守るべきもの。
それは、大切なもの。
形のあるものも、ないものもある。
そして、それには特別な想いがある。
だから、守ることができる。
いや、守ろうとする。
*
エリア8。
エリア6の滝の裏にある、たくさんの石柱が不規則に並ぶ
「うひゃ……、びしょびしょ……」
濡れた
「滝の真裏に入り口があるから、それは仕方のないことね」
さきにエリア8に入っていたリザが腕を組んで言う。
「鳴き声……が聞こえるぞ」レオンが呟く。
「なら、ここにいるのは間違いないわね」
「あぁ。匂いも近い」
彼らは、ゆっくりと足を進める。
広い鍾乳洞には、流水の音が反響していて、彼らの足音は響かなかった。
「隠れて」
突然、リザがレオンとソラの
「……いるわ」
リザが静かに呟いたので、ソラは柱から恐る恐る顔を出す。
いた――。
リオレイアだ。
地に降り立った「彼女」は、翼をたたんで座り込んでいた。
そして、「彼女」の周りには、ミニチュアサイズの飛竜が数匹確認できた。
ある者はおとなしく。ある者は騒がしく。ある者はじゃれあっている。
「……あ、あれは?」
「あぁ……」リザは、目を細めて声を洩らす。「そういうこと、だったのね……」
「リザさん。あれって、もしかして?」
ソラが
「……そう。リオレイアの幼体――つまり、子どもね」
「あれが、子ども……」
ソラは、再びリオレイアたちに視線を戻す。
よく見ると、「彼ら」の周囲には、ブルファンゴやガーグァの死骸らしきものが散乱していた。あれを食べて育ったのだろう。
「……それでも、割と成長してるみたいだな」レオンが言う。「生まれたばかりじゃなさそうだ」
「えぇ、そうね。おそらく、随分まえからここで子育てをしていたのでしょう」
「でも、そんな報告はなかったけどな」
レオンがソラの顔を見ると、彼女はうんうんと頷いた。
「そう……。なら、うまく隠れていたのかしらね。いくら飛竜といえども、子どもはまだまだ未熟だし、外敵に狙われるかもしれないから……」
「それで……どうするんだ? リオレイアを討伐して、子どもは捕獲しておくか?」
レオンが訊くが、リザは固く口を結んでいる。
「姉貴?……どうしたんだ?」
弟の言葉に、姉は反応しない。彼女は、虚空に焦点を合わせていた。
二十秒して、
「……ふぅ」
リザは目を閉じると、溜まったものを吐き出すように息をついた。
「どうしたんだよ」
「いえ……、何でもないわ」
「何でもないわけないだろ?」
「それじゃ……。あとは、私に任せてほしいの」
「姉貴に?」
「えぇ。……だめかしら?」
「何か、策があるんだな?」
「ま、そんなところね」
「姉貴が好きなようにすればいい。それで、オレたちは何もしなくていいんだな?」
「そう。何もしなくていいわ」
「リザさん……気を付けてください」「リザ姉、気をつけてみゃ……」
ソラ、ナナは心配そうな目で彼女を見つめる。
「えぇ」
リザは残された狩人たちに微笑みを投げかけると、石柱から飛び出した。
そして、
狩人の気配を察知したリオレイアは、すぐさま子どもたちを呼んで自分の背後に寄せ、翼を広げて威嚇の体勢を取った。
口からは橙の火の粉が洩れている。
敵を焼き殺す準備はできている、ということだ。
何を考えているのか、リザは武器も構えず、ただゆっくりと歩いていく。
レイアが火球ブレスを吐いた。
高温の火の玉が、周囲の空気を焦がしながら
リザは避けない。
それは、彼女すれすれを通り、向かいの石柱を焼いた。
爆音が、鍾乳洞全体を震わす。
リザは足を止めない。
彼女と「彼女」の距離が、時間の経過とともに減少する。
(姉貴……いったいどうするつもりなんだ)
レオンは、リザの背中を見つめるしかない。その背中の面積も、次第に小さくなっていく。
彼は隣を見る。ソラたちは真剣な眼差しで、ことの行く末を見守っている。
(何にせよ、上手く切り抜けられればいいんだけどな……)
リザは、レイアの前方5メートルまで差し掛かった。
レイアは小さく一歩下がり、大きく口を開ける。
――瞬間的に、爆炎が周囲に立ち上り、彼女は暖色の炎に包まれた。
数秒して、収束を見せる
彼女は無事だった。
……しかし、背中に武器がない。
操虫棍は、彼女の後方2メートルの位置に落ちていた。
リオレイアは、状況が呑み込めないのか、まだ警戒しているのか、まったく動かない。
「私たちは、あなたに危害を加えるつもりなんてないわ」
リザは、唐突にそう叫んだ。
モンスター相手に言葉が通じるわけでもないのに、だ。
レイアは、狩人を睨む。
「彼女」の後ろで、幼子がギャアと鳴いた。
「――あなたに、子どもがいたなんて思いもしなかった」
リザは続ける。
「そんなことも知らずに、さっきはあなたを攻撃してしまったの」
リオレイアに動きはない。
「あなたがそこまで必死だったのは、子どもたちを守りたい……そう思っているからでしょう?」
リオレイアの視線に、少し揺らぎがあった。
「だから……、あなたたちを守りたい――そう思う」
強い言葉。
そして、彼女と「彼女」は、見つめあう。
数秒、数十秒……と、どれくらいの時間が経ったのかはわからない。
水の音だけが支配する空間で、二人は視線を交えている。
そして――リザが大きく、意味のあるように頷いた。
それから彼女は、
途中、操虫棍を拾って、呆然と立ち尽くすレオンたちの脇を通り過ぎていく。
「さぁ、帰るわよ」
――そのあと、「彼女」が攻撃してくることも、追ってくることもなかった。
*
種族が違っても、言葉が通じなくとも、強い想いは伝わる――。
……何だか、今日の空みたいに清々しい。
まだ、終わったわけではないけれど、
すぅっと……、重たいものは抜けた気がした。
*
「でも……こんなことでよかったのか?」
村に帰る途中、レオンが言った。
「無駄な
「そりゃそうだけど……、ギルドに何か言われるんじゃ?」
「じゃあレオン、あそこで、リオレイアやその子どもたち共々を殺したり捕まえたりしたとしましょう。どうなるかしら?」
「どうなる……って、普通に依頼達成ってことじゃないのか。子どもは想定外だったけど」
「ソラはどう思う?」
「わたしは――」ソラは少し言葉を切った。「……かわいそう、だと思います」
「どうしてかわいそう?」
「だって……、お母さんが殺されて、子どもたちは何もしていないのに捕まえられて……。もし、わたし自身がそうなったら、悲しいよ」
「だそうよ、レオン」
「そうかもしれないけど、このまま放っておけば、村になんらかの被害や影響が出るかもしれないんだ」
「でも実際、こちらが被害を受けたわけでもないわ」
リザはふっと短く息を吐くと、話を続ける。
「モンスターだって、悪さをするために人の活動領域に入ってきているわけじゃないのよ。むしろ、私たち人間が、彼らの領域を侵していることだってあるの。私たちは、自分たちの都合や勝手な考えで行動しているけれど、彼らはそうじゃない。ただ、生きているだけ。その生きているという行為自体は、尊重されなければいけない。
でも、それだけではうまくいかない。生きている者は必ず、どこかで衝突することになるわ。ここでは、人間とモンスターの衝突。そして、その二つのあいだに入り、仲介し、調和を図る者、それが狩人。狩人とは、決して
『狩り』をすることで、均衡を保ち、衝突を回避する……。それが、『狩人の意味』。でも、『狩る』ことに意味があるのなら、『狩らない』ことにも、必ず意味があるわ。『狩り』だけが、すべてじゃない――これを、狩人たちは再認識すべきね」
言い終えてからリザは、唇に軽く手を当てた。
「あら? ちょっと話が長くなっちゃったかしら?」
「いや……、全然」レオンは首を振る。
「双方が歩み寄ることも大事なの。どちらか一方が他方を圧倒し続けるようじゃ、いずれは双方共に自然に呑み込まれて……やがて消滅するわ」
「人とモンスターの共存……、自然に対する立ち位置……。それを、今一度考えないといけないってわけか」
「最初は注意するけれど、慣れてくると、それを忘れてしまう。そういうとき、目的は何だったのか、初めはどんな心を持っていたのか……。それを、振り返ってみないと、過ちしか繰り返さなくなるのよ」
「……」レオンは少しうつむいた。「『意味』の再認識……」
そもそも、オレがハンターをやっている意味は何なのだろう? なぜ、旅をしているのだろう……。
レオンは考える。
モンスターを狩るため? 功績を上げるため?
違う。
すべてに触れたい――そう思ったからだ。
もちろん、世界のすべてを掌握することなんて不可能に近いけれど、
新しい世界に、今まで見たことも感じたこともなかったものに出会うことはできる。
それが、オレにとっての意味なんだ……。
「何か感じ取れたのかしら?」リザはレオンの肩に手を置いた。
「あぁ……。少なくとも、オレがまだまだ未熟だってことはわかった」
「ねぇ、リザさん」ソラが口を開く。
「何かしら?」
「最後、リオレイアに向かって大きく頷いていましたよね? あれ、なんだったんですか?」
「声が聞こえたの」
「声……?」
「えぇ。『彼女』は、この子たちが育ったらすぐにここを出て行きます、って言ったの」
*
数十分後、ユクモ村のユクモギルド。
村に帰還したリザたちは、村長とギルドマネージャと相対していた。
「――と、いうことなのです。村長、ギルドマネージャ殿」
リザは、これまでの経緯を、整理して簡単に伝える。
「……」
「……」
村長とギルドマネージャは、顔を見合わせたまま、何も言わない。
リザは涼しい顔をしているが、レオンやソラは緊張した面持ちのままでいた。
リオレイアを狩猟しなかったことは、依頼が『失敗に終わった』ということを意味する。別に、採集や小型モンスターの間引きなどの簡単な以来であれば失敗くらいなんともないのだが、今回の依頼は急を要するものであり、重大性も高いため、『失敗』という言葉の重みは何倍にも跳ね上がる。
そんな中で、勝手な判断で依頼を遂行せず、帰還したというのはあまり好ましい状況ではない。
「……んまぁ」ギルドマネージャが口を開く。「チミらが無事に帰ってきたのはいいとしようかねぇ。今回は、相手が相手だったし」
「リオレイアが子育てをしていたというのは、意外でしたわ」村長が言う。
「でも、任務に背くようにして帰ってくるのは、いけないねぇ」
「……『彼ら』にも、生きる権利はあります」リザが反論する。「たしかに、これから被害が出る可能性も
「……ほぅ」
「『彼ら』は、生きるためにこの地に降り、活動していました。そして私たちも、生きるために、自然からこの地を借りて生活をしています。ですから、ここは、この世界は、誰のものでもなく、人間が己のわがままによって占拠してはいけないのです。つまり、こちらから干渉しなければ、『彼ら』もこちらに害を及ぼさないはずです」
「……たしかに、チミの言いたいことはよぉくわかる。しかし、明日にでも、奴らが村人や村に危害を及ぼさないという保証はないんだよ」
「声が聞こえました」
「……声?」ギルドマネージャは訊き返す。
「はい。『彼女』……いえ、リオレイアは、子どもたちが十分に成長すれば、すぐにここを離れると言っていました」
「……チミ、それは幻聴というやつだよ。ワシも、たまぁに酒を飲みすぎると、聞こえてくることがあるんだなぁ」
「いえ。幻聴などではありません。たしかに、『彼女』はそう言いました」
ギルドマネージャは腕を組んだ。
「……じゃ、もし奴らが攻めて来たらどうするつもりだね?」
「もしもそのときが来れば、私は全力でこの村を守ります。処分はそのあとに受けます。ハンターライセンスの永久剥奪でもいいですし、
そう言ってリザは、強い視線をギルドマネージャに送った。
そして、沈黙。
空気の対流も、時間さえも止まってしまったようだった。
秒針が一回りしたころ、
「……チミがそこまで言うのなら、信じなくもないけどねぇ」ギルドマネージャは髭を撫でる。「わかった。なら、チミらには今後の経過観察を命じよう。村長は、村人が渓流に入らないように勧告し、やむを得ず渓流に進入する場合は、リオレイアを刺激しないようにすることを通達しておいてくれ」
「承知しました」村長は軽く頷く。
「ありがとうございます」リザは深く頭を下げた。
「何か動きがあれば、その都度、ワシか村長に報告しに来なさい」
リザは「はい」と返事すると、身を
「経過観察……ね」集会浴場を出てすぐ、リザが呟いた。「それが終わったら、私は、この村を出るわ」
「あれ、もう
「えぇ」
「もう少ししたら、お祭りなんかもあるんですよ?」
「あら……、それは楽しそう。でも、私は今回の件で一区切りをつけたいの。ごめんなさいね?」
「そうですか……」ソラの表情が少し陰りを見せる。しかし、すぐに笑顔になった。「ううん、リザさんがそう言うのなら、私は無理に引き止めたりしません」
「ありがとね」
リザは、満面の笑みを返した。
*
その後、数日かけて、リザたちはリオレイアとその子どもたちの動向を
リオレイアはリザに気を許しているらしく、リザが姿を見せると近づいてくるようになった。
そしてリザは、彼女がレイアに負わせてしまった傷の手当てをしたり、子どもたちにガーグァの肉を与えたりしていた。
傍から見れば、それは友達のようで……。
人とモンスターが心を通わせている、貴重な瞬間でもあった。
日が過ぎると、子どもたちは自力で飛べるまでに成長し、ついに、旅立ちの日がやってきた。
子どもたちが翼を忙しなくはためかせ、宙へと舞い上がる。
それを、リオレイアは地上から見守る。
子どもたちが十分な高度まで達したことを確認すると、「彼女」はリザを見た。
軽く吼えると、翼を大きく広げ、空気をはたく。
上昇していくリオレイアを、リザ、レオン、ソラ、ナナ、タイガは目で追っていく。
そして――
『ありがとう』
そう言い残すかのように上空を何度か旋回すると、リオレイアとその子どもたちは、広い青空へと飛び去って行った。
*
リオレイアが渓流を発った翌日。
秋晴れの爽快な風が通り抜けるなか、ユクモ村の門の前で、リザは荷車に荷物を積んでいた。荷車は、ガーグァが引っ張るものだ。
「……よし、大丈夫ね」
全部積んだことを確認して、リザは躰を半回転させ、レオンたちの方を向いた。
「じゃ、私は出発します」
「おう、元気でな」
「レオンの方こそ、怪我しちゃだめよ。もし躰の傷をこれ以上増やしてごらんなさい、私が全身の傷を舐めまわしてあげるんだから」
「げぇ……」レオンは顔をしかめる。
「ふふ、冗談に決まってるわよ。誰が、レオンのキタナイ躰なんて舐めるの?」
冗談に聞こえないところが、リザの恐ろしいところである。レオンは、これから一層注意して狩りをしなければならないな、と思った。
「ソラ、タイガも、元気でね」
「はい! また会ったときは、ご指導よろしくお願いします!」
「えぇ。そのときは、私よりも強くなってることを期待してるわ」
「頑張ります!」
「ニャ!」
ソラとタイガは、威勢よく右腕を上げた。
「ナナも、これから頑張ってね」
「みゃ!」ナナは精一杯の笑顔を返す。
「それと……」
リザは屈んで、ナナの耳元に手を添えた。
(引き続き……レオンの監視、お願いね)
(了解みゃ)
そして二人はウィンクする。
リザは立ち上がると、軽快な動作で荷車に乗った。
「それじゃ……、また、会いましょう!」
荷車がギィと音を立てて、車輪が回転を始めた。
回転数は次第に上がり、土煙を上げながら走っていく。
荷車に乗って走り去るリザが、振り返って手を振ってきた。
ソラたちは、その姿が見えなくなるまで、大きく手を振り返していた。
「あぁ、行っちゃった……」
手を止めて、ソラは残念そうに呟く。
「……また、リザさんに会えるかなぁ?」
「必ず会えるよ」
レオンは
「世界がどれだけ広くても、人と人との繋がりは、決して途切れることなんてないから」
「……そうだね」
彼らは、顔を上げた。
そこに広がっているのは、