コードギアスLOST COLORS 小話集 作:如月(ロスカラ)
頬を撫でる風の感触が気持ちいい。背中に広がる草花の柔らかさは体を包むようで、先ほどまで見ていた青空の景色は見ている者に安らぎを与えてくれる。
城にある施設などで特に気に入っているものなどはあまりないが、この庭園は好きだ。
最近は公務を立て続けにこなさなければいけなくて、休みどころかろくに睡眠をとることすら出来ていなかった。
けれど、自分はこの国の王であり、民を束ねる立場にある人間だ。だから、いかに疲れていてもそれを周囲にさらすわけにはいかない。
民には権力者としての威厳を示すため。周りの者には弱みを見せないために。
もともと第三王子であり、さらには異国の人間である母上との間に生まれた自分には敵が多く、周囲に信頼できる者の数は限られている。
今は王である僕の言葉に従っているが、油断したらいつそこにつけこまれるかわからない。特に、先代の父上の腹心だった者達は機会さえあれば国家の転覆を謀ろうとするような輩だ。
だから、気が置けない。頼れる者がいないために自らの仕事の数が増える。そんな状況で常に気を張っているから体力的なこともそうだが精神的にもとても疲れる。
だから、今日は久しぶりの休みだったから気が緩んでしまったんだ。
この穏やかな時間と光景につい、うとうとしてしまった。
「――ま。――さま」
声が聞こえる。自分を呼ぶ声が聞こえる。けれど、起きなければいけないとわかっていながらも体はまだ眠りに身を任せようとする。
「お兄さま!お兄さま!」
そんな反応に痺れを切らしたのか名前を呼ぶ相手は僕の体を何度も揺すって先ほどよりも大きく声を発した。
さすがにそんなことをされればどんなに眠たくても目は覚める。だから、僕は無理矢理起こされたことに不満を覚えながらも相手に従うことにした。
「…エリス?」
僕を呼んでいたのは愛しい妹だった。寝転んでいる僕を上から見下ろすように見ている。それがわかると先ほど感じた不満は微塵もなくなった。けれど、そんな僕とは対照的に彼女はとても不満そうだ。
「どうしたんだ?」
「もうっ!どうした、じゃありませんわ」
そう言ってぷいっと顔をそむけてしまった。頬を膨らませながら怒っている様子は可愛らしいものだけれど、あまりそういう表情はさせたくない。
「何を怒っているんだ」
問いかけるように見つめるがエリスは視線を合わせてはくれない。
「理由を聞かせてくれないか?」
手を伸ばして出来る限り優しくエリスの頬に触れた。まだ幼く、女の子らしい柔らかい感触が手のひらに伝わる。
「もう……」
すると、そんな妹を慈しむ行為に少しは気をよくしたのか、渋々といった感じでエリスは話しはじめた。
「お兄さまったら、久しぶりにいっしょにいられるのに寝てしまわれるんですもの」
「えっ?」
「私、とっても楽しみにしていましたのに」
そういえばそうだった。数日前、休みがとれたことを伝えるとエリスはとても喜んではしゃいでいた。
「そうか、それは…すまなかった」
僕が寝てしまったことがエリスが怒っている理由だとすると、明らかに僕が悪い。いくら疲れていたとはいえ、迂闊だった。反論の余地もない。
「機嫌を直してはくれないか?」
宥めようと話しかけてはみるものの、エリスは謝罪を受け入れてはくれずにそっぽを向いてしまった。彼女はとても頑固なところがあるから、こうなったらしばらくは話を聞いてもくれないかもしれない。
「悪かったよ。エリス」
「知りません!」
めげずに何度も話しかけてみたけれど、エリスの機嫌は少しもよくならず、僕は困惑していた。普段はとても聞き分けがいいのに一度こうなるとしばらくは直らない。それに、今回は一段と気分を害してしまったようだ。
そのためどうしようかと必死に思案していた。すると、そこで思わぬ助け船が入った。
「エリス」
不意に背後から妹を呼ぶ声が聞こえた。その透き通るような声につられて僕もエリスもそちらを向いた。
「お母さま」
「母上」
そこにいたのは母上だった。その立ち振舞いはとても優雅で、年を重ねてもその美しさは変わらない。
昔は、この国の人々と異なる容姿を、異国の者だと周囲からは非難されることも少なくなかったが、それでも、今も昔も母上よりも美しく、優しい女性に会ったことはない。自慢の母だ。
そういえば、エリスがあまりにも急かすものだから、先に二人で出かけて母上を待っていることにしていたのだった。
僕とエリスから同時に反応が返ってきた母上は先ず僕を一瞥してから、目線を妹へと向けた。少し、厳しさを含んだ様相で。
「エリス、あまりライを困らせてはいけませんよ」
「こ、困らせてなどいませんわ」
母上の言葉にエリスは珍しく歯向かってみせた。慌てた表情を隠せていないので、反論が有効であるようには思えず、あまり意味はないが。
そんな様子に母上の表情は少し険しくなる。そして、諭すように言葉をかける。
「ライはこの国の王たる身の上です。まだまだ未成熟なこの国のために身を削るような思いで公務にあたっています」
「それは、わかっていますわ。けれど……」
「なら、私たちが為すべきことは、なによりもライを懸命に支えることです。わかりますね?」
母上は厳しくも、優しく丁寧にエリスに語りかける。エリスはその度に何度も頷いてはいるが、納得できないのか自らを律しようと必死に我慢しようとしているのか、泣き出してしまわんばかりだ。
「母上、僕は構いませんよ」
「ライ……」
「せっかくの時間を僕の居眠りのせいで無為にしてしまったのは事実ですし、非は僕にあるのですから」
そう言って雰囲気を変えようと笑っておどけてみせた。確かに母上の言うことは正しいが、それをまだ幼い妹に求めるのは少し酷だと思う。
「エリス」
そして、俯き加減な妹に向き直した。名を呼ばれたことに反応して目は合わせたが、その瞳は不安そうに揺れている。
「おいで」
腕を広げて迎え入れるように構えた。けれど、いつもは飛び込んでくるはずのエリスはこちらを伺ったままで迷っているのか動かない。仕方ないので、僕は自ら妹を抱き寄せた。
「……お兄さま」
「なんだ?」
「寂しかったから意地悪してみたくなっただけなの。ごめんなさい」
僕の腕の中に収まっているエリスは上目遣いに謝る。そんな仕種があまりにも可愛らしくて、ぎゅっと強く抱き締めた
「きゃっ、お兄さま?」
「謝る必要なんてないよ。言っただろう、僕が悪かったんだ。」
だから笑ってくれ、と続けて抱き締めていた力を緩める。
すると、今度はエリス自身から抱きついて僕の胸に頬ずりをしている。
「ふふふ」
その楽しそうな様子に、明るい笑顔に安堵して母上によく似た黒髪を撫でた。
「ライ、あなたは本当にエリスに甘いわね」
すると、今まで僕とエリスのやりとりを静観していた母上が声を発する。そちらに目をやると、まるで呆れた、とでも言いたそうな母上の表情があった。
「そんなことはありませんよ。まあ、でも兄は妹に甘えて欲しいと思うものではありますけれど」
そんな様子に苦笑で返して、再びエリスの髪を撫でる。母上は仕方ないわね、と息を吐いていたけれど、こんなにも愛しいんだ。それに、母上だって自身が思っているほどはエリスに厳しくなれていない。結局は幼いエリスに二人とも甘いんだ。
そんなことを考えていると不意に背後に母上の気配を感じた。
「母上?」
無言で近寄ることを不思議に思いながら、見えない様子を伺おうと声をかける。しかし、返答は返ってこず、確認のためにエリスを抱えたまま振り返ろうとした。けれど、身を翻す前に母上に抱きしめられた。
「は、母上。何を!?」
体が温もりに包まれると同時に恥ずかしさがこみ上げてくる。自分からする分にはなんとも思わないのに、相手にされるとこんなに照れるものだとは思わなかった。
「お兄さま、お顔が真っ赤になっていますわ」
「なってない!」
「ふふ、照れなくてもよろしいのに」
顔に熱が集まっていることを自覚しているので、無駄だとわかっていながらも必死に否定する。恥ずかしさからかエリスのからかいに対して少しムキになってしまう。
「ライ、あなたが言うように母も息子には甘えてほしいと思うものです」
「しかし、これは…」
母上の細い腕から抜け出すことができないわけではない。けれど、強引に振り払うことなど選択肢に入るはずもなく、結局なすがままにされている。
「私は貴方の強さをとても誇らしく思います。しかし、人に頼ることは恥ではありません。少なくとも、息子が母に甘えることは誰にも責められるようなことではありません」
「母上……」
「だから、せめて今ぐらいは甘えてください」
そう言われては反論のしようがない。それに、決してこうされていることが嫌なわけではない。嫌なはずがない。
「……それでは、少しだけ、こうしていましょう」
エリスを抱き寄せほんの少し母上に体をあずける。素直に従うことにした僕に母上は何も言わず、先ほどよりも強く、それでも柔らかく包んでくれた。表情は読めないが、きっと穏やかに笑っているだろう。
母上と比べるようにエリスを見ると、相変わらず楽しそうにしている。ただ、こうして身を寄せ合っているだけなのに。
きっと、わかっているんだ。こんなとりとめもない時間がとても大切なものだと、かけがえのないものだと。僕だって今は緩みきった表情をしているに違いない。
「母上、エリス」
こんなにも愛しい。ただ、傍にいるだけで幸せだ。
「愛している」
だから、必ず守るんだ。大切なもの以外は奪って、壊してしまうとしても
たとえ誰に恨まれても、憎まれることになっても。
幸せが消えないように。消さないために。
大切なものだけは、必ず……