翌日。
学校が終わり、家に帰ってきた俺は部屋にバッグを置いて私服に着替える。
そして、翠屋でお礼用のお土産を買ったのが一時間前。
現在はと言うと……。
「何であんたがここにいるんだい?」
黒いワンピースを着た金髪の少女の背後には昨日共闘? した女性がいた。
「見て分かりませんか?」
俺はずいっと片手に持っていたお礼用のお土産を彼女らの目の前に出す。
「……ん? 甘い匂いがするねぇ」
「そうなの?」
「そうだよ。どうやらお菓子か何かだと思うよ」
「……いや、正真正銘お菓子なんだけど……」
お菓子じゃなかったら何なのだろうか? あれか……ご飯か。
それは……栄養が偏りそうだ。……あ、偏りそうだではなく偏るだった。
「それで……何の用?」
ジッと俺の挙動を一つも見逃さないように見てくる金髪少女。
……さて、どう説明したらいいのだろうか。
結局、俺が彼女らと自己紹介をするのにはそれから一時間ほどの時間が必要であった。
● ● ●
「ほら! フェイトも食べなよ! これ、すごく美味しいよ!」
「あ、うん……あむ……っ! 本当だ」
「美味しくなかったら俺が困るんだけどね」
お土産に買ったやつが美味しくないって言われたらショックだし……。
一触即発になりかけたが交渉を続けて何とか彼女たち---金髪の少女フェイトと本人曰く狼の耳と尻尾を生やした女性アルフさん---と打ち解ける事が出来た。
今は彼女たちの家に上がり俺が買ってきたお土産を食べているところだ。
「それにしても……」
俺はフェイトたちの部屋を見渡す。
そこには最低限の家具しか置いてなかった。寂しいと言うか閑散としていると言うか。
氷村で俺が過ごしていた部屋にそっくりだ。
いい思いでではないのであまり思いだしくはない。なので、その事を思考から外して改めて部屋を見渡す。
一時的に拠点にするならこんなものかと納得してしまうぐらい家具が使われていなかった。
「やけに殺風景な部屋だね。もっとこう……明るくしようとは思わないの?」
「……あなたには関係ない。私の帰るべき場所は母さんのいるところだから」
さいですか。帰る場所があるならいいけどね。
「でもさ、フェイト。あいつのいる場所の方がここよりも殺風景じゃないか」
ここよりも殺風景な場所って……どれだけ寂しい場所なのだろうか? 氷村にあった俺の部屋と同程度ぐらいか、それともそれ以上なのか……。
どちらにしろ寂しい場所であることは否定出来ないな……。
「……そうだね。だけどね、アルフ。私が戻らなかったら母さんは一人ぼっちになっちゃうから」
寂しそうに笑うフェイト。そんなフェイトに複雑そうな表情を浮かべるアルフ。
この二人の間では何かに対する認識が違うようだ。その何かは分からないが……。
それよりも俺が気になるのはフェイトから薄くはあるが血の臭いがする事である。
目に見える箇所には怪我があるようには見えないから服に隠れているのだろう。誰かを傷つけてその返り血を浴びた訳じゃなさそうなのでそう思った。
「……お母さんのこと好きなんだ」
「……うん」
「……フェイト」
やっぱりフェイトの母親に関してはフェイトとアルフさんの間でかなりの温度差がある。
と言うことはアルフさんはフェイトの母親に対して何か思う事があるのだろう。知ろうとも思わないし、知りたいとも思わないが……。
所詮、俺は他人でしかないし、彼女らもジュエルシードの件が終わり次第地球からいなくなるのだし。下手に詮索して行動を鈍らせるより現状維持してもらった方が都合がいい。
すずかたちが安全ならそれでいい。
ただ……いつまで
少しばかりの幸せを得るのと同時に俺は狙われるようになっちゃったから。
氷村の庇護が無くなったから氷村家の中で俺を殺したいほど憎んでいる人に対する枷が無くなったのだから。
「ん? どうしたんだい……急に溜め息なんか吐いてさ」
「……いや、ちょっとね……余計な事を考えちゃっただけだよ」
無意識のうちに溜め息を吐いていたらしい。気をつけないといけない。すずかやお姉ちゃんは何かあったんじゃないかと勘繰りそうだから。
忍さんは……どうだろうか? 案外何も言わずに何故そうなっているのかの原因を察していそうだ。
そんでもって事態が悪い方向に傾いたら言うんだろうな……。
そんな光景がありありと想像出来る。
「ふ~ん……そうかい」
「……もう用は済んだでしょ」
フェイトが口端にクリームを付けたままキリッとした表情でそう言ってきた。
せっかくのキリッとした表情が口端に付いたクリームのせいで台無しである。
「ジュエルシードの捜索に行きたいのは分かったけど……口に付いたクリームはちゃんと拭ってかないと駄目だよ」
「ふぇ? ……あぅ」
フェイトは一瞬だけ呆けると慌てて紙ナプキンで口元を拭う。そして、顔を恥ずかしさで赤く染めて俯いた。
「……ぷっ……くく……」
アルフさんなんか口元に手を当てて必死に笑いを堪えて体をプルプルと震わせている。
クリームを付けたままキリッとした表情をしてたんだから本人からしたら相当恥ずかしいし、アルフさんからしたら普段はしないようなドジに思わず笑いが込み上げてきたんだろう。
でも……こんな可愛らしいドジでよかったと思う。ファリンさん並みのドジだったらと思うと……背筋が震える。
落下してくる花瓶、飛んでくる刃物、転がってくる石鹸や洗剤の類い……どれもきわどいタイミングで起こるので油断出来ない。
「……それじゃあ、俺は行くからリリンの事はありがとね。それとジュエルシードを集めるのは頑張ってね」
俺はそう言うと玄関に向かい靴を履いてフェイトが滞在しているマンションから出て行った。
● ● ●
「……さて、どうしようか」
リリンを助けてくれたお礼は終わったのでこれからどう過ごそうか考える。
家に戻って読書するか、適当に散歩して時間を潰すのか……それともジュエルシードを探すのか……。
ジュエルシードを探すのは無しとしてもどうやって今日は過ごすか……とりあえず、公園のベンチに座って落ち着こう。
ベンチに座ってボーと空を見上げていると空き缶が宙に上がってきたのが見えた。
「……缶蹴り?」
そう思った俺だが次の瞬間には違うことを知った。
宙に上がってきた缶を追うようにピンク色の球体が現れたのだ。
「ああ……なのはか」
よし……帰ろう。
俺は何も見なかったことにして公園から立ち去った。
だってねえ……魔法の練習をしているなのはの邪魔をするわけにもいかないし、何よりも魔法の練習に付き合いたくないしね。
あ、でも……どんな魔法が使えるのかだけは知りたいかも。
まあ、それも後で訊けばいいことだし今訊く必要はないか。
それよりも俺としてはフェイトたちと争うよりもジュエルシードを封印して欲しいんだけどね。
どっちが封印しても封印したことには変わらないんだしさ。
何でわざわざ同じ目的なのにぶつかり合うのか疑問なのだが……。
譲れぬ事情があるのなら仕方がないなんて俺は思わない。さっさと封印してくれないと被害に遭うのはこっちなのだから。
まったく……どしがたい。
……争うならプライベートでやって欲しいものだ。
もし……なのはとフェイトのジュエルシード争奪戦になり、すずかたちに被害が出るのならば……その時は……。
……隷属させるのも辞さない。
例え、誰に文句を言われ居場所を失ったとしてもだ。
恨まれても構わない……。それですずかたちの安全が確保されるなら。
● ● ●
「へ~、トラも肉球は柔らかいんだね」
「どうだろう? あくまでも外見を似せただけだから完全に柔らかいとは言えないよ」
家に戻ると俺はすずかに頼まれてトラの姿に変身した。モデルはホワイトタイガーである。
大きさは一メートル弱。現在の俺の体の大きさだとこれ以上のサイズに変身すると負担が大きいのだ。
「すずかお嬢様。蓮君を見……ま……せんで……」
ファリンさんが俺の姿を見て固まった。
「蓮君ならここにいるよ」
「はい? もしかしてそのトラが蓮君ですか?」
「そうですけど何か?」
俺はトラの姿から元の人型に戻る。
「はぁ~、ビックリしましたよ。家の中にトラがいるんですから」
ホッと安心したように息を吐き出すファリンさん。
何かビックリさせたみたいで申し訳ない気持ちになる。
「それで何の用です?」
そう問いかけるとファリンさんはそうでしたと言って一回ゴホンと咳払いしてから話し出した。
「はい、実は今度の休日に皆で温泉に行こうって事になったんですよ」
「温泉!? 本当なのファリンさん!」
温泉か……しかも今、
それに関して心配なので訊くことにした。
「それじゃ、猫たちの餌はどうするんですか?」
「それについては心配いりません。お姉ちゃんがその日だけ人を手配しておくそうなので」
「そうですか」
それなら安心だ。リリンが餓死なんてしてたら俺はきっと泣いちゃうから。
「それじゃあちゃんと伝えましたからね。その日は予定をいれないでくださいね」
ファリンさんの言葉にはいと俺とすずかは返事をする。
その返事を聞いたファリンさんは満足そうに頷くと夕食の支度に戻りますねと言ってキッチンの方に向かって行った。
「温泉かあ……蓮君は温泉に行ったことある?」
「ううん、ないよ」
「そっかあ、だったら温泉に行くのは初めてなんだね」
「そうだよ」
初めての温泉……普段入るお風呂とは何処が違うのだろうか? 楽しみだ。
「すずかはもう何回か温泉には行ったことあるんでしょ」
「うん、あるよ」
「どんな感じ?」
「う~ん……そうだね……料理も普段食べているのとは違うし、温泉にも種類があるから結構楽しめると思うよ」
「楽しめるか……」
楽しめる……何を楽しむのだろう? 料理かもしくは種類がある温泉か……。
まあ、自分で直接体感した方が分かるか。
それにしても……家族旅行みたいでワクワクする。
家族旅行なんて絶対に行けないと思ってたから……。
「蓮君……ニヤケてるよ」
「え? あ……本当だ」
顔を触ると口元が緩んでいた。
すずかはそんな俺を微笑みながら見てる。何だか恥ずかしいが悪い気はしない。
むしろ嬉しく感じる。ここにいていいんだと証明されているようで……。
ああ……幸せってこう言う事なのかな? 嬉しく感じられる出来事に出会える場所や一緒にいてくれる人がいる今。
「楽しみだね」
「うん」
ありがとう……すずか。すずかが臆病な俺の手を掴んでくれたから今がある。だから、本当にありがとう。
口には出さないで心の中で言う。口に出して言うのは何だか恥ずかしいから。
「ところで……温泉ってことはどっかのホテルに泊まるの? それとも旅館?」
「多分ね、ホテルだと思うよ。去年もそうだったし」
「そうなんだ」
去年もってことはすずかたちは毎年温泉に行ってるてことか……。
毎年行ってるてことはそれなりに良いところなんだな。
ますます、楽しみになってくる。
「蓮君、何だか楽しそうだね」
「うん。初めてだから余計に楽しみなんだと思う」
さっきからワクワクしたままだし。
「そっか……」
時折、すずかから温かい視線が向けられる事があるが……それは何なのだろうか?
現に今、温かい視線で見つめられている。
氷村で向けられていた視線とは正反対だからちょっと落ち着かない気分になる。でも、このままでいいかなって思う。
何でか分からないけど、そう思ってしまうのだ。
〇 〇 〇
同時刻---某所。
薄暗い森の中に一人の女性が立っている。その女性の服装は青いワンピースであり、山の中にいるにしてはえらく軽装である。靴はハイヒールを履いておりどう見ても山の中を歩くものではない。
「……あぁ、やっと……」
その女性はそう呟くと空を見上げる。
目元にある濃い隈を際立たせる病的に白い肌にボサボサに伸びた黒い髪……それはまるで幽鬼を彷彿させるようであった。
そして、ニンマリと狂気の見え隠れした表情を浮かべると一言呟いた。
「……待っててね直ぐに行くから」
クフ……クフフフ……と声が何処からともなく聞こえ出してくる。
その声が聞こえなくなると同時に女性の姿は消えていた。
その女性が立っていた場所には一枚の写真が落ちていたのだった。一人の少年の写った写真が……。
やがて、その写真は風に飛ばされ山の奥深くへと飛び、消えていった。