ノラガミ 縛られた神様達   作:ファルメール

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第01話 整体師の捜し神

 

 懐かしい夢を見た。

 

 ずっとずっと、気の遠くなるような刻を遡った果ての神代。

 

 実の父に殺され、蘇る前に力と記憶と、己の在り方すら奪われて、貶められた日の、忌まわしい記憶。

 

 思い出したくもない、だが魂の奥底に刻まれて忘れようにも忘れられない、苦き日の出来事。

 

 父よ、弟達よ、何故こうも俺を疎む? 成る程、確かに俺達は災いしかもたらせぬ禍き神やも知れぬ。だがそれは俺達がそうしたくてそう生まれた訳ではないのだ。子は親を選べない。父よ、あなたがあなたの妻と成した最初の子と最後の子も、きっとそうだった。それとも、このような身の上に生まれてしまったその運命すらもが罪だと言うのか?

 

 良いだろう、ならば俺はその運命に従い、受け入れよう。

 

 俺を捨てたお前達を、俺は決して許さない。幾度の生と死を経ても、この恨みは決して忘れない。

 

 俺達の苦しみを知らぬであろうお前達に、同じ苦しみを与えてやる。

 

 何度生まれて、幾度傷付き、何度老いて、幾度死んでも。

 

 いつの日か俺は必ずお前達を、俺達より更に下の位階にまで、永遠に貶めてやる。

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと、起きなさい!!」

 

「んが……?」

 

 聞き慣れた声と共に、さほど深くない眠りの世界から意識が急速に引き上げられる。

 

「起きなさい、直人(なおと)!!」

 

 ぱしんと頭を軽く叩かれて、直人と呼ばれたその男は完全に目を覚ました。視界に映るのは散らかった自分の机に、壁に張り出された人体のツボの一覧表、医学書の隣に漫画が入っているようなデタラメな配置の本棚。慣れ親しんだ自分の部屋であると、彼は完全に認識する。

 

 視界を上げると、皺一つない白衣に身を包んだ妙齢の看護師がムスッとした表情でこちらを睨んでいた。

 

「昼からは山田さんの予約が入っていたでしょう? 数少ないお得意様なんですから、ちゃんとしなさい!!」

 

 看護士の口調は、まるで母親がグータラな息子に言うようである。

 

「わ、わーったよ巫枯(みこ)……すぐ行くから……」

 

 直人はそう言うと、椅子からぴょんと立ち上がった。年の頃は三十を少し過ぎ、よれよれの白衣に襟首の汚れたワイシャツ、緩めたネクタイに無精ヒゲ。清潔さを求められる整体師という職業にはおよそ不似合いな風体の彼が診療室に入ると、既に70歳ぐらいの老人がベッドに横たわっていた。この山田老人は看護師・巫枯が言っていたようにこの整体院の数少ない常連であった。

 

「すいませんねぇ、山田さん……お待たせして……」

 

「いやぁ、先生のマッサージは効くからねぇ、ちょっとぐらい気にしねぇよ」

 

 老人は気さくな笑顔で応じる。直人もそれに応じて「ん」と笑みで返す。

 

「そいじゃぁ始めますか。いつも通り、このアイマスクをしてもらえますか?」

 

 この整体院では、施術に入る前に必ずこうして患者の視界を塞ぐ。表向きには「眼の疲れを取る為です」と尤もらしい事を言っているが……実際は違う。

 

 老人の眼が塞がれたのを確認すると、直人はぐっと目を凝らす。すると、見えてこなかった”もの”が見えてきた。老人の体のあちこちに黒くどろりとしたものが、わだかまっている。特に腰の辺りにその黒いものは多く、淀んでいる。

 

 直人がそっと腰の辺りに手をかざして意識を尖らせると、その黒い塊はずるりと動き出して老人の体を離れ、やがて彼の掌に集まっていき……最後には体内へと吸い込まれて消えていった。

 

「ん……山田さん、これでまた一ヶ月は大丈夫ですよ……って、もう聞こえてないですか」

 

 からからと笑いながら、直人が言う。老人は心地良さそうな寝息を立てて、眠っていた。まぁ無理からぬ所である。アイマスクをしている上に、自分の体から気枯れ(ケガレ)……つまりは悪い部分が取り除かれたのだ。その快感たるや、冬場のコタツに勝るとも劣るまい。

 

「んじゃあ巫枯、俺は暫く出てくるからよ。一時間経ったら山田さんを起こしてやってくれ」

 

「サボリも良いけど、ほどほどにしなさいよ。いくら小さな整体院でも、たまのお客さんが来た時に先生が居ませんでしたじゃ拙いんだから!!」

 

 説教の声を背中に受けつつ、直人は自分の城、「天津整体院」からふらりと出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

「ウエサマー!! ウエサマ!?」

 

 世間とは広いようで狭いもの。町をぶらぶら歩いていると、聞き覚えのある声が耳に入ってくる。

 

「よー、夜卜(ヤト)じゃん? 何やってんだ?」

 

 ひらひらと手を振りつつ挨拶すると、声の主も直人に気付いたようだった。外見的には二十歳ぐらいだろうか、ジャージ姿でマフラーを首に巻いたほっそりとした少年だ。

 

「あぁ、直人か。見りゃ分かんだろ? 仕事だ、仕事」

 

 ちらりと視線を夜卜の手に動かすと、大きく「ウエサマ」という文字と猫の写真が入ったチラシが見える。町中では良く目にする、迷子のペットを探す為の物だ。夜卜があちこちに自分の携帯電話の番号を書きまくって(本人曰く布教活動)、何でも屋のような仕事をしているのは知っているが……今日の仕事は猫探しという訳か。

 

「ん……? そーいやお前、神器はどうした? 伴音だったけ? 姿が見えないが……」

 

 直人にしてみればちょっとした好奇心からの言葉だったが……どうやら地雷を踏んだらしい。夜卜の表情がいきなり引き攣った。

 

「あ、あいつならクビにしてやった……」

 

「……あー、悪かったなぁ、何か……」

 

 夜卜の表情と言葉から、実情がどうだったのかを思い描くのに大した推理力は必要なかった。大方、神器に給料も出さずにその神器が副業としてパートで稼いだ金も得体の知れない開運グッズやギャンブルで消し飛ばし、食事はおろか着る服も無くその日暮らしの毎日、それに手汗最悪……最後は生理的に無理と、愛想を尽かされたって所か。

 

「それより、お前こそ捜し神は見付かったのかよ!!」

 

「ん……もうじきさ」

 

 夜卜にこう尋ねられてこう返すのは、直人の口癖である。

 

「それよりお前、神器無しじゃあ不安だろ? 良かったら俺の所で出たがってる奴がいるかも知れねぇし、さが……」

 

「あーっ!!」

 

 探してやろうか? と言い掛けたその言葉は夜卜の叫びで掻き消された。彼の目線を直人がトレースしたその先には、一匹の猫。柄と言いサイズと言い、チラシの写真に写った猫と寸分違わない。

 

「ウエサマ!!」

 

 捜し猫、見付けたり。この機会を逃すまいと、夜卜は直人の頭の上を飛び越えて一直線にウエサマに向かっていく。見知らぬ男が向かってきて、ウエサマは逃げる。当然の反応である。しかしこの時、夜卜は自分がどこに居るのかを忘れていた。目的の物を前にすると視界が急に狭くなるのは、人も神も同じらしい。

 

 道路に飛び出してしまっている。しかも、こんな時に限って迫ってくるバス。

 

「あ、バカ……!!」

 

 自分と違って、夜卜はこんな事では死なないと直人は知っていたが……しかし、だからと言って見捨てられるものでもない。助けようとガードレールを乗り越えようと足を掛けて……だが彼よりも早く、速く、小さな二つの影が駆け抜けていく。

 

 急ブレーキを踏んだ時特有の甲高い音の後に、どんと鈍い音が響く。

 

「きゃあああっ!!」

 

「ひより、あかり!!」

 

 ワンテンポ遅れて、上がる高い声。制服姿の女子二人が、悲鳴を上げていた。

 

 見れば道路には、二人の少女が倒れていた。一人はバスのすぐ近くで、もう一人はやや離れた所でぐったりとしている。

 

「っ……こりゃあ……!!」

 

 直友もはっとして道路に飛び出すと、バスの近くで倒れている方の少女の傍へと駆け寄って、そして「うげっ」と顔を歪める。

 

 倒れた時にアスファルトに擦った時の傷だろう、半身が血塗れになっていて、手足は曲がってはいけない方向に曲がって、折れた骨が皮膚を突き破って見えている。伏せたままのその顔は、女生徒の一人が駆け寄って「ひより、しっかり!!」と呼び掛けている少女と瓜二つだ。横になっているので分かり難いが背丈も殆ど変わらない。違いは、「あかり」と呼ばれているこの少女は黒い長髪をポニーテールに結んでいるぐらいだろうか。

 

 ひよりの方を見れば、彼女はショックで気を失っているだけで外傷は殆ど無いようだ。

 

 状況から推測してこの双子はほぼ同時に夜卜を助けようと飛び出して……それで咄嗟にあかりの方が、ひよりを庇って突き飛ばし、バスに撥ねられた……という所か。だがその代わりに、あかりは……

 

 専門ではないが、頭に叩き込んだ医学の知識と体に染み込んだ経験則が直人に教える。あかりはもう、手遅れだと。

 

 ……その、筈だったのだが。

 

「これは……?」

 

 思わず絶句して、そして咄嗟に友人であろう女生徒とあかりの間に入って、彼女の姿を隠す。

 

 反射的な行動だったが、しかし間違ってはいない筈だ。こんなもの、一般人に見せたらエライ事になる。

 

「傷が……癒えていく……?」

 

 そう、あかりの全身に刻まれた傷が、治っていくのだ。教育ビデオの映像で、何週間かの時間を掛けて肉体が自然治癒する過程を数分に収めたシーンのように。擦過傷やアザが見る間に消えていき、複雑骨折した部位すらもそこだけ時間が巻き戻っているかのように骨が体内へと引っ込み、あるべき形へと修復されていく。

 

 このような事、絶対に起こり得ない。

 

 視界の端で、ひよりが二人居るように見えるのも気になるが……それよりもこのあかりの方が異常だ。彼女は一体……?

 

「ん?」

 

 と、ものの数十秒で傷は完治したものの未だ意識は失ったままのあかりの胸の辺りから、じゃらりと鎖が伸びているのが見えた。直人がそれを追っていくと……1メートルと数十センチくらいの距離を隔てた空間に、一人の少年がふわふわと浮いていた。十に届くか届かないかの、燃えるような紅い髪と紅い目をした少年。そんな彼が一糸纏わぬ姿で浮遊している。あかりの胸から出た鎖は、彼の胸に繋がっていた。

 

 少年はきょろきょろと辺りを見渡している。釣られて直人も視線を動かしてみるが……集まった野次馬の誰の目にも、少年の姿は”入っていない”ようだった。夜卜や、自分達のように。

 

 つまりはこの少年も、自分達と同じ、”こちら側”の存在という事になる。

 

 だが、重要なのはそこではない。少なくとも、直人にとっては。

 

「見付けちまったよ……」

 

 いくら探しても見付からない訳だ。自分と同じで、人の肉体に封じられていたとは。あかりの身に起きている超常も、この少年の影響だとすれば合点が行く。

 

「初めまして、だな」

 

「えっと……あなたは……いや、それよりも……僕は、誰なのですか?」

 

 少年の問いに、直人は答える。

 

「神代の頃より、俺はお前を探していたよ。我が義兄……ヒノカグツチ」

 


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