撤退の鐘が鳴った。だからといって直ちに戦いが終わるわけではなかった。中衛にいた訓練兵を含めた駐屯兵団の兵士達は巨人達との激戦を繰り広げている最中であり、すんなりと退却できる状況ではなかった。一気に戦線を引くと総崩れになる可能性があり、殿となる部隊が必要だった。
ミーナ達訓練兵のところに駐屯兵団では珍しい女性士官がやってきた。銀髪のショート、眼鏡をかけた知的な美人といった容貌で、リコ・ブレチェンスカと名乗った。
「お前達も分かっていると思うが、味方が無事撤退する為には
リコは訓練兵達をじろっと見渡す。ほとんどの訓練兵は目線を合わすのを避けて俯いていた。それも無理もなかった。殿は敵の攻撃を一身に受ける決死部隊だからだ。生還はあまり期待できない。最悪全滅の可能性すらあった。
(ど、どうしよう?)
ミーナは悩んだ。自分は卒業成績は中であり、撤退組に入ることは可能だった。しかし今自分がこうして生きているのはエレンが囮になって巨人達を引き付けてくれたからである。エレンの強い意志がなければ、自分はとっくに巨人の胃袋に納まっていたであろう。
それに巨人との戦いは馴れたとは言わないまでも、2度3度繰り返すうちに自分でも要領が良くなってきたのはわかっていた。もし再度、卒業試験があるなら上位20番ぐらいにはなれそうな気がした。
「わたし、ミーナ・カロライナ、志願します!」
ミーナは一歩前に出るとそう宣言した。周りの訓練兵達からは驚きの視線が浴びせられた。
「おい、ミーナ。無理しなくてもいいんだぞ」
ジャンはミーナを気遣ってくれたようだ。
「ありがとう、ジャン。でも決めた事だから」
ミーナはジャンにそう答え、姿勢を正した。
「第34班班長、エレン・イェーガーは脚に重傷を負っている状態で10m級巨人4体を引き付けました。そして、わたしとアルミンを逃がしてくれました。わ、わたしは彼に感謝の言葉を伝える事もできませんでした……。彼に直接恩返しは出来なくても、仲間を守る事で彼の遺志を継ぐことはできると思っています」
ミーナは大きな声でエレンの最後を皆に伝えた。ジャンやコニーは知っている事が、大半の訓練兵にとっては初耳だったらしい。皆、一様に驚いた表情を見せていた。
「エレンが……」
「あいつ、そうだったのか!?」
「すげーよ」
ミーナの発言が場の空気を変えたようだった。
「オレも志願するぜ」
「わたしも」
「俺だって」
訓練兵達は次々と志願すると名乗りを挙げた。リコは微笑み頷いていた。結局ミーナを含めて10名が志願した。成績上位の5人、リコを入れて16人が殿部隊である。
「カロライナだったな。なかなかいい演説だったよ。よし、それでは作戦を伝える。撤退組は、信煙弾全てと余りのガスボンベを置いていけ! そして負傷者を連れて移動しろ! 残る者は二班に分け、一班が戦闘し、もう一班が次の場所で待ち伏せを行う。待ち伏せが完了すれば、戦闘班は後退、その後、交互に班を入れ替えて後退していく。なお殿部隊の総指揮はわたしが取る!」
つまり、一斉に後退するのではなく、常に待ち伏せがある状態で部隊を後退させていくいう事だった。また間に休憩を挟むことで連戦を防ぐ意味もあるのだろう。連戦はやはり集中力の欠如を生む要因になるからだ。撤退組の方は負傷している仲間を連れて壁際へと向かっていった。
「この中での成績最上位は誰か?」
「はい、わたしです。アニ・レオンハート。4位です」
アニ・レオンハートが手を挙げた。金髪で小柄な彼女だが、孤高を貫き、他人との関わりを避けている印象があった。
「次は?」
「俺だ。ジャン・キルシュタイン。6位だ」
「ではレオンハート、キルシュタイン。お前達2名を……」
「待ってください。指揮官ならばわたしより7位のマルコ・ボットが適任かと思います。わたしは班長ではありません」
アニはマルコを指し示して辞退しようとしていた。アニは確かライナーの班だったはずだ。ライナー、ベルトルトの姿はない。理由は聞いていない。自分達のいる東ではなく、壁の西側から撤退した可能性もあるので、消息は不明だった。
「そうなのか? ボット、お前はどうする?」
リコはマルコに聞いた。
「引き受けます」
マルコはそう答えた。確かにマルコは皆からも信頼も厚く、指揮官としては適任だろう。
「では、キルシュタインとボット、お前達を殿部隊の班長に任命する。班割りは任せる。キルシュタイン、お前の班が最初の戦闘班だ。配置につけ!」
リコの命により、撤退戦が始まった。ジャンは第31班、マルコは第19班。もともといた班のメンバーがそのまま殿班になった。それに志願兵が加わった格好だった。
ミーナは横にいるアニをチラッと見た。南門にいた先輩から怪しい人物として名前を聞かれた一人だった。
(まさかよね?)
アニはミーナの視線に気付いたようだ。ジロッと睨み付ける様な視線を返してきた。
「何?」
「ううん、なんでもない」
「もう巨人が来ている。ぼっとしていたら死ぬよ」
「そ、そうだね」
ミーナは声に動揺が出ていた。
「アニ、マルコの班に行ってくれないか? 向こうの方が戦力が手薄だ」
ジャンが頼んできた。確かに卒業成績10位内がジャンの班には4人もいる。(アニ・ジャン・コニー・サシャ) マルコの班は本人だけだった。
「わかったよ」
アニは短く言葉を返すと、マルコの班へと後退していった。
(よかった。離れてくれて……)
ジャンは意識していなかっただろうが、ミーナにとってはありがたかった。巨人のスパイかもしれない彼女の傍には居たくなかったのだ。
ほどなくして巨人達がやってきた。10m級1体、7m級2体、5m級以下4体の合計7体。かなりの規模の群だった。対抗できなくはないが、同時に相手するには厳しい敵の規模だった。
「煙幕を作る! 総員、奴等の手前に信煙弾を放てっ!」
リコの命令で訓練兵は巨人達の手前に信煙弾を一斉に撃ち込んだ。リコも所持していた信煙弾を叩き込む。
巨人は基本的に視界内にいる人間を襲ってくる。逆に言えば視界内にいなければ襲ってこない。煙幕で視界をさえぎる事により、一斉に突っ込まれる事を避ける意味があった。巨人との戦いで一番怖いのが数で襲ってこられることなのだから。ただし、この戦法が使えるのは風がなく、しかも障害物が多い市街地に限られる。今が正にその状況だった。
最初に煙の中から現れたのは10m級だった。コニーが真っ先に突入し、目潰しを行った。
「ミーナ! 行け!」
「はい」
ジャンに命じられてミーナは立体機動装置を使って10m級の背後に向かう。目潰しを喰らっても巨人は手を左右に振っていた。ミーナとは反対から突入していた訓練兵が運悪く巨人の掌の中に捕まった。
「!?」
視界がなくとも腕の感触で人間だと思ったらしい。哀れな訓練兵を握りつぶすと巨人はそのまま大きな口を開けて食事を始めた。
仲間の死を悲しんでいる暇はなかった。その兵士の死を無駄にしないためにも、この隙に巨人を仕留める事が最優先だった。
ミーナはブレードを巨人の延髄に斬り下ろす。今度こそ斬り飛ばすと思って振るった。が、やはり一朝一夕にはいかなかった。斬り付けただけに終わった。
ミーナはすぐさま離脱。留まっていては後続の仲間に邪魔になるだけだ。ミーナがちらっと振り向けば、ジャンが斬りかかっていた。ジャンの斬撃は正確だった。巨人の弱点の攻撃に成功。巨人はそのまま前のめりに崩れ落ちた。
ジャンは立体機動装置の扱いに長けているので、そこから威力のある斬撃を生み出す機動制御もミーナより上手だった。ジャンは初陣で10m級を2体も討伐した事になる。憲兵団に行かず調査兵団に入った方がいいのではと個人的には思ってしまう。
(さすが上位陣ね……)
ミーナは自分が20位に入るかと思ったのは驕りだったかもしれないと思い始めた。ただ上位陣全員が見事な働きを見せていたわけではなかった。
「う、後ろから失礼しましたぁ!」
女子の声がした。見れば、卒業成績9位のサシャ・ブラウスが次に現れた5m級を攻撃して失敗したようだ。サシャは言葉が通じない巨人に謝っていた。離脱にも失敗したようで路地に着地してしまっている。巨人はサシャに向き直るとじりじりと詰め寄ってきていた。
「あ、あの……」
サシャの額からは冷や汗が出ていた。巨人はサシャに飛び掛りヘッドスライディングをかけた。
「すいませんでしたぁ!」
サシャは持ち前の運動神経で巨人の攻撃を辛うじてかわした。うつ伏せになった巨人にリコが突入、首筋を削いでいた。地面にすれすれの超低空を一撃離脱。鮮やかな手並みだった。巨人は絶命したようで気化が始まっていた。
「あ、ありがとうございます」
「ほら、さっさと立ちなさい!」
リコはサシャに一瞥くれるとすぐに全体の指揮に戻った。リコは戦局を見て危険な綻びがあれば、援護するというやり方だった。
(このリコって人、かなり凄腕だ。駐屯兵団でしかも女性でこんなにすごい人がいるなんてっ!)
ミーナは驚嘆していた。南門で見かけたあの調査兵団の女先輩の方が実力は上だろうが、リコも高い実力の持ち主である事は間違いない。作戦指揮能力も高く、こんな人が上官にいれば生還できそうな気がしてくる。
「ど、どうしよう? 巨人に屈服してしまった……」
サシャは頭を抱えていた。
「後でたっぷり軽蔑してやる! さっさと屋根の上に避難しろ!」
コニーが見かねてサシャにキツイ言葉を投げていた。コニーなりの思い遣りかもしれない。まだまだ戦いは終わっていないのだ。後退しつつ戦うという困難な戦闘が続いていた。
リコの援護もあって、一回戦は犠牲者1名で7体を討伐。第2陣のマルコ達と交代、休憩を挟みつつ後退戦術を取っていた。ただし殿部隊の指揮官であるリコのみは連戦する形だった。時間が経つと撤退が進み、街の中の味方は少なくなる。それは巨人達の攻撃が集中する事を意味していた。
同時刻、北門近くに展開していた後衛では鎧の巨人達が出現して危機的な状況だった。ミーナ達は直接超大型巨人が見える位置ではなかった事もあり、自分達の戦いに精一杯で味方の危機は知らなかった。それは逆に幸いだったのかもしれない。鎧の巨人達が現れた事を知れば士気が保てず総崩れになった可能性もあったのだから。
【あとがき】
撤退の鐘が鳴ったからといって、即戦闘が終わるわけではありません。
負傷者が壁を登るのは時間がかかりますし、一気に引けば戦線崩壊の危険があります。
撤退戦が行われる際、
駐屯兵団は苦戦していますが、原作のような総崩れではないため、訓練兵撤退の支援のため、人員を派遣する余裕があります。それが、この場ではリコです。