コードギアスLOST COLORS 小話集 作:如月(ロスカラ)
「ライ」
不意に自らの名前を呼ぶ声が聞こえて振り返った。
「なんですか? ヴィレッタさん」
洗い物をしていた手を止め、濡れている手を拭きながら声の主に近づいていく。
彼女と共に暮らすようになってからは料理以外の家事は僕がこなしている。
彼女にお世話になっている分、せめて家事ぐらいはと思って始めたのだが、料理については僕自身がそれほど得意ではないことと、ヴィレッタさんが作りたいと強く意思を示したこともあって普段は手伝いぐらいしかしない。
好きな人には自分が作った料理を食べて欲しいから、と言われた時は正直照れくさかったけれど、それでもとても嬉しかった。
そんなわけで今夜も彼女が作った夕食を堪能した後、仕事で疲れているヴィレッタさんをダイニングで休ませて僕が食事の後片付けをしていた。
「あなたにこれを書いて欲しい」
ダイニングの彼女が座っているソファーの隣に座り、そう言って差し出された用紙を受け取った。
「なにかの書類ですか?」
ヴィレッタさんと暮らしはじめてから書類の作成を頼まれるようなことはなかったので、不思議に思いながらも用紙に目を落とした。
すると、衝撃的な文字が真っ先に目についた。
「婚…姻…届。婚姻届!?」
一度書かれている文字を確かめるように読んだ後、二度目に思わず大声を出してしまった。
そのくらい衝撃的だった。
そして、さらに僕を驚かせたのが既にその用紙にヴィレッタさんの名前が書き込まれていて、きっちり判を押してあることだ。
「そこにあなたの名前を書いてくれればそれで提出できる」
ほとんどパニック状態の僕とは対照的にヴィレッタさんはあくまで淡々と言葉を続ける。
僕のこの戸惑いを伝えようと彼女の顔を伺ってみるが、見つめ返してくるだけで気づいてはくれない。
仕方なく、突然こんなものを差し出した彼女の真意を計ろうと会話を続ける。
「今、書くんですか?」
「……ああ」
「そ、そもそも軍では作戦行動中行方不明という扱いになっている僕との婚姻届は受け付けられないんじゃないですか?」
行方がわかっていない人間との結婚が認められるはずはない、とそう思い述べた言葉だった。しかし、
「そのことに関しては問題ない。以前からあなたを休職扱いにするように、と上に掛け合っていたのだが、それが、やっと認められた」
「……え?」
ヴィレッタさんからは意外な事実を告げられた。
「本当ですか?」
「聞いた話によると、ユーフェミア様が直々にとりなしてくれたそうだ」
「ユーフェミア様が……」
彼女の騎士であるスザクと友達であることもあって、僕とユーフェミア様の関係はただの皇族と軍人という関係よりは深い関係ではあった。
しかし、なぜわざわざそこまでしてくれたのだろうか?
いくら仲が良かったからといって彼女は自らの権力を使ってまでそのようなことはしないはずだ。
それはユーフェミア様自身の嫌うところの愚かな行為であり、姉であるコーネリア総督にも迷惑がかかる。
まさか、あの時のことを、僕が彼女をギアスで救ったときのことを覚えているのだろうか?
そうだとしたら、けれど……
結局はいくら推測を立てたところで結論は出ない。ましてや、本人に確かめることなんてできるはずがない。
「ライ?」
思考に耽っていた頭を現実に戻す声が聞こえてハッとなった。
すぐに不安そうにこちらを見つめるヴィレッタさんの表情が写り、やっと感情を見せてくれたことに嬉しく思いながらも、そんな表情をさせてしまっていることを申し訳なくなった。
「あの――」
「嫌、なのか?」
「えっ?」
謝罪の言葉を述べようとしたが、途中で遮られて、それはかなわなかった。
そして、ヴィレッタさんはさらに言葉を続ける。
「私と結婚するのは……嫌か?」
僕が思考に耽っていた間の沈黙を否定ととらえたのか彼女の中の考えが飛躍している。
半ば暴走気味だ。
「い、嫌じゃないですよ!ただ、突然で驚いただけです。それに、結婚の約束ならもうしてあるじゃないですか!」
特区式典のあの日、他人でなければともにいられるならば結婚しよう、と突然キスをされて告げられた彼女のからのプロポーズを僕は了承した。
だから、口約束でもあの時の約束は有効なはずだ。
「ああ」
「ならば、それで」
いいじゃないですか、と続けようとしたができなかった。
いや、できなくてよかった。もし続けていたら彼女を今以上に傷つけるところだった。
俯いて顔を伏せていたヴィレッタさんの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「しかし、私には形があるものが、私とあなたの関係を証明するものが欲しい。あなたの妻である証が欲しい」
溜めていた涙はすでに溢れて、頬をつたって流れていた。
けれど、彼女は気にしていない様子でこちらに睨み付けるような強い眼差しを向ける。その勢いに押されてしまう。
「ど、どうしてそんな」
「……ともに暮らしはじめてからもう半年になる。それなのに、貴方は自らはキスもしてくれない。愛していると、言ってはくれない」
「そ、それは、その……」
「だから、不安になるんだ。一度私の元から去ろうとしたように、私が家にいない間に貴方はどこかへ行ってしまうのではないかと。いつも仕事に出かけることを躊躇ってしまうし、帰る時には心配になっていてもたってもいられなくなる」
最初は不満を吐き出すようなヴィレッタさんの叫びは、次第に勢いをなくしていく。
とても弱々しくなったそれは、彼女がどれほどに苦悩していたのかを示している。
「ヴィレッタさん…」
胸が刺されたように痛む。
どうして気づいてあげられなかったのだろう。
彼女の優しさに甘えてどれほど傷つけてきたのだろう。
あまりの愚かさに自分を殴りたくなる。
けれど、今はそんなことよりもよほど優先すべきことがある。
僕はそんな衝動に駆られ、ヴィレッタさんを抱きしめた。
「すみませんでした。こんなにも貴女を苦しめていたなんて、思ってもいなかった」
「ライ」
少し驚いて瞬間、肩を震わせたが嫌がることはしなかった。
できるだけ優しく背中をさすると僕の名前を呼んで顔を胸に埋めた。
「大好きですよ。貴女が大好きです。ヴィレッタさんが僕のことを想ってくれているのと同じくらいに僕も貴女を想っています。けれど、どうしても口に出すことはできなくて……」
「なぜだ?」
埋めていた顔を上げて問い詰める。
その瞳がとても不安げに揺らいでいるので、すぐに言葉を付け足す。
「ヴィレッタさんに悪いところがあるわけではありません。むしろ、理由は僕にあるんです」
「……?」
少し落ち着いた様子のヴィレッタさんは意味がわからない、という感じで僕を見つめる。
続きを答えるために僕も少しだけ、悩みを打ち明ける。
「僕は記憶喪失の人間です。そんな不安定な自分の存在に自信が持てなくて」
少し嘘を加えて話す。
全てを打ち明けることはできないから。
「それに、今は貴女に頼りきりの生活をしています。そんな男が愛していると口にすることはなんだか情けなくて……貴女を愛していい男なのか不安だったんです」
自分の存在が恨めしかった。
自分に不安要素がなければ、思いの丈を綴ることが出来たのに。
そんなことを考えながら告げた僕の言葉が意外だったのか彼女は目を見開いて驚いていた。
けれど、すぐにそれは伏せられてしまう。
「……それでも、私は伝えて欲しかった。想ってくれているのなら言葉にして欲しい」
「はい、だから」
何よりも気持ちが伝わるようにキスをした。
「んっ……」
「これからはちゃんと伝えます。僕は貴女を愛しています。この世界のなによりも貴女のことが大切です」
「……私も、ライ、貴方を愛している」
そうして僕たちは、過ぎ去る時間も気にせずに、長い間互いのぬくもりを感じ続けた。
「婚姻届、書きましょうか」
「いいのか?」
しばらくしてから話した僕の言葉に、ヴィレッタさんは意外そうな反応をする。
「お互いが愛し合っているのだから、何も問題はないでしょう」
そう言って僕は、床に落ちていた婚姻届を拾って、ヴィレッタさんの名前のとなりにある空欄に自分の名前を書き入れた。
「今度二人で出しに行きましょうね」
「ああ、……そうだな」
「これで僕たちは晴れて夫婦になりますね」
ヴィレッタさんの目尻に溜まった涙を拭いながら、僕は彼女に笑いかける。
すると彼女も相好を崩したような笑みを僕に向ける。
「ありがとう、ライ。私はとても嬉しい」
「お互い様ですよ。僕もとても嬉しいです」
そう、ただ貴女に守られているだけではないと気付いたから。
貴女のことを、支えられるのだと知ったから。
だから……
「ありがとう」