モンスターハンター ~碧空の証~   作:鷹幸

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 アオアシラの一撃を受けてしまったレオン。
 ソラはどうするのか?
 そして、彼らの運命は……?



第19話 生と死

 ソラは、大きな切り株の上で弓を構え、次に矢を射る機会を(うかが)いつつ、レオンを見守っていた。

 

(今はレオンとわたしだけ……)

 

 アオアシラの拘束から解放されたタイガをナナが連れていってしまい、現在、このエリアには二人しかいない。

 ソラは少し不安になった。

 彼女はある程度離れた場所から弓矢で援護をしているだけで、戦況は、レオンとアオアシラの一騎討ちに近い。

 獲物は、痛手は負っているものの、激昂(げっこう)状態。

 何が起こるかは予測不可能。

 最悪の事態も有り得る――。

 

 しかし、その心配は無用だったのかもしれない。

 レオンは、アオアシラの引っ掻きを見切り、的確に避けている。

 アオアシラが両腕を振り上げたその瞬間に、レオンは前転回避した。

 そして、起き上がりざまに大剣を()ぐ。

 

(よし! これで決まる!)

 

 ソラは心の中で叫んだ。

 そのときだった。

 アオアシラが躰を大きく()じり――

 

「えっ?」

 

 鋭く伸びた爪が、彼の首を切り裂いた。

 肢体から分断された頭部は大きく舞い上がる。

 レオンの躰が崩れると同時に、頭部はガシャッと音を立てて地に落ちた。

 ソラは、一瞬、自分の目を疑った。

 

(嘘――)

 

 信じられない、いや、信じたくない光景だった。

 レオンが……死……?

 そんなはずは……ない。

 これは、きっと、見間違い。

 いや、これは、夢、なんだ。

 

 思考を歪曲(わいきょく)させ、事象を否定する。しかし、すぐに現実に塗り潰されてしまう。

 

 鼓動が速まる。

 呼吸が乱れる。

 冷汗が垂れる。

 視界が霞む。

 恐怖の再燃。

 呪縛の再発。

 怖い、怖い、怖い、怖い、怖い……。

 

 青熊獣が、のそりのそりと迫ってくる。距離が一歩一歩と縮まるたび、心拍が加速度的に速まっていくような気がした。 

 襲い来る恐怖の中、いつか聞いた言葉が、彼女の脳裏を過った。

 

 ――どんな状況に陥っても、冷静さを欠くな――

 

(そ、そうだ……冷静にならなきゃ)

 

 恐怖を絡ませて、唾を呑み込んだ。

 

(で、でも、どうしよう……)

 

 狩りの前、レオンは言っていた。危なくなったら逃げろ、と。

 でも、わたしは心に誓った。決して逃げない、と。

 どちらを選択するべきか……?

 逃げても、逃げ切れる保証は無い。

 立ち向かっても、倒せる自信は無い。

 

(あぁー、もう! どうすればいいんだろう!)

 

 混乱と困惑が、彼女の心を蝕む。

 その間にも、アオアシラは迫り来る。

 

(だめだめ、常に、冷静に……)

 

 そう言い聞かせ、暴走した心を鎮める。

 

(大丈夫、レオンは生きてる……絶対に……)

 

 そう考えないと、また恐怖に()し潰されてしまいそうだった。

 

(……逃げるべき? でも、方向音痴だし……無事に逃げ切れたとしても、そのあとにまた面倒なことになったらそれこそ大変だし……。なら、弓矢で応戦するしかない……)

 

 ソラは矢筒から1本の矢を抜き、(つが)える。

 

(矢はまだある……。でも、早めに仕留めないと……)

 

 (やじり)を獲物の頭部に向け、矢筈(やはず)を放した。

 だが、放たれた矢はアオアシラの顔を(かす)めただけだった。

 

(っ……。だめ……、まだ手が震えてる……)

 

 2本目の矢を引き出す。

 獲物との距離、約10メートル。

 矢を()ぎ、しっかりと狙いを定める。

 目標は頭。

 ここなら一撃。

 まだ残る緊張と恐怖を、吐息に混ぜて排出する。

 動く小さな的に、全神経を集中させ――

 

(いけっ!)

 

 解き放った矢は、額へと吸い込まれていく。

 

(やった!)

 

 そう思ったのも束の間、熊は丈夫な右腕で矢を弾き返した。

 

「なっ」

 

 攻撃が見切られていた?

 何、こいつ……、強い……!

 

 次の矢を番える隙を与えず、咆哮。

 至近距離からの音の攻撃が耳を(つんざ)く。瞼が重い。

 

(……っ)

 

 瞼を開くと、青熊獣が両腕を振り上げる光景が映った。爪の先端が、妖気を(まと)ったような光を反射している。

 

 ダメだ、もう死ぬんだ……。

 

 死を覚悟した、そのときだ。

 

 必ず生きて帰れ――そんな言葉が、どこからか聞こえた気がした。

 

(誰の声……?)

 

 聞き覚えのある声。さっきまで聞いていた声。レオンの声だ。

 

(いつの言葉……?)

 

 あぁ、そうだ。あのときのだ。よく覚えている。印象的だった。

 

(なんで今……?)

 

 死ぬ寸前だから?

 

 その言葉は、脳内で反響し、次第に大きくなる。

 生きろ、生きろ、生きろ、生きろ、生きろ――!

 

(そうだ、生きて帰らなきゃ――絶対に!)

 

 脳を駆けた思考が、神経を伝って全身に伝播(でんぱ)する。 

 右手で矢を掴み、切り株を足で蹴る。

 躰が跳ね上がった。

 自分でも信じられないほどの高さ。

 青熊獣の攻撃は、彼女の(はる)か下で空を切る。

 獣の顔面が、目前に迫った。

 

「うああああああああっ!!!!」

 

 大きく振りかざした右腕に、

 持てる力すべてを込め、

 獣の頭を目掛けて、

 一気に振り下ろす!

 

 

 生血が()ぜた。

 青熊獣が静止する。

 地面に落下したソラは、仁王立ちの熊を見上げた。

 鏃が脳天を突き抜け、顎から飛び出ている。

 獣の双眸(そうぼう)から光が失せ、巨体が後ろに傾く。そして、震動。

 

「……はぁっ……はぁっ……っ」

 

 目の前の獣はピクリとも動かない。彼女の渾身の一撃で、息絶えたようだ。

 

「……や、やった……」

 

 ソラは背中から倒れ込んだ。少し湿った地面は冷たく、火照った躰を冷やしてくれた。

 大きく息を吐く。全身の力が抜けていく。躰の奥底から達成感が湧き上がってくるのを感じた。だが、時を同じくして、もう一つの感覚が襲ってくる。

 

 ……これは何だろう?

 中身を失い、空っぽになったような……、そう、虚無感。

 

「あっ……、そ、そうだ、レオンが――」

 

 慌てて上体を起こすと、腰に痛みが走った。

 

「ったぁ……」

 

 思わず顔が歪む。地面に落ちたときに打ち付けたせいだろうか。痛みを堪え、なんとか立ち上がった。

 被った笠を後頭部にやる。頭に手を当てると、熱が(こも)っていた。でも、とくに頭がぼうっとしているわけではない。

 レオンの元へ向かうため、ソラは一歩踏み出そうとする。

 だが、できない。

 

 怖い。

 人の死を認めるのが怖い。

 振り返って、帰ってもいい。

 だって、生きて帰らなきゃいけないから。

 

 彼女は振り向こうとした。だが、それもできない。

 引き返しても、恐怖がまとわりつくからだ。

 逃れられないのなら、逃げることなんて意味がない。

 彼女は覚悟を決めた。

 すべてを受け入れる覚悟を。

 そして、前へ進む。しかし、一つ一つの動作が重たい。

 

 どれだけ歩いたのかは分からなかった。

 気がつけば、足元に頭部の防具が転がっていた。レオンのものだ。元々赤い防具が、(のり)のように張り付いた血で、さらに赤みを増している。

 ソラはおそるおそる手を伸ばし、それを拾い上げる。

 唾を一つ呑み込んで、中を覗く――が、空だった。

 

「あ、あれ? じゃ、じゃあ……」

 

 彼女は、仰向けで倒れている肢体に視線を向けた。この位置からでは、首から上の状態は見えない。

 手に防具を抱えたまま駆ける。

 

 レオンは、五体満足の姿で仰向けに倒れていた。左のこめかみの辺りが裂け、出血で顔面が赤に染まっている。

 ソラは、レオンの肩の近くで膝をつき、名前を叫んだ。

 何回か連呼したところで、レオンの目が微かに開いた。

 

「あ……」

 

 安堵が込み上げ、ソラの目に涙が溢れる。

 

「レオンっ!」

 

 彼女はレオンを抱きついた。途端に、レオンが咳き込む。彼女は慌てて、腕を離した。

 

「あっ、ご、ごめん……」

 

 レオンの(うつ)ろな目が彼女を捉えた。そして、彼は弱々しい声で、「ソラ……?」と呟いた。

 

「だ、大丈夫?」

 

「…………あぁ……オレ……生きてるんだな……。てっきり……死んだかと……」

 

「わ、わたしも……、し、死んじゃったのかと思っちゃったよ……」

 

 涙声になっているのが彼女には分かった。

 

「そうだ……アオアシラは……どうなった……?」

 

「あ……、わ、わたしが……倒したよ」

 

「へぇ……やったな……」レオンは唇の片側を上げた。それは微々たる動きだった。

 

「そんなことより……、顔が血(まみ)れだよ……? 早く手当てしないと……」

 

 ソラはポーチの中から、応急薬の入った小瓶を取り出して、蓋を開ける。

 

「こういうときは……飲むの?」

 

「……布……ポーチ……あるから……応急薬……付……て……傷口……当て……くれ……」

 

「う、うん。わかった」

 

 ソラは言われた通りに事を進める。包帯もあったので、応急薬を染み込ませた布を傷口に固定できるように、額に包帯を巻いた。

 

「……ごめん、迷惑を……かける」先程より少しはっきりした言葉で、レオンは言った。

 

「ううん……、大丈夫だよ。心配しないで。ほかにすることはない?」

 

「あぁ……たぶん、大丈夫……だ」

 

 レオンは頷くと、片腕を突いて、上体だけ起こした。

 

「ってて……」

 

 ソラは反射的に、レオンの背中を支えた。

 

「まだ動かない方が……」

 

「いや……、帰るまでが狩りなんだ……いつまでもこうしちゃいられない」彼はわずかな微笑を浮かべた。「それに、剥ぎ取りが……まだだろ?」

 

「あ、うん」

 

 ソラはレオンの手を引いて立ち上がらせた。

 

「まだ、生きてるのが不思議に思えて……仕方ないなぁ」レオンはそろそろと大剣を拾い上げる。「運よく防具が外れてくれて……よかった」

 

 彼はソラから防具を受け取ると、それを腰に(くく)りつけた。

 

「……防具の整備をし忘れたのが原因だな。……帰ったら、加工屋の爺さんに頼んでおかないと」

 

「でも、ホントによかったよ。レオンが生きてて」ソラの言葉の語尾が震える。「……ものすごく……怖かった」

 

「……ごめん」

 

 レオンはそう答えるしかなかった。ほかに気の利いた言葉が思いつかなかったからだ。

 

「……こんなに怖かったのは、は、初めてだよ。もう……なんか……おかしくなっちゃいそうだった……」ソラは鼻を啜り、「ホントに……ホントに……よかった……」ついには、(せき)を切ったように泣き出してしまった。

 

 レオンは困惑した。そして、間の悪いことに、ナナが現れる。

 

「あら、また泣かしちゃったの?」

 

「え、あ、いや、そんなんじゃなくて……」

 

「アンタはいっつも最低なことしかしないんだから」ナナはうんざりした顔を見せつけると、ソラに寄り添った。「ソラ、レオンが何を言ったのかは知らないけど、気にすることなんて無いのよ」

 

 ナナが優しく言うと、ソラは小さく首を振った。

 

「……レオンは……何も……言って……ないよ……」ソラはごしごしと目を擦り、「わたしは……だ、大丈夫だから……っ、早く……剥ぎ取りを済ませて………帰ろ?」無理矢理作ったような笑顔を見せた。

 

「ホントに何も言ってないの?」ナナはレオンを睨みつける。

 

「あぁ」

 

「……そ、ならいいわ」ナナは吐き捨てるように言う。「で、レオン、躰は大丈夫なの?」

 

「それを先に聞けよ!」レオンは思わず口走った。

 

「……元気そうじゃない。ヤバそうなら救助アイルーを呼ぼうと思ったけど。じゃ、早く剥ぎ取りを済ませて帰還しましょ。レオンは剥ぎ取り素材の運搬ね」

 

「ちょっとは(いたわ)れよ! オレは怪我人だぞ!」

 

 と、レオンは怒鳴りたかったが、閉じかけている傷口が開きそうだったのでやめた。それに、怒鳴ったところで、また冷たくあしらわれるだけだ。これは賢明な判断と言えよう。

 

 三人は、熊の屍の元へ向かった。鉄の匂いが鼻をつく。

 仰向けで倒れ、滲み出た血で赤熊獣(アカアシラ)になった亡骸(なきがら)の頭部を見て、レオンは驚愕した。

 

「こ、これ……」

 

 頭頂部から顎にかけて、一本の矢が貫通している。

 

「ど……、どういうことだ? まさか、空を飛んで矢を射たんじゃないよな?」

 

「……そんなこと、できるわけないよ。翼があれば、話は別だけど」

 

「それで、どうやったんだ?」

 

「うん……。切り株の上から跳んで、矢を刺したんだ」

 

「……なんでそんなことができたんだ?」

 

「声が聞こえたの」

 

「……声?」

 

「うん、声。レオンの声だった」

 

「……オレ、気絶してたから、声なんか出せないはずだけどなぁ……?」

 

「聞こえた……っていうよりは、思い出したって感じかな? とにかく、声が聞こえたんだよ」

 

「どんな声?」

 

 ソラは少し唸ってから答えた。

 

「〝必ず生きて帰れ〟……って。ほら、あのとき、言ったやつだよ」

 

「あぁ、あのとき、な」

 

 いつか、このエリアで採集をしているとき、レオンが言った言葉だ。

 

「で、その言葉に突き動かされたんだよ……たぶん」

 

「それだけ心に響いてた、ってことだな」

 

「うん。だから、もしあのときタイガと口喧嘩して、レオンに怒鳴られてなくて、その言葉を聞いてなかったら、死んでたかも……」

 

「まさに、怪我の功名ね」とナナ。

 

「え? けがのこうみょう?」ソラは首を傾げた。

 

「過失だと思ったことが、偶然良い結果をもたらすことよ。この場合でいう過失は口喧嘩して怒られたこと、結果は生き延びることができたことね」

 

「なるほど! じゃ、これからどんどん口喧嘩すればいいのかな?」

 

「それはやめてくれ……」レオンは首を振った。「オレだって怒鳴りたくて怒鳴ったわけじゃなかったんだからさ。それに、キレてほしくなんかないだろ?」

 

「うん。ちょっと怖かったし」

 

「うん、分かってるならいいんだ。……それよりも、初狩猟おめでとう」

 

「あ……、ありがとう。……でも、わたし、とくに何にもしてない気がするんだけど」

 

「そんなことない」レオンの口元が緩んだ。「恐怖に打ち()って、モンスターに立ち向かえただろ? それだけでも大きな飛躍だよ」

 

 ソラは、その言葉を聞いて、沈んでしまっていた達成感が泡のように湧き上がってくるのを感じた。

 

(わたし……やったんだ)

 

 この達成感が、狩猟の楽しみなのかもしれない。

 恐怖に立ちすくむ自分を打ち破り、強大な相手に挑む。

 そして、その先にある、昨日まで掴みとれなかったものを、手に入れる。

 過去の自分では越えられなかった一線を跨ぎ、新たな世界を感じる。

 この楽しみのために、生き、狩りをしているのではないだろうか。

 彼女には、そう思えた。

 

「よし。早いとところ切り上げよう。コイツの死体を狙って、肉食の小型モンスターが寄ってくるかもしれないからな」

 

「うんっ」

 

 ソラはアオアシラの隣で膝をつくと、腰につけた剥ぎ取りナイフを手に構えた。

 

(わたし……、やっとハンターらしくなってきた!)

 

 既に冷たくなった獣の躰に、静かに刃を突き立てた。

 

 

 

 

 

 

 

 剥ぎ取りを終えた彼らが拠点に戻ると、

 

「ニャニャッ! お帰りニャー!」

 

 躰のあちこちに包帯を巻いたタイガが、手を振って出迎えた。

 

「おっ、タイガ、元気そうだね?」ソラは彼に駆け寄る。

 

「ベッドで眠ったら全快ニャ!」

 

「よかった! これで、これからも(いじ)め続けられるねっ!」

 

「そうニャッ!! ――ってちょっと待つニャ!? そういうことを笑顔でさらっと言わないでほしいニャ!!」

 

「えー……。タイガを虐めることが生きがいなのに……」

 

「ボクは死んでおくべきだったニャ――――ッ!!」

 

 頭を抱えて嘆くタイガ。そんな彼の頭に、ソラは優しく手を置いた。

 

「タイガ――」

 

「ニャ?」タイガは少し顔を上げる。

 

「死んだ方がよかっただなんて、そんなこと言っちゃ駄目。生きてなきゃ、楽しいことも嬉しいことも味わえないんだよ?」

 

「そ、そうニャね……。ごめんなさいニャ」

 

「それでいいの。それに……」

 

「ニャ……?」

 

「タイガがいなくなっちゃったら、わたしはタイガを虐められなくなっちゃうんだよ!?」

 

「ボクは生きていても苦しみと痛みしか味わえないじゃないかニャッ!!!! もう焼くなり煮るなりモンスターのエサにするなり、好きにしてくれニャッ!!!!!! というか、前にもこんなこと無かったかニャ!?」

 

「……え? 気のせいだよ。もしかして、頭を打って記憶が混乱してるんじゃない?」

 

「ムム……、そうかもしれないニャ」

 

「そうそう!」ソラはにっこり笑って、立ち上がる。「それじゃあ、村に戻ろっか」

 

 全員が頷き、彼らは帰路に就いた。

 

 

 

 

 

 

 

 ユクモ村に辿りつくと、村長はいつものように長椅子に座っていた。村長は、帰ってきた四人の顔を見るなり、ほっとした表情を浮かべた。

 

「皆さんご無事で……良かったですわ」

 

「えぇ」レオンは答えた。

 

「でも、頭のお怪我は大丈夫ですの?」

 

「あ、え、えぇ。躰は丈夫な方なので」

 

 村長はクスッと笑った。

 

「あの方の息子さんですものね」

 

「あ、そ、そうですね……」やっぱり親子って似るんだなぁ、とレオンは思った。

 

「村長! わたし、頑張りましたよ!」ソラは元気よく手を上げた。

 

「ニャニャッ! ボクもボクなりに頑張ったニャ!」タイガも手を上げた。

 

「えぇ。全身汚れだらけですもの。その頑張りはよく分かりますわよ」

 

「ふふ」

 

「ニャハハ」

 

「これでまた、村人が安全に渓流へ行くことができます。ありがとうございました」

 

 村長は、普段よりも深々と礼をした。

 

「いえいえ、これがハンターの仕事ですから」

 

「そうそう! 村長、またモンスターが現れたら、わたしがやっつけてやりますよ!」

 

「まぁ。以前のあなたからは聞けない台詞ですわね」

 

 村長の言うとおりだ、とレオンは思った。

 アオアシラとの闘いの中、いや、今までの狩猟や鍛練の全てを通じて、ソラは成長した。自信も(みなぎ)ってきて、すっかりらしくなった。

 

「それでは、ギルドへの報告は私が行っておきますから、あとはごゆっくり……」

 

「はい。お願いします」

 

 村長に一礼して、彼らはソラの家に向かう。

 

「はぁ……」深い溜め息をついて、レオンは頭の後ろで腕を組んだ。「やっと終わったって感じだなぁ」

 

「そうだね……」ソラは無機質な声で答える。

 

「防具の整備は明日でいいか……」

 

「そうだね……」

 

「……どうした? ソラ」

 

「そうだね……」

 

 異変を感じたレオンは、ソラの頭をぽん、と叩いてやる。

 

「……はっ。わ、わたしどうかしてた?」

 

「うん、なんか、ボーっとしてたな。どうしたんだ?」

 

「疲れてるのよ」ナナが言った。「極度の緊張状態から解放されたら、誰だってそうなるわよ」

 

「まぁ、そうか。そうだよな」

 

「急に眠くなってきちゃった……」

 

 ふぁぁ、とソラは大きな欠伸をする。

 

「帰ったら寝てればいいよ」

 

「うん……、そうする」

 

「で、タイガもふらふらしてるけど、大丈夫か?」

 

「……お腹空いたニャ」

 

「アンタはいつもそうね……」

 

 溜め息が一つ、宙を舞った。

 

 

 

 

 

 

 

 家に着くと、彼らは普段着に着替えて、夕食ができるまで眠っていた。ソラに関しては、ベッドに倒れ込んだ瞬間、寝息を立てて眠ってしまったほどだ。

 夕食を終えた彼らは、温泉へ入るために、ユクモギルドへ向かっていた。

 

「よく寝た気がするけど、疲れはまだ残ってる気がするなぁ……」

 

 ギルドへ通ずる石段を上る途中、ソラが呟いた。

 

「オレもだ。今になって、躰中が痛みだしてきたよ」

 

「ボクもニャ……。早く温泉に浸かりたいニャ!」

 

 ユクモギルドに足を踏み入れた彼らは、番頭アイルーから湯浴(ゆあ)みタオルを受け取ると、男女に分かれて更衣室へ向かった。そこで服を脱いでタオルを纏うと、浴場に出る。

 湯けむりが水面から立ち上っている様子は、(かすみ)がかかったように見える。

 桶で(すく)った湯を躰にかけてから、彼らは湯に浸かった。

 ふぅ、という吐息に混じって、疲労が躰から抜け出していく。この瞬間がこの上無く気持ちいい。

 

「いつもながら、良い湯だなぁ……」レオンは目を(つむ)った。「それに、今日は一段と癒される気がする……」

 

「飲み物、頼もうか?」ソラが訊いた。

 

「……そうだな、じゃ、いつものやつを」

 

「ナナちゃんとタイガは?」

 

「あたしもいつものでいいわ」

 

「ボクもニャ!」

 

 ソラはドリンク屋を呼んで、いつものドリンクを四つ注文した。ドリンク屋は手際よくドリンクを用意すると、彼女に4本の瓶を渡した。

 

「やっぱりコレだよな」

 

 レオンはユクモラムネの瓶をソラから受けとると、飲み口のビー玉を落とし、ぐいっと飲む。

 甘さが口いっぱいに広がり、冷たい弾ける刺激が喉を()ぜる。温泉の心地よさもプラスされて、極上の感覚が味わえる。

 ソラ、ナナ、タイガも瓶を傾け、ラムネを堪能している。

 

「しゅわしゅわが美味しいのニャ!」

 

 タイガは既に飲み終えてしまっていた。早食いのみならず、早飲みも得意なようである。

 

「……そういえば」レオンが(おもむろ)に口を開く。「ソラはあのとき、逃げようとは思わなかったのか?」

 

「え?」ソラはラムネを飲むのを中断して、レオンを見た。

 

「オレが倒れたときだよ。……アオアシラから逃げようとは思わなかったのか? 生きて帰らなきゃいけなんなら、逃げた方が良かったんじゃ?」

 

「うん……、それは思ったんだけど……。わたし、方向音痴だから、迷っちゃったりしたら、そっちの方が大変かなぁ……と思って」

 

「まぁ……、それはあるな」

 

「……でも、それよりも、逃げちゃったら……もう二度とレオンに会えない気がした、っていうのが一番大きいと思う」

 

「――だから、逃げなかった、というよりは、逃げられなかったんだな」

 

 ソラは小さく頷く。

 

「だったら、倒しちゃえ、って。そう思ったんだよ」

 

「それがあの、奇跡的な跳躍力を生んだのか」

 

 レオンは上を向いて、長く息を吐いた。

 

「ま、今回は上手くいったから良かったけど、下手したら命を落としていたかもしれないからな。これからは、冷静に判断して、逃げるか逃げないか決めた方がいい。常に、危険性(リスク)の低い行動をとれば、安全なおかつ円滑に闘えるんだ」

 

「説得力が無いわね」ナナが言う。「レオン、あの熊にやられちゃったんでしょ?」

 

「そうだな……説得力が無いな」レオンは溜め息をついた。「でも、よく分かっただろ? オレたち狩人(ハンター)は、死と隣り合わせの世界で生きてるってことが」

 

 ソラは頷いた。同時に、レオンと出会った日に聞いた〝狩人は最も危険な職業〟という言葉の意味を、彼女は改めて知った気がしていた。

 

「身を持って体感したよ」

 

「うん……、狩人は、生と死の狭間に住まう者……って言ってもいいかもな」

 

「生と、死……?」

 

「そう、生と死。生と死は、懸け離れているようで、すぐ近くにある。しかも、切っても切り離せない関係、表裏一体の関係にある。光があれば必ず影ができるように、生命(いのち)ある者は、必ず死ぬ。でも、いつ死ぬかなんて、誰にも予測はできやしない。だから、生きるのは難しい」

 

 レオンは一度小さく息を吐いてから、続けた。

 

「死ぬことの方が簡単で、いずれやってくるものなのに、なぜ人は死を恐れるんだろうな?」

 

 その問いに、ソラは黙考する。数秒して、彼女は答えを出した。

 

「……生きているから?」

 

「それもある。でも、オレは、覚悟の問題だと思ってる。〝生きること〟に生半可な覚悟で挑むから、死が恐いんだ」

 

「生きることに……?」

 

「うん。だから、死ぬ覚悟は要らない。生きる覚悟を持て」

 

「生きる覚悟、かぁ……」

 

 ソラは、言葉を繰り返す。少しして、真剣な眼差しをレオンに向けた。

 

「ねぇ、レオン」

 

 何かを感じ取ったような眼差し。

 

「この世界で生き抜くためには、どんなことからも逃げずに、立ち向かわなきゃだよね?」

 

 レオンは含みのある笑みを浮かべると、ラムネの瓶を傾けた。

 

 

       *

 

 

 ≪レオンの日記≫

 

 村長からの依頼を受け、ソラ、ナナ、タイガとともにアオアシラの討伐へ向かった。

 奴はかなり手強かった。そして、最後までしぶとかった。

 止めはソラが刺した。それも、弓で矢を飛ばすのではなく、矢を握りしめたまま跳んで、奴の頭を貫いたというから驚きだ。

 ……彼女は確実に成長し、心も躰も強くなっていると感じた。

 本人もそれを実感しているようで、自信に繋がっている。

 対してオレは、まだまだだと感じることが多い。

 生きる覚悟――これが足りなかったのだと痛感している。

 このことは深く反省し、同じ(あやま)ちを繰り返さないようにしなければならない。

 

 そして最後に……

 食べ物の恨みは、ホントに怖い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 対アオアシラ編、これにて落着!

 

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