神典【流星の王】   作:Mr.OTK

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 どのような人生にも波がある 穏やかな時は、誰にでも等しく訪れる


弐 春風の日々を

 四月一日、平日。CDコンポから流れるお気に入りの音楽を目覚まし代わりに、星琉はゆっくりと布団から身体を起こした。

 

 腕を頭上に伸ばして筋肉を解し、同時に欠伸を一つだけ零すと、布団から抜け出して閉じられたカーテンを開ける。窓の外からは太陽が昇り始める様子と、その山吹色の陽光に照らされる東京の光景が一望出来た。

 

 正史編纂委員会から『相互扶助』の約定通りに宛がわれた住居は、とある十一階建てマンションの八階に位置する1SLDKという少々広過ぎるのではないかという間取りの部屋。正直、星琉としては家賃やら何やらの関係で一階や二階で、もう少し狭くてセキュリティが杜撰(ずさん)でも何の問題も無かったのだが、あちらに引く気がなく是非にと言われてしまい、果ては家賃などもあちらが持つと言われてしまえば仕方が無い。

 

 現在時刻は六時。今日から通うことになる学校の始業式は八時半からなので、十分時間に余裕はある。

 

 眠気でふらふらすることなく、きびきびとした様子で布団を畳み終えると、洗面台で顔を洗い、歯を磨く。それが終わると学校の制服に着替えて、寝巻きはそのまま洗濯機へ放り込む。

 

 シンプルなデザインの黒いエプロンを付けて、冷蔵庫から卵、ベーコン、ヨーグルト、キュウリやレタス、トマトを取り出し、食器棚からボウル型の木皿と小皿、少し大きめの平皿を取り出すと、慣れた手付きで二枚の食パンをオーブントースターに入れ込んで焼き始め、その間にさっとベーコンエッグを作って平皿に盛り付ける。

 

 野菜も適度な大きさに切って木のボウルに容れて簡単サラダに、ボウル型の小皿にはヨーグルトを適量流し込む。

 

 そうこうしている内にトーストが焼き上がった事を告げる音がしたので、焼きたてのそれもまた皿に移し、塩コショウを振り掛けた。ヨーグルトとサラダを冷蔵庫に戻すときにトーストに塗るためのジャムを取り出し、お箸とバターナイフも用意したところでリビングのテーブルへ。

 

「いただきます」

 

 手を合わせ、食材に感謝してから料理に手を付ける。星琉の食べる速さは速くもなく遅くもなくといった所だが、特に量が多い訳でもないので、およそ十五分程度で完食する。

 

 食べ終わるとすぐさま洗い物をして、面倒事を早目に済ませておく。コーヒーを淹れて一服した所で掃除機をかけ、部屋全体をある程度綺麗にすると、時計は七時五十分前を指し示していた。

 

 その時、唐突に星琉は自分の失態に気付く。

 

「あ、そっか……今日からお弁当作らないといけないんだっけ」

 

 九歳という幼すぎる年齢でカンピオーネなどという超自然の存在となって以来、神話や魔術に関する勉強、天元流での修業、その節々で繰り広げられたまつろわぬ神との戦いの日々に明け暮れた星琉は、小学校も中退であるし、中学校にはそもそも入学してすらいない。つまり、これから始まる高校生活は彼にとって六年振りの学校生活なのである。当然、と言って良いのかどうかは分からないが、『お弁当』という概念がしっかりと頭の中に入っていなかったのだ。

 

 お弁当は明日からにして、今日は道中で何か買ってから学校に行こう、そう心に決めた星琉は、学校指定の鞄を持って玄関へ向かう。

 

 靴を履いて、きちんと靴紐を結んで、ふと後ろを振り返る。

 

 まだまだこの部屋には馴染んでいないけれど、それでも、今日から新しい生活が始まって、ここは自分の帰って来るべき新しい家で……そう考えると、なんだか心が躍った。

 

「……いってきます」

 

 返事は当然無かったけれど、まるで自分が『普通』の高校生になれたような気がして、少しだけ星琉は笑みを零しながら、扉を開いた。

 

 

◇◆◇◆

 

 

「あ……」

 

「君は……」

 

 私立城楠学院へ向けての通学路の途中、たった五分歩いた所で星琉は顔馴染みに出会った。

 

 日本人としては少々黒が薄い茶色の長髪。制服姿の線の細そうな身体は淑やかな雰囲気を醸し出していて、事実彼女は星琉が知る中でも一番大和撫子と呼ぶに相応しい人物だった。

 

「おはよう万里谷さん……で、よかったよね?」

 

「はい、左様でございます。おはようございます、吉良星琉様。わたくしのような一介の巫女の名をお覚え頂き、恐悦至極にございます」

 

 挨拶をしながら少々失礼とは自覚するものの、恐る恐る名前の間違いが無いかを確認する星琉に対し、肯定と挨拶、同時に深々としたお辞儀を返して来た少女――万里谷祐理。

 

 同年代の少女が深々と頭を下げるという異常な光景を繰り広げられた事に冷やりとしながら辺りを見回す星琉だが、幸いな事にここは閑静な住宅街で、周りには二人以外誰もおらず、星琉はそっと胸を撫で下ろした。

 

 星琉が祐理と初めて対面したのはついこの間、正史編纂委員会の東京分室室長・沙耶宮馨やその部下の甘粕冬馬と対談した時の事だ。

 

 馨の話によると、万里谷祐理という少女は霊視に関して類まれなる才能を誇っており、過去にとある事情でカンピオーネと関係したことがある経緯から、その同朋を見分けることが出来ると言う。

 

 つまりは星琉が本当にカンピオーネであるかを疑っていたということで、馨も大変失礼を、と畏まっていたが、別段星琉は気にしなかった。むしろどうやって自分がカンピオーネであるかを証明しようかと頭を捻り、最悪権能を使うしかないかなぁ、などと愚考をしていたくらいなので大助かりだったのだ。

 

 それはともかくとして、星琉としてはこの間から変わっていない――むしろ魔術関係者としては当然なのかもしれないが、祐理の自分に対する言葉遣いや態度を何とかしなければ、という思いに駆られ、困ったような表情を浮かべながら祐理に諭す。

 

「えーっと、万里谷さん。申し訳ないんだけれど、出来れば普通に話してもらっても構わないかな? その、同級生に話し掛けるみたいな。ずっとそんな調子だと僕も疲れるし、万里谷さんだって疲れるでしょ? それに、学校でまでそんな畏まった態度だと、あらぬ疑いを掛けられるかもしれないし……最悪、様付けだけは止してほしいなぁと思うんだけど……」

 

 どう? と視線で尋ねられる星琉に対し、祐理は納得したような顔になり、星琉に了承の意を告げる。

 

「畏まりました。では以降、そのように致します」

 

「…………」

 

 微妙に……分かっていないような気がする。いや、元々祐理がそういう言葉遣いなのかもしれないが、と星琉は思いつつ、もう一度訂正する。

 

「あー、うん。ごめん。僕の言い方が悪かった。学校だけじゃなくて、こうして誰もいないところでも敬語じゃなくて――というか、普段通りでいいよ。難しいかもしれないけれど、その、僕がカンピオーネであることを気負って欲しくない、と言うか……」

 

「はぁ……?」

 

 要領を得ない、という表情を浮かべる祐理に、どう言ったものかなぁと更に頭を捻る星琉。少しの間そうして何も無い時間が流れたが、星琉が意を決したように一つ頷くと、祐理に言う。

 

「要はその、友達みたいに気軽に話し掛けてもらえたら嬉しいなぁって思うんだ。うん」

 

 少々恥ずかしげに視線を外す星琉に、そこで漸く祐理は、彼が何を言いたかったのかを理解した。そして戸惑いがちに、おずおずと星琉に尋ねる。

 

「その……よろしいのでしょうか?」

 

 その言葉に祐理に自分の言いたかったことが伝わったと分かった星琉は、にっこりと微笑みながら言う。

 

「うん。是非」

 

 そんな星琉の様子に、どこかほっとしたような表情を見せて、祐理はこれから同級生となる男子に向けて、再び挨拶をした。

 

「では、これからよろしくお願いします……吉良さん」

 

「こちらこそよろしく。万里谷さん」

 

 そうして、二人並んで登校を始める。学校に着くまでの間、二人は互いの趣味趣向について話を繰り広げていた。

 

 二人の共通の話題として広がったのは、お茶やお菓子だ。京都のお茶より静岡の方がすっきりした味わいだ、あの銘柄は香りがよく立っている、あの店の和菓子がお薦めだ、など、およそ普通の高校生では一切話題に上らないような話だが、祐理は家柄が旧華族であり、その嗜みとして茶道や華道を習っていたし、星琉は自分の趣味として日本茶や紅茶、その付けあわせとして相応しい和菓子、洋菓子を調べたり、勉強や修業の息抜きに作って振舞ったりしていたので詳しかったのだ。

 

 意外と話が弾むことに二人ともが内心で驚きつつも、どちらもが楽しげにお喋りを続けていると、星琉の視界に一見のコンビニが映り込んだ。腕時計を見ても、まだまだ時間に余裕はある。

 

「ごめん、万里谷さん。ちょっとコンビニによっていってもいいかな?」

 

「はい、構いませんけど……何か買っておかなければいけないものでもあるのですか?」

 

「実はお弁当を作り損ねちゃったんだ。だから、お昼ご飯におにぎりでも買っておこうかなって」

 

「お昼ご飯……ですか?」

 

 疑問符を浮かべる祐理に、星琉こそ疑問符を浮かべたかった。自分は別段何か可笑しな事を言った覚えは無いのだが……。

 

 すると祐理は、ちょっと困った顔になりながら星琉に言う。

 

「あの、吉良さん。お弁当を忘れられたのでしたらわざわざコンビニで買わずとも、お昼休みに学校の購買に買いに行けばいいでしょうし、そもそも今日は始業式とちょっとした事だけですから、お弁当は必要ありませんよ」

 

「…………あ」

 

 祐理に指摘に、確かに、と納得する星琉。ここでもまた、学校に通っていなかったが故の小さな弊害が出てしまっていた。

 

 が、しかし、これに限って言えば少し考えればすぐに分かることだった。何故なら……星琉自身が持っている学校指定の鞄が、教材どころか筆記用具とクリアファイルしか入っていなくてこんなにも軽いのだから。

 

 そう自覚してしまうと、自分がどれだけ滑稽な事を言っていたのかが理解出来てしまって、途端に恥ずかしくなってしまった。自分の顔が赤面していくのが嫌というほど分かってしまう。

 

「あっ、あはははは! そ、そうだよね、今日は始業式だけだよね! 全く、僕は何をとち狂った事を言ってたのかなぁ?」

 

「き、吉良さん……?」

 

「さあ行こう万里谷さん! コンビニなんかに用は無いから早く学校に行こう!」

 

「え、ちょ、ちょっと待って下さい吉良さん!」

 

 急に早歩きになりだした星琉に慌てて着いて行く祐理。

 

 そんな二人が過ぎ去った通り道を、穏やかな春のそよ風が駆け抜けた。

 

 

◆◇◆◇

 

 

 私立城楠学院は中高一貫の進学校であり、中等部と高等部の校舎は別々だ。校門から見て右手前に中等部の校舎が、左手奥に高等部の校舎が存在し、その間に理科の実験室や調理室、生徒会室などが存在する副次的な校舎が存在していて、それらは一本の渡り廊下で全て繋がっていた。

 

 高等部に進学したことで校舎が変わり、下駄箱のある場所も変わった。祐理と星琉は高等部の校舎の方へ歩みを進め、校舎前に張り出されたクラス割の張り紙を眺める。

 

「僕は……五組だね。万里谷さんは?」

 

「私も五組です。ですが、これは……」

 

「うん、十中八九、委員会が仕組んだだろうね」

 

 何せ、『吉良星琉』の次に書かれているのが『草薙護堂』なのだ。これが星琉だけならともかく、祐理まで一緒なのだから流石に偶然とは言い難い。

 

 自分のクラスの確認を終えると、二人は下駄箱に行って外靴を脱ぎ、鞄から持参した上履きを取り出してそれに履き替える。

 

 二人の左手側には階段があり、二階や三階に続いている。右手側には廊下が続いていて、すぐ傍には保健室があり、次に職員室、突き当たりに図書室が存在した。

 

 二人は階段を上って二階へ。ちなみに、二階が一年生の教室、三階が二年生の教室、四階が三年生の教室で、更に開放的な空間の屋上にも行けるようだ。こちらは昼食時に使う生徒が少なくないのだとか。

 

 祐理は自分の席に着いた所で、この間の会談から今までにかけての吉良星琉という人物について反芻する。

 

 初めて会った会談の時の印象は『仕事人』だろうか。

 

 一目見た時は霊視の啓示が上手く降りて来なかったのか、彼の内に神の幻影が見えなければカンピオーネだとは思えなかった。

 

 『民』の代表格である天元流の特別相談役という役職。馨や甘粕に対して全く物怖じしない姿勢。柔らかく丁寧な口調ではあるものの、どこかその様子には上に立つ者の風格や威厳が備わっているようにも感じた。冷静かつ決して本心を悟らせず、妙な言い方かもしれないが、まるで透明な仮面を被っているかのようだった。

 

 見下されているわけではなく、対等に見られているのでもなく、何処か違うところから全てを俯瞰されているような感覚を、祐理はあの時感じ取っていた。

 

 緊張、恐怖という感情もあったが、それよりも大きかったのは驚愕だ。

 

 祐理にとって、カンピオーネという存在のイメージは『暴君』に尽きる。自分勝手で世を省みず、ただただ戦場を求める羅刹の君。

 

 これは祐理がある一人のカンピオーネを基にした勝手なイメージでしかないのだが、世にいるカンピオーネを見ても凡そ当て嵌まってしまうのだからどうしようもない。

 

 そんな中、『世間の知らないカンピオーネ』――吉良星琉の行動は、そんな祐理のイメージを覆すものだった。

 

 星琉が正史編纂委員会に求めたのは、新たに生まれたカンピオーネの調査なのだと言う。必要があれば剣を掲げ、そのカンピオーネ――草薙護堂を止めると。その為に、顔の利く正史編纂委員会に協力を申し出たのだとか。

 

 この話を祐理は自身の霊感によって、一点の曇りもなく嘘ではないと確信していた。仮に草薙護堂とやらが世に牙剥く事があれば、目前の彼は本当に止める為だけに、力なき民草を守るために戦うだろうと直感したのだ。

 

 それだけで、祐理の中から星琉に対する恐怖は消えた。それは無論、権力的な立場にいないからではあるのだろうけれど、彼が民草の為に剣を取れる誠実な人物であると彼女の中では格付けされたからだ。

 

 とはいえ、緊張が解れる訳ではない。魔術的な立場としては星琉の方が圧倒的に高みにいるのは間違いないし、例えば星琉が市井を守ろうとするのは、そうした『高みにいる者としての義務』としている可能性もあったからだ。

 

 そうであれば、決して粗相をすることは出来ない。自分達は彼の守護を得られる代わりに、常に捧げなければならないのだ。それが、自分達の義務なのだ。彼が『相互扶助』という約定を持ちかけたのも、きっとそういう背景があるのだろう。『不可侵』というものや、自分の存在を内密にして欲しい、その方が動き易いからという彼の言葉も、祐理を含めた甘粕、馨の全員が、驚くほど素直に納得していたのは、今でも記憶に残っている。

 

 かと思えば、今朝の出来事は祐理にとって予想外も良い所だった。

 

 以前の様子とは打って変わった対応を祐理にする星琉。あまつさえ、『同級生の友達のように話し掛けて欲しい』などと求められ、年相応の少し間の抜けた所を見せられたりしたのだ。驚くのも無理は無いと思う。

 

 けれど、きっとどちらも吉良星琉という人間の側面なのだと祐理は思う。彼の事を一割も理解してはいないと思うが、その時その時に相応しい態度を取るのが、吉良星琉という人間なのだと祐理は捉えていたのだ。

 

 さて、祐理が色々と物思いに耽っている内にショートホームルームが始まり、体育館へ行くように促される。その先で始業式が始まり、校長先生の有難いお話や、吹奏楽部による演奏があったりなどした。

 

 それからまた教室へ戻ると、今度は一年五組の室長、副室長、書記を決め、それが終わると所属する委員会や授業を補佐する係りを決めたり、次は自分のしたい部活動の届出をしたりと意外と慌しい。

 

 全ての作業を終えたのは、中途半端にも十時を過ぎた頃だった。帰りのショートホームルームも済ませ、高等部一年の登校初日は終了である。

 

「吉良さん」

 

 さようならー、と号令に合わせてクラス全体が担任に挨拶をした直後、散り散りになって行くクラスメートを掻き分けて祐理が星琉を呼ぶ。鞄を肩に提げながら振り返った星琉は返事をする代わりに疑問符を頭の上に浮かべ、視線で祐理に先を促した。

 

「実は、少しお訊ねしたい事があるのですが……」

 

「ん、何かな?」

 

 祐理としては正直、こんな事を星琉に訊ねるのはどうかと思わないでもなかったのだが、出来るだけ早急に済ませるように言われているし、何より友達のように接して欲しいと言っていたのだから、きっと大丈夫だろう。

 

「あの……携帯電話というのは、どのような物がいいのでしょうか?」

 




 果たして、その日々は現か幻か

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