日曜日の早朝、いつも通りこのみとリエスの散歩をする結葵だった。平日と違うのはいつもよりも挙動不審なこのみ。
「このみちゃん、今日は何かそわそわしているようだけど・・・何かあった?」
「ツナギ君、ウチでご飯食べていかない?」
「お、食べる食べる。」
安心したような、嬉しいような表情を浮かべるこのみ。どうやらそれでそわそわしていたようだ。
「一昨日もらった鹿肉あるでしょ?初めての鹿肉料理だから食べて欲しいなーって。」
鹿肉の言葉を聞いて結葵がぴくっと反応した。
「このみちゃんの初鹿肉料理かー。これは是非とも味わいたいものですなー。」
「うん、楽しみにしててねー。」
「クーン・・・。」
食べ物の話をしているのが分かっているのか、リエスが何かを訴えている。
「あはは、リエスもお腹すいちゃったかな?」
「・・・かもね。」
散歩も終了し、去年の名残である犬小屋にリエスを繋ぎ富士宮家へ。
「お邪魔しまーす。」
「あら、結葵君いらっしゃい。」
このみの母がリビングから顔を覗かせた。
「あ、おはようございます。朝食をご馳走させてくれるというので・・・。」
「あらあらーこのみったら・・・。じゃあ座って待ってて頂戴。」
「はーい。」
「お母さんも座ってて。私が作るんだから。」
エプロンを着けようと母親を止めてこのみは結葵の正面のいすに母親を座らせた。
「最近のこのみったら家の手伝いばかりで全然遊びに行ったりしないの。」
結葵の予想通り、早速世間話を始めるこのみの母。
「まあ、下校して家に着くのは6時くらいですからね。」
「そうじゃなくて、土曜日と日曜日の話。去年なんかリエス君と遊んでばっかりで全然出かけなかったんだから。」
「何でですかね?」
「ふふ・・・何ででしょうかねー?」
思わせぶりな笑い方をする母親越しに、包丁を使うこのみの耳が赤くなっていた。
「このみちゃんは進学とか考えてるの?」
「今は未定だよー」
そろそろ進路指導という名の下に教師達が騒ぎ始める時期だ。
「行く場所が無かったら結葵君もらってくれるかしら?」
「良いですよ~」
ははははと笑い合う結葵とこのみ母。
「もう、二人ともご飯できたから!」
ちょっと怒ったようなそぶりで、このみは朝食を二人の前に置いた。
大きめの丸いパンをくりぬいて、鹿肉入りのカレーを流し込んだ料理だった。くりぬいた部分は別の皿に。
「おぉーすげー美味しそう。」
「このみちゃん知らない間に上達したわね~。」
エプロンを着けたままこのみも椅子に座る。
「冷めないうちに召し上がれー。」
早速スプーンでカレーの中の鹿肉を食べてみた。しっかりと煮込まれていて柔らかかった。
「そういえば今日俺の家に越谷家と新しく転校してきた子が来るんだけどさ、このみちゃんも来る?」
「あ、それって噂の転校生?行く行く!」
およそ十時くらいに来ると言っていたのでそれまでに準備をする予定だった。
「できればその準備を手伝って欲しいんだけど・・・。」
「うん全然平気だよー。」
「それじゃあ、できるだけ早めに来てくれると嬉しいかな。」
「はーい。」
朝食を食べ終わった結葵はリエスを連れて家にかえっ散った。
食器の後片付けをしているこのみに、母親がにやついた顔で話しかけた。
「良かったわねこのみーお誘いを受けちゃって。」
「別に珍しくないでしょ!」
「そんなこと言って~」
皿を洗い終わったこのみはエプロンを外して準備をするために自室に戻っていった。なんだかんだ言って嬉しそうな足取りを見た母親は苦笑していた。
前日にトラックで食材を買い込んできた結葵は早速、炭などを外へ出す。折角なのでバーベキューをする予定だ。
「おーいツナギくーん、来たよー。」
「おー、来たねー。」
「お、バーベキューの準備ですかな?」
「野菜は昨日買ってきて、肉は鹿があるから、後は現地調達かな。」
何せ山に入れば山菜が生えているし、川に行けば魚も捕れる。
「それで、みんなはいつ来るの?」
「そろそろ来ると思うから、このみちゃんはハーブティーを煎れる準備をしてくれるかな?」
「うん良いよー。それでどこにあるの?」
「倉庫に乾燥させたヤツがあるから、それで紅茶と一緒に煎れれば良いよー。」
「はーい。」
家に入っていくこのみを見送り、結葵も自分の準備を進める。準備と言ってもただ道具を引っ張り出すだけなのだが。
「ワン!」
「リエス、間違ってもお客さんをなめ回すなよ。」
ごそごそ・・・ばりっばりっ・・・。
なにやら物騒な音が聞こえてくると思ったら、リエスが骨をかじっていた。どうも何かを食べるときはリエスは誰かの近くに寄るらしい。ハスキーが骨を食べるその様はとても迫力がある。獲物を捕食する狼そのものだった。越谷家の小さな姉が見たらおそらく夜一人で眠ることはできないであろう。
「どうだ、リエス獲れたての骨の味は。」
「ガリ・・・ガリ・・・バリバリバリ。」
「おいしそうで何よりだよ。」
いくら大食らいのリエスでも何頭もの鹿の骨を一匹で消費するのは大変だ。なので結葵は余った骨を街のペットショップに卸すことを計画している。車が納車されたらそのついでに、交渉に行くつもりだ。ちなみにこれは楓が発案した。
骨にかじりついているリエスは耳をぴくりと動かしてある一点を見つめる。来客のサインだ。視線の先には四人の人影が。
「おーい、つなぎー来たよー!」
「こ、怖い・・・。」
「わー素敵なお家!」
「にゃんぱすー」
越谷姉妹と蛍、れんげだった。早速小鞠は、骨をかじるリエスを見て身を縮こませていた。
「みんないらっしゃい。何も無いけど、とりあえず上がって。」
結葵は四人を家の中へ誘導した。
「あれ?このみちゃんじゃん。いたの?」
「やっほーなっちゃん。あ、君が噂の転校生?」
夏海に軽い挨拶をしてからこのみは蛍のところへまっしぐら。初対面でも物怖じしないこのみらしい行動であった。
「あ・・・はい、こんにちは。」
「越谷家の隣に住んでる富士宮このみです。」
「あ、あの・・・。」
「うん、噂に違わぬ大きな美人さんだー。よし、握手しよう!」
「い、一条蛍です。」
握手をする二人。端から見ると二人とも高校生に見えるのだから不思議だ。この転校生のせいで小鞠がいっそう小さく見えるのは言うまでも無い。
「そう言えば何でこのみちゃんがいるのさー。」
思い出したように夏海が疑問を口にした。
「俺が手伝いを頼んだんだよ。」
「あ、そうそう。お茶の準備できたよー。」
このみがポットと人数分のカップをテーブルに並べた。
「適当に座って。冷めないうちに飲んでよ。」
正面に越谷姉妹、右側に蛍左側にれんげ、結葵の隣にこのみが座る。
「ねえ、つなぎ。これお茶なの?すっごい赤いけど。」
「ウチで育ててる木の実で作ったんだけど。東京の方じゃ特に女性に人気らしいから試してみたんだ。」
東京の単語で全員が蛍の方へ視線を向けた。何となく蛍が飲まなくてはいけない空気になる。
「え、えっと・・・いただきます。」
遠慮がちに蛍が一口お茶をすする。すると驚いた様に目を開いた。
「えっと・・・これ、ローズヒップですか?」
「正解、さすがだねー。」
「ねーねーほたるん、ローズ何とかってなにー?」
「あ、はい。ローズヒップはですね、バラの果実から作ったお茶です。ビタミンcが豊富でお肌に良いんですよ。」
結葵の代わりに夏海に説明する蛍。さすが都会育ちはよく知っていた。
「あっちじゃもっと良いものがあると思うけど、折角なので挑戦してみたんだ。どうかな?」
「いえ、とても美味しいです。と言うよりこんなに美味しいお茶初めてです。」
「そう言ってくれれば嬉しいよ。ね、このみちゃん。」
「うんうん、折角のお客さんだしねー。」
肌に良いという蛍の言葉に真っ先に食いついたのは案の定小鞠だった。
「・・・・・・すっぱい。」
小鞠の舌にはまだまだ酸味が強いようだった。結葵は苦笑いをしながら、黃金色の液体が入った瓶を持ってきた。
「はい、これで甘さを調節しな。」
黒と黄色の虫たちが集めた甘い楽園。何のことは無いただの蜂蜜だった。
「・・・ありがとう。」
「そうだ、折角だから家の中見回って良い?」
「何も無いけど、ご自由にどうぞー。」
「よっしゃあ!じゃあれんちょん、行こ!」
「うおーゆーゆーのお家探検なーん!」
夏海とれんげは早速家の中を物色しに行った。
「えっと、良いの結葵?夏海のやつ何するか分からないよ?」
「まあ、斧とかチェーンソーとか危ないものは鍵付き倉庫にしまってあるから。」
「え!?斧とかチェーンソーって・・・。桐生さんは普段何をしているんですか?」
「普段はここで木を切ったり、山でキノコ取ったり、山菜摘んだり、鹿とかを獲りに行ったりしてるよ。たまに役所の依頼で専門的な仕事をしてるけど。」
聞き慣れない単語の羅列で蛍は目を白黒させていた。
「えっと・・・猟師さんなんですか?」
「猟師って言えば猟師なのかな?銃は使わないけどね。」
「え?じゃあ、どうやって捕まえるんですか?」
結葵は腰に下げているナイフをテーブルに置いた。ゴトッ・・・と重々しい音がした。
「これで急所をひと突き。一発でやらないと味が落ちるからね。」
「ツナギ君・・・小学生にその話は生々しくないかな?」
「そんなこと無いですよこのみさん!私凄く興味があります!」
「お、それは嬉しいね。じゃあ別の機会に色んな話をしてあげるよ。」
「はい、是非!」
いつか小鞠に同じような話をしたとき、大泣きした事を結葵は思い出した。その小鞠は少し引きつった顔をしている。
「今日の昼はバーベキューをしようと思うんだけど、野菜と魚は現地調達だからね。」
「はい、がんばります!」
「けどさ、結葵。山の中ってイノシシとかいて危なくない?」
タイミング良く、リエスが家の中に入ってきた。どうやら骨を食べ終わったようだ。リエスの姿を見て小鞠の顔が引きつる。去年の秋頃にリエスになめ回されたことがまだトラウマらしい。
「リエスがいるからイノシシは寄ってこないよ。危なかったら、リエスが教えてくれるだろうし。」
リエスは新しく増えた蛍が気になるのか、しきりに臭いをかいでいた。蛍もどうしたら良いのか分からず固まっている。
「蛍ちゃんは犬苦手?」
「いえ、好きですよ。私も小さい犬を飼っているので。」
どうやらその犬の臭いがリエスは気になるようだった。
「こっちから撫でてやれば喜ぶから撫でてみなよ。」
小さく頷いた蛍は恐る恐るリエスの頭を撫で始めた。リエスも頭を下げて撫でやすい姿勢になる。
「大丈夫?蛍、噛みついたりしない?」
「大丈夫ですよセンパイ。うわぁ・・・もふもふだ~。」
リエスの毛皮の感触に病みつきになったらしく、蛍は両手でリエスを撫で回していた。リエスもご満悦の様子。
「さて、早速だけど食料調達に行きますかね。あ、肉の下ごしらえもしないと・・・。」
この中で料理ができる事が分かっているのは結葵とこのみだけ。しかし人数分の肉の下ごしらえを一人でやるのは時間が掛かる。
「小鞠ちゃん、みんなを連れて山菜と魚の調達を頼んで良いかな?」
「うん、小鞠お姉さんに任せなさい!」
久しぶりに年上扱いを受けた小鞠は、嬉しそうに了承した。
「ゆーゆー、おもしろいもの見つけたん!」
そう言ってれんげが小さい鹿の角を持ってきた。結葵の二階の部屋には今まで獲ってきた鹿の角が無造作に置いてある。れんげの手に握られているのもその一つだ。
「欲しいならやるよ。けど、そろそろ食料調達の時間だから夏海ちゃんも呼んできておくれ?」
「分かったのーん!」
再び二階へと走って行った。
そして結葵とこのみは家に残り、夏海、小鞠、れんげ、蛍、リエスは山へ入っていった。
「よし、俺たちも準備を始めますか。」
「下ごしらえって、何すれば良いの?」
「とりあえずこのみちゃんは野菜担当かな。バーベキューっぽく串で刺してよ。」
二人は食材庫から野菜を持ってきた。結葵は昨日鹿の代わりに罠に掛かっていたイノシシの肉を持ってきた。それをバーベキュー用にどんどん切っていく。
「ツナギ君、この肉の塊はどうするの?」
冷蔵庫の中に居座る肉界をさしてこにみは聞いた。
「折角だからローストしようと思ってね、それと燻製も。今からやれば丁度できたてかな。」
「あ、美味しそうー。楽しみだね!」
あらかた切り終えた肉は冷蔵庫へ保存しておく。そして、昨晩から寝かせておいたロースト用の肉を取り出す。それをフライパンで焼き目を付けてからアルミホイルで包んでオーブンへ投入。焼き時間はおよそ一時間。燻製の方はもう少し経ってから焼き始める予定だ。
「よし、肉はこれでオーケーとして・・・って、なんでこのみちゃん泣いてるの!?」
先ほどまで野菜を切っていたこのみがなぜか涙を流していた。ぬぐっても次々とあふれ出てくる。
「どうしたの?俺なんかまずい事でもやった?」
「へ?あ、いや、タマネギ切ってたから涙がでちゃって。」
「あ、そういう・・・」
ホッとしたように結葵は胸をなで下ろした。その様子を見たこのみが意地悪そうな笑みを浮かべた。
「へーツナギ君も可愛いところあるんだね。」
「そりゃあ、泣いてるこのみちゃん見たら心配するでしょ。」
顔を赤くしながら反論する結葵の言葉に今度はこのみが顔を赤くした。
「は、恥ずかしいこと言ってないで手伝ってよ。」
「お、おう・・・。」
それから山組が帰ってくるまで二人は一言も話すことができなかった。