「・・・・・・あれ?」
土曜日の朝方。リエスと散歩に出かけた結葵だが、いつもの場所にこのみの姿が無かった。
「休日だから寝てるのかな?」
不思議に思いながらも結葵はそのまま散歩に出かけることにした。途中置き売りで野菜をいくつか購入して、いつもより早めに散歩を切り上げた。その背中は少し寂しそうでもあった。本日の天気はどんより雨模様。ラジオの天気予報も雨を告げていた。
「ごちそうさまー。」
朝食を食べ終わり、食器を片付ける。今週の土日は天気か崩れるらしいので、あらかじめ食料や水は多めに調達してある。結葵はこの休日は何もせず家で大人しく過ごすつもりだった。
そう・・・そのつもりだった。
雲行きが怪しくなりまじめて、空気も湿り始めた頃。誰かが玄関のノックを叩いた。
「ツナギくーん、いるー?」
朝聞くことができなかった声が聞こえちょっと安心してから玄関の扉を開けた。
「おーこのみちゃんと楓ちゃん。いらっしゃ~い。」
「やっほ~。」
「おっすー。」
少し大きめの鞄を持った二人が立っていた。結葵は二人を中に通してお茶を用意した。
「それで、そんな荷物持って何しに来たの?泊まりにでも来た?」
「そうだよ、よく分かったねー。」
「・・・・・・へ?」
冗談で言ったつもりが本当にその通りだったことに驚く。
「このみがユウの驚く顔が見たかったんだとさ。」
「む、そーゆー楓ちゃんだって賛成したくせにー。」
「俺は別に良いけど土日は天気崩れるからずっと家にいることになるけど?」
「それが良いのー。」
「むしろそっちの方が嬉しいらしいぞ。」
らしい、と言う楓の言葉に少し引っかかる結葵。流れで察するとそれもこのみの言葉なのだろう。
「まあそっちが良いなら構わないよ。・・・・・・そういえばさ、二人が止まるのって初めてだっけ?」
「そう言えばそうだねー。」
「まあ、そうだな。」
お茶のおかわりと一緒にローズヒップで作ったゼリーも持ってきた。
「はい、女性の方にはこちらをどうぞ。」
「ピンク色で綺麗だねー。」
「蜂蜜で甘めにしてあるよ。」
「じゃあ一口・・・おぉ、上手いなこれ。」
「肌に良いらしいよこれ。ね?ツナギ君。」
「別名ビタミンCの爆弾って言うらしいね。リエス、ほら。」
「ワン!」
結葵が床に座って煮沸消毒した鹿の骨をリエスに渡す。すると嬉しそうにそれをかじり始めた。やはりその表情は迫力がある。しかし結葵の膝の上で尻尾を振っている様は微笑ましいと言えなくも無い。
「このみ、なんで羨ましそうな顔してるんだ?」
「リエス・・・良いな~膝の上。」
「じゃあ、ユウに言えば良いじゃん。」
「え?いや、恥ずかしいよさすがに・・・膝の上なんて乗れないよ。」
「・・・・・・は?」
どうやら二人の間に少しばかり食い違いがあったようだ。このみの考えたことをやっと理解した楓は結葵に言う。
「おーい、ユウ。このみが膝の上に座りたいらしいぞー。」
「んー別に良いよ~。」
リエスに夢中になっていた結葵は良く楓の言っていたことを聞かずに返事をした。
「だってさ、行ってこい。たぶんユウのヤツ気づいてないからこっそりな。」
「・・・・・・いってきまーす。」
このみはこっそりと結葵に近づく。結葵は未だリエスに夢中だ。このみはリエスに視線を送る。視線を感じたリエスは骨を咥えながら少しだけ横にずれる。相変わらず意思疎通は結葵の次にできているようだった。
「はーいお邪魔するよ~」
そんな声が結葵の耳に届いた。と、当時に右膝に重みを感じる。
「あの、このみさん。何をしてらっしゃるのでしょうか?」
「リエスに構ってばっかりで、お客さんはほったらかしなのかなー?」
そう言って結葵を背もたれにして、さらに体重を乗せるこのみ。いつの間にかリエスは完全に結葵の膝から降り、右側で伏せていた。
「別にそんなつもりは無いんだけど・・・すみません。正直夢中になってた。」
「まあ、リエスをもふもふしたい気持ちは分かるよ。私だってもふもふしたいし。」
結葵の膝上に座りながら腕を組んでそっぽを向くこのみを見て察する結葵。
「さすがに犬にヤキモチ妬くのはどうかと思うんだけど・・・。」
「や、妬いてないもん!」
「はいはい、いーこいーこ。」
結葵は子供をあやすようにこのみの頭を撫で始めた、さすがに怒ると思い、すぐに止めようとした。だが、なぜかこのみは抵抗するそぶりを見せない。そして結葵は思い出す。幼少期からこのみは頭を撫でられるのが大好きだったことを。中学生に上がったところで恥ずかしくなった結葵は以降しなくなったが。
「はぁ・・・この感じ、久しぶりぃ。」
結葵と楓にはこのみの背中鹿見えていないが、彼女の顔はとても満ち足りたような、そのまま成仏してしまいそうな顔をしていた。
「あ・・・雨だ。」
ふと外を眺めた楓が雨を振っているのを見つけた。いつの間にか本降りになっていたようで、雨粒が落ちる音も大きく聞こえる。
「雨だねー。」
「雨ですなー。」
こうなることは竿所から分かっていたので三人は別段気にした様子は無い。
「そうだ、ツナギ君のアルバム見せてよ!」
「お、お決まりじゃねーか。良いね、見ようぜ。」
「それじゃあ取ってくるよ。」
このみをどかしてアルバムを獲りに行こうとした結葵だったが。
「おもしろいからそのままでいろよ。場所は分かってるから。」
楓に止められ、結葵はこのみを膝に乗せたまま楓を待つことにした。
「あ、これ私が三年生の時の写真だよね?わー懐かしい!」
「確かこのみん家が海に泊まりに連れて行った時だっけ?てか、このときも膝に乗ってるんだな。」
「いつの間にか俺の膝の上が定位置になってたよな。」
写真には旅館の部屋で結葵の膝上に座りながら首に抱きつくこのみを、苦笑して見ている楓が写っていた。
「そう言えば最近海行ってねーな。最後は楓ちゃんとだっけ。」
「そうだな。て、東京なら海近いだろ?」
「そうなんだけどさ・・・。なんか東京の海ってさ浜辺が無いんだよ。港ばかりで。」
「まあまあ、落ち込まないでよ。じゃあ夏に三人で行こうよ。」
膝の上から慰められるというまか不思議な体験をした結葵であった。
「お、この写真見覚えがあるな。」
「あーこの写真!ほらツナギ君も見てみてよ。」
催促されるが、このみの肩越しに写真を見なければならないので当然二人の体の接触面積が大きくなってしまう。ちゃんと見ようとすると、頬がくっつきそうなほどの距離に顔が近づく。それに彼女の長い髪の毛からはほんのりと甘い香りが漂ってくるのだ。これで緊張しない男などいるはずはない。結葵とて男である。
「おいユウ、なんか目が泳いでるけど?」
「あのー・・・その、ですね。昔とは違うなーと今実感しているところ。・・・・・・そろそろ限界です。」
「あー・・・なんか言ってることがおかしくなってるね-。じゃあ、ここら辺で勘弁してあげよう。」
そう言ってこのみは結葵の膝から降りて、再びアルバムをめくり始めた。変に汗を浮かべた結葵はそのまま仰向けになって天井を見ていた。その隣をほふく前進しながら近づいたリエスが占領する。
「なんか疲れた・・・。」
「ほら水飲むか?」
「どうも・・・。」
なぜかリエスも結葵を労うかのように、顔をなめ回す。くすぐったさを我慢して結葵はそれを黙って受けていた。
「しっかし本当に私とこのみとしか写ってないんだな。」
他の人が写っているのは分校での小さな行事で撮ったものくらいで、およそ9割が三人で撮ったものだった。
「まあ年が近いし、一番一緒に遊んでて楽しかったしね。」
「うん。越谷家は見てて退屈しないんだけど、やっぱりこの三人が一番楽しいよねー。」
「まあな。余計な気を遣わなくて済むし。」
今となっては結葵と楓はも二十歳だ。気を遣われる側から気を遣う側へ。つまりは保護者の立場だ。こうして気を遣わなくていい関係は心のオアシスのようなものなのかもしれない。
なんと今日一日はアルバムを見てその思い出話をするだけで一日が終了してしまった。それほど三人は同じ時間を過ごしていたという事なのだが、それにしても驚きである。
「わー凄ーい、これって檜じゃない?」
「こんな手入れが面倒な風呂使ってるんだな。」
桐生家の風呂は祖父の趣味で檜作りであった。檜は使用後はしっかりと水を抜いてちゃんと洗ってから乾燥させないといけないのだ。しかし桐生家の山には檜がたくさん生えている。ダメになったら交換してしまえば良いのだ。
「うーん・・・っ、うちのお風呂とは全然違うや。旅館みたいだねー。」
手を組んで腕を前に突き出してのびるこのみ。その際服の中に隠されていたものが強調される。
「このみ・・・おまえまた大きくなってないか?」
「そうかなー?まあちょっと最近サイズが合わなくなってきたけど。」
このみは普段少しゆるめの服装を好んで着ているので分からないが、抜群のスタイルの持ち主である。それはおそらく脂肪分が一切無い高品質なタンパク質を持つ鹿肉の恩恵だ。幼少期から鹿肉を食べていたこのみはモデル顔負けの体型を獲得するに至った。しかし本人はそれを少し気にしているらしく、あまりぴったりとした服は着ないようにしていた。制服でさえ少し大きめのものを買って自分で長さを調節したほどの徹底ぶり。
「そういう楓ちゃんだって無駄なお肉が無い割に、ここだけお肉が乗ってるじゃん。」
「ちょ・・・っ!!・・・って、触るなっ!」
「あっははは~柔らかーい。」
「やーめーろって!・・・・・・はぁ。で、本当だったろ?」
「うん、確かにツナギ君困ってたね。」
「だろ?まあ、少ししたらユウも慣れるだろうけど。」
「うぅ・・・慣れたら困るんだけどなー。」
檜の効果で軟水となったお湯にこのみはぶくぶく~っと沈んでいった。
それを楓は我が子を見つめるような顔で見ていた。