スリザリンの継承者―魔眼の担い手―   作:寺町朱穂

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67話 幸福な記憶

「は、はぁ!? ポッターに告白された!?」

 

 ノットの叫び声が、ふくろう小屋に響き渡った。

 数羽のふくろうが驚いたように羽を逆立てたが、事前にかけた防聴呪文のおかげだろう。ほかに目立って反応を示すものはない。

 セレネは階段に腰を下ろすと、こくんと小さく頷いた。

 

「本当にポッターなのか!? ハッフルパフのフレッチリーじゃなくて?」

「どうして、ジャスティンが出てくるのですか?」

「いや、だってよ……まあいい。そうか、ポッターか。ポッターが来たか……盲点だった」

 

 ノットは顔の筋肉を引きつらせたまま、おもむろに天井を見上げた。

 

「盲点?」

「いや、なんでもない。それで、お前は何に悩んでるんだよ。嫌なら断ればいいだろ?」

「それは、そうですけど」

 

 セレネは足を抱えこむと、少しだけ項垂れる。

 

「私、いままで彼のことを駒としてしか見ていませんでした。優しくしたのも、アドバイスをしたのも、すべては彼から不死鳥の騎士団がつかんだ蛇男の情報を手に入れるためです。正直、ハリーを異性として意識したことなど皆無でした」

「それ、そのまま伝えてみたらどうだ?」

「バカなことを言わないでください!」

 

 投げやりな返答を受け、セレネは軽く睨み上げた。

 

「想像してみてくださいよ。あなたが好きな子に告白したら、相手から『あなたのことを道具だとしか思っていません。だから付き合えないけど、これからも情報だけは渡してください』なんて、返されたらどう思いますか? 失恋の痛手どころか、二度と話を聞いてくれませんよ!」

「……オレなら、そういうところも含めて好きになると思うけど」

 

 彼はそう言うと面倒くさそうに頭を掻いた。自分でも恥ずかしいことを言っている自覚があるのか、鼻のあたりが赤く染まっている。そんな彼の態度に、セレネは少しだけ目を見開いた後、呆れたように呟いた。

 

「あなた、意外と思考がメルヘンですね」

「べ、別にいいだろ。まぁ……オレはともかく、ポッターは立ち直れないだろうな」

「……そうですよね」

 

 セレネは床の一点を見つめ、今まで感じていた思いを吐露した。

 

「一番いいのは、付き合うことだと分かっています。これまで通り、ハリーを騙し続ける。彼女として騎士団の情報を手に入れることが、蛇男を倒す上で一番の近道です。

 しかし、彼は本気でした。あんな、あんな真っ直ぐな告白を無下に扱っていいはずがありません。騙して付き合うなんて、私には、とても――」

「お前、妙なところで誠実だよな」

 

 ノットはしばらく黙っていたが、セレネの隣に腰を下ろすと長く息を吐いた。彼は澄み切った冬の青空を見つめながら、静かに口を開く。

 

「お前はどうしたいんだよ、ゴーント」

「だから、私は――」

「駒とか『あの人』のこととか、そういう難しい話は置いておいてだ。お前自身はどう思ってるんだ? ポッターに告白されて、どう感じた?」

「私、は……」

 

 セレネは言葉を詰まらせた。

 そして、考える。あの場でハリーに手をつかまれ、唐突に告白された時、自分はどのように感じていたのか。それは、特別に考えるまでもない。

 

「……嬉しかった」

 

 セレネの唇が、小さな声で言葉を呟いた。

 

「ハリーは、私が半人間だって知っているのに、この眼のことも知っているのに、私のことを好きだって言ってくれました。それは、とても嬉しかったです」

 

 自分の頬が熱を持ち始めたのが分かった。

 親衛隊の皆もセレネの生い立ちを知った上でなお、自分を慕い、従ってくれる。それに匹敵するくらい嬉しかった。

 誰も好き好んで、半人間やおぞましい魔眼持ちと一緒にいたくない。セレネは二つとも持っている。それを気にせず慕ってくれる人など、滅多にいるわけがない。

 あの時、ハリーのことは駒にしか見えていなかった。しかし、彼はセレネの事情を知った上で、まっすぐ好意をぶつけてくれた。だから、言葉を失ってしまうほど嬉しかったのだ。

 

「……嬉しい、か」

 

 ノットは消え入りそうな声で呟いた。

 

「伝えてこいよ。そのままの気持ちをさ。それが一番いい選択だと思うぜ」

 

 ノットの大きな手がセレネの小さな背中を叩く。

 セレネはその手に勇気づけられたように立ち上がり、数歩階段を降りた。しかし、彼も降りてくる気配はない。振り返ってみると、彼はいまだに座ったままだった。微笑んでいるのに、どこか寂しげで、今にも泣きだしそうな雰囲気を纏っている。

 

「……ノット?」

「頑張れよ、ゴーント」

 

 彼はふらふらと手を振っている。セレネは肩を落とすと、彼の手首を捕まえて歩き出した。

 

「お、おい!」

「あなたが『伝えてこい』と言ったのですよ。それなら、しっかり結末まで見届けなさい」

 

 セレネは答えながら、階段を下っていく。

 

「死んでもごめんだ! オレはここに残る!」

「あら。あなたは自分が嫌がるようなことを勧めたのですか?」

「そういうわけじゃねぇよ! もっと、ムードとかなんというか、その、オレがいたら邪魔だろ!?」

 

 後ろから抗議の声が飛んでくる。本気で嫌がっているのを背中で感じたが、こちらとしても手を離すつもりはない。

 

「気になりません。それに……ちょっと一人では心細くて」

「……あーもう分かった! 分かったから手を放せ! 自分で歩けるっての!!」

 

 彼はセレネの手を振り払うと、いつも以上にむすっとした不機嫌な顔でついてくる。ハリーがいるのは魔法薬学の教室だ。セレネはまっすぐ下の階に向かう。だが、ちょうど魔法薬学が終わったばかりなのだろう。セレネが玄関ホールまで下りた時、ちょうどハリーたちが地下から出てきたところだった。

 

「あ……」

 

 すぐに、セレネはハリーと目が合った。ハリーの頬が少しだけ赤くなっている。セレネは深呼吸をすると、彼に歩み寄っていった。

 

「ハリー・ポッター。少しいいですか?」

「おい、お前! ハリーにいったい何をしたんだ!?」

 

 ハリーが答える前に、ロン・ウィーズリーが番犬のように吠えた。ウィーズリーは怒りで耳まで真っ赤に染めながら、杖を取り出した。今にも呪いをかけられそうな状況だったが、すぐにハーマイオニーが飛び出した。

 

「ロン! 馬鹿なことをしないで!」

「ハーマイオニー! 君は正気か!? なにもなく、ハリーがこんな蛇女を好きになるわけが――!」

「ごめんね、セレネ。いますぐに私たちは消えるから」

「いいえ、別に結構です。隠すことでもないでしょうし」

 

 セレネはきっぱり言い放つと、ハリーに向き合った。昨日の今日で、こうして相対すると恥ずかしさがこみあげてくる。セレネは少し呼吸を整えると、熱くなってきた頬を気にしないように努めながら口を開いた。

 

「昨日の申し出の件についてですが――」

 

 ハリーの身体が緊張して固くなっていくのが、見ているこちら側からでもよく分かった。

 玄関ホールに人気は少ない。誰もが次の授業へ急いでいる。こんな片隅に集った数人の男女を気にかける生徒などいなかった。

 セレネがハリーの目を見ると、彼もしっかり見つめ返してくる。深い緑色の瞳の中に、がらにもなく硬くなった自分の姿が映っているのが分かった。

 

 ハリー・ポッターは誠意をもって気持ちを伝えてくれた。

 だから、自分も誠意をもって気持ちを伝えよう。

 

「ありがとう、ハリー。私、こんな気持ちになったのは初めてです。心臓が高鳴るほど嬉しくて、逃げ出したくなるほど恥ずかしくて……。

 でも、ごめんなさい。この申し出を受け入れることはできません」

 

 セレネが正直な言葉を伝える。

 すると、ハリーの顔が歪んだ。まるで、ロンドンが壊滅したかのような表情をしている。彼の衝撃と悲しみであふれた顔を見ていると、セレネの胸が締め付けられるように苦しくなった。だから、口早に続きの言葉を伝える。

 

「あのサイコパスは、敵の親しい人を利用すると聞いたことがあります。その人を殺したり、服従の呪文で人質にとったりしてくるそうです」

「僕、そんなこと気にしないよ」

 

 ハリーはどこか激しい口調で反論してきた。

 

「セレネがヴォルデモートの敵だって言うなら、とっくの昔から僕だって敵だ! 気にしないよ、そんなこと」

「そうですね。だけど、もし私と――その、そういう仲になった時、私は自分の愛している人を死力を尽くして守りたい。全力を尽くせずに最悪な結末を迎えたら、必ず後悔するので」

 

 セレネは少しだけ目を伏せる。

 事実、最愛の義父の守護に手を尽くしている。どんな自分であっても愛してくれる心優しい義父には、悲しいまでに戦闘能力が皆無だ。戦いとは無縁で、平凡極まりない男である。だからこそ、ヴォルデモートの魔の手から守らなければならない。

 

「ですが、今の私には義父の守護で精いっぱいです」

 

 護衛の手配、守護魔法、蛇男に対抗するための助言者――勉強の傍らにやるには、正直これが手いっぱいだ。

 ヴォルデモートが存在する限り守り続ける手間とハリーに感じている好意。これを天秤にかけると、手間の方に天秤が傾いてしまう。

 

「お父さんに感じている以上の好意を、貴方に感じることはできません」

 

 クイールに向ける愛情ほど、彼へ好意を抱けない。

 そのような相手を、恋人に選ぶことなどできない。

 

「だから、ごめんなさい。今の私は、誰とも恋仲になれません」

 

 セレネは言葉を選びながら、婉曲に伝えた。言葉を重ねるごとに、ハリーは少し虚ろな視線になっていくのが、少しだけ申し訳なく感じる。

 

「あの、これからも立ち向かうための同志として、よろしくお願いします」

 

 セレネは最後の言葉を小さく、しかしはっきりと伝える。

 ハリーは何も答えなかった。ハーマイオニーもノットも、ウィーズリーでさえ身動き一つせず、黙ったままだ。

 やがて、ハリーは苦しそうに口を開いた。

 

「……セレネは、お義父さんのことを愛してるの?」

 

 ハリーの深緑色の瞳は、セレネの目をまっすぐ見つめてくる。それを聞いた時、セレネはきょとんと固まり、すぐに噴き出した。

 

「愛しているというより、大事な家族ですから」

 

 セレネは微笑みながら答える。

 

「私は強い人が好きです。義父は弱い人ですけど、私を愛してくれるたった一人の家族です。蛇男の手から命を懸けて守り抜くのは、当然のことかと」

 

 ハリーの赤らめていた顔色は、いまやすっかり青ざめている。拳は固く握りしめられ、ふるふると震えていた。

なにか言いたそうに口をぱくぱく動かしていたが、言葉が出てこない。その後ろに佇むハーマイオニーとウィーズリーは、どこか居心地悪そうに動いていた。

 

「セレネ、分かったよ」

 

 しばらくしてから、ハリーは答えた。

 

「でも、僕は諦めないから」

 

 ハリーは覚悟を決めたような顔になると、セレネに背を向けて去って行った。その後ろを、ハーマイオニーたちが追いかけていく。玄関ホールには、セレネとノットだけが残された。

 セレネは近くの壁に寄りかかると、大きく息を吐いた。

 

「……馬鹿な人。他に良い人を探せばいいのに」

 

 セレネは小さな声で呟く。

 ハリーはそれなりに顔立ちが良い。あの地味な丸眼鏡を外せば、道行く数人が振り返るくらいの顔だちになるのではないだろうか。それに、魔法省の誹謗中傷がなくなれば、ハリー・ポッターはヴォルデモートに立ち向かう英雄であり、旗印となる。今の差別から一転して、女子生徒たちの注目の的になること間違いなしだ。

 

 きっと、彼には半人間の自分よりもふさわしい人がいるに決まっている。

 

「ありがとうございます、付き合ってくれて」

 

 セレネは、ノットに視線を向ける。彼はヨーロッパが全部沈没してしまったかのような仏頂面をしていた。ポケットに手を入れて、ひどく難しい表情をこちらに向けてきている。よほど、自分にくだらない時間を取られたのが嫌だったのか。それとも、他人の失恋場面を見せられて気分を害したのか。セレネは彼に対しても、少し申し訳ない気持ちになった。

 

「ごめんなさい、煩わせてしまって。あなたが傍にいてくれて、心強かったです。正直に話すのって、けっこう勇気がいりますね」

「……ポッターが『あの人』を倒す駒で同志なら、オレはなんだ?」

 

 それは、唐突な質問だった。セレネは数度瞬きをした後、考え込むように人差し指を唇に沿える。あれは、ハリーがあまりにも落ち込んでいたので、咄嗟に放った言葉であった。特別に深い意味はない。

 

「オレはお前にとってのなんだ? 飼い犬か?」

「まさか!そうですね……片腕でしょうか」

 

 セレネは少し悩んだ末に答える。 

 

「それなりに強いですし、事務能力にも長けています。先ほどのアドバイスも的確でしたし、一緒にいると心強いです。

 なによりも、あなたがいないと親衛隊の運営が滞ります。私に必要不可欠な存在です」

 

 もっとも、彼の父親は死喰い人だ。

 いつまでこの関係が続くのか分からないし、どこかの機会で裏切られても不思議はない。だが、いまのところは裏切りの兆候は見られず、親衛隊に尽くしてくれている。

 

「だから、これからもよろしくお願いします」

 

 その時期が来るまでの短い間でも構わない。

 セレネは柔らかい微笑みを浮かべると、そっと右手を差し出した。

 彼は差し出された右手を見ると、驚くように眉を上げた。そして、ゆっくりと珍しく口元を緩める。

 

「馬鹿。当たり前だろ」

 

 セレネの右手を力強く握り返された。瞳の奥に悲しそうな色が見えたような気がしたが、今は安堵したような落ち着いた目をしている。薄暗い雲が晴れていくように、明るい表情に変わっていった。

 

「お前、どこか危なっかしいからな。オレが片腕として見張ってないと、妙なことに手を出しかねない」

「危なっかしいとは酷いですね」

「事実だろうが。ほら、『変身術』の授業に行くぞ。マクゴナガルは出欠に厳しいからな。最後の10分でも出ないよりマシだろ」

 

 その表情のまま、セオドール・ノットは歩き出した。

 セレネも彼の背中を追いかけるように歩き始める。その歩調は、ここ数日で一番軽く感じた。

 

 

 

 

 

 

 それ以外は、特に変わったことなく日常が流れていく。

 だが、それも唐突に終わりを告げた。

 

 アズカバンで集団脱獄があったのだ。

 脱獄したのは、もちろんヴォルデモートの配下である。アズカバンに収監されている死喰い人たちは、ルシウス・マルフォイのように「ヴォルデモートに服従の呪文で操られていた」と言い逃れをした連中とは違う。ヴォルデモートへの忠誠心が一際高く、裏切らなかった者たちだ。

 

 それなのに、まだ魔法省はヴォルデモートの復活から目を背けている。いまだに「シリウス・ブラックの仕業」と叫んでいる。彼が脱獄できたのは、動物もどきだったからだ。変身して動物にでもならなければ、看守の吸魂鬼の目をすり抜けることはできない。吸魂鬼は、十数人の脱獄を許すほど軟な生き物ではないのだ。

 これは、確実にヴォルデモートの仕業である。

 ヴォルデモートが吸魂鬼を配下に加え、脱獄の手助けをさせたのだ。

 事実、シリウス・ブラック脱獄時にはホグズミード村を吸魂鬼が巡回していたというのに、影も形も見当たらない。この時点で、魔法省は吸魂鬼をコントロールできていないということになる。

 

 忠誠心の高い死喰い人たちと吸魂鬼。

 ヴォルデモートの手札は増えるばかりだ。

 

 だから、セレネは試験対策クラブの予定を組み替えることにした。

 

「今日は、守護霊の呪文をやります」

 

 セレネが言うと、少しだけ場が色めき立った。自分の守護霊が一体何なのか、誰しも一度は夢に見ることだ。 

 もちろん、どうして予定と違うのか首を傾げる生徒たちも多かったので、すぐに説明を付け足す。

 

「たまには息抜きもいいでしょう。それに、これは非常に高度な呪文ですし、ボーナス点がもらえるかもしれませんよ」

 

 もっとも、それは建前だ。

 吸魂鬼が敵陣営に加わってしまった現状、それに対抗する術を早急に習得しなければならない。

 

「まず、自分が1番幸福なことを思い浮かべます。それから呪文を唱えます。

 『エクスペクトパトローナム‐守護霊よ来たれ』!」

 

 セレネは義父と一緒にストーブの前でぬくぬくと本を読みながら、紅茶を飲む様子を思い浮かべながら杖を振る。すると、杖先からは銀色の大蛇が飛び出してきた。大蛇は神秘的に光り輝きながら空にとぐろを巻いている。ほとんどの親衛隊員は守護霊を目にすると、感嘆の声を漏らした。

 

「熟練すれば、これに声を乗せることもできます。さあ、やってみましょうか」

 

 セレネが手を叩くと一斉に呪文を唱える声が部屋に木霊する。

 だが、もちろん最初から守護霊を出せた者はいなかった。一人二人、ぼやっと靄のような無形守護霊が出せた者がいただけである。

 

 しかし、いままで鍛えてきた成果もあるのだろう。

 時間が終わりに近づく頃には、何人かの生徒が数秒ほど形のある守護霊を創り出すことに成功し始めていた。

 

「……ちょっと、可愛い」

 

 アステリア・グリーングラスが自分の作り出した鳩の守護霊を見つめながら、うっとりと呟いた。杖先から現れた鳩はパタパタと羽ばたき、宙へ溶けるように消えていった。

 

「アステリア、見惚れていては困りますよ。これは、吸魂鬼から身を護るための魔法なのですから」

「セレネ、怖いこと言わないでよ」

 

 その隣でダフネ・グリーングラスが怒ったように言った。

 

「私、上手くできないんだから!」

 

 ダフネの杖先からは銀色の靄こそ出ていたが、形を作る前に消失してしまっていた。妹に負けて姉としての沽券があるのだろう。顔を真っ赤にしながら呪文を呟いている。

 

「焦りは禁物です。まずは、幸福な記憶を選んで――」

「『エクスペクトパトローナム』!」

 

 背後から声が聞こえたのと同時に、頭の上を何かが凄い勢いで通り過ぎて行った。セレネが目線を上げると、ちょうど銀色の狐が頭の上を飛び越していくところだった。狐はぴょんぴょんと跳ねながら、静かに消えていく。

 

「どうだ、ゴーント。驚いたか?」

 

 ノットが意地悪そうな顔をしていた。だが、必死でこの呪文を唱えていたのは目に見えている。なぜなら、彼の顔は汗で少し光っていた。

 

「ええ、少し。ですが、少し顔が見苦しいですよ」

 

 セレネはすました顔で言いながら、ハンカチを渡した。すると、意地悪そうな顔が消え、見る見るうちに顔が赤くなっていく。彼は小さな声で何か呟くと、こちらに背を向けて去ってしまった。近くにいたブレーズ・ザビニが苦しそうに笑っている。どういうわけか、なんとなく腹が立ってくる笑い方だった。

 

「さあ、ノーマン。やってみましょうか」

 

 セレネはノーマンの指導に頭を切り替えた。

 1年生の中では、彼がもっとも呪文の使い方が上手い。自分への崇拝度も高いので、このままいけば来年度には幹部の仲間入りを果たせるかもしれない。

 親衛隊の幹部陣は、やはりそもそも実力があるのだろう。他の生徒たちとは異なり、有体守護霊を生み出していた。カロー姉妹たちは猟犬のような犬を競争させるように飛び出させ、ウルクハートは自分の作り出した狼を満足気に眺めている。ピュシーは豚の守護霊が不満なのか、むすっとした表情をしていた。

 

 セレネがその様子を眺めていると、部屋の窓枠に一羽のフクロウが降り立った。

 郵便の時間ではないのにフクロウが来るとは珍しい。グラハムがまっさきにフクロウに気付き、足元に付いた手紙を巻き取る。

 

「先輩! 先輩への手紙です!」

「私ですか?」

 

 セレネは少し首を傾げながら、手紙のあて名を確認する。

 

「ああ、この人ね。大丈夫、気にしないで練習を続けてください」

 

 セレネは手紙をポケットにしまった。

 ダフネが何か期待を込めて見返してきたので、セレネは肩を落とした。彼女はDAに所属している。ハリーの一世一代の告白を目にしているのだ。変な勘違いをしていても仕方あるまい。クラブ活動後、セレネは彼女に手紙のあて名を見せた。

 

「リータ・スキーター!? なんでセレネに手紙を!?」

「いま、私の家の一室に住んでいるんですよ。大方、その愚痴でしょう」

 

 事実、手紙の内容はクイールに対する愚痴であった。

 なにもかもが地味だとか、面白いことを一つも言わないとか、テレビの仕組みが理解できないとか、録画予約なんて意味不明なことを任されても無理に決まっているとか、だいたいそんなところだ。特に変わった内容のことは一つも書いていない。

 

「……ひどい言われ様だね、セレネのお義父さん」

「ま、この程度で良かったです」

 

 セレネはそう言うと、ベッドに入った。

 ダフネとミリセントが何やら話し込んでいたが、しばらくすると寝入ったのだろう。寝息の音が聞こえ始める。セレネはそっと起き上がると、談話室に降りた。ペンケースからペン型のブラックライトを取り出すと、そっと紫色の光で手紙をかざしてみる。すると、ぼんやり文字が浮き出てきた。

 

「『グレンジャーに三本の箒へ来るよう脅された。何かの記事を書かされるが、受けていいか?』……ね。いったい、どういう心づもりなのかしら? まあいいわ」

 

 セレネは軽く杖を振り、守護霊を創り出すとリータ宛に飛ばした。

 

「本当、あのマスゴミ女も守護霊が使えればいいのに」

 

 手紙は傍受される危険が高い。念のため、本当に伝えることにはブラックライトを使った小細工をしているが、「レベリオ‐正体を現せ」を使われたら終わりである。

 セレネからは守護霊でリータに指示を送っているが、彼女は守護霊をマスターしきれていない。無論、彼女には練習するように催促しているが、練習しているのか、それとも練習してもできないのか、いまだに手紙でお伺いを立ててくるのである。

 

「はぁ、『エクスペクトパトローナム』」

 

 セレネは大蛇に「よほどのことでなければ受けなさい」と吹き込むと、そのまま夜の空へと送り出す。

 

 

 リータが何を引き受けたのか、すぐに判明した。

 ザ・クィブラーという雑誌に、ハリー・ポッターのインタビュー記事が掲載されたのである。

 

 アンブリッジが朝から腹を立てて、すぐに新しい教育令を出したのである。「『ザ・クィブラー』を読むな」という実に意味不明な教育令だ。ザ・クィブラーはミステリー系の雑誌で、健全なる青少年の育成を妨げるものではない。それにもかかわらず、このような教育令が出されたのでは、誰もが気になって逆に読んでしまう。

 セレネもミリセントが手に入れた雑誌を読ませてもらった。

 

 腐ったマスゴミ女のリータ・スキーターだが、インタビュアーとしての能力は一流だ。

 あの墓場で起きた出来事について、ハリーからとても鮮明に聞き出している。ただ、セレネの出生の秘密に関する部分だけが書いていない。あまりにもプライベートな話なので、ハリーが遠慮したのか、それとも、リータがセレネの報復を恐れたのか。

 

 ただ、この記事のせいで、周囲の目ががらりと変わった。

 スリザリン生はいつも通りに接してくるのだが、他の寮生たちがちらちらと視線を向けてくる。ダフネの話によると、たまたま入ったトイレでレイブンクロー生に質問攻めにされたらしい。

 ダフネは

 

「セレネと仲がいいから、あの話は本当か知っているって思ったんだって」

 

 と困惑気味の顔で教えてくれた。

 セレネに向けられる視線のほとんどは好奇の色が強かったが、カロー姉妹やノット、それにマルフォイたちには嫌悪と恐れの視線が集まっていた。彼らの父親や親族が死喰い人だと名指しされているのだ。いままでハリー・ポッターに向けられていたような悪意のある視線を向けられ、しかし、かといって「ザ・クィブラーを読んだ生徒は退学処分にする」という教育令が出ているので、反論することができない。

 フローラもヘスティアも「従兄妹たちのことなど塵芥にしか思っていませんから」と口では言っていたが、だんだんと苛立ちが募っているのが分かった。試験対策クラブでその鬱憤を晴らすように、呪文の練習に明け暮れている。

 

 ひどいのはマルフォイだ。

 監督生の特権を乱用して、腹いせとばかりに他寮の下級生に罰則を言いつけている。それだけにとどまらず、アンブリッジの組織した「高等尋問官親衛隊」にも入隊した。これは、アンブリッジ選りすぐりの生徒たちで構成される部隊であり、監督生ですら減点することができる権限を持っている。

 

「やあ、ゴーント」

 

 夕食のキドニーパイを食べていると、マルフォイが偉そうな口調で話しかけてきた。胸元には監督生のHのバッジの上に、尋問官親衛隊を表すIのバッジが輝いている。むしろ、胸のバッジを見せつけるように立っている。

 

「こんばんは、マルフォイ。なにか御用ですか?」

「奇妙な噂を聞いたんでね。いや、君が違法な集会を主催しているとか。なんでも多くのスリザリン生を集めて、魔法の練習をしているそうじゃないか。もし、本当なら減点して、アンブリッジ先生に報告しないとー」

「ええ、試験対策クラブのことですか。それでしたら、許可は貰っていますよ」

 

 セレネはナプキンで口元を拭きながら答える。

 

「それに、主催者は私ではなく、7年生のエイドリアン・ピュシーです。まだ疑っているなら、彼に許可証を見せてもらったらどうですか。高等尋問官親衛隊さん」

 

 すんなり答えると、マルフォイは悔しそうな顔をした。だが、すぐに意地悪そうな笑顔に戻る。

 

「だけど、君の親衛隊はどうかな?」

 

 どうやら、彼はセレネを困らせたいらしい。いまやスリザリン寮でのトップはセレネだ。本来、その座に就くはずだったマルフォイは悔しくてたまらなかったのだろう。引きずり降ろしたくて必死な様子が伝わってきたので、セレネは淡々と事実を答えることにした。

 

「さあ、何のことでしょう。そのことについては詳しく知りませんが、ノットを隊長とする隊のことでしたら、彼が教育令施行日に許可を貰ったと聞いていますよ」

「え、ええ!?」

「それでは、私は図書室に行くので」

 

 愕然と佇む尋問官親衛隊員をしり目に、セレネは席を立った。

 今日はDAの活動日である。

 少し図書室で時間を潰してから、必要の部屋に行くことにしようとした。その矢先だった。

 

「ゴーント。ちょっとお話があるの」

 

 玄関ホールを出たところで、ピンクのガマガエルが待ち構えていたのである。

 ずっと見ていると目が痛くなりそうなほどショッキングピンクのセーターを着ている。スカートもタイツもパンプスも同じ色だ。ここまで来ると、よくそこまで単色で揃えることができたと褒めたくなってしまう。

 

 もっとも、真似だけは絶対にしたくない。

 

「ここではちょっとね。私の執務室に行きましょ」

 

 セレネが答える間も与えず、せかせかと歩き始めてしまった。

 仕方ないので、セレネも笑顔の仮面を貼り付けると、その後を追いかける。アンブリッジの部屋は前回と何も変わっていない。しいて変化を挙げるとすれば、ドライフラワーの種類が変わったことくらいである。

 

「さっそくだけど――」

 

 彼女は、前回のように紅茶を淹れてくる。また真実薬でも盛られるのかと思ったが、今回はこちらが紅茶を飲む前に話を進めてくる。

 

「あなたに尋問官親衛隊に入ってもらいたいの」

「私に、ですか?」

 

 セレネは驚いたように目を見開いた。

 

「ええ。スリザリンでもトップの成績でしょ? 純血ではないのが惜しいけど、それでも片方は由緒ある家系だわ。それに、尋問官親衛隊に入れば、卒業後の進路も安泰よ」

 

 とびっきりのお菓子を用意したかのように、アンブリッジは語りかけてくる。

 

 もちろん、答えは否一択だ。

 昨年度までの自分であれば、成績や外聞のために所属していたことだろう。だが、今の自分は少し違う。優等生を演じ続けてはいるが、そこまで身を堕としたくはない。

 

 ただ、ここで正直に否と答えたら最後、今までのイメージとの差異が生じてしまう。

 ここは、慎重に言葉を選ぶ必要がある。

 

「さあ、どうするの?」

 

 甘い声で答えを急かしてくる。

 時間はない。セレネは急いで答えを引きずり出そうと足掻いている――そんな時だった。

 

「失礼します、アンブリッジ先生。今はよろしいでしょうか?」

 

 扉を遠慮気味に叩く音が聞こえてくる。

 アンブリッジは椅子に仰け反ったまま入室を許可すると、現れたのはレイブンクロー生のマリエッタ・エッジコムだった。セドリック・ディゴリーの彼女、チョウ・チャンの友人で、DAに所属している女子生徒だ。彼女はセレネを見ると、小さく悲鳴を上げた。

 

「ミス・エッジコムね。どうしたのかしら?」

「えっと、その……」

 

 エッジコムはちらちらと不安そうにこちらを見てきたので、セレネは逃げる機会に利用させてもらうことにした。

 

「どうやら、私がいると話しにくい事柄のようですね。アンブリッジ先生、すみません。この話は一旦、持ち帰らせてください」

 

 セレネはアンブリッジの話を聞かずに部屋の外に出た。

 ただ、エッジコムが何を話すのが気になる。セレネは自分に「目くらましの呪文」をかけると、そっと扉に耳を近づけた。

 

『八階の必要の部屋に行けば、何か都合の良いものが見つかる? 私に? どういうことなのか、もう少し詳しく教えて?』

 

 アンブリッジの嬉しそうな声に、セレネは背中が冷えていくのを感じる。 

 

『なにを黙ってるの? そうね……もし、あなたがこのまま黙っていたら、お母さんも呼んで三人でお話をした方がいいかもしれませんね。そうすれば、話しやすくなるかもしれません』

『そんな!?』

『煙突飛行ネットワーク室のエッジコム夫人とは、私はそれなりにおしゃべりをする仲だもの。きっと、私が呼べばすぐにやって来るわ』

 

 アンブリッジは母親を脅しの対象として使っている。エッジコムの戸惑い唸る声が扉越しにも聞こえてきた。

 

『どうする、ミス・エッジコム?』

『か、会合が行われるんです。名前はダンブルドア軍団と言って――きゃあ!!』

 

 エッジコムの悲鳴が聞こえてくる。 

 それと共に、満面の笑みのアンブリッジが部屋を飛び出してきた。セレネは危うくぶつかりかけたので一歩後ろに下がる。

 

「んふふ、これでこの学校は私の物! 『エクスペクトパトローナム』!」

 

 アンブリッジの短すぎる杖から白銀の猫が飛び出した。猫は一度跳ねると、すぐに教室を抜けて地下へと消えていく。状況から察するに、マルフォイたち尋問官親衛隊を呼び出したに違いない。 

 

 そのまま、アンブリッジは鼻歌交じりのスキップをしながら部屋を出て行った。

 

 姿を消したまま、そっと開けっぱなしの部屋を覗いてみる。すると、エッジコムがすんすんと泣いていた。腕で顔を覆うように泣いているが、顔の隙間からきつい紫色のニキビが配列をなしている。

 

 『密告者』と。

 

「急がないと」

 

 セレネは廊下に出ると、素早く杖を振った。セレネの杖先から大蛇が飛び出し、そのまま8階へと昇っていく。エッジコムのニキビは、ハーマイオニーが羊皮紙に掛けた呪いだ。それなら、セレネが刻んだ炎のルーンが作動し、いまごろ名簿が燃えているはずである。ハーマイオニーあたりが気づいてくれると助かるが、いずれにしろ守護霊の警告で逃げてくれるはずである。

 

 

 セレネは目くらましの呪文をかけたまま、少し早足で寮に戻った。

 のろのろ残っていて、高等尋問官によるDA狩りには巻き込まれたくない。

 

 

 しかし、組織名がダンブルドア軍団とバレてしまったことは不味い。

 責任の所在がダンブルドアに向いてしまう。アンブリッジは鬼の首を取ったように、そこを追撃してくることだろう。

 

 

 

 そして、セレネの予感は当たってしまう。

 

 次の日、掲示板にこんな魔法省令が施行されたのだ。

 

「高等尋問官がダンブルドアの代わりに校長に就任する」

 

 と。

 

 

 

 

 

 




守護霊のバーゲンセール

本作オリジナル設定の守護霊
セオドール・ノット:キツネ
フローラ、ヘスティア・カロー:猟犬
ウルクハート:犬
エイドリアン・ピュシー:豚

アステリア・グリーングラス:鳩

もう少し増えるかも……


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