「連鎖反応」という言葉がある。
悪が滅んでも、その滅びをきっかけに、また別の悪が目覚めることがある。
ヴォルデモートはハリー・ポッターに敗れ、この世から消え去った。
しかし、完全に消え去ったわけではない。
ハリー・ポッターの放った魔法の威力により、ヴォルデモート卿の身体を粉砕した。そう、粉砕だ。粉砕ということは、欠片や断片が散りばめられたことに他ならない。
つまり、欠片や断片を寄せ集め、そこに知性を与えることができれば、ヴォルデモート卿は復活してしまう。
あれから、19年。
ヴォルデモート卿の信者が散りばめられた膨大な欠片を繋ぎ止め、拾い集め、かき集め、ついに一個の人格の修復に成功した。さながらそれは、ヴォルデモートの二代目と言っても相応しい。
そして、二代目は遂行する。
ヴォルデモートの目的の果たせなかった目的を。
マグル生まれの排除を、不老不死を、世界で唯一最強の悪の魔法使いになることを!
ハリーたちは疲弊しきっていた。
数か月にわたる逃亡生活や悪と向かい合った戦闘の傷は、心身ともに簡単に癒えるものではないのだ。
だから、彼女は立ち向かった。
彼女だけが、二代目の悪に魔法の杖を向ける。
「二代目? 笑わせますね。所詮は寄せ集めに過ぎませんよ」
セレネ・ゴーントは不敵な笑みを浮かべた。
「――■■■■■■■ッ!!」
二代目のヴォルデモートは黒いマントを被り、蛇のような赤い双眸をセレネに向けた。その口から出るのは獣のような咆哮だ。もはや、言語にすらなっていない。だが、セレネが敵対心を持っていることだけは、薄い脳みそで理解したのだろう。
二代目は轟くような声と共に、骨のような杖から緑の閃光が連続して放った。
「遅いっ!」
セレネは華麗に避けると、空高く飛び上がった。
くるくると手の中で魔法の杖を回すと、ピンクの杖に向かって語りかけた。
「行きますよ、ルビー!」
「はいはい、セレネさんは杖使いが荒いですねー」
二代目といっても、所詮は寄せ集め。
セレネからすれば、初代と比べ物にならないほど雑魚だ。杖に流れ込む魔力の奔流を強く感じながら、二代目に狙いを定める。
「『多元重奏飽和砲撃‐クウィンテットフォイア』―‐ッ!」
魔法の杖から放たれた壮大な閃光。それは、まさに星の光にも匹敵する殲滅力を誇る。
初代ならともかく、継ぎ接ぎだらけの二代目にはひとたまりもない。二代目は声すら上げることなく、光の奔流に巻き込まれ、完全に消滅した。
「……これで、平和が戻りましたね」
セレネはゆっくりと地面に降りる。
最後の敵にしては味気のなく、倒しがいのない相手だった。
「さすがです、セレネさんー! とっても魔法少女らしかったですよ!」
「不本意ですが、長年やってきていますから」
セレネは魔法の杖――マジカルルビーを見下すと、少しだけ目尻を緩めた。
「でも、そろそろ引退を考えています」
「またまたー、セレネさんは若々しいですよ。本当、10代の頃と容姿がまったく変わっていないんですから! 背も胸も!」
「胸は余計です。
だけど、もう敵はいませんね。世界は平和になったんだもの」
セレネは寂しげにそう告げると、夕日を眺めた。
初代ヴォルデモートも、二代目も倒した。イギリス魔法世界に巨大な悪の影は残っていない。
世界は、どこまでも平和だった。
「大変です、セレネ!!」
黒塗りのメルセデスベンツがセレネの真横で急停車する。
窓から顔を乗り出した青年、ジャスティンは酷く青ざめていた。
「は、ハイドパークで事件が……とにかく、来てください!!」
セレネは彼の運転する車に飛び乗る。
ハイドパークに近づくにつれ、魔法が花火のように打ちあがっているのが見えた。セレネは厳しい表情で窓を開け放つと
「ありがとうございます、ジャスティン。先に行きます!」
「気を付けて、セレネ!」
セレネはジャスティンの言葉を背中で受けると、窓から外に飛び出した。身体強化を発動させ、そのままハイドパークまで一気に飛ぶ。
「これは……!?」
緑豊かな静かな公園、ハイドパークに闇払いたちが伏せていた。
セレネは一人に駆け寄り、容体を確認する。生きてはいるし、外傷は見当たらないので、よほど強力な睡眠魔法を受けたのだろう。皆がすっかり眠りに落ちており、意識のある者は誰もいなかった。
「いったい、誰がこんなことを……?」
「ようやく来たわね、プリズマ☆セレネ! 戦いは終わってないわよ!」
「誰ッ!?」
セレネが弾かれたように顔を上げる。
そこには四人の少女の姿があった。
赤い猫耳少女、モーニングスターを振り回す銀髪少女、和服姿の狐耳少女、そして、金髪赤眼の白い少女だ。
「愛と正義の別世界魔法少女、カレイドルビー!」
「慈愛と平和の虐待魔法少女、マジカルカレン!」
「陰謀と調略の超銀河系天才魔法少女、マジカルアンバー!」
「そして、白き月姫、ファンタズム―ン!」
四人はそれぞれ名乗りと決めポーズとると、自身の武器を握りしめ戦闘体制に移行する。
「「「「いざ、魔法少女の雌雄を決するとき!」」」」
「……っは、冗談じゃありませんよ」
セレネはそう言いながらも、どこか嬉しそうにルビーを掲げた。
「正義と平和の魔法少女、プリズマ☆セレネに倒せない敵はありません!!」
こうして、魔法少女の頂点を決める戦いが巻き起こる。
セレネの運命は!? そして、どの魔法少女が最も優れているのか!?
五人の魔法が激突し――……
「――ッは!?」
物凄い勢いで跳ね起きる。
肩で息をしながら、夢の残滓を思い返してみる。とても悍ましい夢を見ていた。
「い、いまのは……一体……」
頭を抱えていると、部屋の扉が開かれた。
「朝食、食べないつもりですか?」
これも先ほど見たばかりの悪夢の影響だろうか。
部屋に入ってきた人物を見て、つい尋ねてしまう。
「ねぇ、お母さん。魔法少女になったことある?」
「なに言ってるの。早く支度しなさい、デルフィー」
セレネは飽きれたように言うと、部屋を去ってしまった。
デルフィーニは頭を掻きながら窓の外に目を向ける。木の葉が真夏の日差しを浴びて活き活きと輝いていた。小鳥がさえずりや義妹の声が聞こえてくる。
まさに、平和そのものだ。
デルフィーニはベッドから起き上がると
「……ま、二代目ヴォルデモートとかありえないよね。ナンセンスだわ」
と呟いた。
義母が魔法少女として恥ずかしい衣装で飛び回るのと同じくらい、ヴォルデモートの二代目なんて現実的にありえない。
デルフィーニは、それっきり夢のことは忘れることにした。
なぜなら、今日はとっても大切な日。
9月1日。
義妹のリザがホグワーツに入学する日である。
デルフィーニは昨年度までホグワーツに在籍していたので、トランクも準備せず、見送りにだけ行くのは不思議な感じがした。服装を整え、少し癖のある黒い髪を緑のリボンで高く結びあげる。
そう、緑。
デルフィーニは、緑こそが自分に最も似合っている色だと強く感じていた。
義両親ともスリザリン生で、本当の両親であるロドルファスとベラトリックス・レストレンジもスリザリン生だと聞く。それに加え、自分自身もスリザリン生として7年間過ごしてきた。スリザリンカラーである緑色に愛着があるのは当然で、次点で緑を縁取る銀色が好きだ。
スリザリンに偏見がある人がたくさんいることも知っているし、レストレンジ家に恨みがある人もたくさん見てきた。
だけど、デルフィーニはスリザリン寮であることを誇りに思っていた。
「デルフィーニ!」
「今行きます!」
デルフィーニはセレネの呼ぶ声に応えると、すたすたと階段を下りた。
食卓には自分用の朝食だけが残されていた。ところが、一人で食べるのは可哀そうだと思ったのだろうか。祖父のクイールがゆったりと腰を下ろし、のんびりと食後のコーヒーを飲んでいた。彼は正確には祖父ではなく、義母の義父である。本来は、義義祖父と呼ぶのが的確なのかもしれない。
だが、本人たっての希望で、彼のことは「おじいちゃん」と呼んでいた。
「おじいちゃんは、リザの見送りに行かないの?」
デルフィーニが尋ねると、クイールはにっこりと微笑んだ。
「あまり大勢で行くと大変だからね。プラットホームは狭かった記憶があるし……それよりも、デルフィーは行って大丈夫なのかい?」
「平気よ。今日は講義がないから」
デルフィーニはパンを千切りながら祖父の問いかけに答えた。
ホグワーツ卒業後、デルフィーニは時計塔に進学した。今はルーン文字と魔法人形について学んでいる。同期で時計塔に進学したのは自分だけなので少し寂しいが、ホグワーツ時代とは異なる新たな発見の連続で、勉強が心から楽しくて仕方がない。
それに、ホグワーツと違って、夜には家に帰って来ることができる。義母は海外で仕事をしているので滅多に顔を合わせることができないが、義父や祖父が温かな料理と共に待っていてくれた。
だから、デルフィーニが寂しさを感じる時間はとても短かい。
「ごちそうさま」
デルフィーニは素早く食事を詰め込むと、軽く杖を振った。皿が自然と浮き上がり、流しで洗浄され、食器の乾燥機へと移動する。祖父は「ベルトコンベアーみたいだ」と例えるが、ベルトコンベアーが何なのかは知らないし、今は考えている暇が惜しい。
リザが出発する時間が、刻一刻と近づいてきていた。
さっと歯を磨き、化粧のノリを確認すると、いそいで玄関に向かう。
そこには、既に先客がいた。
本日の主役たる女の子が、ちょこんっとトランクの上に座っている。
「あれ? どうしたの、リザ?」
リザは青い眼を輝かせながら、足をふらふらと揺らしている。デルフィーニと同じ黒髪だったが、彼女の艶やかな黒髪はまっすぐ背まで伸びている。デルフィーニは結ばないと髪が爆発しそうになるので、彼女みたいな髪質が羨ましい。
そんなリザはいつも後ろで結わいているのだが、今日に限って髪をおろしていた。
「珍しいわね。ポニーテールにしないの?」
「ホグワーツデビューです、デルフィー姉さん」
義妹は、どこかかしこまった口調で答えた。
「ホグワーツ、デビュー?」
「リザは入学を機に、髪型を変えることにしました。姉さんの髪型を真似ないと決めたのです」
リザは足をふらふらさせるのを止め、つんっと突き放したような口調で言った。デルフィーニは義妹の心境の変化に少し驚いたが、すぐに理由を悟った。
「……デビューというか、一人で髪を結べないんじゃないの?」
「んなっ! そんなことは、まったく、断じてありません!」
リザは朱に染まった頬を隠すように、ぷいっと明後日の方向に視線を向ける。その時点で、その通りだと公言したも同然だ。デルフィーニは義妹の姿にくすりと微笑む。少し悪戯心が沸き上がってきた。
「そうねー、まさか11歳にもなって、お父さんに髪を結んでもらっているわけないものね」
「そういうことです。リザは髪を結べないのではなくて、これはイメチェンという奴です」
「でも、大丈夫? 女の子は髪を結べないと、箒に乗せてもらえないのよ?」
「へぇっ!?」
デルフィーニがわざと困ったような口調で言うと、リザが動揺して顔を青ざめさせた。デルフィーニは心の中で笑いながら、だけどそれを表情に出さず、ますます深刻そうな声色で話し続ける。
「髪が長いと落下して死ぬ確率が高くなるの。だから、女の子は全員、安全のために髪を結んでから飛ぶのよ。飛行術のフーチ先生が口酸っぱく言ってたわ」
「そ、そんな……」
「ほら、お母さんだって髪が短いでしょ? あれは空を飛ぶ時に、邪魔にならないためなの」
「おい、嘘を教えるな」
デルフィーニが半分泣き始めた義妹をからかっていると、疲れたような声をかけられる。黒い眼に長身の義父が、呆れたように髪を掻きながら近づいてきた。眉の上に薄ら残る傷が特徴的な男性だ。
「髪が長いと落下する可能性があるのは事実だ。だがな、髪が箒に絡まったり、前が見えなくなったりしない限り問題ない。そこまで教えないと駄目だろ」
「……ごめんなさい」
どうやら少しからかい過ぎたらしい。
デルフィーニは少し舌を出しながら謝罪をする。リザは心から安心したように息を吐くと、とんっとトランクから降りた。
「まったく、デルフィー姉さんには困ったものです。リザは危うく騙されるところでした。姉さんの言うことは信じられません!」
「本当にごめんね。お詫びに今度、有名店の新作カップケーキを送ってあげるから」
「……ま、まあいいでしょう。それで手を打ちますが、今回のことは決して忘れませんからね!」
リザの怒っていた空気は急速に和らいでいく。態度こそ怒ったように振る舞っているが、見えない尻尾をぶんぶん振っているのが丸わかりである。あと数分も経てば怒っていたことを忘れ、いつも通り嬉しそうな顔を見せてくるはずである。
デルフィーニは「この子、本当にちょろいな」と再確認した。ちょろくて素直な好意を見せてくる彼女は、やっぱり可愛い。デルフィーニはリザと血は繋がっていないが、赤子の頃から接しているので、本当の妹のように想っていた。
「お前たちなぁ……ほら、行くぞ」
義父が大きくため息を吐く音が聞こえてくる。振り返ってみれば、義父の後ろから義母が現れるのが見えた。自分を起こしに来た時とは異なり、マグルのスーツを着こなしている。デルフィーニは少し首を傾げた。
「お母さんは、これから仕事ですか?」
「まあそうですね。リザを送り終えたら、南米に飛ばないと……はぁ、一昨日までインドに出張だったのに」
セレネはぼやいていた。
義母のセレネは魔法省に勤めていた時期もあったが、今はロンドン郊外のブロッコリー農場で働いている。
よくブロッコリーの買い付けや品種の研究のため海外を飛び回っているが、実際のところ胡散臭さがむんむんだ。リザはセレネの話を真剣に受け止めているようだが、デルフィーニとしては「たかがブロッコリーの買い付けや研究で、一年のほとんどを海外で過ごすものなのか?」と問いただしたい。
この問いになると、いつも煙に巻かれてしまう。
だから実際には、たぶん人には軽々しく言えないような仕事をしているのだろう。
ちなみに、義父のセオドールは仕事をしていない。
昔は義母と一緒に魔法省で働いていたらしいが、リザの出産を機に退職。もともと、義父は聖28族に名を連ねるノット家の現当主でもある。先祖代々伝わる土地の権利を所有しており、それを不動産会社を通して客に貸し付けて利益を得ている。
正直、働かなくても収入があるわけだが、どうしても、義母を止めることはできなかったらしい。
とまあ、つまるところ、いつも家に居て、義母の尻に敷かれる。
義母の友人 ジャスティンさんの方が、ずっとカッコいい。
彼はマグルの貿易会社の社長だし、博識だし、優しいし、物腰穏やかで紳士的だ。なぜ、セレネは彼と結婚しなかったのか、不思議で仕方ない。
ぐーたら親父より、ずっとずっと素敵な人なのに。
「デルフィーニ、なにか良からぬことを考えただろ?」
訂正。
ぐーたらだが、勘だけは人一倍鋭い。
あと怒ると怖い。ちょっとリザを驚かすつもりで悪戯を仕掛けようとしたら、義父の静止の魔眼で動きを止められ、説教されたことがある。義母も魔眼を持っているが、デルフィーニにとって普段はいない義母よりも、義父の魔眼の方がよっぽど恐ろしかった。
魔眼、といえば、デルフィーニも少し変わった眼を持っている。
誰にも言えないし、話したところで信じてもらえる魔眼ではない。
セレネは「魔眼殺し」という眼鏡を勧めてきたが、いい年して母とお揃いなんて少し恥ずかしいので断った。事実、魔眼殺しなんてなくても、この眼を制御することが出来ている。
「デルフィー姉さん?」
リザが、青空のような澄んだ瞳を向けてくる。
デルフィーニはニッコリ微笑むと、彼女の手を握った。
ロンドンまでは一瞬だ。
「姿くらまし」で、一気にキングズクロス駅へ到着した。
キングズクロス駅は、いつも騒がしい。
フランスまで行ける国際線が開通してから、一段と人通りが多くなった気がする。
いまも眼を疑いたくなるほど大勢のマグルたちが、とにかく忙しなく歩き回っていた。最近では、スマホなる通信端末に目を落としながら小走りで進む人が多い。
デルフィーニも、時計塔に進学してからスマホを使うようになったが、まだ歩きながら使う高等テクニックは難しく、マグルがどうして衝突しないのか不思議だった。
それに、こうしてマグルを横目で眺めていると、8年前。初めてホグワーツ特急に乗るため、ここを訪れた日のことを思い出す。
あの時、たまたま出会ったパーシバルおじさんが
『どうだい、レディ? 君は、あの愚かなマグルたちを全員吹き飛ばしたくはないかね?』
と囁いてきたことを思い出す。
パーシバルおじさんは謎の多い人物で、義母からは蛇蝎のごとく嫌われているが、不思議な魔法道具をくれるし、大変高度な魔法を教えてくれる。ただ、たまに物騒なことを言いだすので、ちょっと油断できない人だ。
デルフィーニは、マグルは魔法族より多いと感じていたが、なにも全員吹き飛ばしたいとは思わない。それは闇の魔法使いの悪行であり、アズカバン行きの犯罪である。
ヴォルデモートでもあるまいし、そんな大犯罪は御免被る。
「デルフィー姉さん、一緒に行きませんか?」
ふと気が付けば、9番線のホームに到着していた。
リザがトランクを載せたカートを押しながら、袖を引っ張って来る。壁に突っ込むのが怖いのか、少し目が不安そうに陰っていた。
「もちろん、一緒に行こう」
デルフィーニはとびっきりの笑顔で答えた。
義父が「俺がリザと一緒に行きたかった」と言いたげな表情を浮かべているが、選ばれたのは自分である。デルフィーニは勝ち誇った笑顔を浮かべると、リザと一緒にカートを押しながら、だんだんと速度を上げた。壁に近づくと、リザは怯んだような顔をしたが、もちろん衝突することはない。
デルフィーニとリザは9と4分の3番線に現れた。
紅色のホグワーツ特急がもくもくと吐き出す濃い白煙で、あたりが少しボンヤリしていた。その霞の中を誰だか見分けがつかないくらい大勢の人影が動き回っている。おしゃべりの声と重いトランクの擦れ合う音をくぐって、フクロウがホーホーと不機嫌そうに鳴いている。
デルフィーニとリザは後ろから両親が現れるのを待ってから、ホグワーツ特急の方へ歩き始めた。
もうこの汽車に乗ることはないのだと思うと、デルフィーニは寂しさで胸が縮むような感覚に陥った。
「リザ、きょろきょろしない。まっすぐ前を見なさい」
セレネがリザを注意する。義妹は、きょろきょろと誰かを探すように辺りを見渡していた。
「でも、お母さん――ッ、きゃっ!」
言わんことではない。
リザの押すカートが前の人にぶつかって、義妹は反動で転んでしまった。
「大丈夫ですか?」
義妹が立ち上がろうとする前に、ぶつかった青年が手を差し出してくる。見事な金髪をした青年は王子様のような微笑みを浮かべ、義妹の手を取った。
「こ、こちらこそ、ごめんなさい。前を見ていませんでした」
「いや、僕が避ければよかったんだ……って、デルフィーじゃないか」
金髪の青年はデルフィーニを見ると少し驚いたように眉を上げた。
「そうか、この子が君の妹さんだね」
「エドモン、貴方はどうしてここにいるの?」
デルフィーニは自身の腰に手を当てると、胡散臭い目で元同級生を見た。
「僕は仕事だよ。上司の手伝いでビラ配り中」
エドモンはそう言いながらホームの端に視線を向けた。そこには赤毛で長身の男性が、声色高々に箒に関する規則について述べている。
「正直、箒に関する規制はそこまで厳格にはいらないと思うんだ。どれほど高級な箒であったとしても、杖が人を選ぶように、箒も乗り手を選ぶからね。
ところで、後ろにいるのが君の御両親?」
エドモンはそう言いながら、セレネたちに完璧な微笑みを向けた。彼は右手を心臓の辺りに置き、わずかに腰を曲げると口を開いた。
「エドモン・カローです。母が生前、大変世話になったと聞いております」
「……フローラの息子ですか!」
セレネが少し目を見開いた。
「はい。魔法省の魔法運輸部で働いています」
「なるほど。だから、パーシー・ウィーズリーの部下でここにいるのですね」
セレネが納得すると、エドモンは静かに頷いていた。
エドモンの生い立ちは、かなり複雑だ。
デルフィーニが知る限りだと、フローラ・カローとラダルファス・レストレンジの子としてフランスで育てられたが、生後間もなくして母を亡くし、父親に育てられたらしい。ところが、彼が10歳の時に、父親が死喰い人として逮捕され、以後は母方の実家であるカロー家に引き取られたそうだ。
つまり、彼とはレストレンジ家の血を引く親戚同士ということになる。
ただ親戚同士ということを意識したことは最初だけで、すぐに仲良くなり、今では同じスリザリン寮に属した友だち同士という関係だ。
それ以上でも、それ以下でもない。
「それでは、僕はこれで。仕事に戻らないといけないので。デルフィー、また今度」
エドモンは軽く会釈をすると、赤毛の男の方へと姿を消した。
「デルフィー姉さま、随分とカッコいい人と友達なのですね」
「まあ、非の打ちどころのない人だけど……」
デルフィーニは言葉を濁しながら、リザの代わりにカートを押した。
相変わらず、駅のホームは多くの生徒や保護者で騒がしい。エドモンの上司による箒に関する演説なんて、誰も聞いていなかった。濃い蒸気の中で人が見えにくいというのもあるが、皆が楽しそうに話したり、家族と別れのハグを交わしたりしている。今すれ違ったばかりのレイブンクロー生なんて、女の子を口説き落とすので夢中のようだ。
「僕たちが出会ったのは、運命なんだ。この手を離したくない。いや、この手を離したらきっと災いが降りかかる! さあ、一緒に運命について語り合うコンパートメントを選ぼうではないか!」
「手を離してください」
デルフィーニは、残念なレイブンクロー生をしらっと見ながら通り過ぎる。
一応、顔を知った仲ではあるが、わざわざ話しかけるのも面倒だし、知り合いだと思われたくない。
デルフィーニたちがしばらく歩くと、霞の向こうに例の八人の姿が見えてきた。デルフィーニは彼らを避けようとリザを誘導するが、時すでに遅し。リザが彼らの姿を見た瞬間、大事そうに押していたカートを置き去りにして、思いっきり駆けだした。
「アル様ーっ!」
リザは一人の少年に向かって勢いよく抱きついた。
「エリザベス!?」
「リザと呼んでください。リザはこの一年間、ずっとアル様に会いたかったです!」
アル様と呼ばれた黒髪の少年は戸惑いながら、彼女を引き離そうとする。しかし、リザは彼の腕にしがみついたまま離れようとしない。
「ねぇ、エリザベス。その……いい加減、アル様って呼ばないで欲しいな」
「いいえ、アル様。リザにとって、アル様は白馬に乗った王子様なのです。迷子のリザを助けてくれたあの時から……いいえ、理由なんて後付けなのです。あなたを一目見たあの瞬間から、ずっとずっとお慕いしています。だから、アル様なのです!」
「エリザベス、やめなさい!」
リザの暴走を止めたのは、セレネだった。セレネはリザの襟元をつかみ上げ、無理やり引き離す。リザが抵抗するように手足をばたつかせていたが、セレネには効果がない。
「まったく、はしたないでしょう。それに、困っているのが分かりませんか?」
セレネはほとほと困り果てた顔で、アルバスとその両親に頭を下げた。
「本当に申し訳ありません。特にアルバス、ごめんなさい。いつも娘が迷惑をかけて……」
「い、いえ。僕は別に迷惑なんかじゃ……いや、迷惑だけど、うん」
アルバスが歯切れの悪い答えをしていると、アルバスの父親がぷっと噴き出すのが分かった。
「……ハリー・ポッター?」
「いや、ごめん。セレネたちと似てないなと思ったんだ」
ハリー・ポッターはすまなそうに笑った。
他の人たち……ハリーの妻であるジニーとその息子のアルバスと娘のリリー。そして、ロンとハーマイオニー、その娘たちの全員が同じことを思っているらしい。
これに関しては、デルフィー二も同感だ。
義両親とも比較的落ち着いており、感情を表に出すタイプではない。セオドールはともかく、セレネに至っては心を鎧で覆い固めていると思うほど、冷静沈着だ。義父と二人っきりの時、もしくは、よっぽどのことがない限り、その仮面を剥がそうとはしない。
それにもかかわらず、義妹のリザは無邪気で裏表がなく、感情表現が豊かである。
あの義両親から産まれた子どもとは思えない。リザが自分と同じように血の繋がりがないのではないかとさえ思ってしまうが、外見はセレネに瓜二つだし、彼女の腹から産まれたのは間違いなく事実であった。
なにしろ、デルフィーニはその瞬間に立ち会った。
あの時の光景は、きっと一生忘れない。デルフィーニがそんな郷愁を抱いている間にも、話が進んでいた。
「……ハリー・ポッター。あなたは、いつもそうですね。一言、多い」
セレネが心底呆れたような目で、ハリーを見据えている。
周りの人たちは何も言葉を返さなかった。
彼らの仲は複雑だ。
ロン、ジニー、ハーマイオニーとウィーズリー家に連なる者たちは、セレネに対して謝罪と後悔の念を抱いているらしい。セレネの方はウィーズリー家に対して興味はないが、ハリー・ポッターに対して負い目がある。
リザがアルバスに惚れこんでさえいなければ、関わりを全くもっていなかったはずだ。
「アル様。一緒の寮になるといいですね!」
「いや……僕、君とは違う寮がいい」
「安心してください。リザは、アル様の寮と同じ寮が良いと組み分け帽子に強く願いますから」
「リザ、何を考えているのよ」
ローズ・グレンジャー‐ウィーズリーが、やれやれと首を振った。
「ノットのNとポッターのPだから、リザの方が早く組み分けされるに決まってるじゃない。まだ決まってもないのにお願いされたら、組み分け帽子も困るわ」
「た、確かに……! では、いったいどうしたら……」
リザが真剣に悩み、ローズが付き合って打開策を考え、アルバスが疲れたように二人を見ている。デルフィーニは少し屈みこみ、アルバスの顔を覗き込んだ。
「リザは嫌い?」
「そ、そんなことはないけど……」
デルフィーニが話しかけると、アルバスの顔は真っ赤に染まった。
この少年が自分のことを好いているのは、なんとなく察しがついている。確かに、可愛らしく謙虚で控えめな性格は好感が持てた。だからといって、こちらが恋心を抱くわけではない。デルフィニーから見たアルバスは恋愛対象としてはあまりに幼く、弟のようにしか見えなかった。
それに、義妹が恋心を抱いている人物を横取りするような真似はしたくはない。
確実に義妹が泣く。大泣きする。
「ねぇ、デルフィー。その……新入生全員に、ピーブズが腐った卵を投げつけてくるって本当?」
アルバスがデルフィーニにしか聞こえないくらい声を潜めて尋ねてきた。
まったくもって事実無根である。おそらく、彼の兄であるジェームズが弟にありとあらゆる怖い嘘話を吹き込んでいるのだろう。デルフィーニの口元は小さく弧を描いた。
「それは嘘。もちろん、ピーブズは誰かれ構わず悪戯を仕掛けてくるけど、自分を強く持てば大丈夫。
それでも、もしピーブズの被害が酷かったり……他にも困った時や辛いことがあったりしたときは、寮監や医務室助手のキアラさんに相談すれば、だいたい解決するわ。友だちに相談するというのも良い手よ」
「本当?」
「本当よ。私もそうだったもの。私の本当のお母さんが色んな人たちにさんざん迷惑をかけてたせいで、入学当初は誰もが私のことを避けていたわ。ま、それも当然だけど……」
デルフィーニは1年次を思い出して、少し気持ちに影が差し込んできた。
上級生や同級生からは「嫌な子」「邪悪そのもので薄気味悪い」「レストレンジって名前を聞いただけで吐き気がする」なんて悪口のオンパレード。
本当の両親がした悪事を思えば納得はするが、やはりそんな両親であっても軽蔑されるのは良い気分ではない。どの生徒にも優しいと有名な薬草学のネビル・ロングボトム教授が余所余所しく接して来た時には、酷く虚しくて、心にぽっかり穴が空いたような気持ちになったものだ。
「でもね、みんなが私を無視したり避けたりしていたけど、全員ではなかった。寮監の先生やキアラさんが優しくしてくれて、テディやエドモンと友達になれて、クィディッチを通じてビクトワールとも仲良くなれたわ。他にもたくさん友だちができた。
死喰い人の娘でも、なんとかなったから、きっとアルバスも平気よ。今から怯えることはないわ」
「本当?」
「本当よ! だから、どんっと胸を張りなさい」
デルフィーニはそう言うと、アルバスの背中を軽く叩いた。
アルバスは少しだけ自信を取り戻したような顔になると、ハリー・ポッターの方へ歩いて行った。丁度、アルバスの兄のジェームズ・ポッターが「テディ・ルーピンとビクトワール・ウィーズリーがキスをしているところを見た!」と駆け込んできたところで、場が少し盛り上がっている。
その喧騒から離れた場所で、セレネがリザに心構えを伝えていた。
セレネは「お行儀よくすること」「アルバスに抱きついたり迷惑をかけたりしないこと」「はしたないことをしないこと」など熱心に繰り返し、リザが真剣に頷いていた。
リザは母親の注意を一身に受け止めているようだが、どこまで持つか分からない。
デルフィーニは、ホグワーツ特急が出発してから数分以内に、リザが母の教えを破る気がした。
そのうち、紅色の列車のドアが閉まり始め、汽笛がホームを震わせ始める。
リザがアルバスやローズと一緒に列車に飛び乗り、その後ろからジニーがドアを閉めた。一番近くの車窓のあちこちから、生徒たちが身を乗り出していた。汽車の中からも外からも、ずいぶん多くの顔がハリー・ポッターの方を振り向くように見えた。
「どうしてみんな、じろじろ見ているの?」
リザやローズと一緒に首を突き出していたアルバスが、他の生徒たちを見ながら聞いた。
「君が気にすることはない」
ロンが言った。
「僕のせいなんだよ。僕はとっても有名なんだ」
これには、アルバスも、ローズ、リザ、ヒューゴ、リリー、そして、デルフィーニも笑った。
汽車が動き出すと、デルフィーニは興奮で輝いている義妹の顔をじっと見ながら、大きく手を振った。自分が汽車に乗らず、義妹だけがホグワーツへ旅立つのは、なんだか生き別れになるような不思議な気持ちになったが、デルフィーニは微笑みながら手を振り続けた。
蒸気の最後の名残が、秋の空に消えていった。
「デルフィーニ」
デルフィーニがホグワーツの方を見つめていると、義母がそっと呟くように話しかけてきた。
ホームには、薄らホグワーツ特急の蒸気が残っていた。
セレネは、リザを寂しそうに見送った義娘に問いかける。
「デルフィーニ。いまは、幸せですか?」
「……はい!」
デルフィーニは突然の問いかけに少し驚いたような顔をした後、満面の笑顔で答えた。
嘘をついているように全く見えない、問答無用で幸せそのものの笑顔だ。セレネは義娘の笑顔を見ると頬を緩めた。
「……そうですか。良かった」
その笑顔を見れただけで、ここまで育ててきた甲斐があったものだ。
これなら近い将来、彼女に出生に関する秘密を明かしたとしても、人の道を踏み外すことはないだろう。
「お母さん?」
デルフィーニが不思議そうな顔をしている。セレネは彼女に微笑み返すと思いっきり伸びをした。そして、かつて義父から貰った銀時計を開いてみる。
「南米行きの移動キーが出発するまで、まだ時間がありますね。それまで、ロンドンで時間を潰すとしますか」
「……お母さん、アマゾンへブロッコリーの買い付けに行くの?」
「極地で育つ品種の研究です」
さらっと嘘をついたが、まあ他に言い様がない。
魔法省大臣直轄秘密情報部の隊長をしているなんて、口が裂けても言えるわけがなかった。
闇払いがイギリス国内の治安を保ち、闇の魔法使いと戦う軍隊的な一面が強いのに対し、セレネが新設させた機関はイギリス魔法界の重要政策に関する情報の収集及び分析し、その他の調査に関する事務組織だ。
つまるところ、国内外の諜報や情報工作が仕事である。
主目的はヴォルデモートに次ぐ悪の存在を排除したり、各国魔法界の動向に関して情報を収集することだが、実際は、魔法の隠蔽工作が主だっていた。
21世紀になり、マグルの情報メディアは飛躍的に発展を遂げている。
魔法の存在が露見するまで、そう時間はかからないだろう。
マグルの魔法再発見が目前に迫っていることに対し、イギリス以外の諸国における魔法族全般的に危機意識が薄い。
100年前までなら問題にならなかった魔法が、現代では隠匿できないことが多いのだ。
セレネの主仕事は、国内外問わず魔法の再発見を遅らせること。
本当は他の国の魔法族の力も借りたいところだが、危機感が薄いのだから仕方ない。
その間に、イギリス魔法省大臣が各国に呼びかけて、注意意識を促す算段だ。
今回の仕事も、とある魔法生物を眠りから呼び起こそうと、猫系魔法族が接近中との情報を受けての出動だ。あの魔法生物が目覚めたら最後、マグルに魔法生物の存在が露見し、世界が混乱に包まれてしまう。
接触計画の阻止と魔法族の捕獲、最悪の場合、排除することになるのだが……移動キーの出発時刻は動かしようがないし、選りすぐりの先遣隊が派遣済みだ。
数時間程度、問題ない。
なお、この職につくにあたり、セオドールと一悶着あったわけだが、それは別の話だ。
「デルフィー、行きたい場所はありますか」
「私の?」
「普段は色々とリザに譲っているでしょ? 数時間しかありませんが、今日は貴方の我儘を聞きたいんです」
セレネはまっすぐな気持ちを伝えた。
デルフィーニはぱちくりと瞬きをすると、鼻の辺りまで赤く染めながら顔を背け、ほとんど聞き取れないくらい小さな声で
「一緒にご飯が食べたい、かも」
と囁いてきた。
セレネは表情を緩めた。
「ええ、行きましょう。お代はお父さんに全部払ってもらいましょうか」
セレネはデルフィーニと並んで歩きながら、ちらっとセオドールに視線を向けた。
「お、おい! オレはマグルの金なんて持ってないぞ!?」
「立て替えますのでご安心を。デルフィー、せっかくだから高級ホテルのフレンチでも行きます?」
「うーん、それもいいけど、ロックなレストランに行きたいな」
デルフィーニの舌は意外とジャンクである。
顔程もあるハンバーガーやステーキが大好きだ。
ついでにいうと、ロックが好きで、自宅にいるときはエレキギターを弾いている。最近では、趣味の範囲で動画サイトにアップしているらしい。
貴族的な純血主義で凝り固まった本来の両親が知ったら嘆くだろうが、そんなこと知ったことではない。
デルフィーニはデルフィーニだ。
特殊な魔眼持ちでヴォルデモートとベラトリックスの子だとしても、関係ない。グリンデルバルドにそそのかされても悪に屈することなく、マグルに忌避意識を持つこともなく、純血主義に染まることもなく、まっすぐ育ってきた。
19年、セレネが育ててきた自慢の愛娘だ。
「では、そこに行きましょう。ですが、あの店は結構量が多いですよ」
「平気よ。食べたいものを片っ端から注文して、残った分は、お父さんに食べてもらえばいいわ」
「デルフィーニ!」
「ま、その通りですね。彼のおごりなので、派手に頼みましょうか」
「セレネまで! オレは了承してないぞ!!」
セレネとデルフィーニは顔を見合わせて笑った。
セオドールの声を背中に聞きながら、セレネとデルフィーニは連れ添って歩いた。
あれから、19年。
セレネの世界は、どこまでも平和だった。
2014年の冬から5年。
ようやく「19年後」まで書き終わりました。
あの頃はそもそも「呪いの子」が世に出ていなかったので、この次の話が本来の最終話となります。
実は、私、ロンドン旅行中です。
偶然「19年後」を更新する日をロンドンで迎えるのはミラクルと表現すべきか、なにかの導きと表現すべきなのか。とても不思議な感じです。
せっかくなので、キングズクロス駅の9と4分の3番線で更新したかったのですが、時差とか考えるのが大変なので、日本出立前に予約投稿しました。
……そこが、ちょっと悔しい
ロンドンのホテルで、この99話を読もうと思います。
100話は8月2日0時に更新します。