『デヤンスタール・ヴォバンの名前を知ってるかい?』
草薙護堂にその連絡が来たのは、星琉達を家に招待してから数日後の夜の事だった。
電話の相手はイタリアのカンピオーネ、サルバトーレ・ドニ。護堂にとっては少々苦手としているというか、出来るだけ関わり合いになりたくない相手だ。
電話番号を、ましてやメールアドレスすら教えていないにも関わらず、自分の配下に調べさせてまで態々こうして連絡を寄越してきたサルバトーレ。そんな彼が護堂に伝えたかった事、アドバイスというのが……。
『このじいさま、今東京に居るはずだから、ちょっとケンカでも売りに行くと良いよ。俺の縄張りに入ってくるなー、とか言ってさ』
「誰がそんな真似するか!」
などという実に益にならないものだった。
平和主義者を自称する護堂としては、そんなケンカを売りに行く等という行為は選ぶはずが無い選択だ。それがカンピオーネ相手だというのなら尚更である。
いや、しかし……と護堂はふと思い出した。自分と同じ日本にいるカンピオーネ、吉良星琉の事を。自分が道を外れようとすれば止めると言った彼だ。もしかしたらそのヴォバンとやらが何か仕出かそうとした場合、彼が動くかもしれない。
「……大体、何でそんなのが日本に来るんだよ?」
そう考えた護堂は、サルバトーレとの会話で熱くなっていた頭を冷やし、努めて冷静な様子で彼に尋ねた。内心は嫌々であるものの、有益な情報があるのなら得ていた方がいい。そしてもし出来るのならば、その情報を星琉と共有出来ればいいと考えながら。
『ふふふ、教えてあげても良いけど、条件がある。――我が友にして兄とも慕う勇士サルバトーレよ、あなたの助力が必要だとおねだりしてくれれば、すぐに』
「絶対に言わない。教えてくれなくて結構」
自分でも何の戸惑いも無く、条件反射で言葉が出てしまっていた。だが仕方が無い。情報も大切かもしれないが、この
『仕方ないなぁ。じゃあ代わりに、彼の事を教えてくれるっていうのでもいいよ』
「彼?」
サルバトーレの言う『彼』の事が分からず、首を傾げる護堂。そんな護堂に対し、サルバトーレは飄々とした口調ながらも、そこに秘められた抑え切れない闘志と喜悦を孕ませた声音で、護堂の疑問を解く。
『やだなぁ、護堂は。彼だよ、彼。護堂と同じ日本人のカンピオーネ。実は僕の一つ先輩だったっていう吉良星琉の事さ、分かるだろ?』
ああ、なるほど。と護堂は納得した。星琉の情報については《漆黒真珠》とかいうフランスの魔術結社が一気に触れ込んで回ったのだ。戦闘狂で妙に鼻の利くこの男の耳に入っていたとしても、なんら不思議ではない。
『何でも、熾天使ミカエルを倒したんだってね?
そりゃそうだろうなァと思う。彼らからすれば信仰対象を殺されたのだ。その心中を正確に推し量る事は出来ないが、たまったものではないだろう。実際、エリカが微妙な顔をしていたのを覚えてもいるのだから。
まぁ、その後の彼の怪我の具合を知っている自分としては、それがどうしたという心境ではあるのだが。
「ていうか、そういう事なら尚更教えるつもりは無いぞ。むしろ機会があればあんたの情報を全部ばらしてやってもいい位だ」
『それは流石に止めて欲しいけど……その言い方からすると、護堂はもう彼に会ったんだね?』
どこか期待と興奮に満ちた様子を見せるサルバトーレを相手に、護堂はしまったと内心舌打ちをした。
何も知らないと、この場面では言うべきだったのだ。この男はアホではあるが愚鈍ではない。抜け目が無い、と言ってもいい。事この話題に関しては、彼が好む闘争に関連するかもしれないものである。その特徴が十分に発揮される土俵だ。
「ああ、会ったよ。あんたとは比べ物にならないほど良い奴だった。友って言うのならあんたじゃなくて吉良とだな」
出てしまった言葉は取り返せない。故に護堂は肯定した。下手に否定してボロを出してしまうよりも、認めてしまったほうが何かと都合が良いのではないかと思ったからだ。実際、この言葉は頭から尻尾まで――友の部分ですら事実なのだから。
『えー、それは酷く無いかい護堂? 流石の僕も妬けちゃうなぁ……そうだ! 僕も今から日本に行こうかな! 先輩にはちゃんと挨拶しておかないとね!』
「絶対に来るな!」
胡乱な事を言い出した
◇◆◇◆
もし、護堂が今サルバトーレに会えばこう言うだろう。『あんたも偶には人の役に立つ事があるんだな』と。
港区の白金台にある国立科学博物館附属自然教育公園。そこに護堂は脚を踏み入れていた。理由は星琉を助けるためだ。
数十分前、突如東京を襲う嵐が発生した事に僅かな引っ掛かりを覚えつつも、大した問題だとせずに自宅で過ごしていた護堂にある二人の男女が尋ねて来た。名を沙耶宮馨と甘粕冬馬。日本の呪術界を取り締まる正史編纂委員会という組織の重鎮と付き人らしい。
――突然のご訪問、大変失礼致します。草薙護堂様、どうか貴殿のお力をお借りしたいのです。
正史編纂委員会の事は多少星琉から聞き及んでいた護堂。同じく知り合いの万里谷祐理がこの組織に所属している、という程度の事は知っていたので、取り敢えず話だけは聞く事にした。
するとその内容は『星琉がヴォバンと戦い、劣勢に立たされている』というもので、護堂の協力を仰ぎたいというものだったのだ。
もしもこれが何の前情報も無ければ疑っただろうが、しかし数日前にサルバトーレからそのヴォバンとやらの事を聞き及んでいた護堂は、この話をある程度信じ、彼らの嘆願を承諾した。
条件として設定した、相棒であるエリカを迎えに行く事を現場に行く前に済ませてこの公園にやってきたのだが、事態は思った以上に切迫しており、星琉が巨大な狼の前に倒れ、彼の血であろう赤い水溜りに臥していたのだ。
その光景で意識が完全に戦闘状態に移行した護堂は、最も手応えがあると常に戦闘では感じるものの、この巨狼相手には何故か頼りないと直感した『白馬』の権能を発動した。
「我が元に来たれ、勝利のために。不死の太陽よ、我がために輝ける駿馬を遣わし給え。駿足にして霊妙なる馬よ、汝の主たる光輪を疾く運べ!」
ウルスラグナの聖句を唱えると、
「GRRAAAA!?」
『何?!』
それに気付いた巨狼もまた、その焔に向かって殆ど同じ焔を照射した。二つの超高温の熱線は互いに干渉し合い、拮抗し、やがて焔の光柱を公園の中心に
その熱の余波を浴びて公園の木々は一気に灰と化してしまったのだが、護堂はそんな事を欠片も気にしていなかった。今は何よりも星琉の無事を確かめるべきだと思ったからである。
とはいえ、自分は巨狼を警戒していなければならないので迂闊に動く事は出来ない。故にエリカに視線を寄越して彼の事を頼むと、彼女もそれに無言で頷き、星琉の許へ向かおうとした。
「こっちに来る必要はないぜ」
しかし、その時には星琉の傍に二人の女性と一人の男性がいた。女性二人は星琉の身体を大事そうに抱きかかえ、男性は護堂達の方をちらりと見ながらも、ほぼ全ての意識を巨狼に対して向け、視線を鋭くさせながら聖句を唱え始めた。
「さあ刮目せよ! 喝采せよ! 神々を弑逆せし魔王の位へ、己が名を
青年がまるで軍隊の指揮官のように腕を突き出すと、そこから雷電の矢、暴風の刃、豪雨の礫といった自然の脅威が撃ち出され、巨狼に直撃した。するとそれらが融け合い、極所的過ぎる嵐と化して巨狼を急襲し、今まで東京を襲っていた嵐を凝縮したかのような強烈過ぎる雨と雷で狼の巨躯を覆い隠してしまった。
目の前で唐突に起こった予期せぬ出来事に呆然としてしまう護堂。しかし何とか意識を持ち直して、目の前の人物達と辺りを警戒しながら話し掛ける。
「あんた達……何者だ?」
護堂のその言葉に、青年は何者をも恐れる事の無い威風堂々とした様子で悠然と答えた。
「俺の名はシャルル=カルディナル。『神獣の帝』と畏敬される神殺しの魔王。偉大なる異端の魔術師――カーター・オルドラの
◇◆◇◆
それは数十分前。フランスはパリ。魔術結社《漆黒真珠》の本部。護堂が正史編纂委員会の二人からの救援要請を請けていた時の事。
赤い絨毯が敷かれた長い回廊を、黒真珠のピアスをつけた長い金髪の人物が歩いている。瞳は透き通った碧眼で、その容貌はまるで西洋のビスクドールのように整っていた。
第一ボタンを外した白のシャツ、白と黒のストライプのカジュアルスーツを羽織り、下はスラックスと一見男性のような出で立ちだが、服越しにでも分かる程豊かな胸部がそれを否定する。
彼女の名前はアンヌ=メディシス。魔術結社《漆黒真珠》の副総帥であり、史上最年少で聖騎士となった才女だ。
アンヌは今、自らの主である人物の許へ向かっていた。その表情は普段と変わらないように見えるが、歩く速度が少し速いような気もする。
少しして、突き当たりに大きな扉が見え、彼女はそれを勢い良く開ける。
「入るぞ、シャルル」
「ん、どうしたアンヌ? 珍しくノックもなしに」
アンヌの呼び掛けに応答したのは、三つの黒真珠が嵌め込まれたアンクルを付けている、全身黒の服で覆われた長身痩躯の青年。短く纏めた白雪のように綺麗な白髪に、目を合わせるだけで酔ってしまいそうなワインレッドの瞳。アルビノではないかと疑えるような容姿だ。
彼こそが魔術結社《漆黒真珠》の総帥であり、『神獣の帝』と畏怖されるカンピオーネ、シャルル=カルディナルその人である。彼は昼寝でもしようとしていたのか、部屋にあるソファーで横になっていた。
「つい今しがたの事なのだが、ヴォバン侯爵が《神の招来》を行う為、日本に向かっていたとの情報があった」
「はあ? あのジイさんまたやるつもりなの?」
《神の招来》。それは、数ある高等魔術の中でも特に至難とされる、『まつろわぬ神』を招来する大呪の秘儀である。
それは今から四年前にも同じ人物主導で行われており、シャルルはヴォバンの戦闘好きに辟易していたのだが、ある一つの事に気付いた。
「……ていうか、日本って事は星琉がいるじゃん!」
そう、日本にはつい最近、自分の組織からカンピオーネである事を公表した弟分がいる。アンヌは今更その事実に気付いたシャルルに呆れた様子で問い掛けを重ねた。
「だからこうして報告に来たんだろう。で、どうするつもりだ?」
うーん、と悩む様子のシャルル。しかし、その思案の時間も三秒に満たない少ないものだった。
「流石に、星琉にジイさんはちょーっと早いかな。……よしっ、アンヌ、俺も日本に行く。師匠に連絡しといて」
「飛行機か? 神獣か?」
「神獣。そっちの方が断然速いからな。弟分のピンチとなっちゃあ、のんびりしてられないでしょ」
『神獣の帝』と呼ばれるだけあって、シャルルは数々の神獣をある権能により『飼っている』。その中には空を飛ぶ神獣も当然おり、移動には最適なのだ。
「分かった。ただし今回は私も行く。いいな?」
「えぇー……それじゃあ《漆黒真珠》の運営はどうするんだよ?」
シャルルが不満げに言う理由は、《漆黒真珠》が実質アンヌの指揮の下に成り立っているからである。
シャルルは一応総帥という立場であるのだが、対『まつろわぬ神』ぐらいでしか動く事がなく、ほとんど形だけのようなものなのだ。つまり、アンヌが動く事になれば《漆黒真珠》の運営が著しく滞る事になるのだが……。
「何、最近執行部も中々やるようになってきたからな。私達が居なくなってもキチンと機能する事が出来るかどうか、抜き打ちテストのようなものだ」
「ふーん、なるほどね。そういう事ならまあいっか」
代案がある、という事で、アンヌの同伴を認めたシャルル。そして彼はもう一人、自分の『護衛役』を自負している騎士に呼び掛ける。
「カティアー! 突然だけど日本に行く! 大至急用意して!」
すると、一秒と経たず部屋に新たな人物がやってきた。背丈はシャルルやアンヌより低く、流せば肩甲骨辺りまであるであろう黒髪を後頭部で輪にし、黒真珠の付いた金の簪で留めている女性。
彼女の名前はカティア。ファミリーネームはない。シャルルの自称護衛役であり、主に彼をサポートする役目を負っている。《漆黒真珠》の第三位だ。
「マスター。準備完了」
「早いな!? いや、お前はそういう奴だけど……。まだ俺が用意出来てないんだ」
「問題ない。ここで待ってる」
素っ気ない返事だが、カティアは単純に感情を表に出すのが苦手な人物なのだ。シャルルもその事は良く分かっているので、特に気にはしない。
こうして《漆黒真珠》の第一位から第三位までの来日が決定したのだ。
◇◆◇◆
以上が日本に至るまでに繰り広げられたある一幕なのだが、今この場に居る彼らの雰囲気は張り詰めた空気で満ちている。シャルルも星琉には古き王の相手は荷が重いと踏んでいたが、まさかここまで危険な状態だとは思っていなかったのだから。
今、可愛い弟分の胸から大量の血液が流れ出している。彼が死の淵に立たされている事を、どうしても見て取れてしまう。今はまだカンピオーネ特有の生命力でなんとか命を繋いでいる様だが、それも何時まで続くものか。
シャルルは唇を噛み締め、怒りを押し殺した声音でアンヌとカティアに告げる。
「二人とも、星琉を師匠の所に連れてってくれ。あの人なら何とかなるかもしれない」
指示された二人は無言で首肯すると、星琉の身体に負担を掛けないようにして『跳躍』の魔術を発動し、夜空に消えた。
「お、おい! ちょっと待てよ!」
「悪いな、草薙護堂。突然アポもなしに日本に来た事は謝るが、まずはあのジイさんをどうにかしなきゃならん。苦情とかは後で受け付けてやるから、今は黙って下がってろ」
「ふざけんな! そんな風に言われてノコノコ引き下がれるわけ無いだろ!」
シャルルに近付いて来たのは無論の事、護堂とエリカだ。ただしエリカは護堂の後ろに侍り、決して前に出ないようにしていたが。
そんな二人に対して若干面倒臭そうな表情を浮かべるシャルル。彼としては今護堂に構っているよりも、この後の事を考える方が重要なのだ。
――『
後に賢人議会にそう名付けられる権能は、シャルルがバラモン教、ヒンドゥー教の神であるインドラから簒奪した権能である。インドラは雷霆神でありながら嵐の神でもあり、シャルルはそこを権能として色濃く取得したようだ。
その能力は『風雨雷霆を吸収し、それを支配下に置く』というものだ。その応用性は多岐に渡り、例えば今回の様に一点集中という範囲を限定した嵐として再び発現させる事も可能だ。
ただし、弱点といえる部分ももちろん存在する。
まず第一に、この権能はあくまで吸収してこそ意味のある権能であり、シャルル自身が嵐を起こすという事は出来ない。つまり、原動力である嵐は必ず余所から得なければならない受動的な権能なのだ。
第二に、この権能によって嵐がシャルルの中に吸収されると、その現象を己が物とする為に、必ずシャルル自身の呪力に一度変換され、そこから応用が可能になる。それはつまり――
「……ククク、貴様もこの地に来ていたか。しかし、まさか私が呼び寄せた嵐に傷付けられるとはな。確か、この国では『飼い犬に手を噛まれる』という諺があるのだったか。どうやらまた一つ、新たな権能を手に入れた様だな。シャルル=カルディナル」
風雨雷霆の轟音の中、しかし確かに声が聞こえると、まるで何かに弾かれたかの様に嵐は霧散した。その中から現れたのは巨大な狼ではなく、右目を切り裂かれ、血の涙を流している長身痩躯の老人だった。
護堂は直感する。この老人こそ、先程まで星琉と争っていたヴォバン侯爵その人であると。
「チッ、やっぱダメージはそれなりにしか入らないか……」
シャルルが舌打ちをしながらそう愚痴を零したのは、『天喰らう地獣』の第二の弱点についてだ。
先にも述べたように、取り込んだ嵐は一度シャルルの呪力として変換してしまう。その為、カンピオーネの呪力耐性がある程度通用するようになってしまい、ダメージが軽減されてしまうのである。
とはいえ、元は脅威的な自然現象。如何に威力を減衰したとしてもただで済むはずも無い。その証拠にかの老人の衣服は
「よう、ジイさん。久しぶりだな。ここから先は俺が相手してやるよ。今日こそ心置きなく逝かせてやる」
「ほう、それは面白いな」
威勢良く挑発するシャルルと、それに対して喜ばしい事のように言葉を返すヴォバン。しかし、それに待ったを掛ける人物が此処に居た。
「待てよ! 喧嘩するなら余所でやってくれ! こんな所で戦われたらいい迷惑だ!」
声を荒げて二人の戦闘開始を妨げたのは、もちろん草薙護堂その人である。平和主義者を自称する彼からすれば、目の前の火種を看過出来る筈も無い。
しかし、事この事態に関して言えば決して良い手とは言えなかった。その証拠に、シャルルもヴォバンも護堂に対して胡乱な物でも見るかのような表情を浮かべていたのだから。
「さっきから小僧……クサナギゴドウと言ったか。貴様は一体何だね? これは王同士の戦場。一端の魔術師風情が立ち入りして良い領域ではないぞ」
「こいつもその王だよ。少し前にウルスラグナを弑逆した新参のカンピオーネだ」
「……ほう、貴様がか。成る程、あの太陽の焔は貴様の仕業か……」
まるで品定めでもするかのような視線を向けるヴォバン。護堂もその不躾な視線に負けじと睨み返す。
「ふ、まあいい。吉良星琉の姿も消えた。巫女が見つかる様子も……いや、見つける必要すらなくなった。新参の者になど興味も湧かん。精々この辺りが潮時か」
微妙な空気が流れる中、意外にも沈黙を破ったのはヴォバンだった。
それに驚いたのはシャルルだ。まさかヴォバンが引き上げるような言葉を発するとは思わなかったのだから。
「どういう風の吹き回しだ? 何を企んでやがる」
「何も企んでなどおらんよ。手慰み程度ではあるが、今宵は中々骨のある相手と戦え、後の楽しみも出来た。満足には程遠いが、まあ良しとしよう。貴様と戦うのも悪くはないが、余所事に気を取られているようでは相手にするのも馬鹿らしい。故にこの地にもう用は無い。ただそれだけの事だ」
嘘をついている様子は微塵も無い。むしろ嘘をつく必要が無いのはシャルルとて諒解している。だからこそ不可解なのだが。目の前の老人は闘争の中に生き甲斐を見つける根っからの戦士である。だからこそまつろわぬ神を招来しようなどと画策したのだから。
眼光鋭く老翁を睨みながら、シャルルは問い掛ける。
「おいジイさん。あんたさっき『巫女を見つける必要がなくなった』とか言ってたな。どういう意味だ? その巫女とやらが誰かは知らないが、どうせまつろわぬ神を招来する為の生贄だろう。あんたはそれを求めて日本にやって来たんじゃなかったのか?」
「それを貴様が問うのか? 吉良星琉を新たなる可能性を秘めた神殺しと称した貴様が」
「……テメェ」
「貴様の言う通りだ、シャルル=カルディナル。吉良星琉は喜ばしい事に我々とは違う。他人の為に戦い、他人の為に身を滅ぼされる『勇者』だ。奴が一体どこまで強くなるのか、私には愉しみで仕方がない。それを我が牙で喰らう事もな」
「ないな」
くつくつと哂うヴォバンに苦々しげな表情を浮かべるシャルルだったが、護堂の異を唱える言葉に両者とも言葉を失う。
「あんたみたいな自分勝手な奴に、吉良が負ける訳がない。その時が来たら喰われるのはあんたの方だ」
どこか確信を持った護堂の物言いに、ヴォバンはその翠玉の瞳を爛々と輝かせて彼を見据える。まるで新しい玩具を見つけたかのように。
「吼えたな、面白い。小僧、私と吉良星琉との戦いに割って入って来た事といい、貴様も新参ではあるようだが、中々に曲者のようだ。先に喰らうのも悪くはないかもしれんな」
そう言うと、ヴォバンはもう何も言う事はないとでも言うかの様に背を向けた。護堂は初めから引き止めるつもりなど無く、シャルルもそのつもりはないようだ。
そうしてそのまま古き王は闇に消え、様々な王が集った長い戦いは、漸く終わりを告げるのだった。