神典【流星の王】   作:Mr.OTK

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了 戦いの果てに

 伸ばす――伸ばす――意識を伸ばす。護りたい存在(もの)を護る為に。害悪を払う為の(知識)を手にする為に。

 

 潜る――潜る――意識の奥に。何かが其処にあるはずだから。あと少しで其処に至れるはずだから。

 

 そうすれば……君を――

 

 

◇◆◇◆

 

 

 気が付くと、星琉は全てが輝く世界に居た。不純な存在(もの)が何もない、純粋な存在(もの)だけが存在する世界。

 

――此処は……?

 

 声に出そうとして、何も音はしなかった。疑問に思って喉に手を当てようとしたが、動かせる手も、声を発する喉も存在していないようだった。そもそも、今の彼には『肉体』という物がないようだ。

 

 ただし、五感は働き、思考も出来た。……いや、五感が働いていると言うよりは、もっと奥深い何かで『感じ取っている』ような……そう、例えば――

 

 どういうことだろうと考え込むが、輝く世界の中心。一際(きら)めく星々のうねり。それを感じ取った瞬間、星琉は今自分が目の当たりにしているモノの全てを理解した。

 

 『其処』には、ありとあらゆるモノが存在した。人間を含めた動物も、植物も、鉱物も。空も海も大地も、晴れや雨や台風といった天候も、気圧や地震、重力などという事象さえ『其処』にはあって、地球上に存在する全てのモノが、『其処』には在った。

 

 ――そうか、此処は……。

 

 

◆◇◆◇

 

 

 落ちる、墜ちる、堕ちて行く――暗い、昏い、奈落の底へ。

 

 上る、登る、昇って行く――輝き、煌く、天上の界へ。

 

 星琉はまた、先の世界とは別の場所にいた。上下が白黒に別れている世界。あるいは左右が黒白に別れている世界。存在するのは白と黒だけ。他のどのような存在も星琉の他には何も無く、そのちょうど境界に星琉は立ち尽くしていた。

 

 此処は何処だろうとまた考える。今度は肉体があり、右手を口元に寄せて思案する。

 

 まずは世界を見渡してみる。視界に映るのは一面白の世界か、あるいは黒の世界。特に大きな変化も無く、星琉に何の影響もない。

 

 ……かと思うと、黒の世界に変化があった。何も無かったその世界に、一つの小さな黒い星が現れたのだ。世界と同色でありながら、しかし明確に目視出来たその星を見て、星琉は戦慄する。

 

――あれは、善くない存在(モノ)だ。其処に在るだけで害悪を振り撒く、災禍の凶星……。

 

 だが何故だろうか。星琉はその星を善くないモノだと感じながらも、そこに得も言われぬ感情の叫びを聞いたのだ。言い表せない、激しい心の叫びを。

 

 黒い星に、一歩近付く。星琉の身体は、完全に黒の世界に入り込んだ。

 

 もう一歩踏み出す。懐かしさを覚えた。この感覚は一体何なのだろう……?

 

――い■■■……。

 

 唐突に声がした。どこか遠くから聞こえるような、途切れ途切れでありながら、意を汲み取れる自分を呼び止める声が。

 

 星琉が後ろを振り返ると、何も無かったはずの白の世界に人影があるではないか。

 

 身長は星琉より高い。肩ほどまで伸びた焦げ茶色の髪。純白の外套を纏い、かつ背を向けていたのでその体格は伺えなかったが、感じ取れる覇気が只者ではない事を星琉に報せる。

 

――その星■近■いて■い■ない。君■■解し■い■■ずだ。

 

 背を向けながら語り掛ける青年の右手に、一振りの刀剣と思われる形をした光が顕れる。その光を一目見て、星琉は瞬く間に心を奪われた。

 

 長さが一メートルはあろう幅広の光。どのような刃かは伺えなかったが、陽光の如く白金に輝くその様は、触れただけで潰されてしまいそうな程の圧力を感じさせる。その圧倒的な存在感が、どうしようもなく――心地良かった。

 

 身を翻して黒の世界を抜け出し、白の世界へ歩みを進める。一歩一歩進む度に、青年の姿が近付いて行く。そんな中で、星琉は不思議な感覚に囚われていた。

 

 満たされて行く……強く、大きな力に。何者をも寄せ付けない圧倒的な力。護るべきモノを護れる力。

 

 削ぎ落とされて行く……まるで、最初から存在しなかったかのように。自分の中の『■』。大切な、とても大切な『■』。

 

 青年の背中に追い付きそうだ。後少し……もう十歩進めばその目的を果たす所まで来た時、背後の世界から闇が溢れ出した。やがてそれは少女の姿となり、星琉を後ろから捕らえた……否、抱きしめていた。

 

――星琉さん……!

 

 振り払わなければならないと思った。当たり前のように、そうすることが自然なように、其処にあった黒の世界から生じた闇は、白の世界を侵してはならない。等しく■■■■■■達のように滅さなければならない。そうした考えが頭を過ぎった。

 

 けれど何故だろう。この闇を振り払おうとは思わなかった。手放したくないとさえ思った。

 

 この暖かさは何だろう。一体、名前を呼ばれた時に篭められていたものは何だろう。分からない。判らない。解らない。

 

 わからないから、振り返った。其処にあるものを確かめる為に。自分が感じた事を確かめる為に。

 

 そうして、其処に居たのは――

 

 

◇◆◇◆

 

 

「……ぅ」

 

 意識が浮上して、目が覚める。直ぐに開けた視界で一番最初に映ったのは、水晶のような涙をぽろぽろと流しながら自分の手を取る、『護りたかった』人の姿。

 

「ま……りや……さん……?」

 

「はい……はい……! 良かった……本当に、良かった……!!」

 

 涙を流す姿が、いつかの彼女と被る。間違いない。この暖かさは、星琉が護りたいと想った存在……。

 

「…………」

 

「……星琉さん、どうかしたんですか? どこか痛みますか!?」

 

 だからこそ、星琉は涙を流していた。何よりも彼女が無事であったことに。この暖かさを感じられる事に。そして狼王に敗北した、自分の惨めさと悔しさ。祐理に対する申し訳なさで……。

 

「ごめん……ごめん……!!」

 

――僕は君を……護れなかった……!!

 

 

◇◆◇◆

 

 

「ふぅ、これで一応一件落着って所か」

 

 紺色の甚兵衛羽織を纏った黒髪黒目の二十歳半ば頃の男性が、日本家屋の縁側に座り、熱い緑茶を啜りながらそう呟いた。

 

 澄み渡った晴れやかな夜空が臨める今日。三日月は僅かに漂う雲が掛かり、風は穏やかに流れ、近くにある湖は月影を反射してキラキラと輝いている。

 

 日本は富山県、飛騨山脈の南東部。日本三霊山の一つに数えられる立山の麓に位置するその場所に、『冥』の位を極めし異端の魔術師――カーター・オルドラの家はあった。

 

 瓦葺の屋根にひさし。フローリングではなく畳を張り、壁もクロス張りではなく土壁を採り入れる。土間や床の間、障子が用いられて風通しが良くなるように設計された、正に伝統的な日本家屋と呼ぶに相応しい家。生粋の日本人でも住む人が少なくなってきたこの建築を、カーターは大層気に入っていた。しかし、この家を気に入っているのは彼だけではない。

 

「はー、やっぱ日本は良いなぁ。俺もこっちに来ようかなぁ」

 

「やめろ。そんな事になれば日本が面倒臭ぇ事になるだろうが!」

 

 今この家には、カーターの他に弟子が一人と、その他五人の人間が居る。その内の一人が義息子であり、弟子であったフランスのカンピオーネ、『神獣の帝』と称されるシャルル=カルディナルである。

 

 シャルルはちぇーっと唇を尖らせてカーターの隣に腰を下ろすと、真剣な顔付きになって尋ねる。

 

「星琉はもう……大丈夫なんだよな?」

 

「……ああ。命に別状はないし、身体を欠損した訳でもない。健康体そのものだ」

 

「そっか……」

 

 ほっと一息つくシャルルにカーターは同意するが、しかし今の状況は『彼女』が居なければ成り立たなかっただろう。最悪の場合だって在り得たかもしれない。

 

「万里谷祐理……か」

 

 

◇◆◇◆

 

 

 ほんの一日前の話だ。唐突に電話が掛かって来て、世界でも十人に満たない人外であるシャルル(義息子)から「今から神獣で東京に行くよ」などと軽く言われて呆けたのは記憶に新しい。

 

 いや、確かにヴォバン侯爵が来日しているとは知らなかったのだが、しかしいきなりそんな常識外れな事を言うのは如何な物かとカーターは思う。まぁ、だからこそシャルルはカンピオーネたり得る者なのだろうが。

 

 シャルルが神獣で駆け付ける時、それは大抵急を要する時だ。故にカーターは、自分が生涯を掛けて極めて来た異端の魔術を用いて早急に情報収集し、ヴォバン侯爵の来日と現在進行形での星琉との対決を掴んだ。シャルルの目的がこの戦いの仲裁だと当たりをつけると、その場所に一直線に辿り着けるように魔術で手配をし、同時に念の為自分も現場近くに急行した。

 

「師匠!!」

 

「大師……!!」

 

 そこで目の当たりにしたのは、シャルルの側近であるアンヌとカティアに抱きかかえられた満身創痍の星琉の姿。気を抜けばすぐにでも息を引き取ってしまいそうな彼の姿には、カーターも険しい表情を隠せなかった。

 

「(助けられるか……?)」

 

 カーターの用いる魔術は、その特異性故に幅広い応用性を持つ。カンピオーネ特有の魔術耐性も、その『特異性』故に有効である事は実証済みである。

 

 ただし、ある一つの条件があり、その条件を満たす為に非常に多くの時間が必要になる。はっきりと言ってしまえば、この時点で星琉の命を救う事はほぼ不可能に近かったのだ。

 

 だがその時、カーター達の目の前に大きな闇が地面から噴水のように溢れ出した――『転移』の魔術だ。それが直ぐに収まったかと思えば、そこには一人の巫女服と思しき衣服を着た少女が倒れており、その頭上に黒の背表紙に金字の本が浮かんでいた。そうして、カーターの意識に呼び掛ける一つの意思。

 

――創造主よ、我が主ならば……――

 

 その意思が一体何なのか、カーターは瞬時に理解した。当然だ、何せ自分が手塩に掛けて書き上げた自らの知識の結晶体なのだから。そこから流される少女に関する表面上の知識を仕入れ、納得する。

 

「日本に資格者が現れた事は知っていたが、こうもドンピシャだとはなぁ……これも縁って奴なのかね。アンヌ、カティア、武器を下ろせ。大丈夫だ、この巫女は星琉を救う為の鍵になる」

 

 カーターは突然の闖入者に各々の得物を『召喚』し、警戒していた二人の騎士を諌め、しばしの間その少女を見守る。

 

「ん……」

 

 果たして、少女は目覚めた。身体を起こし、胡乱気な眼がしっかりと開かれると、一点に重体な星琉の身体を見て目を開き、次いでカーター達を見遣る。声を出そうとするが、それよりも先にカーターが割り込むように少女――万里谷祐理に話し掛けた。

 

「万里谷祐理。目覚めたばかりで驚いている所悪いが、後にしてくれ。星琉を助けて欲しい」

 

「……っ!! 分かりました!」

 

 一瞬戸惑いの表情を浮かべた祐理だったが、恐らく魔導書――『霊典・幽現目録』が自分達の情報を渡したのだろう。直ぐに表情を引き締めて、星琉の治療に取り掛かった。そう――

 

 

 『生命再生』……『魂魄に直接干渉する』という、カーターと全く同系統の魔術を用いて……。

 

 

◇◆◇◆

 

 

 月が刃を見せる今宵、星々が瞬く空を見上げながら、星琉は湖の(ほとり)で静かに立っていた。反芻するのは、ヴォバン侯爵と繰り広げた戦いの事。

 

 はっきりとしている事は、あれが自分自身の全力で、全くヴォバンには及ばなかったという事だ。

 

「……っ!」

 

 ギリッと歯を食い縛り、拳を握り締める。その様子には、自身に対する怒りがありありと見て取れた。

 

 カンピオーネとなって六年近く経つ。何も知らなかった幼い子供の時を切り捨て、魔術を学び、戦う術を得た。なのに、これ以上ない敗北を喫してしまった。それも負けてはいけない類の相手に……。

 

 星琉は自分が意識を失ったその後の事を聞き及んでいた。先輩であるシャルルと、同郷の護堂が駆け付けてくれた事。ヴォバンは満足した様子で、自分から日本の地を去った事。そしてその後、瀕死の所をまた祐理に救われた事。

 

 護ると約束したのに、逆に護られてしまった。彼女は何も関係の無い、平穏な所で暮らしているべき存在なのに……巻き込んではいけないのに……。

 

「難しい顔してるな、星琉」

 

 背後の木々から話し掛ける声がした。親しみを乗せた、少し高い男性の声。

 

「……先輩」

 

「よっ、師匠から酒をくすねて来た。一緒に呑もうぜ」

 

 現れたのは痩身白髪の青年、星琉よりも先にカンピオーネとなった魔術結社《漆黒真珠》の総帥、シャルル=カルディナル。彼の手には酒瓶と猪口が握られており、酒盛りをする気が満々だった。

 

 どっかりと星琉の横の地面に座り込むと、それに習うように星琉も静かに腰を下ろした。シャルルが栓を開け、猪口に注いで星琉に渡し、次いで自分の分も注ぐ。

 

「んじゃあ……星琉が生きていた事に、乾杯」

 

「……乾杯」

 

 猪口を合わせずに乾杯し、二人ともが星の映り込んだ酒を一気に呷る。シャルルはその味に快活な表情を浮かべるが、対照的に星琉の顔は晴れない。

 

「くぅーっ! やっぱ日本酒って美味いな。ワインもいいけど、こっちの方がすっきりする」

 

「……そうですね」

 

 心ここにあらずな星琉の返事に、空いた猪口に酒を注ぐシャルルは苦笑する。それはまるで、落ち込む弟を仕方ない奴だと見守る兄のような、暖かみのある表情。

 

「ヴォバンのジイさんは強いよ。何せ三百年生きてる怪物だからな……まぁ、同じカンピオーネである俺たちも同類なんだけど」

 

「……でも、先輩は痛み分けにまで持って行ける」

 

「そりゃあ、何度もあのジイさんとは戦って来たからな。経験の差、って奴か」

 

 あっけらかんとシャルルは答えるも、星琉の表情は納得がいかない様子だ。より一層の(かげ)が差す。

 

「……けれど僕は、あの人に負けてはいけなかった。平気で人々に災いを(もたら)す、あんな人には」

 

「――そうか。星琉、お前はあの時の事(・・・・・・)をまだ……」

 

 星琉が無言の肯定を見せると、それから少しの間、会話が途切れた。代わりにお互い酒が続き、その度に星琉は顔を俯かせ、翳っていく。そんな彼の様子にシャルルは嘆息し、遠い目をして酒を注ぎ、目前で静かに水面が揺蕩(たゆた)う湖を眺めながら、もう一杯呷る。

 

 『あの時の事』……それはシャルルの胸にも深く刻まれているある意味での敗北の記憶。シャルルは既に過ぎ去った事として飲み下していたが、目の前の弟分はそうでもなかったらしい。

 

「そうだよな……お前はそういう奴だよ。だからこそ俺は――」

 

 星琉が何かを確かめるように一人呟くシャルルを見ると、彼はどこか儚げな表情を浮かべていた。その胸中がどういった物か分からないまま、酒が三分の一進んだ程度で彼はその場を立ち上がる。

 

「さて、むさ苦しい男同士での前座はお終いだ。後は二人で仲良くやってくれ」

 

 シャルルが視線で星琉の注意を後ろに注がせると、そこには木に寄りかかり、所在無さげにこちらを見ている祐理の姿が。

 

 彼女も見られている事に気付いたのか、少し慌てた様子で木の後ろに姿を隠す。しかしまたもう一度少しだけ顔を出して、こちらの様子を伺っていた。

 

「可愛い娘だな。マリヤ・ユリだっけ? 師匠が才能あるって注目してたぞ。星琉の彼女か?」

 

「万里谷さんは、そんなのじゃないよ。僕の……恩人だ」

 

「どーだかねぇ……」

 

 星琉が祐理に向ける眼差しを見てくつくつと笑うシャルル。そんな様子に星琉は不審の目を向けるが、彼は背を向けてじゃあな、とカーターの家に帰ってしまった。

 

「…………」

 

「…………」

 

 シャルルが去った後、二人の間には静寂が場を満たした。星琉が呼び寄せる事も無く、祐理が木の傍から離れる事も無く。

 

 しかし程無くして、祐理がおずおずと星琉に近付き、やがてその隣に腰を下ろした。彼女の表情は、とても緊張した面持ちだ。

 

「……お酒は、二十歳からと言ったはずですよ」

 

「……イタリアとかだと、高校生からでも飲酒は可能だよ」

 

「ここは日本です。『郷に入りては郷に従え』。星琉さんならご存知でしょう?」

 

「……そうだね」

 

 そんな他愛の無い話で静かに、儚げな表情を浮かべて笑みを零す星琉の様子に、祐理は少しだけ胸を撫で下ろした。彼が目覚めてからというもの、どこか元気が無かった気がしていたからだ。

 

 だが、そこから会話は途切れてしまう。気まずい空気が二人の間を流れ、夜風が肌を浚って冷やす。

 

「……ごめん」

 

 やがて、重石を乗せられた罪人のような様子で、星琉は搾り出すように声を出した。そのあまりにも重苦しそうな彼の表情に、思わず祐理は息を呑む。

 

「万里谷さんを護ると約束したのに、僕はヴォバンの前に敗れて……また、君に助けられてしまった」

 

 まるで、祐理に助けられた事自体が罪であるかのように言葉を零す星琉。どうして彼がそんな風に言うのか、その理由が掴めないまま、祐理は言葉を返す。

 

「星琉さんは、ちゃんと約束を護ってくれましたよ。危険だからと幽世に匿ってくれて、ヴォバン侯爵と戦われて、私を護り通してくれました」

 

 

「けどそれは、先輩達がいたからこそだ……僕一人じゃ、君を護り通せなかった」

 

 ――また、またあの表情だ。いつかの夕暮れ時に見せた、哀しみを隠し切れて居ない表情。

 

 星琉の言葉は、誰かを頼ろうとする事自体を否定しているようだった。何故そこまで他人の力を頼ろうとしたくないのか祐理は分からなかったが、彼のその様子が余りにも危うく見えて。

 

 だからだろうか、祐理は無意識に、星琉の手を引き止めるように両の手で包み込んだ。

 

「え……?」

 

 祐理の突然の行動に驚きの声を零した星琉。果たして、自分の無意識の行動に内心驚いたのは祐理自身だ。しかし、心のどこかではその行動に納得している自分がいる事に気付いた彼女は、星琉の顔を上目遣いに覗き込むようにして言葉を掛ける。

 

「星琉さん。あなたが全てを抱え込む必要は、ないんですよ。委員会の方々や、草薙さん、『神獣の帝』様も、私だって! ……星琉さんが求めれば、きっと助けになってくれるはずです。星琉さんは、独りじゃないんですよ」

 

 と、そこまで言葉にして、祐理は顔を赤く染めて星琉から逸らした。自分があまりにも彼の傍に近付き過ぎている事に、今更ながら気付いたのだ。

 

「す、すみません! 私ったら、知ったような口を利いて……」

 

 胸の奥がとくんと弾んで、少しだけ痛い。けれど、それは嫌な痛みではなくて、嬉しいような、恥ずかしいような、もっと感じていたいと思う痛み。

 

「――ううん、ありがとう。少し、気が楽になったよ」

 

 柔らかに微笑む星琉の顔をちらりと見て、祐理も同じように微笑んだ……頬を赤く染めたままで。

 

 彼が傷つく姿を見たくない。けれど、彼が命懸けで自分を護り通してくれた事に、甘い痺れが走った。

 

 彼が微笑んでくれた。たったそれだけの事なのに、彼の力になれたような気がして、とても嬉しい。

 

 今まで感じた事のない心が祐理の中で駆け巡る。さっきまで普通に話せていたのに、急に恥ずかしくなってしまって、星琉の顔を直視する事が出来ない。

 

「あ、あの、私は、先に戻っていますね。星琉さんも、体が冷えない内に、帰って来て下さいね?」

 

「うん、分かった。お休みなさい、万里谷さん」

 

「お、お休みなさい……星琉さん……」

 

 少しずつ小声になりつつも、なんとか挨拶を返す事が出来た祐理。自分でも詳細が分からない心の変化に少しだけ戸惑いつつも、その不思議な心地良さに身を委ねながら、祐理は木々の中へ消えた。

 

「『独りじゃない』……か」

 

 祐理の気配が十分に遠退いた後、星琉はさっきまで祐理の温もりを感じていた両手に視線を落とし、そっと呟いた。

 

 人は、独りで生きて行く事は出来ない。どんな事にも、どんな物にも、誰かの手を借りて生きているのだ。それは、星琉にとってカンピオーネの先達であるシャルル。魔術の師であるカーター。武術の師である晃。同郷のカンピオーネである護堂。そして、自分の中で大切な存在である――祐理。

 

 

 それだけじゃない。沢山の人に助けられ、導かれ、今の自分がある事を、星琉は十分に承知しているつもりだ。だからこそ――

 

「だからこそ、僕は『独り』でいなければならない」

 

 刀剣のような鋭い眼差しで、夜空を見上げて呟いた。鋼を思わせる意志の宿った、何者をも拒むようなその言葉。

 

 

 三日月の輝きは鈍く(ひず)み、静かなる湖面は寂しげに波を立たせた。


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