祐理の話によると、先日の会食が終わった後に、馨から『今週中に携帯電話を持っておくように』と言われたらしい。何でも彼女との連絡を取るのに四苦八苦したのが原因だとか。
祐理としては正直不要だと思っていたのだが、馨から『東京分室の室長――ひいては委員会からの命令』と厳命されてしまっては何も言えない。しかしながら祐理は重度の機械音痴であり、何が何やら判別がつかない。両親に頼ってみてはと星琉は言ったのだが、その両親は共働きで付き合って貰えるような状況ではないと言う。
なるほど、先日の会食があったのは日曜日だ。今日はその日から一週間と経っていない。社会人に春休みは存在しない方が多いので、確かに今までは両親と共に行く機会はなかっただろう。
それに、今朝方友達のように接して欲しいと言ったのは自分自身だ。この程度の範疇であれば、頼ってもらう事、手を貸す事に何の問題もない。魔術絡みでないのだから当然ではあるが。
あるいは、こうして接点を持たせるのが彼女――というより委員会の狙いなのかもしれないと考えたが、流石にそれは邪推が過ぎるかと頭の隅に追い遣った。祐理に対する星琉の今に至るまでの印象は『清浄そのもの』だ。とても権謀術数に長けているとは思えなかった。
これでも、他人を見る目はあると星琉は自負している。何よりも自らが扱う天元流は『理解する』『把握する』という事に重きを置いているのだ。
――世界や自然を把握し、その理を理解し、己の業とする。
――敵を見て、その肉体や技量を把握して、その精神を理解して、己の流れに引きずり込む。或いは相手の流れを乱す。
それが『天元流』という流派の特徴。その中で行われた修練や実戦で、星琉は自然と人を見る目が養われていたのだ。
こんな些細な事に対しても深く考えなければいけないなんて、自分の考えすぎだろうかと自問すると共に、政治的な駆け引きというのは面倒だなぁという呆れに似た感情を抱き、星琉は祐理に提案したのだ。
即ち、携帯選び、よければ付き合おうか? と。
祐理は一瞬呆気に取られたような表情を見せたが、すぐによろしくお願いします、と軽く頭を下げたのだった。
しかしながら、祐理にはやらなければいけないことがあるのだという。妹が帰ってくるから、昼食を作りに帰らなければいけないと。
そういう訳で昼食は別々で取り、確認する限り祐理の家と星琉の住むマンションは近かったので、また後で待ち合わせをしようという結論に落ち着いた。
そして、午後二時。城楠学院の通学路の途中にある街路樹の一角。
「お待たせしてすみません、吉良さん」
「ううん、今来た所だから大丈夫」
星琉はベージュのチノ・パンツに白のシャツ、黒のベストとモノトーンに纏めた格好で立っており、非常にリラックスした様子だった。対して祐理は彼女の雰囲気通りのふわりとした白いワンピースを着ていた。
「それじゃあ、行こうか」
「はい、よろしくお願いします」
◇◆◇◆
待ち合わせ場所を発って三十分。二人は目的地のとある携帯電話販売店に到着していた。店内に入った瞬間に目に入る、様々な機種のディスプレイ。そのあまりの数の多さに、機械類が苦手であると自負している祐理は変に気圧されてしまう。
「えーっと、万里谷さんはどんなのがいい? デザイン重視とか、機能性重視とか」
携帯電話の立て掛けられた棚から棚へと歩き続ける星琉が、祐理に訊ねる。
「か、簡単なのがいいです……」
ディスプレイのそばにある簡単な説明を読んでも、何が何だかさっぱり分からない祐理は力なさげに答えた。
「簡単なの? じゃあ、これでいいかな」
そう言って星琉が手にしたのは、星琉が持つ携帯電話と色違いの同機種。いわゆるスマートフォンというやつだ。
『最新機種=操作が複雑』という等式が頭の中で成り立っている祐理は、一瞬呆然としてしまう。しかし、すぐに気を取り直して星琉に抗議の声を上げた。
「無理です! こんな難しそうなもの……!!」
「そうかな? そんなに難しくないと思うんだけど……。それに、これなら僕が教えられるよ?」
うっ、と祐理は言葉に詰まる。こういう物には必ず取り扱い説明書が付いてくるが、それを理解するのにも四苦八苦する祐理には、星琉から教えてもらえるというのは実に魅力的なものであった。
うんうん唸りながら思案する祐理だったが、やがて伏し目がちに星琉を見て、それでお願いします、と了承するのだった。
カウンターに行って順調に契約を進めて行くと、店員がこんな話を持ち掛けた。
「料金プランなのですが、家族割、友達割、それと……恋人割というのもありますが、いかがなされますか?」
「はい?」
にこやかに話しかける店員を見てポカンとする祐理。
家族割、友達割は分かる。しかし、恋人割というのは……?
そんな風に祐理が疑問に思っていると、星琉が店員に間違いを指摘した。
「ああ、違いますよ。僕と彼女はクラスメートです。機械が苦手だと聞いてアドバイスを求められたので、付き添いとしてここにいるんです」
「あ、そうだったんですか〜。てっきり美男美女のカップルかと」
「か、カップル?!」
自分とは全く縁のない言葉を聞いて思わず声を上げてしまう祐理。周りの人からはそういう風に見えるという事実に、驚きしかなかった。
店員の間違いに、祐理は大慌てで反論をまくし立て始める。
「そ、そんな! 私と吉良さんはそんな関係ではありません!! 実際にお会いしたのはとある事情があってのことですし、今日こうしてお付き合い頂けたのも吉良さんがお優しいからで、そんな恋仲という特別な関係であるわけではなくて……」
「ま、万里谷さん、ストップストップ!」
はっ、と我に返る祐理と苦笑気味の店員。こちらを注目する他の客。祐理は色々な意味で恥ずかしくなって縮こまってしまう。
そんな些細なトラブル(?)はあったものの、無事に契約を終えた祐理。
ありがとうございました〜、という店員の言葉を背に受けながら二人は店の外に出た。
「さ、さっきは、お見苦しい所をお見せしてしまい、すいませんでした」
恥ずかしげに声を潜めながら、しかし確かに星琉に聞こえる音量で謝罪する祐理。星琉は一瞬何の事か分からなかったが、直ぐに理解した。生真面目な人だなぁ、などと考えながら、星琉は応える。
「気にしなくていいよ。万里谷さんみたいな美人さんなら、むしろ得した気分だから」
「び、美人!?」
「うん。知らない? 万里谷さんって学年で一番美しい女子って言われてるみたいなんだけど」
「何ですかそれは!?」
それは、星琉が一年五組の近くに座っていたクラスメート――
星琉のような編入生以外、つまり中等部から高等部へエスカレーターで進学した生徒の間では、祐理と星琉がどういう関係なのかという噂で持ちきりだったらしい。一応星琉は家が近所だったと言っておいたが、どこまでそれが正しく伝わっているか……。
それはともかくとして、どうやら祐理自身は噂を知らないようだ。驚愕、困惑、羞恥と次々と顔色を変えて行き、それを見て星琉は朗らかに笑った。
◇◆◇◆
うららかな春の陽射しに身を照らされながら、二人はとあるカフェでティータイムを楽しんでいた。というのも、星琉がどうせだったら設定まで終わらせてしまわないかと提案し、それを祐理が受け入れたからだ。
「さて、じゃあ始めようか」
「は、はい! よろしくお願いします!」
椅子を立ち、緊張気味な祐理の脇に立ってあれこれと指示する星琉と、それを聞きながらあたふたと操作をする祐理。端から見れば実に仲睦まじいように見えて、暖かい視線が集まっていた。ただ、一部は陰鬱な雰囲気が漂っていたが。
それから三十分後……。
「お、終わりました……」
柄にもなく椅子の背に深くもたれ掛かりながら、祐理は大きく息を付く。機械音痴であることをぽろっと零してしまった祐理は、その後更に電話やメールの使い方を細かく教えられることになってしまい、余計気疲れしてしまったようだ。
「お疲れ様、万里谷さん。これで電話とメールは大丈夫かな?」
「おそらくは。まだ、少し不安ですが……」
「まあ、そこは慣れるしかないかな」
意外と長くなってしまい、もう一杯注文したコーヒーを飲み干しながら星琉は言った。
出ようか、と星琉が促すと、祐理は頷いて立ち上がる。伝票は星琉が持って行き、レジで全額支払った。
祐理は自分も払うといったのだが、星琉は気にしないでとだけ言って支払ったのだ。
「あの、やはり私も……」
「気にしなくていいよ。誘ったのは僕だし、男として甲斐性がある所を見せた方が良いかなー、なんてね」
おどけたように言う星琉に祐理はクスリと笑い、ありがとうございますとお礼を言った。
「そうだ万里谷さん。これから何か予定あったりする?」
思い出したかのように尋ねる星琉。祐理は心なしか、星琉の声に期待の色が混じっているような気がした。
「いえ、特に何もありませんが……?」
「じゃあせっかくだし、このまま街へ遊びに行こうと思うんだけど、一緒にどうかな?」
「お誘いはありがたいのですが……私、街にはあまり詳しくなくて……」
「気にしなくて良いよ。そんなの僕も同じだからさ」
星琉の問いに、祐理は申し訳なさそうな顔をして答える。が、返って来たのは意外な返答。てっきり街の案内を頼まれるものとばかり思っていた彼女は多少面食らうが、結局は街を見て回ることに。
本屋によって気に入った本を立ち読みしたり――
「万里谷さんはやっぱり古典を?」
「はい。やはり巫女ですから、そういう物の方が馴染みあって」
ウィンドウショッピングを楽しんだり――
「あ、あの服かっこいいかも」
「吉良さんは意外とお洒落を気にする方なんですね」
「子供の頃に色々あってね。そういうセンスを磨くように教育されたからさ」
「そうなんですか……」
ワゴン車で売られているクレープを公園のベンチで食べたりと――
「こういうものを食べるのは初めてです……」
「やっぱりお家柄、俗世と関わってはいけない! とか?」
「あ、いえ。単純に媛巫女としての修業が忙しかっただけですよ」
そんな風に他愛のない話をしながら、二人は本当に楽しんだのだった。
◇◆◇◆
「今日はありがとうございました」
「ううん。むしろごめんね、付き合わせちゃって」
「気にしないで下さい。私も楽しかったですから」
夕暮れ時、人によっては世界が一番美しく映る時間。鮮やかな紅い光が照らす電信柱の立ち並ぶアスファルトの道で、二人は歩きながら話していた。
祐理の家はもう目前。星琉の住むマンションまではここからもう少し歩かなければいけない。
「それじゃあ今日はこれで。また明日ね、万里谷さん」
「……あの! 一ついいですか!」
背を向けて帰ろうとする星琉に、祐理は少しだけ大きな声で尋ねる。
星琉と二人で街を巡る中で、祐理は気になることがあった。公園でクレープを食べている時に五歳位の子供達が遊んでいるのが二人の目に入ったのだが、その時の星琉の表情が慈しむような、泣きそうな表情だったのだ。
全く対極に位置する二つの表情。何故そういう風に見えたのかは祐理自身にも分からないが、どうしても気になっていた。
「……吉良さんは、何の為にその力を使うのですか?」
けれど、祐理の口から出た言葉は全く別の問い掛け。
星琉が浮かべた対極の表情の理由。それは、会ったばかりの自分では簡単に踏み込んではいけないと、そう感じさせるもので……。
「……決まってるよ」
それは誇らしげな表情で――
「僕はこの力を、力なき人々を守る為に使う」
哀しげな表情だった。
◇◆◇◆
…………。
もう少し……もう少しです……。
忌むべき魔獣の王に二度も傷つけられ……毒を盛られたこの身体も……直に快復する……。
待っていなさい……異教の悪魔よ……。
私の持つこの剣と天秤……そしてこの位に掛けて……必ずやあなたを断罪し……救済しましょう……。
おお……主よ……!!
闘争の時は近く、神への賛歌が標となろう