神典【流星の王】   作:Mr.OTK

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五 狼王は星明りを喰らう

「ふん、どうやら此処にいるようだな」

 

 目の前で鬱蒼と生い茂る木々を睨み付け、意図せず塩の塊としてしまった事を特に何も思うことなく、ヴォバンはそう呟いた。

 

 ヴォバンが保持する権能の一つ、グリニッジの賢人議会が《貪る群狼(リージョン・オブ・ハングリーウルヴス)》と名付けた権能によって特定した獲物(星琉と祐理)の潜む場所は、港区の白金台にある『国立科学博物館附属自然教育公園』だ。

 

 この公園は辺りが都会らしい様相を見せるのに反して、自然の面影を多く残す数少ない森である。普段であれば春夏秋冬で様々な表情を見せ、訪れてきた人々を楽しませるのだが、今は夜の闇と暴風雨が相俟って、木々がざわざわと蠢き、いつもと違う不気味な雰囲気を醸し出している。

 

 しかし、ヴォバンはそんなものに全く臆する事なく中へと歩みを進めた。何よりも、自身の所有物を盗むなどというふざけた真似を、虚仮にされた御礼を獲物にする為に。

 

 公園に踏み入れた瞬間、この地一体に違和感を覚え、ヴォバンの感覚は結界だと判断した。それも己を閉じ込める為、呪術に耐性のあるカンピオーネでもそう簡単に破る事の出来ない、権能で用意された結界だと。

 

 その事実にヴォバンは口角を上げた。果たして、捕らえられたのはどちらなのかと考えながら。

 

 さて、《貪る群狼》には神獣に満たない神使程度の力を持つ狼を生み出す事が出来る能力がある。その狼とヴォバンは感覚的に繋がっており、それによって彼はこの公園に獲物がいる事を察知したのだ。

 

 しかし、感じられるのは己が生み出した狼達が次々と消されていく感覚だ。とはいえ、当然といえば当然である。神使程度の実力でカンピオーネに敵うはずもない。

 

 これはゲームだ、とヴォバンは考える。ルールは非常に簡単で、自分の所有物を盗みだした泥棒を捕まえ、奪われた物を取り返す。ただそれだけ。

 

 しかし、ただの泥棒よりかは――かつて自分に対し挑戦した、騎士や魔術師どもよりかは難易度が高そうだ。若輩とはいえ、自分と同じ位にある者なのだから。

 

 とはいえ、全身全霊を以って相対するかといえば否である。相手はヴォバンにとってはやはり『獲物』に過ぎず、所詮このゲームは後に《神の招来》によって降臨させたまつろわぬ神との戦いの前座に過ぎないのだから。

 

 悠然と歩みを進めるヴォバンだったが、ふと背筋を寒気が撫でた。自身の下した魔王としての直感に従い、その人間離れした身体能力にモノを言わせて大きく跳躍する。

 

 その直後、ヴォバンが元居た所を木々の中から薄暗い青い光が奔り、また木々の中に消えた。――二人の獲物の内の一人(星琉)だ。

 

「こそこそと……確かに盗人らしき相応の振る舞いだが――」

 

 狼を自身の近くで更に増産し、公園の隅々にまで放つヴォバン。しかし、どうしてももう一人の獲物(祐理)が見つからない。匂いも気配も何もない。

 

 同時に、星琉からの攻撃も続く。木々から木々へ、闇から闇へ。匂いは何故か嗅ぎ取れない。普通どんな人間にも体臭はあるものだし、消しているなら消しているで『消している』という事が判るものなのだが、それもない。更に、ヴォバンが無意識に呼び寄せた(・・・・・・・・)嵐とも相俟って、その姿を捉える事が出来ないでいた。

 

「小僧……あの巫女を何処へやった」

 

 ヴォバンの問い掛けに対する答えはなく、代わりに与えられるのは凶刃のみ。ざわざわと木々がざわめくが、それすらもヴォバンの癇に障るばかり。

 

「ちぃっ! 小賢しい真似を!!」

 

 いずれも直感に従って危なげに、しかし確実に回避していくヴォバンだが、段々とこの状況に苛立ちが募っていく。

 

 すると、彼はあることを考え付き、探索にと生み出していた狼を消し去った。どうやら目的の巫女は盗人が何処かに隠したようだ。ならば、その在り処は隠した者の死体(・・)からゆっくりと聞き出せばいい、と。

 

「遊びはもう終わりだ! 貴様を殺して娘を差し出してもらうぞ!」

 

 そうヴォバンが叫んだ瞬間、彼の身体が銀の体毛に覆われ、人狼へと変化して見せた。更にそこから完全な狼へと化身し、一気に身体が数十倍に膨れ上がる。その全長、およそ三十メートル。

 

「WOOOOOOOOOOONNNNNN!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 遠吠えを一つ、嵐の中でも特に響いたその声が東京を揺るがした後、巨大な狼は左右に腕を振り、辺りの木々をその鋭い爪で軒並み薙ぎ払ってしまった。

 

 大きく飛んだ木々が地響きを立てながら狼王に道を明け渡していると、狼王の耳に雨音とは別のパシャパシャと水飛沫を立てたような音がして、そちらに顔を向ける。

 

 ――いた。獲物がいた。服が僅かに裂けた様子を見せながら、やや水気のある場所で右手に蒼黒い刀を携え、跪いている獲物が。

 

 

◇◆◇◆

 

 

「くっ……!!」

 

 予想していなかったヴォバンの能力に歯噛みする星琉。何よりも姿を捉えられていないという好条件を払われてしまったのは痛かった。

 

 星琉とヴォバンの何よりの差は、その絶対的な経験だ。何せ二十年も生きていない星琉に対し、ヴォバンは少なくとも三百年もの間、まつろわぬ神々と敵対してきたのだから。

 

 それを覆す為、まず星琉は正面衝突を避ける事に決めた。祐理をとある場所に匿い、木々が生い茂って姿を隠し易いこの公園を戦地に選んだ。ヴォバンの権能の一つが少なくとも狼に関するものであることは知っていたので、『闇夜に眩き月星の唄』で夜の世界と同化し、匂いも気配も紛れさせた。

 

 しかし、この地にやって来たヴォバンに対する奇襲は悉く回避され、それどころか力技によって星琉が組み立てた好条件を取り払われてしまった。

 

「GRRRRRRRRRRRRR……!!!!」

 

『漸く姿を現したか……もう一度訊くぞ小僧。貴様、我が所有物を一体何処に隠した?』

 

 巨狼の唸り声と同時にヴォバンの声が響く。一見すると不思議な状況だが、これは精神感応の一種のようなものだと判断。

 

「…………」

 

 星琉は何も語らない。語るつもりも、謂れもない。この狼の手から祐理を守るのが目的なのだから、露程の情報だって明け渡すものか。

 

 星琉の背に、夜に似合わぬ光が集まる。やがてそれは形を成し、三対六翼の剣翼となって顕れ、更に黄金の剣を左手に、星琉は疾風の如く飛翔した。

 

「ハアァッ――!!」

 

 常人では視界に納められず、大騎士ですら圧倒されるだろうその攻撃は、確かに巨狼の前脚を捉えはした。

 

「GRAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!」

 

『効かぬわぁ!!』

 

 しかし、生物とは思えぬ筋肉の堅牢さを発揮して、その巨狼の身体は星琉の一刃を殆ど通さなかった。それどころか、僅かに食い込んだ部分で刃を捕らえ、そのまま前脚を振るって蝿でも叩き落とすかのように弾き飛ばす程だ。

 

 しかし、星琉もただでやられる訳ではない。刃が通らない事は想定の一つとして(・・・・・・・・)頭の中にあったので、巧い具合に狼王の脚から離脱し、決して巨狼から目を逸らす事はしなかった。

 

「WOOOOOOOOOONNNNN!!!!!!!!!!」

 

「チィッ!!」

 

 

――水式・氷鸞(ひょうらん)――

 

 

 だからこそ、己の身を引き裂こうとするその爪を両手の刀剣と培った技術(天元流)で滑るように躱し、その圧倒的な膂力に力負けしそうになりながらも、何とか空中に飛翔して仕切り直す。

 

「GRRRRRRRRRR……」

 

『ふん、三対六翼で空を翔けるか……恐らくは天使、それも熾天使から簒奪した権能だな? それにその剣……そうか、貴様は熾天使ミカエルから権能を簒奪したのだな!』

 

 余裕綽々と言った様子で唸り、星琉の権能を看破する巨狼。心なしか、その鋭い牙を見せる口はニヤリと人間が口角を上げて笑っている様にも見えた。

 

『ククク……あの『神の如き』天使を屠っていたとはな。若輩にしては中々やるではないか、小僧。ともすればこの『狼』の権能で片を付けるつもりだったが……なるほど、それでは些か手間が掛かりそうだ』

 

 自らの手札を吟味し、どのようにしてこの闘争を愉しもうかと思案しているのが分かる。

 

 簡単に言えば、星琉は舐められているのだ。お前など、どのような手を使おうとも簡単に討てる。言外に、狼の瞳がそう告げていた。

 

「『母なる海より生まれし神獣(モノ)地球(ほし)となりし太母神の子。我が内なる王権の獅子、狂い乱れし狗よ。その体躯を以て疾く駆け、叛逆の喉笛を悉く噛み千切り、母の威光と狂気を響動(どよ)ませよ!』」

 

 ティアマトを(なぞら)えた聖句を唱え、星琉の眼前に二体の神獣が顕現し、咆哮する。

 

 その内一体はミカエルと戦った時、己に融合させて力を得た、狼王と同程度の体躯を持ち、獅子の顔と人間の身体。右手に短剣を、左手に槌鉾を持ち、腰巻をした怪物。強烈な日差しや熱を齎す存在としての太陽の象徴や、字面からは嵐としての象徴の側面も持つウガルルム。そしてもう一体が――

 

「行くぞ。ウガルルム、ウリディンム――!!」

 

――GRAAAAAAAAA!!!!!!!

 

「キヒヒヒヒヒヒ!! アイツを()ればいいんだね!! キヒヒ!」

 

 ウリディンム――『狂った犬』という文字の意味を持つティアマトが生み出した十一の神獣の一柱。メソポタミアでは守護精霊の一つとされ、ウリディンムを象った魔除け人形はバビロン第2王朝、新アッシリア時代、セレウコス朝時代で稀に見られた。

 

 その姿は、上半身が人間、下半身が獅子の肉体という当に異形と呼ぶに相応しい様相だ。また、南の空に現れるケンタウルス座の東にある星座――狼座を表す言葉でもあり、その歴史は前三千年紀にまで遡るもの。

 

 ウリディンムを召喚する条件は非常に緩い。何せ『戦場』であれば十分にこの怪物を召喚することが出来るのだから。

 

『フハハハハ! 神獣まで召喚出来るというのか貴様は! ハハハ! いいぞ小僧! もっと、もっと私を愉しませろォ!』

 

 いっそ狂っていると思えるほどの高揚と興奮の声を上げながら、襲い来る神獣をヴォバンは迎撃する。

 

 獅子の槌鉾をひらりと躱し、その肉に喰らいつく。狂犬の文字を持つ異形に殴られ掛かれば、後ろ足で蹴り飛ばす。爪と短剣を交錯させ、異形と狂気を交え、ヴォバンの気分は最高潮に達しようとしていた。

 

 肉を抉る、抉られる。傷を負わす、負わされる。血飛沫が舞い、苦悶の声が渦巻き、歓喜の咆哮が嵐を加速させる。

 

 楽しい、愉しい、心地良い。

 

 笑ってしまう、哂ってしまう、嗤ってしまう。

 

 これだ。これこそがヴォバンの求めた戦場(モノ)だ。生死を賭けた、血肉沸き踊る自らの生きる場所(死に場所)

 

 だが、足りない。こんなものではまだ足りない。こんな神獣(モノ)ではまだ足りない。やはり同格の神か神殺しでなくては、自分は満足することなどない……!!

 

 ふと一瞬だけ、二体の神獣から意識を外してみた。しかし、星琉の姿は何処にもない。

 

 逃げた? いや、そんなはずはない。ヴォバンが直感する所、あの少年は『勇者』だ。己や同族のような自分を第一とする『魔王』ではない。自分の為ではなく、他者の為に動く存在だ。そんな人物があの巫女を守るために、こんな負けに等しい状況で撤退を選ぶはずがない。

 

 果たして、ヴォバンのその考えは正しかった。

 

 背後から感じる小さな悪寒。一時の気の迷いとしてしまいそうな微かな違和感。それをどうしても無視することが出来ず、ヴォバンが狼の狭い視界を疎み、首を右に回して後ろへ向けると、そこには自分の背中を伝って登ってくる星琉の姿が。

 

『何だと?!』

 

 

――気式・浮雲(うきぐも)――

 

 

 それは、自分の重さを世界に伝えさせない歩法。『気式・疾空』の基礎技術を含んだ業であり、筋力ではなく霊気で干渉する事によって内界(自分)外界(世界)を隔絶させる技術を利用している。これによって使用者の重量は外界に伝わることは無く、水面の上でも自由に歩く事が出来るようになり、今回のように重さを掛ける事無く何かを登ったりすることも出来るのだ。

 

「っ――!!」

 

 ヴォバンに気付かれた事を悟った星琉は、『浮雲』が既に意味を失っていると判断し、体重を掛け、一気に加速してその眼前に迫る。彼を遮る存在は何も無く、ヴォバンもまた、格下を相手にしているという油断を盾にされていた。

 

「ぅ……おぉ――!!」

 

 

――透式・雷火墜刀(らいかついとう)――

 

 

 雷と火を纏った《墜天》を逆手に斬り上げ、狼王の右目を天に捧げるかの様な体勢で奪い去り、反撃を食らわないよう巨大とはいえ狼の身体という不安定な足場から油断無く離脱する。

 

「GRAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!」

 

『ガァアアアアア――ッ!!!!』

 

 血飛沫を目から噴出させながら絶叫するヴォバン。これを好機と見た星琉は、この一閃を足掛かりにして一気に畳み掛けようと駆け出した。

 

 しかし忘れてはいけない。ヴォバンもまた埒外の存在であるカンピオーネの一人。そう簡単に事が運ぶ訳も無い。

 

 狼王が大きくその口を開いた。噛み付くつもりかと想定し、意識だけ身構えた星琉だったが、その考えは自身を襲う強烈な暴風によって大きく否定された。

 

「ぐぅっ――!!」

 

 身体が軋み上げるほど強い負荷が風圧により掛かり、先程の焼き増しの様に大きく離される星琉。

 

 それでも一矢報いようと、神獣達に精神感応で命令して隙の出来たヴォバンを襲わせようとした。しかし――

 

「WOOOOOOOOOOOOOOOOOOONNNNNN!!!!!!!!」

 

 ヴォバンが一つ、大きく長い遠吠えをした時だった。それはまるで何かを呼び寄せるような咆哮で、反撃の狼煙でもあった。

 

 

――疾風怒濤(シュトルム・ウント・ドランク)――

 

 

 それは、ヴォバンが所有する風雨雷霆を統べる権能。彼はこれを今まさに行使しようとしていた。

 

 明滅する曇天。雨夜に轟く雷鳴。空を斬り裂く幾重もの落雷。それらは全てこの公園に集う様に振り下ろされ、星琉達を襲う。

 

――GROAAAAAAA!!!!

 

「ゲヒャアアアアアア!!!!」

 

 その雷電、熱量に苦しげな声を上げる神獣たち。どうやら致命的なダメージだけは追っていないようだが、目に見えて傷付いているのがその黒く焼け焦げた肌からも分かる。

 

「我、破壊神の祝福を受けし者也。我、死を殺せし者也。我、善の聖獣と成りし者也。故に我は雷をも断ち切り、魔狼を討ち取る者也!」

 

 しかし星琉だけは違った。無差別に降り注ぐ雷を自身に害するものだけに『心眼』によって焦点を絞り、『縁切り断つ破壊の星運』によって『分断』の力を得た黄金の剣と、本来持つ属性故に雷に干渉することの出来る《墜天》を以って雷光を斬り捌いて往く。

 

 十秒ほど続いたその嵐の舞台を裂帛の気合で何とか乗り切った。しかし残念ながら、神獣達はもう動けないだろう。

 

「『母の許へ還ろう。我が守護獣達よ』」

 

 そう呟くと、ウガルルムとウリディンムの身体が光の粒子へと解け、悔恨の感情を伝えながら星琉の内に還る。

 

 星琉に残された呪力は多くない。今からムシュフシュやクサリクという神獣達の中でも最上位の彼らを使役する事は出来ず、かといって未だ続く嵐の権能に対して有効だろう手は一つしか考え付かない。

 

 秒にも満たぬ時間で思考が纏まると、身体はそれに合わせて準備を開始していた。

 

 片刃の黄金剣に集う六本の光翼。それは大いなる権によって統べられ、闇夜を斬り祓う大いなる剣となる。

 

 それは、かつての夜の再来だった。ミカエルが復活した時に星琉に放った巨大な太陽の焔剣。星琉はあの剣を再現したのだ。

 

 無論、規模や威力は多少なりとも劣化している。あの時の大剣ミカエルがウルスラグナの『白馬』の力を吸収し、それを利用して鍛え上げたものだからだ。

 

 《墜天》を地面に突き刺し、巨大な焔剣となった剣を両手で持つ。

 

 地を蹴り、駆け出す。霹靂を心眼と身体捌きで避け、暴風には太陽の呪力で逆らい、空を駆けてヴォバンの眼前へと肉薄する。

 

「ハアアアアアァァァァァァァ――!!!!!!」

 

 

――透式・陽焔剣爛(ひえんけんらん)――

 

 

 身体を大きく弓形に逸らし、己の全てを使って大上段から振り下ろされた絶世のその一閃。ありとあらゆる物体を溶かし、斬り裂き、滅却し、まつろわぬ神ですら生半可な力では阻むことが叶わぬであろう、太陽の力を存分に宿したその一撃。ヴォバンに対して放たれた、嘗ての仇敵の力を己の物にした星琉のその剣は――

 

 

 

『嘗ァめるなァァァァァァァ!!!!!!!!』

 

 

 

「なっ――!?」

 

 ――狼王に噛み付かれ、受け止められ、その身を斬り裂けずにいた。

 

 星琉は混乱する。この剣の焔は当に太陽のフレア。分かり易く言えば護堂の権能であるウルスラグナの十の化身の『白馬』に相当する程のもの。躱されるのならいざしらず、まさか受け止められるとは思ってもみなかった。

 

「ゥ……ォォオオオオオオオオ!!!!!!」

 

 しかし、星琉は即座に意識を変え、剣に呪力を注ぎ込む。受け止められている理由は解らないが、ここまで来た以上退くという選択肢は無く、ただただ力技で押し込むばかり。

 

 燃え上がる焔剣。燦然と輝く陽光。誰もが希望を抱くような、生命を煌かせたかのような力強い光。

 

 

 

 ――しかしそれは、狼王によって甲高い音を立て、あえなく噛み砕かれた。

 

 

 

「っ――?!」

 

 喰われた、星琉はそう理解する。ただの獣の力ではなく、この狼が何らかの形で太陽と関連しているからこそ、このようにして噛み砕かれたのだと、星琉は漸く理解出来た。

 

 しかし、それはあまりにも遅すぎるもの。

 

「がっ――!!」

 

 空中で死に体になった星琉を狼王の爪が襲う。それは吸い込まれるように星琉の体に刻み付けられ、同時に遠くへ追いやる一撃となる。

 

 空気の抵抗を強く受けながら地面を二回跳ね、三転する星琉の身体。地に臥す彼の周りには、ただただ紅い一輪の華が花開きだす。

 

 そして、星琉の頭にはヴォバンの苦しげながらもどこか悦びを滲ませる精神が届いた。

 

『ぐっ……ククククク、面白いぞ小僧。まさかこのヴォバンから片目を奪い去るとはな! だが運が無かったな。私に太陽の力は殆ど効かないのだよ。……しかし、私も耄碌したものだ。目の前の小僧がどれほどの曲者……いや、貴様の場合は単に実力と言うべきか。それを初見とはいえ見誤るとは……。だが、それに見合うだけの収穫があったと言えよう』

 

 ああ、視線を向けずとも分かる。今目の前にいる狼の顔は、きっと牙を剥き出しにして愉悦に歪んでいるはず。だとすれば、ヴォバンの気が目前の勝利で緩み切っている以上無い好機だ。

 

 腕に力を入れ、脚は駆け出す準備を。剣と刀は既に自分の下に呼び寄せた。後は狼王の首を刈り取るのみ。

 

 激しい雨と暴風が星琉の身体を襲うが、そんな事は全く気にならない。

 

 そして、刀剣を握る手に力を入れた星琉は――

 

 

 

 ――また、自ら咲かせた紅い華に臥すしかなかった。

 

 

 

『ん? おお、まだ意識があったのか。あの手応えでは既に意識は無いものと思っていだが……中々しぶとい。まつろわぬ神との戦いの前座としては、貴様は十分に私と敵対してくれた。あと五年もあればこのヴォバンの足元には届くほどの『勇者』になっていただろうに……それだけが全く以って惜しい』

 

 弾む声が癇に障る。打ち付ける雨が身体を冷やす。流れる血が、自分の意識を奪っていく。

 

 駄目だ。ここで意識を失うという事は、助けを求めた彼女を見捨てる事だ。それだけは……それだけはやってはいけない!

 

 顔を上げ、ヴォバンを睨む。歯を食い縛って、全身に力を入れていく。身体の奥底からなけなしの呪力を練り上げる。まだ……まだ終わっていない――!!

 

『いいや、終わりだ。ここまで戦った貴様に敬意を表して、死後は我が手駒ではなく、あの巫女の騎士としてやろうではないか。光栄だろう?』

 

「だ……まれ……っ!!」

 

 

――力を……力を……力を! あの狼王を打ち倒す力が欲しい! 彼女を助け出せる力が欲しい! 護りたい存在(もの)を護れる力が欲しい!

 

 

――その為には何が足りない! それを成すには何が必要だ! それを得るには何を捨て去ればいい!

 

 

 心が(はや)る。精神が研ぎ澄まされる。魂が猛り狂う。星琉はこれ以上無いほどの激情を、内に宿していた。

 

「は……ぐ……っ!!」

 

 だが、雨に濡れた泥を握り、腕をついて起き上がろうとしても、また倒れる。星琉はもう、内に秘めるそれらを外に出す事は出来ない。既に彼の肉体は、如何に常人と画しているとはいえ、とうに限界を通り越しているのだから。

 

『さらばだ、吉良星琉よ。貴様の力はこのヴォバンが有効に活用してやる。――永遠にな』

 

 狼王が大きく口を開き、そこに光が集まっていく。これは――太陽の光。星琉が先程まで剣に統べていた太陽の光だ。

 

 もう一度ヴォバンに目を向ける。強烈な光で見え辛くなっているものの、彼の狼王の背後に、彼は五つの幻影を視た。

 

 緑の肌に白い包帯を幾重にも巻きつけ、王の冠を被った神。風を纏い、雨を従え、雷を携えた三柱の神。竪琴と弓を持ち、陽光を背に負いながら、何故かその光で出来た陰をも背負っている神。

 

 

――『オシリス』『風伯』『雨師』『雷公』『アポロン』――

 

 

 この瞬間、星琉は『闇夜に眩き月星の唄』を更に掌握し、霊視能力を獲得していた。

 

 夜の闇から星が降るように直感したこれらの神の名。おそらくヴォバンが殺め、権能を簒奪した神々の名だろう。

 

 ……足りない。だが足りない。この程度の情報では、ヴォバンを打倒するに足り得ない。もっと深く、核心を捉えるように、全てを知るように――己を理解するように、世界を把握するように。

 

 強く、強く、渇望した。薄れ行く意識の中で、それでも掴もうと必死に意識の手を伸ばした。

 

 

――今、何かに触れた。

 

 

――□□の柔らかな微笑みが浮かんだ。

 

 

――天を、地を、火を、水を、空気を、土を、光を、闇を、太陽を、月を、木を、雨を、風を、雷を、嵐を、狼を、死者を、■■を、■■を、■■を、■■を、■■を、■■を、■■を……………………。

 

 

――■■■■・■■■■・■■■■を…………。

 

 

――今、何処かに繋がった。

 

 

――ああ、此処は……きっと……。

 

 

「ま……りや……さん……」

 

 

 迫り来る太陽の光焔を茫洋な瞳に映しながら、護りたかった人の名を呟いて、星琉の意識は(ほど)けていった。

 


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