スリザリンの継承者―魔眼の担い手―   作:寺町朱穂

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7話 地下牢の亡霊

 

 

 

 ホグワーツには、地下牢がある。

 「地下牢」と聞けば、恐ろしいイメージが先行するだろう。拷問が行われたり、罪人が閉じ込められたりするような場所、誰も近寄りたがらない―――と、思われがちだが、ホグワーツのだいたいの生徒にとって地下牢とは恐るべき場所ではなかった。

 

 ホグワーツに在籍する生徒のほとんどは、地下牢を毎週訪れている。

 なにせ、スリザリン生は寮への入口が地下牢にあるし、5年生以下の生徒は魔法薬学の授業を受けるために地下牢にある教室に足を運ばなければならないからだ。

 

 だから、ホグワーツの生徒に「地下牢は怖い?」と尋ねても「ぜんぜん?」と返されるのが一般的な反応だろう。

 

 しかし、彼らの答える「地下牢」とは、城の地下に広がる地下牢のごく一部に過ぎない。

 魔法薬学の教室、スネイプ先生の私室を通り過ぎ、スリザリン寮への入口のさらに奥へと進めば、過去には体罰の一環として生徒が吊るされたり、磔の呪いにかけられたり、鞭で痛めつけられ閉じ込められたりした文字通り「本当の地下牢」がある。

 

 

 今回、七不思議の『地下牢の亡霊』が出現すると言われるのは、こちらの方である。

 こちらには、スリザリンの生徒はもちろん、ゴーストですら近づかない。ごくまれに新学期のはじめ、1年生が迷い込んでしまうことがあるくらいで、大多数の生徒は足を踏み入れたことすらないまま卒業することになるだろう。

 

 事実、アルバスたち三人組もこちらの地下牢に入るのは初めてである。

 

「うー、緊張してきた」

 

 アルバスはごくりとつばを飲み込んだ。バジリスクのアルケミーに先導され、狭いパイプを這うようにしながら進んできたので、強張った身体をもうすぐ伸ばせるのが嬉しい一方、おそろしい地下牢に行かねばならない恐怖を感じずにはいられなかった。

 

「アルバス、大丈夫だよ。ほら、探索自体はデルフィーニさんと合流してからだし」

 

 スコーピウスがやや明るい声色で返してくる。

 

「デルフィーニさんがいて助かったよ。彼女がいなかったら、君のお兄さんが『忍びの地図』で見張ってることを知らなかったし、もしかしたら、地下牢に繋がるパイプを出たところで、君のお兄さんが待ち構えてるってことも十分にありえるからね」

「それはそうだけど……」

 

 アルバスは唸った。

 誰よりも頼りになる助っ人の姿は、いまここにはない。

 ジェームズに『忍びの地図』で居場所を知られてしまっては、七不思議探索も思うように進むわけがないので、デルフィーニが『忍びの地図』の脅威を取り除いてくれることになったのである。そのため、最も頼りになる助っ人は別行動中なのだ。

 

「わかってるよ。地下牢で合流するってわかってるけど、デルフィーが来る前になにか起きたら……」

「アル様、心配はいりませんよ! いざとなれば、アルケミーが一睨みでどんな強敵でも――……ん?」

 

 エリザベスがそこまで答えたとき、先導するアルケミーが止まった。アルケミーが申し訳なさそうにシューッと息を吐くのが聞こえてくる。エリザベスはきょとんとした様子だったが、不思議そうに蛇語で問いかける。

 

「アルケミー、なんだって?」

「いやそれが……『この先に行くことは、サラザール・スリザリン様により禁じられています』の一点張りで……」

「え?」

「『禁じられていなくても、とてつもなく嫌な気配がするので行きたくない』って……」

 

 エリザベスが困惑している。

 

「えっと……それって、おかしくない? だって、アルケミーはスリザリンが遺した怪物じゃないか。それなのに、スリザリン生が一番関わりがある地下牢に入れないなんて」

 

 アルバスは疑問を口にした。

 エリザベスは困ったように眉をひそめ、蛇語で説得を試みているようだったが、アルケミーの返事はよくないものだったらしい。アルケミーはアルバスたちを降ろすと、申し訳なさそうにパイプの奥へと引き返していってしまった。

 

「ねぇ……デルフィーを待ってから進まない?」

 

 アルバスは、気がつけばそんなことを呟いていた。

 

「その方がいいかもしれない」

 

 スコーピウスもやや不安げな顔であたりを見渡していた。

 普段は絶対に足を踏み入れない奥のさらに奥ということもあるのだろうが、まったく人の気配を感じなかった。当然ながら窓のない石の壁は圧迫感があり、左右から押しつぶされてしまいそうに思えてたまらない。等間隔で壁に掲げられたロウソクの灯りだけが頼りになってくるのだが、いまにも吹き消えそうなほど細い炎。頼りないことこの上なかった。

 

「デルフィー姉さん、遅いですね」

 

 エリザベスが腕をさすりながら、自身の腕時計に目を落とした。

 

「別れてから1時間は経ちますよ? ジェームズを撒くのに、そんなに手間取ります?」

「なにか予期せぬ事件があったのかもしれないよ。たとえば……すでに僕たちの家族が来校して、その足止めをしてくれているとか!」

「それはありえないかと」

 

 エリザベスはスコーピウスの考えを一蹴した。

 

「少なくとも、デルフィー姉さんにお母さんは止められませんから。お母さんを止められるのは、クイールおじいちゃんだけです」

「……そうだよね。さすがのデルフィーでも僕のパパやママの足止めをできるとは思えないや」

 

 アルバスもはぁ……とため息をついた。

 

「ははは……デルフィーニさんが足止めできるのは、僕の父だけってことか」

「わかりませんよ。スコーピウスのお父様は愛情深い方だと聞いています。息子に危険が迫っていると分かれば、デルフィー姉さんが止められるかどうか定かではありません」

「それじゃあ、デルフィーはどうして来ないんだろう?」

 

 ジェームズは頭もよく魔法にも優れているし運動神経だって抜群なのだが、デルフィーニの方が二手も三手も上に思える。なぜ、彼女がここに来られないのか不思議に思えてならなかった。

 

「となると、僕たちが想像できないくらい大変なことに巻き込まれてるのかな」

「……かもしれません」

 

 エリザベスの寂しそうな細い声を聞くのは珍しく、アルバスは無性に気まずくなった。3人は黙り込んだまま、地下牢の入口の方へ期待を込めた視線を向け続ける。ただでさえ人気のない地下牢の空気は胸がつらくなるほど重々しい。ひんやりとした寒々しい風が時折吹き、ぶるりと身体を震わせる。

 

 

 アルバスは怖さに耐えかね、「もう少し入口の方に移動しない?」と提案しようとした――そのときだった。

 

「……ねぇ、なにか聞こえない?」

 

 スコーピウスが目を見開くと、震える指で背後をさした。

 

 

 誰もいないはずの地下牢――重々しい静けさのなか、耳をすませば、確かに奥からすすり泣くような音が響いてくる。

 

「……え、もしかして……」

「噂の『地下牢の亡霊』が出現したということでしょうか?」

「亡霊かどうかは分からないけど、誰かいるってことだよね」

 

 泣いているのは誰なのか?

 本当に亡霊がいるのか? それとも、道に迷った生徒なのか?

 

「もし迷子がいるなら……」

 

 アルバスは「助けに行かないと」と言いかける。しかし、もし亡霊の声だったら……と考えると背筋が震え、もごもごと口ごもるしかなかった。

 

「アルバス。もうちょっとだけ奥に進もう」

「ちょっとだけなら、デルフィー姉さんもすぐに追いつきますって。こんなに声が響いてますし」

 

 スコーピウスがアルバスの右手を、エリザベスが左手を握りながら言った。2人とも手が震えているのが伝わってくる。それでも、アルバスを安心させようと手を繋いでくれている――そう思うと、アルバスは自分だけ尻込みしていてはいけないような気がしてきた。

 

 自分は英雄の息子なのだから、こんなところで怖がってはいけない。

 

「うん、そうだね。僕たち、もう3年生だし……迷子の下級生がいるなら助けに行かないと」

 

 アルバスは自分に言い聞かせるように話すと、3人並んで奥へと足を踏み入れた。

 細長く続く薄暗い通路。かつん、かつんと自分たちの足音が不気味に響き渡る。普段絶対に誰も訪れないのに埃っぽさを感じないのは、ここまでしっかり屋敷しもべ妖精たちが掃除しているからなのだろうか。両脇の壁からは絶えず水が滴り落ち、ぽちゃ……ぽちゃ……と音がする。そのたびに、アルバスたちのうち誰かがびくっと震えた。音につられて水が滴り落ちた個所に目を向けてしまえば、いつの時代か誰のものか分からぬ血の黒い跡がこびりついているさまを見てしまい、首筋がぞくりと逆立つ。

 

「あの……誰かいるの?」

 

 そのなかで、すすり泣くような音は続いていた。音の方へ足を進めるほど、近づいていくのが分かる。しかし、その一方で進めば進むほど道は狭まり、壁と壁に圧迫されるような息苦しさを感じた。

 

「……誰もいない?」

 

 スコーピウスがぽつりと呟いた。

 この頃になると壁に刺さったロウソクの数も乏しく、ほとんど灯りはなくなっていた。底冷えするような暗さのなか、必死に目を凝らしながら先に進んだ結果、待ち受けていたのは行き止まり。ずっしりとした石の壁がそびえたっている。それなのに、すすり泣く声だけは確かに壁から聞こえるのが不気味だった。

 

「もしかして、壁の向こうにいるとか?」

「ここはホグワーツですから、壁に細工しているとかありえますけど……」

 

 エリザベスが空いている手を伸ばし、壁をペタペタ触り始める。あちらこちら適当に触っているように見えたが、ちょうど自分たちの顔ほどの高さの位置でぴたりと動きを止めた。

 

「あ……わかりました、泣き声の正体! ほら、ここ……石と石の隙間!」

 

 アルバスとスコーピウスも顔を近づけてみると、なんてことはない。石と石の隙間からいっそう冷たい風が吹き抜けてくる。

 

「つまり、これは……泣き声じゃなくて、風の音?」

 

 アルバスは落胆を隠せなかった。

 泣き声の正体は隙間風の音。不可思議な亡霊の仕業ではなかったのだ。こんなあっさり謎を解明できてしまい、物足りなさすら感じてしまう。

 ところが、スコーピウスは違ったらしい。

 

「ねぇ、どうしてこの場所だけ隙間風が通ってるのかな?」

 

 彼は青い瞳をきらきらと輝かせて、さらに石壁に近寄った。

 

「行き止まりなのに、向こうから風が吹いてくるのはおかしい。きっと、行き止まりじゃなくて奥に続く空間があるんだ」

「つまり、隠し扉ということですか?」

「たぶんね。すごいよ……地下牢に隠し扉があるなんて『ホグワーツの歴史』にも載ってなかった!」

「スコーピウスが言うならそうなんだろうけど……どうやって開けるの?」

 

 アルバスが言うと、エリザベスが杖を取り出した。

 

「『アロホモラ‐開け』」

 

 1年生で習った開錠の呪文を唱えるが、石壁に変化はない。エリザベスは小首を傾げ、ふむっと頷いた。

 

「まあ、ダメ元でやりましたが……」

「そう簡単に開くものじゃないってことか」

 

 スコーピウスがはははっと力なく笑った。

 

「アルバス、どうする?」

「どうするって言われても……僕、なにも思いつかないよ。そういうのは、君の方が詳しいだろ? ホグワーツの歴史なんて読んでないし……ホグワーツの隠された部屋を開ける話なんて『必要の部屋』と『秘密の部屋』くらいしか知らないよ」

「それでは、試しに蛇語で言ってみましょうか? 開け……つまり『――』って」

 

 アルバスには聞き取れなかったが、エリザベスは蛇語で『開け』と口にする。冗談っぽく、されど真剣に。奇妙なシューシューという音が彼女に小さな唇から紡がれた瞬間、ちょうど隙間風が吹き抜けてくる部分が眩い白い光を放ったではないか。壁を構築する石の一つ一つが動き始め、小さな穴があいたかと思えば、みるみるうちにアルバスたち3人が通れるほどのアーチへと変貌を遂げた。

 

「え……」

 

 誰もが唖然とした。

 蛇語を唱えたエリザベス自身も目が点になっていた。

 

「この先、どうなってるのかな?」

 

 アルバスは歯を食いしばって、石で組まれたアーチに一歩近づいた。

 

「アル様、なにか見えましたか?」

「なにも。まっくらで見えない。でも……」

 

 アルバスはアーチに頭をつっこみ、四方を見渡してみた。

 

「道は続いてない感じがする。ほら、足元を見て」

 

 アルバスたちが立っている場所で道は終わっている。アーチの向こうは真っ黒な空間が広がるばかり。道は続いておらず、すぐ目の前にぽっかりとした大穴が口を開けている。

 

「行き止まりであることに変わりはないね」

「いや、この穴を隠してるのかも」

「この穴を探索するの? どのくらい深いのかわからないのに」

 

 やはり、ここから先はデルフィーニを待ってからの探索にしよう。

 アルバスが提案しようと口を開こうとした瞬間、歓声のようなしわがれ声が割って入ってきた。

 

 

「誰かいるな。ここは立ち入り禁止の廊下だぞ」

 

 管理人のフィルチの声だった。

 アルバスは混乱した。地下牢が立ち入り禁止だとは聞いたことがない。アルバスは2人に確認しようと交互に目を見たが、両者ともに困惑しきった表情で首を振るばかり。

 地下牢が立ち入り禁止とかいう校則はないし、今日は休日。ここにいても校則違反にはならないのだが、フィルチは規則違反の生徒を見つけることを生きがいにしている。見つかったら間違いなく面倒なことになるだろう。

 

 フィルチの声は聞こえても、その姿まで見えない。

 しかし、何者かの足音だけは近づいてくる。

 

 

 フィルチから逃げたい心か、それとも、彼に対する罰則への恐れからか。3人の足が大穴の方へ踏み出し、そのままバランスを崩して落下する。耳元でエリザベスの悲鳴が聞こえたと思ったときには冷たい湿った空気を切り、落ちて……落ちて……落ちて……どすっと湿った音をたて、なにかサクサクしたクッションの上に落ちた。

 

「ここは……?」

 

 アルバスの声が空間に反響した。

 

「なにも見えないので分かりませんね……あの……ルーモス、使っていいですか?」

「当然だよ。なにも見えない。というか、いままでなんで使わなかったの?」

「え? 七不思議を探し始めた最初でしたよね。『ルーモスは使わないように』と言われたのは」

「はぁ……あのときといまとでは状況が違うじゃないか」

 

 アルバスが呆れ果てると、エリザベスが杖を振る音がした。

 

「『ルーモス‐光よ』」

 

 杖に灯りがともる。

 ここで、クッションになったものの存在が判明した。

 

 巨大なヘビの抜け殻だ。毒々しい鮮やかな緑色の皮がとぐろを巻いて横たわっている。ざっと見ても5m近くあるに違いない。その周りを囲むように小さな動物たちの骨が散らばっていた。

 

「まさか、アルケミーの抜け殻……?」

「いや、違う」

 

 スコーピウスが怯え切った声を出した。

 

「抜け殻の頭を見て」

 

 長い長い一本の抜け殻だと思ったが、途中で枝分かれしている。少なくとも、バジリスクの頭は1つしかなかったはずである。

 

「頭が……たくさんある」

 

 恐怖からその本数を数える気にもなれず、頭を上げたとき絶望する。

 

 

 杖灯りをともしても、目と鼻の先しか見えない暗い空間――その向こうに光る目があった。金色の瞳は久々に見た獲物に歓喜と興味の色で満ちている。

 

 しかしながら、その瞳は1つではない。

 

「なに、あれ」

 

 エリザベスがひゅうっと息をのむ。

 星の数ほどの蛇の目がアルバスたちを見おろしていたのだ。

 

 

 

 

 

 


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