8月は過ぎさりましたが、まだ日の光は強く残暑が厳しいです。
しかし、頬に当たる風は少し涼しく感じます。もうすぐ秋になるのでしょうが、木々が色づくのはまだまだ先の話です。いまだ青々と茂る木々も、やがて葉が散るかと思えば、最後まで精一杯に生きようとするかのように見え、生命の力強さを見ている気がします。
「やっぱりシグナムの胸が一番やな!」
「主……困ります」
ハヤテ……。凄く虚しくなってきました。横を見ればソファーの上でハヤテがシグナムを襲っています。まさしく言葉通りの状況。あのハヤテがシグナムに馬乗りになって胸に顔を埋めています。八神家ではハヤテの胸部への異常な執着は有名ですが、朝からこれを見る事になるとは。
「はやてちゃんはシグナムのがお気に入りなんですよね。私なんか、大きいだけだから」
「そんなことないで。シャマルの胸は優しい感じや!」
「わー。そうなんですね~」
優しくない胸って、なんでしょうか。そのへん、はっきり聞いてみたい気がします。
リビングには私を含め、4人と1匹が居ます。今日は朝からヴィータが居ません。なぜなら、ゲートボールというゲームの大会に出る為に早朝から出かけているのだそうです。いつの間にかヴィータは外にも知り合いを作っている事に驚きました。
ところで……ゲートボールというのはボールを木製の槌で叩いてゲートを通すゲームだそうですが、何故かヴィータがデバイスでボールを叩いていそうな気がします。老人達に囲まれながらグラーフアイゼンを振るう姿が目に浮かぶのですが。まさか、そんな事に使ったりはしないでしょう。
「主はやて。そろそろ病院の時間ですよ?」
「もうそんな時間なん?」
胸を揉まれながらも忠言をするシグナムの姿が、何故かとてもシュールな光景に見えました。
「約束の時間に遅れると石田先生に怒られるのではありませんか、主?」
「うーん、そうやね。シグナムと遊ぶんはまた今度にしよか」
ほっとするシグナムですが、きっと今日の夜に同じ目にあうでしょう。今日は確か、シグナムがハヤテと一緒にお風呂に入る予定ですから、風呂場で襲撃される可能性が高い。
ご愁傷様です。
ハヤテが病院へと向かう準備を終え、シグナムとザフィーラが付き添いで向かう事になりました。居残りは私とシャマルで決まりました。ザフィーラは病院に入れないと思いますが、今日は同行をしたいそうです。
散歩にいきたいのでしょうか? 犬の散歩的な感じで。
玄関先で2人とザフィーラを送り出すと、後は暇になります。残念ながら今日は魔法の訓練に付き合って貰えそうにありません。そうなると本を読むか1人で魔法の練習ですが。
そう考えながらリビングへと戻ると、シャマルが何か物問いたそうな顔をして待っていました。
お手伝いでもあるのでしょうか? リビングに入ってからしばらく待ってみましたが、言い難そうにしています。
少し待つのが面倒になってきました……用があるなら早く言っていただければありがたいのですが。
「何か用でもありますか?」
「ええと、シュテルちゃん。あのね。そのう……」
「はい、なんでしょうか?」
問いただしてみると、シャマルは胸の前で手を握って前のめりになりました。
「私に料理を教えてください!」
料理……シャマルは家事手伝いに積極的です。むしろ、シャマル以外の騎士達は苦手としていて、あまり積極的では無い感じです。それは、出来る範囲で手伝いはするという事で、やらないという事ではありませんが、シャマルに比べると自発的にと言うわけでもありません。
「それは……別にかまいませんが。どうして急に?」
「そ、それは……ええと、そのお……」
言い淀んで頬を人差し指で掻くシャマルは、どうも
「みんなを驚かせたかったの。みんな、私が作ると嫌そうにするでしょ? だから、ちょっと見返したいかなって。それに、いつもはやてちゃんに作ってもらっているから、たまには私が料理で貢献したいなー、なんて思ったのだけど」
シャマルの料理の腕はお世辞にも良くはない。皆が嫌がるのも無理はありません。なぜか不可思議な味になるのです。栄養は十分なのでしょうが。
そういえば、ヴィータはテラ不味いと言っていました。
なるほど、自分の苦手分野を克服したいわけですね。その気持は私にもよくわかります。私もまた、苦手なクロスレンジでの戦闘を克服する為、日々の研鑽を怠っていません。
「よくわかりました。今でも十分にシャマルは貢献しているとは思っていますが、さらに貢献したいという気持ちは良きことです」
「そう?」
向上心というのは誰しも持つべきであり、それは応援されるべきなのです。
「良いでしょう。その気持ち、確かに受け取りました。私もそれほど腕に覚えはありませんが知識はあります。私が責任を持ってシャマルを一流シェフに仕上げてみせましょう」
「あ、ありがとう。でも、そこまで凄くなくていいのよ? 普通で、普通でいいの」
「わかっています。お任せください」
わかっています。それは謙遜です。
「シュテルちゃん? 本当にわかってるの?」
「ご安心ください。ではまずは買い物に行きましょう」
さて、まずは買い物から。今日はどこのスーパーがエビの特売日でしたでしょうか?
幾つかのスーパーや鮮魚店を周り、私達は買い物から家に帰ってまいりました。手には多くの戦利品を抱えての帰宅です。ざっと3日分といったところでしょうか。まあ、これが3日分になるか1食分になるかはシャマル次第です。
今日は使わない予定の食材を冷蔵庫や戸棚にしまい、エプロンを装備し台所に立ちます。
まずは、準備からしましょうか。
「さて、では最初にご飯の準備をしたいと思いますので、お米を研いでください」
「あれ、思ったよりも普通ね。でもそれは流石に出来ると思うけど」
そう言ってマ◯レモンを手に取るシャマル。
すぐにその手を
「痛いっ!」
「何をしてるんですかシャマル。水だけで洗ってください。スポンジも要らないです。お米はボウルに入れてください。違います。それはザルですよ。ボウルはこれです。それも違います。タワシでどうするつもりなんですか? 手で洗ってください。いいえ、それではお米が破壊されます。こうするんですよ」
研ぎ方を見せ、同じようにやってもらう。手付きが怪しい感じですが、まあ今はいいでしょう。
「では水を捨ててください」
「捨てるのね?」
「は?」
躊躇いもなく、シャマルは捨てた。
「シャマル……なぜ米も捨てるのですか。あなたはいったい、なんのために研いでいたのですか?」
「ご、ごめんなさい。だって、捨ててって言われたから」
水も米も、なんの躊躇いもなく捨てた。
シャマルに怒りつつ米を拾い直します。米の一粒は農家さんの血の一滴なのです。無駄には出来ません。
悪戦苦闘しながらも、なんとか米を研いで炊飯器にセット。
「お米の量に対して水の量はここでわかります。内側に線が書いていますので簡単です」
「本当に簡単なのね。もうちゃんと覚えたから、次からは一人でもできそう」
「そうですか、それはよかったです」
たぶん無理かもしれない。
自信満々に話すシャマルを見て、私は心の中ではそのような予感を感じます。が、やっていれば流石に覚えるはずです。
今まではどうしていたのでしょうか? ハヤテの手伝いをしていたと思うのですが……そういえば、
「では、次に前菜ですが」
「シュテルちゃん、普通でいいの。本当に普通でいいから」
「そうですか?」
普通ですか……メニューを変える必要がありますね。
「では、普通にエビとブロッコリーに玉ねぎを使った簡単なサラダを一品と、エビチリでいかがでしょうか? サラダは玉ねぎは切るだけ。エビとブロッコリーは茹でるだけですよ。エビチリは少々手をかけますが」
「茹でるだけなら簡単そうだけど、エビばかりね」
「今日はエビの日ですから」
本当に海老の日なんですよ?
材料を準備し、いざ調理開始です。
「では、シャマル。最初にエビの準備をしましょう。では、まずはエビの背ワタから取ります」
「わかったわ。背ワタ……おかしいわ。ワタが見当たらないのだけど」
「綿じゃないですよ? ここの黒い筋です。この串を使って殻と殻の間からこのように取ります」
「こう? あ、取れた。こうするのね」
大丈夫。私が横で見ていますから大丈夫。
「ブロッコリーも茹でますが、先に小分けしておきます」
「そうやるのね。これは出来るから任せてね」
流石にこれはわかりますね。慣れた手付きでブロッコリーを小さく割っていきます。
ここでブロッコリーを上下に小分けしたらどうしようかと思いました。
「塩を少々入れて茹でます。この時、エビとブロッコリーは別々に茹でます」
「はい。では私が時間を見てるわね」
「お願いします。エビの時間だけは絶対に気をつけてください」
ブロッコリーは最悪溶けても別にいいのですが、エビはいけません。この料理の肝はエビなのです。
さて、茹で上がる間に細々とした準備をしておきましょう。
無事にエビとブロッコリーが茹で上がったので次に進みます。
「では、玉ねぎはこう半分にまず切りまして、芯の部分を取り除いた後、繊維を切るように薄切りにします」
「こうかしら?」
「玉ねぎの向きが違いますよ」
さっと玉ねぎの向きを直してあげる。
切り方は、悪くないですね。ちゃんと猫の手が出来てます。こう、指を丸くするあれです。
「あとは味付けですね。塩と胡椒と……シャマル、オリーブオイルを取ってください」
「はーい。これね? 他に必要なのはある?」
「では、パセリをみじん切りにしてください」
「わかったわ」
「待ってください、シャマル。今日はパセリの茎は使いません。葉の部分だけちぎってください」
いきなり茎の部分から千切りにしようとしたのでストップをかける。危うく茎をみじん切りにされるとこでした。今日はパセリの葉の部分しか使いませんが、茎は魚の臭みを取る時などに使います。
なお、このパセリは私が立派に育てました。
「では、これを混ぜまして完成です」
「一品が完成ね。これなら私も出来るかも」
そうでしょうか?
「さて、次はメインのエビチリです」
「ここからが本番ね。よろしくお願いします、シュテル先生」
「お任せください」
とりあえず、一品は出来ました。
では、本日のメインイベントを開始します。
「エビは殻と頭と尻尾を剥きます。こんな感じです」
「はい。こうですか?」
「いい感じです、シャマル。そして、長ネギにニンニクと生姜をみじん切りにします」
「はーい」
「違います。それは細ねぎですよ」
なぜか出ている細ねぎ。なぜ、そこに細ねぎを置いているのか、謎です。
私は出した記憶がありません。
「では、ボウルにこれらを入れまして片栗粉を振り掛けながらもみます」
「こうかしら?」
「それは小麦粉ですよ。ベタなネタですね……」
「違うの! 本当に間違えたのよ! だって、見ただけじゃわからないし!」
なぜか出ている小麦粉。本当に私は出してませんよ。なぜあるのですか?
そして、なぜ私が指定していない物を使おうとするのか。
「しっかり付けましたら、一旦ボウルから出してボウルを洗い、もう一度エビを入れまして今度は塩コショウで下味をつけます。後、片栗粉を水で溶いておきます。片栗粉はこれです。この小さいボウルで片栗粉を溶いてください。小麦粉ではないですよ」
「もう! わかってるわよ!」
心配になったので片栗粉を渡してあげる。いえ、本当に謎なのです。シャマルが出していたようには見えなかったのですが……。
別枠でケチャプや鶏ガラスープ等を混ぜて準備は完了です。
「さて、では焼きます。シャマルが焼いてくださいね」
「なんだか緊張するわ。失敗しちゃったらどうしよう」
「ちゃんと横で見てますから大丈夫ですよ。ですが、エビの危機と判断した場合は強制的に交代します」
「シュテルちゃん、エビは厳しいわよね」
エビがメインですから仕方がないのです。
エビを焼き、作っていた物を入れていく。後はとろみがつくまで焼けば終了です。
まあ、色々ありましたが、なんとかエビチリも完成しました。
「完成です」
「やったわね! ありがとう、シュテルちゃん。ちょっとだけ私も料理に自信がついた気がするわ」
「いえいえ。シャマルの努力の賜物ですよ」
疲れました。練習とはいえ、やはり美味しいご飯が食べたいですからね。
「ところで、シャマル……それはなんですか?」
シャマルが手のひら一杯に赤い粉を持っていました。
「ええっと……辛味が必要かなって思って、チリペッパーを少々。同じ赤色だし、合うかなって」
「ハヤテとヴィータが泣くので止めてあげてください」
その量は私でも嫌です。
~~~~~
「これ、シャマルが作ったのか?」
ヴィータちゃんの第一声はとっても失礼だと思う。
みんなも料理を見る目が、凄く疑わしそう……ちょっと酷くない?
「そうよ。私とシュテルちゃんの合作なの」
「なんだ、シュテルが作ったのか」
「それなら主が食べても大丈夫か」
「俺も食べよう」
シュテルちゃんが関わってると知った途端、みんなの態度が変わる。
確かに、今まで何度か失敗はしてきたけど、私も一生懸命、料理の勉強もしたのよ?
「私が監修してシャマルが作りましたよ」
シュテルちゃん、なんだかんだ言っても優しいのよね……涙が出てきそう。
「シュテル、ちゃんと監督したんだろうな?」
「毒見はしたのか? してなければ主にはお出しできないぞ」
「ちょっと! みんな酷いわ!」
流石にもう許せない!
どうしてそこまで言われなきゃならないのかしら? 本当にちょっと失礼じゃない?
「もう、みんなしてシャマルを虐めたらあかんよ? それにしても……エビだらけやな」
「今日は海老の日なのですよ? 特売でした」
「へーそうなんや? まあ、たまにはええか。どう考えてもシュテルの策謀の結果やと思うけど」
「それはうがち過ぎというものですよ、ハヤテ」
はやてちゃん、諌めてくれてありがとう。私の味方ははやてちゃんとシュテルちゃんだけね。
ようやくみんなが席に付き始めたなか、シグナムだけがこちらに寄ってきた。
私の料理を毒だなんていうシグナムなんて知らないわ。
「そうむくれるな。冗談だ、シャマル。今日は美味しそうだと思っている」
「本当にそう思ってくれてるの? シグナム」
「ああ……シュテルと作った後で変なのは入れてないだろうな?」
「シグナム、これ以上言うと怒るわよ?」
「すまん、悪乗した」
罰が悪そうな顔をするシグナム。珍しい表情だわ。
「シグナムは引き際を心得てないからなぁ」
「うるさい。さっさと席につくぞ」
「はいはい。あたしに当たるなよな」
まったく、もう……でも、シグナムは本当に変わったわ。
こんな冗談なんていう人じゃなかったもの。まして、悪乗なんてする人じゃなかった。
「ほな、みんな。いただこうか」
「いただきまーす」
席に付き、いよいよ食事が始まる。
さっきの出来事を忘れるくらいドキドキする。
みんな、美味しいって言ってくれるかしら? 大丈夫よね、シュテルちゃん?
「お。これならいける」
「ふむ。確かにこれなら美味しいな」
「美味しいぞ、シャマル」
よかった……本当にちょっとだけ心配だった。
「シャマル。本当に美味しいで」
ああ……よかった。
主の笑顔を見ると幸せでいっぱいになる。
私達がずっと望んでいた平和な日々。まるで春の日差しのような暖かく優しい温もりを与えてくれる現代の主。
こんな素晴らしい日が来るとは思わなかった。
みんなで冗談を言い合って、美味しいご飯を食べる。
なんでもない日常が、これほど愛おしくなるなんて。
「はやてちゃん、ありがとうございます。まだ沢山ありますから、おかわりしてくださいね」
「沢山? あとどれくらいなん?」
あ……急に日差しに曇りが。
「ええと。ちょっと作る量を間違えたみたいで……まだ6人分くらいあるの」
「6人分? ああ、なるほどな……シュテル、やったやろ?」
「はて、なんのことでしょうか。私には身に覚えがありません」
「ヴィータ、シュテルを確保や!」
「お、おう!」
「冤罪を主張します。これはエビ業界の陰謀なのです」
それに、今はもうひとり頼りになる家族がいるから。
このまま永遠に続けば良いのに……本当に、ずっとこんな日々が。