セレネが思っている以上に、親衛隊の行動は素早かった。
構成員の誰もが「セレネ・ゴーントを守る」という目標に向けて、一丸となって怪しい人物、ヴォルデモートとつながりがありそうな人物について、片っ端から調査を開始したのである。
セレネが代表選手に選ばれてから数日も経てば、幅が5センチほどの調査資料が出来上がっていた。
「そう……カルカロフは死喰い人だったのね」
魔法薬学の授業に行く途中、セレネは資料をめくりながら歩いていた。セレネが何気なく書いてあった内容を呟くと、隣を歩くダフネ・グリーングラスが息をのんだ。
「……ねえ……それなら、カルカロフがセレネを殺そうとしてるの?」
「いや、それはないです」
セレネはダフネの考えを一蹴した。
「ここに、彼は『アズカバンの投獄を免れるため、多くの死喰い人の名前を告発した』と書いてあります。これでは、ヴォル……『あの人』や死喰い人に嫌われているはずです。
……まぁ、私の首を手土産に、仲間に戻ろうとしているのかもしれませんが……『あの人』全盛期ならいざしらず、いまは塵以下の存在になっている以上、わざわざ危険を冒してまで命を狙ってくる意味が分かりません」
「じゃあ……あんまり考えたくないけど、スネイプ先生? 元、死喰い人ってここに書いてあるよ」
ダフネはあたりを見渡すと、小声で囁いてきた。それも、セレネは首を横に振って否定する。
「カルカロフと同じ理由です。わざわざ危険を冒して、私を殺す意味が分かりません」
「じゃあ……だれ?」
「それが分かれば、苦労しませんよ……ん?」
資料を鞄にしまおうとしたとき、前の方から、ハッフルパフ生が歩いてくるのに気付いた。
誰もが赤いバッジを胸に掲げている。バッジには「セドリック・ディゴリーを応援しよう!―ホグワーツの真の代表選手を!」と赤い蛍光色の文字が燃えるように輝いていた。
その中の一人――ジャスティン・フィンチ・フレッチリーの胸にも、そのバッジは輝いている。
「あっ……」
彼は、セレネが近づいてくることに気づいたのだろう。
気まずいような表情になると、バッジを隠すように胸を抑えた。バッジはちょうど色が緑色に変わり、「汚いぞ、ポッターとゴーント」という文字が点滅していた。
「あの、セレネ……これは、その……みんながしているからで……していないと、仲間外れにされるような感じがして……」
「ごほん。ゴーント、君にはもうジャスティンに関わらないでもらいたいんだ」
ジャスティンが口ごもっていると、同じくハッフルパフの男子生徒アーニー・マクミランが前に出てきた。少し胸を張るような態度で、こちらに向かってくる。
「卑劣なスリザリン生が、僕の友だちに近寄らないで欲しい」
「卑劣? 私のどこが卑劣ですって?」
「ゴブレットを出し抜いて、正規の方法以外で立候補したんだろ。どう考えても卑怯者だ。……行こう、ジャスティン」
マクミランはジャスティンの背中を押しながら、セレネの横を通り過ぎていった。
ジャスティンの申し訳なさそうな横顔に、セレネは胸がぎゅうっと誰かに握りしめられたように息苦しくなった。
悲しいことかな。
次の日になると、学校中の生徒がスリザリン生と同じように、セレネが自分で試合に名乗り上げたと思っていた。
しかし、スリザリン生のように誰もがセレネを応援しているわけではない。
まず一番、反感が強いのは、ハッフルパフだった。
ハッフルパフとしては滅多に脚光をあびることがないのに、その栄光もグリフィンドールとスリザリンという特に目立つ寮が横から奪い去っていったように思えたのだろう。
ジャスティンとマクミランの反応は、そこからきているのである。
ちなみに、次に反応がひどいのはグリフィンドールだ。
普段からもスリザリンとは犬猿の仲であるので、これは特に驚くことではない。
しかし、レイブンクローまでもが反感を掲げていることには驚いた。だが、これも良く考えれば分かることである。
グリフィンドール、ハッフルパフ、そしてスリザリンの三つの寮から代表選手が選ばれている。
レイブンクローからは誰も出場していないとなると、良い気持ちがしないのは簡単に想像できた。ただ、レイブンクローの怒りの矛先は、大半がハリーに向けられている。彼らはハリーがもっと有名になるために名乗り上げたのだと思っているのだ。
「セレネ、気にしたら駄目よ!」
ミリセントがふんっと鼻を鳴らした。
「見てなさい、第一の課題でセレネが活躍するんだから!! あんなバッジをつけている奴ら、実力で見返してやればいいのよ!」
「……ありがとう」
セレネはミリセントに微笑んだ。
彼女の言う通り、選ばれた以上は実力で見返すつもりだったが、他人に言われるとさらにヤル気が沸いてくる。それに、自分のために誰かが怒ってくれたのだと思うと、少し心が温かくなった。
セレネが礼を言うと、彼女は頬を赤らめ、ぷいっとそっぽを向いた。
「べ、別に。それより、代表選手は三号教室に集合するんだって。早く行ってきなさい。スネイプ先生には私から事情を伝えておくから」
セレネはもう一度彼女に礼を言うと、三号教室へと急いだ。
教室には、ハリー以外の代表選手が集っていた。机の大部分が部屋の隅に追いやられ、真ん中に大きな空間ができていた。椅子が六脚並び、その一つにルード・バグマンが座っていて、濃い赤紫色のローブを着た魔女と話し込んでいる。
バグマンは、セレネに気がつくと、嬉しそうに手を振った。
「ああ、来たな。五人目の代表選手!これから『杖調べ』の儀式をするところだ。まぁ、全員揃うまで寛いでいてくれ」
「杖調べですか」
聞けば、杖の状態が万全かどうか調べる儀式らしい。
隣にいる化粧の濃い魔女は、日刊預言者新聞の新聞記者なのだそうだ。彼女が短い記事を書くらしい。セレネが軽く頭を下げると、新聞記者はずけずけと近づいてきた。
「まあ、最年少の代表選手の片割れざんしょ? ふぅーん?」
まるで、身体を舐めまわすように爪先から頭の毛先まで眺めてくる。
「男ざんすか? それとも、女? まな板だから分からなかったざんす」
「っ!?」
セレネはつい杖に手が伸びそうになった。
たしかに、自分の顔だちは中性的である。それは否定しない。胸もそこまでなく、装いを男性向きにすれば少年と言い張ることもできそうな顔立ちである。だが、こうも正面からずけずけと言われたことはない。
これは、確実に侮辱だ。
セレネが静かに怒りを煮えたぎらせていると、セドリック・ディゴリーが近づいてきた。そして、新聞記者に聞こえないよう耳元で囁いてくる。
「気にするなよ、あの女は他の人にも酷いこと言ってる」
「他の人にも?」
セレネが囁き返すと、ディゴリーは苦笑いを浮かべた。
「フラーには『美しい顔の裏には、どんな醜い秘密が眠ってるのか』って言ってたし、僕にも『ハンサムボーイの隠された薄汚い本性を暴きたいものざんすね』って」
「……それは、ひどいですね」
セレネは新聞記者――リータ・スキーターが遅れてきたハリーを引きずるように隣に併設された箒置き場に行く様子を眺めた。
いったい、もうすぐ杖調べが始まるというのに、彼女はハリーと何をしようというのだろうか。
セレネが疑問を抱いていると、ダンブルドアや審査員たちが部屋に入って来た。審査員の後に続き、ダイアゴン横丁のオリバンダー老人も姿を現した。おそらく、彼が杖を調べるのだろう。
「さて、そろそろ杖調べを始めようかの。……一人、足りないようじゃが?」
ダンブルドアは部屋を見渡した。
もちろん、ハリーのことである。バグマンは額の汗をぬぐいながら陽気な調子で答えた。
「ああ、ダンブルドア。ハリーはいまインタビューを受けているんだよ。えっと、どこだっけ?」
「私、呼んできます」
セレネの位置が一番、箒置き場に近かった。
セレネは戸をノックした後、そっと扉を開ける。すると、リータ・スキーターとハリーが物置で窮屈そうに座っていた。
「セレネ!!」
ハリーはセレネを見ると、目を輝かせた。この女と離れられるのが嬉しくてたまらないという顔だ。よほど、この女のインタビューが不快だったに違いない。セレネは小さく息を吐くと、事務的な口調で「もう杖調べが始まるので終わりにしてください」と伝えた。ごたごた言って粘るかと思ったが、リータはあっさり立ち上がった。
「いいざんしょ。あ、最後に一つだけ質問するけど……」
羽ペンがリータの脇でふわふわ浮きながら、羊皮紙に何かを書き連ねている。
「ハリー。代表選手としてライバルになる彼女のこと、どう思う?」
「え、セレネのこと? えーとー……」
ハリーの目が泳ぐ。その間にも羽ペンが動いていることが気に入らない。まだ何も話していないというのに、なにを書くことがあるのだろう。
セレネはぐずぐず考えるハリーを出口の方へ引っ張ると、毅然とした態度でリータと対峙した。
「どう? 戦うのは怖い? もしかして、彼女が友達だったりする?」
「私はたとえ相手が顔馴染みであろうと、戦う覚悟ができています。ハリーも同じ気持ちです。
それでは、私たちは杖調べがあるので、これで」
セレネはそのままハリーを引きずりながら、杖調べの会場に戻った。
「ありがとう、セレネ。おかげでたすかったよ」
「あなたのあいまいな態度がいけないのです。次は助けませんからね」
しかし、新聞記者という者は嫌な人種である。
時間を守らないし、あの羽ペンの動き方から察するに、ハリーについてないことないこと書き記していそうだ。しかも、リータ・スキーターはハリーに酷く関心を持ったらしく、他の代表選手の杖調べの時もハリーの方ばかりじっと見つめていた。他人のボロを探しているかのように……。
杖調べは、無事に終わった。
セレネの杖は、特に問題なく、最高の状態であると判明した。
問題は、後日――代表選手のことが日刊預言者新聞の記事になった日のことだ。
その日は、なぜか朝から視線を感じた。
他寮からもひそひそ声と視線を感じる。なぜだろうか、と考え込んでいると、大広間の奥からグラハム・プリチャードが駆け寄って来る。彼はセレネと目と鼻がつきそうなほどの距離まで近づくと、唾を飛ばしながら尋ねてきた。
「せ、セレネ先輩! あれって本当ですか!?」
「……近いですよ。それに、あれとはいったい?」
「あれって、あれですよ!! 新聞の‐――」
グラハムがなにか口にしかけた瞬間、彼の喉元に何者かの杖が突き付けられた。ヘスティア・カローの杖だった。ヘスティアはどこか血走った目でグラハムを睨みつける。
「そのことは禁句です、と今朝の親衛隊の通達に出したはずですが」
「ご、ごめんなさい」
「……ヘスティア、通達とは何のことですか?」
セレネが聞くと、ヘスティアは顔を真っ赤にしてぶんぶんと首を振った。そして、震えるグラハムを抱えると、消え入りそうなほど小さな声で「すみません、私の口からは言えません」と呟き、走り去っていってしまった。
いったい、どうしたというのだろうか。
この日に限って、セレネの周りに話せる人がいなかった。
仕方なしに疑問を解決しないまま、朝一番の魔法生物飼育学の授業に向かう。
ちょうど、マルフォイたちが得意げな顔で、ハリーたちに新聞を読み上げているところだった。
「『ハリーはホグワーツで愛を見つけた。親友のコリン・クリービーによると、ハーマイオニー・グレンジャーなる人物と離れることは滅多にないという。この人物はマグル生まれのとびっきり可愛い女子生徒で、とても優等生だ』。驚いたな、グレンジャーのどこがとびっきり可愛い女子生徒なんだい? ただの出っ歯じゃないか」
最後、マルフォイがおどけたように言うと、パンジー・パーキンソンがけたけたと笑った。
「そうね、グレンジャーがなにと比べて可愛いのかしら? シマリス?」
「……あら、シマリスは可愛いと思いますけど?」
あまりに空気が悪かったので、セレネは間に入った。
ただでさえ「尻尾爆発スクリュートの世話」という、やる気の欠片もわかない授業なのに、空気まで悪くされてはたまらない。
しかし、セレネが間に入ると、マルフォイたちはやけに気まずそうに視線を逸らした。普段なら「ポッターの味方をするのか?」と声を荒げそうなものだ。今日はそれがない。さて、どうしたのだろうか。セレネが首を傾け、新聞に目を落としたとき―――
「……なんですか、それ」
記事の中に自分の名前を見つけて、固まってしまった。
「マルフォイ……私の見間違いでしょうか? その記事には続きがあるようですけど」
「あー……うん、まあそうだね。でも、君が気にするようなことじゃ……」
「ちょっと貸してください」
セレネは抵抗するマルフォイから新聞を奪い取ると、文章に目を通した。
リータ・スキーターが三校対抗試合の代表選手のことを書いていた。ただ、その内容は八割がハリー・ポッターに関する記事である。ハリーの両親に対する思いから恋の悩みまで嘘と嘘で塗り固められている。極めつけは、最後の文章だ。
『……そんなハリーの恋路に待ったをかける人物がいる。同じく代表選手のセレネ・ゴーントだ。ボーイッシュで学年随一の優等生は、ハリーの心変わりを蛇のように狡猾に狙っている。噂では、恋の妙薬を作ろうとしているらしい。あわや、ハリーの恋の運命はいかに!』
セレネは黙り込んだ。
完全に、でたらめである。
周囲の空気が冷えていくのが良く分かった。
「……そう、このことだったのね」
新聞を強く握りしめる。あまりに強く握りしめたせいで、一面に映ったハリーの顔に大きく皺が寄った。
おそらく、箒置き場での態度が気に入らなかったに違いない。自分のことを面白おかしく着色され、セレネは恥ずかしさより怒りが湧き上がって来た。怒りのはけ口が見つからず、わなわなと震えていると、セオドール・ノットが様子をうかがうように、言葉を選びながら話しかけてくる。
「あー……今朝のうちに、みんなには嘘だと伝えてあるぞ。こんな記事、誰も本気にするわけない。だから、気にするな。そうだよな、ドラコ」
「あ……あ、ああ。リータ・スキーターなんかが書く記事を本気にするやつはいないさ」
「そ、そうよ。彼女の記事は脚色が多すぎって、とっても有名よ?」
ノットに続いて、マルフォイとパーキンソンも気遣うような声をかけてくる。
「……そうね、放っておけば、いつか消えていきますよね」
「そうだ。人の噂はなんとやらっていうだろ? この僕が保証する」
マルフォイが胸を張って答える。
セレネは無理やり笑顔を作ると、マルフォイたちに向き合った。
「私の前で金輪際、その記事を口にしないでくださいね」
セレネは彼らの返答を聞かずに、城へ向かって歩き始めた。ハグリッドが授業を始めるため近づいてきたが、「体調不良で休む」とだけ言う。
そのままセレネは誰もいない廊下を歩きながら、三階の女子トイレ――秘密の部屋の入口を目指した。