「ボーバトン、だと?」
つい、セレネは素で呟いてしまった。
玄関ホールの掲示板に書かれていた『三大魔法学校対抗試合開催に関する諸注意事項』を読み、呆気にとられてしまっていた。
「へー、ダームストラングとボーバトンが来るんだね。楽しみだね、セレネ。……セレネ?」
ダフネが心配そうに顔を覗き込んでくる。
セレネははっと我に返ると、いつもの優等生の仮面をかぶった。
「そうですね、とても楽しみです」
「そう? なんだか、驚いているみたいだけど……」
「そんなことありませんよ。ほら、急がないと次の授業に遅れてしまいます」
セレネは掲示板に背を向けると、颯爽と歩き始めた。ダフネが慌てて後を追いかけ来る音が聞こえる。セレネは冷静を装っていたが、内心はかなり動揺していた。
なにしろ、自分の母親――メアリーの母校の名前と同じだからである。
マグルだと思い込んでいた母親が、れっきとした魔女だった可能性が出てきたのだ。
もしかしたら、ボーバトンが来校したら母に関する話を聞くことができるかもしれなかった。クイールから聞くよりも、より詳しく思い出を語ってくれるかもしれない。
そう思うと、かなり気分が弾み始めた。
具体的に言えば、グラハム・プリチャードのノートにサインするくらい気分が良くなっていた。この事実を聞きつけた親衛隊員たちがこぞってサインを求め、セレネの前に長い行列が生じ、気分が降下したのは、また別の話である。
そして、ついにダームストラングとボーバトンが来校する日になった。
大広間はもちろん、廊下の隅から隅まで清掃され装飾がされている。この大広間1つとっても、普段とは様変わりしていた。壁には各寮を示す巨大な絹の垂れ幕が掛けられている。スリザリンは緑地に銀の蛇で、グリフィンドールは赤に金の獅子。レイブンクローは青にブロンズの鷲で、ハッフルパフは黄色に黒の穴熊だ。廊下に飾ってあった煤けた肖像画の何枚かが汚れ落としされているし、甲冑も今までにないくらい磨かれ輝いていた。
出迎えのため、玄関ホールに向かうと各寮の寮監が生徒たちを整列させていた。
「ゴイル、帽子が曲がっているぞ。クラッブ、ボタンがとれている。ワリントン、お前はもっと背筋を伸ばせ」
スネイプが低い声で注意を飛ばしていた。
そのまま、皆が並んだまま正面玄関を降り、城の前に整列した。寒い夕方だった。良く晴れ渡り雲一つ見当たらない。透き通ったような夕闇が迫り、禁じられた森の上には青白い月が輝き始めていた。
アステリア・グリーングラスたち一年生が期待で本当に震えているのが見えた。
「ほほー!」
ダンブルドアが先生方の並んだ最後列から声を上げた。
「わしの目に狂いがなければ、ボーバトンの代表団が近づいてくるぞ!」
誰もがダンブルドアの指した方向を見た。
すると、6年生が森の上空を指して叫んだ。
「あそこだ!!」
なにか大きなもの、箒よりもずっと大きいものが濃紺の空をぐんぐん大きくなりながら疾走してくる。
「ドラゴンだ!!」
グラハム・プリチャードが気が動転したような金切り声を上げた。
「違うよ、あれは空飛ぶ船だよ!」
グリフィンドールの一年生、デニス・クリービーが叫ぶ。
結論から言うと、デニスの推測の方が正しかった。
巨大な黒い影が禁じられた森の梢をかすめたとき、城の窓灯りがその影を捕らえた。巨大なパステルブルーの馬車だ。大きな館ほどの馬車が十二頭の天馬に引かれて、こちらに飛んでくる。
その天馬も金銀に輝くパロミノで、それぞれがゾウほども大きい。
「きれい……」
アステリアの感嘆する声が聞こえてきた。
金色の天馬は着地すると太い首をもたげ、火のように赤く燃え上がる大きな目でこちらを見てきた。
馬車の扉が開くと、ぴかぴか輝く黒いハイヒールが片方現れた。子どものそりほどにもある靴である。続いて現れた女性は、セレネが今までに見た中で最も背が高く、貫禄のある女性だった。彼女に続き降りてきた淡い水色の薄手のローブを着た少年少女がより小さく見えてしまう。女性は長身のダンブルドアよりも頭三つ分ほども高く、巨人かと思ってしまう。
「きっと、あれがボーバトン校長のマダム・マクシームだわ」
ミリセント・ブルストロードがセレネに耳打ちして来た。
セレネの位置からでは、マダム・マクシームとダンブルドアがなにを話しているのか分からない。ただ、マダムが寒さで震えるボーバトンの生徒たちを引き連れて、城の中へ入っていくのを見届けた。
「ほら、セレネ。あっちを見て!! 湖よ!」
ダフネがセレネの袖を引き、そちらに視線を向けると、ちょうど湖から巨大な帆船が浮かび上がるところだった。まるで、映画に出てくる海賊船のようだ。難破船のようにも見える怪しげで巨大な船は、ゆらりゆらりとこちらへ近づいてくる。
斜め前にいるカロー姉妹が
「あれが、ダームストラングですね」
「姉様、どの人も皆強そうですね」
と、乗員が下船してくる様子を見ながら、こそこそと話していた。校長と思われる男は滑らかで銀色の毛皮を羽織っている。ひどく痩せて、貧相なあごをした男だった。
少し離れたところにいるマルフォイが
「あれが、イゴール・カルカロフ校長さ。僕の父上の古い馴染みでねー」
と、パーキンソンに向かって鼻高々に語っている。
セレネはダームストラングはボーバトンほど興味がない。早くこの歓迎が終わり、大広間に入って料理を食べたくて仕方なかった。
「見て! 見て、セレネ!!」
「凄い、まさか、本物!?」
なので、いきなり周囲の女子生徒が金切り声を上げ始めたので驚いてしまった。
「どうしたのですか、2人とも」
「ああ、セレネ。羽ペン持ってない?」
「ごめんなさい。寮にあります。なぜ、いま羽ペンが必要なのですか?」
セレネが尋ねると、ダフネもミリセントも顔を真っ赤にしながら高らかに叫んだ。
「「ビクトール・クラム様が来てるからよ!」」
と。
セレネは2人の視線の方向を辿った。すると、確かにダフネがホグワーツ特急の中で見せてくれた人形そっくりの男が歩いている。
「あれが、世界最高のクィディッチ選手ですか」
「そうよ。まさか、学生だったなんて……あー、サインを貰いたいわ」
ミリセントが蕩けた声で呟いた。セレネは彼女の背中を軽く押した。
「大丈夫です。しばらくこの城に滞在するのですから、きっと貰う機会がありますって」
「そうだといいんだけど」
セレネも適当に言った慰めだったが、その機会は意外と早く訪れた。
歓迎の夕食の時、ダームストラングの生徒たちが、スリザリンのテーブルに着いたからである。これにはスリザリン以外の多くの生徒たちが落胆していた。
その生徒たちの顔を横目で見ながら、マルフォイは誰よりも得意げな顔をしていた。彼は身体を乗り出すようにして、クラムに話しかける。
「やあ、君があの有名なビクトール・クラムだって? 僕は、ドラコ・マルフォイ。イギリス魔法界でも由緒正しき血統の末裔さ」
マルフォイが話しかけると、クラムはむすっとした表情をした。しかし、根は律義なのだろう。マルフォイが次々に繰り出してくる問いに一つ一つ丁寧に答えている。おかげで、まだ分厚い毛皮のコートを脱げていない。
セレネはため息をついた。
「マルフォイ。彼はまだコートも脱いでいません。なのに、それを妨げるように話しかけるのは、いかがなものでしょう?」
セレネは隣の席のマルフォイに話しかけた。
「客人を優先しない行為は、スリザリン生の品位に関わると思いますが」
「うっ……」
マルフォイは喉を詰まらせたような表情になると、それ以降、しばらく何も語らなかった。
クラムを含むダームストラングの生徒たちは毛皮のコートを脱ぐと、興味津々で星の瞬く天井を眺めている。対するレイブンクローの席に座るボーバトンの生徒たちは、いまだにスカーフやショールを身に着けたまま震えていた。
これは、学校間の差異という奴だろう。
場所しかり、教育しかり。ホグワーツと異なっている。まさに、これは異文化交流だ。
「皆、大いに食べ、飲んだことじゃろう。
そろそろ三大魔法学校対抗試合の代表選手を決める方法を発表するかの」
食事が終わる頃、ダンブルドアが大きく手を開いた。
彼の背後には、今回の対抗試合開催に尽力した魔法省の二人――ルード・バクマンとバーテミウス・クラウチが座っている。
「参加三校からは各一人ずつ、代表選手を選出する。その代表選手を選ぶのは、公正なる『炎のゴブレット』じゃ!」
ここで、ダンブルドアは管理人のフィルチが持ってきた箱を杖で三度叩いた。
すると、箱はゆっくり溶けていき、中から大きな荒削りの樹のゴブレットが現れた。一見見栄えしない杯だったが、その名の通り、青い炎が踊っている。
「代表選手に名乗りを上げたい者は、羊皮紙に名前と所属校名をはっきり明記、ゴブレットの中に入れなければならぬ。ただし、年齢に満たない生徒は誘惑にかられることがないように。
『炎のゴブレット』の周りには、わし自らが年齢線を書くことにする」
「ダンブルドア自らが年齢線を書くのか」
それなら、ますます参加は不可能である。
眼を使い、年齢線そのものを破壊してしまえば簡単だが、そのあとに年齢線を張り直すことができない。あのダンブルドアのことだ。壊したのが何者か、すぐに突き止めてしまうだろう。
なので、セレネはたいして気に留めることなく翌日の土曜日――ハロウィンを迎えた。
大広間の飾りつけは、すっかり変わっていた。生きた蝙蝠が群がって魔法のかかった天井を飛び回っていたし、何百というカボチャが浮かび、にたぁっと笑っていた。
セレネが一足早く椅子に座り、本を読んでいると、隣にノットが腰を下ろした。
「スリザリンから誰が立候補したか、知ってるか?」
「いいえ、誰です?」
「ワリントンとモンタギュー」
「……そう」
二人とも、スリザリンのクィディッチ選手である。
二人とも昨年度はフリントの右腕・左腕として腕を鳴らしていた人物だ――が、セレネからしたら小物である。一年生のセレネにあっけなく負けていた時点で、代表選手にはまずなれまい。
「まあ、2人は無理でしょうね」
「親衛隊からも誰か立候補させるか?」
「いいえ、別にいいわ。誰が代表選手になっても、一丸となって応援すればいいだけよ」
セレネは本に目を落としたまま、淡々と言った。
親衛隊に代表選手になれそうな実力者はいるが、みんな17歳に達していなかった。
「ちなみに、他は誰が立候補したか知ってる?」
「オレが知っている限りだと、グリフィンドールのアンジェリーナ・ジョンソン。レイブンクローのロジャー・デイビス。それから、ハッフルパフのセドリック・ディゴリーだ」
「みんなクィディッチ選手ね。まるで、スポーツの祭典だこと」
「……なんだか、乗り気じゃないみたいだな」
ノットが眉を上げて尋ねてきた。
セレネは本をぱたりと閉じると、自分の頭上で笑うカボチャを睨みつけた。
「今日がハロウィンだからよ」
「……ああ、そういうことか」
ノットも合点したように目を閉じる。
毎年、ハロウィンの日に何か騒動が起こっている。
1年目はトロールの襲来。
2年目はバジリスクのアルケミーがミセス・ノリスを石化させた。
そして昨年度、つまり3年目は、ヴォルデモートの支持者と思われていたシリウス・ブラックが『太った婦人』を襲った。
このように毎年何か事件が起こっているのだ。今年の『三校対抗試合』の『代表選手』を決めるという1つのイベントはあるが、先程から感じるこの悪寒は何なのだろう。
なにか、とんでもないことが起こりそうな気がする。
「まあ、さすがに4年連続はないだろ」
ノットは楽観的な声色で言った。
「この状況でどんな事件が起きるんだよ。名門魔法学校の校長が三人もそろっているんだぞ? どんな事件が起きても対処できそうじゃないか」
「それはそうですけど……」
「さて、ゴブレットは、ほぼ決定したようじゃ」
ダンブルドアは髭を撫でながら、ゴブレットを見上げた。
ダンブルドアがゆっくり手を伸ばすと、ゴブレットの炎が青から紫色に近い赤へと様変わりする。火花が飛び散り、一気にメラメラと宙を舐めるかのように燃え上がった。その炎の舌先から焦げた紙が1枚、ダンブルドア先生の手の中にハラリと落ちていく。炎の色は青白い色に戻り、静かにゴブレットは燃え続ける。
「ダームストラングの代表選手は…『ビクトール・クラム』」
老人と思えないほど力強く、はっきりとした声でダンブルドアは読み上げた。
大広間が拍手の嵐、歓声の渦に包みこまれる。
「そうよ、やっぱりクラム様よね!!」
「そうそう、クラム様が代表選手に決まってるわ!!」
ミリセントとパーキンソンが黄色い声を上げていた。そのまま二人は、スリザリン寮のテーブルの奥で立ち上がったクラムの後を追っている。彼は右に曲がり、教職員テーブルに沿って歩き、その後ろの扉から、隣の部屋へと姿を消した。クラムが私たちの前から姿を消した頃、再びゴブレットの炎が赤く染まる。炎に巻き上げられるように、焦げた紙が飛びだし、ダンブルドアの手に収まった。
「ボーバトンの代表選手は……『フラー・デラクール』」
レイブンクローの席についていた美少女が、優雅に立ち上がる。シルバーブロンドの豊かな髪をさっと振って後ろに流し、滑るように進み始めた。全身から『私が選ばれるのは当然よ』というオーラが滲み出ている。美少女が大広間を横切る間、たくさんの男の子が振り向き、何人か呆けたように口を開けていた。
そして、三度、「炎のゴブレット」が赤く燃えた。
次は、ホグワーツの番だ。誰もが息をのみ、身を乗り出すようにダンブルドアの声を待つ。
「ホグワーツの代表選手は……『セドリック・ディゴリー』」
まるで大統領就任式かと思われるくらいの歓声が、大広間を包み込んだ。ハッフルパフ生が総立ちになり、叫び、嬉しそうに足を踏み鳴らした。セドリックと思われる青年がニッコリと笑いながら立ち上がる。その中には、普段は大人しいジャスティンもいた。笑顔で喜ぶ彼を見ていると、不思議と自分まで嬉しくなってくる。
「結構、結構。さて、これで3人の代表選手が決まった。選ばれなかった生徒も含め、あらんかぎりの力を振り絞り、代表選手たちを応援してくれることを信じている。選手に声援を送ることで、みんなが本当の意味で貢献でき―――」
突然、ダンブルドアの言葉が切れた。不自然な静寂に大広間が包まれる。
「セ、セレネ。あれ…」
ダフネが手で口を覆い、ゴブレットを凝視している。ダフネだけではない。セレネを含めた全校生徒が「炎のゴブレット」に目を向けていた。
「炎のゴブレット」が再び燃え始めたのだ。
何が起こったのだろう?っと考える前に、火花がほとばしり、炎が空中を舐めるように燃え上がり始める。眼がおかしくなったのかもしれないと思い、眼鏡をさらに押し上げ腕で目をゴシゴシと擦る。そして眼鏡を元の位置に戻して見てみると、燃え上がっていた火は消えていた。
しかし、代わりにダンブルドアが羊皮紙の切れ端を凝視している。
長い長い沈黙が大広間を支配する。ダンブルドアが珍しく、困惑した表情を浮かべていた。彼にも何が起きたか分からないみたいだ。
今日はハロウィーン。
例年同様、かぼちゃがにたぁと嘲笑うような事件が起きてしまったようだ。
セレネは「願わくば、巻き込まれませんように」と心の中で祈る。
「ハリー・ポッター」
ダンブルドアが長い沈黙を破り、声を上げる。
大広間の目が一斉にグリフィンドールの男の子に向けられた。セレネは石のように固まった彼に視線を向けると、内心、ほっと一息をついた。
よかった。妙な事件に巻き込まれないですみそうだ、と。
そんなことを想いながら、セレネはダンブルドアに視線を戻した。
彼は、ハリーの名が書かれた羊皮紙を凝視している。否、違った。羊皮紙は重なっており、もう一枚、何者かの名前が書かれた紙があった。
いま、ホグワーツの生徒の名前が呼ばれたのだ。
次は、ボーバトンかダームストラングの生徒の名前に違いない。誰もが困惑したまま沈黙を保ち、ダンブルドアが次の呼ぶ名前を待っている。
長い沈黙の後、ダンブルドアは重たい口を開いた。
「セレネ・ゴーント」
ハリーに続き、今度は自分が固まる番だった。