31話 存在しない存在
「やはり、破損は致命的な部分までいたっている。防御プログラムは停止したが、歪められた基礎構造はそのままだ。私は、夜天の魔導書本体は遠からず新たな防御プログラムを生成し、また暴走を始めるだろう」
そんなはずは……そんなはずはありません。
「やはりか」
リインフォースの説明は、私には受け入れられないものでした。防御プログラムの停止には成功しましたが、また夜天の魔導書が新たな防御プログラムを組み直す? そして暴走を開始すると?
ありえない。ええ、ありえません。
ハヤテが戦闘後に倒れ、皆でハヤテの病室に見舞った。その場でリインフォースが語り始めたありえない話。
防御プログラムが残っている? このままだと勝手に再生する?
一体どういう事ですか。
「待ってください。防御プログラムの切り離しは間違いなく確認しました。そして、跡形もなく確実に破壊したのも確認済みです。にもかかわらず、その基礎構造がまだ貴女の中に残っているというのですか?」
「あれは私の基幹部分にある。それはつまり、私自身とも言えるだろう。故に私が存在する限り、一時的な停止は出来ても消し去ることは出来ないのだ」
「いいえ、そんなはずはありません。いえ、たとえそうであっても、今ならば修正が可能なはずです」
「確かに修正や改変は可能だ。だが、無理だ。夜天の書本来の姿は消されてしまっているから、元の姿に戻すことは出来ない」
「バックアップがないというのであれば、防御プログラムそのものを削除してしまえば良いのではないですか? 今となっては無用の長物。あっても害にしかなりません」
「それも無理だ。プログラム同士は複雑に絡み合っていて、それだけを消せばいいというものではない」
「ならば、関連する全てのプログラムを削除ないし修正してしまえばいいでしょう。機能は大幅に制限されるかもしれませんが、貴女が消えることはないはずです」
言い募る私に、リインフォースは悲しい顔を向ける。その顔は、何か悟りでも開いたかのような顔。
「どうやってそのプログラムを見分ける? 私にも元の姿もわからないのだ。わからないものは選別しようがない。無理に消し去ろうとすれば防御プログラムの再生機能が働いて再び私は闇の書に戻るだろう。そうなれば私の意思は消し去られ、破壊と殺戮をばら撒くだけの以前の姿に戻るだけだ」
「元の姿がわからなければ、戻しようも無いという事か」
「そういう事か」
信じられません。こんなことになるはずが無いのです。あの時のリインフォースは基幹部分に修正不能はダメージをおいながらも防御プログラムを完全に切り離していたはずです。だからこそ、魔力不足で復活できない
「ありがとう、シュテル。まさかお前にそこまで心配されるとは思わなかった」
「別に貴女を心配などしていません。全ては私の目的のためです」
「そうか。それでも感謝したい。我が主や騎士達の事も含めて」
感謝など……そんなものを求めてなどいません。貴女は貴女の役割を果たすべきでした。
騎士達の話し合いが始まりましたが、頭に入ってこない。私の知るそれと、全く違うこれ。こんな現実はおかしいと私の記憶が訴える。そう、おかしいのです。これではまるで……いえ、そんなはずは。
とにかく、今は次の手を考えなければなりません。以前の記憶とは違うとしても、それでも王やレヴィには復活してもらわなければなりません。防御プログラムが自動で再び再生するというのならば、私達が出ることも無くなってしまう……それ以前に、再生する防御プログラムをどうするべきか。
もういっそ、リインフォースを破壊してみますか?
ちらりとリインフォース見やって考えを打ち消す。いや、それでは夜天の書そのものが消え去ってしまうでしょう。消滅するとは思いませんが、中で眠っている王達も無事ではすみません。下手なことをして危機を感じた防御プログラムが再起動するのも面倒です。どこかに転生されるのも困る。しかし、起動しなければ闇の欠片をバラ撒かない。だが、この防御プログラムは闇の欠片をバラ撒く必要がない。そして、防御プログラムを停止できても分離はできない。
最悪です。これでは詰んでいるではありませんか。もう王とレヴィが自力で出ててくるしか選択肢がありません。
「防御プログラムがない今、夜天の書の完全破壊は簡単だ。破壊しちゃえば暴走することも二度と無い。代わりにあたしらも消滅しちゃうけど」
今、なんと言いましたか。
「待ってください。なぜ騎士達が消滅する必要が? いえ、そもそも、夜天の書を破壊するなど……」
ヴィータは何を言っているのでしょうか?
守護騎士システムはリインフォースによって分離されているはずですから、消える必要などありません。
「いいんだよ、別に。こうなる可能性があったことくらい、みんな知ってたんだ」
「シュテルの言うその通りだ。お前達は残る。いくのは……私だけだ」
は?
「今なんと言いましたか?」
「逝くのは私だけだ、と言ったのだ。守護騎士達はすでに私から独立したプログラムとなっている。だから消える必要はないから安心して欲しい。消えるのは、私だけでいいんだ」
私達は例え夜天の書が消滅したとしても永遠結晶エグザミアが破壊されでもしない限り、消えて無くなる可能性は低いでしょう。それこそ自壊でもしない限りは。しかし、それでもこのままでは復活する場所も時間もわからなくなってしまう。下手に断片となってしまっては、それこそ手間です。なんとか思いとどまってもらわなければ。
「リインフォース……いいのか、それで?」
「ああ。私は問題ない。我が主には申し訳ないとは思っているが、お前達が残るのならば安心して逝くことが出来る」
「いえ、ですから。少し待ってください」
勝手に話を進めないでください。このポンコツ管制人格。
「申し訳ありませんが今しばらく留まって頂くことは出来ませんか? 私の目的の為にも、貴女にはしばらく生きていて欲しいのです」
「シュテルの目的か。たしか、王やレヴィ、その者たちの復活だったな?」
「ええ、そうです。今、貴女に消えられると面倒なことになるのです。夜天の書が消えても私達が消える事はありません。ですが、自力での復活になってしまうと、それがいったい何時になるかは、私にもわからなくなってしまうのです」
私が説明すると、なぜかリインフォースの顔が曇る。私がなにか妙な事を口走ったかのように、眉をひそめ、悲しそうに私を見る。
「これは話すかどうか迷ったのだが……シュテル」
「まだ何かあるのですか?」
不吉な予感がする。とても、碌でもない事を聞かされる気がします。
「前にも言ったとおり……そんなプログラムは、やはり私の中のどこにも存在しない。もちろん、防御プログラムの中にもだ」
「突然、何を言い出すかと思えば。そんな事、貴女にわかる訳がないのです。貴女の手の届かない、最も深い場所に封印されているのですから」
「シュテル、お前は理解しているはずだ。今の私はシステムを完全に掌握している。確かに元の姿にもどれないが、修正や改変は可能な状態だ。つまり今の私はすべてを見ることが出来るという事になる。防御プログラムの中も例外ではない。その事に深さなど関係ない」
「貴女には見ることが出来ないと、そう申し上げたはずです。例え夜天の書の機能をすべて掌握したとしても、私達は夜天の書とは別のプログラムなのですから。閲覧そのものが不可なのですから、わかるわけがありません。貴女には認識すらできないと、以前お話したはずです」
調べてもわかるはずがない。私達は夜天の書とは別のプログラム。どれほど調べても、私達に手が届くことはありません。それは何度も教えたはずです。
「では言い方を変えよう。私にはわからない場所や見えない場所が見当たらない。閲覧できない場所も、認識できない場所もない。もしそんな場所があれば、わからないはずがないだろう。在る物が無いと見えるにしても、そこには在るのだから」
「そんなはずは……ありえません」
これは、どういう事ですか。
わからない場所がない? 全て閲覧可能? しかし私達は……それではまるで。
「すまない。私にはお前に借りがある。主と騎士達、そして私を救ってくれた借りが。だから消える前に我が内にお前の家族がいるならば出してやりたいと思ったのだが……そのようなプログラムは管制プログラムにも防御プログラムにも存在しなかった」
なるほど……そういうことですか。
まったく、困ったものです。
部屋を出て、あてもなくアースラの艦内を歩く。
――そのようなプログラムは管制プログラムにも防御プログラムにも存在しなかった。
リインフォースの言葉が刺さります。存在しない。つまり。
元々私はこの世界のどこにも存在はしていなかった――。
そういう事ですか。
タイムパラドックスを調べる時に読みました。この世界には平行世界が存在する可能性があるという事を。まさか、そちらだったとは。
だとすれば……ここでいくら待っていても、王やレヴィや、ましてユーリも出ては来ないでしょう。防御プログラムはリインフォースの中に残っていて闇の欠片をばらまかない。だから、リインフォースごと消えてしまう。
まったく、これだから不確定要素の多い事象は困ってしまう。
困ったものですが、だからと言って私の優先事項は変わりません。王とレヴィの元に、私は帰る。そして、必ずユーリを手に入れる。私達の悲願を叶え、必ず自由を手に入れる。だからこそ、たとえ世界が違っていても、必ず私は帰ります。どれだけ遠くに離れていても、どれだけ世界が変わっても、たとえ存在が変わっても、私はマテリアルの1基、理のマテリアルなのですから。
どうやって帰るかも当てがあります。私は永遠結晶エグザミアがある限り死ぬことはありません。元のデータは保管されており、消えてしまえば元の場所に戻ってしまうだけです。今のデータが世界を渡れるかについても、疑問はありません。なぜならば、私のデータがこの世界に渡れているからです。
つまり、この方法ならば、たとえ世界が変わろうと帰還が叶うはず。時空を超え、時を超え、世界を超え、私は戻る。
だから、この世界から消えるのが手っ取り早い。
問題は――。
ハヤテ達がそれを、許してくれるでしょうか。
私にハヤテや騎士達との別れを惜しむ心が無いわけではありません。この数カ月間は私にとっても特別なことでした。ハヤテ達との絆は、決して軽いものではない。失うことを、私は惜しんでいる。できれば、王達と一緒に過ごして頂ければよかったのですが、こうなってしまっては。残念でなりません。
ですが、私に憂いがあるわけでもありません。ハヤテには騎士達がいる。だから、私が居なくなっても支え合って生きていけます。そして、私には王とレヴィがいる。別れは辛く悲しいでしょう。ですが、支えてくれる家族がいるのならば、それは永遠ではなく一時の感情となる。いずれ時が癒してくれる。忘れるのではなく、思い出になれる。
それに、永遠に別れを告げるつもりもありません。私はいつかまたここに、王とレヴィとユーリを連れて来たい。ハヤテと騎士達に、私の家族を紹介しましょう。しばらく御厄介になるのもいいかもしれません。そう思う事が出来ると、むしろ先が楽しみですらある。それはとても、楽しい事でしょう。
そう、思っています。
だから、私は逝くのではない。旅に出るのです。家族と別れ、家族を探しに行く。そして私は戻ってくる。
永遠の別れなど、無いのですから。そんな事は、私がさせません。
思いは定まりました。
私は出て行く。悲嘆ではなく希望を背負い、私は旅に出る。皆で楽しく笑える世界を夢見て私は行くことが出来る。
思い残すことがあるとすれば。行く前に約束を果たしたいものです。ナノハとの約束を。
ナノハのデバイスにメッセージを送りましょう。場所は……どこにしましょうか。誰も居ない場所がいいですね。
メッセージを考える頭の片隅にハヤテの悲しむ顔がよぎる。
貴女と会うと決意が鈍るかもしれませんね。このまま眠ったままで居て頂ければ、いいのかもしれません。
ですがそれでも、やはり最後に別れの挨拶ぐらいはしたいものです。
たとえそれが悲しませてしまう事になるとしても、それが笑顔に変わると信じていますから。