Dクラス代表 平賀源二 討死
予想を遥かに――というかあまりにも非常識すぎる戦術で敗北したDクラス生達は頭を抱えたり崩れ落ちたりしながら、新校舎中に響き渡るほどの悲鳴を上げていた。
それとは逆に心の底から喜びの声を上げているFクラスの集団の中から雄二が姿を現し、Dクラスの教室に崩れ落ちている平賀源二に近づいてきた。
雄二の接近に気づいた源二はヨロヨロと力なく顔を上げ、
「……あぁ、坂本か。施設の交換、だったな。今日はちょっと時間がないから、明日でもいいか……?」
見るからに落ち込んでしまっている源二の姿に、小春達Dクラス生は同情の視線を向ける。クラス代表というのは勝てば英雄のように扱われるが、負けた場合は戦犯として扱われてしまうもの。それは分かっているのだが、やはりその責任を一身に負わなければならない源二は少しだけ可哀想に見えた。
しかし。
そんな源二に小さく笑いかけながら、雄二は予想外の提案をする。
「いや、その必要はない。俺たちはDクラスの設備を奪う気はないからな」
空気が凍った。
試験召喚戦争というのは『下位クラスが上位クラスの設備を奪う』ことを目的とした戦争だ。上位クラスの豪華な設備を手に入れるために勉強して作戦を考えて勝負を挑む。その中での学力向上を本意とした戦争こそが、試験召喚戦争なのだ。
しかし。
雄二は『設備を交換する権利』を自分から放棄すると言った。
何故にそんなことを言うのかが理解できないDクラス生及びFクラス生の視線を一身に受けながら、雄二はやれやれと言った様子で両手を上げ、
「開戦前にも言ったが、俺たちの最終目標はAクラスの打倒だ。それなのにDクラスの教室なんかで満足して良いわけがないだろう?」
「そ、それはそうだけど……」
「とにかく、俺たちにDクラスの教室を奪う気はない」
「それは俺達にはありがたいが……それでいいのか?」
今の教室を失わないで済むことに安堵しながらも、源二は比較的当たり前な疑問をぶつける。
雄二は「もちろん、条件がある」と前置きし、
「俺達が指示を出したら、教室の外の室外機――Bクラスの室外機を破壊して欲しい」
「破壊って……流石にそれはヤバくねえか?」
「お前は相変わらず極端だなクz――小春」
「おい今コラ雄二テメェ俺の事クズっつったかこの野郎」
拳を振りかぶる小春をDクラス生が数人がかりで羽交い絞めにする中、雄二は続ける。
「破壊すると言っても、室外機を動かなくしてもらうだけだ。別に完膚なきまでに粉砕しろって意味じゃない」
「それはこちらとしては願ったり叶ったりだが、何故そんなことを?」
「次のBクラス戦に必要なんでな」
「……そうか。だったら、こちらはその条件を呑もう。――お前らがAクラスに勝てるよう祈ってるよ」
「ははっ。無理するなよ、平賀。勝てっこないって思ってるんだろ?」
「それはそうだ。FクラスがあのAクラスに勝てるわけがない。ま、社交辞令だな」
悪びれる様子も無く言い切る源二に、雄二は清々しい笑顔を返す。普通だったら食って掛かる場面なのかもしれないが、源二が言っていることはこの学園の共通認識。誰が何と言おうと覆されることはない、学力格差の常識だ。
じゃあな、と手を振ってFクラスへと戻っていく雄二に続く形でFクラスの生徒達も自分の教室へと戻っていく。
と。
「小春ーっ! さっさとクレープ食べに行くわよっ!」
「マ・ジ・で!? マジで俺、美波に奢ることになってんの!? しかもこれからかよ!」
「教室が奪われなかっただけ感謝しなさい! じゃあ平賀、小春をちょっと借りてくわねー」
「ああ。財布が空になるぐらいにふんだくってやるといい」
「げ、源二ぃぃいいいいいっ!」
ニヤニヤニマニマといとも簡単に自分を売った親友の悪魔の所業に小春は絶叫をプレゼントするも、美波の怪力によってDクラスの教室から無理矢理引きずり出されてしまう。
ここまで来たら逆らえねえな、と結構早い段階で諦めた小春は「はぁぁ」と大きく溜め息を吐き、
「で? クレープ食うっつっても、どこに行くつもりなんだ?」
「ウチの家の近くのショッピングモールに新しいクレープ屋がオープンしたのよ。結構有名なお店らしくって、一番人気は『フルーツミックス』らしいわ」
「ハズレが無けりゃいいけどな、そのクレープ」
「あ、あはは……」
先ほどまで試験召喚戦争で戦い合っていたとは思えない程に親密な会話を繰り広げながら、小春と美波は下駄箱へと歩を進めていく。……その中で美波が小春の手を握ろうと奮闘しているのだが、恥ずかしさに負けてしまって思うようにはいっていない。ツンデレというのも難儀なものだ。
と、その時。
廊下の奥の方、正確には補習室の方向から、凄く見覚えのある女子生徒が――スタンガン片手に全速力で走ってきた。
『お姉様ぁぁああああっ! その愚弟からこの美春が解き放ってあげますぅぅううううっ!』
「み、美春!? もう補習から解放されたって訳!?」
「チッ! こんなタイミングで邪魔してくんなんて……相変わらずタイミング悪りぃんだよミハ姉!」
バチバチドタドタと様々な効果音を伴って迫ってくる美春に恐怖しつつも、小春と美波は下駄箱まで走って数秒で上靴と外靴を履き替え、凄まじい速度で正門へと駆け出した。
――しかし。
「ってぇっ!? ミハ姉の奴、上靴のまま追ってきやがった!」
「あの子流石に速すぎじゃない!? どこまで本気で全力疾走なのよーっ!」
「チッ、しょうがねえ! ――美波!」
「あ、うん!」
反射的に差し出された美波の左手を右手で掴み、小春は疾走の速度を上げる。恥ずかしさに焦りが勝った賜物か、小春は照れることなく――美波の左手を力いっぱい握り締めながら夕焼けの街を駆けていく。
が。
反対に焦りよりも恥ずかしさが勝ってしまっている美波は顔を耳の先まで紅蓮に染め、
(こ、小春と手を繋いでる小春と手を繋いでる小春と手を繋いでる小春と手を繋いでる――ッ!)
一年生の時に出会ってから今までの間に互いを名前呼びするまでには進展していたが、流石に手を繋ぐという接触は初だった。……暴力ツッコミ? あ、あれはノーカンよノーカン!
まさかこんな場面で人生初の『手繋ぎ』を経験することになろうとは。この世に神様がいるかどうかは分からないが、今だけは全力で祈りを捧げたい。神様、ウチの為にありがとう!
ドドドドドッ! と轟音を奏でながら街を駆けていく小春達。仕事帰りのサラリーマンやオフィスレディたちが物珍しそうな視線を――というか生暖かい視線を送ってきているが、現在進行形で命の危機な小春達は気づかない。……美春はまぁ、既に理性がぶっ飛んでるんで。
いろんな意味でオーバーヒート中な美波の手を引いたまま、それでもまったく走り辛そうではない小春は美波の左手をギュッと握り直し、
「ちぃっ! このままじゃ追いつかれる……ッ! 美波、スピード上げっけど問題ねえか!?」
「……うん」
「少しばかり走り難くなっちまうかもだけど、我慢してくれ!」
「……うん」
「…………美波、さん?」
美波の様子がおかしいことに気づいた小春は走りの速度を緩めないまま、ちらっと横目で彼女の様子を確認する。
「……うん。……うん。……うん」
「な、なんか壊れたオーディオ機器みてえになっちまってるーっ!?」
「んなっ!? こ、この愚弟! お姉様になんてことをしてるんですか! 万死に値します! 死にさらせぇーっ!」
「アンタ本当に俺の実姉か!?」
結局その後、小春と美波は日が暮れるまで美春から逃げ回っていたため、目的のクレープ屋に行くことは出来なかった。
☆☆☆
「葉月ーっ。お姉ちゃん後でいいから、先にお風呂入ってきなさーい」
「はいです!」
トタタタタッ! と小走りで浴室へと向かう実妹に、リビングでテレビを観ていた美波は微笑みを浮かべる。
テレビの中では『男を虜にする一〇〇の方法!』という名の番組が放送されていて、美波は結構真面目な様子でその番組に見入っていた。
パキンッ、と煎餅を噛み割りながら、美波は画面に集中する。
《男性へのアプローチは当然ですが、それよりも前にやるべきことがあります》
「?」
《それは――おっぱいを生かした色仕掛けで》
ブツンッ!
恐るべき速度と威力でテレビの電源ボタンを叩き押す美波。今の一瞬、美波の顔は般若のように歪んでいた。
ベキンッ、と煎餅を噛んで咀嚼して呑み込んで、美波はぐぐーっと背伸びをする。
「……やっぱり小春も、胸が大きい人が好きなのかしら……?」
世間の一般常識として、男性は女性の胸に性的な思考を覚えてしまう――らしい。絶対に断固として認めたくはないが、その常識はおそらく多分メイビー間違ってはいないだろう。……誠に不本意だが。
問題は、その常識がはたして小春にも当てはまるのか、ということ。
小春の実姉である美春の好みは『胸が控えめな女』だが、その好みははたして弟にまで適用されるのか。まさかの実姉とは逆の『胸筋が発達した男』が好みなんていう最悪な事態には陥ることはないのか。我らが文月学園の性質上、同性愛なんてものは大して珍しくはない。……事実、美春がガチレズだし。
さて、この悩みは一体どのように解決すればいいのだろう。このまま考えれば考えるほどに無限ループに陥ってしまいそうな気がする。だが、思考の内容を変えることは今更ながらに難しい。
――ええいっ、覚悟を決めろ島田美波!――
顔を赤く染めた美波は傍に置いてあった携帯電話を操作。震える指で画面をタッチして電話帳から『清水小春』を選び出し、躊躇することなく通話を開始する。
『もしもし? こんな時間にどうかしたんか、美波?』
「あ、えと、その……」
思ったよりも早く通話が開始されたせいで上手く言葉が口に出せない美波さん。
そんな美波の様子に疑問を抱いてはいる様子の小春の声が美波が喋る前に放たれる。
『今日はミハ姉がごめんなー。ミハ姉の強襲のせいで、結局クレープ屋には行けなかったから……』
「あ、べ、別に気にしなくていいわよ!? 別に今日行けなくてもまた今度行けばいいだけだし!」
『お、おう。ま、悪かったな』
「う、うん!」
(って、なにナチュラルにデートの約束してるのウチィィーッ!?)
携帯電話を耳に当てたまま頭を抱える美波なんかには気づかない小春は話を続ける。
『で? もう一度聞くけど、こんな時間に何の用?』
「あ、あの、その、えと……」
『?』
「こ、小春の好きなタイプが『胸筋の発達した男』だっていうのは本当!?」
『……美波サン君ノ言ッテイル事ガヨク分カラナイノデスガ』
ウチも自分がよく分からない。
「ち、違う、今のは違うの! あのそのえとあの、ウチが言いたいのはそうじゃなくて……」
『……要するに、俺の好きな異性のタイプを聞きたい、と?』
「そ、そうそうそれそれ! それが言いたかったの!」
『別に言う分には構わねえけど……わざわざ電話でそれ聞くか、普通?』
「う、うるさい! ウチだって普通じゃないって分かってるんだからぁーっ!」
耳の先まで紅蓮に染め、尚且つ涙目な美波の叫びが島田家に響き渡る。――もちろん、小春の携帯電話にも響き渡っている。
いつもと様子が違う美波に違和感を覚えながらも、それでもこの状況を一変させるためには返事を返すしかないと判断した小春は『あー』と何かを考えるように間延びした声を吐き出し、
『俺の好きなタイプは、そうだな……』
「……(ゴクリ)」
『ま、まず第一に、そこまで胸がデカくねえ方が良い、かな』
「ほ、本当!?」
『っ。……いきなりどうしたよ、美波さん?』
「べ、別に何でもないわ。……続けて」
んだよもー、と呆れながらも小春は続ける。
『次に、動きやすそうな髪型の女子、だな。ポニーテールとかツインテールとかおさげとか、とにかく何かしら手を加えた髪が好きだ』
「ぽ、ポニーテール……」
『そして最後に挙げるなら……いつも一生懸命な人、って感じだな』
「いつも、一生懸命な人……?」
『ああ。勉強でも運動でも恋愛でも何でも良いが、とにかく一つの事を一生懸命頑張ってるヤツが好きだ。何かを頑張ってるヤツの顔は、どんな瞬間よりも綺麗で可愛い――ってのが俺の持論だよ』
「…………なんか、小春らしいわね」
『どういう意味だよそれ』
「べっつにー。じゃあ、ウチは明日も試召戦争があるから、もう電話切るわね」
『ああ。頑張れよ、美波。源二は「FクラスはAクラスには勝てない」っつってたけど、俺はFクラスの勝利を信じてっかんな』
「任せといて! 来週までにはAクラスの教室にアンタを招待してやるんだから!」
『あははっ。まぁ、期待して待っとくよ。んじゃ、おやすみー』
「うん、おやすみなさい」
ピッ、と通話を切断し、美波は携帯電話をテーブルの上に置く。
そしてぐぐーっと両手を上に挙げて背を伸ばし――
「春のお兄ちゃんと話してたの?」
「きゃぁぁああああああああああああああああああああっ!」
突然背後からにゅいっと顔を覗き込ませてきた実妹――島田葉月に、美波はドタドタドタンッ! とソファから転がり落ちた。
ニコニコと子供らしい晴れやかな笑顔を浮かべている葉月を涙目でキッと睨みつけながら、美波は(いろんな意味で)高鳴る心臓を抑えながら声を荒げる。
「は、葉月!? いつからそこにいたの!?」
「『そ、そうそうそれそれ! それが言いたかったの!』からです!」
「凄く微妙な段階でのご登場!」
はたして聞かれた内容としてはギリギリセーフなのか余裕でアウトなのか。その境界線についての判断は、残念ながら今の美波にはつけられない。
と、そんな美波の脳内に、この混乱から逃避する手段が浮かび上がった。
そうと決まれば何とやら。美波は顔を真っ赤にしたまま携帯電話を掴み上げ、
「じゃ、じゃあウチは今からお風呂に入ってくるから! 葉月は部屋にでも戻ってなさい!」
「えー。葉月、お姉ちゃんと春のお兄ちゃんのはなし、もっと聞かせてほしいです!」
「聞かなくていいの!」
元の色が分からない程に真っ赤になってしまっている美波は、ぶーぶー、と不満げな実妹から逃げるように全力疾走で浴室へと移動する。
まぁ、結局のところ。
FクラスはAクラスに敗北して設備が更に悪化してしまう訳なのだが、この時の彼らはそんな未来なんて予想すらしていなかった――。
次回から原作二巻編――清涼祭編が始まります。
感想・批評・評価など、お待ちしております。
次回もお楽しみに!