神典【流星の王】   作:Mr.OTK

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 夜の帳が落ち、いくさの時は迫る


伍 その女神の名は

 星琉がエリカに抱いた第一印象は『女王』だった。

 

 赤み掛かった金髪は長く艶やかで、豪奢めいた印象を与えている。しかしそれだけではなく、彼女の身に纏う雰囲気がそう感じさせるのだろう。

 

「どうしたの、護堂? メドゥサに見つかった侵入者みたいな顔をしているわよ」

 

 蜂蜜のような甘い声で護堂に呼び掛けるエリカ。しかし、呼び掛けられている当の本人はため息をついた。

 

「そりゃ、会うはずのない人間と出くわしたからだ。おまえな、ここは東京だぞ。ミラノじゃないんだぞ? こんな所で油を売っている理由は何だよ?」

 

「理由? 相変わらずバカな人ね。遠距離恋愛中の恋人が、相手の住む町にやってくるのよ。愛しい人の顔を見るために決まっているでしょう?」

 

 護堂の傍へと寄り掛かるエリカ。彼女の服装は黒のタンクトップに赤いカーデガンを羽織り、下はデニムのパンツという出で立ち。そんな格好をした金髪の少女と古めかしい神社の境内との組み合わせに、星琉は当然、違和感を覚えざるを得なかった。

 

「こっちへ来て、護堂。あなたがいるべき場所は、いつだってわたしの傍なんだからね」

 

 護堂の腕を取り、自分の腕と絡めて傍へと引き寄せるエリカ。

 

 その様子に、やはり調査書に間違いはなさそうだな、と思う星琉は、逢瀬を楽しもうとする二人に苦言を呈そうとした祐理を手で制し、言葉を掛ける。

 

「魔術結社《赤銅黒十字》に所属する、《紅き悪魔(ディアヴォロ・ロッソ)》のエリカ・ブランデッリさんですね? 貴女方の仲をとやかく言うつもりはありませんが、貴女が今ここに現れたのはこの神具と関係あるのでしょうか?」

 

 星琉のその言葉にエリカは目と口の端を吊り上げて、どこか満足げに答える。

 

「あら、鋭いじゃない。A評価をあげてもいいわね――実は、わたしよりも先に来たのを追いかけて、日本まで飛んできたのよ」

 

「……来たって、何が?」

 

 半ば予想がつきつつも、先を促す護堂。エリカはその問いに答える。

 

「もちろん『まつろわぬ神』が。護堂がローマであった女神さまと特徴が一致するわね」

 

「やっぱりかよ!」

 

 護堂の嘆きの叫び声と同時に、星琉も舌打ちをしてしまう。

 

 最悪の想定が当たってしまった。日本の、それも都会である東京で、被害を考えずに全力を出せる場所は皆無と言ってもいい。

 

 まつろわぬ神がやって来たという事実に、祐理も顔が青ざめている。

 

「何でローマから追いかけてこれるんだよ? 俺は自分の出身地なんて話してないぞ!?」

 

「その点に関しては、わたしたちが甘かったみたい。海を越えた程度じゃ、誤魔化せなかったのね」

 

 魔術師であればどんな凡夫であれ簡単に予想がつく事態に、肩を竦めながらいけしゃあしゃあと言いのけるエリカに苛立ちを感じながらも、星琉は冷静に事の成り行きを見守る。ともかく、『まつろわぬ神』の情報を集めなければ……。

 

「少し前から聞いていたんだけど、彼女は霊視術の使い手みたいね。ちょうどいいから、どこの神様が来たのかを託宣してちょうだい」

 

 まるで知己の仲であるかのように、また、そうしてもらうことが当然であるかのように言いのけるエリカ。そんな彼女の不遜とも取れる態度に、星琉は表情を僅かに曇らせる。

 

「託宣? そんなことが出来るのか?」

 

「多分ね。今此処にはゴルゴネイオンがあり、あの女神と直接出会った護堂もいる。彼女が真の霊視術師なら可能なはずよ」

 

「……と言うことなんだけど、もし良かったらお願いできないかな? いや、もちろん事の元凶は俺達だし、頼めた義理じゃないってのは理解してるんだけど、この通り」

 

 祐理に対して頭を下げる護堂に、星琉は彼の評価を少しだけ上方修正する。

 

 やはり見る限りではあるが、どうも戦闘好きには見えない。日常生活を好む普通の高校生。いくら霊視術師とはいえ、祐理は一介の呪術師に過ぎないのだ。そんな彼女にこうしてきちんと頭を下げて頼むという護堂の姿勢は、評価に値する。

 

 もしかしたら破壊行動を起こしたのも何か理由があったのかもな、と考えを改めながら、こちらに視線を向けている祐理に一つ頷き、霊視をするよう伝える。

 

「分かりました。では草薙様、そのメダルを右手に、御身のお手を左手にお預け下さい」

 

「あ、ああ、それは別に良いんだけど……あのさ、万里谷さん、その話し方はやめてくれないか? 俺と同じ一年生なんだよな。だから別に、吉良と一緒で敬語じゃなくていいよ」

 

 護堂のその言葉にキョトンとする祐理。奇しくもそれは、吉良が彼女に言ったそれとよく似ていた。

 

「で、ですが、身分だって違いますし……」

 

「身分って、いつの時代の言葉だよ。俺はそんな大したヤツじゃないぞ。……まあ、慣れてないなら無理しなくて良いけど、せめて、もう少し気楽に話してくれ。あと、俺は君の事を万里谷って呼ぶから、そっちも呼び捨てにしてくれ。草薙でも護堂でもあだ名でも、好きにしていいから」

 

「あら護堂。わたしがいる目の前で他の女を口説くだなんて、いい度胸してるじゃない」

 

 そんな護堂の物言いに、少し面白くないといった表情をするエリカ。若干青筋を立てているように見えなくもない彼女に、護堂は声を荒げて反論する。

 

「全然違う! 俺は単純に堅苦しいのが嫌で、名前で呼び合わないかって言っただけだろ!?」

 

 取りようによってはどっちにも取れるな、なんて至極下らない事を考える星琉。万里谷の返答は……?

 

「では、草薙さん……と。それでよろしいでしょうか?」

 

「ああ、それでいいよ。……なあ万里谷、ちょっとずつ下がってってないか?」

 

「き、気のせいでしょう! ええ!」

 

 いや、気のせいではない。確かに万里谷は少しずつ下がって護堂と距離を取っていっていた。おそらく、エリカの『口説く』というからかいの言葉を額面通りに受け取ってしまったらしい。どうやら、呼び方についての距離は縮まったが、心の距離はむしろ離れてしまったようだ。

 

 そそくさともう一度護堂の近くに行き、右手にメダル、左手に護堂の手を恐る恐る受け取る。その様子に、護堂は若干心に傷を負った。

 

 そんなことは露知らず、祐理は霊視を始める。

 

「草薙さん、あなたは以前、到来したまつろわぬ神と遭遇されたのですね。その時、どのような印象を抱かれましたか?」

 

「そうだな……夜。あの女神がどんなヤツかは知らないけど、俺は夜の神様だと感じた」

 カンピオーネの直感というのは馬鹿にならない。常人とは比べ物にならないほど鋭いのだ。

 

 護堂の夜という単語に、祐理の内でぼやけたイメージが浮かび上がり、次第に確かな形と成っていく。

 

「夜……闇夜の瞳と、月の髪を持つ幼き……いえ、幼いのではなく、古の位と齢を……《蛇》を略奪されたが故に幼く……まつろわず……。その名は……まつろわぬ神霊の御名は――!!」

 

 さっと右手を引き、ギュッとゴルゴネイオンを握り締める祐理。

 

 護堂も少し影響を受けたのか、目を見開いてエリカと目配せし合った。

 

「視えたようね。どうだった? もしかして、あなたも知ってる女神さまだとか?」

 

「アテナ……だね?」

 

 ほとんど確信を持った様子で、鋭い眼差しで護堂とエリカを見遣る星琉が先に答えた。それに、祐理は信じられないといった様子で頷きを返して答える。

 

「――はい。吉良さんのおっしゃる通り、草薙さんが遭遇し、日本に到来した女神の御名は、おそらくアテナです」

 

 

◇◆◇◆

 

 

 護堂とエリカが慌ただしく七雄神社を発って暫く。星琉は『まつろわぬ神』らしき超自然の者を発見したという報せを持ってきた甘粕と話していた。

 

「草薙君の事ですが、なんというか……自覚が足りない、というのが僕の抱いた印象ですね。彼はまだこちら側の事をよく分かってないのかもしれません。もしくは逃避しているのか……。ただ、自ら好んで破壊の限りを尽くすような性格ではないと思います」

 

「ふむ、そうですか。ご報告、ありがとうございます。それで、彼らが招き入れた『まつろわぬ神』というのは、一体どんな神様なんです?」

 

 甘粕の問い掛けに、星琉は厳しい面持ちで答える。

 

「智慧といくさの女神、アテナです。また厄介な奴を連れて来てくれました……」

 

 多少げんなりした様子の星琉の答えに目を見開く甘粕。まさかそんなビッグネームが出るとは思っても見なかったのだろう。

 

 しかしその後、逆に甘粕は納得したような顔になった。

 

「ははあ、なるほど。それなら今広がっている暗闇にも納得出来ますね。確か、かの女神さまは月――つまり、夜の属性も含んでいたはずですからね」

 

「それで、星琉さんはどのようになさるのですか?」

 

 落ち着いている甘粕とは対照的に、『まつろわぬ神』という超常の者が現れたことに対して、動揺している祐理は尋ねる。

 

「アテナはまだ完全じゃない。だからこそ、このゴルゴネイオンを求め、自身の完全な力を取り戻そうとしてる。だから……」

 

 

 

「その前に、殺す」

 

 

 

 星琉が何か呪術を唱えたわけではない。ましてや、権能を使ったわけでもない。なのに、甘粕と祐理は周囲の温度が下がったように錯覚し、心臓が締め付けられているような感覚がした。

 

 星琉から発せられる、紛う事なき殺気。それが、二人の感覚を狂わせている。

 

「二人は早く、ここから避難して下さい。すみません、甘粕さん。もう少し準備する時間があれば、幽世に連れ込んで被害を抑えられたんですが……多分、色々壊してしまうと思います」

 

 申し訳なさそうに言う星琉に、少しは慣れたのか、甘粕はまた普段の飄々とした顔に戻り、星琉の懸念を少しでも軽くする言葉を送る。

 

「いえいえ、たらればを言っても仕方がないですし、私達は元々そういう間柄でしょう。吉良さんはただ、全力を以てまつろわぬ神を打倒して頂ければいいんですよ」

 

「……助かります」

 

 甘粕の言葉に少し心が軽くなったが、出来るだけ被害を出さないようには気を付けようと思う星琉だった。同時に、すぐに頭の片隅に追いやられるだろうな、とも思っていたが。

 

「吉良さん……」

 

 呼ばれた星琉が祐理の方を見る。

 

 祐理は、何かを祈るように胸の前で手を組み、少し悲しげな表情で星琉の目をじっと見詰めていた

 

「……御武運を」

 

 たった一言。けれど、その言葉には強い想いが篭っていて――

 

「……うん、ありがとう」

 

 自分の勝利を願ってくれる少女に柔らかく微笑み、星琉は七雄神社を後にした。

 

 向かう先は、闇を広げ続けながら悠然とこちらに歩を進める女神の許へ……。

 

 

◇◆◇◆

 

 

「さて、吉良さんもああおっしゃられていましたし、私達は退散しましょうか」

 

 なんというか、微妙に緊張感を持っていないように見える甘粕の態度は素なのだろうか、と時々思ってしまう祐理。

 

 彼女の視線は甘粕には目もくれず、ただ星琉が向かった方向を見続けていた。

 

「甘粕さん。私はここに残ります。なんだか、胸騒ぎがするんです」

 

 星琉が自分に微笑み掛けた時、なんだか彼がひどく遠い場所へ行ってしまうような感覚を覚えた祐理。だからこそ、彼女は星琉の言い付けを破って、七雄神社に残ろうとしていた。

 

「……はぁ、霊視術師のあなたの直感は馬鹿に出来ませんからねェ。給料以上の働きはしたくないんですが、祐理さんに何かあったらどやされるのは私ですし……。仕方ありません、私もここで、吉良さんの代わりに万里谷さんの護衛もどきをしながら、王の帰還を待つ事にしましょうか」

 

「はい、お願いします」

 

 やれやれ、と肩を竦める甘粕に有難さを感じながら、祐理は返事をする。

 

 拡がり続ける闇は、遂に七雄神社をも覆った。

 




 流星は裂かんとし、その輝きを増す

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