スリザリンの継承者―魔眼の担い手―   作:寺町朱穂

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64話 もっとも邪悪なる闇の魔術

 結果的に、ハリーたちの防衛術の自習は『必要の部屋』で行われることになった。

 参加者は毎週1,2回のペースで集い、ハリーの計画したカリキュラムで防衛術を学んでいく。ザカリアス・スミス以外は文句を言うことなく、誰もが真剣に防衛術を実践している。

 

 セレネの仕事は、セドリックと一緒にハリーのサポートをすることだ。

 第一回目の会合こそヘスティアの姿を借りて参加したが、必要の部屋だと無関係な人物に見られる心配はない。だから、セレネは自分の姿のまま参加する。

 ハリーたちが訓練をしやすいように場を整え、戸惑っている参加者にアドバイスをする。やることはそれだけだが、試験対策クラブとの違いを実感する。両者ともに参加者が必死になって呪文の練習をすることには変わりないが、そこに流れる空気が違う。

 

 こちらの方が緩やかで、セレネの方が緊張感がある。 

 きっと、これがハリーと自分の違いなのだろう。

 

「……なんかさ、セレネ。試験対策クラブの時と態度が違うような気がするよ」

 

 ダフネ・グリーングラスが疲れたような笑みを浮かべながら囁いてきた。

 

「対策クラブだと、もっと厳しくない? ぴりぴりしているというか、油断大敵というか」

「当然、これとあれとでは目的が違いますので」

 

 セレネはジニー・ウィーズリーが粉砕した練習用人形を修復しながら答えた。

 

「これは、ハリー・ポッター主催の防衛術の訓練です。ホストの意向に従う必要があります」

 

 ハリー主催なので、セレネはカリキュラム及び指導方針に口を挟んでいない。

 故に、ときどき「これでは甘すぎる」と感じるときもある。だが、リーダーはハリーである。下手に口を挟み、ハリーとの関係を悪化させた場合、最悪――ダンブルドアや不死鳥の騎士団に関する情報を搾り取ることができなくなってしまう。

 

 現状、それだけは避けなくてはならない。

 

 だから、組織の名称が「ダンブルドア軍団」、略してDAに決まった時も反対したい気持ちを抑えた。ハーマイオニーでさえ、この名称の危険性に気付いていない。嬉々として先日の名簿の上に名称を書き込んでいる。

 

 万が一、どこかから活動が漏れたとき、ハリーたちはどのように責任をとるのだろうか。

 この活動は、ダンブルドアが主催しているわけではない。しかし、名称に名前があるだけで、ダンブルドアが主催する活動かと疑われてしまうかもしれないのだ。

 

「せめて、ホグワーツ遊撃隊にすればいいのに」

「セレネ?」

「いえ、独り言です。今日は先に上がりますね、ちょっと用事がありまして」

 

 セレネは一足先に「必要の部屋」を出た。

 念のため、「ダンブルドア軍団」の名簿にはルーンを刻んである。ハーマイオニーが事前にかけた魔法が発動した場合、羊皮紙が炎上して証拠隠滅を図るためのルーンだ。密告者が余計なことを語らない限り、セレネが参加していた証拠はつかめないし、ダンブルドアまで責任が及ぶことはない。

 

 ヴォルデモートが暗躍している現段階で、ダンブルドアの影響力がこれ以上下がるような事態になることは避けたかった。

 

「……なんだか、私も暗躍しているみたい」

 

 セレネは口の中で呟いた。

 

 先日の茶会以来、アンブリッジは何やら馴れ馴れしく接してくる。

 おそらく、セレネに不遇な学生時代の自分を重ねているのだろうが、それは大きな勘違いだ。アンブリッジが思うほど、セレネはマグルの暮らしを嫌っていなかったし、権力に対する執着心も薄い。だが、これも現時点でアンブリッジに嫌われると色々と面倒になるので、素直に受け入れるふりをしながら躱している。

 

 

 こちらの顔色、あちらの顔色を窺いながら策を練っていく。

 正直、非常に面倒くさい。もとより人間関係なんて最小限で構わない。ずっと大好きな義父の傍で音楽を聴きながら本を読んでいたいのに、それを許してくれない世界が少しだけ憎く感じた。

 

 これも全部、ヴォルデモートが悪い。

  

『お疲れのようですね、主』

 

 秘密の部屋に着くと、アルケミーが心配そうに話しかけてきた。

 

『主のために、私が茶を淹れることができればよいのですが』

『いいのよ、ありがとう。気持ちだけ受け取るわ』

 

 セレネは微笑み返しながら、両面鏡を取り出した。

 

「助言者。いまは大丈夫ですか?」

『――ッ、ゴホッゴホッ。大丈夫なものか。調子が凄く悪い』

 

 セレネが話しかけると、グリンデルバルドが咳き込みながら返事をする。

 

『もう天の国が近いかもしれん』

「大丈夫です。貴方が落ちるのは、きっと地獄ですよ」

『違いない』

 

 グリンデルバルドは笑おうとし、また咳き込んだ。背中を丸めるようにしながら咳をする姿は、本当に苦しそうに見える。セレネはその姿を淡々と見下していた。

 

「それで、なにか思いついたことはありますか?」

『君は年寄りを労わらないのか?』

「質問に答えてください」

『……ヴォルデモートの不死の秘密についてだ』

 

 グリンデルバルドは静かに答えた。

 

『フロイライン。君は自慢の目で彼を視たことがあるか?』

「……ええ。ですが、死の線は見えませんでした」

 

 セレネは軽く眼鏡に触れた。直死の魔眼を通して物を見れば、なにであっても必ず禍々しい死の線が奔っている。壁も、床も、呪文にも、セレネ自身の身体にも――。しかし、ヴォルデモートの身体だけは例外だ。彼の身体だけは、いくら注視しても線は欠片も視えなかった。

 

『不死になる方法は、いくつか考えられる。たとえば、吸血鬼になれば寿命の縛りから解放される。しかし、吸血鬼は制約が多い。十字架やニンニクはおろか、流水を渡ることすらできなくなる。

 ……おそらく、ヴォルデモートが選んだ方法は分霊箱だ』

「分霊箱?」

『「もっとも邪悪なる闇の魔術」を読んだことあるか? そこに記載されている方法だ。魂を分かち、道具の中に閉じ込める。たとえ、片方の魂が殺されても、もう片方の魂は健在だ。だから、死ぬことはない』

「もっとも邪悪なる闇の魔術……ちょっと待ってください。『アクシオ―来い』!」

 

 セレネは杖を振った。すると、鞄の中から一冊の本が飛び出してくる。第二の課題後、偽ムーディから貰った禁書だ。おぞましい闇の魔術の粋が詰めこまれた本書をあまり読み返したくはないが、いま文句を口にしている暇はない。

 

「……これですか」

 

 分霊箱のページは、一際悍ましい方法が記載されていた。

 呪文もさることながら、その方法は健全な精神の持ち主ならば絶対にやらないものだ。 

 

「……殺人によって、魂を分ける?」

『そうだ。確信したのは、つい先日だよ。

 確認しようか、フロイライン。君は2年生の時、若き日のヴォルデモートを目撃したのは確かか?」

「ええ、日記に宿っていた過去のヴォルデモートですけど……まさか……」

「そう、そのまさかだ」

 

 セレネがはっとすると、グリンデルバルドは満足そうに呟いた。小枝のような指を組み、にやっと歯のない口に愉悦の色を浮かべる。

 

『分霊箱だよ。その日記はヴォルデモートの魂の欠片が封じ込まれた分霊箱だったのだ。それから、お前の破壊した指輪もそうだ。破壊した時、ヴォルデモートの誘惑を耳にしたと言っていただろ?』

「……ええ。てっきり、なにかの罠かと思いました」

『まあ、罠だろうよ。相手を罠に嵌めようと思考し、相手に合わせて誘導しようとするなど通常の録音魔法では不可能だ。魂が封じ込められていたのだろうよ』

 

 セレネはグリンデルバルドの言葉を聞きながら、テーブルの上に置かれた指輪に視線を向ける。

 

「ですが、2つ破壊しても蛇男の身体に死の線は見えませんでした。ということは、あいつは他にも分霊箱を作っているということでしょうか?」

「ほぼ確実に」

 

 グリンデルバルドの答えを聞き、セレネの背筋が震えた。

 少なくとも、ヴォルデモートは自分が不老不死になるために、三人以上の人間を殺した。自分と敵対するから、邪魔をするから殺したわけではない。彼は自分を不死にする利己的な理由で殺している。セレネには到底、考えられない理由だった。

 

「では、10も20も作っている可能性があると?」

『さすがに、そこまで魂を分けることは難しい。たとえるなら殺人というナイフで、リンゴを切り分けるイメージだ。切り分ければ分けるほど、本来のリンゴの体積は少なくなっていく。切り分けにも限度がある。少なくとも、10以上は作れまい。だが、裏を返せば、10回程度までなら切り分けができ、分霊箱の作成が可能になる』

「……つまり、最大でも残り8つの分霊箱があるということですね」

『元から魂の宿っている本体を入れて、残り7つだ。だが、残りが7つかどうかは――げほ、げほっげほっ』

 

 グリンデルバルドは激しくせき込み始める。

 セレネは彼が落ち着くのを黙って待ってから、ゆっくり話しかけた。

 

「私やハリーが予期せず破壊したように、誰かが破壊している可能性がありますよね。もしかしたら、ダンブルドアがとっくに気づいて、破壊して回っているかもしれません」

『それはない』

 

 グリンデルバルドは断言する。

 

『あいつが自分から動くことはない。なにせ、臆病者だ』

「臆病? ダンブルドアが?」

 

 セレネは少し目を見開いた。

 

「臆病者なら、貴方と世紀の決闘をしたり、レジスタンスを率いたりしないはずですけど」

『あいつは賢者を演じているだけに過ぎない。善人であろうと固執するあまり、自らの安息の地に閉じこもり、動くことのできない臆病者だ』

「……ずいぶんと辛辣な評価ですね」

 

 セレネは音を立てるように本を閉じる。

 彼はダンブルドアと決闘し、その結果、敗北して寂しい独房に収監された。自分を打倒したダンブルドアを憎悪していても不思議ではないが、もう少しポジティブな評価だと考えただけあり、グリンデルバルドの返答は意外なものであった。

 

「あなたは、ダンブルドアがいたからイギリスで悪事を働かなかったと聞きました。だから、てっきり彼のことを一定以上評価しているものだと」

『……ああ、評価はしているとも。

 あの男は、過去の過ちを償うために善人であろうとしている。たとえるなら……そうだ。君は、アーサー王伝説を知っているだろ? ダンブルドアは最初、自分がアーサー王になろうとしていた。魔法界とマグル世界を平定する王にな。ああ、あのまま進んでいれば、きっと立派な騎士王になっていただろう』

 

 グリンデルバルドの瞳に郷愁の色が宿った。過去の栄光を懐かしむように、目元を緩ませている。

 

「ですが、ダンブルドアは王になっていません」

『ああ、そうだ。とある事件が起きて、あいつは王になることを諦めた。それ以降、懺悔と償いのため、王ではなくマーリンになろうとした。正義の王を導くための賢者だ。この場合、私やヴォルデモートを倒すための王だろう。

 だがな、ダンブルドアはここぞという場面で冷徹になれない。悔恨が邪魔して、善人であろうとするからだ』

 

 賢者に甘さは必要ない。

 王や世の在り様が正しい道を進めるように、機械的かつ客観的でなければならない。

 

『こんなたとえ話を知っているか? 片方の船に300人、もう片方の船に200人、この二艘の船に致命的な穴が開き、3分もしないうちに、船は沈んでしまうだろう。修復できる魔法使いはダンブルドアしかいない。さて、ダンブルドアが真の賢者ならどうすると思う?』

「……300人の方を直します」

『そうだな。より多くの人が助かる方から修復する。

 しかし、ここで200人の方の船が「こちらを先に直せ」と要求してきた。……ああ、ここで真の賢者ならどうするだろう?』

「……無視する?」

『もしくは、邪魔でうるさい200人を殺す。300人の船さえ生き残れば、あとは沈んでしまっても諦めるしかない。多数を救うべきだ。少数の犠牲は仕方ない。真の賢者なら心を痛めることはないだろう。だが、あいつは嘆いてしまう。あいつはたとえ心が痛むのは一瞬だけだと思い込もうとしても、結局は行動に移すことができず、2つの船を沈めてしまう。

 これが、偉大なるダンブルドアの欠点だ』

 

 グリンデルバルドは静かに言い放った。

 

『あいつは常に悩んでいる。自己の選択が本当に賢者として、善人としてふさわしい道なのか。しかし、善人と賢者を同時に演じることはできない。だから結果的に自分自身は手を下せず、城に引きこもって成り行きを見守ることしかできなくなる』

「……今まで考えたこともありませんでした」

 

 セレネは鏡を見下ろした。

 だが、少し考えれば分かることだったのだ。いくらホグワーツから離れられないとはいえ、わずか十数年前まで生徒たちの過ごすイギリス魔法界は危険な状態に陥っていた。ヴォルデモートの脅威がすぐ隣にある生活など、安息などできるはずがない。

 

『ダンブルドアが自ら出ていけば、きっとヴォルデモートなど早くに消滅させることもできただろうよ。だが、あいつはそれをしなかった。

 その選択をとるのが怖かったのか、あるいはヴォルデモートが愛に目覚めると希望的観測を抱いていたのか……まあ、いまはどうでもいいことだ』

 

 ここで、またグリンデルバルドは咳き込んだ。

 

『ダンブルドアの話はここまでだ。他に聞きたいことは?』

「……ありません」

『それで、例の報酬は?』

「もう準備はできています。明後日が予定日ですね。私がホグズミードに行ける日ですから」

『早くしてくれ。正直、私は長く持たん』

「ご謙遜を」

 

 グリンデルバルドは咳き込んでいるが、目の奥の光は消えていない。セレネは普段通り、たいして心配する素振りを見せずに鏡をしまい込んだ。

 

 

 これが、ヌルメンガードに収監された男との最後の通信になった。

 

 

 次の日、セレネは日刊預言者新聞に目を通して息を零した。

 一面記事――魔法省大臣が魔法使いの老人ホームを慰問した記事など興味がない。問題は二面記事の一番端っこ、わずか数行で片づけられた記事だ。

 

『最悪の魔法使い ゲラード・グリンデルバルド、獄中死』

 

「『今朝方、息絶えている姿を看守が発見した。かねてより体調を崩しており、風邪が悪化して息絶えたと推察されている。なお、遺族は遺体の引き取りを拒否。火葬したのち、ヌルメンガード近辺の山中に散骨することが決まっている』……か。寂しい終わりね、グリンデルバルド」

 

 セレネは新聞を畳みながら、教師用の席へ目を移す。

 真ん中の校長席は、ぽっかりと空いていた。ダンブルドアが朝食に参加しないことは珍しい。少し鼻をすすっていても、朝食の席には参加していた。出張なのかとも思ったが、そうでないことは、すぐに判明した。

 アンブリッジが胸を張り、どこか偉そうな態度でマクゴナガルに話しかけていた。

 

「校長先生の姿が見えませんが、どこかお出かけになられているのでしょうか?」

「いいえ、校長室に。今日は一日、誰とも会わないと言っていました」

 

 マクゴナガルはひどく事務的な口調で答えていた。

 彼女の言葉の通り、ダンブルドアは夕食になっても姿を見せなかった。

 次の日、ダンブルドアは朝食の席に姿を見せた。マクゴナガルが心配そうに何か話しかけていたが、微笑みながら冗談を言っている。しかし、誰が見ても、ダンブルドアの目元は赤くはれていた。

 

 まるで、ずっと泣き腫らしていたかのように――。

 

 

「……ダンブルドア、どうしたんだろう?」

 

 ダフネがこっそり尋ねてきた。

 

「さあ。恋人でも死んだのではありませんか?」

 

 セレネが素っ気なく返すと、ダフネは少し怒ったような顔になった。

 

「セレネ、真面目に答えてよ」

「真面目ですよ。それより、今日は一緒にクリスマスショッピングをするんでしたよね?」

 

 セレネはマフラーを巻きなおしながら、ゆっくりと朝食の席を立った。ダフネも慌ててオートミールを頬に詰め込む。

 

「でも、私と一緒でいいのですか? ゴールドスタインと一緒ではなく?」

「えっと、アンソニーのクリスマスプレゼントを買いたくて。私、手編みのマフラーとか苦手で……」

 

 ダフネは照れたように頬を赤らめながら、指をもじもじと組み合わせようとしている。

 

「だから、今年は……その、既製品をプレゼントにしようって……」

「あんたね、その程度の覚悟だとすぐに別れるわよ」

 

 ミリセント・ブルストロードが横から口を挟んできた。いつにも増してメイクをばっちり決め、長い髪を幾重にもウェーブさせている。その立ち振る舞いは、自信に満ち溢れていた。

 

「せいぜい、指をくわえながら私のカップル成立を見ていなさい」

 

 ミリセントは長い髪に指を通し、ふんと鼻で笑う。セレネとダフネは彼女の仕草にじとっと湿った視線を送った。

 

「その台詞、何度も言っていて恥ずかしくないのですか?」

「ミリセント、いつでも慰めてあげるからね」

「あんたたち、ひどくない!?」

 

 ミリセントは不満げに口を尖らせていたが、事実その通りになった。

 セレネとダフネがグラドラグス魔法ファッション店でマフラーを見ていたとき、怒り狂ったミリセントが入ってきたのである。予想通りの展開に、セレネとダフネは顔を見合わせて互いに苦笑いをした。

 

「どうしたの、ミリセント。彼氏は?」

「あいつ、私よりロスメルタの方ばっかり見てるの。信じられない!!」

 

 ミリセントの口からは、マシンガンのように彼氏だった男の悪口が飛び出し始める。

 

「もうやってられない! ダフネ、セレネ、ちょっとストレス発散に付き合ってよ!」

「ごめんなさい。私、用事があるから無理です」

 

 セレネは申し訳なさそうに言った。

 

「なによー。まさか、フレッチリーと楽しくお食事?」

「あれは一度だけです。女友だちと会う約束をしているんです」

「……意外ね。あたしたち以外に友だちがいるとは思わなかったわ」

「辛辣ですね」

 

 セレネは苦笑いをすると、不機嫌なミリセントをダフネに押し付けた。そのまま店を出ると、冷たい空気が肌を突き刺してくる。セレネはマフラーで半分顔を覆うと、雪が積もったホグズミード村を歩き始めた。

 村のはずれまでくれば、足跡も少なくなってくる。セレネは杖を取り出すと、自分の足にクッションの呪文をかける。すると、足が軽くなり、雪の上を歩いても足跡がつかなくなった。

 

 目指すは、ホグズミード村の最奥――「叫びの屋敷」だ。

 昔は一月に1度、世にも恐ろしい叫び声や唸り声が聞こえてきたらしい。だから、誰も近づかないホラースポットだ。セレネは固く閉ざされた扉に杖を向けた。

 

「『アロホモーラ‐開け』」

 

 閂が外れる音と共に、ゆっくりと屋敷の扉が開かれる。

 セレネは中に入ると、もう一度杖を振った。

 

「『コロポータス‐閉じよ』」

 

 扉は自動的に閉まり、幾重にも閂がかかっていく。その様子を横目で見ながら、再び杖を振った。無言呪文で杖先から蛇を創り出す。

 

『誰か入ってきたら教えなさい』

『了解しました』

 

 蛇はとぐろを巻きながら主人の言葉を受け入れる。セレネは蛇が玄関の傍に収まったのを確認すると、屋敷の奥へと進んで行く。しばらく進むと、わずかに扉の隙間から蝋燭の灯りが漏れる部屋を見つけた。セレネは杖を構えたまま、そっと扉に近づき、部屋を覗き込む。

 

「遅いざんすよ、セレネ・ゴーント」

 

 そこには、リータ・スキーターが佇んでいた。

 腰に手を当てて、むすっとした表情をしている。その顔色は、先程のミリセント・ブルストロードと非常に似ていた。

 

「いつもご苦労様です。どうですか、義父の調子は?」

「なんざんすか、あの男は!」

 

 リータは顔を赤らめたままま、ずいずいとセレネに詰め寄って来る。

 

「面白くないのにニコニコ笑っているし、ちょっとセンスがダサいし、あっしが作った雑料理も美味いと残さず食べるし……人畜無害過ぎるざんす! どこをどうすれば、あの男からあんたが産まれてくるざんすか!?」

「直接的な血の繋がりはありませんよ。それで、父の周辺に死喰い人の影はありませんね」

「……今のところはないざんす」

「そう、それなら良かったです。引き続き、よろしくお願いします」

 

 セレネはリータに微笑みかけると、ゆっくり室内に足を踏み入れる。

 暖炉に緑の炎が燃えている。薪がないのに燃えているところから考えるに、あれは魔法の炎なのだろう。それ以外は変哲のない廃墟だった。テーブルは傾いているし、シャンデリアには蜘蛛の巣が張っている。部屋の隅には、ところどころ灰色の埃が固まっていた。

 

「……それで、あなたは元気ですか?」

 

 セレネはこの部屋にいるもう一人の人物に声をかける。

 

「ずいぶんと咳き込んでいましたが?」

「ああ、問題ない」

 

 虫食いだらけのソファーに座っていた男は、偉そうに長い足を組んでいる。

 

「なにより、あれはすべて芝居だ。迫真の演技だっただろ?」

「そうでしたか? 私には遊んでいるようにしか見えませんでしたけど」

「手厳しいフロイラインだ」

 

 男はゆっくりとソファーから立ち上がる。

 

 ゲラート・グリンデルバルドだ。何事もなかったかのように、彼はセレネの前で笑っていた。

 

「まさか、誰も思うまい。ホグワーツの一生徒が私の脱獄に協力していたとは」

「そして、あなたが脱獄しているとは、誰も思っていないでしょうね。ダンブルドアでさえ、あなたの死を受けて泣きはらしていましたよ」

「それは嬉しい限りだ」

 

 グリンデルバルドは嬉しそうに笑った。

 

「実に精巧な死体人形だった。私でさえ、本物と見間違えるほどだ。ヌルメンガードの看守は気づかなかっただろうよ」

「お褒めいただき、光栄です」

 

 セレネは軽く一礼する。

 

 セレネがやったことは2つだけだ。

 1つはグリンデルバルドの死体を作ったこと。錬金術の禁忌として人体錬成がある。錬金術を使い、ホムンクルスを創り出す要領で死んだ人間を生き返らせる業だ。セレネはこの禁忌を真似、グリンデルバルドそっくりな人形を創り出した。最後に意志を宿らせる術式だけを省略し、瓜二つの死体人形を創り出す。

 

 制作者であっても、よく見なければ分からないほど精巧な出来だと自負している。

 

 そして、2つ目が移動手段の確保だ。

 

 真夜中、コガネムシに変身したリータがグリンデルバルドの独房に忍び込む。

 他の動物もどきなら侵入できなかっただろうが、リータが変身するのは小さなコガネムシだ。窓の隙間から入り込むなど造作もない。

 潜入後、リータはセレネの作った死体人形を床に置く。本物のグリンデルバルドは、検知不可能拡大呪文のかかった巾着袋の中に入り込むだけでいい。あとは、リータが巾着袋を持ったままコガネムシに戻り、独房から脱出すれば解決である。

 

「何はともあれ、無事で良かったです。

 動物もどきの変身下においても、検知不可能拡大呪文は問題なく発動していることは変身術の先生に確認してありましたが……本当にうまくいくのかは、少し不安でしたから」

「だが、本当に難しいのはこの後なのではないか?」

 

 グリンデルバルドの目が光る。 

 セレネはごくりとつばを飲み込んだ。彼の言う通り、ここからが本番だ。セレネは「もっとも邪悪なる闇の魔術」の本を左手に載せ、右手に杖を構えた。

 

「リータ。水銀は用意してありますね」

「もちろんざんす」

 

 リータは面倒くさそうにバケツを持ち上げる。たっぷり淵まで水銀が詰まっている。セレネは杖を動かすと、水銀が滑らかな糸のように宙へ上った。そのまま慎重に――呪文書に記された通りの魔法陣を描いていく。

 

 杖の登場により、魔法陣など古臭い技術は使われなくなった。

 古くは、魔法陣に魔法理論と発動媒介の術式を書き込み、それに詠唱と自身の魔力を乗せ、魔法を発動していた。現在では単純な詠唱と脳内で演算された魔法理論、そして、発動を媒介してくれる杖がある。

 

 だが、今から行うような古く複雑で難しい魔法を執り行うときは、魔法陣が必要不可欠になってくるのだ。なにしろ、魔法理論の演算は脳内だけでは足りない。

 

「助言者、魔法陣の中央へ」

「ああ、分かっている。ところで、フロイライン。この術に失敗したら、君はヒキガエルだ。分かってるな?」

 

 グリンデルバルドと助言者の契約――彼側のメリットは2つだ。

 1つはヌルメンガードからの脱獄。

 そして、もう1つを今果たそうとしている。これを果たして、ようやく――グリンデルバルドが正式に助言者になるのだ。

 

「……ええ、でもご心配なく。失敗はしないので」

 

 セレネが真顔で答えると、グリンデルバルドは満足そうに頷いた。そして、ゆっくりと魔法陣の中央へ歩みを進ませる。彼は中央に立つと「いつでも始めたまえ」とでも言うように両手を広げた。

 セレネは大きく息を吐くと、グリンデルバルドの胸元に狙いを定めた。

 

「……『時よ、巻き戻れ。お前は美しい』」

 

 セレネは、魔法理論を構築しながら呪文書に記された詠唱を唱え始める。深い緑色の閃光が奔り、グリンデルバルドの胸元に当たる。閃光は心臓に直撃し、そのまま波紋が広がるように閃光が身体を包み込み始めた。

 

「『汚いは綺麗 綺麗は汚い さあ巻き戻れ 賢者の時よ』」

 

 セレネは詠唱するたびに、自らの身体まで引き裂かれるような痛みを感じる。体中の血液が暴れまわり、いたるところの血管を破り始めているような感覚だ。口元からは、うっすらと鉄の味が滲んできている。

 だが、詠唱をここでやめるわけにはいかない。セレネは歯を食いしばり、その隙間から言葉を放つ。

 

「『霧の中、汚れた空をかいくぐり あの頃へと舞い戻らん』」

 

 セレネが最後の一音を刻み終えると、閃光が止まった。

 だが、グリンデルバルドの身体は深緑色に包み込まれたままだ。眩いばかりの光のせいで詳しく見えないが、わずかな肉が剥がれ落ち、骨だけになっている。その骨に肉付けするように、光が新たな肉になり、ゆっくりと形になり始めていた。

 

 

 ――グリンデルバルドと結んだ契約の2つ目。

 それは、彼を若返らせること。

 

「……中年期の姿ですが、それでもいいですか?」

「ああ、問題ない」

 

 深緑の光のうちから、一人の男が現れる。

 先程までの骸骨男はどこにもいない。豊かな白髪を逆立て、互いに色の異なる瞳を持つ美丈夫だ。リータに差し出された杖を握りしめ、静かに指の感覚を確かめている。

 

「あまり若く戻り過ぎるより、このくらいがちょうどよいものだ」

 

 

 若返った最悪の魔法使いは、セレネに歯を見せるように微笑みかけてきた。

 

 

 

 






若返りの呪文と魔法陣は、本作オリジナルです。
スペルを考えるの難しすぎる……。



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