39話 リトル・ハングルトン村
リトル・ハングルトン村。
ジャスティン・フィンチ・フレッチリーの祖母が教えてくれた「トム・リドル」が住んでいた村は、非常に寂れた田舎にあった。
せっかくの夏休みに、若者がわざわざ好んで訪れようとする場所ではない。
見どころもなく、これといった産業もない。
ただ村の中心部に大きな御屋敷が立ち、いまセレネが向かっている村のはずれに寂れた小屋がある。それだけの村である。
「……暑い」
セレネは額から流れ落ちる汗をぬぐった。胸の位置まで届く雑草が陽光を浴びて、そよいでいる。そんな雑草が生い茂る中を掻き分けながら、セレネは進んでいた。
この先にある小屋を目指して。
夏の日差しは容赦なく照りつけてくる。とにもかくにも暑くてたまらない。お気に入りのシャツが汗でピッタリと身体と張りつく感触が、この上なく気持ち悪かった。
「ゴーント先輩、お水をお飲みになりますか?」
「タオルも用意してありますよ」
後ろから可憐な声をかけられる。
セレネは後ろを振り返ると、大丈夫と笑いかけた。
「ありがとう、フローラとヘスティア。貴方たちこそ大丈夫?」
「問題ありません、ゴーント先輩」
「私と姉様はしっかり水分補給をしてますので」
銀髪の双子姉妹は、同じタイミングで頭を下げた。
フローラ・カローとヘスティア・カロー。二人とも聖28族出身であり、セレネ・ゴーント親衛隊に属している。一学年下ながら卓越した魔法力は数多の生徒を圧倒し、親衛隊の幹部の座を射止めたらしい。
「セレネ先輩。私たちを誘ってくださり、ありがとうございます」
「この光栄は忘れません」
「そこまでかしこまらなくて構わないわ。気楽に行きましょう……貴方もね、ノット」
セレネはカロー姉妹の後方をついてくる少年に微笑みかけた。少年は不機嫌極まりないと言わんばかりの顔をしている。
「……なんでオレが夏休みにこんなど田舎に来ているんだ。しかも、お前の命令で」
「仕方ないではありませんか。義父が私一人で旅に出させてくれないのです」
セレネは肩をすくめた。
本当なら、ゴーントの住んでいた小屋を一人で見に来たかった。
結局、ピーター・ペティグリューは取り逃がしてしまった。
12年間鎖で縛られていた者が解き放たれてしまった以上、トレローニーの予言が成就してしまう可能性が出てきた。ヴォルデモートが復活するかもしれないと分かった以上、彼を倒すためには彼の生い立ちも知らなければならない。そこに弱点が隠されている可能性があるからだ。
しかし、ヴォルデモートの関連施設である以上、なにかしらの呪いがかかっている可能性がある。
そこに、マグルで一般人の義父を連れて行くわけにはいかない。だが、彼は『女の子が一人で旅をするなんて、絶対に許可できない』と許してくれないのだ。『一人で行くなら、僕も行くよ』と宣言し、付いて来ようとする。
これはまずい。
義父の同行を阻止するために、セレネは誰かホグワーツの知人を誘うことにしたのである。
ノットは大きく舌打ちをした。
「なら、他の奴を誘えばよかっただろ? それこそ、ハッフルパフのあいつとか」
「残念ながら、ジャスティンは財力はありますが、闇の魔術に対する知識がそこまでありません。その点、あなたはそれなりに呪いの知識も豊富ですし、成績も優秀です。私の補佐にも慣れています」
「……本当に理由はそれだけか?」
「ええ。それだけです」
「はぁ……クィディッチのワールドカップに行きたかったのにな」
ノットは不満そうに口を尖らしているが、ちゃんと来てくれている。
存外、律儀な男であった。
ちなみに、カロー姉妹を同行させたのは、義父に「男と二人で旅をするなんて……!」と怒られたからである。
ダフネ・グリーングラスやミリセント・ブルストロードを誘っても良かったのだが、彼女たちよりもカロー姉妹の方が成績が優れていた。そのうえ、彼女たちはセレネに対する心酔度合いも高く、先学期はフリントの派閥とぶつかり、小競り合いも起こしていたらしい。
要注意人物でもあるが、忠誠心は高いのは間違いない。予期せぬ事態が起こった時に反意を翻す可能性は低く、こちらの指示を瞬時に聞き入れることができそうな双子なのである。
「ゴーント先輩、あそこではありませんか?」
ヘスティア・カローがまっすぐ指を差した。
生い茂る草の向こうに、小さな廃屋が見えてきた。年季の入った壁に、嫌というほど深緑のツタが巻き付いている。屋根瓦がごっそり剥がれ落ちて、垂木がところどころむき出しになっている。外装のほとんど全てがはげ、白いペンキが使われたのであろうと思われているところも、薄くなって消えかかっていた。
小屋の脇には何かを掘り起こしたような穴が開いていたが、それの上にも雑草が生い茂り、人の手がまったく入っていないことが分かった。
「……珍しい趣味だな」
ノットは表情を引きつらせていた。
蛇のミイラが扉に打ち付けられている。セレネも眉間にしわを寄せてしまった。恐らく、ここがスリザリンの末裔「ゴーントの家」だということは間違いない。
蛇はスリザリンを象徴しているのだろうが、扉に打ち付ける趣向は理解しがたい。
いずれにしろ、スリザリンの末裔が住んでいるにしては、貧相な造りだ。ここに、こんなところにスリザリンの末裔が住んでいたなんて、誰も思わないだろう。私だって調べるまでは、もっと豪邸に住んでいたのかと思っていた。
それこそ、リトル・ハングルトン村にあるような豪邸に。
「一応、鍵はかかってるようね」
セレネはドアノブを回してみるが、扉はビクともしない。
「仕方ない。オレがやる」
ノットが大きくため息をつくと、体重を扉にかけるように押し開けた。
その途端、何十年も小屋の中に充満していた埃が一気に襲ってきた。思わず、咳き込んでしまいそうだ。それにしても、真っ暗で中が良く見えない。
「姉様」
「ええ、こちらに灯りがありますわ」
フローラ・カローがランプに明かりを灯した。
「……これは酷い」
天井には蜘蛛の巣がはびこり、床は何十年も溜まりにたまった埃で覆われている。テーブルにはカビだらけの腐った食べ物と思われる残骸が放置されているし、汚れのこびり付いた深鍋の中にも蜘蛛の巣がかかっていた。そこらじゅうに酒瓶と思われる瓶が転がり、溶けた蝋燭が1本だけ忘れられたかのように転がっている。
こんなところに、ヴォルデモートの生い立ちに繋がる何かが残されているとは、到底思えなかった。
「……気持ち悪いですね」
「……ええ、本当にひどい。一応、警戒しなさい。なにか呪いがかかっているかもしれないわ」
セレネは眼鏡を外した。
いくら『廃屋』とはいえ『スリザリンの末裔』が住んでいた小屋だ。未知の魔法がかけられているかもしれない。たとえば、何かに触れた瞬間に死んでしまう呪いとか。安全の確認を、した方がイイだろう。そっと『眼』を開けてみると、そこら中に今にも崩れ落ちてきそうな『線』が浮かんでいる。だが、特に魔法をかけられた痕跡はなさそうだ。…ある一角を除いて。
「……あれは?」
セレネは汚れがこびりついている大鍋の影に隠された小箱に注目した。
他の器物とは比較にならないくらい、大量の「線」が密集している。そう、まるで、幾重にも魔法が複雑に駆けられているかのように――。
「しばらく話しかけないでください。あれを解体するので」
セレネはナイフを構えた。
小箱を取り囲むように、複雑に張り巡らされた『線』を慎重に斬っていく。どんな強力な魔法でも、この『眼』の前には無力だ。作業をしている間にも、汗が絶え間なく流れ落ち、口が渇いてくる。
「隊長、あれはもしかして――噂に聞く、ゴーント先輩の不思議な力ですか? 1年生の時、フリントたちの魔法をことごとく切り伏せたという――」
「見えない糸を切っているみたいですね……あれは、ナイフで魔法を解いているのですか?」
「オレも詳しく知らないが、一種の消失呪文だろうよ」
三人が後ろでひそひそと話している声が遠くから聞こえてくるようだ。
やっと最後の一本を斬り終えたとき、箱は解体され、中から金色の指輪が転がり落ちてきた。
「これは……?」
金の指輪は、金メッキとは比べ物にならないくらいの味わいを醸し出していた。中央に嵌められた怪しげに光る黒い石には、不思議な三角の印が彫られている。まるで、美術館に展示されていたとしても、おかしくない。絶対にこの家にあるものすべてを売り払ったとしても、この指輪を購入することは出来ないだろう。
「このマーク……もしかして……」
フローラが小さく呟いた。
「知っているのですか、フローラ?」
「ええ。たしか……ペベレルの家紋だったかと」
セレネには聞き覚えのない言葉だった。解説を求めるように、ノットに視線を向ける。すると、彼は肩を落として説明してくれた。
「ペベレルは何世紀も前に途切れた純血の家名だ。知ってるだろ、『三兄弟の物語』。あれのモデルになった一族だ」
「三兄弟の物語?」
聞いたことのない話に、ますます眉間に皺を寄せる。
すると、ノットは驚いたように瞬きをした。
「吟遊詩人ビードルの物語だ。魔法使いに伝わるおとぎ話だよ」
「つまり、赤ずきんや美女と野獣みたいなものか」
「それは分からないが、そういうものだ」
「そう……」
少し興味を惹いたが、それよりも問題なのは指輪にこびりつく「線」の多さだ。
先ほどの箱とは比較にならないほど、おびただしい量の魔法が掛けられている。これを指にはめたが最後、考えられないほどの呪いが襲いかかってきそうだ。
セレネは口の端を上げた。
「とにかく、きっちり殺した方がいいですね」
呪いが密集している黒い石に、ナイフの切っ先を向ける。
ちょうど一年前、フラメル夫人に貰った黒い石とよく似た石だ――と思ったのもつかの間、表面に人の顔が浮かび上がって来た。
秘密の部屋で対面したトム・リドルに瓜二つの顔だ。
後ろから覗き込んでいたノットたちが、あっと声を飲む声が聞こえてきた。
「おまえの心を見たぞ……お前の心は俺様のものだ」
石の中心から、押し殺したような声が聞こえてきた。
「お前の夢を見たぞ、セレネ・ゴーント。俺様と組めば、その願望はたやすく叶えられる。願いを叶える方法を教えてやろう。なに、安心しろ。俺様も試した方法だ。
さぁ、この指輪をはめろ、セレネ・ゴーント」
どうやら、この一瞬でセレネの心を読んでしまったらしい。
セレネはふっと小馬鹿にするように笑った。
「……生憎と命乞いする奴と組む気はない、トム・リドル」
刃が光り、ナイフが躊躇なく振り下ろした。鋭い金属音と長々しい叫び声が、廃屋が音を立てて揺れるくらい響き渡る。天井が今にも崩れ落ちてくるのではないかと思った時、ようやく声が途切れた。パキンと乾いた音を立てて、黒い石に亀裂がはいる。
何年も忘れ去られていた廃屋に、静けさが戻った。
「そこに宿っていたモノは、消えたみたいですね」
「先輩、今のはもしかして……」
フローラとヘスティアが話しかけてきた。
ヘスティアは少し怖かったのか、セレネの袖をぎゅっと握ってくる。セレネはヘスティアの頭を軽く撫でると、指輪を拾い上げた。
「一応、嵌めない方がいいんじゃないか? なにかまだ宿ってるかもしれないぞ」
「忠告、ありがとう」
セレネは指輪をポケットに滑り込ませる。
この指輪の他に特別目立ったものはない。
セレネたちが外に出る頃には、すでに日は傾き始めていた。空は蜜色に染まり、家々に明かりが灯り始めている。
「……はぁ、今頃はクィディッチワールドカップが開催されているのだろうな」
ノットが肩を回しながら、ぶつくさと文句を口にした。
「今夜、勝ったチームが明後日、アイルランドと戦うんだよ。気になるし、見に行きたかったぜ」
「隊長。嘆かなくても結果は見えています」
「絶対にブルガリアが勝利するに決まってますわ。あのビクトール・クラムがいるのですから」
「いいえ、姉様。絶対に日本です。トヨハシ・テングには敵いませんわ」
「ごめんなさいね、クィディッチワールドカップがあるというのに」
セレネが言うと、カロー姉妹は慌てて「そんなことはない」と口にした。
「ご心配しないでください、先輩! 私たちは明後日の決勝戦は見に行けるのです」
「先輩、私たちは切符が手に入っているのです。ゴーント先輩もどうですか?」
「ありがとう、でも遠慮しておくわ。それに……」
セレネは丘の上の屋敷に目を移した。
「まだ、今日の用件は終わってないもの」