モンスターハンター ~碧空の証~   作:鷹幸

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 渓流を徘徊(はいかい)するアオアシラの討伐に向かう、レオン、ソラ、ナナ、タイガの四人。
 ソラにとって初めての大型モンスターの狩猟が、今、始まろうとしていた……。


第18話 青熊獣

 渓流のエリア6の岩陰に、レオン、ソラ、ナナ、タイガは身を潜めていた。

 岩の向こうには、青い体毛を持ったモンスター――アオアシラがいる。それ以外の小型モンスターは認められない。これは、それほど珍しい現象ではない。自然の摂理に従っているといえる。

 

「あぁ……、なんか、緊張してきた……」

 

 不安が声に絡んでいる。ソラは今にも泣きだしそうな表情だった。

 

「さっきまで大丈夫だったのに……。おかしいなぁ」

 

「初めて大型モンスターの狩猟に挑むんなら、そうなるのが普通だし、気にすることないよ」

 

 レオンがやわらかく言うと、ソラは軽く頷いて、笑顔を取り戻した。

 

「それで、アオアシラは今、どうしてる?」

 

「えっと……」

 

 岩陰から顔を覗かせ、ソラは標的の様子を確認しようとする。

 川のほとり――彼らの場所から15メートルほど離れた位置で、アオアシラは彼らに背を向けていた。

 

「うん……、なんか、川の中を覗いてるみたい」

 

「川の中ね……。魚でも取ろうとしてるのかしら」とナナ。

 

「アオアシラがいる方が風上だから、オレたちにはまだ気付いていないはず」レオンは鼻をひくひくさせた。「ここは、見つからないように寄っていって、攻撃を仕掛けるのがセオリーかな」

 

 相手は、大きさが人間の数倍以上もあるモンスターだ。むやみやたらに突っ込んでいっているようでは、到底勝てない。力の差も歴然であり、下手をすれば死の危険さえある。

 狩猟とは、命のやりとり。一方が死ぬということは、もう一方は生き残るということだ。そして、必ずしも人が狩人(ハンター)であるとは限らない。

 

「それで……」ソラは視線をレオンに向けた。「どうするの?」

 

「うん」レオンは腕を組んで頷いた。「そうだな、まずは、オレがアオアシラの背後に忍び寄る。オレが合図をしたら、ソラは矢を射る。そうすると、アシラは注意はソラの方へ向き、その隙に、オレが背後から奇襲を仕掛ける。こうすれば、多大なダメージを与えることができる」

 

 ソラは頷いたが、すぐに首を傾げた。

 

「でも、レオンが先に見つかっちゃったら……それって成功しないんじゃ?」

 

「そうだな。でも、そのときはソラにとって攻撃の機会になる。そうなったら、奴の脳天を射抜いてやればいい」

 

「あっ、どっちにしても攻撃の機会は舞い込んでくる、ってことなんだね」

 

「ま、そんな感じ。そのあとは、弓で援護してくれ」

 

 ソラが「了解」と言って頷くと、今度はタイガが口を開いた。

 

「ボクはどうすればいいかニャ?」

 

「そうだな……。タイガは攻撃しなくてもいいから、奴の周りをちょこまかと移動してくれ」

 

「……ニャ? そんな簡単なことでいいのかニャ?」

 

「簡単かどうかは、身を持って体感してくれよな!」

 

「その言い回し、なんか不吉な予感がするニャ……。でも、ホントに動くだけでいいのかニャ?」

 

「あぁ、奴を挑発させるのが目的だからな」

 

「……挑発なんかしたら危ないんじゃないのかニャ?」

 

「普通はそう考えるところだろうけど……。ほら、逆上したときって、攻撃の威力は上がるけど、単調になりやすいだろ? だから、相手の動きが読みやすくなって、こちらは攻撃しやすくなる、というわけなんだ」

 

「ニャるほど……」

 

「だから、重要な役目なんだぞ?」

 

「が、がんばるニャ」

 

 タイガの言葉に、レオンは微笑んだ。

 

(ま、ホントは、タイガをオトリに使って攻撃の機会を見計らうためだなんて、口が裂けても言えないけどな)

 

 どうも最近、タイガを虐めたいという欲が芽生えてきている。ソラと一緒にいることが、その原因なのかもしれない……。

 

「じゃ、ナナは――」

 

「あたしは、ブーメランで応戦するわ」

 

 ナナは、装備していたブーメランを手に構えた。ブーメランの先端は砥がれていて、鋭利な刃物のようになっている。

 

「……それじゃ、行ってくる。ソラは、いつでも矢が放てるようにしておいてくれよな」

 

 レオンはフェイスマスクを下ろして、(からだ)中を鎧で覆った。そして体勢を低くすると、アオアシラの方へ近づいていく。

 彼の姿を見据えながら、ソラは矢筒から矢を1本引き抜いた。

 

 

 

 ――幸いにも、こちらは風下。しかも足音は流水の音で掻き消されている。こんな好条件で獲物に接近できるのは滅多にないことだ。しかし、一見してこちらが有利な状況においても、常に緊張の糸は保っておかなければならない。なぜなら、相手は強大な力を持つモンスターだからだ。

 レオンは、暗殺者のように音を殺して歩く。だが、防具の金属部が擦れる音までは完全に消せない。完全に音を消そうと思えば、裸で挑まなければならない。しかし、そんなことは狩猟の世界では外道。防具も着けずに狩猟に挑むのは、命を捨てるも同然の行為であり、「生きて帰る」が鉄則のこの世界では、()法度(はっと)なのである。

 レオンは、アオアシラの背後に回った。まだ気付かれている様子はない。ここまで順調だ。

 

(よし……)

 

 レオンは大剣の柄を右手で握り、合図を送るために左手を挙げようとする。

 

(――いや、待てよ? これは順調過ぎやしないか?……野生のモンスターの勘がこんなに鈍いわけがない。いつもなら、すぐに見つかって、臨戦態勢に入るのに……)

 

 違和感を覚えながらも、手を振って合図を送ろうとしたとき――

 アオアシラが振り返り、視線が衝突した。

 

(――っ!)

 

 咄嗟(とっさ)の判断で、地面を蹴り、後方へ跳んで距離をとる。すかさず柄を引き抜き、剣先をアオアシラの額につけた。

 目の前にいる青い熊の瞳には敵意が感じられる。

 

(寸前で気付くとは……)

 

 睨み合いが続く。フェイスマスクのスリットからの視界は悪い。

 

(……いや、コイツ、既にオレたちの存在に気付いていたんじゃないか?)

 

 まだ、動く気配はない。(てのひら)に汗が滲む。

 

(ということは、誘われていた……だとすれば)

 

 かなり手強い。そう感じたとき、

 アオアシラの頭上すれすれを、一本の筋が通り抜けていった。

 (アオアシラ)の注意が逸れた。

 その瞬間、レオンは大剣を横に小さく振りかぶり、前に一歩踏み込んだ。

 

 

 

 

 

「あっ、外しちゃった……」

 

 ソラが残念そうに呟く。先ほど彼女が放った矢は、狙いを外れて獲物の頭上を掠めていった。

 弓を持つ左手が震えている。それだけでなく、さっき矢を離した右手も震えていた。

 

(やっぱり、緊張……してたのかな)

 

 額に冷や汗が伝う感覚がある。息も少し荒い。

 

(違う。緊張なんかじゃない。これは、あのときと同じ……)

 

 恐怖。

 恐怖に、肉体と精神が支配されている。

 目の前にモンスターがいる恐怖。

 自分の行動への恐怖。

 死への恐怖。

 思い出す。死を悟ったあの瞬間を……。

 すべてはそこから来ている。

 この恐怖の始点はあれだった。

 そして、その恐怖の直線上にいる。

 終点の無い直線上にいる。

 進んでも引き返しても恐怖……。

 逃れることはできない。

 

 

「……大丈夫?」

 

 その声にソラはハッとする。声の方へ向くと、ナナが心配そうな顔で見上げてきている。

 

「顔が真っ青になってるわよ?」

 

「あ……、う、ううん、なんでもないよ」

 

「……まぁ、そういう時もあるから、気にすることなんてないわ。まだ、狩りは始まったばかりなの。――これからよ」

 

 そう言うと、ナナはタイガを小突いた。タイガは緊張を顔に張り巡らせている。いや、もしかしたら恐怖で顔が引き()っているのかもしれない。

 

「行くわよ!」

 

 掛け声をあげて、ナナは駆けだす。腕を引っ張られて、タイガも走っていく(というよりは、引きずられている)。

 少しの間、呆然と立ち尽くしていたソラだったが、ぶんぶんと首を振った。

 

(これから……。そうだ、これからなんだ……)

 

 まだ、狩りは始まったばかり。

 恐怖の呪縛に狼狽(うろた)えている場合じゃない。

 ……わたしは、狩人(ハンター)

 狩りに生きる者。

 決めたんだ。逃げないって。

 全身全霊を込めて、挑もう。

 ソラは、2本目の矢を矢筒から引き抜いた。

 

(狩りって、躰だけじゃなくて、心の駆け引きもある……)

 

 彼女の口元から、ごく自然に笑みがこぼれた。

 

(これって、ちょっと楽しいかも)

 

 彼女は鋭い視線を獲物に向けると、ゆっくりと矢を(つが)えた。

 

 

 

 

 

 刃は虚空(こくう)を切り裂いた。

 アオアシラは後ろ脚で立ち上がって、レオンの攻撃を躱していた。人間の何倍もある体長に、圧倒される。だが、怖気づいている場合ではない。

 レオンは、大剣の重量に振られた躰を支えるように、全身の筋肉に踏ん張りをきかせて体勢を立て直す。大剣は、その重量を活かした攻撃が可能だが、その反面、重量のために動きが鈍り、攻撃の合間に隙ができやすい。大きな刀身で防御することもできるが、いつも成功するとは限らないので、なるべく隙を作らない方法で攻撃することが求められる。

 今、アオアシラとは正対している。ここから攻撃してこられたならば、左右どちらかに避けることになるだろう。こちらから仕掛けていく手もあるが、大剣の性質上、この状況でそれは好ましくない。

 そして、アオアシラはソラの存在にも気が付いている。

 

(ここは、手の内を見てから動こう)

 

 先手必勝という言葉がある。意味は文字通りだが、相手をよく知ってからでなければ、その行動はただの危険な行為に成り下がる。

 

 

 アオアシラ。

 ()(じゅう)種に属し、主に、ユクモ村近辺の山地に生息する。

 別称を(せい)(ゆう)(じゅう)といい、熊のような容姿と美しい青い体毛が、その別称の所以(ゆえん)だ。

 まず、脅威となりうるのは分厚い甲殻に覆われた腕。腕には鋭い突起物がいくつもついており、金棒のようである。振り回すだけで、強力な攻撃が可能となる、おそろしい武器だ。そして、指先には大きく鋭利な爪。不気味に光を反射するその爪は、人間の躰など、いとも簡単に引き裂いてしまうだろう。腕力も相当強靭で、掴まれて投げ飛ばされるということもあるようだ。頭部を狙われれば、もちろん首は飛ぶだろう。

 頭や背中は硬い甲殻に覆われているが、腹と下半身は体毛で覆われているだけで、肉質は柔らかい。狙うならここだ。

 また、雑食で、人を襲って食うこともあるという。大好物はハチミツ。あまりに旺盛な食欲のため、狩猟の最中にも何かを食べることもあるらしく、とても食いしん坊な性格なのだ。

 

 

 アオアシラが、万歳するように両腕を上げた。

 レオンの腕に自然と力が入る。

 

「グオォォォォ――――ッ!」

 

 吼える。威嚇の咆哮だ。飛竜種のモンスターに比べれば小さいものだが、それでも、与えてくる威圧感は大きい。

 青い熊は、両腕を上げた状態から、その巨体を少し仰け反らせた。

 

(何か来る――!)レオンは右斜め前に転げた。

 

 直後、アオアシラは躰を前方へ滑らせながら、腕を交差するように振り下ろした。

 間一髪で攻撃を回避したレオンは、すぐさま起き上がり、大剣を構え直す。久々の前転回避で、躰のあちこちが少し痛んだ。防具が(きし)む音も感じられた。

 

(危ねぇ……)

 

 予備動作はあるものの、腕が振り下ろされる速度は大きい。まともに喰らえば、防具ごと躰を上下に分断されてしまうほどの威力がありそうだった。しかし、攻撃が外れた後の隙が大きい。上手くいけば、回避から攻撃に繋げることができる。

 レオンに背を向けていたアオアシラは、ゆっくりとした動作で振り返る。そして、前脚を、地面に叩きつけるようにして下ろした。レオンの背後は川だった。

 

 両者は、再び睨み合いの態勢に入る。

 この時間は、とても長く感じられる。

 この沈黙がいつ破られるか分からない。

 数秒先のことさえも予測不可能な時間。

 未来はどうなるか分からない。

 この時間は、たまらないほどの緊張と恐怖を煽る――。

 

 アオアシラの後脚がわずかに動き、躰が前へのめり出でた。

 金棒のような腕が、狭い視界で膨張する。

 レオンは、刃先を下に向けて刀身を左手で支え、目の前を大剣で覆う。

 防御の構え。

 狩人に飛び掛かる熊の爪が、鋼刃に触れる。

 刹那(せつな)、二重の衝撃音が空気を伝った。

 弾けるような音。

 金属を引っ掻く、高い音。

 

「ぐぅ……っ!」

 

 歯を食い縛り、反動に耐える。だが、質量のあるモンスターの方が、持っている運動量は大きい。レオンは後方へ弾き飛ばされ、川で尻餅をついた。同時に、アオアシラもドスンと音を立てて地面に落ちた。熊は、うつ伏せのまま「グルルルッ……」と唸った。

 川は浅く、膝下20センチメートルほどが浸かっているだけだった。レオンは左手をついて躰を起こす。水の重量が加算されて動きが鈍ったが、躰は何ともない。

 立ち上がりながら右方を(うかが)うと、ソラがガッツポーズを決めているのが見えた。視点を移すと、倒れ込んだアオアシラの左腕には、新しい傷がついている。

 どうやら、彼女の放った矢がアオアシラの左腕に命中したらしい。その結果、飛び掛かってくる軌道にズレが生じ、衝突のエネルギーが少し殺がれたようだった。

 

(奴の攻撃をまともに受けていたら、それはそれで危なかったけど……)

 

 レオンは大剣を構え直し、まだ倒れたままのアオアシラとの距離を縮める。

 

(ギリギリを狙ってくるなんて……)

 

 大剣を大きく振りかぶり、

 

(ソラも危なっかしい奴だな!)

 

 頭を目掛けて、思いっ切り振り下ろす。

 だが、攻撃は外れた。アオアシラは既に直立の姿勢だった。

 

(動きが速い……)軽く舌打ち。

 

 大剣は地面に打ち付けられている。刀身を起こして構え直すまでの時間、こちらに大きな隙ができる。

 アオアシラは、腕を振り上げた。

 

(やば――)

 

 レオンの躰が硬直する。マズい、殺られる――そう思ったとき、

 

「ニ、ニャニャッ! お前の相手はボクニャ!」

 

 一瞬、アオアシラの動きが止まった。その隙にレオンは体勢を立て直し、相手と距離をとる。

 

「タイガ!」レオンは叫んだ。

 

「ニャニャッ! ボク、参上ニャ!」

 

 タイガが得意げに胸を張ると同時に、アオアシラの視線が彼に注がれた。すぐに、タイガは走ってアオアシラの背後に回る。

 

「ボクはこっちニャー!」

 

 そのとき、アオアシラは右腕を大きく振りかざした状態から、反時計回りに躰を大きく捻った。

 

「ニ、ニャァッ!?」

 

 尖爪がタイガの頭上を(かす)めた。まさに、危機一髪。タイガがもう少し上に跳んでいれば、首が吹き飛んでいただろう。

 

「ニャヘッ!? こ、こんな真後ろにまで……!?」

 

 タイガの顔は引き攣っている。攻撃されるとは思っていなかっただろうから、当然の反応といえる。

 

 アオアシラがタイガに気を取られているその間、腹はガラ空きだった。

 レオンは、この機会(チャンス)を見逃さない。

 足を踏み込み、軸足を中心にして、躰を回転させる。腕に踏ん張りをきかせないと、大剣にかかる遠心力で腕が千切れそうになる。

 

「うらぁっ!」

 

 鈍い音が耳に届き、肉を切り裂く感触が腕に伝う。

 

「グォォォォッ!?」周波数の低い悲鳴が轟く。

 

 レオンの躰は大剣に振られ、よろめいた。体勢を戻しつつ、怯んで仰け反ったアオアシラの腹部を一瞥(いちべつ)する。緋色の霧が噴き出し、青い体毛が赤に染まっていた。かなり深く抉れたようだ。

 

(……よし!)

 

 この一撃は大きい。だが、油断は禁物。

 レオンはすぐに、大剣を構え直す。タイガはレオンの後ろに隠れた。いつの間にか、ナナも傍にいた。

 

「グルルルルルルッ……」

 

 再び向かい合う。

 熊の口からは少量の(よだれ)が垂れ、腹部には赤いシミが広がっている。

 お互いに踏み出せない。

 膠着(こうちゃく)状態が続く。

 だが、程なくして、アオアシラは前脚を下ろすと、彼らに背を向けて走り出した。

 

「ニャ……?」タイガは、レオンの陰から恐る恐る顔を出す。「に、逃げたニャ……?」

 

「そのようね」ナナは持っていたブーメランを背中に掛ける。

 

 レオンは何も言わず、刀背(とうはい)を肩にかけた。そして、荒くなった呼吸を整える。

 少しして、ソラが三人の元へ駆けてきた。

 

「逃げちゃったの?」

 

「逃げたのかどうかは判らないな」レオンは小さく溜め息をついた。

 

「……レオン、躰は大丈夫? さっき、吹っ飛ばされてたよね?」

 

「あぁ、それなら、とくに何ともないよ。それよりも、回避したときの方が痛かった」

 

「そ、そっか」

 

「……にしても、ソラには助けられたな。タイガにもだけど」

 

「ん……? わたし、何かしたっけ?」

 

「2本目の矢。奴の腕に当たったやつだよ」

 

「さっきの?」

 

「そう。あれのおかげで、正面衝突は避けられた」

 

「早く奴を追わなくていいの?」とナナ。

 

「あぁ……そうだな。その前に、刃を研がせてくれ」

 

 レオンは、肩にかけた大剣を下ろすと、まず付着した血液を拭った。次に、砥石を使って刃を研磨する。それが終わると、彼は大剣を納めた。

 

「よし、追おう」

 

 そして四人は、獲物の落とした血の跡を追った。

 

 

 

 

 

 

 アオアシラが向かった先はエリア5だった。そのエリアは、周囲を木に囲まれ、少し薄暗くなっている。そして、ソラの恐怖の元凶を作り出した、とも言える場所である。

 数週間前、ソラはそこでアオアシラと遭遇した。危うく殺されそうになったところを、レオンが助けたのだった。それ以来、ソラはレオンを師に仰ぎ、様々な修行を積んだ。

 そして、この日を迎えた――。

 

 

 彼らがエリア5に到着したとき、アオアシラは一本の木の前に立っていた。

 四人が呆けたようにその様子を見ていると、突然、アオアシラは金棒の腕を振って木に殴りつけた。乾いた音と共に、木が砕け散り、無数の破片が空中に舞い上がった。

 

「……な、何をやってるんだろう?」ソラは目を開く。

 

「そういえば……」ナナは上を見た。「前に、このエリアで、気になった箇所があったこと……」彼女はレオンの方を向く。「レオン、覚えてる?」

 

「あぁ、覚えてるよ。あれだろ?」

 

「え? 何? 何の話?」ソラが首を突っ込んでくる。

 

「オレが、ソラとタイガを怒鳴った話」

 

「あう……」

 

 ソラは俯いてしまった。タイガも同様の動きをとる。どうやら、あのときのことを思い出したらしい。

 

「嘘だよ」

 

 レオンが言うと、ソラは顔を上げた。頬を少しだけ膨らませている。

 

「ちょっとレオン! 狩り場では危機感を持ってなきゃダメだって言ったのは誰なの! レオンでしょ!? その本人が、こんなときに嘘をつくなんてどういうことなの!?」

 

「あ……、ご、ごめん。でも、そのときにあった話には違いないんだ」

 

「…………っていうと?」

 

「このエリアの木に、傷がついてたのよ。獣が引っ掻いたような、ね」ナナが言った。「でも、これで分かったわね」

 

「あぁ。あの傷は、アオアシラのつけたものだったんだ」レオンは腕を組んだ。「アイツはハチミツが大好物。そして、ハチミツが作られる蜂の巣は、このエリアの木にある。だから、アイツは、ハチミツのありそうな木や、その近くの木にマーキングをしておいたんだ。後でハチミツを採りに来たときのための目印として」

 

「ふぅん。じゃ、アオアシラは今、ハチミツを採ろうとしてるんだね!」ソラは納得したように頷いたが、すぐに表情を曇らせた。「あれ?……でも、ハチミツって、ここ最近で採れるだけ採っちゃったよね?」

 

「そ、そういえば……、そうだったな」レオンの言葉の語尾が小さくなる。

 

「食べ物の恨みは怖いのニャ……」タイガがぼそっと呟く。

 

「ってことは……」

 

 アオアシラは、木を何本か破壊し終えていた。だが、大好物のハチミツは全く見つからなかったようだ。

 

「グルルルルルルルルルッ…………」

 

 怒りに満ち溢れた視線が、狩人たちへ向けられる。

 

「グオアアアアアアアアアアアアァァァァァァァ――――――――――ッ!!」

 

 けたたましい咆哮。鼓膜が張り裂けそうなほど強烈だった。食べ物の恨みは、本当に洒落にならないようだ。

 憤怒の叫びをあげたアオアシラは、ブルファンゴにも匹敵する速度で、四人に向かって突進を始めていた。

 

「奴が来るぞ! 避けろ!」レオンが叫ぶ。

 

 彼らは難なく突進を躱した。だが、走り抜けたときの風圧でよろめいた。

 アオアシラは地面に爪を立てて滑って停止すると、すぐに立ち上がり、振り返る。

 熊の口からは、白くて荒い息が洩れている。血走った両眼からは、殺気が感じられた。

 

「ガルルルッ!」

 

 唸りながら、アオアシラは腰を捻る。まるで力を溜めるように。

 

「?」ソラは呆然とその様子を見ていた。

 

 次の瞬間――彼女は衝撃を感じた。

 

「――?」

 

 気付けば、彼女は尻餅をついていた。隣を見ると、レオンがうつ伏せで倒れている。

 

「間一髪……危なかった」レオンは素早く立ち上がった。「もう少し遅かったら、切り裂かれて死んでたぞ」

 

 その言葉で、ソラは、自分はレオンに突き飛ばされて助かったのだと分かった。

 

「あ……、ありがと」

 

「礼はいいから、早く立て!」レオンはソラの腕を引いて立たせる。「奴から離れるぞ!」

 

 四人は、激昂(げっこう)状態の牙獣に背を向けて走りだした。

 

「グルァァアアァァアァッ!」

 

 アオアシラは狂ったような雄叫びをあげると、左右の腕で交互に引っ掻きを繰り返しながら、彼らに迫った。

 

(っ!)

 

 ギリギリで避ける状態が断続的に続いた。

 人間と大型モンスターでは体長の差は歴然。移動速度やリーチは、モンスターの方が圧倒的に大きい。

 対して人間であるハンターは、重い防具や武器を身に付けていることが多いため、普段の状態よりは動きが鈍ってしまう。訓練すればなんてことはないが、狩猟が長引いてくれば、そのぶん身体的負荷は大きくなり、結果として動きは遅くなる。

 それを補うには、頭を使って、こちらに有利な立ち回りを考えるしかない。レオンは走りながら、これについて考えを()せた。とくに、ソラは接近戦には慣れていないため、彼女を安全な場所に置くことについて思案する必要があった。

 レオンの考えはすぐにまとまった。

 

「……ソラは、あの大きな切り株まで走るんだ」

 

 レオンは、エリアのほぼ中央に位置する切り株を指差した。この切り株は大きく、十数人は上に乗ることができるほどの面積を有する。

 ソラは「え?」と聞き返した。

 

「切り株のところまで行ったら、その上に登るんだ。そこなら少しは安全だし、そこから矢で援護してくれ」

 

「う……、うんっ、……わかった!」

 

 息を詰まらせながら応じると、ソラはわずかに速度を上げて駆けていった。

 

「オレたち三人は……、ここで応戦だ。危なくなったら、自分で判断して逃げろ。いいな?」

 

「分かったわ」

 

「り、了解ニャ」

 

 三人は立ち止まった。

 振り向きざま、レオンは大剣の柄に手をかけ、ナナはブーメランを構えた。タイガは尻尾を立てて威嚇の体勢をとった。

 アオアシラが、約10メートル先から、二足歩行で、のそりのそりと近づいてくる。

 

「うおおおっ!」

 

 レオンは地面を蹴り、正面から突っ込む。

 絶好の間合いで抜刀、腹を目掛けて振る。

 

「……っらぁ!」

 

 だが、鈍い音と共に、刀身は青熊獣の堅牢な右腕に受け止められ、そのまま弾き返された。

 

「ちぃっ……」

 

 電流が走るような感覚が腕を襲う。

 

(くそっ……強い!)

 

 アオアシラが左腕を振るのが見えた。

 

(引っ掻きか……!)

 

 レオンは痺れる腕に力を入れて、大剣で身を覆う。

 だが、攻撃は来なかった。

 

「グォァッ」

 

 短い悲鳴をあげて熊は怯んでいた。その隙を見て、レオンは二、三歩退く。

 熊の左腕の付け根の数ヶ所に、出血が認められた。おそらく、ナナのブーメランによる創傷だろう。

 

「ブーメランの刃に神経毒を塗っておいたから、じきに動けなくなるわ」ナナがレオンの背後で得意気に言った。

「よし、じゃ、動けなくなるまで時間稼ぎといくか」レオンは肩に大剣をかける。

 

 アオアシラは、両腕をだらりと垂らした状態で、狩人たちを睨みつけていた。口から洩れる憤激の吐息は、さらに勢いを増しているようだった。

 

「タイガも、早く距離をとるんだ」

 

 レオンは、突っ立っているタイガに呼びかける。だが、彼は応じない。彼の躰は、氷像のように固まっていた。

 

「おい、タイガ――」

 

 レオンが歩み寄ろうとしたそのときだった。

 

 

「グオォオアァアァッ!!!!」

 

 

 牙獣の後脚が地面を抉り、巨体が跳んだ。

 それは、一瞬の出来事だった。

 次の瞬間には、タイガは、アオアシラの掌中に収まってしまっていた。

 

「――タ、タイガ!?」

 

「ニャッ!? ニャァァァァッ!!」

 

「グルァァァァアァァッ」

 

 アオアシラは、タイガを捕捉したまま、腕を四方八方に振り回す。幼い子どもが駄々をこねるときの仕草のように。

 悲痛な叫声が辺り一帯を支配する。

 

(くっ……)眉間に皺を寄せ、レオンは大剣を構えた。

 

 タイガが捕まってしまった。

 アオアシラは暴れている。迂闊に近づくのは危険だ。

 攻撃はできないこともない。だが、タイガに当たる可能性も否めない。

 

(どうすれば……)

 

 レオンが思考を巡らせていると、何かがアオアシラの腹部に突き刺さった。矢だった。

 

「グォッ!?」

 

 突然の狙撃に驚き、熊はタイガを手放した。

 

「ニャァァァァァァ――――――――――――ッ!!」

 

 タイガは宙に放物線を描き、グシャッという音を立てて地面に落下した。

 レオンは呆然としていたが、すぐに我に返って叫んだ。

 

「ナナ! タイガを回収して撤退しろ!」

 

「もうっ、あのバカ!」

 

 ナナはそう吐き捨てると、持っていたブーメランを納めてタイガの元へ駆けていき、彼を拾って拠点(ベースキャンプ)へ戻っていった。

 レオンが向き直ると、アオアシラは腹に刺さった矢を腕で払い、折った。

 そのとき、突として、アオアシラの足がガクッと折れ、地面に伏すように倒れた。やっと毒が回ってきたようだ。

 

(よし!)

 

 まだスタミナも体力も十分残っている今のうちに倒してしまった方がいい。

 

(一気に決めてやる!)

 

 レオンは大剣を肩に担ぐようにして、力を溜める。

 〝()()り〟だ。普通に斬るよりも大きな攻撃力を持つこの技だが、隙が大きく、頻繁に使える技ではない。しかし、相手が動けないときに使えば、絶大な威力を発揮できる。

 力の発散が最大になるタイミングで、彼はアオアシラの頭を目掛けて大剣を振り下ろす。

 鈍重な音が響いた。

 刃は、頭部ではなく左腕の甲殻を粉砕していた。アオアシラは力を振り絞り、頭を少し傾けていたのだ。

 

「ちぃっ」

 

 モンスターも、生きるために必死だ。

 だが、ハンターも生きていくために狩りをする。

 これだけでは終わらせない――。

 レオンは下肢に力をかけて大剣を横に振り、刀身で頭部を殴打する。

 アオアシラの口から血の混じった唾液が飛び出す。気絶はしていないようだった。

 

(今度こそ、頭に当てる――)

 

 レオンは躰を大きく捻りながら、力を溜める。

 躰を捻ることで、溜め斬りよりも強力な斬撃が可能となる〝強溜め斬り〟。全武器中で最大級の威力を誇り、放たれる渾身の一撃は、大地をも揺るがす。

 しかし、その一撃が放たれるという寸前で、アオアシラが腕を振るわせながらも起き上がってしまった。

 

(くそ……)

 

 〝強溜め斬り〟が外れたら、その後に大きな隙ができてしまい、身が危ない。

 レオンは〝強溜め斬り〟を繰り出すのを諦め、大剣を薙ぎ払って対応しようとした。だが、その必要は無かった。

 ソラの放った矢がアオアシラの喉元に刺さり、怯んだからだ。

 ソラは、良いタイミングで矢を射てくれる。攻撃よりも、サポートに回っているような、そんな射ち。彼女の攻撃は、「殺す」ためのものでなく、「守る」ためのもの――レオンはそんな印象を受けた。

 

 レオンは剣先を獲物に向ける。

 熊の躰中の傷からは血が滲み出ている。ダメージはかなり蓄積されている筈だ。

 追い詰めたと言っても過言ではない。

 あとは止めを刺すのみ、といった有利な状況ではある。

 だが、ここからが危険領域なのだ。

 追い詰められた獲物は、何をするか分からない――。

 

 

「グルゥゥアアァァオアッ!」

 

 

 狂乱した咆哮を繰り出す。

 アオアシラが右腕を振る、次は左腕。

 毒の後遺症か、動きは鈍い。レオンは攻撃の一つ一つを見極めて避ける。

 

「グルゥガァァッ」

 

 アオアシラが両腕を広げた。この動きは、爪を交差(クロス)して引っ掻いてくる攻撃の予備動作。最初に見た攻撃だ。どうすればいいかは解っている。

 レオンは、斜め前に前転回避して、アオアシラの攻撃を(かわ)した。少し躰が痛んだが、今は気にしない。

 素早く躰を起こし、剣を薙ぎ払おうとする。肉質の柔らかい尻の部分に斬撃を叩き込めば、あとは一気に決めるだけだ。

 だが、アオアシラの動作がおかしい。

 腰を大きく捻っている。

 

「――え?」

 

 そして、襲い来る尖鋭(せんえい)な爪。

 

「――!」

 

 レオンは既に攻撃の体勢。ここから防御に転ずるのは非常に困難だった。

 躰を仰け反らせて、凶刃をなんとか躱そうとする。

 だが――

 

(ダメだ、避けられない――)

 

 そう悟った瞬間(とき)には、もう遅かった。

 

 狩人の頭顱(あたま)が、宙を舞った。……鮮血を散らせて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 次回、アオアシラ戦……決着!

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