さて、はやてが退院する時間を迎えた。
「……待ってたで。薄情者」
会って最初の言葉がこれだった。
「は、ははは……」
それに対して乾いた笑い声しか出せなかった。
それ以外にどう対応しろというのだ。
昨日、お見舞いに行かなかったのは事実であるので強くは出れない。もっとも、元々強くは出れないのだが……。
いや、だってさ……居候の身なのに家主に強気にでるってさ……無理じゃない?
「それについては気を使った故に何だけど……」
「それでもや」
いい笑顔ではやてが言い切った。
なんと言おうと無駄だとこの時に理解した。
俺にははやてのお仕置きから逃れるすべはないと。
「はぁ……」
「溜め息なんか吐いても決定やからな」
にひひ、といたずらっ子のように笑いながらはやてがそう言った。
まあ、はやてが楽しそうなのでそれでいいかと思った。やっぱり、一緒に過ごすなら少しでもお互いに過ごしやすいような雰囲気にするのはとても大切なことだと思う。
誰だってギクシャクした雰囲気の時間を過ごしたくはないだろう。
中にはそんな空気の空間を過ごしていたいという変わり種もいるかもしれないが、それはごく少数のはずだ。
少なくとも俺はそんな少数派ではないのでギクシャクしない雰囲気を過ごさないように素直にはやての言うことに従うのだった。
● ● ●
「……ねえ、はやて」
「なんや?」
お昼を食べたあと早速、はやてによるお仕置きが始まったのだが………。
「冬の時期にこれはなくない?」
「冬じゃなきゃいいんかいっ!?」
「あ、うん」
「あかん……読み違えたわ」
悔しそうに握りこぶしを作りながらはやてが呻く。
「まさか……蓮君にとって女装が恥ずかしくないだなんて」
本当に悔しそうに呻くからコメントに困る。
コミカルなクマの絵柄が描かれたTシャツにフリルのたっぷり付いた赤と黒のチェック模様のスカート姿に着替えさられた俺はどうすればいいのだろうか?
「……う~ん」
頭に被ったカツラの位置を調節しつつ首を傾げる。
このカツラは俺の背中まで届くくらいの長さの物であり、女装させられた俺は鏡の前に立たされていた。
「何で……自分でそそくさと着替えるんや! せっかく恥ずかしがっているところを無理矢理に着替えさせて羞恥に悶える姿を見たかったのに……」
「そんなこと思ってたの!?」
はやての意外と危ない本音に俺は一歩後退りしてしまう。
まさか……こんな、変なことを考えてるとは……。
「当たり前やろ……せやなか、女装なんてさせんわ!」
「いや……そんな堂々と力強く言われても」
どうコメントすればいいのか分からないんだけど……。
誰か教えてください!
そんなことを内心で叫んでいると、「ふふふ……せや……こうすればいいんやないか」とはやてがやたらと不気味な笑みを浮かべながら笑いだした。
「……っ!」
思わずにビクッと震えてしまった俺は悪くない。
誰だってビックリするだろう。突然目の前で誰かが不気味な笑みを浮かべながら笑いだしたら。
それでビックリしない人がいるなら見てみたいくらいだ。
ただ単に俺がビビりの可能性も否定できないが……。
そんな悲しい可能性は一先ず脇に置いとおいてだ……はやてからよく分からない危機感を感じる。
多分今のはやてが放っているオーラが可視化できたら確実に禍々しい色になっていると断言できる。本人は否定しそうではあるが……。
それでも俺には、はやての背後に変態おじさんのヴィジョンが見える。
両手の指をワキワキと動かしているヴィジョンが鮮明にだ。
身の危険を別の意味で感じる。それほどまでに力強い。
「……抵抗したらシクナムたちにも手伝ってもらうことになるから抵抗しない方が身のためやで」
「それって……つまり、この場を逃れても後でやるってことだよね」
「せや。うちは狙った獲物は逃がさないたちやからな」
逃げ場などなかった。
ゆっくり近づいてくるはやてがまるで死神のように見える。
そして、俺の腕を掴む。
「じゃあ、行くで」
「…………うん」
俺ははやてに引っ張られて行った。
何処に向かうのかは知らずに。
● ● ●
「………………はぁ」
今の状況に大きく溜め息が出る。
はやてに連れていかれた場所は服屋であった。
しかも、女装したままだから余計に質が悪い。
店員には完全に女の子だと思われてるからだ。
地味に心にきたよ……。
性別を間違えられるなんて意外とショックを受けるもんなんだね……。
そんな、新しい発見をした俺の試練はこのあと数時間にも及んだ。
● ● ●
「いや~、満足や」
「……そう、それはよかったね」
ひどく精神的に疲れた俺は棒読みでそう返した。
下着を見られそうになったときは本気でどうしようかと焦ったのだから。
幸いなことに男だとバレはしなかったが……。
それでも、どっと疲れたのは言うまでもない。
「ほら、元気だす。まだまだ体力は残っとるやろ?」
「……体力は残っててもね……精神的に疲れたんだよ」
「やれやれ……あれぐらいで疲れるなんて」
首を左右に振りながら肩をすくめるはやてに若干イラッとしたのは言うまでもない。
「……はぁ」
その苛立ちを溜め息と共に吐き出す。
「溜め息なんて吐いてたら幸せが逃げるで」
「とっくに幸せなんて逃げてるよ」
この状況を幸せと感じていたら素直にすごいと思う。
そんな趣味もないのに女装させられて外で買い物をするだから。
しかも、服屋とか……。
思い出すだけでまた溜め息を吐きたくなってきた。
「もう帰ってもいい? いい加減着替えたくなってきたんだけど」
「ん~? 駄目や。まだ、今日の夕御飯の材料を買ってないからな」
「そう……」
ならとっと買って帰りたい。
精神的に疲れたよ……本当に。
それから、夕食の材料を買いにスーパーに移動した。
● ● ●
「やっと……帰ってこれた」
俺は家に着くなり、荷物をキッチンに置くと、リビングでとっとと着替えた。
「なんや……もう着替えたんか」
残念そうにカメラを持ったはやてがリビングに現れた。
おそらく……俺の女装姿をカメラで撮るつもりだったのだろう。
危なかった……。まさに間一髪というやつだ。
油断も隙もない……こういうときに限って。
この油断と隙のなさを何故、別の時に使ってくれないのだろうか?
「……疲れたから部屋に戻ってるよ」
「体力ないな~」
体力よりも精神的に疲れたんだよ。
でも、そう言うのも億劫なので特になにも言わずに俺は部屋に戻った。
と、見せかけて外へと出た。
鳥の姿に変身して。
「…………遅くならなければいいか」
一、二時間くらいならバレはしないだろう。
仮にバレたとしてもなんとかなると思う。いや、思いたい。
別に悪いことをするわけではないし、精神的に疲れたから休みにいっただけだから問題はないはずだ。
「…………思い返しても全く問題ないよね」
別に家でしたわけじゃないし。
● ● ●
「で、結局……ここしかなかったんだよね」
寒風吹き荒れる冬の海。
「……寒い」
本気で寒いね。防寒具を着けてなかったから余計にそう感じる。
あらかじめ何処に行くか決めとけばよかったと今さらながらに後悔した。
「無計画に家を飛び出した結果がこれだよ」
もはや笑うしかなかった。
端から見たらとてもシュールな光景だろうと自分でも思う。
浜辺で体育座りをしながら笑っているのだからか。
「ハーーー」
大きく溜め息を吐き出す。
ヤバい……陰鬱な気分から抜け出せない。
「……ま、適当に飛んでいればこんな気分も晴れるかな」
俺は身体を大鷲の姿に変身させると再び空へと舞い上がった。
しばらくの間、海鳴市上空を飛び回っていれば気分も晴れるだろう。
「……季節が変わると景色も変わるか」
あのときはまだ、春から初夏にかけての時期だったから緑があったが今はほとんどない。
あったとしても寒さに強い種類のものだけでほとんどが落ち葉となっている。
新鮮な光景ではあるが寂しい光景だ。
雪が降っていれば変わるのだろうが……まだ、十二月にもなっていない。
なので雪が降ることはほとんどないだろう。
北海道並みに寒いのなら話は変わるが……。
「……無い物ねだりをしても意味ないか」
どうせ……雪が降ったら降ったで何かしら文句を言いそうだし。
我ながらワガママなことだと思う。
でも、それが……人間というものだろう。俺は吸血鬼だが、そこは人と変わらない。
好きなものも嫌いなもの存在する。
例え種族や生まれが違うとしても感情は変わらない。
でなければ俺が人の社会の中で生きていられるはずがないからだ。
それでも種族的に人の血が必要なので人からしたら化物なのだろう。
人だろうがなんだろうが感情がある生き物はみな、無い物ねだりをする生き物だと思う。でなければ憧れなんて抱かないのだから。
「……そう考えると果てなき欲望こそ感情を持つ存在に共通するものなのかな」
人以上に欲望に忠実な存在って見たことないし。
いや……むしろ、欲望がないと生きていけないのか?
もし、そうだとすると……今ある便利さも欲の集大成のようなものか。
そんなことを考えながら飛んでいると下に何か見覚えのあるピンク色の光が見えた。
気になったのでそこへ移動するもそこに着いたときにはすでに誰もおらず、完全に一足遅かったようだ。
仕方がないので、しばらくその周辺を探してみるも人の姿を見つけることは出来なかったので家へと帰還することにした。
● ● ●
それから、数日が経過してシグナムたちが収集活動から帰ってきた。
収集した頁は三百を越えたらしい。
何でも、大量の魔力を保有している生物を複数倒す機会があったからだそうだ。
十一月も終わり、十二月が始まった。
商店街などではすでにクリスマス用のケーキや食べ物の予約が始まっている。
「…………これなんかどうだ?」
「うう~ん……それは……」
「いや、ここはこれなんかどうだろうか?」
ヴィータ、シャマル、シグナムの三人が顔をつきあわせて一枚のチラシを見ている。
それは、クリスマスプレゼント用にどうですかと各社がオススメの商品を―――つまり、売りたい商品を載せたものである。
ザフィーラは見ていない。
今ははやての付き添いで病院に行っているからだ。
今日は体調の報告だけなのでザフィーラとはやての二人だけなのだ。元々シャマルも行くつもりだったのだが、はやてがザフィーラだけでいいと断ったので、シャマルは家にいる。
まあ、はやての身はザフィーラが守るだろうから、全く心配していない。
地球にいる生物で魔法なしでザフィーラと戦える存在は一部の例外を除いてほぼいないからだ。
「なあ、蓮はどれがいいと思う?」
ヴィータが俺の目の前にチラシを持ってきた。
「どれどれ……」
「あたしはこれがいいと思うんだけど……」
ヴィータが人指し指で指したのは小さなウサギの付いたニット帽だった。
「…………なるほど。だったら、それでいいんじゃない。はやては心のこもったプレゼントであれば何でも喜んでくれると思うけど」
「だから悩んでんだよ」
そう言われてもねえ。俺も誰かにプレゼントをあげたことがないから返答に困るのだが。
「だったらいっそのことザフィーラにトナカイのコスプレしてもらってはやてにサンタクロース役をやってもらう?」
「それだと配る側じゃねぇか!」
「じゃあヴィータがサンタクロース役をやる?」
「いや、まずはサンタクロース役をやることから離れろよ」
「……残念」
せっかくヴォルケンリッターたちにもコスプレで精神的に疲れてもらおうと思ったのに……チェ。
「だが、特別な衣装に変えるのは賛成だ」
「そうね……いつもの格好よりもその方が盛り上がるだろうし」
「シグナムは戦国甲冑でシャマルは湖の騎士繋がりで黒甲冑。ヴィータはウサギの着ぐるみ?」
「おい! クリスマス関係ねぇじゃねぇか!? しかも、あたしだけ疑問系ってどういうことだ!!」
自分でもそう思う。今言った格好だとハロウィンになっちゃう。
ヴィータが疑問系なのはなんとなく。
「特に他意はないよ。なんとなく思い浮かんだのを言っただけだし」
「さすがに蓮の言ったことは今は無理だ。バリアジャケットの設定を変えれば可能だがな」
出来るんだ……それが一番驚きだよ!
てか……はやてのためだったら色々とやる人たちだからおかしくはないか。
そう思うとストンと納得することが出来た。
「そうよね。今は収集のこともあるからそれ以降じゃないと」
「シグナムだけじゃなくてシャマルもかよ……」
ヴィータが一人うなだれていた。
多分、コスプレすることに前向きだったのが予想外だったのだろう。
ドンマイ……俺のせいみたいだけど。
きっと今年のクリスマスはコスプレはないだろうから……頑張ってくれ。