神典【流星の王】   作:Mr.OTK

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三 唸る老翁

「所で祐理さん。吉良さんとはその後、どんな感じですか?」

 

「はい?」

 

 草薙宅を訪れた翌日。祐理は約束通り待ち合わせ場所に迎えに来た甘粕の車に乗って、仕事へと向かっていた。先の質問は、その道中で運転席にいる甘粕が唐突に問うたものだ。

 

 しかし、助手席にいた祐理はその意図が読めず、首を傾げる。

 

「ですから、件の大魔王殿と祐理さんの個人的関係ですよ。 どうですかね? 二人きりの部室でイケナイイベントがあったり、帰り道に嬉し恥ずかしな展開になってたりしませんかね?」

 

「……甘粕さん、あなたが何を確認されたいのか、ちっともわかりません」

 

 にべもなく切り捨てる祐理に、甘粕は言い訳するかの如く言葉を並べた。

 

「いえね、吉良さんとはビジネスライクな関係を築くということで落ち着いてはいるんですが、もう一人の大魔王殿である草薙護堂氏に関しては試行錯誤している最中でして。その参考にさせてもらおうかと」

 

「私と吉良さんの個人的関係が、委員会の方針に影響するのですか?」

 

「します。大いにしますとも」

 

 いつになく真面目な様子で言う甘粕は、車を首都高に入れて、渋谷方面へと向かわせる。空は若干曇りだし、雨が今にも降り出しそうだ。

 

「……ぶっちゃけて言えばですね、私たちは草薙護堂氏と敵対関係になりたくありません。いざとなれば吉良さんに泣き付くつもりではあるんですが、彼との関係はとても希薄です。『依頼を請けたくない』と言われてしまえば、私たちにはなす術もありません」

 

「……そうでしょうか? 私には、吉良さんがそういった脅威からの守護を断られるとは思えません。こちらに非が無ければ、ですが」

 

 少しだけ、語気を強めて断定口調で言う祐理。対して甘粕は、「そうだと良いんですけどねェ」と苦笑しながら返した。

 

「出来れば、十分に親密な関係を保ちつつも、彼の行く末――この先どのような魔王に育つか見極めがつくまで、最終的な関係の構築を保留したい。そんな虫のいいことを我々は目論んでまして」

 

 甘粕たち正史編纂委員会が、何故これほどまでに慎重な対応を採っているのか。

 

 これが欧州であれば話は別だ。あちらでは幾人ものカンピオーネと共存してきた歴史があり、どのような対応を採ればいいのか、過去が教えてくれるからだ。

 

 しかし、彼らはこの二十一世紀に到るまで、一度も自国に誕生したカンピオーネと接触したことがない。それ故に、正史編纂委員会は真っさらな状態で共存の方法を探すしかないのだ。

 

「で、いざという時の為に、彼と親密な交友関係の下地も作っておきたいわけです。……この辺りは、最初に草薙護堂を発見した《赤銅黒十字》が実に上手い手を打っています」

 

「エリカさんの所属する結社が、ですか?」

 

 思い当たる節のない祐理が不思議そうに確認して返すと、甘粕は悔しいのかそうでないのかよくわからない調子で答えた。

 

「はい。結社の幹部候補を個人的な愛人として送り込んで、公的には無関係なのに彼の能力を存分に利用しています。あれは狡くていい方法です、ほんとに」

 

 ――愛人!?

 

 甘粕が何を言いたいのかを理解し、祐理は声を荒げて糾弾する。

 

「あなた方はエリカさんのような人を、更に増やすおつもりなのですか!?」

 

「神様の権能を持つ大魔王といっても、所詮は若い男の子ですからねー。そんな若人は、可愛い女の子でたぶらかすのが一番確実です。これぞ古典にして王道。ほら、旧約聖書に士師サムソンを陥れた美女デリラの話があるでしょう?」

 

「聖書を引き合いに出して誤魔化さないで下さい!」

 

 へらへらと軽薄に笑う甘粕に、憤慨の態度を示す祐理。いや、この場合は甘粕のみならずそういう指針の委員会に対してか。

 

 顔も知らない美少女が草薙護堂に纏わり付き、彼の好意を得ようと媚をうる。そんな場面を想像して、反吐が出るような思いになった。自分ならば絶対にやらない。

 

 そんな風に考えていると、想像の中で草薙護堂が吉良星琉になり、顔も知らない美少女は祐理自身に変わった。

 

 そうして、急に不安に駆られる。もしかしたら星琉には、自分がそういう目的で近付いているように見えるのだろうか、と。

 

「どうしました? 急に黙り込んでしまって」

 

「あ、いえ……何でもありません」

 

 気遣うように声を掛ける甘粕に対し、そんな気のない返事を返す祐理。

 

 それからはずっとその事を考えてしまって、車内は目的地に着くまで無言であった。

 

 

◆◇◆◇

 

 

 青葉台の閑静な一角にある公立図書館。そこが今回の目的地だ。

 

 関係者以外の入館、利用は一切認められておらず、そもそも近隣の住民はこの施設がどういったものかはっきりとは認知していないらしい。

 

 時折見掛ける人影は、全て正史編纂委員会の関係者だ。そんな場所に、祐理は甘粕の案内で足を踏み入れる。

 

 図書館としては、とても在り来りな造りだ。

 

 規則正しく街路樹のように立ち並ぶ本棚と、そこに敷き詰められた万の書物。

 

 しかし、そのいずれも普通の書物ではなく、魔術や呪術について記された専門書――魔導書や呪文書、それらの禁書の類ばかりだ。ここは、そういった危険な叡智の結晶を世間から秘匿し、隔絶し、管理する為にあるのだ。

 

「青葉台の『書庫』……話には聞いていましたが、来るのは初めてです」

 

「用がなければ来る必要のない場所ですしねー。じゃ、少し待っていて頂けますか。問題の(ブツ)を持ってきますので」

 

 そう言って、甘粕は図書館の奥へと入って行った。

 

 二階にある広い閲覧室で待たされる事になった祐理は、なんとなく辺りを見回す。人がほとんどいない事を除けば、特におかしな所のなさそうな場所である。

 

 しかし、棚に並ぶ数多の書物から溢れ出している怪奇の気を、祐理の霊感は如実に感じていた。

 

 未知に対する恐怖を少し感じながらも、今は魔導書に対する好奇心が勝り、祐理は書棚の木々を探索し始める。

 

 本の題名の多くは、英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ヘブライ語等の横文字ばかりだ。日本語で書かれた書籍は、ぱっと見で三割にも満たない。

 

「……あら?」

 

 そんな中で一つ、背表紙に何の文字も書かれていないという奇妙な本を見付けた。邪悪な気配は感じられなかったので、本の縁に人差し指を掛けて抜き出す。

 

 それは、黒い革表紙の本だった。表にも裏にも題名は書かれておらず、中を見ると白紙ではなく、黒く塗り潰された頁ばかりだ。

 

「どういう書物なのかしら……」

 

 祐理がそう呟いた瞬間、ちくりと何かが刺さったような痛みが走る。そして突然、開いていた頁に日本語で文字が浮かび上がった。

 

――汝、我が叡智を学ぶに相応しき者なり。願わくば、汝がこれを正しき為に用いん事を――

 

「え……きゃっ!?」

 

 少しすると文字が消え、本がひとりでに閉じていく。そうして右側を背にして表紙まで戻ると、黄金の文字でタイトルが浮かび上がった。

 

 ――『霊典・幽現目録』――

 

 それが本の題名だった。著者はカーター・オルドラ。

 

 魔術や呪術の秘奥について記述された書物。その中には時を経る内に自ら魔力を蓄え、希少ではあるが意思を持つにまで至った『特別品(スペシャル・ワン)』も存在するという。

 

 おそらくこれもそういった逸品の中の一つなのだろうが、今のは一体何だったのだろうか?

 

 そうして混乱の中にいると、甘粕が件の魔導書らしき本を携えて戻って来た。

 

「お待たせしまし……どうしたんですか?」

 

「あ、甘粕さん……これが……」

 

 少しおどおどとした様子で『霊典・幽現目録』を差し出す祐理。

 

 触れてはいけないと特に言われた訳ではないのだが、勝手に文字が浮かび上がってしまったのは問題があるだろうと思ったのだ。

 

 しかし、甘粕の応対は彼女の予想外のものであった。

 

「ああ、これですか。余程高名な魔術師が書いたのか、とても強い力が秘められている事は分かっているんですが、何が書かれているのかはさっぱりなんですよ。水に浸しても火であぶっても、うんともすんとも言わないんです」

 

「え……?」

 

 甘粕の言いようでは、彼にはこの黄金の文字が見えていないように思える。不思議に思って魔導書にもう一度目を移すと、確かにそこに黄金の文字は綴られていなかった。

 

 では、さっきの現象は一体何だったのだろうか?

 

「ま、祐理さん程優れた霊感を持つ方なら善い物と悪い物の区別がつくとは思いますが、これからは余り不用意に触れないで下さい」

 

 問い質す間も与えられず、本は甘粕の手によって元の位置に戻された。

 

 浮かんだ文字の事を伝えようとした祐理だが、甘粕はそんな彼女に気付かず、自分の話を進める。

 

「それでですね、視てもらいたいのはこれなんですよ。強力な守護の呪文で守られていまして、無理に読もうとするとイヤ~な事態になるので、誰も鑑定出来ないのです」

 

「……嫌な事態、ですか?」

 

 一先ずあの魔導書の事は置いておいて、鑑定が終わってからもう一度言う事に祐理は決めた。そうして、甘粕に話の続きを促す。

 

「はい。部屋の隅で踞って他人には見えないエンゼルさまと会話したり、アバババババとか奇声を発しながら精神世界への長期旅行に旅立ったり」

 

「そんな危険な本を人に鑑定させないで下さい!」

 

 唐突に告げられた相当重要な情報に、祐理は冷や汗を掻きながら苦言を呈した。

 

 しかしそれも当然である。そんな危険とわかっている物に、誰が好き好んで関わりたいものか。

 

「大体それほど危ない術で守られているのなら、かなり強力な魔導書と見て間違いなさそうじゃないですか! 鑑定の必要はないと思うのですけど……」

 

「ああ、そこで人間の欲は怖いという話になりまして。何て事のない魔導書もどきに強い守護の術をかけて、いかにも稀少本ですって感じに見せて高く売り付ける手口があるんです。なぁに、祐理さんなら本を読まなくても鑑定出来るから大丈夫ですよ」

 

 曇りのない笑顔で無責任な事を宣いながら、甘粕はテーブルに革で装丁された薄めの洋書を置いた。

 

 ――『Homo homini lupus』――

 

 どうやら、ラテン語で書かれた物のようだ。装丁の傷み具合や紙の質感などから、少なく見積もっても百年以上は前の古書のように見受けられる。

 

「もしこれが本物ならば、一九世紀前半のルーマニアで私家出版された魔導書になります。その昔、エフェソスの地で密かに信仰された『神の子を孕みし黒き聖母にして獣の女王』の秘儀について記した研究書で、読み解いた者を『人ならざる毛深き下僕』に変えてしまったと言います。ま、狼や熊辺りが定番ですかね」

 

 つらつらと流水のように薀蓄を披露する甘粕。祐理はその中にあった彼の微妙な含みを持たせた物言いに気付き、問い質す。

 

「変えてしまったと言われますと読み終わった時には姿形が変わり果てていたように聞こえるのですが……。それだと、魔導書というより呪いの本のような――」

 

 恐る恐ると、出来れば外れていて欲しいという思いを込めてそう言った祐理だが、甘粕は感心して、爛々と目を輝かせながら大きく頷いた。

 

「おお、鋭いですね。正解です。これ、魔術の伝道書にして、狼男を次々と増殖させる呪詛が込もった呪いの魔導書なんです。ですから、本物ならかなりレア物なんですよ!」

 

「そんな事を嬉しそうに言わないで下さい!」

 

 もしかしたら甘粕はそういった物に興味のあるオカルトマニアなのかもしれないが、流石に不謹慎である。

 

 ともあれ、これは祐理に与えられた仕事なのだ。しっかりと責務を果たさなければ……そうして、早く帰ろう。

 

 そんな風に考えながら、魔導書と向き合う。霊視を得る為に精神を研ぎ澄ませ、心を空にしながら。

 

 得られるイメージは、鬱蒼とした森に住まう魔女、それを崇め奉る獣達。――その中でも存在感を一際感じさせるのは、狼、熊、鳥……。

 

「これは、呪いの書などではありません……読み手に十分な見識があれば、この本に秘められた力に侵されず、知識だけを獲得する事が出来るはずです」

 

 霊視によって、この魔導書の存在定義を漠然とだが理解した祐理は、夢現な様子でそう呟き続ける。

 

「姿形を変容させるのは、呪詛ではなく試練――資格無き者が紐解かぬようにする為の仕掛けなのです」

 

 断定口調でそう言う祐理に、甘粕は感心した様子で納得したように頷いた。

 

「ははあ。つまり、これは本物だと。一目で見抜くとは流石ですね」

 

「たまたま分かっただけです。次もこう上手くいくとは限りませんから、あまり当てにしないで下さいね」

 

 そんな風に念を押しつつ、祐理は自分の霊視の精度が向上している事に気付いていた。

 

 この魔導書の事を深く理解出来ている。表面上の部分であれば、全て理解したと言って良いほどに。

 

 一体何故、と疑問に思っていると、不意に甘粕が消えた。

 

 いや、それだけではなく、周りに犇いていた本棚も、霊視していたあの魔導書も消え失せ、祐理はただ一人真っ暗闇の空間に投げ出されていた。

 

 湿度の高いじめじめとした空気。思うにここは、洞窟であろう。

 

「これは……幻視? あの魔導書のせいかしら?」

 

 驚きはしたが、取り乱す様な事はなかった。そう多くあることではないが、強大な呪力を秘めた物や存在――あの魔導書やまつろわぬ神などに接触した直後、祐理は霊視が高じて幻視する事があるのだ。

 

 祐理の視界に、蠢く何かが映り込む。そちらに意識を向け、闇の中で見えにくかったので目を凝らそうとした瞬間、まるでその闇に慣れたかのように視界が明瞭になり、焦点が自然と定まった。

 

 それは鼠のように見えた。徐々に徐々に大きくなっていき、やがて鼠としては有り得ない程の体躯となった。しかしそれも当然だ。鼠は既に鼠ではなく、犬――否、狼となっていたのだから。

 

 狼は一つ遠吠えすると、四つ脚ではなく二足で直立するようになった。これは、人狼の姿である。

 

 どうしてこんな幻視を? あの魔導書に接触したせいなのだろうか?

 

 そんな風に祐理が疑問に思っていると、人狼はゆっくりと歩みを進めて暗闇の洞窟から地上へと抜け出した。

 

 そうすると、大蛇を見つけた。人狼は勢い良く襲い掛かり、牙で噛み付き、爪で切り裂き、蹂躙して殺戮する。

 

 その後、頭上に天高く輝く太陽へ求めるように手を伸ばす。

 

 果たして、人狼はその光輝なる灼熱の恒星を、素手で掴み取ってしまった。その上、それを己が物にせんと、支配する事を指し示すかのように呑み込んでしまう。

 

 そうして人狼は、一人の老人へとまたもや変貌した。そしてそれは、かつて祐理が対峙したことのある人物。カンピオーネと判断出来るきっかけになった人物。

 

 長身痩躯、彫りの深い、理知的な面差し、そして何よりも印象的な、エメラルドを直接嵌め込んだような双眸。

 

 東欧と南欧を支配する古参のカンピオーネ。だというのに、老いを全く感じさせない魔王は輝く邪眼を祐理に向け、目的の獲物を前にしたかのような獰猛な笑みを浮かべる。

 

「――ヴォバン侯爵!? そんな、あなたが何故!?」

 

 極寒の地に身が晒されたような、心臓が鷲掴みにされたような恐怖が祐理を襲った。

 

 しかしその直後、祐理の目の前に先程の漆黒の本が現れて独りでに開くと、その頁から闇が溢れ出し、一人の人間の形を成して、祐理を守護するかの如く古きカンピオーネに立ちはだかる。

 

「吉良……さん……」

 

 心の奥底で生まれた確かな安堵を感じながら、祐理は意識を手放した。

 

 

◇◆◇◆

 

 

 次に祐理が目を覚ました時、そこは見慣れた七雄神社の社務所の自室であった。

 

 ――ひどく喉が渇いている。まるで数日間、ずっと何も飲まなかったかのように。

 

 汗で濡れた白衣と袴に不快感を覚えながら、乱れた髪の具合を直し、何か飲み物を求めて台所へ向かう。この社務所はその気になれば生活基盤を築く事も出来る作りで、有事の際には寝泊まりすることもあるのだ。

 

 祐理が台所へと向かうその途中、何処かで見たような草臥れたスーツが目に入った。甘粕だ。

 

「ああ、祐理さん。よかった、目を覚まされましたか。何か、体調に異常は?」

 

「特におかしなところは、何も――。私はあれから、どうなったのですか?」

 

 祐理がそう尋ねると、甘粕は苦笑して、やれやれといった仕草を見せながら、説明してみせた。

 

「例の魔導書を霊視して頂いた直後、急に意識不明に陥られましてね。慌てて七雄のお社まで連れ帰った次第です。……いやはや、宮司や権禰宜にもたっぷり叱られてしまいました。畏れ多くも媛巫女様に何をさせているんだ、と。ご迷惑をお掛けしました」

 

 そう言って頭を下げる甘粕。今の彼にはいつもの飄々とした様子は無く、誠意の篭った謝罪だと伺えた。

 

 しかし、頭を上げた次の瞬間には先程の誠意篭った姿勢は何処へやら、興味深そうな様子で祐理に尋ねる。

 

「それはそれとして、あの時様子が変でしたけど、何かとんでもないモノでも視えたんですかね?」

 

「っ! そう、ですね……。奇妙なものは視えました」

 

 咄嗟に祐理の口から出たのは、そんな曖昧な言葉であった。

 

 カンピオーネの一人であるヴォバン侯爵を霊視するなど、只事ではないはずだ。しかも、かの魔王と出会ったのは四年も前の話であるし、東欧由来の魔導書を霊視したせいで記憶が甦ったのか、はたまた別の要因か、祐理自身何故彼の者の姿を幻視したのか、理解出来ていない。

 

 だが、軽々しく話すべきではない事は理解していた。ヴォバン侯爵の名を出せば事が大きくなり過ぎるのは、火を見るよりも明らかであるからだ。

 

「ですので、可能であれば念の為、 もう一度あの魔導書を視たいのですが……。よろしいでしょうか?」

 

 祐理がそう尋ねると、甘粕は難しそうな表情を浮かべながら、仕方ないとでも言うように苦笑して答えた。

 

「うーん、また何かあったら宮司達の雷が落ちちゃうんですがねェ……。ま、いいですよ。元々祐理さんを巻き込んだのは此方の都合ですし、祐理さんが協力して下さると言うのなら、拒む理由もありませんからね。……さて、祐理さんの無事が確認出来た所で、私も失礼しますか。今日はお疲れ様でした」

 

 祐理が礼を言う間も無く、とっとと帰って行った甘粕。そんな彼に一瞬呆気にとられるも、そういう人だったと嘆息する。

 

 お風呂に入って、今日はもう寝てしまおう。

 

 胸の奥底で燻る小さな不安を押し込めて、祐理はそう思った。

 

 

 ◆◇◆◇

 

 

 同時刻、東京都某所。

 

 かつてとある華族の別邸であったという美しい日本庭園の中に、そのホテルは建っていた。

 

 そのホテルの庭園内に造られた、別棟である伝統様式の日本家屋風のスイート。天婦羅や刺身などの、日本を代表する和食の献立が並ぶテーブル。そこに、明らかに日本人ではないであろう二人の男女がいた。

 

 男女と言っても恋人や夫婦などでは無く、外見上は祖父と孫という関係がピッタリ当てはまる様子だ。その実態はそんな和やかなものとは程遠いものであるが。

 

「所でクラニチャールよ、例の巫女の消息は掴めたかね?」

 

 二人の内の一人、酒杯に注いだ日本酒を手酌で飲み干す人物が、銀褐色の髪を一つに束ねた少女に問い掛ける。

 

 彼の者の名は、サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン。『ヴォバン侯爵』と人は呼ぶ。世に九人しか存在しない神殺し――カンピオーネの一人であり、恐らくは300年以上生き続けていると考えられている魔王だ。

 

 彼の声音は重く落ち着いた様子を窺わせ、広い額と落ち窪んだ眼窩、日焼けした様子のない蒼白い肌、銀髪はただ老いを感じさせるのではなく、積み重ねた年月の重みをも言外に伝える。それらが相俟って、何かしらの分野の教授と言われても全く違和感が無いだろう。

 

 だがしかし、その本質は全くの真逆である。

 

 そもそも何故、ヴォバンは日本に居るのか。その理由からして知的な外見を大いに裏切っているのだから。

 

 その理由というのは、かつて世界中の巫女を集めて行った『神の招来』――まつろわぬ神を現世に招来する大魔術を再び行う事。その為に必要な人材を、以前の微かな記憶を頼りに日本を訪れていたのだ。そう、万里谷祐理を求めて……。

 

「いえ。申し訳ございませんが、未だ消息は掴めておりません。お許し下さい」

 

 頭を垂れながら、クラニチャールと呼ばれた少女――本名リリアナ・クラニチャールはそう告げた。

 

 彼女の所属は、エリカ・ブランデッリの所属する《赤銅黒十字》とライバル関係にある魔術結社《青銅黒十字》である。

 

 何故彼女がヴォバンの隣に侍っているのか。それは、彼女の祖父と、エリカ・ブランデッリ、草薙護堂が原因だ。

 

 新たに新生した八人目――否、人目のカンピオーネ、草薙護堂。その愛人の座にライバル関係にある《赤銅黒十字》の幹部候補であるエリカ・ブランデッリが就いた事で、リリアナの祖父は大いに対抗心を刺激され、孫娘を別の魔王に差し出す事で対等に立とうとしたのだ。

 

「……ふむ、そうかね。まあ構わぬよ。どうやら運良く、小鳥の方から籠の中へ飛び込んできた所でな。少し糸を手繰り寄せれば、どうとでも居場所は突き止められそうだ」

 

 祝いの席の時に使われるような大振りな酒盃を煽りながら、ヴォバンは唇の端を吊り上げる。

 

 彼の妙な――詩的な言い回しに眉を顰めるリリアナだったが、ヴォバン自身が何故そのように言ったのかを明かした。

 

「つい先程の話だがね、何者かがこのヴォバンを幻視していたのだよ。何が切っ掛けとなったかは知らぬが、この私の気配を霊感により探り当て、常ならぬ者を見通す眼力によって霊視したわけだ。――大した巫力だと言えないかね?」

 

 そんなヴォバンの様子に戦慄するリリアナ。彼女はカンピオーネの異常性について、幾つか風の噂で聞き及んだ事がある。

 

 その一つがカンピオーネは総じて並外れた直感力により危険を察知し、その動物的な本能によって神の気配を感じ取る、というものだったのだが、まさか自分に対して行使された霊視術を見破るなど、聞いたこともなかった。

 

 並大抵の……いや、たとえどれだけの才能があったとしても、霊視術を見破るなど人間には出来ないだろう。この老人の能力は、一体どこまで規格外なのか……!!

 

「そやつが探していた巫女かは知らぬがね。それだけの巫力を持っているのだから、捕らえれば十分、私の役に立つだろう」

 

 くつくつと微笑しながら、ヴォバンは水でも飲むように酒を呑み干し、無造作に食物を喰らっていく。食べ合わせなど、全く気にした様子も無い。彼にとって食事というのは、自身に必要な動力源を供給するための『作業』でしかないのだ。

 

「さて、クラニチャールよ。どうやら君は探し物が苦手なようだから、誰に探索を任せようか? ……やはり、この手の仕事は魔女に限るかな。――マリア・テレサよ、来るがいい」

 

 ヴォバンの呼び掛けに呼応して現れたのは、黒いつば広の帽子を目深に被り、同じく漆黒のドレスを纏った、一般的な魔女に対するイメージを体現した格好の女性の……死者。

 

 これこそがヴォバンの権能の一つ、『死せる従僕の檻』。自らが屠った人間の魂を現世に縛り付け、生きる屍として絶対服従させる権能。

 

「かつて魔女なりし死者よ。この私を幻視してみせるほどの霊視術者だ。居場所を探るのはさして難しくもあるまい。生前の技を駆使して、見つけ出してみせろ」

 

 この命令に、マリア・テレサは生気の無い蒼白の顔を、錆びた機械人形のようにぎこちなく縦に振って応え、姿を消す。

 

 ヴォバンに狙われた少女の未来を憂い、リリアナは深くため息をついた。




活動報告にてご意見募集中。この後のお話についての事なので、よろしければ皆さんの声をお聞かせください。

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