神典【流星の王】   作:Mr.OTK

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二 日々と日々の狭間で

 雲一つない灰色の空。流れ落ちる滝は水の煌めきがない。辺りの木々は白と黒の濃淡でしか色がなく、まるで世界全体が墨絵で描かれたかのようだ。

 

 そんな場所に、異彩を放つ存在が一つ。

 

 右手に青み掛かった三尺三寸の静謐な刀を、左手に同様の長さの絢爛な黄金のファルシオンを持ち、その二振りの刀剣をだらりと下げている。背には呪力で編まれた三対六枚の黄金の翼があり、瞑想をするように佇む姿は神秘的な雰囲気を醸し出していた。

 

 ある意味異物とも言える存在――星琉が静かに目を開く。視線の先には何もないが、しかし彼は誰かを捉えていた。

 

 姿が掻き消える。否、それは星琉が目にも留まらぬ速さで動いた結果。

 

 少し離れた場所に現れ、刀剣を縦横無尽に振るう。袈裟、刺突、切り上げ、逆袈裟。繰り出されるその剣閃、正に流麗なる清流の如し。

 

 後退する。右に左に身体を振る様は、何かを避けているように見て取れる。傾けながら構えられる刀剣は、何かを受け流しているのか。

 

 前方へ跳躍して、身体を捻り回しながら刀で一閃。次いで、剣もその軌跡をなぞった。

 

 着地した、と思われる瞬間には、彼は既にある程度離れた場所へ。常人の身では考えられない程の驚異的な身体能力と瞬発力だ。

 

 ――息を一つ吐く。今度は真上へ跳躍し、最高度で星琉は停滞した。

 

 歯を食いしばり、唇がキュッと真一文字に結ばれる。すると、背にあった翼は鋭利になり、六振りの光剣となった。

 

 眉間に皺が寄っていく。その険しさに比例するかのように、光剣は二振り、三振りだけの緩慢とした動きから、徐々に四振り、五振りと本数が増え、躍動的なものへと移行していった。

 

「……やっぱり、難しいな」

 

 ため息をつきながら、自身の行動に関する感想を零す。

 

 

 ――『天日の翼と日輪の星剣(フェンサー・オブ・ザ・サン)』――

 

 

 そう名付けた熾天使ミカエルから簒奪した権能は、星琉に太陽の光と熱を持った呪力の翼、白金の星剣を与え、星琉はそれを幽世にて訓練していた。

 

 通常、幽世に訪れるには特殊な霊薬を摂取し、《世界移動》という大掛かりな魔術を行使しなければならないのだが、星琉は先日掌握の進んだ『闇夜に眩き月星の唄』によって現世での転移だけでなく、それら一切の手順を省略して現世と幽世の間を自由に行き来出来るようになったのだ。

 

 それはさておき、取り敢えずある程度権能の力を確認した星琉は、権能を解除して地に降り立った。

 

「天、地、冥の三界結ぶ――」

 

 幽世から現世へ『世界移動』する為の聖句を唱える。すると、星琉の影が膨れ上がり、彼を包み込み、その場から消し去った。

 

 幽世での修業。それが、今の星琉の朝の日課である。

 

 

◇◆◇◆

 

 

「んーっ! 今日はいい天気だなぁ」

 

 ミカエルを討ち取ってから一ヶ月程が過ぎ、六月の終わりが近付いていた。あの戦いで出来た傷も完治し、無事に退院して学校にもしっかり復帰している。

 

 近頃は梅雨の時期らしく雨の降る日が続いていたのだが、今日は久しぶりの晴天、それも雲一つない快晴だ。

 

 一つ伸びをして、さんさんと降り注ぐ陽光を一身に浴びたら気分は爽快。通学路の途中の民家に咲いている、朝露に濡れた青い紫陽花を眺め、六月の風情を感じる。

 

「おはようございます、吉良さん」

 

「おはよう、万里谷さん」

 

 通学路の半分程を歩いた所で、祐理と合流した。特に申し合わせた訳ではないのだが、ここの所祐理と一緒に登校するのが星琉の常だったりする。

 

 歩き続ける二人の間に会話はない。しかし、どちらも気まずそうな様子は見せておらず、むしろその閑静な空気を楽しんでいるようにも見えた。

 

 ミカエルとの戦いが終わってからというもの、星琉と祐理の関係は少しだけ変わったかもしれない。

 

 それは彼氏彼女というわけではなく、信頼出来る仲間、もしくは戦友、というのが一番近いだろうか。

 

 友人と言うには少し近い。恋人と言うには少し遠い。知り合いと言うには関係が浅くなくて、親友と言うには日が浅い。そんな二人の距離関係。

 

「「あ……」」

 

 そよ風が吹く。何と無く、夏の香りが漂ったような気がした。

 

 

◆◇◆◇

 

 

「んで、お前はどうやって学校一の美少女である万里谷さんと懇意になったんだ? 星琉」

 

「あ、それあたしも訊きた~い! 皆気になってるんだよ。吉良くんはどうやって祐理ちゃんを落としたのかって!」

 

「えっと、二人が期待してるような事は何もないんだけど……」

 

「お、おと……!?」

 

 四限目の授業である数学が終わり、昼休みの時間。星琉は祐理と友人である正敏、そして正敏の彼女である同じく一年六組の御崎綾と机を合わせて昼食を摂っていた。

 

 御崎綾という人物は背が低く、155cm程しかない。髪は栗色のセミロングで、くりっとした目と身長に反比例した胸、人懐っこい性格が特徴だ。

 

 そして話題に上がったのが星琉と祐理の接点。祐理は綾の『落とした』発言に顔を赤くし、口をぱくぱくとさせて驚いている。

 

 無論、正敏と綾は魔術界と全く関係のない一般人なので、本当の事を話す訳にはいかない。

 

「万里谷さんとは同じ部活だし、仲良くするのは別に変な事じゃないでしょ。あと御崎さん、別に万里谷さんは僕の彼女でもなんでもないから、そこの所間違えないように」

 

「えぇ~、ホントかなぁ~? 祐理ちゃんどうなの?」

 

「そんな綾さんのご想像するような関係ではありません! 変な勘繰りは止して下さい!」

 

 綾はその性格故か祐理と打ち解け、名前で呼び合う程度にはすぐに親しくなった。

 

 とはいえ、周りの迷惑にならない程度の大きな声の否定で、正敏と綾も二人がそんな関係ではないと――

 

「ね、どー思う?」

 

「うーん、ビミョーなんだよなー。なんつーか、自然と嵌まってるような感じはするんだけど……脈があるかないかと聞かれると、分かんね」

 

「二人とも僕の話ちゃんと聞いてた?」

「お二人とも私の話をちゃんと聞いてましたか?!」

 

「「おお! シンクロ率99.89%!」」

 

 ――分かっていなさそうだ。まあ、誤解されるような返答の仕方をした星琉と祐理にも一因はあるだろうが。

 

 気分によって変わったりするが、基本このようにして四人で食べるのが最近の風景だ。

 

 学校一の美少女であり、かつ成績も優秀という才色兼備を体現したような人物である祐理は、高嶺の花のような扱いでクラスでも何と無く浮いていたのだが、星琉や正敏、綾と一緒に昼食を摂るようになってからは他の女子に一緒に食べないかと誘われる事も多くなった。

 

 では男子はというと……全くである。

 

 実は一度、勇気ある男子生徒――鎌田健(かまたたけし)君が四人の食事に交ぜてくれと割り込もうとしたのだが、一瞬、注意していなければ分からない程度の時間で、祐理が戸惑った表情をした。

 

 それに気付いたのは綾だった。彼女は祐理のその一瞬の表情である程度察し、男子禁制を言い付けたのだ。

 

 当然、「吉良と井沼はどうなんだよ!?」と男子勢からブーイングが出たのだが、「正敏はあたしの彼氏だし、吉良くんは部活仲間だから例外なの! 祐理ちゃんは繊細で男に慣れてないんだから、狼を入れるつもりはありません!」という綾の言葉で女子勢が一致団結。男子勢は鎮静化した。その代わり、負のオーラがクラスの一部に溜まったり、星琉や正敏にぶつけられるようになったが。

 

 実は綾、一年五組の室長である。何と無く無茶な男子禁制の主張が通ったのも、女子勢が一致団結して味方になったのも、彼女の妙なリーダーシップ故である。カリスマ性と言い換えてもいいかもしれない。

 

 それはさておき、そんな風にいつも通りの昼食を楽しんでいた四人だったが、突然の闖入者によって一時中断されることとなった。

 

 一年五組の戸をガラガラと開けたのは、同じクラスの草薙護堂だ。彼と彼の恋人(?)であるエリカ・ブランデッリの噂は学年中に広まっており、当然彼を敵視する者は多い。

 

 しかし、彼はそんなものには目もくれず、誰かを捜すかのようにキョロキョロとして星琉と祐理を見つけると、どこか必死な様子で近付いて来て、尋ねた。

 

「なあ吉良、万里谷、突然で悪いんだけど、今日の放課後、時間あるか? もし都合がよかったら俺の家に来てくれないか」

 

 放っておいたら頭を下げそうな勢いで話す護堂。傍目から見たら拝み倒しているように見えるかもしれない。

 

「うーん、僕は特に用事はないし、お誘いは嬉しいけど、突然お邪魔して大丈夫なのかな?」

 

「全然大丈夫だ! じゃあ、来てくれるんだな?」

 

「そうさせてもらおうかな。それにしても、突然どうしたの?」

 

 この二人、護堂が星琉の入院中に見舞いに来ていた事もあって、たまに近くのバッティングセンターに行ったりなど、友人と言える程度の付き合いはしていた。

 

 しかし、家に誘われたのは今回が初めてだ。悪巧み……ではないが、何か事情があるのでは、と星琉は踏んでいた。

 

「……実はな、一緒にエリカも来るんだよ。それで、吉良と万里谷には俺の弁護をしてもらいたいんだ」

 

 護堂とエリカの関係について、星琉は正史編纂委員会の調査書と、入院中に話してくれた護堂の証言の二つの情報源がある。その時は万里谷も一緒に見舞いに来ていたので、彼女も同様だ。

 

 星琉としては他人の恋路にとやかく言いたくはないのだが、当の本人がこう言うのであれば仕方がない。

 

「分かった。でも、僕の主観で話すし、嘘を言うつもりはないから、必ずしも君を擁護する事になるとは限らないよ。それでもいい?」

 

「吉良の主観っていうのが気になるけど……来てくれるだけマシだ。ありがとう、吉良! それで、万里谷は?」

 

「男性のお宅へいきなりお邪魔するのは正直気が引けるのですが……そういう事情なら仕方ありません。お引き受けいたします」

 

「ありがとう、万里谷! じゃあ、そういう事で!」

 

 意気揚々とした様子で自分のクラスへ帰っていく護堂。正敏は唖然とした様子で星琉に尋ねる。

 

「おい星琉、お前は万里谷さんと仲良くなってると思ったら草薙までか。いつの間にそこまで仲良くなったんだよ?」

 

「ちょっと、事故の時にね」

 

 あの夜の戦いの後の入院は、名目上交通事故に遭って入院していた、という事になっている。だから間違っている訳ではない。

 

 ふーん、とどこか意味ありげな視線を向ける正敏だったが、それ以上追究することはなく、星琉と祐理もまた、昼食に意識を戻した。

 

 

◆◇◆◇

 

 

 草薙家のお宅は城楠学院の校舎から十数分程歩いた、文京区根津の商店街にある古書店だった。護堂によれば、もう店は閉めているらしい。

 

 彼に連れられて居間へと案内してもらうと、そこには後輩である静花と、初老と思われる人物がいた。

 

「おかえり、お兄ちゃん。ねえ、聞いて。おじいちゃんが今日の晩御飯、手巻き寿司にでもしよう……か、だって……。一緒に、お買い物に……」

 

「ああ、お帰り。今日はたくさんお客様を連れて来たね?」

 

「……ええと、何て言うか、色々あって友達を連れて来る」

 

「ふうん。色々、ねえ?」

 

 意味ありげに呟いてから、静花はこちらに会釈した。

 

「こんにちは、万里谷先輩、吉良先輩。そちらの方はお兄ちゃんと仲良しのエリカさんでしょ? 知ってるよ……色々(・・)聞いてるから」

 

 どことなく怒っているような雰囲気を漂わせ、エリカに対する敵愾心を隠そうともしていない。

 

 しかし、エリカはそんなものどこ吹く風、といった様子で自己紹介を始める。

 

「こんにちは、静花さん。前にお電話でお話しさせていただいたことがあったわね? はじめまして、おじいさま。今日は突然お邪魔して、ごめんなさい。わたし、どうしても護堂のご家族とお話してみたかったんです。許してくださいね?」

 

「ほほう。……ま、とにかく座りなさい。今お茶を用意してくるよ」

 

 護堂に促されて大きな卓を囲む。中心に護堂、右隣にエリカ、左隣に星琉、更にその左隣に祐理が座る。護堂の正面には静花がいて、その隣で二人の祖父がにこやかに微笑んでいる。

 

「そちらの君達も、護堂の友達ということで構わないのかな?」

 

 不意に、こちらに水を向けられた。なんだかんだで挨拶が出来ていなかったので、この気遣いはありがたい。

 

「初めまして、吉良星琉と申します。草薙君とは最近知り合いまして、良いお付き合いをさせて頂いています。茶道部に所属しておりまして、静花さんにもお世話になっています」

 

「万里谷祐理と申します。今日はぶしつけに押しかけてしまい、申し訳ございません。吉良さんや静花さんと同じく、茶道部に所属しております」

 

「じゃあ、二人とも静花の先輩でもあるわけだね。護堂と仲良くなったのも、それが縁で?」

 

 二人の丁寧な挨拶に頷いた祖父――一朗が、何気なく尋ねる。これに星琉が答える前に、静花が答えた。

 

「それが、あたしは無関係なんだよね。お兄ちゃんと吉良さんと万里谷さん……はそんなにかな? ともかく、いつの間にか仲良くなってたの。エリカさんとも、いつ知り合ったか謎だし。前に電話でおしゃべりした時は、日本語がお上手だから外国の人だなんて思わなかった。……エリカさんとお兄ちゃん、ものすご~く仲良いんだよね? 学校中の噂になってるよ」

 

 どうやら、二人の仲は学年だけに留まらず、学校中に広まっていたらしい。意外な事実に少し面食らっていると、静花の言葉に護堂は反論する。

 

「確かにエリカとは仲が良い方だと思うけど、それだけだって。静花にだって仲の良い友達ぐらい、何人もいるだろ」

 

「少なくともあたしには、転校初日に婚約宣言するような友達はいないけどね」

 

 カウンターを喰らってあっさり撃沈である。驚きの内容だが事実だ。流石にあの時は星琉も虚を突かれたものだ。

 

「わたしと護堂のことが噂なんかになってるんだ。なんだか照れくさいわね」

 

「噂のネタを作っている本人が言っても説得力ないぞ。いつも嫌がる俺を無理矢理巻き込むのはエリカじゃないか!」

 

「もう、そういうこと言わないでよ。……いつも無理矢理じゃないんだし」

 

 すっ、とエリカが護堂に手を伸ばす。

 

 彼女と護堂の手が重なり合いそうになった瞬間、星琉は思い切り護堂のシャツの背を引っ張った。

 

 近くに座っていたからこそ出来た事であり、何が起こったか分かっているのは星琉と護堂とエリカだけだ。祐理や静花、一郎には見えていない。

 

「のわ?!」

 

 結果、護堂は座りながら後ろ向きに転倒した。端から見れば実におかしな光景だろう。

 

「もう! 何やってるのよお兄ちゃん!」

 

「い、いや……えっと……済まん」

 

 妹からの叱責にたじたじの護堂。小声で星琉に抗議をする。

 

「何するんだよ!?」

 

「あのままブランデッリさんに手を握られてたら、彼女の思う壷だったんじゃないの? だから強引にでもあんな行動に出たんだけど」

 

 少し考える様子を見せた護堂。もしも手を握られていたらその後どうなっていたのかを想像したのだろう。

 

「……悪い、助かった」

 

「どういたしまして」

 

 そんな風に二人でこそこそしていると、静花が訝しげに声を掛けた。

 

「……何二人でこそこそ内緒話してるんですか? 何か聞かれたくない事でも?」

 

 なんだか後輩が刺々しい。もしかしたら、と思う所があった星琉は、それを確認する為の言葉を発した。

 

「いや、静花さんはお兄さんっ子なんだなぁって話をね」

 

 にこりと微笑みながらそう言うと、静花は顔を真っ赤にさせながら星琉の言葉に反応する。

 

「な、何言ってるんですか!? あたしは別に……」

 

「でも、何だか草薙君が構ってくれないから意地悪を言ってるように見えるんだ。万里谷さんはどう思う?」

 

「わ、私ですか?!」

 

 まさか自分に振られるとは思っていなかったのだろう。少しの間祐理は戸惑った様子だったが、星琉の目を見て何となく察したようだ。

 

「えっと……そう、見えなくもない……ですね」

 

「ま、万里谷先輩まで……!? 違いますからね! あたしは別にお兄ちゃんの事なんか何とも思ってないんですから!」

 

 先輩二人の思わぬ攻撃に必死に弁明する静花。どうとも思っていないならエリカの事もどうでもいいはずなのだが、それは言わぬが花だろう。

 

 しかし、それを好機と見たのか、エリカが口を挟む。

 

「それじゃあわたしと護堂の仲は、静花さんも公認って事で良いのね?」

 

「そ、それは……うぐぐ」

 

 どうでもいいと言った手前、否定する事が出来ない。敵に塩を与える結果になり、やっちゃった、と思う星琉だったが、残念ながら時は戻らない。

 

「……ってちょっと待て! 俺とお前の仲ってただの友達だろ?!」

 

「もう、護堂ったら、まだそんなつれない事を言うの? 別荘ではあんなに熱い夜を過ごしたというのに……」

 

「ちょっとお兄ちゃん!? エリカさんが言ってる事どういう意味!?」

 

 妖艶に微笑みながらそう言うエリカ。星琉と祐理は護堂から彼が神殺しになるまでのいきさつを聞いているが、流石に二人の間に何があったのか、その細部までは聞き及んでいない。

 

 護堂から助けを求める視線が向けられるが、昔話を盾にされてはどうしようもないのだ。

 

 しかし、この話題の流れを断ち切ったのは意外にも、途中から空気のように同席していた一朗だった。

 

「盛り上がってる所悪いんだが、おしゃべりは一度中断して、そろそろ夕飯の準備を始めようか。今夜は手巻き寿司でも久しぶりに作ろうかと思ってね。もう酢飯の仕込みは済んでいるんだ」

 

 立ち上がりながらそう言う一朗。彼はそのまま言葉を続ける。

 

「魚屋の桜庭さんにはさっき電話して、いいネタを選んでもらっている。護堂と静花は、二人で受け取りに行ってくれ。……ああ、三人分を追加してもらうのも忘れないように」

 

 エリカ、星琉、祐理の順番で人当たりのよさそうな笑みを向け、話し掛ける。そこには年長者の威厳のようなものが感じられた。

 

「君達も一緒で構わないだろう? せっかく来て下さったんだから、これぐらいはさせてもらわないとね。もちろん、門限の時間や他に用があるなら、話は別だ」

 

「いいえ。ぜひご相伴させていただきますわ、おじいさま」

 

 気品を感じる一礼をしながら、即座にそう言ったのはエリカだ。急な訪問であったにも関わらず、躊躇いもなく相伴する旨の返事をする辺り、日本人とは違う。それを示すように、祐理と星琉が順に遠慮した様子を見せた。

 

「そんな……いきなりお邪魔して、お食事まで御馳走になるだなんて……」

 

「土産すら持って来ていないというのに、流石にご迷惑ではありませんか?」

 

「構わないよ、じいちゃんはこういうのが好きなんだ。大勢集まって、手料理を食べてもらって、ついでに酒を飲んでって」

 

 そんなものは無用だ、と護堂は気を遣う二人に言ったのだが、この誘い文句には一つ問題があった。

 

「お、お酒、ですか!?」

 

 最後の一言に反応したのは祐理だ。真っ当な倫理感を持つ彼女にとって、未成年の飲酒は認められるはずがない。

 

 やっちまった、といった様子の護堂が、所在無さげに一朗に問う。

 

「あー……流石に今日はないと思うけど。そうだよな、じいちゃん?」

 

「ダメかい? 僕と護堂だけなら問題ないだろう。エリカさんもきっと大丈夫じゃ――」

 

 悪びれる様子もなく、孫に酒に付き合わせようとする一朗。イタリアの文化を知っているのか、エリカも巻き込もうとしている。

 

 実際、イタリアでは十六歳から飲酒可能であるので、確かにエリカも酒を飲んだことはあったりする。

 

「頼むから、今日は飲むのを止めてくれ。エリカの奴も飲み出すとザルなんだ!」

 

 一朗の提案を取り下げるよう求める護堂なのだが、迂闊にも彼は墓穴を掘ってしまった。

 

「あら護堂、適度なアルコールは健康にも友情にもいいのよ?」

 

 エリカのその言葉に、静花の眉がピクリと吊り上がる。どうやら護堂の掘った墓穴に気付いたようだ。

 

「ねぇ、お兄ちゃん。今の話、何? それって、二人でお酒飲んだ事があるって意味じゃないの! 詳しく事情を説明しなさい!」

 

「あっ……いや、待て! 話せば長いんだ!」

 

 再燃した妹の怒りと、どこ吹く風のエリカ。それを微苦笑で見守る一朗と星琉。祐理も言葉にはしていないが咎めの表情を浮かべており、残念ながら護堂に味方はいなかった。

 

 

◆◇◆◇

 

 

「今日は御馳走様でした。皆様にもよろしくお伝え下さい」

 

「ごめんね、こんな遅くまでお邪魔してしまって」

 

 夜も深くなろうとする午後八時。祐理と星琉が草薙家を去ろうとしたのはそんな時間だ。

 

「いや、こっちこそ悪かったな、二人とも。無理言って来てもらったのに、こんな時間まで引き留めちゃって」

 

 玄関口で別れの挨拶をしながら、見送りに出た護堂はすまなそうにそう言った。

 

「いいえ。私も楽しかったです」

 

「うん、賑やかでよかった。またお誘いしてくれると嬉しいな」

 

「そうか。そう言ってくれるとありがたいよ。じゃ、気をつけて帰ってくれよ」

 

「はい、失礼いたします」

 

「またね、草薙君」

 

 祐理は丁寧に頭を下げ、星琉は気軽な調子で別れを告げる。あの後、結局二人は夕飯を御馳走になることになった。

 

 祐理は未成年の飲酒が行われないように警戒しつつ、星琉はゆったりとした様子で手巻き寿司を味わった。

 

 流石、商店街の魚屋といった所か。使われたネタの鮮度がスーパーなどとは段違いで、非常に美味であった。

 

 そうして食欲を満たしながら、祐理が一番口数が少なかったものの、会話も楽しんだものだ。

 

 エリカは話題も豊富で、相手のリズムを尊重した軽やかな話術で、全員とおしゃべりを楽しんだ。星琉相手には硬さが残っていたが、これは仕方がないだろう。

 

 護堂はどちらかと言うと、食事に集中していた。しかし、会話をしない訳ではなく、適度に話の輪に入って箸と口を忙しなく動かしていた。

 

 反対に、星琉は食事よりも会話に重きを置いていただろう。同じ男子で食欲旺盛な護堂と比べ、彼の三分の二程しか食事に手をつけなかった事が、それを物語っている。エリカのように自発的ではないのだが、話題を広くする事に彼は長けており、その辺りで会話を盛り上げていた。

 

 静花とは同じ部活なので、ある程度気心が知れていて、あまり気を遣わずに済んだ。

 

 主催者の草薙家の祖父も気配り上手で、居心地が悪くなることもなく、非常に楽しめたと言っていいだろう。

 

「万里谷さん、結構遅い時間だし、もしよければ家まで送るけど、どうかな?」

 

「……そうですね、お願いします」

 

 電灯の照らすアスファルトの夜道を、人の肩幅一つ分離れて、星琉と並んで歩く。

 

 そういえば、と祐理は気になっていた事を尋ねた。

 

「吉良さんは台所をお借りして、何を作っていらしたんですか?」

 

 食事の途中、星琉は草薙家の祖父に耳打ちし、台所に案内してもらっていた。料理をしていた事は分かったのだが、それが食卓に出る事はなかったので、不思議に思っていたのだ。

 

「ああ……あれはね、酒の肴を作らせてもらっていたんだ。『皆が帰った後にでもどうぞ』ってね。でもあの様子じゃ、今頃食べてるかもしれないな」

 

 暢気にそう言う星琉だったが、祐理は目を丸くしていた。まさか、そんなものを作っていたとは夢にも思わなかったのだ。

 

 疑念の目が、星琉に注がれる。

 

「あの、もしかして吉良さん、お酒を飲まれた事があるのですか?」

 

「ん、まあね」

 

 悪びれる事もなく、あっさりと答えた星琉。そんな彼の態度に、祐理は憤慨した様子で苦言を呈する。

 

「法律違反じゃないですか! お酒や煙草は二十歳になってからと言われているでしょう!?」

 

「んー、でも、月見酒なんて風情が感じられるよ。夜桜を花見しながら一杯、っていうのも風流だね。ほろ酔い気分で気持ち良くさ」

 

「気持ち良くさ、じゃありません!」

 

 星琉の意外な一面に、祐理は拗ねるようにいじけていく。

 

「……少し、ショックです。吉良さんはまともな方だと思っていたのに……」

 

「自分から進んで飲み始めたわけじゃないよ? 師匠に付き合わされて――」

 

「結局飲んだ事に変わりありません! もう! 健康が損なわれても知りませんよ!」

 

「その辺りはきちんと(わきま)えてるさ。大丈夫、大丈夫」

 

 普段と違って、どこか陽気な感じの星琉。そんな彼の様子に翻弄されていると、懐かしい黒電話の音が祐理のポケットから鳴り響いた。彼女のスマートフォンの着信音だ。

 

「はい、もしもし。……ええ、大丈夫です。どうかなされましたか? …………甘粕さん、私の霊視は何でも『視える』程便利なものではありませんよ。何もわからない時だって多いのですから。…………承知いたしました。明日の放課後でよろしければ、ご協力いたします。……分かりました、『LEAFY』ですね。……はい、お休みなさい」

 

 画面をタップして通話を切り、ポケットに仕舞い込む。ちょうどそのタイミングで星琉が言葉を掛けた。

 

「委員会からお仕事?」

 

「はい、何でも、いわくのある魔導書を鑑定して欲しいのだそうです」

 

「魔導書……か」

 

 少し興味のあるそぶりを見せる星琉だったが、それ以上聞き出そうとはしない。

 

 ……やがて、祐理の家が見えて来た。

 

「わざわざ送って下さって、ありがとうございました」

 

「気にしなくていいよ。マンションまで直ぐだし、いざとなれば『転移』ですぐに帰れるからね」

 

「そんな事で魔術を使うのもどうかと思いますが……」

 

 苦笑しながら言うと、それもそうだね、と、発言した星琉自身も苦笑する。

 

 涼やかな夜風が、二人の間を流れた。

 

「じゃあ、また明日ね。万里谷さん」

 

「はい、また明日」

 

 微笑み合う二人を、満ち足りない月が見守っていた。

 

 

◇◆◇◆

 

 

【二一世紀初頭、新たにカンピオーネと確認されたフランス人についての報告書より抜粋】

 

 ケルトの神王ルーは、数々の能力を持つ神格です。

 

 太陽神、光の神、戦いの神でありながら、知識、技術、医術、魔術(呪術)、発明、詩、音楽など、あらゆる技能に秀でています。

 

 ローマ神話のメルクリウスと同格に扱われ、更に、旅人や商品の神テウタテス、戦いの神エスス、雷神タラニスもルーの神格の一つとされています。

 

 シャルル=カルディナルとは、この神王ルーを殺害し、カンピオーネとなった者なのです。

 

 

【欧州魔術師名鑑――シャルル=カルディナルの項より抜粋】

 

 現在では『神獣の帝』と呼ばれる彼は、フランスの出身である。

 

 生後間もなく天涯孤独の身となった彼は、十歳の頃に神殺しに成功し、カンピオーネへと成り上がった。

 

 さて、ここまで読まれた読者は、この経歴を見てとある人物を思い出すと思う。……そう、サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン侯爵だ。

 

 シャルル=カルディナルとヴォバン侯爵の境遇は非常に似通っている。しかし、彼とヴォバン侯爵には二つの違いがあった。

 

 一つ、彼には天涯孤独の身の頃から共に生きて来た、現在では彼の腹心であり、最年少の聖騎士であるアンヌ=メディシス(※詳細は別項『アンヌ=メディシス』を参照)が居た事。

 

 一つ、カンピオーネとなった彼は、『冥』の位を極めし魔術師であるカーター・オルドラ(※詳細は別項『カーター・オルドラ』を参照)と出会い、義理の親子となった事である。

 

 カーター・オルドラの許で多くの魔術を学び、また数々の神殺しを成功させてきた彼は、中欧を纏める魔術結社《漆黒真珠》を設立した。

 

 魔術結社《漆黒真珠》はフランスを中心に勢力を張る組織だ。

 

 構成員はシャルル=カルディナルを総帥、アンヌ=メディシスを副総帥に置き、カーター・オルドラの弟子達、地元フランスや周辺の国の魔術師、はたまた非魔術師の存在もあり、その形は『黒王子』の名で知られるカンピオーネ、アレクサンドル・ガスコイン氏の『王立工廠』に似ているだろう。

 

 その主な活動はフランスや周辺国の魔術界の統治であり、また裏表問わず犯罪者の取り締まりも、地元の警察と協力して執り行っている。

 

 

【魔術結社《漆黒真珠》より、グリニッジの賢人議会に提出された報告書より抜粋】

 

 先日、まつろわぬミカエルが顕れた事は諸兄ら賢人議会も知る所であると思う。

 

 かの天使は我らが王――シャルル=カルディナルがかつて相対したのだが、後僅かという所で逃げおおせられたのも知っているだろう。

 

 そしてかの天使はかつての傷を癒し、復活し、そして弑逆された。信じられない事かもしれないが、これは純然たる事実である。

 

 では、一体誰がかの天使を弑逆したのかということになるのだが、ここで我等《漆黒真珠》は王の勅命により、ある秘密を明かそうと思う。

 

 それは、現在明かされている八人のカンピオーネとはまた別のカンピオーネについてである。

 

 一般に、七人目のカンピオーネというのは五年前にケルトの神王ヌアダを弑逆し、『斬り裂く銀の腕』を簒奪したサルバトーレ・ドニ卿とされているが、これは真実ではない。

 

 何故なら彼よりも以前に、具体的には今から七年前にとある神を弑逆し、カンピオーネとなった少年が居るからだ。

 

 諸兄らは我等が王がとある時期、徹底的に情報統制を行っていたのを覚えているだろうか。

 

 王の謎の行動に数々の推測を立てられただろうが、その真実はその少年の為である。

 

 その少年はカンピオーネとなった当時、なんと齢九歳と非常に幼かった。

 

 そんな年齢で神殺しを成功させた事に才有りと見た王は、自身の義父であり《漆黒真珠》元帥であるカーター・オルドラ氏と、元帥の友人であり、また我等《漆黒真珠》と同盟関係にある日本の『民』の一派、《天元流》の当主、天原晃氏の協力を得て、少年の育成を買って出たのだ。

 

 ただし、諸兄らに誤解してもらいたくないのは、彼は王の配下ではなく、彼もまた『王』の一人である、という事だ。

 

 七年もの歳月を掛けた結果、少年は王の予想以上に成長し、まつろわぬミカエルを討つにまで至った。

 

 かの『王』の名は――吉良星琉。

 

 

◇◆◇◆

 

 

「こーれはまた、随分と突拍子もない展開になりましたねェ」

 

 六月の終わりに近付いたある日の午後八時前。どこか小洒落た雰囲気の部屋。その中央にあるソファに座りながら、三冊の書類に対ししかめっ面を浮かべながらそうぼやくのは、くたびれた背広を着た青年、甘粕冬馬だ。

 

 星琉がミカエルを討ってから暫く。賢人議会から発表された文書は魔術界を騒然とさせた。

 

 それも当然だろう。何せ、カンピオーネと呼ばれる存在がもう一人いたのだから。

 

「まさか、《天元流》が《漆黒真珠》と繋がっていただなんてね。御蔭で上はてんやわんやしてるよ」

 

 そう言って甘粕のぼやきに応えるのは、大仰なデスクに座る男装の麗人。正史編纂委員会・東京分室の室長にして、関東圏を掌握する重鎮、沙耶宮馨だ。彼女の顔には疲れの色が浮かんでおり、いつもの精彩を欠いているように見える。

 

「唯一の救いは、《天元流》が正史編纂委員会を乗っ取ろうとかそういう動きがない所ですか」

 

「いくつかの派閥は唆したみたいだけどね。まあ、そうなる事は滅多にないと思うよ」

 

 どこか自信のある様子の馨。不思議に思った甘粕は、彼女に問い掛けてみる。

 

「そこまで言い切るとは、何か根拠でも?」

 

「うん、まあちょっとした用事であちらさんの所に訪ねた事があってね。当主に聞いてみたんだよ。『天元流が正史編纂委員会に成り代わるつもりはないんですか?』って」

 

「ほうほう、それは思い切った事を聞きましたね。それで?」

 

 片手に酒でもあれば、クイッといくような様子で面白そうに聞く甘粕。

 

 馨は肩を竦めながら、どうもこうも、と切り出しながら答えた。

 

「『他の奴らを統治するのは面倒だ。オレには門弟だけで十分だよ。そういうのはお前達に任せる』だってさ。身構えてるこっちが馬鹿みたいに思える位、やる気のない回答だったよ。まあ、何処まで本気かは分からなかったけどね」

 

「へーえ、そうなんですか。馨さん、その《天元流》の当主ってどんな方なんです?」

 

 やる気のない回答、という事ですぐに興味をなくしたのか、次の質問をする甘粕。対する馨はげんなりした様子で答える。

 

「一言で言えば『化け物』だよ。二世紀も生きててなお腕が衰えていない。確実に日本最強の侍だ。もしかしたら、剣術だけなら世界一、と言っても過言じゃないかもしれないね」

 

「二世紀ですか……それは凄いですね。……ん? お爺さんなんですか?」

 

「いや、中性的な青年だよ。どうも彼は肉体年齢を若く保つ術を見つけたらしい。世の女性が知ったらどうなることやら」

 

「あなたも一応、その『世の女性』の一人なんですが……ま、瑣末事ですかね」

 

 まるで他人事の様に言う男性のような女性の上司に、呆れたような様子の甘粕。馨は特にそれを気にした様子もなく、話を続けた。

 

「そういえば、甘粕さんは知ってるかい? 正史編纂委員会が天元流を吸収出来ない理由を」

 

「はい? あちらの武力が強すぎるからじゃないんですか?」

 

 馨からの突然の問いに答える甘粕。彼の答えは天元流を知る者であれば誰でも知っているような回答なのだが……。

 

「うん、それもある。けど、それだけじゃない。ねえ甘粕さん、『虎の威を借る狐』って分かるよね。天元流に対しても虎の威を借りれば、吸収出来るかもって思わない?」

 

 馨の言う『虎』とは、正史編纂委員会の後ろに居るとある存在の事を指している。

 

 それを指摘された甘粕は、途端にそういえば、という表情になった。

 

「じゃあ何でそうしないのか。答えは単純明快、『意味がないから』だよ」

 

「……『意味がない』とは?」

 

「僕らの『虎』と同じ存在が天元流にも居るのさ。しかもそれは元から居たんじゃなくて、天元流の当主が幽世で偶然見つけて、正史編纂委員会に対抗する為に『虎』にしようと勝負を挑み、勝利を収め、そうなってもらったんだってさ」

 

 甘粕は開いた口が中々閉じなかった。というかなんだ、そのチートというか、もはやバグというべき存在は。

 

「……冗談ですよね?」

 

「もちろん、勝利云々は誇張表現だろうと思うよ。それだったら更にもう一人カンピオーネが存在する事になるしね。ただ確かに存在する事には変わりないんだ」

 

「何もせずにこのまま静観が正解というわけですか」

 

「そういうこと。薮を突かなきゃ蛇は出ないんだから」

 

「蛇っていうか、もしそうなら竜の逆鱗を突きそうですけどね」

 

 ハハハ、とお互いにひとしきり笑った所で、甘粕が立ち上がり、書類の束を馨のデスクにばらまいた。その書類とは数々の履歴書であり、どれもL判サイズのカラー写真がクリップで添付されている。

 

 写っているのは全て十代の若い少女達だった。大人っぽい娘、あどけない娘、快活そうな娘、垢抜けた笑顔の娘、大人しそうな娘と百花繚乱だ。

 

「で、どうします? 吉良さんは万里谷さんがいらっしゃるからいいとして、草薙護堂氏に送り込む人材は?」

 

「うーん、女の子相手ならある程度分かるんだけどね。男の子に関してはさっぱりだよ」

 

「……ですから、普通逆でしょうに」

 

 今日でもう二度目になる上司の性癖を使ったこのやり取り。二人にとっては『お約束』のような物だ。

 

 そんな風に二人でふざけ合いながら遊んでいると、甘粕のポケットから某有名アニメの主題歌が鳴り響いた。彼のスマートフォンの着信音だ。

 

「はい、もしもし、私です。……ああ、例の。はい、はい…………そうですか、やはり彼女に頼るしかありませんかねェ。あぁいえ、こちらの話です。報告、ご苦労様でした。もう誰にも触らせないようにしておいて下さい。後はこちらで何とかしますので。……はい、では」

 

「例の魔導書かい?」

 

 甘粕が通話を切った所で馨が話を切り出したのだが、彼はずっとスマートフォンをいじくり回している。

 

「ええ、今度は奇声を発しながら精神世界へ長期旅行だそうです。いやぁ、参った参った。これは祐理さんに頼るしかなさそうですねェ」

 

 軽薄な様子でそう言うと、彼はスマートフォンを耳に当てた。先程の会話からして、祐理に掛けているのだろう。

 

「もしもし、祐理さんですか? 甘粕です。夜分晩くにすいませんね。今、お話ししても大丈夫ですか? ……実はですね、折り入って頼みたい事があるんですよ。ルーマニアだかクロアチア辺りから流れてきたとかいう魔導書が見つかりましてね、本物かどうかパパッと鑑定して頂きたいなと。………………ははっ、またまたご謙遜を。魔術の本場であるイングランドや東欧でも、祐理さんを上回る霊視術師はいなかったと聞いてますよ。……ま、駄目で元々、軽~い気持ちで構いませんから、協力してくださいよ。……ええ、では明日の放課後、学校近くの喫茶店の『LEAFY』で落ち合いましょうか。……はい、それでは、お休みなさい」

 

 通話を終えて、スマートフォンを仕舞う甘粕。馨は右手で頬杖をつきながら、ある一冊の履歴書を左手でひらひらと弄んでいた。

 

「それで、何の話でしたっけ?」

 

「草薙さんに誰を送り込むのかって話。僕としてはこの娘がいいと思うんだけどな~」

 

 そう言って放り投げて渡すと、甘粕は珍しく引き攣った顔を見せた。

 

「か、彼女を選んだ理由は?」

 

「裏表がない。ここの家は沙耶宮の分家で、彼女には会った事があってね。冒険活劇とかが大好きな娘だから、純粋に草薙さんの冒険譚とか、まつろわぬ神との戦闘に興味があるんだと思う。他の娘達はほら、草薙さんの権力にも興味があるんだろうし、それは草薙さんにとっても望む所じゃないでしょ」

 

 なるほど、と甘粕は納得する。確かに、擦り寄って来る異性が金や権力目当てというのは印象が最悪だ。

 

 だがしかし、馨の人選には一つの問題があった。

 

「彼女、『西』の方ですけど、大丈夫なんです?」

 

「ま、『西』がどうのこうのはさほど問題じゃないよ。世代交代もしてきたし、いつか融和を図ろうとは思っていたんだ。彼女にはその先駆けになってもらおうかなってね」

 

 媛巫女の所属には、馨と甘粕の話題でも出たように、『東』と『西』の二つに分かれている。一応静岡を境界として、それより東か西かで分けているのだ。

 

 立場的には同じはずなのだが、何となく『東』の方が上のような雰囲気になっており、その昔は『西』の方が上の雰囲気だったのだが、江戸時代辺りから日本の中心が東方面になり、皇居も東京へと移転してから如実となったようだ。

 

 馨は常々それを払拭したいと考えていて、そんな彼女にとって『草薙護堂篭絡計画』に『西』の人材を登用するのはもってこいだった。

 

「というわけで甘粕さん、彼女にしよう。今の時期じゃ中途半端だから、草薙さんの学校で二学期が始まった頃にしようかな。衣食住の手配、任せたよ」

 

「はいはい、分かりましたよ。明日は魔導書の件、浜離宮恩賜庭園や吉良さんの事、他にも仕事があるというのに、人使いの荒い上司ですな」

 

「なに、甘粕さんが使えるのが悪いのさ」

 

 甘粕の持つ履歴書。そこには、焦げ茶色の髪をボブカットにした、快活ながらも家庭的な雰囲気を漂わせる美少女の写真があった。

 

 ――名前:絹臣(きぬおみ) 美由(みゆ) 年齢:一六歳 現住所:三重県鈴鹿市山本町○丁目××-× 備考:椿大神社(つばきおおかみのやしろ)に務める『西』の媛巫女。『民』である《天元流》で武術を修め、封印術に長けている。――

 


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