850年12月10日、午前7時
神聖マーレ帝国(以下マーレ)軍パラディ島攻略部隊の一員である訓練兵ファルコ・ガビ・ゾフィア・ウドの4人は、
昨日から降り続いた雪で、辺りは一面銀世界である。曇天ではあったが雪は止んでいた。第2の壁から離れたようで、あれだけ高い壁がもう見えなくなっていた。幸い危惧された敵からの追撃はなく徘徊する無垢の巨人に遭遇する事もなかった。
「そろそろ休憩するよっ!」
ガビの指示で一同は馬を停め、雪に覆われた大きな岩陰の傍で朝食を摂る事にした。携帯
「うっ!」
乾パンを食べていたウドが口元を押さえる。
「どうしたの?」
「噛んじまった……。なんでこんな硬くて不味いんだ! こっちは命賭けて戦場に出ているってのにまともなメシぐらい出しやがれっ!」
ウドは配給されている糧食に文句を言った。実際ウドの述べているとおりである。下等市民であるエルディア人の部隊だから食事に配慮しようという気がないのだろう。
「ほんと、不味いね! 配給係の連中、絶対中抜きしているわね。予算もっとあるでしょうに」
「だろうな」
ファルコはガビに同意する。マーレ人の上官の大半は下級市民であるエルディア兵を見下しており、階級的に逆らえないのをいい事にやりたい放題していた。不正を告発した兵士がいつの間にか消えていて再教育施設送りにされたという噂はよく耳にする。
「……」
一方、ゾフィアは何も言わず黙々と食べていた。さすがに硬すぎる乾パンはナイフを使って器用に細切れにしてから水と一緒に飲み込んでいた。
「ゾフィア、あなたは文句言わないの?」
「うーん、食事できるのは……生きている証拠だから」
ガビの質問にゾフィアはどこかズレていた。
「いや、だからさ」
「今回の遠征、大勢死んだね……」
「……」
ゾフィアに指摘されるまでもなかった。奇襲砲撃により第一陣壊滅、謎の大爆発で本陣消滅、多数の溺死者を出した渡河中の鉄砲水、こちらの予想外の攻撃の連続で、大勢の友軍兵士が死傷していた。ピークを始め生き延びている友軍部隊もいるが、今現在どれほど無事なのかは分からない。
「お、オレは未だに信じられないよ。昨日の朝はあれだけの大軍勢で進撃していたというのに……」
ウドは味方が大敗したというのが信じられないようだった。無理もない。昨日の朝時点では
「うーん、ピーク先輩の言うように敵を侮っていたんじゃないかな」
「そうだよね」
ファルコの意見にガビは同意した。
「……終わってしまった事を言っても仕方ないよ。ピーク先輩の言うとおり、私達は生きて還って報告する事が任務だから」
「そうだな」
「うん、絶対生きて還ろう」
ウドやファルコも立ち上がり決意を新たにした。
「あっ!」
座っていたゾフィアが奇妙な声を上げた。
「どうしたの?」
「今、地面が揺れた」
「揺れた? おい、ファルコ。地震なんて感じたか?」
「いや、何も感じなかった」
ファルコは首を傾げる。実際、ファルコは何も感じなかった。
次の瞬間、ズンっという鈍い衝撃と共に岩陰が揺れた。そして雪の中から巨大な手がぬっと出てきたのだ。ファルコ達は転げるようにして距離を取った。
「な、な、なっ!?」
「これっ、巨人だっ!」
ガビが叫んだ。雪に覆われた大きな岩のように見えていたが、実は岩ではなく10m級の巨人だったのだ。一昨日以来の降雪で動かずにいたため雪に覆われてしまっていたようだった。
雪の中から突如現れた巨人は隻眼の巨人だった。片方の目は完全に空洞になっている。おそらく巨人の素材となった人間が巨人化薬品を打たれる以前に片目を失明していたのだろう。
その巨人は片目をギロリとファルコ達に向けた。不味い事にファルコ達は騎乗していない。当たり前の事実だが、巨人から人が徒歩で逃れるのは不可能だった。
(銃の装備は? あっ、ダメだ!)
銃は肩に担いだままでしっかりと安全装置が懸かった状態である。巨人を目の前にした状態で銃の整備などできるわけがなかった。
馬の戦慄きが聞こえた。見れば巨人の出現でパニックに陥った馬が暴れていた。
銃声が突如して轟く。ガビが拳銃(ピークからの贈与品)を発砲したのだ。至近距離からの銃撃だったこともあり、正確に巨人の眼を撃ち抜いていた。このとき隻眼の巨人であった事はファルコ達にとっては幸運だった。片目を潰すだけで視界を奪う事ができたのだから。マーレ軍において無垢の巨人が暴れた場合の対処マニュアルは当然存在している。基本的に一般歩兵は目潰しなどで時間を稼ぎ、戦士(知性巨人)が処理する事になっていた。ファルコ達は今、周囲に味方は居らず4人だけで孤立していた。この状況では逃げの一手である。
「ガビ! やるじゃん」
「喜ぶのは後! 早く馬にっ! 直に回復するよっ!」
ファルコ達は暴れている馬を宥めた後、急ぎ分乗しこの場から離脱する。
「だめっ! もう回復しているっ!」
ファルコの後ろに乗っていたゾフィアがそう報告してきた。時間的には1分ほどしか経過していない。知識としては知っているが巨人の快癒能力は驚異的だった。
「な、なんで巨人が! 全部
並走するウドが叫んでいた。
「たぶん奇行種ね。だから誘導できなかったんだね」
ガビが答える。
「まずいな」
「ああっ! 追いかけてきたっ!」
ゾフィアの悲鳴にも似た報告。振り向くまでも無く状況は危機的だった。二人乗りで積雪のため馬は速く走れない。一方の巨人は積雪などものともせずに追いかけてくる。
「ファルコっ! 二手に分かれましょう! このままだったらいずれ追いつかれて全滅するっ!」
「お、おい。ガビ!?」
「私達の任務は生きて報告することだから。どちらかが生きていればいい」
「……」
ファルコは必死に知恵を絞るが他に方法が思いつかない。刻一刻と巨人の足音が近づいてくる。ファルコは決断するしかなかった。
「ああ、そうしよう」
「じゃあ、目の前に一本の木があるよ。そこで左右にっ!」
ファルコの目前にはガビの言うとおり人の胴体ほどの太さの木が一本だけ立っていた。ガビ達が右に、ファルコ達が左に駆け抜ける。
直後、大きな物音が後ろから聞こえた。
「あっ! 巨人が木にぶつかった!」
ゾフィアの報告だった。とりあえずは吉報である。多少なりとも時間は稼げたはずだだった。
右手を見ればガビ達の乗る騎馬が併走しながら離れていく。
「ゾ、ゾフィア! お、俺、好きだっ!」
ウドが遠くから叫んでいた。いきなりの告白だったが、もしかしたらウドは二度と会えないと直感したのかもしれない。
「……ごめんなさい」
ゾフィアはファルコに抱きつきながら小声で呟いた。ウドには聞こえていないだろう。やがて雑木林の一帯に突入するとガビ達の乗る騎馬は見えなくなっていった。
(あの巨人はどちらを追いかけて来る? ガビか俺達か? くそっ! どっちも最悪だ!)
時間を稼いだとはいえ、さきほどの巨人が追いかけて来ると考えるべきだろう。撒いたと考えるのは余りにも楽観的過ぎた。
「フ、ファルコ! 巨人が私達の方にっ!」
「……」
ファルコは運から見放された事を悟った。それと同時に少しだけ安堵していた。ガビ達は無事に逃げ切るだろうと思ったからだ。そして最後の行動を取る事を考えていた。ファルコの背中にはゾフィアの熱いまでの体温が伝わってくる。
「ゾフィア、馬の手綱を握ってっ!」
「えっ!? どうするの?」
「俺は馬から降りる。ゾフィア一人なら速度も出るだろうし逃げられるよ」
「えっ? あっ、ダメ。ファルコ、そんな……」
「いや、いいんだよ。ここで女の子を守れなかったら男じゃないよ」
「そ、そんなの嫌!」
ゾフィアはファルコを後ろから痛いぐらい抱きしめてきた。
「最後ぐらいいいカッコさせてくれよ」
そう言いながらファルコはゾフィアの手に手綱を握らせた。
「ああ……」
「出来る限り時間は稼ぐよ。策がないわけじゃない。街まで逃げて戦士を呼んできて」
ファルコは嘘を述べた。策は何もなかった。ただゾフィアを少しでも希望を持たせるためだった。そうでも言わないとゾフィアが従ってくれないだろうからだ。
「じゃあね」
ファルコは馬から転げるように飛び降りる。積雪がクッションとなりさほど痛みはなかった。顔を上げると巨人が遠くから接近してくるのがわかった。
「ファルコ! わ、わたしは貴方の事を本当に……」
ゾフィアの声が後ろから聞こえてくる。しかしファルコは振り向かなかった。
隻眼の巨人は落馬したファルコに気付くと、追いかける速度を緩め、ゆっくりと近づいてきた。涎を垂らし満面の笑みを浮かべていた。完全に捕食者の眼である。
それでもファルコは
(これでいいんだ。ガビもゾフィアも助かるはず……)
それだけを心の支えにしつつファルコは10m級の巨人を対峙する。至近距離で見上げれば圧倒される巨体である。巨人の鼻息までが聞こえてきた。口を大きく開け、人間そっくりだが巨大な歯を見せ付けてきた。哀れな捕食対象を嬲るつもりなのかもしれない。
「なめんなっ!」
ファルコは巨人の目を目掛けて発砲する。しかし僅かに外れ眉の辺りに命中した。続けてもう一発。これも外れた。
(こ、こんな時にっ!)
手元が震えたせいだった。最後の最後で冷静にはなれきれなかった。ファルコの銃は二連装であり、これで弾切れだった。万事休すである。
(ごめん、ゾフィア)
ファルコはそう呟く。次の瞬間、巨人の手が伸びてきて視界が塞がれた。
「……」
最後の時が訪れたと思ったのだが、なぜか痛みを感じない。よく見ればファルコの目前で巨人の手が止まっていた。
「!?」
ファルコは状況が理解できない。巨人は
「ど、どういう事!?」
やがて巨人はゆっくりとファルコに覆い被さるように倒れてきた。ファルコは慌てて飛び
見れば巨人の体から水蒸気の煙が立ち昇ってくる。気化現象、つまり巨人が死んだという事だった。
白い影が低空を飛んできた。いや、それは人だった。全身真っ白のコートで身を包んでいる人物だった。フードが外れ黒髪の端正な東洋人少女の顔が露になる。その少女兵は剣を大きく振って付着していた肉片を跳ね飛ばした。肉片からは水蒸気が立ち昇っている。どうやら巨人の肉片のようだった。
「うなじを斬り飛ばした……。だから巨人は死んだ」
「!?」
その少女兵は独り言のように呟いた。確かにその通りなのだが、うなじを破壊するのは兵士単独では極めて困難である。マーレ軍では高性能な速射砲か戦士(知性巨人)でなければ巨人を倒すのは不可能と考えられていた。
その少女兵は呆気にとられているファルコの傍に着地すると、いきなり大型の剣を突きつけてきた。
「お前、マーレ軍の兵士だな?」
少女にしては低い声だった。
「だ、誰?」
「質問しているのはわたし! 名前と所属を言いなさいっ!」
改めてその少女兵を見ると思ったより長身だった。全身を覆う白いコート、一面銀世界の今なら確かに目立ちにくい。考え抜かれた装備だろう。
「ファルコ=グラナス。神聖マーレ帝国軍エルディア義勇軍所属訓練兵」
「そう……」
長身の少女兵は鋭い眼光でファルコを睨みつけてくる。
「わたしはパラディ王国軍調査兵団所属の特務兵、ナンバー9」
「なっ!?」
ファルコは驚いた。要するに壁内の連中――悪魔の末裔共、敵の兵士だった。ファルコは腰に差している短剣を取ろうとして手を伸ばした。
「動くなっ! それ以上手を動かしたら……喉を掻き切るっ!」
少女兵はファルコの喉元に剣を突きつけた。鋭い刃が反射光で煌く。
「……」
「わたしは強い。巨人だって倒せる。降伏しなさい! 命までは取らない」
「し、信用できるものか!?」
「そう、だったら殺すだけ」
長身の少女兵は一気に間合いを詰めて来た。掴まれたと思った次の瞬間にはファルコの視界は天と地がひっくり返っていた。
ファルコが投げ飛ばされたと気がついた時は、腕を逆手に捻られて雪面に組み伏せられていた。電光石火のような早業だった。腕をギリギリと捩じ上げてきて激痛が襲い掛かってきた。
「い、痛いっ!」
「お前に勝ち目はない……」
「や、やめてっ! こ、降参する。降参するから」
ファルコはたまらず降伏した。ファルコは敵に捕らわれの身になったのだった。
拘束されてからさほど間を置かずして聞き慣れた声が聞こえてきた。
「フ、ファルコ!」
見れば後ろ手に縛られているゾフィアが居た。ゾフィアの後ろには白いコートを着た小柄な敵兵がいる。フードを被っているので顔は見えなかった。
「ど、どうして? ゾフィア、逃げたんじゃ……」
「ごめんなさい。ファルコが気になって遠くに行けなかった。迷っているうちにその……後ろから……」
どうやらゾフィアはファルコの事を気にしすぎて周囲の警戒を怠ったようだ。白いコートを着たその敵兵に不意を突かれて捕まってしまったらしい。
ゾフィアの後ろにいた小柄な敵兵がフードを外した。金髪がふわっと舞った。
「えっ!?」
ファルコは驚いた。抜群の美貌の少女がそこにいた。帝都の踊り子一座に入れば一番人気になるかもしれない。透き通るような白磁の肌、流れるような艶やかな金髪、まるで妖精のような女の子だった。あどけなさが残る顔つきからして歳は自分の変わらない10代前半だろう。
「ファルコ、ゾフィアね。貴方達、恋人同士なの?」
小柄な少女兵が聞いてきた。
「えっ?」
「……」
見ればゾフィアは顔を赤らめて俯いている。その反応は肯定したも同然だった。
「へぇ、そうなんだ」
小柄な少女兵はくすっと笑みを零した。
「ち、違うよ。ただの同期で、その……」
ファルコはゾフィアが泣きそうな顔になっている事に気付いた。
「ふーん、もう少し彼女の事、見て上げた方がいいと思うな」
「よ、余計なお世話だよ」
ファルコとゾフィアは後ろ手を縛られたまま並んで座らされ尋問を受けた。もともと訓練兵の自分達は重要な機密情報を持っているはずもなく、洗いざらい吐かされても味方を裏切るような事にはならないだろう。今回の遠征についてファルコは達は概ね話した。
その後、敵の少女兵二人は会話していた。自分達には理解できない言葉だった。壁内の連中の言葉は自分達エルディア人が普段使っている言語と似通っていると教えられていたが彼女達の発する単語は一つも理解できなかった。
やがて相談が纏まったのか、小柄な少女兵がファルコの目の前に来た。少し腰を屈めて顔を近づけてくる。彼女の瞳は
「えーと、実は貴方達お二人に頼みたい事があるの」
「えっ?」
「な、なにをさせる気……?」
ゾフィアの方は後ずさりして怯えていた。
「怖がらなくいいわよ。別に酷い事したりはしないわよ、とっても簡単なことだから」
「!?」
ファルコとゾフィアは思わず顔を見合わせた。
【あとがき】
長身の少女兵、小柄な少女兵は誰でしょう?
読者の方にはあまりにも簡単すぎる質問ですね。
ファルコ・ゾフィアの二人は巨人からは逃れたものの囚われの身になってしまいました。