ以上は、私の方針に従ってもらいます!」

 

 セレネは自身に言い聞かせるように、そして相手を組み伏せるように叫んだ。

 

 ……ああ、なんと子どもっぽい理屈なのだろう。これでは、空き地で暴れまわるガキ大将と大して変わらない。傲慢にもほどがあるし、どこまでも強欲だ。今の宣言を4年生までの自分が聞けば、きっと「なにを馬鹿げたことを」と冷ややかな目で一蹴していたはずだ。頂上までの楽な最短距離が提示されているのに、それに従わず、わざわざ岩が転がり荒れ果てた登りにくい遠回りをするなんて、正気の沙汰ではないと。

 けれど、今は違う。

 ヴォルデモートの脅威から守りたいと思う人が増えた。彼らを犠牲にしてまで、高みに昇らなくていい。そこに至るまでの道がどれほど辛く、何度も倒れ、絶望に満ちていたとしても、約束や信条を違えたくない。

 だから、どこまでも心の底から誓いを叫ぶ。

 

「これは、貴方の戦いではありません。私の戦いです」

 

 自分の声は、少し震えていた。

 どんなに辛い遠回りであっても、どんなに「お前は弱くなった」と指摘されても、そこだけは譲れない。グリンデルバルドはしばしセレネを見下すと、ゆっくり口を開いた。

 

「もし、その結末が望み通りのものでなかったらどうする?」

 

 グリンデルバルドは静かに問いただしてくる。

 

「リドルを倒すことが出来ず、君の望むすべてを失うことになったら? 倒せたところで、多大なる代償を支払うことになったらどうする?」

「そんな未来にはさせません。そうはさせないために、貴方を助言者に選びました。

 ……それでも、なにか代償を支払わないといけなくなったときは、私が一人ですべて背負います」

 

 今世紀最悪の魔法使いを人の身で倒すのだ。

 最初から、それ相応の代償を支払うのは最初から覚悟している。ただ、それを他人には絶対に背負わせてはいけない。

 死喰い人やヴォルデモートを損傷させ倒した分、恨みを買った分の代償を背負おう。いずれ重荷に耐えきれず、死に果てることになったとしても、それは絶対、他人に委ねていいものではないのだ。

 

「だから、私の方針に従いなさい」

 

 セレネが注視すると、グリンデルバルドの顔に死の線が奔った。彼の表情は堅く、黙したままセレネを見下している。彼が言い返して来たら、迎え撃つつもりだった。ところが、口から生まれたような闇の魔法使いは堅い表情を崩し、口元を綻ばせた。

 

「……承知した。次からは気を付けよう。

 ところでだ、フロイライン。君は、リドルの通称を口にしたことに気付いているかね?」

 

 グリンデルバルドが呟いた瞬間、列車が急速に速度を落とした。

 セレネは先ほど叫んだ言葉を思い返し、舌打ちをした。怒りに任せて、足元をすくわれたような失態を犯してしまった。

 

「……命令です。そこの彼を守ってください」

 

 軋むような音を立て、魔眼蒐集列車が停止する。

 なぜ運転が止まったのかは、考えるまでもない。

 

「君の護衛はいいのかね?」

「私が死喰い人や人攫い程度に後れを取るとでも?」

 

 セレネは杖を右手で回しながら、扉の方へ歩き始めた。

 

「オークションが開始される程度に、私一人で暴れてやりますよ」

 

 さて、行こう。

 自分には守りたいものがある。

 セレネは乗り込んでくる無粋な輩を考えながら、魔眼殺しを取り払った。

 

 

 

 

 




次回、人攫いVSセレネ。
魔眼蒐集列車編のクライマックス。
何故だろう、人攫いが負ける未来しか見えない。

更新は17日(金)0時を予定しています。
次回もよろしくお願いします。



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