微睡は融けるように体を浸す。
何も考えたくない。
このまま浮雲の如き感覚に任せて、奈落の底まで沈んでしまいたい。一度意識が浮上したからこそ、なおさら、その要求は強くなる。
抗いがたいのだ。
泥のように静かに、悠久の時を過ごせたらどれだけ幸せだろう? 静寂の無窮こそが、至高の幸せであるとなぜ気づかない? ああ、最高だ。
「むにゃ……やっぱり、休日の二度寝は最高だぁ……」
今日は日曜日。
お仕事はお休み。
博麗は朝から近くの本屋に漫画を漁りにお出かけ。
つまり、心置きなく、昼過ぎまでは惰眠を貪っていられるというわけなのである! ひゃっはぁ! やったね! 自堕落な生活最高ぅ! あははは! もはやこの俺の二度寝を止められるものなんて存在しな――
『Prrr! Prrr!』
緊急時にしか仕事場からかかってこない番号のコールだった。
取らないわけにはいかない。
「はい、×××です。ええ……ええ!? はぁ!? 人類の危機!? ちょっと待ってください、どうしてそういう話に……はい、はい……ああ、あの化学兵器。え? バイオハザードとか、あれは洒落にならんでしょう!? わかりました。装備を拾って、直ぐに現場に向かいます。それまで精々生き延びてくださいな」
……ふぅ。
「どちくしょう!」
俺は素早く布団を蹴り飛ばし、ダイナミック起床。身だしなみは最低限だけ整え、厳重に鍵をかけた金庫から装備を取る。まさか、この日本で戦地に赴くような重装備をするとは夢にも思わなかった。
「ロックンロールの始まりだぁ!!」
ちなみに、道中で三回ほど警察の方に声を掛けられ、その全てを当身でやり過ごしました。
仕方ないね、緊急事態だからね。
●●●
「あ、おかえり」
「ただいまー」
自宅に帰ると、既に夕方だった。
俺の装備はボロボロで、一体、どんな戦地に行ってきたのかと問われそうだが、訊かないで欲しい。それほど凄惨な戦いで、ロマンあり、笑いあり、涙ありの大激闘だったのである。
そして、俺は忘れない。
神に至ろうと求めすぎた人間が、最後に己の叡智で焼かれて死んだ最後を。
「まぁ、それはそれとしてご飯作りますねー。カレーでいいですかー?」
「殺すぞ」
今日一番の殺気を、どうして同居人から受けなければならないのだろう?
「ごめんなさい。肉じゃがでどうですか?」
「許す」
「ありがとうございます」
やはり和食が好みなのか、博麗さんは。というよりも、今までの食生活がずっと和食だったから、それ以外の物はいまいち受けが悪いのかもしれないなぁ。にしても、カレーループがずっと続いた所為で、カレーに拒否反応が起きているのはどうにかしないと。
「前にカレーばっかり出したのは謝りますから、カレー嫌いを治しましょうよ」
「アタシはカレー味の物は口にしないと決めたのよ」
目つきがマジです。光る眼光が超怖い。
「はいはい、わかりましたよ、もう」
とりあえずご飯だ、ご飯。
ぶっちゃけ、俺は朝から何も食べていないのである。水分だけはこまめに取って、仕事中に倒れないようにしていたけど、もう限界。さぁ、博麗直伝の料理テクで、美味しい肉じゃがを作ってやるぞ――っと、お?
『Prrr! Prrrr!』
緊急コールその2。
どこぞのお人よしがやっている孤児院から。滅多な事ではこういうことはしない奴なので、本当に緊急事態なのだろう。ちなみに、以前、バットで俺に殴り掛かった少女もそいつが経営している孤児院に居る。
もちろん、取らないわけにはいかない。
「おう、俺だ。ああ、わかっている……そうか。そいつらがどこに向かったか分かるか? 大体でいい。ん? バックにロシアンマフィアの存在? 死にたがりの戦争屋? 上等だ。そんな理不尽、この俺が綺麗さっぱり掃除してやるぜ。はは、安心しろ……お前のガキどもは絶対に俺が取り戻す――死んでもな」
さて、と。そいつら相手となると、二段階上の装備も持っていかないとな。最悪、封印していた幻想装備も解除しなきゃいけないか。
「……ん? ああ、すみません、博麗さん。俺、ちょっとこれから野暮用が出来なので、申し訳ないのですが、料理はご自分でどうぞ」
「わかったわ。それはいいのだけれど」
何やら博麗が疑いと戸惑いが混じった視線を向けてくる。
「貴方ってお人よしなの?」
「まさか」
俺は博麗の問いを一笑に付す。
「徹頭徹尾、俺は自分のための行動しかしていませんよ。ええ、何が悲しくて休日を他人のために費やさないといけないんですか」
仕事をしているのは生活のためだ。金払いがいいから、俺は危険な仕事だってするし、理不尽な休日出勤だって認められている。
誰かを助けているように見えるのは、その部分だけしか見ていないからだ。俺は別に他人の命が失われようが、どうでもいい。子供どもが、マフィアに浚われてどんな末路を辿ろうが、知ったことか。
ただ、俺が気持ちよく二度寝を味わうためには、そういった物を、降りかかる理不尽を潰して、結末を笑顔の満ちる物にした方がいいというだけだ。
つーか、休日ぐらい気持ちよく寝られないのなら、俺は生きている理由の大半を失うし。
「俺はいつでも自分のために理不尽を潰しているんですよ。でも、だからこそ他人の事情に命を賭けられるのかもしれませんね」
それほどまでに、理不尽など許せない。
運命という言葉で片付けられるのが、神様の気まぐれが、許せない。
「もしも、俺がその意地のために死んでも……まぁ、納得できますからね。少なくとも、理不尽ではないと思って死ねます」
「……なら、もしも」
博麗はいつもの鋭い視線とは違い、迷うような、伺うような視線で俺に尋ねる。
「アンタが理不尽を感じて死んだら、どうするの?」
「どうにもなりませんよ。人間、死んだらそれでお仕舞です」
ですけど、と俺は言葉を繋いで笑う。
嗤う、哂う。
「俺に理不尽を与えた存在は絶対に許しませんが」
「……そう」
死んでも許さない、という言葉に何を感じたのか、博麗は少し黙り込んだ。その僅かな沈黙に何を思ったのかはわからないが、少なくとも、顔を上げた時はいつもの博麗の顔だった。
「アンタらしいわ、それ」
怜悧で、冷静で、容赦のない、そんな女の顔をしていた。
きっと、俺を殺す時もこんな顔をしているだろう。だからこそ、俺は博麗になら殺されてやってもいいと思ったのである。
「――んじゃ、時間も無いし、そろそろ行ってきますね」
「ええ、行ってらっしゃい。アンタは死んでもいいけど、子供は助けなさいよ」
「もちろん、俺の意地に賭けて」
全てが終わった後、気持ちよく二度寝するためにも。