それは星の悲しみ それは星の嘆き
白と金、黒と金、火花が散り散り、舞い踊る。剣と刀が巡り合う度、闇夜の世界を武闘の華が彩る。翠が翔ける、影が駆ける。金音が鳴り、相克を成す。
黒が熾天使の喉笛を穿たんと奔った。それを首を傾ける最小限の動きで避け、お返しとばかりに横薙ぎに金を振るう。
白が金の軌跡を断つが、途轍もない衝撃が神殺しを襲い、苦痛に顔を歪めた。
星琉とミカエル。両者は運命の悪戯とでも言うべきなのか、異様な程に対極の位置にあった。
星琉は二刀流という、手数の利によって敵の攻撃を防ぎ切り、翻弄させ、隙を見出し、あるいは生み出させて果敢に攻め立てる『動』であり『量』であり『柔』の剣であるのに対し、ミカエルは竜という巨獣を相手取ってきた故か積極的に動く事はなく、僅かな突破口を見つけて一撃一撃が必殺の威力を備えた斬撃を放つ『静』であり『質』であり『剛』の剣を両手で振るう。
その威力足るものや、先程アテナ相手に完全に膂力で優っていた星琉が、ミカエルの攻撃を往なそうとすれば軽く吹き飛ばされ、防げば多大な衝撃が身体を襲う事や、戦いの最中、星琉が巧みに回避した際、アスファルトに剣が打ち付けられるとその威力によって十メートル程の地割れが出来たという事からも伺えるだろう。
しかし、一撃一撃が重い為か、手数は決して多いとは言えない。よって、星琉は辛うじて傷を負う事だけは防げていた。
そういうわけで、両者は互いに殆ど無傷。千日手の状態だ。
「母なる海より生まれし
しかし、星琉が権能を発動する為の聖句を唱えた。直後、彼の背に獅子の幻影が浮かび上がり、ミカエルに向かって咆哮する。
ミカエルはその事象に訝しがる。己の身に何かが起こった訳ではない。では、今の聖句は一体何を意図したものなのか?
起こっただろう異常を探っていると、それが何であるかはすぐに明確になった。
己を弑逆しようとする黒の刀を防ぐと、それまで感じなかった力強さを感じた。それに次いで襲って来る、白の刀との連戟。それまではその合間にある小さな空白を突いて反撃していたのだが、剣を振るう速度が今までよりも速くなっており、隙が速度で塗り潰されている。
「せあっ!」
黒の刀を防ぐ。が、同時に襲い掛かった白の刀がミカエルの右腕を少し傷付けた。
背中の翡翠の翼をはためかせ、空中に浮遊して一時離脱し、ミカエルは星琉を見下ろす。
「なるほど。かの悪魔から簒奪した権能は、奴の生み出した十一の魔獣の力をその身に宿す権能。それによってあなたは、獅子の力を宿したのですね」
「…………」
無言で睨み付け、否定も肯定もしない星琉だったが、ミカエルの読みは的中していた。
――『
ティアマトから簒奪し、星琉が名付けた権能だ。
能力はティアマトが神話において生み出した十一の『神に値する』神獣――
それは、ミカエルが言ったように自身に宿すことも出来れば、神獣自身を召喚する事も出来る。
今、星琉が宿した神獣はウガルルムと言い、身の丈数十メートルを越える巨大なライオンだ。
古来、ライオンは王権の象徴であり、身に宿せばあらゆる人間を従える威圧感や、ライオンの持つ怪力、俊敏さ 、強靭さが備わる。
このように様々な能力を持つ権能だが、それ故に発動の条件も存在する。それが、神獣を行使出来るのは一日に一度だけというものや、十一の神獣それぞれに、身に宿す為や召喚する為の条件があるというものだ。
今回のウガルルムの場合、相手が自分よりも膂力、俊敏さ、強靭さが全て上回っていなければならない。
しかし奇妙な事もあって、神獣を行使するのに数の上限はないのだが、何故か一体しか扱えなかったり、地母神に分類されるまつろわぬ神相手には権能自体が使えなかったりする。なので、アテナ相手にこの権能を使う事はなかったのだ。
これは、権能特有の条件のような感覚はしない。星琉としては、まるで初心者でも扱えるようにする為の
何故そんな印象を受け、そのような制限が存在するのか定かではないが、星琉は既に折り合いを付けていて、特に気にしてはいない。
「母なる海より生まれし
星琉の周りに風が渦巻いて竜の形を成し、先程の獅子の幻影と同じようにミカエルに咆哮すると、その形を解いて星琉の身体に融けた。
ムシュフシュとは、元々バビロン神話の神王マルドゥクを倒すために生み出された神獣であり、その事からも強さは神一柱に匹敵する。
十一の神獣の中では最も強力な破壊力を持ち、神話ではマルドゥクの騎獣でもあったので、マルドゥクから突風の加護を得ている。また、都市の守護獣として崇められていた経緯から、災厄を祓う力を持つとされる。
融合条件は『風を操る、又は飛行能力を持ち、かつ《鋼》の属性を持つ敵と相対すること』である。
天翔ける事を許された星琉は、中空に居るミカエルとは少し距離を置いた場所まで飛び上がり、停滞する。
「次は邪神竜……少年、あなたは随分と魔獣達の扱いに手馴れているようですね。恐らくは、魔に魅了され、心を明け渡してしまったのでしょう」
「…………」
権能を操る様子に、悲痛な面持ちで語り掛けるミカエル。対して、星琉は無言を貫く。しかし、ミカエルはそれを特に気にした様子はなかった。
「ですが、案ずることはありません。すぐにあなたの内なる業を裁き、魂を浄化して差し上げます」
そう言うと、ミカエルは自身の胸の前で十字を切った。するとどうだろうか、切った十字が黄金に輝き出し、六つの小さな十字架となってミカエルの周囲を飛び回り始めたではないか!
「業を課せられし憐れな神殺しよ。“封魔”“破邪”“懲悪”“懺悔”“浄罪”“正義”“救済”を顕す、“主”より賜りし十字の聖痕を刻まん」
大気がざわめき、海風が避けろと囁く。
それに従って大きく上空へ飛び上がると、同時に金色の十字架から光線が放たれ、星琉のいた場所を貫いていた。
星琉が回避に成功したと判るや否や、六つの十字架は星琉を三次元的に取り囲み、集中砲火を始める。
「くっ!」
上下左右、正面、背後。空中という場を十全に利用した攻撃に、苦戦を強いられる星琉。
海の沖へ向かうように飛行能力を全力で行使し、自分を射抜かんとする光の矢を回避しながら、状況を打破する手を打とうとする。
「風よ。都を守護せし聖なる――」
「させません」
「ちっ!」
空気を断ち切る音を立てながら振り下ろされる剣を、星琉は双刀を逆手に持ち、腕を交差させながら刀が平行になるように構えて受け止める。
しかし、ミカエルの斬撃は強力だ。聖句の詠唱は中断されてしまった。
「ぐっ!」
三つの光条が星琉の両脚を穿つ。苦悶の声を上げながら、痛みのせいで刀を持つ手が僅かに緩む。
ミカエルはその隙を逃さず、剣を切り上げて双刀の壁を崩すと、がら空きの星琉の身体を一蹴した。
「ぐあっ――!」
その攻撃が綺麗に決まり、大きく吹き飛ぶ星琉。
その先の上空で、五つの十字架が
それが目に入った瞬間、双刀から鼓動を感じ、反射的に星琉は新たな権能の聖句を唱えていた。
「我、破壊神の祝福を受けし者也。我、死を殺せし者也。我、善の聖獣と成りし者也。故に我は万象を分断し、絶縁させ、破壊する者也!」
聖句を唱えた直後に放たれる高熱の閃光。蹴られた時の衝撃で身体が上手く動かせない星琉に回避する術はない。
しかし、両手の双刀が意思を持つかのようにひとりでに動き出し、光線を真っ二つに分断した。よく見ると、双刀の刀身は宵闇色の呪力に包まれている。
双刀に振り回されて崩れた体勢を立て直すと、星琉は刀に語り掛けた。
「済まない、《墜天》」
「《何、気にせんでよいわい。儂はお主の害となる全てを断つ佩刀。当然の事をしたまでよ。……ま、
星琉が《墜天》と呼ぶ刀は彼の権能なのだが、今は権能としての能力により、本来の姿とは別の黒白の双刀の形を採っている。
この墜天自身にミカエルの光線を断つ術はないのだが、星琉の唱えた聖句によって発動した権能に、その力があった。
それが、インド神話の『マハーバーラタ』に登場する、破壊や舞踏の神であるシヴァの祝福を受けた王子『サドゥワ』から簒奪した権能『
この権能は、サドゥワが死神バタリドルガを死神という役職から解放し、天国へと昇天させたという神話を体現した権能だ。
この権能の制御下に置いた物はまず、森羅万象を『分断』する力を得る。
更に、対象に対して知識がある場合、『絶縁』の概念、『破壊』の概念が知識の深さの度合いにより段階的に備わり、『絶縁』の概念が備わると不死性や神格すら『絶縁』させて、『破壊』の概念によってその神格を破壊する『神格破壊』が出来るようになる。
更に、『地球なる女神の守護神獣』と同様の不可思議な制限はこの権能にも存在し、発動している間は常時呪力を消費し続け、任意での解除は不可能であり、星琉が呪力切れを起こすか、対象が生死に関わらず戦線離脱するしか解除されることはない。しかし、それらを加味しても強力な権能であることには変わりないだろう。
「『分断』……破壊神の力ですか。長引かせれば厄介になるかもしれませんね。これで終わりにしましょう」
神妙な面持ちでそう言うと、ミカエルは天に捧げるように剣を掲げ、聖句を唱え上げようとする。
「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の“主”よ! “主”の栄光は地の全てを覆う! されどその光を疎み、忌み嫌い、是とせぬ邪悪なる者在り。おお“主”よ! 全ての父なる偉大な“主”よ! 熾天使ミカエルの名の下に、今一度導きの翼を! 悪魔を降す黄金の焔剣を、私の手に授け給え!」
爆発するように吹き出したミカエルの呪力。詠唱が終わって、仄かに光り始めた黄金の剣。それと同時に東の方角から風が吹き、豪、と火が燈った。
「古代バビロニアにおいて、上では天が命名されず、地が名前を持たなかった時――つまり、原初の混沌とした海しか存在しなかった時代。その原初の女神がティアマトです。塩水という意味を持ち、淡水の意味を持つアプスーという伴侶がいました。この二柱の神を以て海となっていたのです」
朗々とミカエルが言霊を紡ぐ度、火は燃え盛って炎となり、炎は勢いを増して焔となった。
これこそがミカエルの最も特徴的な力。他教の神を悪魔と見做し、来歴を説き明かす言霊によって焔を滾らせ、剣を鍛え上げ、神格を斬り裂き、降魔調伏を成す『まつろわす黄金の焔剣』。
「時は過ぎ、次々と新たな神が生まれ――」
しかし、ミカエルが更に剣を研ぐ為に言霊を紡ごうとしたその時。
風が――大いなる風が、そよいだ。
「風よ。都を守護せし聖なる清風よ。祓い給え、浄め給え。闘争は要らぬ、災厄は要らぬ。我が求むるはただ安寧のみ」
静かに、されど冥き広大な夜空全体に、確かに響き渡るように唱えられた聖句。
それは、先程ミカエルに妨げられたもの。凶を祓い、神の権能すら一時的に封じることの出来る守護の風。
焔が、消えた。呪力で構成されていたが故に、六つの小さな十字架も消え失せた。
「なっ?!」
「――っ!」
自らの武器が消失し、呆気に取られているミカエルの隙を逃すまいと、星琉は急接近して斬撃を放つ。
一合、二合と剣戟を演じ、鍔迫り合いになる。すると、ミカエルは今までとは打って変わった様子で激昂した。
「貴様! “主”が給いし焔を薄汚れた魔獣の風で掻き消すなど、なんと罪深き事を!?」
しかし、星琉はそんなミカエルを気にすることもなく、目を見開き、ミカエルに集中する。
視界が――変わる。
ミカエルの『存在』を見抜く為に、星琉の眼が『縁切り断つ破壊の星運』によって変質したのだ。
反芻する。心中で、仇敵の『存在』を解き明かす知識を。
――ミカエル。“神の如き者”という意味を持つ天使、及び大天使の長。御前の君主であり、『懺悔』『正義』『慈悲』『清め』等多数の属性を持つ天使。また、第四天の支配者であり、イスラエルの守護天使。ヤコブの守護者であり、サタンを成敗する者――
宵闇色の呪力が少しだけ赤みを帯び、黄昏色の呪力に変色した。『絶縁』の概念が宿った証拠である。
「む……?」
権能の変化に懐疑の様子を見せるミカエル。しかし、この天使はその本当の意味をまだ理解していなかった。
――ミカエルは《鋼》に属する天使であり、その要因は様々。竜となったサタン――つまり、《蛇》を討伐しており、後の聖人である聖ジョージの前身となる。また、太陽と水星の守護天使である事から、鉄を鍛えて《鋼》と成す火と水の要素が伺える――
黄昏色の呪力は更に赤みを帯びて、東雲色となった。これが『破壊』の概念が宿った証拠であり、その時になって漸くミカエルは事の重要性を理解した。
「『絶縁』と『破壊』……? それは…… まさかっ!?」
星琉の使った権能の真の力に感付き、驚愕の表情を浮かべるミカエル。
確かに、一番始めの段階で破壊神に由来する権能である事には気付いていたが、それがまさか『まつろわす権能』に酷似した物だとは思いも寄らなかったのだ。
「くっ……咎人の分際で!!」
焦りの表情を浮かべたミカエルは鍔迫り合いの状況を強引に崩し、豪快な振り下ろしを繰り出した。
風切り音と共に迫り来る凶刃。しかし星琉はそれを、逆手に持ち替えた白の刀だけで受け止めた。
「何だと!?」
自身の予想が裏切られた故に、戸惑いの声を上げるミカエル。
本来であればその膂力の差により、星琉は斬撃の衝撃に耐え切れず後退し、仕切り直しの状況となっていただろう。
だが、『縁切り断つ破壊の星運』は『破壊』の概念まで宿らせた時、副次効果として身体能力が強化されるのだ。
よって、今の星琉の膂力はミカエルと同等かそれ以上であり、真正面から受け止める事が出来たのである。
――キリスト教においては、死者に救済と不死を与え、信者の魂を永遠の光。即ち“主”の下へ導く存在として『慈悲深き死の天使・聖ミカエル』とされた――
「っ――!!」
「ぐうっ!」
星琉の黒い刺突が、ミカエルの脇腹を
左腕に力を入れる。風翼を使ってやや前方に翔け出すよう上昇気流を巻き起こし、すれ違い様に翡翠色の左翼を真っ二つに下から刈り取る様に斬り裂く。
「あ゛ア゛ぁ゛あ゛ァ゛!!!!」
清麗な天使とは思えないようなしゃがれた悲鳴を上げるミカエルだが、星琉はそれでもまだ足りないとでも言うかのように、更に刃を鍛える。
――ミカエルは確かに《鋼》の属性を持つ天使。だが、『不死』の属性を備える逸話は存在しない。それなのに何故『不死』足り得るのか……それを解く鍵は、ミカエルに与えられた階級にある――
響き続ける剣と刀を打ち付け合う金音。それは、星琉の内の激情を表すかのような熾烈さだった。
――『熾天使』という名前は『燃える』『焼却する』『破壊する』というヘブライ語の動詞『saraf』から来ており、熾天使の火を点けて破壊する――即ち、まつろわす能力の事を指す――
目まぐるしく繰り広げられる刀剣の乱舞。それはさながら、鋼の嵐と形容出来るかもしれない。
そんな中、星琉とミカエルの間で
――そしてそれは、エジプトのファラオが額に着けている、金の蛇の蛇形記章から発展したと思われる。翼がない、もしくは二枚、四枚ある蛇形記章は、中近東に広く見られる事象――
輝く粉塵は、双刀と剣が触れ合う度に舞っている。
そう、粉塵の正体はミカエルの持つ黄金の剣の欠片。圧倒的な『破壊』の概念に、刃毀れを起こしていたのだ。
――また、ミカエルの起源はカルデアにある。かつてカルデアで偉大な神として崇拝されていたミカエルと、蛇形記章との関係はかなり密接であると考えられる。更に、『熾天使』の複数形を指す『Seraphim』の語源はカルデア神話に登場する『セラピム』という稲妻の精霊だ。このセラピムは『六枚の翼を持つ蛇の姿をして、炎のように飛んだ』と言われており、ここから転じて熾天使としてのミカエルが『剣』に関連する事も示している。空を切り裂くように見える『稲妻』と、それによって起こる火災、即ち『炎』は『剣』と密接な関連性を持つ事象だからだ――
ミカエルには反撃の手がなく、防戦に徹するしかない。しかも、その攻撃を防ぐ事で精一杯で、刃毀れに気付いていないようだ。
白で金を弾き、黒が天使を斬り裂かんと閃く。ミカエルの首筋に、明確な死線が刻まれた。
――中近東において、蛇は毒や火を吐いて身を守るとされていた。更に、ヘブライ語の『saraf』は火を吐く蛇に対しても使われる。……『翼を持ち、火や毒を吐く蛇』――即ち、『竜』。かつての《蛇》としての己、それがミカエルを『不死』たらしめる理由。そして、キリスト教の教義の中で天使となったミカエルは、人の性格も持っていた――
……見えた、ミカエルという『存在』が。
そして完成する。ミカエルを弑逆するための権能が。
――『翼持つ智慧ある稲妻の蛇』――それがミカエルという『存在』の根源!!――
「ぜああっっ!!!!」
鈍い音が鳴る。星琉がミカエルを完全に説き明かした瞬間に二時の方向に切り上げた黒が、黄金を強打して半ばから折ったのだ。
「ば……かな……」
自身の武器が破壊された事が信じられないといった様子で、身体の動きが止まって完全に死に体のミカエル。
そんな大きな隙を見逃す程、星琉は甘くなかった。
「せいっ!」
白刀を逆手に持ち替え、黒の軌跡を辿る様に斬る。しかし浅い。これでは決定打になりえない。
だから星琉は身体を右に回転させ、逆手に持ち替えた黒刀で後ろ手にミカエルの胸を穿つ。
「がっ……!」
星琉の追撃はまだ終わらない。逆手に持った白刀をもう一度順手に持ち替え、左に身体を回転させて刀を薙ぐ。
その時、“ムシュフシュ”の力を完全に解放し、斬撃にありったけの風を纏わせて放った。
「っ――!」
――透式・暴風閃乱――
「ぐアあ゛ァ゛――!!」
“ミカエル”という存在を、神格を斬り裂いた手応えが確かにあった。
白刀の一閃はミカエルの鎖骨下を斬り裂き、放たれた暴風はミカエルを吹き飛ばしながら、鎌鼬でその身体を乱れ斬りにして行く。
暴風が凪いだ。ミカエルは事切れた様子で、海へと墜ちて行く。星琉はそれを追撃することもなく、ただ見つめていた。
本当ならば、先の斬撃でミカエルの首を撥ねるつもりだった。しかし、『地球なる女神の守護神獣』であった不可解な制限と同様に、『縁切り断つ破壊の星運』にも使用した際の副作用のようなものがあり、それで腕が下がってしまったのだ。
その副作用とは、全速力で超長距離を走り切ったような極度の疲労。それに加え、命懸けの戦いという極度の緊張状態でもあったため、精神的疲労もあるようだ。
「はぁっ……はぁっ……終わった……」
目を閉じて、まるで何かに伝えるかのように天を仰ぐ星琉。
……後は、アテナを殺すだけ。
その思考に胸の痛みを感じながら疲れた身体に鞭打って、もう一つの戦場へと飛んで行こうとした時、東の空が紅く染まった。
太陽が昇る。おそらく、護堂の持つウルスラグナの権能の化身だろう。そしてそれは、おそらく『白馬』だろうと星琉は予想していた。
東から西へと馬車で空を駆る太陽神の伝承は、多くの文明で見られる。ウルスラグナの仕える光明神ミスラも同様の神話を持つ故に、『白馬』の化身は太陽と密接に関係する力なのではないか、と考えていたのだ。
冥府神のアテナにとって、太陽の力というのは天敵だ。これで決着が着くと言うのなら、それが最高ではあるのだが、はたして……。
◇◆◇◆
己を堕とそうとする星の引力を、与えられた傷のせいで無抵抗に受け入れさせられながら、ミカエルは自分が間違っていた事をようやく理解した。
あの神殺しは……『アレ』は違うのだ。私の救済を必要としない、存在自体が罪悪の、“主”が必要としない存在なのだ。
だが、自分はそれを見抜く事が出来ず、断罪の剣を受け入れてくれるのだろうと、目前に迫る『死』という救済に、一時の恐れを抱いているだけなのだろうと勘違い――油断していた。
「(情けない、不甲斐ない。天秤を持つ私が邪悪を見抜けないなど……)」
沸々と、憤怒と憎悪の感情が込み上げて来る。それは自分にでもあり、自分を討ち倒して存在する神殺しにでもある。
何故私が墜ちているのか、何故私が見下ろされているのか。
そこに居るべきは私のはずだ。破邪顕正を為し、信者を導く私のはずだ。
何故、奴が存在することを許されているのか。
……許せない。
許せない許せない許せない許せない赦せない赦せないゆるせないユルセナイ赦せないユルセない赦せナイ許セなイユルせナイ許せナい許さナい赦さなイ赦サナいゆるサナイユルさなイ許さナい赦サナい殺し害し滅ぼし消し去り斬り裂き燃やし破壊し八つ裂きにし焼却し切り刻み首を撥ね心臓を穿ち目を斬り腕と脚を切り落とし慈悲を乞わせ乞わせ乞わせこわせコワセ壊せ壊せ壊せ――!!!!!!!!!!
呪詛に応えるかのように、ミカエルは東の空から同胞が顕れるのを感じた。それも、自身の力となる太陽を引き連れて。ミカエルは、その太陽の出現を“主”からの啓示と受け取った。
即ち、『今一度、神殺しを滅ぼせ』と。
感動で、涙が溢れた。既に敗北したとも言えるこの状況で、まだ“主”は自分に機会を与えて下さるのか、と。
「“主”の……御心のままに……」
神殺しに直接神格を斬り裂かれたせいで、ミカエルに残された神力は決して多くはない。
しかし、その少ない神力は『ただ同胞を呼び寄せる』という単純な指向性と、『“主”の啓示を果たす義務感』――つまり、ミカエルの『自己存在意義』の強化によって至純へと達し、今この場で一番の力を得た。
「来たれ、太陽を守護する我が許に。同胞よ、白馬へと化身し、古き我が七光を運ぶウルスラグナよ。常勝不敗の貴方の“勝利”を、私の手に齎し給え」
◇◆◇◆
「っ――!?」
息が詰まる。喉が渇く。驚愕に、目を見開く。
響くはずのない声を、唱えられるはずのない聖句を、星琉は感じ取った。
闇夜に昇り切った太陽から放たれる、灼熱のフレアの閃光。それはあろうことか、星琉の頭上を通過して海へと――ミカエルが墜ちた場所へと照射されていた。
されど海水が蒸発するようなことはなく、まるでその閃光を飲み込んでいるかのようだ。
少しして、閃光の着水点から天を衝く様に白い光柱が立った。
……いや、『天を衝く様に』ではなく、『天に捧げる様に』という表現の方が正しいかもしれない。
数分後、並々と海へ注がれた閃光は消え去り、東の空に昇った太陽もまた、自然の中へ沈んだ。
同様に、光柱も段々と細くなって行き、最後には光の糸となって消えた。
「聖なる、聖なる、聖なる万軍の“主”よ。“主”の栄光は地の全てを覆う。されどその光を忌み嫌い、是とせぬ邪悪なる者在り。おお“主”よ。全ての父なる偉大な“主”よ。熾天使ミカエルの名の元に、今一度導きの翼を、悪魔を降す、まつろわす白金の焔剣を、私の手に授け給え」
先程聞いて、直後に無効化した聖句がまた聞こえた。それは己の“主”を奉るような響きではなく、決意を告げるような響きだった。
言霊を紡ぎながら光柱から現れたのは、六つの白焔の剣を翼にし、右手に薄く光を放つ、刃の部分が波打つ焔のように変化した白金の大剣を持った天使。
紛れも無い、先刻殺したはずのミカエルだった。
「嗚呼、“主”よ。貴方の御慈悲に感謝します」
瞠目していた目を開く。その瞳は、金色に輝いていた。
「神殺しよ。私はどうやら勘違いをしていたようですね」
淡々と、何の色も読み取れない、ただ事実を再確認する声が響く。
「私は貴方を、要らぬ業を背負わされた憐れな人間なのだと、私が救うべき人間なのだと、そう思っていました」
「…………」
星琉は何も語らない、語れない。おそらく、何を言った所で天使は耳を貸さないだろうから。
「だが違う。貴様は奴と――サタンと同じだ。存在してはならない、禁忌の者」
口調が変わった。それと同様に、ミカエルの纏う威圧が、殺気が、その質を変えた。
白金の大剣を天に掲げる。すると、翼剣が折り畳まれて大剣と融合して行き、優に五十メートルを越える、もはや武器ではなく兵器と言うべき、太陽のフレアを纏った燦然と輝く剣となった。
「私は、“主”の勅命により、お前の存在を滅却する。――神殺しよ、懺悔の時だ」
――悔い改めよ――
陽はまた昇るのだ 何時の時代も