モンスターハンター ~碧空の証~   作:鷹幸

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 渓流に姿を現した〝無双の狩人〟――ジンオウガ。
 村長からの討伐依頼を受け、その下見としてジンオウガを観察しに渓流へ向かったソラたちだったが……?


第29話 疾き風、靱やかな雷

『アォォォォ――――――ン!!!!』

 

「!?」

 

 ソラたちが振り返ると、目と鼻の先に、雷狼竜(らいろうりゅう)ジンオウガがいた。

 近いせいか、その巨大な(からだ)はさらに大きく見える。

 

「き、気付いて追ってきたの!?」

 

「まずい! 走るぞ!」

 

 レオンが叫び、そこにいる全員が走り出す。

 すぐには追ってこなかったが、20メートル離れたところで、ジンオウガは急に走り始めた。

 走るスピードは、もちろん、人間の比ではない。踏み出す足の間隔が違うのだ。

 

「お、追いつかれる!」

 

「大丈夫よ!」

 

 ナナが立ち止まって、ポーチから閃光玉を取り出した。

 そして、躰を捻り、ジンオウガの目の前に向かって投げる。

 光が炸裂し、急速に膨張する。

 しかし、ジンオウガの速度は衰えない。閃光玉が効かなかったのだ。

 

「――!」

 

 ナナはすぐに振り返り、走り始める。

 だが……既に遅かった。

 飛び掛かってくるジンオウガの前脚の爪が、彼女の背中を引き裂いた。

 

「……ぁ」

 

 彼女の躰が、大量の鮮血と共に宙を舞い踊る。背中の半分は、深く(えぐ)れていた。

 

「な、ナナちゃん!」

 

 ソラは足を止め、落下したナナに駆け寄ろうとする。

 

「ソラ! 行くな!」

 

 レオンの忠告も聞かず、彼女は走った。

 そして、致命傷を負ったナナを抱え込む。彼女は血でぐっしょり濡れていた。

 

(ナナちゃんを置いていくことなんてできない……!)

 

 急いで向き直り、ジンオウガからの逃亡を図る。

 ソラは思いっきり地面を蹴った。

 躰が大きく跳ね上がる。

 

(やった……! 逃げ切れる……)

 

 だが、次の瞬間、躰がガクンと沈み、地面に叩きつけられる。

 足。彼女の足が、ジンオウガの前脚に押さえつけられていた。

 

「……っ、あ゛ぁ……」

 

 口からどす黒い血が出る。

 

(ごめんなさい。わたし、ここで終わっちゃう……。お母さん……、お父さん……、ごめんなさい……)

 

 振り上げられる雷狼竜の前脚。

 

「ソラ! ナナ!」

 

 レオンの叫びが虚しく響き……、

 鈍い音がして、彼女らのいた場所は一瞬で血溜まりになった。

 

 

 

 

       *

 

 

 

 

「……!」

 

 はっ、と目を開く。

 躰が痛い。

 それもそうだ。なぜなら、ベッドから躰がずり落ち、変な体勢になっているからだ。

 

「てて……」

 

 起き上がりざま、ソラは目をこすった。

 

(夢……だったんだ)

 

 恐ろしい夢だった。

 

(何かの、暗示……?)

 

 いいや、そんなことはない。彼女は首を振る。きっと、考えすぎのせいだ。

 何を考えていたかといえば、十中八九が、今日の狩りのこと。狩猟対象、ジンオウガのこと。

 

(考えすぎはよくないよね……。ま、感じるままにいってみよ)

 

 寝起きで働かない思考を少しだけ回転させて、ソラは思いっきり伸びをする。肩の関節がポキポキと鳴った。

 一つ息をつくと、彼女は部屋から出て、階段を下る。

 一階では、彼女の母が朝食を作っており、彼女の家に居候(いそうろう)しているレオンが、テーブルの前の椅子に腰かけていた。ナナ、タイガも隣に座っている。

 

「おはよぉ」

 

 ソラがあいさつすると、レオンたちも「あぁ、おはよう」「おはよう」「おはようニャ」と返した。

 

「あれ、めずらしくリクがいないね……」ソラは、テーブルを挟んでレオンと反対側の椅子に座る。

 

「農場の方に行ってるんだ」レオンが答える。

 

「あー、そうなんだ……」

 

「……どうした? 少し顔色が優れないような気がするけど」

 

「ちょっと、その……変な夢を見ちゃって」

 

「そうか……。ま、あまり気にしない方がいいよ」

 

「うん……そうだよね」

 

 それから、彼らは朝食を食べ終えると、武器と防具を装備するため、自室に戻った。

 ソラは、ユクモノシリーズ一式にユクモノ弓を。レオンはレウスシリーズに大剣レッドウィングを。タイガはユクモノネコシリーズと木刀、ナナはどんぐりネコシリーズとブーメランを装備した。

 必要なものをポーチに詰め込み、準備はできた。

 

「――それじゃあ、みんな、気をつけてね」

 

 ソラの母が、玄関先で四人の顔を順番に見ながら言った。

 

「わかってるよ、お母さん」

 

「わかってるニャ!」

 

「では……、行ってきます」

 

「行ってきます」

 

 母に背を向け、四人は足を進める。

 村の小さい方の踊り場に出たとき、

 

「……お姉ちゃん!」

 

 ソラの弟、リクが駆けてきた。足元に泥がついている。さきほどまで農作業をしていたのだろう。

 

「……これ、持って行ってよ」

 

 青い実が数粒、ソラの手のひらに渡される。

 

「え……? あ、うん」

 

「……じゃ、狩り、がんばってね。気をつけて」

 

 口元にほのかな笑みを浮かべ、リクは家へ帰って行った。

 

「ふふ、なんかもらっちゃった」ソラは、実をポーチへ詰め込む。「じゃ、行こっか」

 

「おう」

 

 彼らは再び、歩き始める。

 天候は、穏やかな晴れ。

 絶好の狩猟日和(びより)である――。

 

 

 

 

       *

 

 

 

 

 約20分後、彼らは渓流のエリア4にいた。もちろん、ベースキャンプで応急薬や携帯食料などの支給品も取得してある。

 そして、この先のエリア5に、昨日と変わらずジンオウガが潜伏している。

 

「準備はいいな?」

 

 レオンの言葉に、ほかの三人は頷くアクションを見せる。

 

「とりあえず、俺にとっても未知のモンスターだし、最初は様子見のつもりでいく。どんな攻撃をしてくるのか見ておきたいからな」レオンは腕の装備を調整しながら言う。「それでもって、やばそうなら、構わず逃げること。それ以外は、できるだけ相互にサポートをして、安全に狩りを遂行するよう努めること。いいな?」

 

「うん」

 

「ソラは、いつかのアオアシラ戦みたいに切り株の上から攻撃するか?」

 

「ううん、今回は、定位置からだけじゃなくて、移動しながらにするよ。曲射も覚えたし」

 

「よし。タイガとナナはどうするか」

 

「あたしはブーメランで応戦するわ」

 

「じゃ、タイガは回復サポートと罠だな」

 

「ニャ。回復笛とシビレ罠はばっちり持ってるニャ」

 

「……よし。あとは、各々(おのおの)が考えて動くようにしてくれ。作戦を立てても、()(たん)しそうだからな」

 

「了解!」

 

「……絶対、生きて帰るぞ」

 

 生きて帰る――。

 その台詞で、ソラはあることを思い出す。

 そう、あれは、アオアシラ戦のときのこと。

 アオアシラと一対一になったとき、

 そして、死を悟ったときのこと。

 生きて帰る――その言葉が、山に木霊する声のように反響したんだ。

 そのお陰で、生き延びることができた……。

 

(今日も必ず、無事に帰る。でも……)

 

 不意に、今朝の夢を思い出す。

 夢で見た状況は、目の前で起きていた出来事かのように、鮮明に覚えている。

 その映像が、頭から離れない。

 嫌な予感がする。

 黒い気流がこころの中で渦を巻き、不安を絡めて大きくなっていく……。

 

「ソラ――」声がした。

 

「え……?」

 

 顔を上げると、にかっと笑うレオンの顔があった。

 

「深刻な顔し過ぎ。もっと笑顔で……、リラックスするんだ」

 

「あ、うん……」

 

 ソラは口元を綻ばせて、肩の力を抜く。

 

「ふぅ。……ありがと」

 

「よし」レオンは頷く。「じゃ――行くぞ!」

 

 掛け声と共に、全員が拳を天に突き刺した。

 

 

 

 

       *

 

 

 

 

 静まり返った森林。

 木の葉の擦れる音だけが、森の(ささや)きのように聞こえる。

 深い緑の中を悠然と歩く、無双の狩人。

 その姿は、我が物顔で城下を歩く王。

 まさに、全てを統べんとする者の姿だった。

 一歩進むたびに伝わってくる微かな震動は、心拍をも震撼させる。

 レオンたちは体勢を低くして、エリア5の湿った草原の上を進んでいた。なるべく気配は消してあるが、向こうが感づくのも時間の問題だ。

 

(まずは不意討ちを狙うか……)

 

 レオンは、大剣の柄に手を掛け、先刻よりも体勢をわずかに高くして、ジンオウガの背後から接近していく。

 

(狙うなら尻尾だ)

 

 上手くいけば、尻尾を切断することができる。弾き返されたとしても、攻撃を受けた部分は脆くなるだろう。どちらにせよ、ダメージを与えられることに変わりはない。

 距離約3メートルまで近づいた。

 

『!』

 

 ジンオウガが首を捻り、レオンに顔を向けた。

 その瞬間、尾を目掛けて大剣を降り下ろす。

 だが、そのまえにジンオウガは大きく前方に跳び、刀身は空気を斬っただけだった。

 レオンは軽く舌打ちする。

 

(躰の大きさの割には、けっこう……すばしっこいんだな)

 

 レオンは地面にめり込んだ大剣を引っこ抜くと、その刀背を肩に掛けた。

 ジンオウガは、ゆっくりとした動きでレオンとの距離を縮める。その歩き方からは、余裕の一言しか感じられない。

 ジンオウガの体側面から、矢が飛んできた。

 だがそれは、硬い甲殻に当たり、弾かれる。

 矢が放たれた方向に、ジンオウガはゆっくりと顔を向けた。

 視線の先に、狩人(ハンター)――ソラの姿を捕捉する。

 だが、駆けだすような真似はしない。

 向こうも、こちらの出方を窺っているようだ。

 

(圧倒的に……今までのモンスターとは何かが違う)

 

 それが、狩猟時の雰囲気か、静かすぎるこの状況なのかはわからない。

 最大級の警戒が必要だ、とレオンは思った。

 正面で対峙する、(あか)の狩人、(あお)の狩人。

 張り詰める空気。

 さきに動いたのはレオンだった。

 大剣を横に構え、真正面に突進する。

 力のまま、()ぎ払う。

 しかし、当たらない。ジンオウガは、大きくバックステップをしていた。

 

(……素早い!)

 

 足に踏ん張りをきかせ、崩れかける体勢をレオンは直す。

 そのとき、飛び掛かるように駆けてきたジンオウガが、レオンの目の前で右前脚を上げた。

 踏みつぶされる直前で、レオンは前転回避する。

 だが、ジンオウガは続けざま、左前脚を上げて彼を狙う。

 

(――っ!)

 

 着地座標と反対側に、レオンは回避。

 しかし、まだ終わりではなかった。

 再び振り上げられる右前脚。

 

(またか!)

 

 次は避けられるか――!?

 三回目があるとは微塵にも思っていなかったレオンの躰は、(すく)む。

 そのとき、どこからともなくブーメランが飛んできて、ジンオウガの片目の側を(かす)めた。

 

『ギャウ!』

 

 怯んで仰け反る雷狼竜。

 その隙にレオンは攻撃範囲から抜け出し、ジンオウガと十分な距離を取った。

 

「ナナ、ありがとな」足元にいるナナに、礼を言う。

 

「ふん……」ナナは、戻ってきたブーメランをパシッと受け取った。「ぼさっとしないの!」

 

「……あぁ」

 

 雷狼竜が、さきほどより速度を上げて歩いてくる。怒りを覚えたのかどうかはわからないが、踏み出すたびに起こる震動音は、大きくなっていた。

 

「レオン! ナナちゃん! 離れて!」

 

 ソラの声がした。指示通り、二人はジンオウガから下がる。

 ジンオウガは立ち止まった。

 直後、空から落ちてくる(つぶて)が、巨体の躰に次々突き刺さった。

 曲射、である。矢を上空に放ち、落下するエネルギーを加算させた攻撃が可能となる、弓による攻撃だ。矢には細工が施されており、最上点に達したとき、その細工の種類によって異なる形態に変化する。ソラの弓矢は「拡散型」であり、上空で分散した矢が無数の礫となり広範囲に落下する。一つ一つの威力は小さいが、標的が大きいときは多くの部位に攻撃を当てることができ、ダメージも期待できる。

 

『……!!』

 

 攻撃は、かなり効いているらしい。それもそのはず。躰中で痛みが発生するのだから、(たま)ったものではないだろう。

 ジンオウガがその場で(もだ)えている間、レオンは躰の側面に回った。そして、後脚を狙い、大剣を振り下ろす――

 

『ガウォォォォォォ!』

 

 その矢先、鼓膜を刺す咆哮。

 躰の奥底まで響いてくる震動。

 

「レオン! ガード!」叫び声。

「――え!?」

 

 言われるがまま、彼は刀身を躰の前で構え、防御の姿勢をとる。

 次に聞こえてきたのは、ギリィィッ、という金属音。

 気付いた時には、彼の躰は後方2メートルまで吹っ飛ばされていた。

 

「……ってぇ」

 

 腕、そして躰全体が痛む。かなりの衝撃だった。

 続けて、ドンッという震動。

 

「……は?」

 

 前方の視界の上から、ジンオウガが落ちてきたのだ。レオンは呆気にとられるが、すぐに立ち上がり、大剣を肩に乗せた。

 

「今のは!?」

 

 レオンが訊くと、ナナが答えた。

 

「ジンオウガが……跳んだの」

 

「跳んだ?」

 

「えぇ……。躰を捻ってから、尻尾を振り回して、真上に、ね……」

 

 恐るべき身体能力の高さだ。あの巨体を、自力で数メートルも跳ばすことができるのは……、並のモンスターには不可能だ。

 

「なんてやつだ……」

 

 驚愕の一言でしかない。あの咄嗟のガードで無傷だったのが奇跡だと思えた。

 そのとき、

 

『アオォォォォ――――ン!』

 

 ジンオウガが叫び声を上げた。だが、それだけではない。数回に渡る叫びと共に、黄金色――いや、青白く光る虫が、甲殻に覆われた背中に引き寄せられている。

 

「……なんだ?」

 

 次から次へと起こるアクションに、レオンの頭は混乱寸前。

 

(いや、とにかく今は、冷静に……)

 

 大剣の柄を握る彼の手には、滲んだ汗がこびりついていた。

 

 

 

 混乱しているのは、木の陰に隠れているソラも同じだった。

 

(次から次へと……何なの?)

 

 また、不安に煽られる。

 呼吸も、心拍も速くなっている。

 しかし、弓矢を持つ手に、震えは認められなかった。

 躰は、今は正常に動いている。でも、精神が掻き乱されているこの状況、いつ不調が現れてもおかしくない。

 

「ニャ……、あのモンスター、強すぎるニャ……」

 

 ソラの足元で、タイガがユクモノネコカサを押さえながら呟いた。

 

「……タイガ、罠持ってたよね?」ソラは、ジンオウガに定めた目線を逸らさずに言った。

 

「持ってるニャ」

 

「その罠で、あいつの動きを止められないかな……。そうすれば、一気に攻撃をたたみかけることだってできると思うんだけど……」

 

「それは名案ニャ!」

 

「それじゃ……頼んだよ」

 

「り、了解……ニャ!」

 

 タイガが飛び出していく。その背中を見ながら、ソラは矢筒から矢を抜き出した。

 

 

 

 

「罠を仕掛けるニャ!」

 

 走りながら、タイガが大声を出す。

 

「罠……そうか、罠で動きを封じれば楽になるな」レオンは呟くように言うと、「タイガ! 頼んだぞ!」と声を上げながらジンオウガの方へ駆けていった。

 

 タイガは、ジンオウガの左前方10メートルの地点に、罠を設置した。あとは、罠を踏ませるだけだ。

 

「や、やーい! こ、こっちに来るニャー!」

 

 大げさな動きで、ジンオウガの目を引く。挑発に乗ったのか、ジンオウガが彼目掛けて突進を始めた。

 

「ヒィ! ニャ!!」

 

 引き寄せることに成功すると、タイガは、全速力で逃走する。追いつかれることは、死を表すのだ。

 幸いにも、罠を飛び越えることはなく、ジンオウガはシビレ罠にかかった。

 

「よし!」

 

 レオンは、痺れて動けないジンオウガの側面で、大剣を振り下ろす。

 甲殻で弾き返されそうな感触は若干あったが、重量のある刃はジンオウガの躰を裂いた。

 続けて、大剣を横に薙ぎ払う。飛び散った血が、レオンの防具に付着した。

 数十秒ののち、罠の効果が切れた。

 

『グォウ!』

 

 ジンオウガは軽く吼えると、レオンから逃げるように走っていく。そして十分に離れたところで振り返り、再び小さく吼えた。

 

「……ん?」

 

 そのとき、レオンは何かに気付く。

 

(さっきより、背中が青白くなってるような……?)

 

 虫を引き付けたのか? いや、罠にかかっている途中、そんなことはなかったはずだが……。

 

(待てよ?)

 

 虫――雷光虫を引き付けている、ということは、雷光虫の放つ電力を受け取っている、ということになる。そして、さっき仕掛けたのは、シビレ罠……。シビレ罠の材料は……

 

「まさか――?」

 

 

『アオォォォォォォォゥゥ――――ン!!』

 

 

 ジンオウガが叫び、再度、虫を引き寄せ始める。

 時間の経過と共に、雷狼竜は輝きを増していく。

 そして――

 

 

『グゥオオオオオオオオオッ!!!!!!』

 

 

 けたたましい咆哮と(まばゆ)い光が、全てを包み込んだ。

 

 

 

 

       *

 

 

 

 

 ひらひらと落ちてゆく紅葉(もみじ)

 それは、腰かけに座った村長の手のひらに、吸い込まれるように落ちた。

 

「あら……?」

 

 彼女は、何かに気付く。

 そのとき、少し強い風が吹いて、宙を舞い落ちた紅葉が小川の水面(みなも)に波紋を広げた。

 

 

 

 

       *

 

 

 

 

 思わず瞑った目を開けると、そこには――

 

「な……、なんだ、あれ……」

 

 背中に棘のようなものが突き立ち、全身に青白い光を(まと)うジンオウガの姿があった。

 時折放たれる小さな雷は、弾ける音を奏でている。

 

『グルルル……』

 

 唸り声を撒きながら、レオンのいる方向へと雷狼竜が詰め寄ってくる。

 距離10メートルになったとき、ジンオウガがいきなり速度を上げた。

 バチバチと音を立てながら右前脚を上げると、目にも留まらぬ速さで振り下ろす。

 

「っ!」

 

 横に回避。

 次は左脚で来るだろう……。

 彼がジンオウガの動きを確認しようとしたとき、

 

「なっ」

 

 もう既に、左脚が振り下ろされようとしていた。

 

「――」

 

 回避は間に合わない……、なら!

 レオンは大剣を斜めに構え、攻撃を受ける体勢をとる。

 

(大剣が壊れなきゃいいけど……!)

 

 急に、重力が強くなったようだった。

 全身が押し潰されるような感覚と同時に、腕、そして躰全体へ電流が走る。

 

「ぐっ!?」

 

 手の力が抜け、圧倒されそうになった。このままでは、武器もろとも折れてしまいそうだ。

 膠着していたとき、風を切って飛んできた矢が、ジンオウガの大きな角に命中した。

 角が破壊されることはなかったが、ジンオウガは水平方向に一回転し、後方に退く。そして『ガウッ』と吼えた。

 

「……っはぁ、はぁ……」

 

 レオンは、思うように躰を動かせなかった。

 

(雷が……躰の中を突き抜けてるみたいだ……)

 

 ジンオウガの攻撃を受け止めたとき、纏っていた雷で躰が痺れたようだ。

 

「大丈夫なの?」いち早く駆け寄ってきたナナが訊いてくる。

 

「……あぁ、なんとか……。だけど、まともに動けそうにない……」

 

「なら、早く退く! ここはあたしたちに任せて」

 

「おう……頼んだぜ」

 

 力を振り絞るようにして、レオンは一戦を退き、切り株の陰に一時的に身を潜めた。

 

(それにしても……、あの状態は一体……)

 

 雷を纏ったジンオウガは、スピードが一段と早く、そしてパワーも強大になっていた。普通のモンスターで当てはめるなら、「怒り状態」と呼ぶのに相応しいが、とくに激昂しているようにも見えなかった。

 

(あれは……一種の形態か)

 

 虫を利用してパワーアップする。こんなモンスターは、そういないだろう。

 

 レオンは、操虫棍を思い出した。あれも、虫を操ることで、不思議な立ち回りを可能にしている。

 

(虫が厄介者だな……)

 

 早めになんとかするか、時を見計らって退いておかないと、あとが辛くなる。今はなんとか(しの)げているが、圧倒的にこちらが不利だ……。

 恐怖と不安の混じった汗が、彼の額を伝った。

 

 ――ナナは、神経毒を塗ったブーメランでジンオウガと応戦していた。

 ジンオウガは連続前脚攻撃やサイドタックル、バック転を繰り出してくるが、素早く動く彼女には通用していない。

 

(攻撃を見切れば、避けるのも容易(たやす)いけど……、避けてるだけじゃ、攻撃できない……!)

 

 事実、その素早い動きには、付いていくのが精一杯。時折飛んでくる矢に動きを止めることはあっても、ほぼ一瞬であり、攻撃に転じるのは難しい。

 

(でも、あたしだって負けないんだから! アイルーだからってなめんな――!)

 

 雷電を纏った尾を旋風の如く渦巻かせ、ジンオウガが宙を舞う。

 

(今!)

 

 腕を振り切り、遠心力でブーメランを射出する。

 高い回転数を持った刃物は、大きな弧を描いて標的に向かっていく。

 だが……それは、掠りもしなかった。

 

(だめね……)

 

 着地と同時に、バック転、前転宙返りとアグレッシヴな動き見せたあと、背中から雷の球が弾き出される。

 

(……な、何アレ!)

 

 ナナの躰は竦んで動かない。

 数瞬後、それは彼女に直撃した。

 軽い放物線を描いて、地面に叩き付けられる。

 

「う……」

 

 今度は、全身が痺れて動けない……。

 霞む視界の先に、迫りくる無双の狩人の影を捉える。

 

(はぁ……、生きるのって難しいわ……)

 

 彼女は、瞼を閉じた。

 

「ナナちゃん!」

 

 名前を呼ぶ声に目を開くと、ソラが矢を番えながら駆け寄ってくるのが見えた。放たれた矢はジンオウガの腕の付け根に当たり、怯ませる。

 

「ソラ……!?」ナナは驚いて目を開く。「危ないわ……! あたしのことはいいから、早く……」

 

「わたしは大丈夫だから!」

 

 ソラは強引にナナを抱え込むと、ジンオウガに背を向けて走り始める。

 振り返るなんてことはしない。

 

(あれ……。これって、今朝の夢と似てる……)

 

 足を踏み出すごとに、あの映像が目の前に映る。

 いや……、そんなことにはならない、させない。

 もう飛び出したんだ、

 あとには引けないんだ、

 だから……怖くなんかない。

 今は、突っ走るだけ!

 

「ソラ! 後ろ!」レオンの叫ぶ声がする。

 

「えっ――」

 

 ハッとして、彼女は振り向いた。

 ジンオウガが、跳び掛かってくる。

 

「――」

 

 彼女は(とっ)()に屈んだ。

 ジンオウガは彼女らの頭上すれすれを通過して、前方に着地すると、爪を立てて減速し後脚を滑らせて体を半回転させる。

 前脚の先端の鋭い爪が、不気味にぎらついた。

 

「ソラ! ナナ!」

 

 レオンの叫び声も虚しく……、

 尖鋭な黒爪が、 全てを切り裂く――その刹那、目の前が緋色で染まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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